第44回「愚癡」2021/2/19【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • Опубліковано 17 лют 2021
  • 本日の管長日記は、「愚癡」です。
    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
    本日もよろしくお願いいたします。
     
    ■管長日記「愚癡」
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    三密より三毒が怖いと、ある和尚から教わりました。
    まさにその通りで、以前小欄でも、神戸の宝満寺さんの掲示板の言葉を紹介しました。
    改めて書いておきます。良い言葉は何度でも読み返したいものです。
    貪欲
    わがまま、買い占め、高額転売
    自分さえよければいい、なんて思ってませんか?
    瞋恚
    イライラ、差別、他者批判
    あなたの言葉や行動が、他人を傷付けてませんか?
    愚痴
    思慮不足、疑心暗鬼、右往左往
    怪しげな情報や無責任な噂に振り回されてませんか?
    と三毒についてのわかりやすい説明が大きく書かれていました。
    そのあとに、
    大切なことを忘れてませんか?
    と大きく書かれて、
    更に
    「コワいのは、コロナウィルスだけではありません、
    人を傷つけ、社会を混乱させる原因は
    実はわたくしたち一人ひとりの心の中にあるのです。
    大切なのは「自分自身の心」を冷静に見つめてみること
    足るを知ること、受け容れること、感謝すること
    こんな時こそ、この世の中に少しでも苦しみを増やさぬよう
    お互いに思いやり、助け合って暮らせたらいいですね」
    と書かれていました。
    「コロナより怖いのは人間だった」という言葉がよく知られるようになりましたが、悲しいことであります。
    三毒というのは、私たちが、眼耳鼻舌身意という六つの感覚器官が、外の世界に触れた時に起こる三つの反応であります。
    目に見えたり、耳に聞こえたり、鼻で匂いを嗅いだり、舌で味わったり、体に触れたり、心に思ったものに対して、快か不快という感受を得ます。
    心地よいのか、心地よくないのか、それに対してそれぞれ反応するのです。
    これは避けようのない感受作用です。
    そこで更に、心地よいものには、喜びを感じます。心地よくないものには、怒りを覚えます。
    そして更に、喜びを感じるものを、更に愛し欲するようになります。
    怒りを覚えるものには、それが更に憎悪となって退けようとしてしまいます。
    愛して欲するのが貪欲であり、怒り憎しみ退けようとするのが瞋恚であります。
    その結果、心地よくて喜びをもたらし愛おしむものを善であるとし、逆に心地よくない怒りや憎しみをもたらすものは悪であると決めつけてしまいます。
    このようにして迷いの世界を作りだし、自ら苦しむことになるのです。
    これが五蘊という内容なのです。
    色受想行識で表されます。
    色は、まずこの感覚器官の具わった肉体です。
    この肉体に眼耳鼻舌身意の感覚器官が具わっているのです。
    感覚器官が外に世界に触れて、感じる快と不快とが、感受作用である「受」です。
    感じたことに、喜びや怒りをを思うのが、「想」です。
    それにとどまらずに、さらに思いを形成してゆきます。
    愛憎という強い思いのはたらきに増幅されてゆきます。これが意志とか形成作用とよばれる「行」です。
    その結果、外の世界を、善と悪、是と非と分別して認識するのです。これが「識」です。
    これが私たちの苦しみの世界です。
    五蘊は苦なのであります。五蘊が苦であると知ることが仏教の第一歩なのです。
    ここでは、快不快から喜怒、そして愛憎、善悪と説きましたが、お互いはだいたいこの二つに惑わされるのです。
    しかし、三毒ですから、実はもう一つの反応があるのです。
    これが「愚痴」なのです。
    快でも不快でもないので、自己にとってどうでもいいのです。
    ですから知ろうとしないのです。
    実に消極的なはたらきでありますから、見えにくく気づきにくいのです。
    しかし、それだけにこれを対治することは難しいのです。
    三毒の中でも最も厄介なものです。
    「愚痴」を『広辞苑』で調べますと、
    まず仏教語として、「理非の区別のつかないおろかさ」という解説があります。
