THE JAPANESE DID ONE GOOD THING IN LIFE THEY KEPT ALL THE VIDEOS OF THE PRO WRESTLING AND THE VIDEO IS TOP QUALITY CAN YOU IMAGINE HOW MUCH GREAT VIDEO FROM THE SIXTIES AND SEVENTIES IS THERE IN THERE VAULTS WE HAVE NOT SEEN YET.
Two absolute legends in the ring. Bronco Lubich had flown in from Dallas to officiate this important match but he got hold of some bad sushi that day at lunch and was unable to answer the bell so to speak.
頭突きを食らってトップロープから転落したり、エプロンサイドで崩れ落ちたり、馬場さんダイナミックなやられっぷりも素晴らしいと思います。子供のころ、ブラジルのココバット、エリックのアイアンクロ―に戦慄し強烈に印象に残っているのも馬場さんのやられっぷりあってこそだったと改めて痛感しました。
ココバットの破壊力凄いな。
昭和43年、愛知県体育館での、ジャイアント馬場対ボボブラジルの、インターナショナル選手権試合、まさに、この会場で、観戦していました、それも、リングサイドの、大木金太郎のすぐ、横で見ていました、なつかしいなぁ……今から約56年前かぁ、この試合を、今、令和になって、UA-camで見れるとは……ビックリしています
And that your still alive
中学校の1年生の時、この試合をこの会場no2階
席で、見ていました。馬場に3カウントが入った時は何か
信じられないものを見た様に子供ながら唖然とした事を
今でも覚えています。
ボボ・ブラジルは、強い‼️この試合が、見られるとは。感激です。
入場時のブラジルの風格が凄すぎる。
THE JAPANESE DID ONE GOOD THING IN LIFE THEY KEPT ALL THE VIDEOS OF THE PRO WRESTLING AND THE VIDEO IS TOP QUALITY CAN YOU IMAGINE HOW MUCH GREAT VIDEO FROM THE SIXTIES AND SEVENTIES IS THERE IN THERE VAULTS WE HAVE NOT SEEN YET.
The Japanese aren’t a joke when it comes to recordkeeping.
馬場さんの自伝では[1-1後の3本目にリング下でのコブラツイストの奇襲に焦って→振りほどいてスキだらけになったところに頭突きを額に喰い→リングに這い上がったところを後頭部に一発喰い→立ち上がろうとしたところにココバットが脳天に落下して→大の字にノビてしまい3カウントもどこか遠くの方で聞こえていた」と有りました。
記憶を辿って書いてるだけに少し違いますがそれを初めて映像で見る事が出来て大変有難いです。
全盛期の負けはあとキニスキーとデストロイヤーくらいでしょうか。これは完敗だけにとても貴重だと思います。
キニスキーには2フォール負け
ブラジルのファイトスタイルはほぼガチンコ、魅せる部分はファイト以外(ダンスなど)なんだよ
この頃のブラジルには馬場も猪木も完敗してる
この来日のとき電車の網棚に置いてあった東京スポーツの一面に大きく載っていたボボ・ブラジルの写真が印象的で忘れられません。プロレスで生き抜いてきた人の威厳のようなものを少年の私は感じました。
ボボブラジルも大きかったんだな。😮
馬場さんと体格変わらないじゃん。😮
しかし すごいフィルムがのこっていましたね。馬場さんのリターン戦はあたりまえに観るけれど、ファンがほんとうにみたいのはこっちだ。
馬場さん、どうやってまけたんだ? ですからね。
でも 両リンのあとのフォール負け トいうのは なかなかうまく考えたものですね。
あちらではアンドレ以前のスーパーベビーだったのに2度のインター王座戴冠時のやり方でズル勝ちイメージが付いてしまいましたね。(大木戦は凶器喉潰し)
ボボブラジルの圧勝の内容でした、ごの時代は真剣勝負でした。
若い頃から細身の馬場さんだけど、腕周りをメジャーで測ればボボ・ブラジルとそんなに変わらないんじゃないかな。脚は明らかにボボ・ブラジルよりも太いですね。大きいことはいいことだ。それに加えて晩年に失われてしまったスピードは言うまでもありません。この巨躯が速く動いたんだから、やっぱり馬場さんは強かった。
もしかして馬場 テーズのインター戦も有ったりして。
本当にそれを望みますね。
馬場さんとミスター・レスリングのチャンピオンカーニバルもみたい!! 一度ハイライトか何かで見たことがあり、絶対かくして(笑)あるはず !!
この試合のビデオ有ったんだ!
で逆襲の32文3連発に繋がると。
トップロープ跨いでた 馬場選手やっぱりデカイ
70年代に新日本に参加するようになったアンドレザジャイアントがトップロープを跨ぐのを見て、確か馬場も跨いでたような?とずっと思ってたのですが、UA-camで日プロ時代の試合を観れるようになってからブラジル戦やスナイダー&ホッジ戦で確認できて、やっぱり!と嬉しく感じたものです。
漫画タイガーマスクの中でグレートゼブラというマスクマンになった馬場さんがリングインの時トップロープまたいではいろうとして瞬間はっ、正体バレてしまうと気づいてセカンドロープから入ったんだよ。ジャイアントマシーンと一緒ですぐわかるって!
