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実在がはっきりしないぐらい陰に徹して仕事はきっちりする、まさに軍師の鑑のような人物
第四次川中島の戦いの発端となった勘助の啄木鳥戦法は完璧な作戦だった。しかし、上杉軍が妻女山から越後に引き返すのが早く、更に濃霧だった為、武田本隊に偶然にも遭遇。武田別働隊に人員を割いていた為、武田軍は初回から劣勢。甚大な損害を出してしまった戦いだったと。これが最近の研究で分かったことだそうです。上杉景虎が作戦を見破ったという神懸かり洞察力というより、奇跡的に武運が味方したというのが見解だと思います。
外見に捉われず力量を見抜く武田信玄の眼力が凄すぎる。
織田信長が武田信玄を恐れたのも人材抜擢が同じ貉やったから。醜いが頭が回り眼力が高い点は秀吉と似てる気がしますよ。
大河ドラマ風林火山おもしろかったわ〜
👍🏻 ̖́-︎Good
就職てワードがじわるでも本当、色々な所を転々として力をつけていったんだろうなぁ。何年か前に風林火山て大河ドラマでもそういうシーンあったし
これ僕の先祖だとか言われて調べてみたけどこんな人だったのか、、、すごい!!
武田をネタにしたら、シリーズ化出来そう。沢山続編作れますね。武田や上杉はシリーズ物でやってもらいたいくらいです。
確か山本勘助は伝説だの創作だの実しやかにささやかれていましたが、事実上山本勘助は存在が確認されたんですよね。
北条や今川が使おうとしなかった勘助を晴信が召し抱えたのは、自分のスタイルが出来上がる前で物事を柔軟に捉えられていたからだろうなぁ。
甲斐 武田の山本勘助ときたら、同じく越後 上杉(長尾)の軍師 宇佐美定行(満)も是非。
川中島の戦で散った勘助の墓は八幡原近くの千曲川の河川岸にあるが、3年前に訪れたときは20年以上前に訪れた時よりも誰か管理しているのか綺麗に整備されていました。一昨日の台風の影響による千曲川氾濫でどうなっているのか心配です。
実在が疑われていたことのほうに驚いています。うちから歩いて行けるところのお寺に勘助の墓があり、摩利支天尊像も祀られてますから。
日本の孔明。天才的な視野力と指揮のカリスマ
それまで誰にも仕えなかったからこその柔軟性ですかね最後は切腹とか言う逃げでなく討死とか潔良き
内野聖陽さんの風林火山、面白かったなぁ
中井貴一さん主演の戦国大河、「武田信玄」における西田敏行さんが演じた勘助も、捨て難い。
あれは名演。もうご当人様が降臨してきたと思う。しかし、軍師って人物は程度の差があれ変わり者が多い(諸葛亮孔明・司馬懿仲達・竹中半兵衛)のにな。勘助を逃した戦国大名は衰退しているし、信玄の人物を見抜く才覚は抜きんでていたな。
ホーエンジョージ 何故竹中半兵衛が入ってる?あんなの後世の資料を元にしてるだけだから嘘っぱちばかりのやつじゃないか
貴殿は何を根拠に竹中半兵衛の功績を否定しているのですかね?
大河ドラマでアレが、大河らしい真面目な作りだと思います。ちなみに由布姫様役の女優、毎回発狂演技で失神繰り返してまでやってたみたいです。
山本勘助を中村吉右衛門が演じた 帝劇の舞台は忘れられない
キツツキ戦法は実際はなく、双方の霧の中での遭遇戦が近年の説みたいですよ
真田丸の基礎は山本勘助なのか!
御館様あああぁ!