    更に「言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉」と書かれています。
    「愚痴をこぼす」とか「愚痴を聞いてやる」という「愚痴」です。
    後者の方をよく使いますが、元来は仏教語で第一の意味があります。
    元来は「愚癡」と書きます。
    岩波の『仏教辞典』では、「漢語の本来の意味は、愚かでものの道理を解さないこと」として、「仏伝以前に用例がある」とされています。
    仏教ではというと、「教学用語としての『愚癡』は『無明』と同じで、仏教の教えを知らず、道理やものごとを如実に知見することができないことをいう。
    単に「癡」ともいう。
    煩悩の中でももっとも基本的なもので、三毒や六根本煩悩の一つに数えられる。
    通俗的には、愚かで知恵のないこと一般」
    を言うとされています。
    「また現在では「愚痴」と書き、「愚痴をこぼす」のように、言っても仕方のないことを言って嘆く意にも用いられる」と説かれています。
    この説明の中でも、
    「道理やものごとを如実に知見することができないこと」というところが大切なのです。
    「愚癡」を克服するには、まず私たちは、ありのままに(如実)にものごとを見ていないのだと自覚することから始まります。
    いや、ちゃんと目で見ている、耳で聞いている、きちんと正しく判断していると思うでしょうが、そう思っている時点ですでに「愚癡」なのです。
    毎日新聞の二月十五日の夕刊に「見上げてごらん」というコラム記事があって、その中に興味深いことが書かれていました。
    「無意識の怖さ」という題です。
    「過去五十年の偉大な発見として、インターネット、(質量の起源の)ヒッグス粒子、そして、特に『無意識のバイアス』と挙げたい」というのです。
    「無意識のバイアスというのは、私たちの脳に知らず知らずのうちに刻み込まれた男女、人種、貧富などに関するバイアス(偏見)のこと」をいうのだそうです。
    「女性科学者が男性科学者との競争で不利益をこうむるのは、無意識のうちに、女性が過小評価されてきたため」ということが、調査の結果明らかになってきたと書かれていました。
    そこからコラム記事は、件の男女差別の問題に触れているのでした。
    地位のある方が、公の席で、男女差別の発言をしてしまうのは、無意識のバイアスが背景にあるというのです。
    というように、私たちはものを見たり聞いたりすることに、無意識のうちに様々なバイアスがかかっていて、正しく如実に見たり聞いたりすることは難しいのです。
    そんな事を思っていると次の日の朝刊に、香山リカ先生が、「香山リカのココロの万華鏡」というコラム記事に、「相手を尊重するとは」という題で書かれていました。
    そこに興味深い話がありました。
    ずいぶん以前のことらしいのですが、香山先生のところに、七十代の女性が息子夫婦に連れられて来たそうなのです。
    息子夫婦は、その母が「認知症かもしれない」というのでした。
    たしかに言うことがちぐはぐであったりしたそうなのです。
    しかし、あるときに息子夫婦が来られなくなって、その女性だけを診察されたそうです。
    すると、その女性は、表情もそれまでとは全く違い、会話もスムーズだったのだそうです。
    そして、香山先生に、「息子たちにも知られたくない悩みがあるのです」と打ち明けました。
    それは、「秘めたる恋」の悩みだったのでした。
    そのために気持ちが沈んでいたのでした。
    息子夫婦に連れられてきた女性を、高齢だから認知症かもと思い込んでしまいます。
    それだけではありません。高齢なので、恋など思いもつかないのです。
    如実に見ると、その人は、秘めたる恋で悩む女性なのです。
    それが無意識のバイアスがかかってしまって、認知症の高齢者にしてしまうのです。
    その人を、如実に見ようとしない、知ろうとしないという、これが「愚癡」なのです。
    これは、その人を嫌ったり、愛したりすることよりももっと恐ろしい罪の深いものです。
    そこで、無意識のバイアスに陥らないように、心を平静に保ち、正しい智慧の眼でありのままを見るという修行が必要なのです。
    なかなか難しいことです。
    せめて、お互いは、相手の事を正しく理解してあげることができていないのだと認識し、今までの認識を改めようという思いを持つことが第一歩となるのです。
    横田南嶺
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