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編集がどんどん面白くなってる気がします!今日の編集が特にツボでした😆♡
あ~楽しかったです😊1時間あーーーっという間でした❤次回も楽しみ❤❤
皆様の質問が凄く良いですね!それそれ!私も気になってたーってのもあり、またきりゅうさんが丁寧に答えてくれるので知識が深まります。とても勉強になります。😊
尼さんの頭巾のお答えありがとうございました。疑問に思った事を凄く分かりやすく答えて頂き、子供もとても喜んでいます。『分からない事が分かるって楽しいね。同じ所、知りたい人がいっぱい居たんだね。自分達だけじゃ無いんだ。歴史楽しいんだね。もっと知りたくなっちゃった。』と言っていました。こんな先生が社会の先生なら良いのになぁとも話してました。授業が楽しくなるきっかけを頂き、ありがとうございます。
コメント取り上げてくださってありがとうございました😊名前呼ばれてドキッ‼️としました。うれしかったです😂
質問に回答していただきありがとうございました!倫子さまにも妹がいたのですね!しかも道綱が通っていたとはっ!(倫子さまの妹はお姉さんと違ってボンクラ好き(失礼!)だったのかしら…😅)屋敷が広くても正門は1つ…長徳の変の、あの事件の建物的?背景も理解できてまた少しドラマの解像度があがりました!
源雅信は、娘達を帝の妃にするためにそのように育てていたようで、娘達の婿を選り好みしている内に二人とも婚期を逃している。倫子の場合は穆子が半分暴走して決まっていたが、どうやら下の娘は、婚期が相当遅れていたらしい。 そのうち、道長が権力を持ってしまったので、道長と仲がよく、敵にならない道綱が婿になった様だ。
NHKにきりゅうさんの「光る君へ」副音声解説を入れるよう頼もう!笑
@@kodonkichisachi それ楽しすぎます☺️
当時は紙は貴重品で、紫式部は道長から紙を大量にもらって源氏物語を本格的に書きだした。しかしそれまでも源氏物語は書き始めていて、仲間内で回し読みしていたらしいです。その時の紙はどうしていたのかと前から不思議に思っていましたが、裏紙とか再生紙を使っていたのですね。
たねにあめつちの詞を教えていた紙も、裏紙でしたね。漢詩が書いてありました。書き損じた紙も大切にとっておいたのでしょう。紫式部の場合、親類にも紙を提供してくれた場合もあるかな、と思います。「あなたのお話面白い、もっと書いて」とあちこちから紙も提供する人がいたのでは、と思います。でなければ帝の目に留まる前に源氏物語が評判になるのは難しいかと、思います
こんなに面白くて楽しいお話なのに、寝落ちしそうなくーさんきりゅうさんのお話大好きです
平安時代にも再生紙があったんですね😃言葉が難しくって字幕有難いです👍
昨日の大河も面白かったですね。為時が「藤原朝臣為時である」と名乗った時に、そっか五位だもんね!と思いました。こういうのも細かくて、楽しいです。
かしましチャンネル詳しくて嫌味でなくすごく見やすくて大好きです。
田舎の築90年のあばら家である我が家は、日々様々な来客があります。G様、軍曹様、家守様、先日は縞蛇様が畳の上においでになっておりました。きっと平安時代も似た感じでしょう。※なお家長たる猫様が大騒ぎするので全然雅ではありません。
ステキ💖
今回も楽しくてあっという間の一時間でした👍色々な視点で見つめるのも面白いですね。それにしても、きりゅうさんが伝染した!?視聴者さんのコメントは面白かったですw
きゃーーー!!!!読んで頂けたー!!!!!!かしましの皆さんと直にお話してるみたいな気分になって興奮が冷めやりません😂❤郵便の話を質問させて頂きました(読みは)「おおお、ぱお」です☺️💕サムネに郵便の文字が見えて「へ!?もしや!」と思い心臓が飛び出そうになりながら聞いていました😂うわぁ、、、、、なんという誉れ😂✨何回も何回も聞いちゃいますありがとうございました🙏ぽっぽないないは初耳で、最初は家事をしながら聞き流していたのですが、「???」と思い画面を見たらちゃんと字幕で解説されてて笑いましたー😂これからも楽しみに拝見させて頂きます🙏❤拝
直秀が酒呑童子として蘇るってことはないか
お答えいただき、ありがとうございました❗たしかに、定子様とまひろちゃんの対面なら、御簾越しが当然だから、これは特別の御はからいなんですよ、ということなんですね。納得です❗これからも楽しい解説、楽しみにしてまーす😊
まひろさんの所になんで手紙が届いたかこれでよく判りました😊一件落着しました🤗🤗🤗
もちろん、忘れてますが、面白かったです
直秀は、根強い人気ですね😊 越前では周明出てきちゃいましたけど、遠い国つながりで、回顧シーンあると良いですです!
質問に回答して頂き、ありがとうございました!!思わず興奮してしまいました✨香料も輸入品だったのですね。調べて見たら、仏教との関わりも深いのですね。オシャレやステータスなのかな、と思っていたので意外でした。歴史初心者ですが、かしましを見て少しずつレベルアップしていけたら嬉しいです。他の視聴者さんも私がちょうど知りたかったと思うことを質問してくださっていて、感謝です😊直秀の登場願う人がたくさんいて、嬉しいです。貴族とは違うワイルドな魅力が忘れられません。ラットさん、カエル飼ってるんですね!カエルに噛まれて血が出るって衝撃でした。今はガブっとされないとおっしゃっていましたが、カエルも懐くのかしら🐸
天皇の諡号について、以前く〜さんが”後きりゅう”と言っていたのを覚えています😊紙屋紙という再生紙があったのですね😮紙背文書とか、新しい言葉をたくさん知ることができました、ちゃんとメモしました😊ドラマでは美しい文字がたくさん見られて嬉しい🖌️ピアスのカエルちゃん、今まで見たことない雰囲気でした🐸オタマジャクシも不思議…
きりゅうさんと同時視聴したらほんと楽しそうです~😄
それしてほしい! 生配信で!
鎌倉殿の最終回の時してましたよね?ということは・・
平安時代も庶民は竪穴式住居に住んでいたんですよね。松本市の遺跡発掘で縄文から平安まで使われた村の住居跡を見学してびっくりしました。
「書き損じ紙」についてお答えくださってありがとうございました😊書き損じた歴史的な書を見たことがなかったので疑問に思っていましたが、さすが歴史に造詣が深いきりゅうさん!実際に足を運んで得た知識がすごいです。期待以上のお答えで、もうとっても勉強になりました!「紙背文書」「反故裏書」「紙屋紙」「薄墨紙」などの存在が知れてとても良かったです。今度京都の紙屋川にも行ってみようと思います。平安時代って書き損じた紙を使い倒して、尚且つ再生紙にしていたなんて、昔の方がよっぽどエコロジカルだったのですね。歴史はエンターテイメント!だけではなくて、現代の我々がそこから学ぶことがとっても多いはず。これからも楽しみにしています。私は博識なきりゅうさんに政治家になって日本を建て直してほしいくらいです!でもなりませんよね〜。
いつもありがとうございますラットさん今回もピアス素敵でした
今回も楽しくためになりました。ありがとうございました。放送時間にLIVE配信があったら楽しいだろうなぁ。きりゅうさんのアクションが気になってドラマの内容が入ってこないかも(笑)。それもまた楽しいけど。
虫愛づる姫君というお話がありますよね。ちょっと変わっている…と思われていたようですが。
捕まえて観察する人は、少なかったでしょうねw
ナウシカのモデルですね
追って沙汰する!嬉しいです(*´▽`*)昔、財産と家は娘、官位は息子と教わりましたが、でも息子も娘も、大抵は沢山居ますもんね💦道長は倫子様の所にちゃんと帰って、明子様の所にはたまにしか行かなかったようなのに、子供6人凄いです⤴️⤴️清少納言は癖毛と言われていますが、毛量が少なくて、つけ毛を付けているので髪が畝って困るは、みたいな事もおっしゃっているので、どうだったのかなぁ~と妄想楽しい😃🎶綿入れ、紫式部日記(-ω- ?)でしたっけ、冬の寒い日の朝に綿入れを被って火鉢で暖まっているのにこんな時に訪ねて来てぇ~~🥶💢みたいなお話し有りましたよね、あっ!先生が以前の動画でお話して下さったんでした😆💦直秀、再登場シーンの案、凄く面白いです(*≧∀≦)くーさんの「きりゅうさんの菌がうつってます、気を付けて下さい」(((*≧艸≦)ププッ🤣私ももう感染しちゃったぁ💦感染力は超強力です⚠️⚠️⚠️ぽっぽないないするひとは、おてんてんぱぁーじゃ❌おてんてんぱぁも標準語では無いのかなぁ(-ω- ?)ラットちゃんのデザフェスのInstagram拝見させて頂きました。凄く素敵でした(*^^*)✨✨✨❤️タピちゃんピアス、可愛いぃ~!私もカエルさん大好きです🐸飼うのは中々大変ですね💦でも可愛いいです゚+(人・∀・*)+。♪😢今回も大変勉強に成りました。とても楽しかったです✨チームていさんの編集、いつも面白いです最高です💯💮🎊有り難う御座いました゚+(人・∀・*)+。♪
質問取り上げていただいてありがとうございました!きりゅうさん絶対1000年以上生きてる❤何でも知っててすごいです!!ドラマが更に更に面白く見れます❤
お沙汰の回、いろいろ楽しかった!ありがとうございます。殊に紙について、最近ちょっとした思い入れがあったので・・・今回の大河を見ていて、俳優さんたちもご苦労なさったようですが、筆で文字を書くシーンがよく出てくるでしょう?サラサラとあんなふうに書けたら・・・とつい思ったのですね。そこで、今まで筆で文字を書いていて、一番書きよかった紙って何だと思われますか?テッシュペーパーです!書き損じしても構わない、と思うとほんとにのびのび書けますしね(笑)今、百人一首を散らし書きをしています。(もちろんこの後ちゃんとティッシュとしても使いますよ)真っ白なままの紙を使い捨てるなんて、もったいないとすら思えてきたんです。手紙のことも分かりましたし、やはりこれも貴族の特権ではあったのですね。21回の、ご後評トークも楽しみにしています。
皆様の質問からの解説でより面白くドラマを見られます感謝です憑依のお話ですが、逆にきりゅうさんんのトコに飛んで行くって方法もあるかもぉ、ときりゅうさんの陰陽師の本を読んで方法を熟考したいと思います
こんにちは、階に薔薇の開く季節ですね。いつも興味深く拝聴しております。今回も下敷きにあると物語の表現の本質が見えてくる様なお話ばかりでした。ゆるし色、禁色のくだりで紫式部日記を改めて読みたくなったり、横道に逸れて三島由紀夫を本棚を漁った次第。また、斉信はミッチー?は差し込み画像も最高で笑いました。家柄も良く官位も職位も上ったけれども時代のトップにはなれなかった貴公子……、やはり彼に源氏物語の頭中将みを感じます。次回の配信も楽しみにしております。高畑充希定子ちゃんに染む初夏清少納言の「しき」、あつく語って下さいませ!
