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11時34分発の行橋発小郡行きって…。さすがに直通需要はなかったんでしょうが、不思議な経路の遠回り運行ですね。ストレートに山陽本線を下れば1時間かからず、宇部線回りでも1時間強なのに6時間超え。
この頃の九州〜山陰への急行列車はメインの山陰本線経由だけでなく、気動車の小回りを活かして下関や厚狭で分割して美祢線や山口線経由もあったからなぁ。今ではすっかり衰退してしまったが。
長距離列車の始発駅が、一部しか明示されてないのは残念。
ご視聴とコメントありがとうございます。仰る通り、長距離列車であることを実感するためには、始発駅もあったほうが良いですね。取り上げていない長距離列車についても始発駅がわかるように、動画の構成や概要欄の活用法について検討してみます。ご要望ありがとうございました。
今回の駅が厚狭とは目のつけどころが面白いですよね東京近郊で言えば、熊谷、小山、土浦あたり?これからも楽しみに待っています
いつもご視聴とコメントありがとうございます。また、嬉しいお言葉もありがとうございます。今回は視聴者様からのリクエストで動画を作成させていただきました。リクエストをきっかけに、「厚狭駅」周辺の時刻表を詳しく読んでみました。新たな発見があったり、魅力的な列車が多かったりと、大変楽しかったです。これからも楽しんでいただける動画をお届けできるように頑張っていきます。
主様こんにちは。リクエストにお応えしていただき、ありがとうございました😊18歳までを長門市で過ごした者として、懐かしさいっぱいの時刻表で涙無しには見れませんでした(笑)長門市行きの殆どが、仙崎(仙崎線)行きだったのですね。 県立水産高校が仙崎にあるので朝早い便も必要だったのと思います。当時は仙崎市場で魚を仕入れ、朝イチの山陰本線や美祢線で魚の行商をするオバサン達が活躍していました(ブリキの缶に魚を入れるのでカンカン部隊と呼んでました)車両が魚臭くなるので、1両目はカンカン部隊専用車両みたいになってました。懐かしい。厚狭駅も今以上に賑わっていたことでしょう。知らない急行列車の名前もたくさんありました。
SAさんこんにちは。いつもご視聴とコメントありがとうございます。リクエストをいただいてから大変お待たせいたしました。水産高校の通学や、行商をする方への配慮がされていたのですね。SAさんのコメントを拝見してから、色々と調べてみました。色々なブログの記事を読んでみると、当時の賑わいが想像できて大変面白かったです。カンカン部隊という名称、大変ユニークで面白いですね。貴重な情報をいただきありがとうございました。このチャンネルで動画を作成するようになってから、福岡県や山口県について調べることも増え、是非観光で訪れてみたいなと思うようになりました。時刻表の別な楽しみ方ですね。
山陽本線の山口県のハブ駅のひとつ「厚狭駅」当時は主要駅で山陽本線・宇部線・小野田線・美祢線が合流する一大ターミナル駅、優等列車も止まる駅で、宇部や小野田からのセメント輸送がメインでした、山陽新幹線の博多開業時は新幹線の駅は作られず、不便を強いられたが1999年に設けられた、しかし停車するのは「こだま」だけ当時の栄華を思うと残念((+_+))
ご視聴とコメントありがとうございます。宇部興産の専用道路もでき、貨物や利用者数も減少傾向にありますね。どんな理由があるにせよ、一度栄えたものが衰退していくのは寂しいです。新幹線に関しては、優等種別も停車する新山口からの方が便利なのかもしれませんね。