。。。山本勘助が、もし、織田信長の時代に現れていたら。信長公も、きっと信玄公のように、勘助の才覚を見抜いただろうと思います。若き勘助の修行時代も―――見て見たいですね―――(^^♪
信玄と信長って、信玄が少し先輩なだけで、同世代とは言えないまでも時代で言えば同時代だと思うのですが。
乱破あがりで今川方の間者から武田方に寝返った謀将という形で大河ドラマに登場し 最期は川中島の戦いで討ち死にを遂げるという流れになってますが ドラマの脚色上で面白くしてある訳であり 史実としての明確な情報が少ない人物ですね。山本勘助についてフィクショナルと割り切って物語を満喫するならば大河ドラマ【武田信玄】で西田敏行が演じた乱破あがりで陰キャな山本勘助が忍びの匂いがプンプンと漂っていて好きでした。あと作家名は忘れましたが著書のタイトルが【謀将 山本勘助】はラストのの どんでん返しもあって娯楽要素のある伝奇小説として楽しむのも良いかと思います。ちなみに 忍者活劇の劇画作家 白土三平が描いた【忍者武芸帳】だったかな? に蒼眼で脚が不自由なはずなのに 闘いの場になると人間離れした俊敏動きと技を見せてくれる 四貫目(しかんめ)という忍者が登場しますが おそらくは 半ば山本勘助がモデルとなっていたように思います。敵味方に関係無く周囲に油断をさせる為の術法として作為的に身体障害者・病人・怪我人を常時演じ続けて生きるのも忍びの兵法としてある忍術の1つであった事を考えると 恐ろしい存在ではありますね。山本勘助⋯実は両眼も見えていて健脚だったのでは。なんてね。
彼の築城技術の完成型が真田丸
城には一番大事な井戸を堀当てるのも勘助は天才的だったとか?ヤマカンの言葉の由来とか。
諸説ですが、勘助は伊那流の忍びだった説。水脈の探り方などは熟練していたと思われます。
勘助の最後に涙が信玄の目も
勘助は、3大伊賀忍者の藤林の弟子の説がありますね~師匠の藤林は、今川義元に雇われていた説もあり伊賀の油日と柘植の人達は、池田恒興、前田慶次、滝川一益、藤林、等々、時代人と絡むんですよね~服部半蔵家も近いですし、多羅尾も近い皆さん伊賀、甲賀に絡み神君家康の伊賀越えの土地に絡む。この人達が連絡を取り合ってたなら?タラレバですがファンタジーが広がりますよね~
素晴らしいコメントです。信州の伊那から伊那流の忍術が発展していたようですし、話がリンクしていて楽しい情報ですね。大河ドラマ【武田信玄】で、今川方に間者として仕え やがて武田家に謀将として寝返る山本勘助が描かれていました。西田敏行が勘助を演じていましたが乱破あがりとしての蔭のある味わい深いキャラが見応えありました。
ヤマ勘の山本 勘介、上杉に作戦を見抜かれて大失敗し、討ち死にしました。武田 信玄を軍師として支え、常に武田軍に貢献しました。海津城を築城したのは有名です。
一時期真田幸隆の説があった人
BGMは、歌が無いやつか、音を下げて下さい。ナレーションが聞きづらいです。
武田家は豪族の寄り合い所帯でしたから、中央集権化する為には信玄直下の家臣団作る為に勘助を引き入れたんじゃないかなーって
実は存在し適ったかも?と言われてた割には山本勘助生誕の地を主張する地域は多いのね
ヤマカンって…山本勘助からきてる言葉らしい…😱😱信じるか、信じないかは。あなた次第です!
聞き辛いからBGMは歌がないやつにしてもらえないかな〜?
彡よんたん 中国の歌?
就職諦めてたけど風林火山の山本勘助思い出してもう少し頑張ろうと思った。でも受け入れられるには、相当の知識や経験を獲得しないと。
勘助から学ぶことたきさんありようです。
秘密のベールに包まれていると言うなら殆どの武将に当て嵌まる。記録に残るのは、それ相応の地位(将軍、太守、有力家臣など)にある人ぐらいしかない。
大体、親より優秀な奴の父親は悲惨な運命なんよね。
山本勘助が軍師というのはかなり違うと思う。信玄は孫氏を読むようなインテリであり、信玄自身が優秀な軍師である。
やっぱ生涯無敗の軍師官兵衛最強説
攻めるに難く、守るに易いって矛盾してますかねえ?