まひろの文字に道長が気がつきましたが、源氏物語を書いたまひろの文字に倫子が気がつくような気がします。
いつも楽しく拝見させていただいています。歴史に弱い私ですが、日本にもGは縄文時代からいたと聞いたことがあります。茶色じゃなくて、大きくて黒い方ですね。
ゴキとは御器(平安時代も使われてた塗り物の食器)のことで、Gは台所にいるので御器をカブる(関西弁のかじる)と思われて「御器かぶり」または姿が黒光りでその形も頭に御器を被っているように見えたから「御器かぶり」と名がついたようです。 私の母(90)はGのことを昔から「ごっかぶり!」と言ってました。近江の人です。
質問にお答え頂きありがとうございました🙇詮子様の出家の話はびっくり笑ってしまいました😊今回も楽しかったです。次回も楽しみにしています。ありがとうございました😊
道長が土御門邸に移った後、東三条邸がどうなったのか気になりますまた女院様も土御門邸に一緒に住んでいるようですが、どういう成り行きなのでしょうか😮
東三条邸のすぐご近所に中関白家の御屋敷があったようです…女院様としては土御門邸を里にしたい気持ちはわかります😊東三条邸は女院様の持ち物だと思います。だから東三条院と名乗ったのだと思います。
石野真子さんが、この屋敷を提供した甲斐があったわね~、~と、倫子ちゃんとオホホホ😊とよろこびあってた(道長が出世したかなんかのとき)から、穆子さまというか、土御門側から、どうぞおいでくださいって言ったんだな~と思ってました。石野真子さんの振る賽の目は、みんな当たりに出るのだなぁ🎉🎉🎉
我が家も子供の頃は蚊帳を吊ってました。重くてつるの大変だったな〜。網戸もなかったので、江戸時代に蚊が媒介する伝染病が流行るのも当然かもね。天井が庶民の家にやってきたのは昭和になってからとも聞きました。文化住宅になって初めて『天井が生活に表れた』というのが建築史の見解だそうですね。
こんにちわ!!道兼のの和歌!朝顔の明日の花のつゆ紹介してくれてありかとうこざいます😮きりゅうさんの髪黒くてストレートでステキですね!なにか手入れ去れるんです?
リアタイ配信をしてみたらどうでしょうか??どっちみたらいいかわからなくなりそうで、それも込みでた楽しめそう。
ミッチーの公達姿は容易に想像できました(笑)『源氏物語』だったら桐壺帝を演じて欲しいな、と思いました。
役所の文書は正しくても黒塗りですね~…(´-ω-`)頭の布のお話、政子に実衣が「そのしたどうなっているの?」と訊いた場面を思い出しました。
中宮様が御簾を下さなくて良いと言ったのは、本来ならこういう時は御簾を下ろすのが普通なのですよ、と視聴者に分かるようにしつつ、御簾を降ろしちゃうと少納言・まひろ・中宮の3人を引きで撮れないからかと思いました。
財産を1番美しい娘に授けるとはね!娘間で骨肉の争いなかったんですかね。源氏物語で、光源氏が六条院を分配して多数の妾を住まわせた事は、土御門邸で分邸があったのを元にしているのかもしれませんね。
女の人が(特に貴族層)訴えるのは、「はしたない」とされ、横領された土地の返還を、道長に訴えた済時の次女は、土地は返還されたが、ばかにされた。
紙が高価で貴重なものだったから、処分されずに今まで残ったのでしょうね。和紙の品質も良かったからでしょうね。
いつかきりゅうさんがNHKに解説でご出演される日が来るのではと陰ながら楽しみにしています笑🩷
質問拾っていただけてうれしいです🙇♀️御簾について質問いたしました。定子とききょうの深い信頼関係をあらわす演出としての御簾だったんですね。納得です😌定子のところに父や兄が「皇子を産め〜」と乗り込んできた時、とっさに御簾を下ろすよう周囲に目配せしたのはききょうでした。そちらの場面では逆に、御簾を下げることで実家の醜態とそれに翻弄され傷つく定子を衆目から庇いたかったのかな、と先生のお話を聞いて思いました。直近の放送回では、ききょうが書いたものを定子の枕元に運び続け、起き上がれるようになった定子がそれを口誦するという枕草子誕生の場面がありましたが、「たったひとりの悲しき中宮のために」というナレーションも相まって、ふたりのあいだには単なる中宮と女房という関係を超えた尊い絆があるように見えました😌ご回答ありがとうございます
一人だけ「こんな名前がいい。」と言った天皇が いたそうですが誰なんだろう?
ユーリくん かわいいよね。うちには保護猫が9ニャンズおります
自分で名前を決めたたった一人の天皇は後醍醐天皇ですよね。宇多天皇の次が醍醐天皇だったので後宇多天皇の後だから自分は後醍醐にしたと聞いたことがあります。
醍醐天皇に憧れていた、と聞いたこともあります。
醍醐天皇は摂関政治が始まって以降に唯一、摂関を置かずに親政をされた天皇ですから、それを理想にされたと思います。
記憶が確かなら、在任中から名乗っていたような?
