第237回「なぜ怒るのか」2021/8/31【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
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- Опубліковано 19 лис 2024
- 本日の管長日記は、「なぜ怒るのか」です。
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
本日もよろしくお願いいたします。
■管長日記「なぜ怒るのか」
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十重禁戒で一番守るのが難しいのは、どの戒なのか、老師方にうかがったことがあります。
十重禁戒というのは、
第一殺生戒
命あるものをむやみに殺さない
第二偸盗戒
人のものを盗み取ることをしない
第三淫欲戒
道に逆らった愛欲を犯さない
第四妄語戒
嘘偽りを口にしない
第五沽酒戒
酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることをしない
第六説四衆過罪戒
他人の過ちを責めない
第七自讃毀他戒
自分を誇り他人を傷つけることをしない
第八慳貪戒
物でも心でも人に施すことを惜しまない
第九瞋恚戒
怒りに燃えて自分を失わない
第十謗三寶戒
仏法僧の三寶をそしらない
という十の戒であります。
第一から第五までが、五戒とも言われていて、もっとも基本的な戒であります。
殺さない、盗まない、男女の道を乱さない、嘘をつかない、お酒を飲まないの五つが五戒なのであります。
この十のうちでどれが一番難しいかを老師方にうかがうと、おもしろいことに老師方によって、お答えが異なるのでありました。
もっとも殺生戒などは、厳密に言えば命あるものを殺さないことなので、とても難しいものであります。
先代の管長であった足立大進老師は、どれが一番難しいか、それは、瞋恚戒だと仰せになっていました。
腹を立てないことであります。
そう思うと、先代は、いつもよく怒っていました。
怒っていない時は無いと言ってもいいくらいでありました。
怒りといっても、先代管長にとっての怒りは、今の仏教界への怒りや、十分な修行もせず、布教にも熱心でない今の僧侶たちへの怒りでありました。
時には、政府や、マスコミのあり方などにも怒りを起こしておられました。
とにかく、正義感がお強かったので、何かに対して絶えず怒っていらっしゃいました。
これを義憤というのかもしれません。
私は、長年そのような老師のお側にお仕えしていましたのですっかり怒らなくなりました。
怒っても、状況は変わらないと思うようになったのでした。
これがいいか悪いか分かりませんが、そうなってしまったのでした。
瞋恚は難しい問題であります。
義憤というものは、世の中をよい方向へと導く原動力になります。
しかし、怒りは、時と場合によっては身を滅ぼすことにもなりかねません。
『寒山詩』に
瞋は是れ心中の火、
能く功徳の林を焼く
菩薩の道を行ぜんと欲せば
忍辱して真心を護らん
という詩がございます。
瞋りは心中の火であって、いくら功徳を積んできたとしても、それを一瞬のうちに焼きつくしてしまいます。
菩薩の道を歩もうと思うならば、忍辱して己の真実の心を大切に護ることだという意味です。
先代管長のように高次元の、世の中を良くし、私たちを良い方向へと導こうという怒りは別でありますが、我々のわがままな怒りは身を滅ぼすもとになりかねません。
日本講演新聞の八月二十三日号に、怒りについて興味深い記事がありました
「「そもそも怒りというものは錯覚から生じるものです」と話すのはNPO法人「ネットワーク地球村」代表の高木善之さんだ。
あるセミナーで「怒りってどんな時に生じますか?」と高木さんは問い掛けた。
「政治家が不正をした時」「税金がおかしな使われ方をした時」「人から裏切られた時」「否定された時」「馬鹿にされた時」など、いろんな意見が出た。
突き詰めていくと、「自分の思い通りにならない時に腹が立ったり、怒りを感じる」ということで一致した。
次に高木さんは「ところで天候に腹が立ちますか?」と問い掛けた。「立たない」「なぜ?」「天候は最初から自分の思い通りにならないものだという認識があるから」
さらに高木さんは言う。「ところであなたは誰か第三者の思い通りになる人間ですか? あなたの夫、あなたの妻はどうですか? あなたの子ども、あなたの部下、この社会の指導者たちは、あなたの思い通りになる人間ですか?」
いや、自分は誰かの思い通りになる人間ではない。同様に夫も妻も子どもも部下も政治家も自分の思い通りになる存在ではないはずだ。
しかし我々はその人たちに対して、「こうあるべきだ」「こうあって欲しい」という要求を持っている。そしてその要求に応えていない時、腹が立つ。そこにはある種の「錯覚」があるという。
「彼らも天候と同じように自分の思い通りになる存在ではない」と、発想を180度転換させてみてはどうだろう。我々は「怒り」とか「腹が立つ」という感情から少し解放されるのではないか。」
というものです。
私などは、なるほど実にその通りだと思うのですが、この文章を紹介された編集の水谷謹人さんは、
「高木さんの論法には多少屁理屈めいたところもある。しかし、本質的なところは、血気怒気に走る感情的な怒りは、その人の精神衛生上、非常に有害であり、それに振り回されるなんて、ナンセンスなことかもしれない。」
と書かれています。
『佛説觀普賢菩薩行法經』には、
一切の業障海は、
皆妄想より生ず。
若し懺悔せんと欲せば、
端坐して實相を念ぜよ。
衆罪は霜露の如く、
慧日能く消除す
という言葉があります。
怒りのみならず、一切の煩悩、苦しみの世界は、皆妄想より生じるというのです。
妄想とは、誤ったものの見方であります。
無常であるのに常に変わらないと思ったり、自分の思う通りにはゆかないのに自分の思う通りにゆくと思い込んだりするものです。
根本的な思い違いによるものなのです。
それを何とか脱却しようと思ったならば身を正して静かに坐って真実を見ることであります。
この世は常に移り変わり、思うようになるものはなにもないと明らかに智慧の眼で見るのであります。
そうすれば、あらゆる罪や煩悩など、すべて露や霜が朝日に照らされて消えるようになくなるというのであります。
以前佐々木閑先生が、
「煩悩を無くすには、正しい判断のできる人になることだ」という言葉を紹介したことがあります。
煩悩は、正しく判断のできないことから起こるのであります。
思うようにならないものなのに、思うようになると錯覚して怒ってしまうのです。
義憤というような、お互いを良い方向へと進める怒りならよろしいのかもしれませんが、身を滅ぼす怒りもございます。
正しく物事を判断して克服したいものであります。
横田南嶺
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