矛盾はしてませんよね。実際現存してる城に行ってみると、なるほど、これは攻めるのに難しく守りやすい城だなと感嘆させられます。当時の武将達の創意工夫ですね。
X Mr 熊本城とかね
してないですよねー
ほんとうの軍師は名前も姿も現さないとおもうなじぶんの凄さを世間に示したいと思うのはそうでないからなので山本勘助が戦死した合戦は上杉方の勝ちですよね。信玄の弟が打ち取られているしむしろ勘助が信玄をたばかったかのように見える。我が策やぶれたりで敵中に飛び込んだって言われるけどそれは疑われる自覚があったってことだよねwふつうに守りを固め撤退をまつ負けない戦をすればいいのに(謙信が負けないのは勝機なしとみれば撤退するから)なんで軍を二手に分けたんだろう。このとき謙信は武田本陣に突入し信玄の首をはねる一歩手前までいって速やかに撤退。当初から狙うは信玄の首だけと計画的にみえたwぜったいに上杉方に通じてましたよね勘助w武田信玄はやくざと一緒でその命を狙うものは数え切れなかったに違いない
山本勘助について興味深いコメントだったので寄らせて頂きます。フィクショナルですが【謀将・山本勘助】という小説のラストの場面に、それまで装っていた片目と片脚が不自由な…ではない山本勘助が上杉謙信の居城である春日山城へ 水を得た魚のように走っていくところで完結していました。信濃の伊那には甲賀流から分かれて発祥した伊那流の忍術があり、若かりし頃に山本勘助の謀略術を育んだのではないかとも推察してます。今川と武田を踏み台とした可能性、無きにしも非ずです。
@@贅沢な悩み 加藤段蔵のエピソードを聞くと忍者は恐れられるとともに忌み嫌われていたようです。信玄も忍者に勝るとも劣らない策略家でうざったい信玄に怒りっぽい謙信が信玄必殺の気構えで川中島にのぞんだのだろうとじぶんは想像しました。なぜ兵法に精通した信玄が勘助の軍を二つに分けるという進言を取り入れたのかそれは将としての人情かと思いました容貌が醜いという理由で今川家に仕官がかなわなかった勘助を信玄は厚遇して恩情をかけた。もしじぶんの想像通りの人間なら勘助は生存していても仕官の先はないでしょういったい彼の目的は何だったのか謎です石川五右衛門は、かまゆでにされる際盗人の種はつきないと言い放ち秀吉に反抗しました伊賀甲賀の近辺に住んでいる人たちは都会で迫害を受けて逃れてくるような人の素性をなぜか知っており同族相哀れむような感覚が伝わってきますいったい忍者というのは何者なんですかね
お疲れさまでした。甲陽軍鑑は時代背景が曖昧として最近まで偽書と疑われたものですね。なので山本勘助も実在した人物か謎とされました。私にとって勘助でも菅助でもどちらでも良いのですが、甲陽軍鑑が偽書としても唯一の手掛りの市川文書ではなく市河文書が正しいようです。少し突飛な話になりますが、織田信長の田楽桶狭間にも絡んでいた?!と云う説があってとても興味をそそります。彼こそ謎の人物でなければならない人物ですね。
山本勘助さんは西田敏行さんが役で、でていましたね?😃
1988大河『武田信玄』ですね。私はこの西田勘助が一番好きです
勘助の子孫が講談師になって、先祖を持ち上げただけ、と聞いたけど。
munetaka saito 実際その可能性が高い
片方の目が見えず片足が不自由だったと言われているが果たして…
諸説があります乱破あがりですから不自由な振りをしていた可能性もありますねフィクショナルですが『謀将・山本勘助』という小説が楽しめます
1541年なら信玄公は数え年21歳かと…。
鈴木 領 あまり触れてやるな
お⁈コスプレジジイさん、今日は調子いいすねぇ〜👍
佐竹義篤をお願いします🙇♂️
自分山本勘助の子孫です
勘助が生きておれば…
今川家出身の忍者です!
実在したんすか???びっくりしました
山本晴幸って言う実在の人物よ
中井貴一さん主演で大河時代劇ドラマをしてほしい。
既に武田信玄がありますが?
山本元帥の養子先の山本家が勘助の縁者だとか(・ิω・ิ)
しかし、新参者が信玄から重用されたら、古参の反発も強かったやないの?孔明でさえ、活躍が全面的になったのは、古参が皆死んでからやからね。
タカセブン そういう都合悪いことが詳しく明らかになってないのが本当にいたかどうかの鍵、武田家は新しく重用された家臣とかに古参の家臣から影で言われたりすることがあるぐらいだ
上杉にきつつき戦法をあっさり見破られて自滅した人やん…本当に有能だったのか?