@@近藤ゴマシオ テレビアニメ版だとロープをひとまたぎでリングインした直後キックを出すのをやめてますね。実際の馬場はトップロープの位置がより高くなってからはまたぐのやめたとか何かで読んだおぼえがあります。
Two absolute legends in the ring. Bronco Lubich had flown in from Dallas to officiate this important match but he got hold of some bad sushi that day at lunch and was unable to answer the bell so to speak.
馬場さんの喧嘩キックあぶねー!ボボの頭突きもっとあぶねー!
蔵前や武道館(東京)で負けると暴動が起きかねないから静岡、愛知あたりでいちど負けるようにしている。秋田がよく利用された‥
利用された(笑)確かに
今では考えれないけど観客は1万2千だった。
何故か天龍さん絡みが多かった、vs馬之助での鶴見さん乱入→スパナ攻撃、龍原vsニューミラクルズでのハンセン失神
ブラジル強いね。
背の高さも殆ど変わらない。
セコンドにアントニオ猪木ってのが凄いな😅
馬場が苦手とした6強
ボボ・ブラジル
ジン・キニスキー
ディック・ザ・ブルーザー
ブルーノ・サンマルチノ
ザ・デストロイヤー
フリッツ・フォン・エリック
ゴリラモンスーンは
超一流ですね。
馬場の情けないところは相手のウイニングショットてピンホール負けやギブアップするところ、特にカナディアンバックブリーカーで容易く持ち上げられて、身体が弓なりになってる姿は見ていられない
ハリーレイスは?
@@m.kohji.7396 基本的に馬場よりもキャリアが古いレスラー限定にしました。ブルーノは馬場と同世代ですが・つまり馬場の壁になったレスラーです。(テーズは別格)
アイアンヘッドバッド憧れました
あえていえば ブラジル、じつに単純なフォール勝ち。
昔にしても単純すぎる…………
喧嘩でもガッチガチの頭突きで失神とかありえるからリアルっちゃリアル
ボボの頭突きは大木金太郎、後の藤原選手以上かも知れん。破壊力ありますね❗
ナレーション、うまいね。
あと入れのナレーションで こんなうまい 耳にやさしいナレーションは聴いたことがない。すばらしい!!
ただ、ひとつだけ気をつけてください。「的確」は
「てっかく」が正しいです。「てきかく」はあやまりです。
「てきかく」でも良いのでは?
少なくとも誤りではないと思うが…
I WISH BOBO HAD DID HIS DANCE BEFORE THE HEAD BUTS I I THINK THE CROWD WOULD HAVE WENT WILD.
実況は 徳光和夫氏かな?
20 號,我又不是中原人士•
今なら頭突きでフォールなんか決まればやらせだと非難轟々だろうけどこの時代はこんなので決まってたんだね。やはりプロレスも進化してますね。
これはどう言うブックだったのだろう
あまり勝ちすぎるのもリアリティに欠けるでしょ?
一度は負けるがリマッチで勝ち、苦戦の上、やっとタイトルと取り戻すー
タイトル戦の価値を高め、敵役レスラーの強さと、それに打ち勝つエース馬場、というリアルなストーリー。
チャンプの馬場がキニスキーに負けたときは、新チャンプのまま帰国したキニスキーを追いかけ馬場は渡米し、ロスでのリマッチで王座奪還という壮大なブック。
ロスでの試合は日テレで衛星カラー中継され、現地でも放送されたはず。そして、場内には当時のスポンサー三菱電機製カラーテレビの垂幕が掛かっていた。
日プロ•日テレ•三菱それぞれの思惑が重なって成立した大仕掛けな興行でありました。
ここらが馬場の全盛期だと思うのです。全日時代からは試合も体も酷すぎて眼を背けてました。馬場嫌いな自分です。
猪木さんが戻って来た辺りからタニマチ接待に割く事が増えて練習を疎かにしだしたらしいですね、マンションの地下ジムの話も証拠写真が無い以上嘘としか思えません。
@@maruhiroya417様
マンション地下の施設は全日本からですね。
自分が読んだ記事が掲載されたのが80年代だったし、フリーウェイトの器具ではなく日本国内のメーカーでは見たことのないかなり本格的なマシーンだったので、80年代に入ってアメリカから取り寄せたものじゃないでしょうか。
@@cubbi106
外部リンクが貼れなくなったのが残念ですね。
「http」無しでもいいのでURLお願いします🙏
@@maruhiroya417様
自分も多分新聞(東スポカラー特集号かザ・プロレスでファイトではない)だったことしか覚えてなくて、大量の新聞を処分しましたので手元にはないです。申し訳ありません。
同じような例で、猪木がベンチプレス200を挙げた、挙げれるわけないの論争をネット上で見かけましたが、これもファイトかザ・プロレスで180キロを挙げてる画像がありましたので、実際に挙げていたと思います。
@@cubbi106
ソレは痛い、まぁ、原理主義レベルの猪木さんファンは例え写真があっても「マスゴミ用に絵造りした偽ジム」とか言いそうですけどね。
器具に関してもあの大半は田上さんが譲り受けたそうですが曰く「あまり使ってたとは思えず錆びて動かせなくなったのもあった」そうです、知られてませんが田上さんは元々はジャパンからの移籍なんですよね(相撲協会対策、石川孝志さんがFA転向だったのと似たケース)その頃にジャパンの「新日式練習」を経験してたようで(遡るなら相撲時代に「二所ノ関の荒稽古」も)「砧(後に横浜)は稽古しないんだよな」と語ってました。(ソースfrom Gスピ)