自分が子供の頃に長門湯本に行くのに乗っていた急行は さんべ でしたどの駅で分割していたかわかりませんが長門市でまた併結する珍しい列車でした美祢線の駅に 厚保 という駅がありますが読みにくい駅でも有名ですこの頃は鉄道が移動のメインだったので結構列車が走っていますね厚狭は新幹線の駅もあるのですが現在では寂しい限りですリクエストですが九州第2弾として小倉駅をお願いします(厚保 はあつと読みます)
山口県にお詳しい方いらっしゃって嬉しいです。長門湯本駅もかつては賑わっていましたね。今は無人駅となってしまいました。 厚保は🌰で有名です😊小倉駅のリクエスト良いですね!私も是非ともお願いしたいです(現在小倉南区在住)
ご視聴とコメントありがとうございます。さんべに限らず、山陰本線の急行はユニークなものが多くて楽しいですね。この当時の美祢線は優等列車も走ってにぎやかで良いですよね。現在は1日当たりの乗降客数が2ケタの駅が多くなってしまい寂しい限りです。是非存続していってほしいですね。「厚保くり」は大玉で大変立派でおいしそうですね。リクエストありがとうございます。時間がかかると思いますが作成させていただきますね。
今や廃線議論も出てきそうなローカル線の美祢線もこの頃は賑わっていたな山陽新幹線開業と九州ブルトレ廃止で柳井と防府が廃れた様に、新幹線駅でも最底辺の「こだまのみ停車」の厚狭が廃れるのも当然と言えば当然の話。時代の流れは残酷である
ご視聴とコメントありがとうございます。赤字も大変でしたが、日本全国のローカル線が賑やかな時代でしたね。時代の流れとはいえ、産業の転換や新幹線の開通など、色々な要因が重なり合い、日本の各地方の特色が少しずつ薄れていくのはさみしいですね。
@@tomoyankun そもそも、鉄道事業自体が損益分岐点が高く「稼いでも黒字を出せるか分からない」交通機関だからな...いくら利用されても、それ以上に費用がかかる他の交通機関なら、高速道路/空港/港湾の利用料さえ支払えば自社で保有するのは運行用の機材と付帯設備/補助車両のみ。ただし外注が多いのでそこで経費はかかる。(実際、航空業界ではアメリカのデルタ航空が航空燃料の経費削減のために製油所の買収計画を立ち上げた事もあった)それでも鉄道の様に複雑な保守点検は要らないのがバスと航空機。一方の鉄道は軌道の敷設、車両製造、駅の建設など...とにかく湯水の如く資金が溶ける。組織再編及び公営から市営の転換を除き、純粋な民間資本によって設立された私鉄は全社が100年近くの歴史を持つつまり鉄道事業というのは「地域開発」と同時並行で行うべきであり、それは田園都市や多摩ニュータウンと言った様に大規模であればあるほど良い。路線を保有し、「旅客輸送」のみに特化して完全民営化を達成しているJR東海が異常なのであって、通常は経営多角化戦略の中で(再)開発と誘客をベースとした不動産事業を軸にし、そこに鉄道事業、小売業、バス事業と言った第二、第三、第四の柱や枝葉を付けていく今や、「鉄道事業」は「プロスポーツ」と同義。お金が余っている企業が手を出す「道楽」。大量に資金を投入したところで毎年安定した利益を出すにはJR東日本の様な超巨大な都市圏が必要。それ以外では高速鉄道くらいでしか安定した利益は出せない鉄道ファンとしてこういう事を言うのは煙たがられるだろうが「鉄道に夢を見る時代は終わった」交通機関としては完全に斜陽産業。増してや少子化、人口減少に喘ぐ日本に大量輸送は似つかわしい。何より国土交通省が鉄道にやる気がない。「問題があっても関わらない。事業者自身で何とかしろ」というスタンス故に鉄道ファン共よ、現実を見ろ。
コメントありがとうございます。幅広い視点から冷静に分析しておられますね。仰るように、人口減少などで社会の構造が変化しつつある中、維持コストのかさむ鉄道は非常に不利ですね。追い打ちのように2020年からのコロナ禍で、都心部でも減便がされる状況、ローカル線は更に危機的な状況になっています。政府も援助には及び腰な中、鉄道を取り巻く状況と未来は厳しいと考えざるをえないですね。今を大切にしながら、今後の鉄道の行く末を見ていきたいと思います。