すいません。嵯峨天皇ではなく宇多天皇の間違いでした(編集で直しました)。それと先代ではなく自分が後宇多天皇の正統な後継者をしめす為に名乗ったと聞きました。
平安時代といえば、薫物を思い浮かべます。この動画でも少しお話しあったように、お風呂もなく、髪も月に数回洗うだけということで、正直臭かったんじゃないかなと思ってます(笑)なので薫物が発達して焚きまくってたのだと思うのですが、薫物に橘の薫りのするものもあったのでしょうか?五月まつ 花橘の 香をかけば 昔の人の 袖の香ぞするという歌だと花橘の香りのお香もあったのかなと思いつつ。。
最近の「お沙汰」する物件増加率の凄いことときたらビックリ❗ドンドン長尺になりますね。そしてあらゆる質問にほぼ完璧にそらでお答えになるきりゅうサンに脱帽です😅(残された歌が少ない道兼の歌がすらすらと出るなど~)試しに突っ込んでみよう❗と考えても~とても無理無理💦それでも絞り出して感想&質問らしきものとか~●「こんな諡号を希望するぞ!」の天皇とは後醍醐天皇のことでしょうか❓●日本列島にも~環境に適応したゴキ様は古くから(渡来人云々よりずっと前から)生息していたと思います😅熱帯性のゴキ様は日本の冬季を越せないそうですが~低温時に堪えうるゴキ様が・・・調べたら「ヤマトゴキ〇〇」ですって~●女人の出家の件~在家出家はお手軽出家というか、詮子さんの場合⇒世俗的権力への立ち位置も残した「良いとこ取り」の出家のようですね😅仏道修行のランク別の違いとも云えるのかな・・・●当時の「通い婚」スタイル~貴族の場合はまぁ、理解できるのですが、庶民の場合は(庶民もそうだと仰いましたが)どうしてもイメージが湧きにくいです💦史料が少ないでしょうが、また機会がありましたら追加解説をお願い致します。●21回放送では、百舌彦の衣装が(たしか定子さま二条邸の火災勃発報告時だったかな❓)ランクアップして立派になっていた気がしました😃 乱雑にスミマセン💦💦お沙汰有難うございました。
乙丸、いい服になってましたね💖
生き霊のきりゅうさん。六条御息所とのコラ画像を想像して笑いましたw
『ぽっぽないない』久しぶりに聞きました。
天皇の名前の話なんですが、一条帝は一条院って建物があったから理解できるんです。でも花山や円融なんかは資料集にもそれらしき建物は載ってなくて、ネットで調べてもヒットせず…これってお寺か何かの名前が由来なんですかねえ。
武士が鎌倉時代に正装で絹の水干を着るようになるとは知りませんでした。そうなるとますます素材だけで水干と狩衣を見分けるのはできないですね。現代のファッションほそれほど興味がないですが、歴史上のファッションは貴族も庶民も興味深いです。
うわ!私のコメント読んで貰えてた!うわ!うわ!うわー🤩😆🥰❤!それなのに反応が遅くて残念&ごめんなさい。今週、私は方違え…ではなく引っ越しをし暫くYou Tubeを見られず。今晩ようやく「かしまし」を観、「えっ!うわ!うわ!うわー!!!」と狂喜乱舞致しました。きりゅうさんは勿論、ラットさん、く〜さんも、私のコメントに応えて下さってありがとう❤❤❤大大大感謝です!
定子の里内の二条宮は誰が建てたのですか?
東京生まれの東京育ちですが、ぽっぽないないは言ってたけどなあ
ゴキブリのはなし!枕草子に出てきます😊たしか「ごきかぶり」って言ってたような…器の上をかさかさ🪳ってするのが嫌だと言ってた気がします😂
きりゅうさん・ラットさん・ク~さん、お疲れ様です😌💓きりゅう姉さんが憑依…スッゴク面白そうですが、一つ難点がありますねぇ😅それは、意識もきりゅう姉さんに持っていかれてるので、自分の意識はなく、当然、憑依されてる間の記憶も無くなると思いますので、意識を保っての体感は難しいですね😅道兼、和歌が得意とのことでしたのに、作品が残って無いっていうのは、映画アマデウスの宮廷音楽家サリエリさんの様に、悪魔の契約でもしたんですかね?😅紙…昔も失敗した紙は、メモ用紙の様に、再利用してたんですね😅姉さん、今は電子メモとかがあるから…みたいなこと言ってますが、田中芳樹も銀英伝の中でヤン=ウェンリーに言わせてますが、「人類は、他人に物事を伝える手段として、紙以上の物を作ることが出来なかった…」と言っています😅実際、SNS等電子書籍などで他人に物事を伝えている昨今ですが、自分の様なアナログ人間は、やはり紙の方が良いわけで😅まだまだ紙以上の伝達手段は確立されていないんですね😅
アマガエルとヌマガエルとイエアメガエル、総勢9匹飼育してます〜♪😆カエル、カワイイですよねぇ~♪😆
うわー…カエルとヘビは無理です~田舎育ちなので見かけることはちょくちょくあったけど(轢死体も)、すごく小さなカエル(一般的なアマガエルの1/10くらいのもの)でも無理です亀も無理だけど、ゴキブリは平気です笑流石に素手で触ることはないけど、カブトムシの汚いバージョンくらいの認識😅
@user-fs1qf7yw3p さまゴキはうちでは、猫が担当です。ひっくり返しておいてくれるのです。わたしはそれをポリ袋でつまんで・・・唯一の共同作業。後は私がひたす猫に奉仕
私も直秀再登場希望の1人です(笑)海の近くに逃げる…と言っていた直秀。まひろが越前で見かけた宋人の中に直秀に似た人がいて…(別人で…)とかあるのかな?とか思ってたりします(笑)海辺で直秀懐古は是非とも…と思ってます。
関東ですがポッケないない は言います😄
ぽっぽないない、、、ポッポってポッケ、ポケットの意味で比較的新しい言葉かと思ってました。懐(ふところ、ほところ)から訛った幼児語だったんですね。知りませんでした。子供にお小遣いを上げた時などに「ちゃんとしまっておきなさい」=「ぽっぽないないしておきなさい」だそうで、、、吉本語かとばかり思ってました😅
蚊帳は奈良時代からあった様ですよ。
らっとちゃん宅のカエルさん、観たい!
ぽっぽないない、東京でも関東でも使いますよ。むしろ江戸言葉と思ってました。
江戸時代に紫衣事件がありましたね🤔
私は寺院拝観が好きです。ずっと不思議に思ってるのが寺院の襖絵が全部って言って良いほど中国の風景や仙人らしき絵であることです。襖絵に富士山とか観たことありません。今回光る君へを観てて、漢詩が人物評価に影響してるのを感じ、平安時代だけでなく鎌倉室町時代でも中国文化を尊重していたのかな?と思ったのですが、どうなんでしょうか?
平安時代は、わからない事ばかりですが、この御沙汰を聞いて勉強になります🖐️質問があります為時とまひろと乙丸は琵琶湖を越え山を越え越前へ行きますが、道中どこで寝泊まりしていたのでしょうか?食料はなんとか調達できたとしても山中に寝る場所などないと思いますゴザのような物を敷いて野宿していたのでしょうか?動物や山賊に襲われるような危険はなかったのでしょうか?
当時は、寺に泊まる事が多かったようです。国司となれば、その地域の有力者の家に泊まる事もあったようです。
@@ユミコ-i9c 返信ありがとうございます😃なるほど!ですお寺は山にもありますねさすがに野宿は危険ですよね😅💦勉強になりました
斉信邸ぐらいなら牛車のまま正門を入っていけそうですが、ドラマでは花山法皇は外で牛車を降りて出入りしてたので弓で射かけられてましたね。牛車が大きすぎて門を入れなかったのか?
正門は、大事な客・大事な婿が通る場所で、花山院は招かれざる客だったのだと思う。
虫愛づる姫君の話もあるし、平安貴族でもほとんどの人が虫は気味悪いと思ってたんだろうな
倫子ちゃんがかなりのお金持ちだということですが、お屋敷の中に全ての金品が保管されている感じなのでしょうか?かなりの広さで多くの家来がいたら、物がなくなっても気付かないじゃないですか?と思いました。経理を担う家来もいたのでしょうか?銀行などがあったのでしょうか?
それ!私も思いました!
財産管理は、家司の仕事。源氏物語の六条院の御倉町(明石の上が住んでいる所にある)みたいのがあった可能性が高い。
枕の草紙に「ノミがにくたらしい」という記述がありました。着物の裾の下でピョンピョン跳ねるって… 中宮様にもノミがたかっていたの?と ちょっと興ざめした記憶があります。😁
直秀さんの再登場は、切望しております😣
今回も楽しく拝見させていただきました❗️ラットさん家のかえるちゃん、たぴちゃんっていうのですね😁うちのウサギの名前もたぴちゃん(たぴおか)です‼️同じで嬉しい🎵😍🎵これからも、応援しています❗️
「ぽっぽないない」って。。大阪生まれですが知りませんでした😅親が大阪生まれじゃないから?😂調べたら。。ねこばばっていうか、ポケットに入れるみたいな意味らしいですが。。。地域で違うのかな。。
ぽっぽないない が全国区ではないと、、、、、?!?!?!
光る君へファン同志の方々の書き込み、寝食を忘れて読み漁りました。ましてや、かしましのこちらではもはやもう、思いつく限り…いえ、思いもしないことも、こんなに沢山お話お勉強させていただき、もう思い残す事が…思いつきません。しかし、たった一つだけ、疑問に感じた事を思い出しました!倫子さま、女院さんに呪詛がバレてますよ〜の怖い発言の時に、道長様の父上も仮病がお得意だったとか、と言いましたよね⁈なんで知ってるの〜?あれ、みんなが知ってる計略でしたっけ?もう、公卿の中では、周知の事だったのかしらん?いや、倫子さんの、これも「見破り」と言う事!?道長さんのギョッとは、二重ガクブルだったのでしょうかぁ〜?
