ファントム無頼伝 第三弾! ベトナム戦争 アメリカン ラストエース 1972年 ラインバッカー作戦
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- Опубліковано 23 сер 2024
- 1968年からパリで行われていた南北和平交渉がようやくまとまりつつあり、誰もが平和が近いと思っていた、1972年3月。
北ベトナム軍が、大挙して暫定国境線を渡り南ベトナムに侵入。
南ベトナム国内の反政府組織も一斉に蜂起しました。
これは、和平協定にサインする前に、なるべく有利な状況を作っておくための常套手段です。
ニクソン大統領と、彼の主席補佐官、ヘンリーキッシンジャーは、北ベトナムの侵攻に対応するため、長らく中止していた北爆を再開します。
戦争史上最大の爆撃、ラインバッカー作戦です。
そんな戦いの最中、米空軍に、朝鮮戦争以来のエースパイロットが誕生します。
彼の名は、リチャード・スティーブン・リッチー大尉。
1942年生まれ、おもしろい事が大好きで、好奇心も旺盛な、双子座の29歳で。
トップガンの空軍版、空軍兵器学校をトップの成績で卒業したリッチー大尉は、1970年、第555戦術戦闘飛行隊に配属されました。
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みんな大好きファントムおじいちゃんの若き物語
言い回しすこ
ミサイルをくらい、着陸して火を吹いたのに、修理して再飛行できるとは、どんだけ頑丈なんだ。ファントム
6:22
ラムちゃんのコラペイントだー。😄
しれっとネタを突っ込んでくる動画スタイルが好きです。😄
これだけダメミサイルのオンパレードにも関わらず、ミサイル万能論を唱えるとか夢見るにも程がある。
それとも業者と山吹色のお菓子でもやりとりしていたんだろうか?
歳バレしますが、ファントムと言えば思い出深い機体です。当時本土から沖縄へ父の転勤で引っ越しており、嘉手納基地の程近い公務員住宅に住んでましたキャンプハンセンにも近くて、子供でしたから結構兵隊から可愛がられてました。時折ですが、目視出来る距離の海上を飛ぶF4の5機V字編隊が音速を出して飛行してたり、稀に5機編隊が別の編隊5機と同時に音速を突破する事もあったの思い出しますね。もちろんそれまで体験したことのないマッハソニックで最初はビビりましたw
B52等は至近距離でリベットが見える位の低高度で、頭上を飛び去り嘉手納基地に着陸してました。駐機中ですが格納庫に隠す前のブラックバードの実機も複数回見てました。
おもしろかった!😆
画像の密度が上がっていて頭が下がる思いです
これからも精密な動画配信を楽しみにしております
機能美として、F4F14F15大好きでプラモよく作ってました
イーグルの乾いたエンジンスタート音シビれます
架空ですがラインバッカー作戦が開始されたのは、イントルーダー怒りの翼でジェイク大尉とコール少佐が北爆を強行したことによる事件がきっかけでしたね。
今回音楽のチョイスがスーパーストロングマシン選手の「ハリケーン・バム」で当時の米軍機らしく強いけど何か足りない、まさに平田選手のようで笑ってしまいました。
「お前、平田だろ!」
懐かしいZZのファントム
この情報量は凄すぎるぅ
ファルコンミサイルって当たらないって聞いてましたけど本当に当たらないんですね。それはいいんだけどそんなパッチモン我が国に売り付けるなよ‼️
サンダーチーフにラムちゃんがいたwww 相変わらずファルコンミサイルがクソ過ぎて笑いを通り越して呆れますね💦それにしてもすごい臨場感のある動画ですばらしいと思います。引き続きがんばってくださいね(`・ω・´)ゞ
小ネタも多くて楽しめました。ファルコンミサイルに書かれたメッセージがあまりにも
皮肉が効き過ぎて笑いごとじゃないけど笑うしかないですね。
それにしてもこんな当たらないミサイルだけ抱えて空戦を強いられた米軍パイロットは
本当に気の毒ですし、マトモにMigと戦えるのがF4Ⅱだけだったというのも酷い話ですね。
あれを見て「うわあ懐かしい、この歌なんだっけ?」と数秒思いを巡らしつつ頭の中で続きを歌って「虹とスニーカーのころ」であることを思い出しました。でもその間にも動画は進んじゃうんですよね。
空軍パイロットのエースの退役後を初めて知りました。空軍の宣伝をしてたんですね。それに比べて海軍パイロットのエースの退役後は・・・。
ありがとうございます!
