Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
宇垣は一人で自決すべきだった。若い者はまだまだ先があり、ボロボロになった日本の復興の為にも生きるべきだった。中津留大尉の逸話を知っているだけに余計に辛い。
吉村さんの文にあるあの話ですか?
大西のように切腹にて責任をとればいいものを、宇垣は敗戦後の日本にとって大切な若者を道連れにした
人間のクズですわな。
宇垣は許せん。自分が親なら怨み続ける!ただ唯一弁護するとしたら、「俺も後から行く!」と言っておきながら、戦後ものうのうと生き続けた輩が多い中、約束通り死んだことくらいから
祖父が津久見の人で、中津留大尉の親父さんが何故自分の息子を連れて行ったのか、悔やんでいたという話をしてくれたのを思い出しました。祖父は戦時中大分で勤務しており、この特攻の日の夕方には噂で軍の偉い人間が特攻したと聞いたと話してました。
ありがとうございます!
6:08 ラジオを用意しなかったというのは、搭乗員に玉音放送を聞かせると、もはや特攻が成り立たなくなることが自明であったため、わざと用意しなかったのだろう。戦争終結後に、正しい情報に基づく個々の判断をさせなかった宇垣の罪は重い。
一言、身勝手な特攻する宇垣纏、一緒に飛んだ中津留達夫大尉の様に妻子ある人も連れて行くなんて、余程大西瀧治郎さんのようにいさぎよく切れ味の悪い軍刀で割腹して丸一日苦しんだ人もいるのに、遺族に恨まれても仕方ない男、中津留大尉のお父様は酷く宇垣纒恨まれましたよ 。海軍最初の特攻された関行男大尉(昭和十九年十月二十五日レイテ沖の艦船に)と海軍最後の特攻の中津留大尉は海軍兵学校同級生です。
奥さん子供いたの?知らなかったです。ますます宇垣がクズに見えてたまりません。
同級生とはいいません。軍隊用語では同期であります。
@@八紘一宇-b7s 様へ教えて頂き有り難うございます。海軍兵学校70期で確認すると中津留大尉の名前は記載されていません、ウィキペディアで調べましたが、関行男中佐と343航空隊の菅野直中佐のお名前はありましたが。
敗戦が決まった後、結果的に若者を道連れにして死んだ宇垣に対しては、私兵特攻などという批判が早くからあった。最後の連合艦隊司令長官、小沢治三郎は死ぬなら一人で死ねと切って捨てた!栗原俊雄著、特攻、戦争と日本人、より
@@八紘一宇-b7s 様へ神風特別攻撃隊の敷島隊への命令された大西瀧治郎さんも玉音放送後に割腹自決され丸一日苦しみ絶命されましたから、余計に宇垣纏さんの最後はなんで一人でなく部下巻き込んたのかなと思います。大西瀧治郎さんの奥様(お子さんおられない)の面倒は坂井三郎さんが創業した会社の役員にして面倒見られましたよ。
ひとりで行け、
中津留大尉はいくら終戦後と言え上官の命令のは逆らえなかった。宇垣と言う名前を見るたびに怒りが湧きます。
少ないながらも生還者がおられたことを初めて知りました。ありがとうございました。
宇垣氏は人命をなんだと思っているのでしょう。玉音放送後の特攻は、敵味方関係の無い殺人行為です。
宇垣は開戦の数年前、最愛の夫人を亡くした。二人のツーショット写真を見たことがある。宇垣が軍装を身に着け軍刀をもって椅子に座っている。顔は満面の笑み、にやけ切っている。そのかたわらに和装の夫人が立っている。柳腰の美人だ。開戦の日の日誌に宇垣は「みんな死ね死ね俺も死ぬ」と書いた。宇垣は本当に死ぬ気だった。それは海軍軍人としてではなく、夫人の後を追うためであった。ブーゲンビル島で死に損ない、結局終戦になってしまった。出撃直前の宇垣は笑っている、やっと亡き妻のところに逝ける喜びに満ちている顔だ。それに付き合わされた若い隊員こそいい迷惑だった。
嫌な上司だね、、、、公然と命令に背いても良かったな。
本当に1人で自決すべきだった。前途ある若者を道ずれにするなど最低。
老害そのもの。大西さんを見習って欲しかった。
宇垣らが出撃する際は、整備員から発せられた宇垣を非難する怒号で滑走路脇が満たされ、異様な雰囲気となっていました。彗星は、25番または50番を運用可能ではありましたが、50番は過荷重装備でした。さらに大きい80番(800kg爆弾)を無理に積めば、通常の操縦さえ困難であったでしょう。爆弾倉内に爆弾を収めることで、空気抵抗を減らしたのが、彗星の特徴のひとつですが、80番ではははみだして爆弾倉扉は開けたままです。
中津留機が伊江島の浜に不時着したのは、私は宇垣の指示を無視した中津留さん独自の判断と想像する。終戦決定後の特攻がその後に及ぼす大きな影響を考慮した判断と。
そうです。いい歳をこいた将官より、青年士官の方が的確な判断をしていますよね。
宇垣さんは1人で自決すべきだったと思います。無駄な犠牲者を出した責任は重い。山本五十六大将から何を学んだのだろうか?と思います。
山本五十六からねえ・・・その五十六さんが終戦時何処にいたか知ったら、そんなこと言ってられないと思います。