兼家の仮病(最初はほんとの病気だったんだけど)を倫子さまが知っているのは、道長がうっかり寝物語でしゃべってしまったに違いない!と思いながら観てました。倫子さまの発言に驚いたような表情をしてたのは「しまった!俺、しゃべっちゃった!」という驚きかと😅
@@user-さわ さまあの一言は倫子ちゃんのキャラとしては、ちょっと余計だったような気もしますが、やはりわが家に泊めおく女院様に対したての牽制球かなとも、いよいよっ女性主導世界への入り口のような・・・
見直してすごく思ったんですけど、私、公的機関に勤めていますが昨今では情報漏洩や個人情報保護の観点から裏紙を使ってはいけない感があってもったいないなぁといつも思っています。紙は再生紙使ってますけど。平安時代は情報漏洩とかあったのかわかりませんが、リサイクル!素晴らしいですね〜。まだまだ公的機関(ウチは地方だからか)紙社会、たくさん使います〜😂 きりゅうさん、日曜の夜はいい運動になりますね!でも、光る君へ でそんなサッカー観戦みたいな場面どこなんだろ😮と思っちゃいました😊
ラットさん博物フェスに行くともっと凄いのいっぱいありますよ!
きりゅうさんの生き霊に憑いてもらいたい方、思ったのですがきりゅうさんの生き霊に憑かれるより、ご自身が生き霊になってきりゅうさんに憑いたほうが、ドラマ視聴中のきりゅうさんの行動や発言も至近距離で観られる上に頭の中も覗けるのではないでしょうか😊ところでゴキブリは2億年前に生まれているだけに、日本にも昔からいたそうですよ。今の主流なのは外来種かもしれませんが。平安時代には阿久多牟之とか都乃牟之と呼ばれていたとか。古代のゴキブリはかなり大きかったとか。ヘビやカエルは本物や写真はもちろん、絵やおもちゃでも直視できないけど(だから今回のラットさんのコーナーは聞くことも無理でした)、ゴキブリはまったく平気なので、どんなものだったのか興味があります。
まひろと、清少納言が、一般庶民の格好をして、定子の家に忍び込こんだ場面が面白かったなぁ、ほんまに笑笑しょうもな❤
和泉式部の夫の藤原保昌になって毎熊さんがでてくれたらまた面白いかも。保輔という弟が盗賊してましたって。
ぽっぽないない!?で思ったんですが平安時代は喋り方が違うってことは訛りみたいなのもあったってことですかね?国司も伝わらない言葉とかもあったのかなと想像しちゃいました!ぽっぽないないは初めて聞きました!
ua-cam.com/video/NVnVe2eKARg/v-deo.html平安時代の言葉についてはこちらをご参考に
@@kashimashi_rekishi_ch ありがとうございます!動画見ます! 見てたのに忘れてました恥ずかしいです
双子の貴族や庶民の記録はあったりしますか?昔は一緒に育てずにどちらかを里子に出すものでしょうか?昔に双子を産むのはより大変だったでしょうね。
@@コロ助-i8fさま昔は双子は畜生と忌み嫌われて(特に男女の双子)、こっそり片方を始末したりお寺に預けたりしたといわれてますよね。三笠宮殿下も双子だったという噂があるとかないとか…
@@user-さわ 忌み嫌われていたなんて悲しいことですね。お母さんにとったら頑張って産んだ可愛い子供なのに。コメント見つけて下さりありがとうございました。
今回も御沙汰を賜り恐悦至極に存じます。直秀、ふとした時にまひろ道長が思い出す場面が有ってくれたら良いのにと思います。百舌彦の服、従者にも着飾らせて権勢を誇示したりしないのかな、と思っていましたがそれはもう少し上級の使用人の役割だったんですね。逆に言えばそんな下位使用人の百舌彦が今もそばにいるのが何だかほっこりします。
道長、まひろ、廃屋敷の位置関係はどうなっているのかな?直秀は、宋の70人に入っていたりして。
廃屋敷は最初の方の回で、高辻 富小路と言っていたと思うので、まひろ一人で夜に出かけるには遠すぎる場所ですね。
今回も面白かったです。私の聞きたかった事を他の方が質問してたから回答出て良かった。話は変わりますがゴキブリは平安時代、「阿久多牟之」(あくたむし)、「都乃牟之」(つのむし)とか呼ばれてて食用にもなってたとどこかで見かけました。それ思い出して😱
食用!?
@@kashimashi_rekishi_ch 古代日本人が食用してたか定かで無いから書くべきじゃなかったですね😒でもどっかで読んだ気がしたんだけど。中国では食用に別途育てて(その辺で見る🪳じゃなくて)漢方にすると言うのは間違いないようです。
古代官道は平安時代にも有ったのでしょうか?駅鈴も続いてたのですか?
聞いた話では、官道も洛中の大通りも、時代とともにどんどん住まいや畑に浸食されたとかドラマの時代はどうだったんでしょうね?
テレビで食品サンプルのイヤリングを扱ってるお店やってました。道具屋筋だった様な
お聞きしたい事が2つあります。いつも思うのですが まひろの弾く琵琶の音 あれはあれで良いのでしょうか!? 本当の演奏を聞いた事がないのでわからないのですが 初めて聞いた時は 冗談かと思いました😂そして もう一つ 色んな資料等を書き写していますが あれは書き間違った時は どうするのでしょうか!? 塗りつぶすのか 最初から書き直すのか、、教えて下さい🙏
えー「ぽっぽないない」って標準語やないんやー(笑)そういや子供のころ母親の実家に里帰りしたら新聞紙を切って便所の落とし紙にしてあったことを思い出しました(歳がばれる)服の色のことで気になったんですが、今週冒頭でいつもは白い服の一条天皇が珍しく黒い服を着ていらっしゃったんですが、あれは何か意味があるんでしょうか?またどこかで解説していただけるとありがたいです
夏用と冬用ですw
返信ありがとうございますということは冬場は黒で暖かくなったら白なんですね、やっぱり(笑)スッキリしました
@@ずばっちあれは黒ではないと思います。よーく見ると紺色とか青紫色の濃い色です。もう少しわかり易い色にしてほしかったです
@@花見小路気楽介 さん、返信ありがとうございます言われて録画を見返したら確かに青みがかった色ですねただ、聞きたかったのはずっと白いお召し物だったのに急に違う色になったのがどうしてなのか?ということだったんです確か「香炉峰の雪」の時も白だったように記憶しますが…その日の気分?
質問に答えていただきありがとうございました😊2回目です〜🎉嬉しすぎです👏かしましチャンネルさんを超〜超〜超〜リスペクトさせていただいているので、くーさんのコメントも嬉しいです😂きりゅうさんの妄想菌が感染ってるなんて❣️是非是非、今度はなんとか生霊もお願いします😂😂😂
いつも、楽しい解説&妄想をありがとうございます。毎回欠かさずみていますm(_ _)m18話で伊周が息子も娘もいると言ってましたが、彼らはその後どうなりましたか?。わかりましたら教えてください
平安時代の競馬ってどんなのでしょう🏇
最近このチャンネルのことを知り、はまっております。女性の名前に「女王」のつく人がいますね。「明子女王」とか「婉子女王」とか。この「女王」について解説していただけませんか。
現在もいらっしゃいますね、彬子女王、承子女王…😌
内親王宣下されていない皇族の女性は、帝の御子であっても「女王」です。斎宮・斎院になって始めて、内親王になった帝の御子もいます。
女王は、多くの場合、帝の孫娘(さらに後の代も)や皇子(この場合は「親王」を名乗ってらした方)の娘にあたる方が名乗っておられました。父や本人が姓をもらわない限りはずっと代々女王と名乗れると理解していますが実際はどうなのでしょう。皇女であっても内親王宣下がなければ「女王」と名乗りますし逆に室町時代以降「世襲親王家」というのができて、現在の秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家…のように代々当主の皇族男性が家を継がれている宮家の場合は、天皇との血筋の近さによっては、内親王と名乗れるようになります。
奈良時代、平安初期までは、六世王つまり六代目までは、皇族でした。その代わり、女性の皇族は、結婚相手が限られ、皇族と結婚するか、宮中に女官として勤めるしか選択肢が有りませんでした。平安初期に二世王以下の女性と藤原氏の男性との結婚が認められるようになり、嵯峨天皇の皇女源潔姫(臣籍降下)と藤原良房の結婚により、内親王が藤原氏の男性と結婚する道が出来ました。
日本におけるゴキブリの歴史ですが、縄文土器にクロゴキブリの卵が練り込まれているものが九州や山梨県で発見されている他、古墳時代の纏向遺跡からチャバネゴキブリの化石が見つかっています。かなり古くから身近な虫だったようですね、正直嫌になります。
検非違使が貴子さん引きづり下ろしてたけど、伊周はともかく貴子さんにあんなことするのあり得るんですかね?
長徳の変のとき斉信も同じ屋敷に住んでたイメージありましたもんね斉信は確か二男だった勘違いされた四の君たけこ樣は、後に道長の妾になったのでは?なんかそう考えると広いから問題ないよね
道長は、四の君に屋敷を与えて、そこを四の君五の君の里とした。斉信は、道長が通っているこの屋敷に出入りし、妹達の面倒見たらしい。(斉信らしいが)
編集がどんどん面白くなってる気がします!
今日の編集が特にツボでした😆♡
あ~楽しかったです😊1時間あーーーっという間でした❤次回も楽しみ❤❤
皆様の質問が凄く良いですね!
