【今様・今様合】日本今様謌舞楽会 たいこまるプラザ開館3周年記念行事

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  • Опубліковано 18 вер 2024
  • 【今様・今様合】日本今様謌舞楽会 たいこまるプラザ開館3周年記念行事
     
    ■日時:令和5年6月4日(日)
    ■出演:日本今様謌舞楽会
    ■場所:たいこまるプラザ【伊藤記念ホール】
    今様とは平安時代に流行した歌曲の事です。当世風・今風であったことから今様と呼ばれ、身分の上下を問わず 広く流行しました。
    『遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん』で始まる歌曲は、皆様も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
    この歌曲は、今様を愛好していた後白河法皇 編纂の梁塵秘抄に掲載されており、この他にも梁塵秘抄の一部は現代まで伝わっています。
    そして、今様の流行には 源義経の恋人であった静御前、平清盛の祇王祇女、仏御前など よく知られる『白拍子』等の女性芸能者が
    大きな役割を担いました。
    日本今様謌舞楽会では 今様の研究、国内外での今様の奉納・公演、又1986年に今様合を復興させ、その実演等の活動を行っております。
    《 今様 》
    今様は今からおよそ800有余年前京の都に大変流行致しました。神楽、催馬楽、田楽等に続いて当時大変今風だったところから「今様」と呼ばれるようになりました。 時の後白河院は世にもまれな今様の熱愛家であられたことは有名です。また梁塵秘抄を集大成されたことは歴史上有名であります。
    《 白拍子 》
    白拍子の起源は『平家物語』「祇王」の段に「白拍子のはじまりけることは、むかし鳥羽院の御宇に島の千歳・和歌の舞とて、これら二人が舞ひ出したりけるなり」とあり、鳥羽院の時代としています。服装については、当初、水干に立烏帽子、白鞘巻の太刀を差して舞っていましたが、のちに烏帽子・太刀を除き、水干だけ身につけた、と説明されています。
    白拍子の語義は、本来、「歌につけて打つ拍子のこと」、あるいは「管弦の伴奏なしで歌うこと」などを意味したとされますが、転じて その歌舞を行う人自身を指すようになったと考えられます。その芸能の形態は『平家物語』によれば、今様や朗詠を歌った後に、鼓などを伴奏に舞ったとされます。
    「日本今様謌舞楽会の公式HPより引用」
    #今様 #たいこまるプラザ開館3周年記念行事 #日本今様謌舞楽会

КОМЕНТАРІ • 1

  • @北條氏禎
    @北條氏禎 Рік тому

    何じゃこりゃ⁉︎
    似非伝統芸能
    なぜに家元が存在するのか?