宇垣は山本から贈られた単刀を持って飛び立ったが、現在では山本の卑怯、臆病、無能、無責任、不真面目が、すべての悲劇の元だったことが判っている。
そもそも山本と宇垣は仲が悪い
@@ちゃんさけ-r1s そうですね。私個人は宇垣さんは山本さんの心底に測りがたい思惑を感じていたのではないかと思います。国家の枠組みを超えて活動した超スパイのアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ氏が語った山本像には公式の山本像とは著しく異なる、切ない思惑を感じました。
@@tevalleyluckman8746 そもそも山本が胡散臭過ぎる話だからな
貴重な人財を無駄にしやがって。。。
戦争が終われば「特別攻撃」ではなく死に場所を彷徨う七面鳥
戦争がいかに悲惨なことか伝えることはとても大切です。突っ込め!と命じる指揮官もいるし俺一人で行く指揮官もいるでしょう。どちらも辛い話しですね。
自決するのはそれまでのことを考えたらある意味一つの考えだったと思いますが、部下を巻き添えにしたのは絶対的におかしいですよね。同行を申し出られても残るように命令しなければならないと思います。
仰る通りだと思います。同行の命令は勿論、若い隊員に”生きろ”と諭すのが老兵の役割だったのではないでしょうか。
この世の中に生きていた方の運命とは言え😢自分には真似の出来ない…。正直冷静ではいられません。どうか第三次世界大戦はあってはならないです。心よりご冥福お祈りさせて頂きます。そしてありがとうございます。
最大の敵は「無能な上層部」いつの時代も変わんねぇなぁ
「被弾後に途中の島の砂浜に突っ込みバラバラになった機体の残骸の写真」を、見たことありますよ。本人はコクピットの中に居たままの状態で死亡しましたが、コクピットの胴体部分が丸ごと横になったまま砂浜に突っ込んだ後も何回かもんどりうったらしく頭蓋骨陥没だか破損状態だったらしい。米軍が被弾墜落後直ぐに調査に行き多数撮影した内の「一枚」と思われます。 ドアップの白黒写真、見たことありませんか?
落ちた場所の写真は、見た事あります
正式な「即時の戦闘停止」が命令された のは16日午後4時です。大陸命第1382号は大日本帝国陸軍に対して、海軍に出された大海令48号もほぼ同内容です。
1人で黙って空の彼方へ消えていけばよかったのに、情けない。
同じトップでも伊藤整一中将とはものの考え違いますね。伊藤長官は沖縄出撃前に将来ある身と、乗艦間もない若い少尉達を退艦させました。陸の阿南、海の大西共に立派な責任の取り方だったのではないでしょうか.....
城山三郎の著書、指揮官達の特攻でこの話を知った.中津留大尉の無念さが伝わった。勅命に反して部下を道連れに無駄死にさせた宇垣纏は戦後しばらくは靖国神社に合祀されなかったという.元愛国青年だった城山三郎はこの行動に批判的だった。
若い!有望な人材を!何故?一機で良い!と言わなかったのか!結局沖縄の海岸に墜落したようですが?定かでない!一人で腹を切れ!道連れの隊員のご冥福をお祈りします!敬礼!
存じ上げませんでした。
戦争は終わってるのに自分のプライドのために若者を道連れにするなんて...こんな国家観のない人が軍を指揮していたら,やはり結果は見えていたね。勉強だけが得意なエリートがトップだと,国民が不幸になる例。
宇垣と言う人は、自分で飛行機を操縦できなかったのですか?
何も、自決だけが責任の取り方ではない生きて部下のために供養するこも責任の取り方
自決よりも、辛く苦しい責任の取り方かもしれませんね。
城山三郎の「指揮官たちの特攻」が参考になります。宇垣は戦藻録を残すなど評価されているが、これはいけない。 中津留大尉は意図的に岩礁に突っ込んだのでしょう。宇垣は1人で自刃すべきでした。戦後 新しい日本を創る有為な若者を10何人も死なせたのは言語道断。これが定説だと思う。
一応日本軍への停戦命令が出されたのは翌16日だそうだが、終戦の放送がされたのに未だ戦争は継続中との主張には無理がある感じがするな。
私は宇垣の部下を道連れにした無理心中は(批判が有るのは承知で敢えてそう言います)認めません。その理由は2つ、1つ目は戦争が終わったにも関わらず、部下を道連れにしたこと、2つ目はポツダム宣言を受諾する、つまり、終戦に向けての交渉を始めようとする時に敵対行動を取るのは命令違反でしょう。軍人は良くも悪くも命令は絶対です。それを無視して私情で部下を道連れにしたことは許せませんし、この暴挙によって米艦に何の損害を与えなかったのは何よりでしたが、もし、万が一何らかの損害を与えてしまったら、その結果、どういう事態になったか想像できなかったのでしょうかね?いやしくも連合艦隊の参謀長を務めた事があるなら、それくらいのことは十分、想像出来たはずですよ。かっては「カミソリ宇垣」とまで言われた男が此処まで錯乱してしまうとはねぇ?!