それそれ!私も気になってたーってのもあり、またきりゅうさんが丁寧に答えてくれるので知識が深まります。
とても勉強になります。😊
尼さんの頭巾のお答えありがとうございました。
疑問に思った事を凄く分かりやすく答えて頂き、子供もとても喜んでいます。
『分からない事が分かるって楽しいね。
同じ所、知りたい人がいっぱい居たんだね。自分達だけじゃ無いんだ。歴史楽しいんだね。もっと知りたくなっちゃった。』と言っていました。
こんな先生が社会の先生なら良いのになぁとも話してました。
授業が楽しくなるきっかけを頂き、ありがとうございます。
コメント取り上げてくださってありがとうございました😊
名前呼ばれてドキッ‼️としました。
うれしかったです😂
質問に回答していただきありがとうございました!倫子さまにも妹がいたのですね!しかも道綱が通っていたとはっ!(倫子さまの妹はお姉さんと違ってボンクラ好き(失礼!)だったのかしら…😅)屋敷が広くても正門は1つ…長徳の変の、あの事件の建物的?背景も理解できてまた少しドラマの解像度があがりました!
源雅信は、娘達を帝の妃にするためにそのように育てていたようで、娘達の婿を選り好みしている内に二人とも婚期を逃している。倫子の場合は穆子が半分暴走して決まっていたが、どうやら下の娘は、婚期が相当遅れていたらしい。
そのうち、道長が権力を持ってしまったので、道長と仲がよく、敵にならない道綱が婿になった様だ。
NHKにきりゅうさんの「光る君へ」副音声解説を入れるよう頼もう!笑
@@kodonkichisachi それ楽しすぎます☺️
当時は紙は貴重品で、紫式部は道長から紙を大量にもらって源氏物語を本格的に書きだした。しかしそれまでも源氏物語は書き始めていて、仲間内で回し読みしていたらしいです。その時の紙はどうしていたのかと前から不思議に思っていましたが、裏紙とか再生紙を使っていたのですね。
たねにあめつちの詞を教えていた紙も、裏紙でしたね。漢詩が書いてありました。書き損じた紙も大切にとっておいたのでしょう。
紫式部の場合、親類にも紙を提供してくれた場合もあるかな、と思います。
「あなたのお話面白い、もっと書いて」とあちこちから紙も提供する人がいたのでは、と思います。でなければ帝の目に留まる前に源氏物語が評判になるのは難しいかと、思います
こんなに面白くて楽しいお話なのに、寝落ちしそうなくーさんきりゅうさんのお話大好きです
平安時代にも再生紙があったんですね😃言葉が難しくって
字幕有難いです👍
昨日の大河も面白かったですね。為時が「藤原朝臣為時である」と名乗った時に、そっか五位だもんね!と思いました。こういうのも細かくて、楽しいです。
かしましチャンネル詳しくて嫌味でなくすごく見やすくて大好きです。
田舎の築90年のあばら家である我が家は、日々様々な来客があります。G様、軍曹様、家守様、先日は縞蛇様が畳の上においでになっておりました。きっと平安時代も似た感じでしょう。※なお家長たる猫様が大騒ぎするので全然雅ではありません。
ステキ💖
今回も楽しくてあっという間の一時間でした👍
色々な視点で見つめるのも面白いですね。
それにしても、きりゅうさんが伝染した!?視聴者さんのコメントは面白かったですw
きゃーーー!!!!読んで頂けたー!!!!!!かしましの皆さんと直にお話してるみたいな気分になって興奮が冷めやりません😂❤
郵便の話を質問させて頂きました
(読みは)「おおお、ぱお」です☺️💕サムネに郵便の文字が見えて「へ!?もしや!」と思い心臓が飛び出そうになりながら聞いていました😂
うわぁ、、、、、なんという誉れ😂✨何回も何回も聞いちゃいますありがとうございました🙏
ぽっぽないないは初耳で、最初は家事をしながら聞き流していたのですが、「???」と思い画面を見たらちゃんと字幕で解説されてて笑いましたー😂
これからも楽しみに拝見させて頂きます🙏❤拝
直秀が酒呑童子として蘇るってことはないか
お答えいただき、ありがとうございました❗たしかに、定子様とまひろちゃんの対面なら、御簾越しが当然だから、これは特別の御はからいなんですよ、ということなんですね。納得です❗これからも楽しい解説、楽しみにしてまーす😊
まひろさんの所になんで手紙が届いたかこれでよく判りました😊一件落着しました🤗🤗🤗
もちろん、忘れてますが、面白かったです
直秀は、根強い人気ですね😊 越前では周明出てきちゃいましたけど、遠い国つながりで、回顧シーンあると良いですです!
質問に回答して頂き、ありがとうございました!!
思わず興奮してしまいました✨
香料も輸入品だったのですね。調べて見たら、仏教との関わりも深いのですね。オシャレやステータスなのかな、と思っていたので意外でした。
歴史初心者ですが、かしましを見て少しずつレベルアップしていけたら嬉しいです。
他の視聴者さんも私がちょうど知りたかったと思うことを質問してくださっていて、感謝です😊
直秀の登場願う人がたくさんいて、嬉しいです。貴族とは違うワイルドな魅力が忘れられません。
ラットさん、カエル飼ってるんですね!
カエルに噛まれて血が出るって衝撃でした。今はガブっとされないとおっしゃっていましたが、カエルも懐くのかしら🐸
天皇の諡号について、以前く〜さんが”後きりゅう”と言っていたのを覚えています😊
紙屋紙という再生紙があったのですね😮紙背文書とか、新しい言葉をたくさん知ることができました、ちゃんとメモしました😊
ドラマでは美しい文字がたくさん見られて嬉しい🖌️
ピアスのカエルちゃん、今まで見たことない雰囲気でした🐸オタマジャクシも不思議…
きりゅうさんと同時視聴したらほんと楽しそうです~😄
それしてほしい! 生配信で!
鎌倉殿の最終回の時してましたよね?
ということは・・
平安時代も庶民は竪穴式住居に住んでいたんですよね。松本市の遺跡発掘で縄文から平安まで使われた村の住居跡を見学してびっくりしました。
「書き損じ紙」についてお答えくださってありがとうございました😊
書き損じた歴史的な書を見たことがなかったので疑問に思っていましたが、さすが歴史に造詣が深いきりゅうさん!実際に足を運んで得た知識がすごいです。
期待以上のお答えで、もうとっても勉強になりました!
「紙背文書」「反故裏書」「紙屋紙」「薄墨紙」などの存在が知れてとても良かったです。今度京都の紙屋川にも行ってみようと思います。
平安時代って書き損じた紙を使い倒して、尚且つ再生紙にしていたなんて、昔の方がよっぽどエコロジカルだったのですね。
歴史はエンターテイメント!だけではなくて、現代の我々がそこから学ぶことがとっても多いはず。これからも楽しみにしています。
私は博識なきりゅうさんに政治家になって日本を建て直してほしいくらいです!でもなりませんよね〜。
いつもありがとうございます
ラットさん今回もピアス素敵でした
今回も楽しくためになりました。ありがとうございました。
放送時間にLIVE配信があったら楽しいだろうなぁ。
きりゅうさんのアクションが気になってドラマの内容が入ってこないかも(笑)。
それもまた楽しいけど。
虫愛づる姫君というお話がありますよね。ちょっと変わっている…と思われていたようですが。
捕まえて観察する人は、少なかったでしょうねw
ナウシカのモデルですね
追って沙汰する!嬉しいです(*´▽`*)
昔、財産と家は娘、官位は息子と教わりましたが、でも息子も娘も、大抵は沢山居ますもんね💦道長は倫子様の所にちゃんと帰って、明子様の所にはたまにしか行かなかったようなのに、子供6人凄いです⤴️⤴️
清少納言は癖毛と言われていますが、毛量が少なくて、つけ毛を付けているので髪が畝って困るは、みたいな事もおっしゃっているので、どうだったのかなぁ~と妄想楽しい😃🎶
綿入れ、紫式部日記
(-ω- ?)でしたっけ、冬の寒い日の朝に綿入れを被って火鉢で暖まっているのにこんな時に訪ねて来てぇ~~🥶💢みたいなお話し有りましたよね、あっ!先生が以前の動画でお話して下さったんでした😆💦
直秀、再登場シーンの案、凄く面白いです(*≧∀≦)くーさんの「きりゅうさんの菌がうつってます、気を付けて下さい」(((*≧艸≦)ププッ🤣私ももう感染しちゃったぁ💦感染力は超強力です⚠️⚠️⚠️
ぽっぽないないするひとは、おてんてんぱぁーじゃ❌おてんてんぱぁも標準語では無いのかなぁ(-ω- ?)