ありがとうございます!
音速でガンファイトした人いたんですね、初めて知りました。
この時代のアメリカ海軍の艦って、なんか笑えるデザイン😅
エンプラと同じフェイズドアレイレーダーを4面に貼り付けたために艦橋が真四角かつでかくなった原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチは仕方ないとして、マストが3つある改クリーブランド級プロヴィデンス、艦橋が馬鹿でかい改ボルティモア級シカゴ・・・。
ただ、シカゴとロングビーチはレーダーピケット艦として活躍した他、自らもミグ21を撃墜しています。
音速でガンファイトした人いたんですね
⇒アンドレ(?)少佐のWSOだったスモールウッド中尉は、その後ラオスで未帰還となり、戦死扱いとなりました。
「非常に優秀で、素晴らしい人物だった」と、少佐は回想しています。
さぶ里奈さーん!大好きでーす!
もっと顔出してくださーい
ありがとうございます。でも、空中戦シリーズには登場したくない....と、申しております。
😢😢😢……………✨😊👍
世界初の超音速ガンファイトの記録を破るためにはタイムマシンが必要
「いつものコトです」ってさぶ里奈さん!それでいいの?
ファントム強奪の解説もお願いします
さすがにそれは.....。でも、カダフィーのリビアが、革命後、米空軍のファントムをかっぱらって、第四次中東戦争に云々の話だったら以前にしています。
わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪…なるほどね(笑)
8:17海軍仕様のC型とありますが海軍仕様はB型ですよね?違いましたっけ?
ラムちゃんや1割ちょいX2=2割5分 は理解できたが、横浜銀蠅が判らないぃ~
一発ドカンかなぁ?
@@user-fw3rs1pu9y
ご意見有難うございます。
たぶん不発だったので「ガンの付け合い飛ばし会い」では? 等と邪推するのですがミサイルの為、真相が読めませんw
13:10 13:58 14:19 はぁ~(クソデカ溜息)つっかえ!
射出座席を使用してパイロットに復帰できた数字はもっとわるい
マーチンベイカーは7割っていってますけどねww
ロッジのスコアは4機ではなく、3機です。
72年の2月21日夜間に1機、5月8日に1機、撃墜される前に1機。全てローチャーとのコンビで、乗機も同じF-4D 65-784。
リッチーが2機目のスコアを挙げたときのWSOだったローレンス・ペティ(ペティット)の最終撃墜スコアは2機で、1機目が5月31日にリッチーと組んで挙げたもの。
2機目のスコアは確か10月に記録されていたと思うが、空戦機動によるもので、パイロットはチャック・デベルーヴが5機目・6機目を記録した時のペアだったマッデン大尉(マッデンの最終スコアは3機)。
なお、チャックはその後パイロットの資格を取得し、その後三沢にも赴任してたはず(基地司令だったかな?)