酷さの規模はインパールの牟田口廉也の方が甚だしいが、無意味に部下の命を捨てさせる無神経さ、鈍感さは共通する。
1人で行け。
私戦(?_?) 規模が大きいから作戦に見えるけど…
馬鹿な上司めんどくさい。企業も同じ馬鹿な上司馬鹿な先生では部下生徒は育たない。
今の時代、その視点から言えば 一人で逝け!ですよね。でもこれは、自決する場を求めた上官と、散るなら仲間はと共にと願う隊員たちの気持ちであって、宇垣が付いてこいと強要したわけでは無いと…。それぞれがそれぞれに死に場所を求めただけの話。一方大西中将については皆さん美談に思われているようだが私は責任を取っての詰め腹ではなくて、特攻という自案が国策にまでなって酔いしれた男が、終戦間際にまだ特攻にこだわり受け入れられず。夢破れて…の割腹だったという認識です
小沢治三郎は 命令違反だと断言した
海軍の最期は情けない事ばかり。宇垣は若手を道連れ、豊田は降伏調印式への出席を拒み富岡が出席する始末。極めつけは、最後の帝国議会で米内の答弁拒否。宇垣は出撃時山本から貰った短刀を持参したと言われるが、山本が喜ぶはずがない。
いつの時代も上に立つ者が愚かだと下の者がヒドイことになる。
同感。3人の会社でもひどいことになりますよ。
宣戦布告なく奇襲した日本が降伏後に攻撃して米兵に犠牲があったなら報復を受けていたかもな
終戦直前の宮城事件では、東部軍の田中司令官や阿南陸軍大臣が命をかけて陸軍将校の暴走を抑えた。海軍には、宇垣司令官を命をかけても止める人は居なかったのでしょうか?特攻で亡くなった方を結果として蔑めることになってしまった。
そもそも、停戦命令出てるのにおかしいよね。
宮城の反乱を鎮圧したのは東部軍司令官です。陸相は既に自決の準備のため陸相公邸におり、部下から宮城事件を聞いたものの、それも含めてハラを切ると言っただけですよ。
ハラを切ると言っただけという表現には、余り賛同は出来ませんね
@@チェルシーお父さん-s8q 昭和の軍人どもなんてこんなのばっかりですよ。今の自衛隊の高官もこんな程度だと思います。
@@kahoru726さま玉音放送はされたが、停戦命令は届いておらず、宇垣はそれが届く前に、と急いだ。
ポツダム宣言受諾が決定しているのに、もし攻撃が成功していれば、交渉において日本側が窮地に陥っていた、という外交上の常識さえ分からない者が、艦隊司令長官の要職に就いていたことになります。今聞ける玉音放送は、新しい技術でノイズを低減したから聞けるものの、当時は何を言っているのか判別さえ難しい音質でした。役人がわざわざ難解な文体で起案したため、仮に聞けても、戦中派でも理解できる人はほぼいなかったでしょう。軍民とも、あらかじめ重要な放送があると聞かされ、皆で聞いたが訳が分からず、人伝に内容を教えられて、ようやく意味を理解しました。
宇垣は靖国に祀られてるの?
