なぜ八幡神社が日本で一番多いのか?

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  • Опубліковано 25 сер 2024

КОМЕНТАРІ • 46

  • @user-kn5oz4el6b
    @user-kn5oz4el6b 3 місяці тому +1

    2024年5月24日(金曜日☁14時12分)参考に成りましたありがとう御座いました🙏⛩

  • @jun6185
    @jun6185 3 роки тому +4

    八幡様、祖母の家の近くにあり周りにも沢山あり、親しみがあります🍀史実に残っていないけど一番多いのは民衆が広めていったから、
    民衆の心を捉え、祖先の方々が大事にされ、神仏融合、馴染み裾野までひろがり、身近にいらっしゃる✨🙏ありがたいと思いました😃✨🤲

  • @ricky-ricky4754
    @ricky-ricky4754 3 роки тому +15

    生まれた所の氏神さんも結婚して住んだ場所の氏神さんも現住所の氏神さんも…八幡さん‼️

    • @Yumi-kf7cl
      @Yumi-kf7cl 3 роки тому +4

      私も そうです。😁

  • @mayukoichihara1980
    @mayukoichihara1980 3 роки тому +5

    エンジのネクタイ、良いですね!石清水八幡宮に、よく参拝させていただいているので、内容もとても興味深かったです!

  • @user-ib4kz5gv8b
    @user-ib4kz5gv8b 5 місяців тому +1

    毎週茂原八幡神社参拝してます。産土神社です

  • @user-yf7lm8nv3s
    @user-yf7lm8nv3s 3 роки тому +11

    やはり仏教との融合が1番の理由かなと思います。
    朝廷から仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を賜り、全国のお寺に勧進されたようですね。
    先週、宇佐神宮に参拝させていただきましたが、ニ礼四拍手一礼だったので
    出雲系なのかなと思いました。
    元々は宗像三女神が最初に降臨されたのが筑紫の宇佐だったそうで、後から八幡神は祀られたらしいです。
    宗像三女神は素戔嗚尊の刀から生まれたと思いますから出雲系で合ってるのかなぁ…
    神話と歴史が融合した日本は浪漫があり色々妄想しながら神社参拝楽しんでます。

    • @naoki0785
      @naoki0785 3 роки тому +1

      はじめまして、宗像三女神の降臨について言いたいと思います。宗像三女神が降臨したのが宇佐の筑紫におりたったのなら何故、福岡県の宗像大社ができたのですか?おかしくないでしょうか?宗像三女神が降臨した地は福岡県の六ヶ岳(むつがたけ)と言う山におりたったと説が有力です。それに六ヶ岳から僕の家まで歩いて30分の距離で行けます。ついでに宗像三女神が御祭神である神社が僕の住んでる所に2社ありますよ(笑)

    • @user-yf7lm8nv3s
      @user-yf7lm8nv3s 3 роки тому +1

      返信が遅くなりすみません
      気付かなかったもので…
      宇佐神宮でパンフレット貰ってたんで
      その由緒書きには
      宇佐は神代に比売大神(多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命)天降られて早くから開けた所で…
      後に筑前の宗像大社や安芸の厳島神社にまつられ…
      と書いてありました。
      私も福岡に住んでるので宗像大社は何度も参拝させてもらってますから
      どちらかと言うと宗像大社派なんですが…
      私にはどちらが先かは解りません。
      神代の事は疑問に思う事が多々ありますんで、深く考えず妄想する程度にしています。

  • @user-dm8zd7dl4b
    @user-dm8zd7dl4b 3 роки тому +7

    いろんな思想を受け入れる、日本人ならではの特性を表しているのが、八幡信仰の広がりではないでしょうか。

  • @user-cv4uj5wd6t
    @user-cv4uj5wd6t 3 роки тому +11

    以前も限定ライブの質問コーナーで読んで頂きましたが、主人の実家のある村は、平家と縁が深いのですが、小さい宇佐八幡宮がありました。八幡宮ではなく宇佐八幡宮です。平清盛の孫が一時期住んでいた伝説があり、彼が宇佐八幡宮を信仰していたと言われています。宇佐八幡宮は平家の時代には、平家にも信仰されていたのではないか、と思っています。

  • @user-rp1mn6up8v
    @user-rp1mn6up8v 3 роки тому +6

    最近吉祥寺の武蔵野八幡宮に参拝したら大黒様がいらしたので驚きました。道を挟んで南東の光専寺にも大黒様がいます。

  • @user-kg5tc9di3q
    @user-kg5tc9di3q 3 роки тому +4

    あちこちにあるけど日本で1番多いとは知りませんでした。ミステリーって面白い!

