世田谷学園高が金鷲旗初V。古賀元博が一本背負いで決める(1982年)

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  • Опубліковано 3 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 9

  • @増田俊也スタジオ作家のYouT

    古賀元博、古賀稔彦の兄弟は、重量級一辺倒だった高校柔道のイメージを変えました。

  • @akihikoadachi-m7f
    @akihikoadachi-m7f 3 роки тому +4

    東海のこの松田が相当の曲者で大学時代もかなり強かったですね。

  • @海力-n3x
    @海力-n3x 3 роки тому +2

    古賀稔彦と、同級生の飛松選手のお兄さんですね。
    まだ天理が、金鷲旗に出場していない時代です。

  • @Fanta-ch
    @Fanta-ch 3 роки тому +6

    白が母校です

  • @papaken779
    @papaken779 3 роки тому +2

    先鋒の持田って持田監督?

    • @ちょびれスガ
      @ちょびれスガ 2 роки тому

      字幕間違っとるね。
      先鋒は治也氏で後の世田谷学園監督。
      字幕は恐らく補欠の従兄弟達人氏でしょう。
      達人はその後3年生になって東京都無差別チャンピオンになった。
      ちなみにこの無差別大会の支部予選で鳴り物デビューした古賀稔彦を破っているのはプチ情報。

  • @300fq6
    @300fq6 2 роки тому

    舞の海さんが大学生のとき「80キロあれば重い選手とも戦える」と増量したそうですが地球上で重力は同じなわけですから最低これだけという自重が必要なんですね。

  • @ドタマジン太
    @ドタマジン太 10 місяців тому

    この頃の東海大五は強かった。近年は大牟田にやられっぱなしだが