ラットちゃんのデザフェスのInstagram拝見させて頂きました。凄く素敵でした(*^^*)✨✨✨❤️
タピちゃんピアス、可愛いぃ~!私もカエルさん大好きです🐸飼うのは中々大変ですね💦でも可愛いいです゚+(人・∀・*)+。♪😢
今回も大変勉強に成りました。とても楽しかったです✨チームていさんの編集、いつも面白いです最高です💯💮🎊有り難う御座いました゚+(人・∀・*)+。♪
質問取り上げていただいてありがとうございました!
きりゅうさん絶対1000年以上生きてる❤何でも知っててすごいです!!
ドラマが更に更に面白く見れます❤
お沙汰の回、いろいろ楽しかった!ありがとうございます。
殊に紙について、最近ちょっとした思い入れがあったので・・・
今回の大河を見ていて、俳優さんたちもご苦労なさったようですが、
筆で文字を書くシーンがよく出てくるでしょう?
サラサラとあんなふうに書けたら・・・とつい思ったのですね。
そこで、
今まで筆で文字を書いていて、一番書きよかった紙って何だと思われますか?
テッシュペーパーです!
書き損じしても構わない、と思うとほんとにのびのび書けますしね(笑)
今、百人一首を散らし書きをしています。
(もちろんこの後ちゃんとティッシュとしても使いますよ)
真っ白なままの紙を使い捨てるなんて、もったいないとすら思えてきたんです。
手紙のことも分かりましたし、やはりこれも貴族の特権ではあったのですね。
21回の、ご後評トークも楽しみにしています。
皆様の質問からの解説でより面白くドラマを見られます
感謝です
憑依のお話ですが、逆にきりゅうさんんのトコに飛んで行くって方法もあるかもぉ、ときりゅうさんの陰陽師の本を読んで方法を熟考したいと思います
こんにちは、階に薔薇の開く季節ですね。いつも興味深く拝聴しております。今回も下敷きにあると物語の表現の本質が見えてくる様なお話ばかりでした。ゆるし色、禁色のくだりで紫式部日記を改めて読みたくなったり、横道に逸れて三島由紀夫を本棚を漁った次第。また、斉信はミッチー?は差し込み画像も最高で笑いました。家柄も良く官位も職位も上ったけれども時代のトップにはなれなかった貴公子……、やはり彼に源氏物語の頭中将みを感じます。
次回の配信も楽しみにしております。
高畑充希定子ちゃんに染む初夏清少納言の「しき」、あつく語って下さいませ!
まひろの文字に道長が気がつきましたが、源氏物語を書いたまひろの文字に倫子が気がつくような気がします。
いつも楽しく拝見させていただいています。歴史に弱い私ですが、日本にもGは縄文時代からいたと聞いたことがあります。茶色じゃなくて、大きくて黒い方ですね。
ゴキとは御器(平安時代も使われてた塗り物の食器)のことで、Gは台所にいるので御器をカブる(関西弁のかじる)と思われて「御器かぶり」または姿が黒光りでその形も頭に御器を被っているように見えたから「御器かぶり」と名がついたようです。 私の母(90)はGのことを昔から「ごっかぶり!」と言ってました。近江の人です。
質問にお答え頂きありがとうございました🙇詮子様の出家の話はびっくり笑ってしまいました😊今回も楽しかったです。次回も楽しみにしています。ありがとうございました😊
道長が土御門邸に移った後、東三条邸がどうなったのか気になります
また女院様も土御門邸に一緒に住んでいるようですが、どういう成り行きなのでしょうか😮
東三条邸のすぐご近所に中関白家の御屋敷があったようです…
女院様としては土御門邸を里にしたい気持ちはわかります😊
東三条邸は女院様の持ち物だと思います。だから東三条院と名乗ったのだと思います。
石野真子さんが、この屋敷を提供した甲斐があったわね~、~と、倫子ちゃんとオホホホ😊とよろこびあってた(道長が出世したかなんかのとき)から、穆子さまというか、土御門側から、どうぞおいでくださいって言ったんだな~と思ってました。
石野真子さんの振る賽の目は、みんな当たりに出るのだなぁ🎉🎉🎉
我が家も子供の頃は蚊帳を吊ってました。重くてつるの大変だったな〜。網戸もなかったので、江戸時代に蚊が媒介する伝染病が流行るのも当然かもね。天井が庶民の家にやってきたのは昭和になってからとも聞きました。文化住宅になって初めて『天井が生活に表れた』というのが建築史の見解だそうですね。
こんにちわ!!道兼のの和歌!朝顔の明日の花のつゆ紹介してくれてありかとうこざいます😮きりゅうさんの髪黒くてストレートでステキですね!なにか手入れ去れるんです?
リアタイ配信をしてみたらどうでしょうか??どっちみたらいいかわからなくなりそうで、それも込みでた楽しめそう。
ミッチーの公達姿は容易に想像できました(笑)
『源氏物語』だったら桐壺帝を演じて欲しいな、と思いました。
役所の文書は正しくても黒塗りですね~…(´-ω-`)
頭の布のお話、政子に実衣が「そのしたどうなっているの?」と訊いた場面を思い出しました。
中宮様が御簾を下さなくて良いと言ったのは、本来ならこういう時は御簾を下ろすのが普通なのですよ、と視聴者に分かるようにしつつ、御簾を降ろしちゃうと少納言・まひろ・中宮の3人を引きで撮れないからかと思いました。
財産を1番美しい娘に授けるとはね!娘間で骨肉の争いなかったんですかね。
源氏物語で、光源氏が六条院を分配して多数の妾を住まわせた事は、土御門邸で分邸があったのを元にしているのかもしれませんね。
女の人が(特に貴族層)訴えるのは、「はしたない」とされ、横領された土地の返還を、道長に訴えた済時の次女は、土地は返還されたが、ばかにされた。
紙が高価で貴重なものだったから、処分されずに今まで残ったのでしょうね。和紙の品質も良かったからでしょうね。
いつかきりゅうさんがNHKに解説でご出演される日が来るのではと陰ながら楽しみにしています笑🩷
質問拾っていただけてうれしいです🙇♀️御簾について質問いたしました。
定子とききょうの深い信頼関係をあらわす演出としての御簾だったんですね。納得です😌定子のところに父や兄が「皇子を産め〜」と乗り込んできた時、とっさに御簾を下ろすよう周囲に目配せしたのはききょうでした。そちらの場面では逆に、御簾を下げることで実家の醜態とそれに翻弄され傷つく定子を衆目から庇いたかったのかな、と先生のお話を聞いて思いました。
直近の放送回では、ききょうが書いたものを定子の枕元に運び続け、起き上がれるようになった定子がそれを口誦するという枕草子誕生の場面がありましたが、「たったひとりの悲しき中宮のために」というナレーションも相まって、ふたりのあいだには単なる中宮と女房という関係を超えた尊い絆があるように見えました😌
ご回答ありがとうございます
一人だけ「こんな名前がいい。」と言った天皇が いたそうですが誰なんだろう?
ユーリくん かわいいよね。うちには保護猫が9ニャンズおります
自分で名前を決めたたった一人の天皇は後醍醐天皇ですよね。宇多天皇の次が醍醐天皇だったので後宇多天皇の後だから自分は後醍醐にしたと聞いたことがあります。
醍醐天皇に憧れていた、と聞いたこともあります。
醍醐天皇は摂関政治が始まって以降に唯一、摂関を置かずに親政をされた天皇ですから、それを理想にされたと思います。
記憶が確かなら、在任中から名乗っていたような?
すいません。嵯峨天皇ではなく宇多天皇の間違いでした(編集で直しました)。それと先代ではなく自分が後宇多天皇の正統な後継者をしめす為に名乗ったと聞きました。
平安時代といえば、薫物を思い浮かべます。
この動画でも少しお話しあったように、お風呂もなく、髪も月に数回洗うだけということで、正直臭かったんじゃないかなと思ってます(笑)
なので薫物が発達して焚きまくってたのだと思うのですが、薫物に橘の薫りのするものもあったのでしょうか?