もふもふ 甲陽軍鑑を盛り上げるためと信憑性を高めるためだけだから都合よく戦死したことにしたんだと思う
甲陽軍鑑は信憑性めちゃ薄い
あ あ 豪族の寄り合い所帯の武田軍で、もし仮に基盤がない勘助が実権のある軍師だったとしたら即妬まれて寝首かかれてそうですよね(笑)
きつつき戦法は本隊と別働隊で戦力を分けて、本隊に敵を誘き寄せたところを別働隊が後ろから挟み撃ちする戦法でその当時信玄は、見事な策と称し実行したものの、偶然にも越後へ向かう謙信の本隊とあまりにも早くぶつかってしまったため、信玄側は別働隊と合流するまで劣勢に立たされたというのが本当だと聞いたことがある。勘助の立てた策は完璧だったけど、謙信の武運が優れていたからこういう結果になったと聞いた。
バカはだまってろ謙信はそれほど強く賢い武将だった
川中島…天と地と観よ
小池一夫さん原作の漫画が
今頃知るかんすけ
俺山本勘助の子孫らしい
俺も
そう言われてる
最後にミスったからね。何を考えたか、明らかに軍を動かすって感じだったからね。奇襲なら、極力分からない様に準備しないとね。良く孔明が、相手の食事の煙で軍が動くとか分かった位なんだから、相手が相手だから気を付けなけるばアカンのやからね。ただ、キツツキとは思って無かったやないかな?武田が夜襲と思って、肩透かしをしようとしたら、たまたま信玄が居たやろね。
前は全然広告なかったのに。広告がひどい
架空の人物なんだろうねなにかモデルになった実在の人物は居たのかも知れないけど世に言う「軍師・山本勘助」が居たとは到底信じられない
einsfia 宇佐美定満の場合はモデルがいたが、この人物に関しては何をモデルにしたのか不明だ、俺も貴方と同じく存在しないと思ってる
超どうでもいいけどおれこの人の子孫らしい
俺と同じや!!!!
富竹フラッシュ おお兄弟ぃ!!
俺も!!
軍師とか当時存在しないのをタイトルなんかにするのはどうかと思う
今風に分かりやすくするためじゃね?当時なんて呼ばれてたか知らんけどその呼び方でタイトルにしても現代人分からん
もふもふ そもそも存在すら危うい人物に対して役職もクソもない
もふもふ 分からない奴は自分で調べれば良い
あちちあちち それ言っちゃったら解説動画の存在意義が無くなる
(*´∀`)
実在がはっきりしないぐらい陰に徹して仕事はきっちりする、まさに軍師の鑑のような人物
第四次川中島の戦いの発端となった勘助の啄木鳥戦法は完璧な作戦だった。
しかし、上杉軍が妻女山から越後に引き返すのが早く、更に濃霧だった為、武田本隊に偶然にも遭遇。
武田別働隊に人員を割いていた為、武田軍は初回から劣勢。
甚大な損害を出してしまった戦いだったと。
これが最近の研究で分かったことだそうです。
上杉景虎が作戦を見破ったという神懸かり洞察力というより、奇跡的に武運が味方したというのが見解だと思います。
外見に捉われず力量を見抜く武田信玄の眼力が凄すぎる。
織田信長が武田信玄を恐れたのも人材抜擢が同じ貉やったから。醜いが頭が回り眼力が高い点は秀吉と似てる気がしますよ。
大河ドラマ風林火山おもしろかったわ〜
👍🏻 ̖́-︎Good
就職てワードがじわる
でも本当、色々な所を転々として力をつけていったんだろうなぁ。
何年か前に風林火山て大河ドラマでもそういうシーンあったし
これ僕の先祖だとか言われて調べてみたけどこんな人だったのか、、、すごい!!