追記
1972年5月23日にF-4E (66-281『バルター01』)で初スコアを挙げた一人、366TFW/35TFSのライル・ベッカーズ操縦士は、動画内では中尉と紹介されてましたが、正確には中佐です。
366TFWは8月に4TFSのサミー・ホワイト大尉(VF-96のランディ・“デューク”・カニンガムが1機目のスコアを挙げた後、休暇を得てダナンの空軍基地に出かけたときに親しくなり、彼の滞在期間中に空戦テクニックや戦闘機動等についていろいろ質問し、学び、ノートにまで書き込んでいた)がF-4Eでスコアを挙げたのが最後(69-291『ピストル03』)で、その後35TFSはタイに駐留する388TFWに移動、ベッカーズ中佐は新たな赴任先で2機目のスコアを挙げています(9月12日、F-4E 67-275『フィンチ01』。3番機のゲイリー・レターバッシュ少佐/ロバート・ジャスパーソン大尉組の『フィンチ03』もスコアを記録し、少佐にとってもこれが2機目)。
米空軍公式記録には挙げられていませんが、72年当時は「ほぼ確実に撃墜した」と、いうことになっています。
戦後の調査で、ロッジがこの日に攻撃したミグは、燃料タンクを打ち抜き、基地に到着するまえにガス欠で墜落(すなわち撃墜)したことがわかっています。
@@chaosTVsub
返信いただきありがとうございます。
追記の記述中に、大変な誤記がありましたのでお詫びして訂正します。
35TFSのゲイリー・レターバッシュ少佐が9月12日に挙げたスコアは1機目で、(F-4E 68-468)WSOはダニエル・オウトレイ中尉でした。
レターバッシュ少佐/ジャスパーソン大尉組がF-4Eでスコアを挙げたのは10月8日(69-276『ラーク01』)のことで、機首のM61を使用してMiG-21を撃墜、これが少佐の2機目です。
また、ベッカーズ中佐はこの頃、35TFSの飛行隊長でした。2014年に彼が逝去した際、かつての部下だったと思われる人物が、
「素晴らしい飛行隊長で、パイロットの中のパイロットだった」
とコメントを寄せています (『Flying the F-4 in Combat in the Vietnam War』にて閲覧可能。ただし全部英語)。
尚、リッチー/チャック組、ロッジ/ローチャー組などが所属し、ラインバッカー期間中に最も多くの撃墜スコア(20機)を挙げたのは、当時タイのウドンに駐留していた432TRW(戦後解散し、1985年にTFWとして三沢で復活)に属していた第555戦術戦闘飛行隊(555TFS)“トリプル・ニッケル”です。ローリングサンダー期間中はウボンに駐留していた8TFSの傘下にあり、そのころから戦域パトロールを担当、オペレーション・ボロではオルズ大佐も同隊の機に乗って戦っています。
現在はF-16C/Dを装備し、イタリアのアヴィアノに駐留。
戦争全期間中のトータルスコアは38機で、空軍の全飛行隊中、ダントツのトップ。
面白い動画のネタにはなるかなと思います。
SSマシンの入場曲だっけ?
ソ連側の対応が今一不明ですね。F4が出てくるまでmig21に圧倒されてる感じがするけど、交戦してF4のやばさは分かったはず。なのにずっとMig21
いくら空爆とか、戦闘機の性能が有利でも戦争に勝てない・・・南ベトナム政府が酷くて民衆が北ベトナムに向いてたのを分かってた?
ベトナム戦争中盤以降のソ連、中国のやるきが今一感じられないような・・・それなのに最終的には勝ってる。自分の気のせいかもしれないけど
アメリカが北ベトナムに本格侵攻しないのでエスカレート防止のためにしぶっているのか中ソ対立の影響でMiG-23を渡せないのかな。
いえ、MiG-21で十分でした。
北側は、わざわざ米軍機に空戦を挑まずとも、地上管制によって編隊に近づき挑発して、攻撃隊に吊るしていた爆弾を投棄させればそれでよかったのです。
それにフィッシュベットにとって、ファントムは決して分の悪い相手ではありませんでした。
加えてSAMあり、MiGあり、中国からの支援あり。米国政府が北爆に対し無意味な制約を加えていたことや、米国内の反戦運動云々もあって、北側は非常に巧みに抗戦していたと思いますよ。
ニクソン大統領が北爆全面解除に踏み切るまでの間は。
ピアスアローはハノイやハイフォンを目標にしていましたが、これを機に中ソの軍事顧問団が大挙して北越に駐在するようになり、彼等を殺さないために制限がくわえられたわけです。
F4は戦闘機と攻撃機の二機種を一つに統合できることが強みで、ソ連も同様の機体としてはミグ23と27になりますね。爆弾落とした後は戦闘機任務とまでは無理のようでしたが。
@@njdhjrijdlspkojgmvnhkbuegk1505アメリカ軍は地上に止めているミグは絶対攻撃するな、と規制してましたね。
ジェット戦闘機でも、フロントガラスにオイル飛散するんですかwwwww?
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全編に渡るエフェクトにイラツイた!