美祢線にまた乗りたいです。
ご視聴とコメントありがとうございます。美祢線沿線がにぎやかになり、美祢線も廃止されずに残ってほしいですね。
急行は電車だけでも大阪だけでなく広島、岡山行きが走っていたのですね。県庁所在都市間の行き来が鉄道で活発に行われていたことが良くわかります。東京行きの夜行急行が3本あっても始発地が鹿児島や長崎ではこの地域からはそうそう乗れるものではなかったことと思います。まだ国鉄が輸送の要であったことを示す時代でしたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。仰るように、鉄道、特に在来線が活躍していたことが伝わってきますね。利用者のニーズから考えると、輸送量はこの時代でも不足していたのでしょうね。帰省シーズンは大変だったことが容易に想像できますね。
@@tomoyankun さまその帰省シーズンには修学旅行用のわこうど号が急行の長州号としてこの地域から東京まで走っていました。ボックスシートの車輌、1等車もない上しかも食堂車もビュッフェもなく車内販売か駅弁だけが頼みの綱だったことと思います。
山陽新幹線新山口~新下関の間は厚狭になっている宇部に新駅が作るのが難しかったらしい東海道新幹線も名古屋~豊橋の間でも三河安城になっているし岡崎に新駅を作るのが難しかったらしい新幹線新駅建設は建設上の問題と自治体の関係も大きく影響する
ご視聴とコメントありがとうございます。リニア建設時も様々な側面からの議論が沸き上がっていることを考えると、新幹線もスムーズに決定できなかったのでしょうね。確かに地図で見ると、宇部に新幹線を通すのは大変だっただろうなと思います。
もしわかれば教えていただきたいのですが、普通列車の行先で厚東や四辻といった中途半端なものが少なくないのはなぜでしょうか?小郡駅の配線の問題でしょうか
ご視聴とコメントありがとうございます。厚東駅や四辻駅がある理由は私も存じ上げていないところで、調べてみましたが、有力な情報もありませんでした。確かに疑問を感じるところですね。
急行「ことぶき」、初めて知りました。超官僚主義だった国鉄にしては、粋な計らいですね。ハネムーン専用急行がうたい文句のようなので、食堂車のメニューがとても気になりました。そして、ここでも顔を出す急行「霧島」と急行「高千穂」。さすが超長距離列車のエース格といったところでしょうか。またいろいろな列車を知る事ができ、ありがとうございました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。「霧島」と「高千穂」はこの動画では常連の列車ですね。需要が高いがために生き残り、様々な時代の時刻表で顔を出すのでしょうね。すべて1等車という贅沢な「ことぶき」ですから、食堂車のメニューも気になりますね。残念ながら手持ちの資料では情報の記載がなく、色々とインターネットでも探してみましたが詳しい情報はあまりない列車ですね。当時利用した経験のある方からの情報をいただきたいですね。
特急つばめ・はと・みどり・いそかぜ が無いのは通過してたからなのか?特急全列車が停車する駅の時刻表が見たかった…この頃の山陽本線は、まだ急行が主力で、特急はまさに特別な急行だった良い時代のなのに…
ご視聴とコメントありがとうございます。この時代の山陽本線は、東海道本線に負けず劣らず、バリエーション豊かで楽しいですよね。ご指摘の通りで、通過列車も多くありました。この時代の山陽本線はまた別の機会で取り上げていきたいと思っております。