武田をネタにしたら、シリーズ化出来そう。
沢山続編作れますね。
武田や上杉はシリーズ物でやってもらいたいくらいです。
確か山本勘助は伝説だの創作だの実しやかにささやかれていましたが、事実上山本勘助は存在が確認されたんですよね。
北条や今川が使おうとしなかった勘助を晴信が召し抱えたのは、自分のスタイルが出来上がる前で物事を柔軟に捉えられていたからだろうなぁ。
甲斐 武田の山本勘助ときたら、同じく越後 上杉(長尾)の軍師 宇佐美定行(満)も是非。
川中島の戦で散った勘助の墓は八幡原近くの千曲川の河川岸にあるが、3年前に訪れたときは20年以上前に訪れた時よりも誰か管理しているのか綺麗に整備されていました。一昨日の台風の影響による千曲川氾濫でどうなっているのか心配です。
実在が疑われていたことのほうに驚いています。うちから歩いて行けるところのお寺に勘助の墓があり、摩利支天尊像も祀られてますから。
日本の孔明。天才的な視野力と指揮のカリスマ
それまで誰にも仕えなかったからこその柔軟性ですかね
最後は切腹とか言う逃げでなく討死とか潔良き
内野聖陽さんの風林火山、面白かったなぁ
中井貴一さん主演の戦国大河、「武田信玄」における西田敏行さんが演じた勘助も、捨て難い。
あれは名演。
もうご当人様が降臨してきたと思う。
しかし、軍師って人物は程度の差があれ変わり者が多い(諸葛亮孔明・司馬懿仲達・竹中半兵衛)のにな。
勘助を逃した戦国大名は衰退しているし、信玄の人物を見抜く才覚は抜きんでていたな。
ホーエンジョージ 何故竹中半兵衛が入ってる?あんなの後世の資料を元にしてるだけだから嘘っぱちばかりのやつじゃないか
貴殿は何を根拠に竹中半兵衛の功績を否定しているのですかね?
大河ドラマでアレが、大河らしい真面目な作りだと思います。ちなみに由布姫様役の女優、毎回発狂演技で失神繰り返してまでやってたみたいです。
山本勘助を中村吉右衛門が演じた 帝劇の舞台は忘れられない
キツツキ戦法は実際はなく、双方の霧の中での遭遇戦が近年の説みたいですよ
真田丸の基礎は山本勘助なのか!
御館様あああぁ!
。。。山本勘助が、もし、織田信長の時代に現れていたら。信長公も、きっと信玄公のように、勘助の才覚を見抜いただろうと思います。若き勘助の修行時代も―――見て見たいですね―――(^^♪
信玄と信長って、信玄が少し先輩なだけで、同世代とは言えないまでも時代で言えば同時代だと思うのですが。
乱破あがりで今川方の間者から武田方に寝返った謀将という形で大河ドラマに登場し 最期は川中島の戦いで討ち死にを遂げるという流れになってますが ドラマの脚色上で面白くしてある訳であり 史実としての明確な情報が少ない人物ですね。
山本勘助についてフィクショナルと割り切って物語を満喫するならば大河ドラマ【武田信玄】で西田敏行が演じた乱破あがりで陰キャな山本勘助が忍びの匂いがプンプンと漂っていて好きでした。
あと作家名は忘れましたが著書のタイトルが【謀将 山本勘助】はラストのの どんでん返しもあって娯楽要素のある伝奇小説として楽しむのも良いかと思います。
ちなみに 忍者活劇の劇画作家 白土三平が描いた【忍者武芸帳】だったかな? に蒼眼で脚が不自由なはずなのに 闘いの場になると人間離れした俊敏動きと技を見せてくれる 四貫目(しかんめ)という忍者が登場しますが おそらくは 半ば山本勘助がモデルとなっていたように思います。
敵味方に関係無く周囲に油断をさせる為の術法として作為的に身体障害者・病人・怪我人を常時演じ続けて生きるのも忍びの兵法としてある忍術の1つであった事を考えると 恐ろしい存在ではありますね。
山本勘助⋯実は両眼も見えていて健脚だったのでは。なんてね。
彼の築城技術の完成型が真田丸
城には一番大事な井戸を堀当てるのも勘助は天才的だったとか?ヤマカンの言葉の由来とか。
諸説ですが、勘助は伊那流の忍びだった説。
水脈の探り方などは熟練していたと思われます。
勘助の最後に涙が信玄の目も
勘助は、3大伊賀忍者の藤林の弟子の説がありますね~
師匠の藤林は、今川義元に雇われていた説もあり
伊賀の油日と柘植の人達は、池田恒興、前田慶次、滝川一益、藤林、等々、時代人と絡むんですよね~
服部半蔵家も近いですし、多羅尾も近い
皆さん伊賀、甲賀に絡み
神君家康の伊賀越えの土地に絡む。
この人達が連絡を取り合ってたなら?タラレバですがファンタジーが広がりますよね~
素晴らしいコメントです。信州の伊那から伊那流の忍術が発展していたようですし、話がリンクしていて楽しい情報ですね。
大河ドラマ【武田信玄】で、今川方に間者として仕え やがて武田家に謀将として寝返る山本勘助が描かれていました。西田敏行が勘助を演じていましたが
乱破あがりとしての蔭のある味わい深いキャラが見応えありました。
ヤマ勘の山本 勘介、上杉に作戦を見抜かれて大失敗し、討ち死にしました。武田 信玄を
軍師として支え、常に武田軍に貢献しました。海津城を築城したのは有名です。
一時期真田幸隆の説があった人
BGMは、歌が無いやつか、音を下げて下さい。
ナレーションが聞きづらいです。
武田家は豪族の寄り合い所帯でしたから、中央集権化する為には信玄直下の家臣団作る為に勘助を引き入れたんじゃないかなーって
実は存在し適ったかも?