五月まつ 花橘の 香をかけば 昔の人の 袖の香ぞする
という歌だと花橘の香りのお香もあったのかなと思いつつ。。
最近の「お沙汰」する物件増加率の凄いことときたらビックリ❗ドンドン長尺になりますね。そしてあらゆる質問にほぼ完璧にそらでお答えになるきりゅうサンに脱帽です😅(残された歌が少ない道兼の歌がすらすらと出るなど~)試しに突っ込んでみよう❗と考えても~とても無理無理💦それでも絞り出して感想&質問らしきものとか~
●「こんな諡号を希望するぞ!」の天皇とは後醍醐天皇のことでしょうか❓
●日本列島にも~環境に適応したゴキ様は古くから(渡来人云々よりずっと前から)生息していたと思います😅熱帯性のゴキ様は日本の冬季を越せないそうですが~低温時に堪えうるゴキ様が・・・調べたら「ヤマトゴキ〇〇」ですって~
●女人の出家の件~在家出家はお手軽出家というか、詮子さんの場合⇒世俗的権力への立ち位置も残した「良いとこ取り」の出家のようですね😅仏道修行のランク別の違いとも云えるのかな・・・
●当時の「通い婚」スタイル~貴族の場合はまぁ、理解できるのですが、庶民の場合は(庶民もそうだと仰いましたが)どうしてもイメージが湧きにくいです💦史料が少ないでしょうが、また機会がありましたら追加解説をお願い致します。
●21回放送では、百舌彦の衣装が(たしか定子さま二条邸の火災勃発報告時だったかな❓)ランクアップして立派になっていた気がしました😃
乱雑にスミマセン💦💦お沙汰有難うございました。
乙丸、いい服になってましたね💖
生き霊のきりゅうさん。
六条御息所とのコラ画像を想像して笑いましたw
『ぽっぽないない』久しぶりに聞きました。
天皇の名前の話なんですが、一条帝は一条院って建物があったから理解できるんです。でも花山や円融なんかは資料集にもそれらしき建物は載ってなくて、ネットで調べてもヒットせず…これってお寺か何かの名前が由来なんですかねえ。
武士が鎌倉時代に正装で絹の水干を着るようになるとは知りませんでした。そうなるとますます素材だけで水干と狩衣を見分けるのはできないですね。
現代のファッションほそれほど興味がないですが、歴史上のファッションは貴族も庶民も興味深いです。
うわ!私のコメント読んで貰えてた!うわ!うわ!うわー🤩😆🥰❤!それなのに反応が遅くて残念&ごめんなさい。
今週、私は方違え…ではなく引っ越しをし暫くYou Tubeを見られず。今晩ようやく「かしまし」を観、「えっ!うわ!うわ!うわー!!!」と狂喜乱舞致しました。
きりゅうさんは勿論、ラットさん、く〜さんも、私のコメントに応えて下さってありがとう❤❤❤大大大感謝です!
定子の里内の二条宮は誰が建てたのですか?
東京生まれの東京育ちですが、ぽっぽないないは言ってたけどなあ
ゴキブリのはなし!枕草子に出てきます😊たしか「ごきかぶり」って言ってたような…
器の上をかさかさ🪳ってするのが嫌だと言ってた気がします😂
きりゅうさん・ラットさん・ク~さん、お疲れ様です😌💓
きりゅう姉さんが憑依…スッゴク面白そうですが、一つ難点がありますねぇ😅
それは、意識もきりゅう姉さんに持っていかれてるので、自分の意識はなく、当然、憑依されてる間の記憶も無くなると思いますので、意識を保っての体感は難しいですね😅
道兼、和歌が得意とのことでしたのに、作品が残って無いっていうのは、映画アマデウスの宮廷音楽家サリエリさんの様に、悪魔の契約でもしたんですかね?😅
紙…昔も失敗した紙は、メモ用紙の様に、再利用してたんですね😅
姉さん、今は電子メモとかがあるから…みたいなこと言ってますが、田中芳樹も銀英伝の中でヤン=ウェンリーに言わせてますが、「人類は、他人に物事を伝える手段として、紙以上の物を作ることが出来なかった…」と言っています😅
実際、SNS等電子書籍などで他人に物事を伝えている昨今ですが、自分の様なアナログ人間は、やはり紙の方が良いわけで😅
まだまだ紙以上の伝達手段は確立されていないんですね😅
アマガエルとヌマガエルとイエアメガエル、総勢9匹飼育してます〜♪😆
カエル、カワイイですよねぇ~♪😆
うわー…
カエルとヘビは無理です~
田舎育ちなので見かけることはちょくちょくあったけど(轢死体も)、すごく小さなカエル(一般的なアマガエルの1/10くらいのもの)でも無理です
亀も無理
だけど、ゴキブリは平気です笑
流石に素手で触ることはないけど、カブトムシの汚いバージョンくらいの認識😅
@user-fs1qf7yw3p さま
ゴキはうちでは、猫が担当です。
ひっくり返しておいてくれるのです。
わたしはそれをポリ袋でつまんで・・・
唯一の共同作業。
後は私がひたす猫に奉仕
私も直秀再登場希望の1人です(笑)
海の近くに逃げる…と言っていた直秀。まひろが越前で見かけた宋人の中に直秀に似た人がいて…(別人で…)とかあるのかな?とか思ってたりします(笑)海辺で直秀懐古は是非とも…と思ってます。
関東ですがポッケないない は言います😄
ぽっぽないない、、、ポッポってポッケ、ポケットの意味で比較的新しい言葉かと思ってました。
懐(ふところ、ほところ)から訛った幼児語だったんですね。知りませんでした。
子供にお小遣いを上げた時などに「ちゃんとしまっておきなさい」=「ぽっぽないないしておきなさい」だそうで、、、
吉本語かとばかり思ってました😅
蚊帳は奈良時代からあった様ですよ。
らっとちゃん宅のカエルさん、観たい!
ぽっぽないない、東京でも関東でも使いますよ。むしろ江戸言葉と思ってました。
江戸時代に紫衣事件がありましたね🤔
私は寺院拝観が好きです。ずっと不思議に思ってるのが寺院の襖絵が全部って言って良いほど中国の風景や仙人らしき絵であることです。襖絵に富士山とか観たことありません。
今回光る君へを観てて、漢詩が人物評価に影響してるのを感じ、
平安時代だけでなく鎌倉室町時代でも中国文化を尊重していたのかな?と思ったのですが、どうなんでしょうか?
平安時代は、わからない事ばかりですが、この御沙汰を聞いて勉強になります
🖐️質問があります
為時とまひろと乙丸は琵琶湖を越え山を越え越前へ行きますが、
道中どこで寝泊まりしていたのでしょうか?
食料はなんとか調達できたとしても山中に寝る場所などないと思います
ゴザのような物を敷いて野宿していたのでしょうか?
動物や山賊に襲われるような危険はなかったのでしょうか?
当時は、寺に泊まる事が多かったようです。国司となれば、その地域の有力者の家に泊まる事もあったようです。
@@ユミコ-i9c
返信ありがとうございます😃
なるほど!です
お寺は山にもありますね
さすがに野宿は危険ですよね😅💦
勉強になりました
斉信邸ぐらいなら牛車のまま正門を入っていけそうですが、ドラマでは花山法皇は外で牛車を降りて出入りしてたので弓で射かけられてましたね。牛車が大きすぎて門を入れなかったのか?
正門は、大事な客・大事な婿が通る場所で、花山院は招かれざる客だったのだと思う。
虫愛づる姫君の話もあるし、平安貴族でもほとんどの人が虫は気味悪いと思ってたんだろうな
倫子ちゃんがかなりのお金持ちだということですが、お屋敷の中に全ての金品が保管されている感じなのでしょうか?かなりの広さで多くの家来がいたら、物がなくなっても気付かないじゃないですか?と思いました。経理を担う家来もいたのでしょうか?銀行などがあったのでしょうか?
それ!私も思いました!
財産管理は、家司の仕事。
源氏物語の六条院の御倉町(明石の上が住んでいる所にある)みたいのがあった可能性が高い。
枕の草紙に「ノミがにくたらしい」という記述がありました。着物の裾の下でピョンピョン跳ねるって… 中宮様にもノミがたかっていたの?と ちょっと興ざめした記憶があります。😁
直秀さんの再登場は、切望しております😣
今回も楽しく拝見させていただきました❗️
ラットさん家のかえるちゃん、たぴちゃんっていうのですね😁うちのウサギの名前もたぴちゃん(たぴおか)です‼️同じで嬉しい🎵😍🎵
これからも、応援しています❗️
「ぽっぽないない」って。。大阪生まれですが知りませんでした😅
親が大阪生まれじゃないから?😂
調べたら。。ねこばばっていうか、ポケットに入れるみたいな意味らしいですが。。。地域で違うのかな。。
ぽっぽないない が全国区ではないと、、、、、?!?!?!
光る君へファン同志の方々の書き込み、寝食を忘れて読み漁りました。
ましてや、かしましのこちらではもはや
もう、思いつく限り…いえ、思いもしないことも、こんなに沢山お話お勉強させていただき、もう思い残す事が…思いつきません。
しかし、たった一つだけ、疑問に感じた事を思い出しました!倫子さま、女院さんに呪詛がバレてますよ〜の怖い発言の時に、道長様の父上も仮病がお得意だったとか、と言いましたよね⁈なんで知ってるの〜?あれ、みんなが知ってる計略でしたっけ?もう、公卿の中では、周知の事だったのかしらん?いや、倫子さんの、これも「見破り」と言う事!?道長さんのギョッとは、二重ガクブルだったのでしょうかぁ〜?