当初は「戦タヒ」と認められず、大将への特進もなく、靖国へも祀られなかったが、その後「殉難」と認められて祀られている。
玉音放送後に特攻された事は聞いておりましたが……今風に言うなら「パワハラ」ですね
それだけ死に場所を求めた人が居たという事。敗戦を諾々と受け入れ安易に区切を付けて次の時代に歩き始めた人にとっては愚者の愚かな選択に思えるだろう。
アホか。宇垣が1人で行けばそれは誰も否定はしないだろうが
余りにも一方的な意見の印象を拭いきれません。宇垣中将は一人で行こうと思っても周りがそれを許さなかったと思います。皆さん望んで逝かれたとしか思えない。武装解除命令は出ていたのだから。階級章も外していたことからも、理解すべきです。中将の命令に従う義務は無かったのです。でもついていったのです。それで彼らの気持ちが分からない人は、左翼思想に洗脳されてると思った方が良いでしょうね。😢
宇垣中将はポツダム宣言受諾と8月15日正午の重要なラジオ放送を知り”積極的攻撃中止命令”が発令されているにもかかわらず、3機又は5機に出撃を命じています。宇垣特攻に同行を望んだ8機又は6機の搭乗員は、玉音放送を聞いていません、終戦を知りません。宇垣中将もしくは幕僚が”ラジオを用意していなかった”ことは、不時着生還者の証言にあります。私はこれを姑息だと感じています。同行を望んだ若者の純粋な気持ちを裏切っているとも思っています。終戦直前の”積極的攻撃中止命令の発令後”に、少なくとも3機に特攻を命じたこと”終戦を知らせないようにラジオを聞かせなかった”ことは基地司令の行動として如何なものでしょうか。という思いで作った動画であります
宇垣の日記や言動を見ると、ナルシスト性向が顕著。「日記」は貴重な資料ではあるが、後年読まれることを意識した記述に終始していて、文学青年としての才能は披露している。それゆえ、軍隊の指揮官にはおよそ向かないタイプだったことを証明してしまってもいるのだが。ライトノベル作家としてなら大成したと想像出来るので、その点では残念。
結局のところ黄金仮面なんてあだ名された宇垣纏はその程度の人間であった。
今の時代の感覚で宇垣の行動や昔の人の事を考えても理解なんてできないでしょう宇垣と一緒に特攻に行った人の立場はよくは知りませんが特攻に行く若者を毎日見送るのはもう思考能力など無い状態だったんじゃないかな宇垣よりもひどい人間が山ほど生き残っている方がやりきれないね
喧嘩瀧兵衛は割腹してから介錯も拒んで絶命するまで苦しんだけど、特攻で散った部下達の事を考えたら、、、って見事な最期やった黄金仮面は1人で責任も取れないのか?って中津留大尉のお父さんの事を考えたらいつも思うわ井上が一等大将から三等大将までランク付けしてて米内は一等、嶋田や及川は三等やったけど宇垣は三等大将どころか四等水兵以下やな
瀬戸の恥や
今年の5月に鹿屋基地に行き、このいきさつが展示されてあり読みました。現代人の感覚で批判することは違うと思います。当時の日本人、日本国内の情勢でおこなったことであり、批判するのは状況が違うので間違っていると思います😔
機会を作り鹿屋基地で勉強してきます。
悪く言ってるがその時代に生きた者ではない者が非難する必要が有るのか?。当人が宇垣さんの特攻に追っていったのだから。当人は嫌なのを無理強いしたか?宇垣さんが騙して連れて行ったのか?現代人は真実を見聞し冷静に考えるのが宜しいかと。
宇垣中将は、特攻の訓示で「気の毒なれど余の供を命ず。参れ。」と「命令」しました。本人も無理筋の命令であることは承知していたと思われます。特攻に先立ち遺書を書いているのだが、その署名は「海軍大将」と勝手に階級を上げているそうです。何を思ってのことでしょう?
@@するめイカ一号 玉音放送が有り、戦争という組織が解体された時点で軍人は自由の身でしょう?軍人は戦いの場でしか生きる事を見出だせないのでは?そこで『付いて参れ』と言われて付いて行くんだからお付きの方達も軍人なんですよ。『タヒね』と言われれば普通にタヒぬ時代でそれを理解できない人達がどうこう言う筋ではないかと。芙蓉隊隊長さんの御言葉も参考にされてください。
@@するめイカ一号 ついて行ったにも訳が有るでしょ。
搭乗員に対して非常に無礼。連れていかれたなどとふざけた書き方をするな。
私は、宇垣中将のポツダム宣言受諾後振る舞いは司令長官として正しい選択だったか。という点で否定的であります。また、自分が搭乗員の家族。残された親、兄弟、子供の視点で動画を作りました。特にこの2点から”連れていかれた”をサブタイトルにしました。”無礼”で”ふざけた書き方”の印象となってしまったようですが、純粋で日本人らしい搭乗員を侮辱や否定するつもりが無い事だけはご理解ください。
記録によると宇垣は5機の準備を命じたが、中津留大尉は稼働機全てでお供します、と最終的に11機での出撃になった経緯が事実。宇垣は1人で腹を切るべきだった、という意見にはその通りだと思うが、中津留大尉以下同行した搭乗員たちの命をかけた行動を後世の者たちが勝手な私情であれこれいうのは不遜の極みで、名誉の戦死を遂げられた方々への冒涜だと私も思います。
当時の状況など、我々が想像し得ない何かが有ったのかも知れませんが、ただ、これからの若者をまさに無駄死にさせたのが、悔しいですね。残念です。
大和五十六も自分の死場所を見つけて、数人の重職と亡くなっている。宇垣は大艦巨砲主義だったが、見事に、参謀長としての役職を果たしている。私は、終戦のタイミングはここだったと思っている。
昔、丸で読んだけど操縦者は他にも、連れて行って欲しかったと書いてあったけどね
連れて行って欲しかったとしても、宇垣が本当はとめるべきだった!
@@鈴木貴明-p4c 我々がガタガタ言う事でも無いけどね彼らが居たから、今の日本もあるし
長官!私もお供します!だと思うがね。
宇垣は一人で自決すべきだった。
若い者はまだまだ先があり、ボロボロになった日本の復興の為にも生きるべきだった。
中津留大尉の逸話を知っているだけに余計に辛い。
吉村さんの文にあるあの話ですか?