と言われてた割には山本勘助生誕の地を主張する地域は多いのね
ヤマカンって…山本勘助からきてる言葉らしい…😱😱
信じるか、信じないかは。あなた次第です!
聞き辛いからBGMは歌がないやつにしてもらえないかな〜?
彡よんたん 中国の歌?
就職諦めてたけど風林火山の山本勘助思い出してもう少し頑張ろうと思った。
でも受け入れられるには、相当の知識や経験を獲得しないと。
勘助から学ぶことたきさんありようです。
秘密のベールに包まれていると言うなら殆どの武将に当て嵌まる。記録に残るのは、それ相応の地位(将軍、太守、有力家臣など)にある人ぐらいしかない。
大体、親より優秀な奴の父親は悲惨な運命なんよね。
山本勘助が軍師というのはかなり違うと思う。
信玄は孫氏を読むようなインテリであり、信玄自身が優秀な軍師である。
やっぱ生涯無敗の
軍師官兵衛最強説
攻めるに難く、守るに易いって矛盾してますかねえ?
矛盾はしてませんよね。実際現存してる城に行ってみると、なるほど、これは攻めるのに難しく守りやすい城だなと感嘆させられます。当時の武将達の創意工夫ですね。
X Mr 熊本城とかね
してないですよねー
ほんとうの軍師は名前も姿も現さないとおもうな
じぶんの凄さを世間に示したいと思うのはそうでないからなので
山本勘助が戦死した合戦は上杉方の勝ちですよね。信玄の弟が打ち取られているし
むしろ勘助が信玄をたばかったかのように見える。我が策やぶれたりで敵中に飛び込んだって言われるけど
それは疑われる自覚があったってことだよねwふつうに守りを固め撤退をまつ負けない戦をすればいいのに(謙信が負けないのは勝機なしとみれば撤退するから)
なんで軍を二手に分けたんだろう。このとき謙信は武田本陣に突入し信玄の首をはねる一歩手前までいって
速やかに撤退。当初から狙うは信玄の首だけと計画的にみえたwぜったいに上杉方に通じてましたよね勘助w
武田信玄はやくざと一緒でその命を狙うものは数え切れなかったに違いない
山本勘助について興味深いコメントだったので寄らせて頂きます。
フィクショナルですが【謀将・山本勘助】という小説のラストの場面に、それまで装っていた片目と片脚が不自由な…ではない山本勘助が上杉謙信の居城である春日山城へ 水を得た魚のように走っていくところで完結していました。
信濃の伊那には甲賀流から分かれて発祥した伊那流の忍術があり、若かりし頃に山本勘助の謀略術を育んだのではないかとも推察してます。
今川と武田を踏み台とした可能性、無きにしも非ずです。
@@贅沢な悩み 加藤段蔵のエピソードを聞くと忍者は恐れられるとともに忌み嫌われていたようです。信玄も忍者に勝るとも劣らない策略家でうざったい信玄に怒りっぽい謙信が信玄必殺の気構えで川中島にのぞんだのだろうとじぶんは想像しました。
なぜ兵法に精通した信玄が勘助の軍を二つに分けるという進言を取り入れたのか
それは将としての人情かと思いました
容貌が醜いという理由で今川家に仕官がかなわなかった勘助を信玄は厚遇して恩情をかけた。もしじぶんの想像通りの人間なら
勘助は生存していても仕官の先はないでしょう
いったい彼の目的は何だったのか謎です
石川五右衛門は、かまゆでにされる際
盗人の種はつきないと言い放ち秀吉に反抗しました
伊賀甲賀の近辺に住んでいる人たちは都会で迫害を受けて逃れてくるような人の素性をなぜか知っており同族相哀れむような感覚が伝わってきます
いったい忍者というのは何者なんですかね
お疲れさまでした。甲陽軍鑑は時代背景が曖昧として最近まで偽書と疑われたものですね。なので山本勘助も実在した人物か謎とされました。
私にとって勘助でも菅助でもどちらでも良いのですが、甲陽軍鑑が偽書としても唯一の手掛りの市川文書ではなく市河文書が正しいようです。
少し突飛な話になりますが、織田信長の田楽桶狭間にも絡んでいた?!と云う説があってとても興味をそそります。彼こそ謎の人物でなければならない人物ですね。
山本勘助さんは西田敏行さんが役で、でていましたね?😃
1988大河『武田信玄』ですね。私はこの西田勘助が一番好きです
勘助の子孫が講談師になって、先祖を持ち上げただけ、と聞いたけど。
munetaka saito 実際その可能性が高い
片方の目が見えず
片足が不自由だった
と言われているが果たして…
諸説があります
乱破あがりですから
不自由な振りをしていた可能性もありますね
フィクショナルですが『謀将・山本勘助』という小説が楽しめます
1541年なら信玄公は数え年21歳かと…。
鈴木 領 あまり触れてやるな
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佐竹義篤をお願いします🙇♂️
自分山本勘助の子孫です
勘助が生きておれば…
今川家出身の忍者です!