昔は特急も停車していたんだな……今では新幹線駅になっているけど停車するのは「こだま」だけというね……。そういえば昔食堂車が単体で引き込み線にあったような記憶が……。
ご視聴とコメントありがとうございます。食堂車は新幹線の高架下に留置されていたようですね。今となればリニューアルして、レストランとして活用する選択肢もあったでしょうね。
4:47 八重垣って聞くと、ムーンライト八重垣を思い出す❤
コメントありがとうございます。懐かしいですね、ムーンライト八重垣。よくホームから見ていました。そのうち乗ろうかなと思っていたら、廃止されてしまい、タイミングを逃してしまいました。いつまでも運行されているものだと思いこんでいた当時の私の行動を今でも悔やんでいます。
1:31 秋吉台。秋芳洞が近いからね❤
ご視聴とコメントありがとうございます。日本でも有数の観光地ですね。眼前に広がる草原や石灰岩柱を見てみたいです。
山陽筋だけあって無煙化が進行してましたね現在ではJR西で遅れた地域になりました当時から寝台特急は通過だったようですね平成初期まで山陽・東海道までの寝台特急は存在しましたでも座席の急行筋も魅力ですムーンライトが最後となりましたね
ご視聴とコメントありがとうございます。広島地区に新車が入るようになってから、下関地区は国鉄型車両が多く残り、貴重な地区になりましたね。ムーンライトは当時当たり前のように運転されており、乗ろうとも思わず乗らなかったことが悔やまれます。
門司発京都行の呉線経由の普通列車、鹿児島本線から乗り入れてきた電車(交直両用の421系)が走っていたりとか、修学旅行専用電車とかバラエティーに飛んでます。音戸2号が大阪で、白鳥に接続しているのは、知らなんだ😂😂😂😂。これに乗り北海道まで行った方もみえたのかな?急行「阿蘇」ですが、九州北部から東海地方へ就職してみえた方が多く住み、名古屋始発で、盆暮の帰省時期は大変混んだそうです。因みに、阿蘇号は昭和47年に下り列車に連結していた郵便車から火災が発生し、搭載していた郵便物が丸焼け、大騒ぎになりました。Wikipediaでググれます。山陽本線の山口県内区間は、昔から優等列車がこまめに停車すると、揶揄されてました。岸信介氏と佐藤栄作氏の選挙区があるとか言う話らしいです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。「白鳥」の件に関しては、乗り継ごうと思えば乗り継げることに驚きました。九州から北海道まで2泊3日の鉄道(一部船もありますが)の旅ですね。1日目は寝台で、2日目は青函連絡船で眠ることになります。疲労感はありそうですが、同時に達成感も味わえる行程ですね。火災事故は初耳でした。火の不始末が原因かと思いましたが、暖房による低温発火現象という珍しい事例だったようですね。勉強になりました。
11時34分発の行橋発小郡行きって…。さすがに直通需要はなかったんでしょうが、不思議な経路の遠回り運行ですね。ストレートに山陽本線を下れば1時間かからず、宇部線回りでも1時間強なのに6時間超え。
この頃の九州〜山陰への急行列車はメインの山陰本線経由だけでなく、気動車の小回りを活かして下関や厚狭で分割して美祢線や山口線経由もあったからなぁ。今ではすっかり衰退してしまったが。
長距離列車の始発駅が、一部しか明示されてないのは残念。
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通り、長距離列車であることを実感するためには、始発駅もあったほうが良いですね。取り上げていない長距離列車についても始発駅がわかるように、動画の構成や概要欄の活用法について検討してみます。ご要望ありがとうございました。
今回の駅が厚狭とは目のつけどころが面白いですよね
東京近郊で言えば、熊谷、小山、土浦あたり?