大西のように切腹にて責任をとればいいものを、
宇垣は敗戦後の日本にとって大切な若者を道連れにした
人間のクズですわな。
宇垣は許せん。自分が親なら怨み続ける!
ただ唯一弁護するとしたら、「俺も後から行く!」と言っておきながら、戦後ものうのうと生き続けた輩が多い中、約束通り死んだことくらいから
祖父が津久見の人で、
中津留大尉の親父さんが何故
自分の息子を連れて行ったのか、
悔やんでいたという話をしてくれたのを思い出しました。
祖父は戦時中大分で勤務しており、
この特攻の日の夕方には噂で
軍の偉い人間が特攻したと聞いたと
話してました。
ありがとうございます!
ありがとうございます!
6:08
ラジオを用意しなかったというのは、搭乗員に玉音放送を聞かせると、
もはや特攻が成り立たなくなることが自明であったため、わざと用意しなかったのだろう。
戦争終結後に、正しい情報に基づく個々の判断をさせなかった宇垣の罪は重い。
一言、身勝手な特攻する宇垣纏、一緒に飛んだ中津留達夫大尉の様に妻子ある人も連れて行くなんて、余程大西瀧治郎さんのようにいさぎよく切れ味の悪い軍刀で割腹して丸一日苦しんだ人もいるのに、遺族に恨まれても仕方ない男、中津留大尉のお父様は酷く宇垣纒恨まれましたよ 。
海軍最初の特攻された関行男大尉(昭和十九年十月二十五日レイテ沖の艦船に)と海軍最後の特攻の中津留大尉は海軍兵学校同級生です。
奥さん子供いたの?知らなかったです。ますます宇垣がクズに見えてたまりません。
同級生とはいいません。軍隊用語では同期であります。
@@八紘一宇-b7s 様へ
教えて頂き有り難うございます。
海軍兵学校70期で確認すると中津留大尉の名前は記載されていません、ウィキペディアで調べましたが、関行男中佐と343航空隊の菅野直中佐のお名前はありましたが。
敗戦が決まった後、結果的に若者を道連れにして死んだ宇垣に対しては、私兵特攻などという批判が早くからあった。最後の連合艦隊司令長官、小沢治三郎は死ぬなら一人で死ねと切って捨てた!栗原俊雄著、特攻、戦争と日本人、より
@@八紘一宇-b7s 様へ
神風特別攻撃隊の敷島隊への命令された大西瀧治郎さんも玉音放送後に割腹自決され丸一日苦しみ絶命されましたから、余計に宇垣纏さんの最後はなんで一人でなく部下巻き込んたのかなと思います。
大西瀧治郎さんの奥様(お子さんおられない)の面倒は坂井三郎さんが創業した会社の役員にして面倒見られましたよ。
ひとりで行け、
中津留大尉はいくら終戦後と言え上官の命令のは逆らえなかった。
宇垣と言う名前を見るたびに怒りが湧きます。
少ないながらも生還者がおられたことを初めて知りました。ありがとうございました。
宇垣氏は人命をなんだと思っているのでしょう。
玉音放送後の特攻は、敵味方関係の無い殺人行為です。
宇垣は開戦の数年前、最愛の夫人を亡くした。二人のツーショット写真を見たことがある。宇垣が軍装を身に着け軍刀をもって椅子に座っている。顔は満面の笑み、にやけ切っている。そのかたわらに和装の夫人が立っている。柳腰の美人だ。開戦の日の日誌に宇垣は「みんな死ね死ね俺も死ぬ」と書いた。宇垣は本当に死ぬ気だった。それは海軍軍人としてではなく、夫人の後を追うためであった。ブーゲンビル島で死に損ない、結局終戦になってしまった。出撃直前の宇垣は笑っている、やっと亡き妻のところに逝ける喜びに満ちている顔だ。
それに付き合わされた若い隊員こそいい迷惑だった。
嫌な上司だね、、、、公然と命令に背いても良かったな。
本当に1人で自決すべきだった。前途ある若者を道ずれにするなど最低。
老害そのもの。
大西さんを見習って欲しかった。
宇垣らが出撃する際は、整備員から発せられた宇垣を非難する怒号で滑走路脇が満たされ、異様な雰囲気となっていました。
彗星は、25番または50番を運用可能ではありましたが、50番は過荷重装備でした。さらに大きい80番(800kg爆弾)を無理に積めば、通常の操縦さえ困難であったでしょう。爆弾倉内に爆弾を収めることで、空気抵抗を減らしたのが、彗星の特徴のひとつですが、80番ではははみだして爆弾倉扉は開けたままです。
中津留機が伊江島の浜に不時着したのは、私は宇垣の指示を無視した中津留さん独自の判断と想像する。
終戦決定後の特攻がその後に及ぼす大きな影響を考慮した判断と。
そうです。いい歳をこいた将官より、青年士官の方が的確な判断をしていますよね。
宇垣さんは1人で自決すべきだったと思います。無駄な犠牲者を出した責任は重い。山本五十六大将から何を学んだのだろうか?と思います。
山本五十六からねえ・・・その五十六さんが終戦時何処にいたか知ったら、そんなこと言ってられないと思います。
宇垣は山本から贈られた単刀を持って飛び立ったが、