実在したんすか???びっくりしました
山本晴幸って言う実在の人物よ
中井貴一さん主演で
大河時代劇ドラマをしてほしい。
既に武田信玄がありますが?
山本元帥の養子先の山本家が勘助の縁者だとか(・ิω・ิ)
しかし、新参者が信玄から重用されたら、古参の反発も強かったやないの?
孔明でさえ、活躍が全面的になったのは、古参が皆死んでからやからね。
タカセブン そういう都合悪いことが詳しく明らかになってないのが本当にいたかどうかの鍵、武田家は新しく重用された家臣とかに古参の家臣から影で言われたりすることがあるぐらいだ
上杉にきつつき戦法をあっさり見破られて
自滅した人やん…本当に有能だったのか?
もふもふ 甲陽軍鑑を盛り上げるためと信憑性を高めるためだけだから都合よく戦死したことにしたんだと思う
甲陽軍鑑は信憑性めちゃ薄い
あ あ
豪族の寄り合い所帯の武田軍で、もし仮に基盤がない勘助が実権のある軍師だったとしたら即妬まれて寝首かかれてそうですよね(笑)
きつつき戦法は本隊と別働隊で戦力を分けて、本隊に敵を誘き寄せたところを別働隊が後ろから挟み撃ちする戦法でその当時信玄は、見事な策と称し実行したものの、偶然にも越後へ向かう謙信の本隊とあまりにも早くぶつかってしまったため、信玄側は別働隊と合流するまで劣勢に立たされたというのが本当だと聞いたことがある。
勘助の立てた策は完璧だったけど、謙信の武運が優れていたからこういう結果になったと聞いた。
バカはだまってろ
謙信はそれほど強く賢い武将だった
川中島…天と地と観よ
小池一夫さん原作の漫画が
今頃知るかんすけ
俺山本勘助の子孫らしい
俺も
そう言われてる
最後にミスったからね。
何を考えたか、明らかに軍を動かすって感じだったからね。
奇襲なら、極力分からない様に準備しないとね。
良く孔明が、相手の食事の煙で軍が動くとか分かった位なんだから、相手が相手だから気を付けなけるばアカンのやからね。
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武田が夜襲と思って、肩透かしをしようとしたら、たまたま信玄が居たやろね。
前は全然広告なかったのに。広告がひどい
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なにかモデルになった実在の人物は居たのかも知れないけど世に言う「軍師・山本勘助」が居たとは到底信じられない
einsfia 宇佐美定満の場合はモデルがいたが、この人物に関しては何をモデルにしたのか不明だ、俺も貴方と同じく存在しないと思ってる
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俺と同じや!!!!
富竹フラッシュ おお兄弟ぃ!!
俺も!!
軍師とか当時存在しないのをタイトルなんかにするのはどうかと思う
今風に分かりやすくするためじゃね?
当時なんて呼ばれてたか知らんけど
その呼び方でタイトルにしても現代人分からん
もふもふ そもそも存在すら危うい人物に対して役職もクソもない
もふもふ 分からない奴は自分で調べれば良い
あちちあちち それ言っちゃったら
解説動画の存在意義が無くなる
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