これからも楽しみに待っています
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
また、嬉しいお言葉もありがとうございます。
今回は視聴者様からのリクエストで動画を作成させていただきました。リクエストをきっかけに、「厚狭駅」周辺の時刻表を詳しく読んでみました。新たな発見があったり、魅力的な列車が多かったりと、大変楽しかったです。
これからも楽しんでいただける動画をお届けできるように頑張っていきます。
主様こんにちは。
リクエストにお応えしていただき、ありがとうございました😊
18歳までを長門市で過ごした者として、懐かしさいっぱいの時刻表で涙無しには見れませんでした(笑)
長門市行きの殆どが、仙崎(仙崎線)
行きだったのですね。 県立水産高校が仙崎にあるので朝早い便も必要だったのと思います。
当時は仙崎市場で魚を仕入れ、朝イチの山陰本線や美祢線で魚の行商をするオバサン達が活躍していました(ブリキの缶に魚を入れるのでカンカン部隊と呼んでました)
車両が魚臭くなるので、1両目はカンカン部隊専用車両みたいになってました。懐かしい。
厚狭駅も今以上に賑わっていたことでしょう。
知らない急行列車の名前もたくさんありました。
SAさんこんにちは。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
リクエストをいただいてから大変お待たせいたしました。
水産高校の通学や、行商をする方への配慮がされていたのですね。
SAさんのコメントを拝見してから、色々と調べてみました。
色々なブログの記事を読んでみると、当時の賑わいが想像できて大変面白かったです。カンカン部隊という名称、大変ユニークで面白いですね。貴重な情報をいただきありがとうございました。
このチャンネルで動画を作成するようになってから、福岡県や山口県について調べることも増え、是非観光で訪れてみたいなと思うようになりました。時刻表の別な楽しみ方ですね。
山陽本線の山口県のハブ駅のひとつ「厚狭駅」当時は主要駅で山陽本線・宇部線・小野田線・美祢線が合流する一大ターミナル駅、優等列車も止まる駅で、宇部や小野田からのセメント輸送がメインでした、山陽新幹線の博多開業時は新幹線の駅は作られず、不便を強いられたが1999年に設けられた、しかし停車するのは「こだま」だけ当時の栄華を思うと残念((+_+))
ご視聴とコメントありがとうございます。
宇部興産の専用道路もでき、貨物や利用者数も減少傾向にありますね。どんな理由があるにせよ、一度栄えたものが衰退していくのは寂しいです。新幹線に関しては、優等種別も停車する新山口からの方が便利なのかもしれませんね。
自分が子供の頃に長門湯本に行くのに乗っていた急行は さんべ でしたどの駅で分割していたかわかりませんが長門市でまた併結する珍しい列車でした
美祢線の駅に 厚保 という駅がありますが読みにくい駅でも有名です
この頃は鉄道が移動のメインだったので結構列車が走っていますね
厚狭は新幹線の駅もあるのですが現在では寂しい限りです
リクエストですが九州第2弾として小倉駅をお願いします(厚保 はあつと読みます)
山口県にお詳しい方いらっしゃって嬉しいです。
長門湯本駅もかつては賑わっていましたね。今は無人駅となってしまいました。
厚保は🌰で有名です😊
小倉駅のリクエスト良いですね!私も是非ともお願いしたいです
(現在小倉南区在住)
ご視聴とコメントありがとうございます。
さんべに限らず、山陰本線の急行はユニークなものが多くて楽しいですね。
この当時の美祢線は優等列車も走ってにぎやかで良いですよね。現在は1日当たりの乗降客数が2ケタの駅が多くなってしまい寂しい限りです。是非存続していってほしいですね。
「厚保くり」は大玉で大変立派でおいしそうですね。
リクエストありがとうございます。時間がかかると思いますが作成させていただきますね。
今や廃線議論も出てきそうなローカル線の美祢線もこの頃は賑わっていたな
山陽新幹線開業と九州ブルトレ廃止で柳井と防府が廃れた様に、新幹線駅でも最底辺の「こだまのみ停車」の厚狭が廃れるのも当然と言えば当然の話。時代の流れは残酷である
ご視聴とコメントありがとうございます。
赤字も大変でしたが、日本全国のローカル線が賑やかな時代でしたね。時代の流れとはいえ、産業の転換や新幹線の開通など、色々な要因が重なり合い、日本の各地方の特色が少しずつ薄れていくのはさみしいですね。