現在では山本の卑怯、臆病、無能、無責任、不真面目が、すべての悲劇の元だったことが判っている。
そもそも山本と宇垣は仲が悪い
@@ちゃんさけ-r1s そうですね。私個人は宇垣さんは山本さんの心底に測りがたい思惑を感じていたのではないかと思います。
国家の枠組みを超えて活動した超スパイのアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ氏が語った山本像には公式の山本像とは著しく異なる、切ない思惑を感じました。
@@tevalleyluckman8746 そもそも山本が胡散臭過ぎる話だからな
貴重な人財を無駄にしやがって。。。
戦争が終われば「特別攻撃」ではなく死に場所を彷徨う七面鳥
戦争がいかに悲惨なことか伝えることはとても大切です。突っ込め!と命じる指揮官もいるし俺一人で行く指揮官もいるでしょう。どちらも辛い話しですね。
自決するのはそれまでのことを考えたらある意味一つの考えだったと思いますが、部下を巻き添えにしたのは絶対的におかしいですよね。同行を申し出られても残るように命令しなければならないと思います。
仰る通りだと思います。同行の命令は勿論、若い隊員に”生きろ”と諭すのが老兵の役割だったのではないでしょうか。
この世の中に生きていた方の運命とは言え😢自分には真似の出来ない…。正直冷静ではいられません。どうか第三次世界大戦はあってはならないです。心よりご冥福お祈りさせて頂きます。そしてありがとうございます。
最大の敵は「無能な上層部」
いつの時代も変わんねぇなぁ
「被弾後に途中の島の砂浜に突っ込みバラバラになった機体の残骸の写真」を、見たことありますよ。
本人はコクピットの中に居たままの状態で死亡しましたが、コクピットの胴体部分が丸ごと横になったまま砂浜に突っ込んだ後も何回かもんどりうったらしく頭蓋骨陥没だか破損状態だったらしい。
米軍が被弾墜落後直ぐに調査に行き多数撮影した内の「一枚」と思われます。 ドアップの白黒写真、見たことありませんか?
落ちた場所の写真は、見た事あります
正式な「即時の戦闘停止」が命令された のは16日午後4時です。
大陸命第1382号は大日本帝国陸軍に対して、海軍に出された大海令48号もほぼ同内容です。
1人で黙って空の彼方へ消えていけばよかったのに、情けない。
同じトップでも伊藤整一中将とはものの考え違いますね。伊藤長官は沖縄出撃前に将来ある身と、乗艦間もない若い少尉達を退艦させました。陸の阿南、海の大西共に立派な責任の取り方だったのではないでしょうか.....
城山三郎の著書、指揮官達の特攻でこの話を知った.中津留大尉の無念さが伝わった。勅命に反して部下を道連れに無駄死にさせた宇垣纏は戦後しばらくは靖国神社に合祀されなかったという.元愛国青年だった城山三郎はこの行動に批判的だった。
若い!有望な人材を!何故?一機で良い!と言わなかったのか!結局沖縄の海岸に墜落したようですが?定かでない!一人で腹を切れ!道連れの隊員のご冥福をお祈りします!敬礼!
存じ上げませんでした。
戦争は終わってるのに自分のプライドのために若者を道連れにするなんて...こんな国家観のない人が軍を指揮していたら,やはり結果は見えていたね。勉強だけが得意なエリートがトップだと,国民が不幸になる例。
宇垣と言う人は、自分で飛行機を操縦できなかったのですか?
何も、自決だけが責任の取り方ではない生きて部下のために供養するこも責任の取り方
自決よりも、辛く苦しい責任の取り方かもしれませんね。
城山三郎の「指揮官たちの特攻」が
参考になります。宇垣は戦藻録を残すなど評価されているが、これはいけない。 中津留大尉は意図的に
岩礁に突っ込んだのでしょう。
宇垣は1人で自刃すべきでした。
戦後 新しい日本を創る有為な若者を10何人も死なせたのは言語道断。
これが定説だと思う。
一応日本軍への停戦命令が出されたのは翌16日だそうだが、終戦の放送がされたのに未だ戦争は継続中との主張には無理がある感じがするな。
私は宇垣の部下を道連れにした無理心中は(批判が有るのは承知で敢えてそう言います)認めません。その理由は2つ、1つ目は戦争が終わったにも関わらず、部下を道連れにしたこと、
2つ目はポツダム宣言を受諾する、つまり、終戦に向けての交渉を始めようとする時に敵対行動を取るのは命令違反でしょう。軍人は良くも悪くも命令は絶対です。それを無視して私情で部下を道連れにしたことは許せませんし、この暴挙によって米艦に何の損害を与えなかったのは何よりでしたが、もし、万が一何らかの損害を与えてしまったら、その結果、どういう事態になったか想像できなかったのでしょうかね?いやしくも連合艦隊の参謀長を務めた事があるなら、それくらいのことは十分、想像出来たはずですよ。かっては「カミソリ宇垣」とまで言われた男が
此処まで錯乱してしまうとはねぇ?!