兼家の仮病(最初はほんとの病気だったんだけど)を倫子さまが知っているのは、道長がうっかり寝物語でしゃべってしまったに違いない!と思いながら観てました。
倫子さまの発言に驚いたような表情をしてたのは「しまった!俺、しゃべっちゃった!」という驚きかと😅
@@user-さわ さま
あの一言は倫子ちゃんのキャラとしては、ちょっと余計だったような気もしますが、
やはりわが家に泊めおく女院様に対したての牽制球かなとも、
いよいよっ女性主導世界への入り口のような・・・
見直してすごく思ったんですけど、私、公的機関に勤めていますが昨今では情報漏洩や個人情報保護の観点から裏紙を使ってはいけない感があってもったいないなぁといつも思っています。紙は再生紙使ってますけど。平安時代は情報漏洩とかあったのかわかりませんが、リサイクル!素晴らしいですね〜。まだまだ公的機関(ウチは地方だからか)紙社会、たくさん使います〜😂 きりゅうさん、日曜の夜はいい運動になりますね!でも、光る君へ でそんなサッカー観戦みたいな場面どこなんだろ😮と思っちゃいました😊
ラットさん博物フェスに行くともっと凄いのいっぱいありますよ!
きりゅうさんの生き霊に憑いてもらいたい方、思ったのですがきりゅうさんの生き霊に憑かれるより、ご自身が生き霊になってきりゅうさんに憑いたほうが、ドラマ視聴中のきりゅうさんの行動や発言も至近距離で観られる上に頭の中も覗けるのではないでしょうか😊
ところでゴキブリは2億年前に生まれているだけに、日本にも昔からいたそうですよ。
今の主流なのは外来種かもしれませんが。
平安時代には阿久多牟之とか都乃牟之と呼ばれていたとか。
古代のゴキブリはかなり大きかったとか。
ヘビやカエルは本物や写真はもちろん、絵やおもちゃでも直視できないけど(だから今回のラットさんのコーナーは聞くことも無理でした)、ゴキブリはまったく平気なので、どんなものだったのか興味があります。
まひろと、清少納言が、一般庶民の格好をして、定子の家に忍び込こんだ場面が面白かったなぁ、ほんまに笑笑しょうもな❤
和泉式部の夫の藤原保昌になって毎熊さんがでてくれたらまた面白いかも。保輔という弟が盗賊してましたって。
ぽっぽないない!?で思ったんですが平安時代は喋り方が違うってことは訛りみたいなのもあったってことですかね?国司も伝わらない言葉とかもあったのかなと想像しちゃいました!ぽっぽないないは初めて聞きました!
ua-cam.com/video/NVnVe2eKARg/v-deo.html
平安時代の言葉についてはこちらをご参考に
@@kashimashi_rekishi_ch ありがとうございます!動画見ます! 見てたのに忘れてました恥ずかしいです
双子の貴族や庶民の記録はあったりしますか?昔は一緒に育てずにどちらかを里子に出すものでしょうか?
昔に双子を産むのはより大変だったでしょうね。
@@コロ助-i8fさま
昔は双子は畜生と忌み嫌われて(特に男女の双子)、こっそり片方を始末したりお寺に預けたりしたといわれてますよね。
三笠宮殿下も双子だったという噂があるとかないとか…
@@user-さわ 忌み嫌われていたなんて悲しいことですね。お母さんにとったら頑張って産んだ可愛い子供なのに。
コメント見つけて下さりありがとうございました。
今回も御沙汰を賜り恐悦至極に存じます。
直秀、ふとした時にまひろ道長が思い出す場面が有ってくれたら良いのにと思います。
百舌彦の服、従者にも着飾らせて権勢を誇示したりしないのかな、と思っていましたがそれはもう少し上級の使用人の役割だったんですね。逆に言えばそんな下位使用人の百舌彦が今もそばにいるのが何だかほっこりします。
道長、まひろ、廃屋敷の位置関係はどうなっているのかな?
直秀は、宋の70人に入っていたりして。
廃屋敷は最初の方の回で、高辻 富小路と言っていたと思うので、まひろ一人で夜に出かけるには遠すぎる場所ですね。
今回も面白かったです。私の聞きたかった事を他の方が質問してたから回答出て良かった。話は変わりますがゴキブリは平安時代、「阿久多牟之」(あくたむし)、「都乃牟之」(つのむし)とか呼ばれてて食用にもなってたとどこかで見かけました。それ思い出して😱
食用!?
@@kashimashi_rekishi_ch 古代日本人が食用してたか定かで無いから書くべきじゃなかったですね😒でもどっかで読んだ気がしたんだけど。中国では食用に別途育てて(その辺で見る🪳じゃなくて)漢方にすると言うのは間違いないようです。
古代官道は平安時代にも有ったのでしょうか?駅鈴も続いてたのですか?
聞いた話では、官道も洛中の大通りも、時代とともにどんどん住まいや畑に浸食されたとか
ドラマの時代はどうだったんでしょうね?
テレビで食品サンプルのイヤリングを扱ってるお店やってました。道具屋筋だった様な
お聞きしたい事が2つあります。
いつも思うのですが まひろの弾く琵琶の音 あれはあれで良いのでしょうか!? 本当の演奏を聞いた事がないのでわからないのですが 初めて聞いた時は 冗談かと思いました😂そして もう一つ 色んな資料等を書き写していますが あれは書き間違った時は どうするのでしょうか!? 塗りつぶすのか 最初から書き直すのか、、
教えて下さい🙏
えー「ぽっぽないない」って標準語やないんやー(笑)
そういや子供のころ母親の実家に里帰りしたら新聞紙を切って便所の落とし紙にしてあったことを思い出しました(歳がばれる)
服の色のことで気になったんですが、今週冒頭でいつもは白い服の一条天皇が珍しく黒い服を着ていらっしゃったんですが、あれは何か意味があるんでしょうか?
またどこかで解説していただけるとありがたいです
夏用と冬用ですw
返信ありがとうございます
ということは冬場は黒で暖かくなったら白なんですね、やっぱり(笑)
スッキリしました
@@ずばっちあれは黒ではないと思います。
よーく見ると紺色とか青紫色の濃い色です。
もう少しわかり易い色にしてほしかったです
@@花見小路気楽介 さん、返信ありがとうございます
言われて録画を見返したら確かに青みがかった色ですね
ただ、聞きたかったのはずっと白いお召し物だったのに急に違う色になったのがどうしてなのか?ということだったんです
確か「香炉峰の雪」の時も白だったように記憶しますが…その日の気分?
質問に答えていただきありがとうございました😊
2回目です〜🎉嬉しすぎです👏
かしましチャンネルさんを超〜超〜超〜リスペクトさせていただいているので、くーさんのコメントも嬉しいです😂
きりゅうさんの妄想菌が感染ってるなんて❣️
是非是非、今度はなんとか生霊もお願いします😂😂😂
いつも、楽しい解説&妄想をありがとうございます。毎回欠かさずみていますm(_ _)m
18話で伊周が息子も娘もいると言ってましたが、彼らはその後どうなりましたか?。わかりましたら教えてください
平安時代の競馬ってどんなのでしょう🏇
最近このチャンネルのことを知り、はまっております。女性の名前に「女王」のつく人がいますね。「明子女王」とか「婉子女王」とか。この「女王」について解説していただけませんか。
現在もいらっしゃいますね、彬子女王、承子女王…😌
内親王宣下されていない皇族の女性は、帝の御子であっても「女王」です。斎宮・斎院になって始めて、内親王になった帝の御子もいます。
女王は、多くの場合、帝の孫娘(さらに後の代も)や皇子(この場合は「親王」を名乗ってらした方)の娘にあたる方が名乗っておられました。父や本人が姓をもらわない限りはずっと代々女王と名乗れると理解していますが実際はどうなのでしょう。
皇女であっても内親王宣下がなければ「女王」と名乗りますし
逆に室町時代以降「世襲親王家」というのができて、現在の秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家…のように
代々当主の皇族男性が家を継がれている宮家の場合は、天皇との血筋の近さによっては、内親王と名乗れるようになります。
奈良時代、平安初期までは、六世王つまり六代目までは、皇族でした。その代わり、女性の皇族は、結婚相手が限られ、皇族と結婚するか、宮中に女官として勤めるしか選択肢が有りませんでした。平安初期に二世王以下の女性と藤原氏の男性との結婚が認められるようになり、嵯峨天皇の皇女源潔姫(臣籍降下)と藤原良房の結婚により、内親王が藤原氏の男性と結婚する道が出来ました。
日本におけるゴキブリの歴史ですが、
縄文土器にクロゴキブリの卵が練り込まれているものが九州や山梨県で発見されている他、古墳時代の纏向遺跡からチャバネゴキブリの化石が見つかっています。
かなり古くから身近な虫だったようですね、正直嫌になります。
検非違使が貴子さん引きづり下ろしてたけど、伊周はともかく貴子さんにあんなことするのあり得るんですかね?
長徳の変のとき
斉信も同じ屋敷に住んでたイメージありましたもんね
斉信は確か二男だった勘違いされた四の君たけこ樣は、後に道長の妾になったのでは?
なんかそう考えると広いから問題ないよね
道長は、四の君に屋敷を与えて、そこを四の君五の君の里とした。斉信は、道長が通っているこの屋敷に出入りし、妹達の面倒見たらしい。(斉信らしいが)