@@tomoyankun
そもそも、鉄道事業自体が損益分岐点が高く「稼いでも黒字を出せるか分からない」交通機関だからな...いくら利用されても、それ以上に費用がかかる
他の交通機関なら、高速道路/空港/港湾の利用料さえ支払えば自社で保有するのは運行用の機材と付帯設備/補助車両のみ。ただし外注が多いのでそこで経費はかかる。(実際、航空業界ではアメリカのデルタ航空が航空燃料の経費削減のために製油所の買収計画を立ち上げた事もあった)
それでも鉄道の様に複雑な保守点検は要らないのがバスと航空機。一方の鉄道は軌道の敷設、車両製造、駅の建設など...とにかく湯水の如く資金が溶ける。組織再編及び公営から市営の転換を除き、純粋な民間資本によって設立された私鉄は全社が100年近くの歴史を持つ
つまり鉄道事業というのは「地域開発」と同時並行で行うべきであり、それは田園都市や多摩ニュータウンと言った様に大規模であればあるほど良い。路線を保有し、「旅客輸送」のみに特化して完全民営化を達成しているJR東海が異常なのであって、通常は経営多角化戦略の中で(再)開発と誘客をベースとした不動産事業を軸にし、そこに鉄道事業、小売業、バス事業と言った第二、第三、第四の柱や枝葉を付けていく
今や、「鉄道事業」は「プロスポーツ」と同義。お金が余っている企業が手を出す「道楽」。大量に資金を投入したところで毎年安定した利益を出すにはJR東日本の様な超巨大な都市圏が必要。それ以外では高速鉄道くらいでしか安定した利益は出せない
鉄道ファンとしてこういう事を言うのは煙たがられるだろうが
「鉄道に夢を見る時代は終わった」
交通機関としては完全に斜陽産業。増してや少子化、人口減少に喘ぐ日本に大量輸送は似つかわしい。何より国土交通省が鉄道にやる気がない。「問題があっても関わらない。事業者自身で何とかしろ」というスタンス故に
鉄道ファン共よ、現実を見ろ。
コメントありがとうございます。
幅広い視点から冷静に分析しておられますね。
仰るように、人口減少などで社会の構造が変化しつつある中、維持コストのかさむ鉄道は非常に不利ですね。追い打ちのように2020年からのコロナ禍で、都心部でも減便がされる状況、ローカル線は更に危機的な状況になっています。
政府も援助には及び腰な中、鉄道を取り巻く状況と未来は厳しいと考えざるをえないですね。
今を大切にしながら、今後の鉄道の行く末を見ていきたいと思います。
美祢線にまた乗りたいです。
ご視聴とコメントありがとうございます。
美祢線沿線がにぎやかになり、美祢線も廃止されずに残ってほしいですね。
急行は電車だけでも大阪だけでなく広島、岡山行きが走っていたのですね。県庁所在都市間の行き来が鉄道で活発に行われていたことが良くわかります。
東京行きの夜行急行が3本あっても始発地が鹿児島や長崎ではこの地域からはそうそう乗れるものではなかったことと思います。まだ国鉄が輸送の要であったことを示す時代でしたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
仰るように、鉄道、特に在来線が活躍していたことが伝わってきますね。利用者のニーズから考えると、輸送量はこの時代でも不足していたのでしょうね。帰省シーズンは大変だったことが容易に想像できますね。
@@tomoyankun さま
その帰省シーズンには修学旅行用のわこうど号が急行の長州号としてこの地域から東京まで走っていました。ボックスシートの車輌、1等車もない上しかも食堂車もビュッフェもなく車内販売か駅弁だけが頼みの綱だったことと思います。
山陽新幹線新山口~新下関の間は厚狭になっている
宇部に新駅が作るのが難しかったらしい
東海道新幹線も名古屋~豊橋の間でも三河安城になっているし岡崎に新駅を作るのが難しかったらしい
新幹線新駅建設は建設上の問題と自治体の関係も大きく影響する
ご視聴とコメントありがとうございます。
リニア建設時も様々な側面からの議論が沸き上がっていることを考えると、新幹線もスムーズに決定できなかったのでしょうね。確かに地図で見ると、宇部に新幹線を通すのは大変だっただろうなと思います。
もしわかれば教えていただきたいのですが、普通列車の行先で厚東や四辻といった中途半端なものが少なくないのはなぜでしょうか?