酷さの規模はインパールの牟田口廉也の方が甚だしいが、無意味に部下の命を捨てさせる無神経さ、鈍感さは共通する。
1人で行け。
私戦(?_?) 規模が大きいから作戦に見えるけど…
馬鹿な上司めんどくさい。企業も同じ馬鹿な上司馬鹿な先生では部下生徒は育たない。
今の時代、その視点から言えば 一人で逝け!ですよね。
でもこれは、自決する場を求めた上官と、散るなら仲間はと共にと願う隊員たちの気持ちであって、宇垣が付いてこいと強要したわけでは無いと…。それぞれがそれぞれに死に場所を求めただけの話。
一方大西中将については皆さん美談に思われているようだが私は責任を取っての詰め腹ではなくて、特攻という自案が国策にまでなって酔いしれた男が、終戦間際にまだ特攻にこだわり受け入れられず。夢破れて…の割腹だったという認識です
小沢治三郎は 命令違反だと断言した
海軍の最期は情けない事ばかり。宇垣は若手を道連れ、豊田は降伏調印式への出席を拒み富岡が出席する始末。極めつけは、最後の帝国議会で米内の答弁拒否。宇垣は出撃時山本から貰った短刀を持参したと言われるが、山本が喜ぶはずがない。
いつの時代も上に立つ者が愚かだと下の者がヒドイことになる。
同感。3人の会社でもひどいことになりますよ。
宣戦布告なく奇襲した日本が降伏後に攻撃して米兵に犠牲があったなら報復を受けていたかもな
終戦直前の宮城事件では、東部軍の田中司令官や阿南陸軍大臣が命をかけて陸軍将校の暴走を抑えた。海軍には、宇垣司令官を命をかけても止める人は居なかったのでしょうか?特攻で亡くなった方を結果として蔑めることになってしまった。
そもそも、停戦命令出てるのにおかしいよね。
宮城の反乱を鎮圧したのは東部軍司令官です。陸相は既に自決の準備のため陸相公邸におり、部下から宮城事件を聞いたものの、それも含めてハラを切ると言っただけですよ。
ハラを切ると言っただけという表現には、余り賛同は出来ませんね
@@チェルシーお父さん-s8q 昭和の軍人どもなんてこんなのばっかりですよ。今の自衛隊の高官もこんな程度だと思います。
@@kahoru726さま
玉音放送はされたが、停戦命令は届いておらず、宇垣はそれが届く前に、と急いだ。
ポツダム宣言受諾が決定しているのに、もし攻撃が成功していれば、交渉において日本側が窮地に陥っていた、という外交上の常識さえ分からない者が、艦隊司令長官の要職に就いていたことになります。今聞ける玉音放送は、新しい技術でノイズを低減したから聞けるものの、当時は何を言っているのか判別さえ難しい音質でした。役人がわざわざ難解な文体で起案したため、仮に聞けても、戦中派でも理解できる人はほぼいなかったでしょう。軍民とも、あらかじめ重要な放送があると聞かされ、皆で聞いたが訳が分からず、人伝に内容を教えられて、ようやく意味を理解しました。
宇垣は靖国に祀られてるの?