小郡駅の配線の問題でしょうか
ご視聴とコメントありがとうございます。
厚東駅や四辻駅がある理由は私も存じ上げていないところで、調べてみましたが、有力な情報もありませんでした。確かに疑問を感じるところですね。
急行「ことぶき」、初めて知りました。超官僚主義だった国鉄にしては、粋な計らいですね。ハネムーン専用急行がうたい文句のようなので、食堂車のメニューがとても気になりました。そして、ここでも顔を出す急行「霧島」と急行「高千穂」。さすが超長距離列車のエース格といったところでしょうか。またいろいろな列車を知る事ができ、ありがとうございました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
「霧島」と「高千穂」はこの動画では常連の列車ですね。需要が高いがために生き残り、様々な時代の時刻表で顔を出すのでしょうね。
すべて1等車という贅沢な「ことぶき」ですから、食堂車のメニューも気になりますね。残念ながら手持ちの資料では情報の記載がなく、色々とインターネットでも探してみましたが詳しい情報はあまりない列車ですね。当時利用した経験のある方からの情報をいただきたいですね。
特急つばめ・はと・みどり・いそかぜ が無いのは通過してたからなのか?特急全列車が停車する駅の時刻表が見たかった…この頃の山陽本線は、まだ急行が主力で、特急はまさに特別な急行だった良い時代のなのに…
ご視聴とコメントありがとうございます。
この時代の山陽本線は、東海道本線に負けず劣らず、バリエーション豊かで楽しいですよね。
ご指摘の通りで、通過列車も多くありました。この時代の山陽本線はまた別の機会で取り上げていきたいと思っております。
昔は特急も停車していたんだな……今では新幹線駅になっているけど停車するのは「こだま」だけというね……。そういえば昔食堂車が単体で引き込み線にあったような記憶が……。
ご視聴とコメントありがとうございます。
食堂車は新幹線の高架下に留置されていたようですね。今となればリニューアルして、レストランとして活用する選択肢もあったでしょうね。
4:47 八重垣って聞くと、ムーンライト八重垣を思い出す❤
コメントありがとうございます。
懐かしいですね、ムーンライト八重垣。よくホームから見ていました。
そのうち乗ろうかなと思っていたら、廃止されてしまい、タイミングを逃してしまいました。いつまでも運行されているものだと思いこんでいた当時の私の行動を今でも悔やんでいます。
1:31 秋吉台。秋芳洞が近いからね❤
ご視聴とコメントありがとうございます。
日本でも有数の観光地ですね。眼前に広がる草原や石灰岩柱を見てみたいです。
山陽筋だけあって無煙化が進行してましたね
現在ではJR西で遅れた地域になりました
当時から寝台特急は通過だったようですね
平成初期まで山陽・東海道までの寝台特急は存在しました
でも座席の急行筋も魅力です
ムーンライトが最後となりましたね
ご視聴とコメントありがとうございます。
広島地区に新車が入るようになってから、下関地区は国鉄型車両が多く残り、貴重な地区になりましたね。
ムーンライトは当時当たり前のように運転されており、乗ろうとも思わず乗らなかったことが悔やまれます。
門司発京都行の呉線経由の普通列車、鹿児島本線から乗り入れてきた電車(交直両用の421系)が走っていたりとか、修学旅行専用電車とかバラエティーに飛んでます。
音戸2号が大阪で、白鳥に接続しているのは、知らなんだ😂😂😂😂。これに乗り北海道まで行った方もみえたのかな?
急行「阿蘇」ですが、九州北部から東海地方へ就職してみえた方が多く住み、名古屋始発で、盆暮の帰省時期は大変混んだそうです。
因みに、阿蘇号は昭和47年に下り列車に連結していた郵便車から火災が発生し、搭載していた郵便物が丸焼け、大騒ぎになりました。Wikipediaでググれます。
山陽本線の山口県内区間は、昔から優等列車がこまめに停車すると、揶揄されてました。岸信介氏と佐藤栄作氏の選挙区があるとか言う話らしいです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
「白鳥」の件に関しては、乗り継ごうと思えば乗り継げることに驚きました。九州から北海道まで2泊3日の鉄道(一部船もありますが)の旅ですね。1日目は寝台で、2日目は青函連絡船で眠ることになります。疲労感はありそうですが、同時に達成感も味わえる行程ですね。
火災事故は初耳でした。火の不始末が原因かと思いましたが、暖房による低温発火現象という珍しい事例だったようですね。勉強になりました。