当初は「戦タヒ」と認められず、大将への特進もなく、靖国へも祀られなかったが、その後「殉難」と認められて祀られている。
玉音放送後に特攻された事は聞いておりましたが……
今風に言うなら「パワハラ」ですね
それだけ死に場所を求めた人が居たという事。
敗戦を諾々と受け入れ安易に区切を付けて次の時代に歩き始めた人にとっては愚者の愚かな選択に思えるだろう。
アホか。宇垣が1人で行けばそれは誰も否定はしないだろうが
余りにも一方的な意見の印象を拭いきれません。宇垣中将は一人で行こうと思っても周りがそれを許さなかったと思います。皆さん望んで逝かれたとしか思えない。武装解除命令は出ていたのだから。階級章も外していたことからも、理解すべきです。中将の命令に従う義務は無かったのです。でもついていったのです。それで彼らの気持ちが分からない人は、左翼思想に洗脳されてると思った方が良いでしょうね。😢
宇垣中将はポツダム宣言受諾と8月15日正午の重要なラジオ放送を知り
”積極的攻撃中止命令”が発令されているにもかかわらず、3機又は5機に出撃を命じています。
宇垣特攻に同行を望んだ8機又は6機の搭乗員は、玉音放送を聞いていません、終戦を知りません。
宇垣中将もしくは幕僚が”ラジオを用意していなかった”ことは、不時着生還者の証言にあります。私はこれを姑息だと感じています。
同行を望んだ若者の純粋な気持ちを裏切っているとも思っています。
終戦直前の”積極的攻撃中止命令の発令後”に、少なくとも3機に特攻を命じたこと
”終戦を知らせないようにラジオを聞かせなかった”ことは基地司令の行動として如何なものでしょうか。
という思いで作った動画であります
宇垣の日記や言動を見ると、ナルシスト性向が顕著。
「日記」は貴重な資料ではあるが、後年読まれることを意識した記述に終始していて、文学青年としての才能は披露している。
それゆえ、軍隊の指揮官にはおよそ向かないタイプだったことを証明してしまってもいるのだが。
ライトノベル作家としてなら大成したと想像出来るので、その点では残念。
結局のところ黄金仮面なんてあだ名された宇垣纏はその程度の人間であった。
今の時代の感覚で宇垣の行動や昔の人の事を考えても理解なんてできないでしょう
宇垣と一緒に特攻に行った人の立場はよくは知りませんが
特攻に行く若者を毎日見送るのはもう思考能力など無い状態だったんじゃないかな
宇垣よりもひどい人間が山ほど生き残っている方がやりきれないね
喧嘩瀧兵衛は割腹してから介錯も拒んで絶命するまで苦しんだけど、特攻で散った部下達の事を考えたら、、、って見事な最期やった
黄金仮面は1人で責任も取れないのか?って中津留大尉のお父さんの事を考えたらいつも思うわ
井上が一等大将から三等大将までランク付けしてて
米内は一等、嶋田や及川は三等やったけど
宇垣は三等大将どころか四等水兵以下やな
瀬戸の恥や
今年の5月に鹿屋基地に行き、このいきさつが展示されてあり読みました。現代人の感覚で批判することは違うと思います。当時の日本人、日本国内の情勢でおこなったことであり、批判するのは状況が違うので間違っていると思います😔
機会を作り鹿屋基地で勉強してきます。
悪く言ってるがその時代に生きた者ではない者が非難する必要が有るのか?。
当人が宇垣さんの特攻に追っていったのだから。
当人は嫌なのを無理強いしたか?
宇垣さんが騙して連れて行ったのか?
現代人は真実を見聞し冷静に考えるのが宜しいかと。
宇垣中将は、特攻の訓示で「気の毒なれど余の供を命ず。参れ。」と「命令」しました。
本人も無理筋の命令であることは承知していたと思われます。
特攻に先立ち遺書を書いているのだが、その署名は「海軍大将」と勝手に階級を上げているそうです。
何を思ってのことでしょう?
@@するめイカ一号 玉音放送が有り、戦争という組織が解体された時点で軍人は自由の身でしょう?軍人は戦いの場でしか生きる事を見出だせないのでは?そこで『付いて参れ』と言われて付いて行くんだからお付きの方達も軍人なんですよ。『タヒね』と言われれば普通にタヒぬ時代でそれを理解できない人達がどうこう言う筋ではないかと。
芙蓉隊隊長さんの御言葉も参考にされてください。
@@するめイカ一号 ついて行ったにも訳が有るでしょ。
搭乗員に対して非常に無礼。連れていかれたなどとふざけた書き方をするな。
私は、宇垣中将のポツダム宣言受諾後振る舞いは司令長官として正しい選択だったか。という点で否定的であります。
また、自分が搭乗員の家族。残された親、兄弟、子供の視点で動画を作りました。
特にこの2点から”連れていかれた”をサブタイトルにしました。
”無礼”で”ふざけた書き方”の印象となってしまったようですが、純粋で日本人らしい搭乗員を侮辱や否定するつもりが無い事だけはご理解ください。
記録によると宇垣は5機の準備を命じたが、中津留大尉は稼働機全てでお供します、と最終的に11機での出撃になった経緯が事実。
宇垣は1人で腹を切るべきだった、という意見にはその通りだと思うが、中津留大尉以下同行した搭乗員たちの命をかけた行動を後世の者たちが勝手な私情であれこれいうのは不遜の極みで、名誉の戦死を遂げられた方々への冒涜だと私も思います。
当時の状況など、我々が想像し得ない何かが有ったのかも知れませんが、ただ、これからの若者をまさに無駄死にさせたのが、悔しいですね。残念です。
大和五十六も自分の死場所を見つけて、数人の重職と亡くなっている。宇垣は大艦巨砲主義だったが、見事に、参謀長としての役職を果たしている。私は、終戦のタイミングはここだったと思っている。
昔、丸で読んだけど操縦者は他にも、連れて行って欲しかったと書いてあったけどね
連れて行って欲しかったとしても、宇垣が本当はとめるべきだった!
@@鈴木貴明-p4c
我々がガタガタ言う事でも無いけどね
彼らが居たから、今の日本もあるし
長官!私もお供します!
だと思うがね。