  • @user-wo9oy8vb2r
    @user-wo9oy8vb2r 3 роки тому +4

    伏見稲荷大社や松尾大社も秦氏の氏神だったと思いますが、八幡神社にも関係があったんですね。

  • @user-cn3pi8yr4c
    @user-cn3pi8yr4c 3 роки тому +6

    弥勒菩薩信仰は救世主メシア信仰で、聖徳太子が深く信仰した広隆寺の御本尊は弥勒菩薩、すなわち救世主メシアであり、また自らが593年に建立した四天王寺に祀られる救世観音は救世主メシアを表して法隆寺にも祀られております。そして、お話の中の秦氏は、ユーラシア大陸の遥か西方から日本へ来て帰化した一族と言われていますから、当時日本に入って来た仏教はユダヤ教やキリスト教の思想に大きく影響された終末思想、メシア信仰の色彩が濃いものだったのでしょうか。そして、源氏も八幡大菩薩、すなわち弥勒菩薩、すなわちメシアを信仰し、混沌とした京都から遠い鎌倉に自分たちの理想の国を創りました。源頼朝公は、ご自分こそがメシアになろうとしたのでしょうか。そして、時代は進み、徳川家康公は源氏の姓を朝廷から賜り、鶴岡八幡宮を莫大な資金をかけてリノベーションをしています。また徳川氏の、おんりえどごんぐじょうど、というスローガンは、混沌の世を捨てて理想郷を目指すというメシア思想を意味しています。元来武士はメシア思想と相性が良く、秦氏と共に大陸から伝来した宗教観が、源氏や徳川氏の天下統一の大事業によって、八幡信仰と共に広まっていったと考えたことがあります。

  • @bamboosea1923
    @bamboosea1923 3 роки тому +4

    氏神さん、八幡さんです✨

  • @shanti5792
    @shanti5792 3 роки тому +1

    自分と相性が良い神社をしりたい

  • @tadashifujinaga
    @tadashifujinaga 3 роки тому +4

    ヤハウェなんでしょうか

  • @ilovenipponch5561
    @ilovenipponch5561 3 роки тому +8

    末法思想的なことがブームの火付けになるという説、ご尤もだと思います。平安末期の末法思想の流行で、阿弥陀信仰(浄土教)が広まり、その流れで法然、親鸞と続くのですが、本地垂迹説では、八幡大菩薩(垂迹)=阿弥陀如来(本地)なので、念仏宗系のブームの広まりと呼応した面もあるのかな、と思いました

  • @ES-lu9ff
    @ES-lu9ff 3 роки тому +2

    八幡神社けっこすてきです

  • @user-gj4sv4ef7p
    @user-gj4sv4ef7p Рік тому +1

    武士の人数は少なくても戦の一般兵は結局は農民が駆り出されてるから
    農業の神の稲荷と同じぐらい戦いの神の八幡も広まったと勝手に思ってましたけど、
    意外と広まった理由は謎なんですねぇ

  • @jawowin
    @jawowin 3 роки тому +2

    4:18 COVID-19

  • @watashi893
    @watashi893 7 місяців тому +1

    社紋が999です。昔から悲惨な事件に八幡系が多く、終戦後切腹も八幡系です。

  • @fukuyo5838
    @fukuyo5838 3 роки тому +2

    昨日ふと地元の寝屋川にある八幡神社にお参りさせて頂きました^^
    ※由緒
     境内に立つ案内には、
     「秦河勝の勧請と伝えられている。
     元和9年(1623)の棟札には、『奉管上(勧請)宇佐八幡宮御社』と書かれている。
    のが気になっていました。
    秦河勝氏のお墓も近くにあります。
    先月、ゆにわ塾に入らせて頂き学びを頂いている流れでのお参りでしたのでシンクロを感じてます^^
    いつも学びをありがとうございます🙏

  • @chinamukuwana5772
    @chinamukuwana5772 3 роки тому +1

    福岡県にある香春岳、いわゆる香久山といわれていますが、そこの麓一帯に渡来人の一族がいて、その民族の祭神が
    蛇と人間の合体した神様と聞いたことがあります。 彼らを八岐大蛇といわれ、やまたのおろちを発音していますと
    やまだのおろち  が やばたのおろち  MAがBAと発音したといわれています。 そこから ”やばた”とはつおんされてきたようですがどうなんでしょうかね?  滅ぼしたのは素戔嗚尊で、宝剣を奪ったといわれているその宝剣が、草薙の剣といわれている。
    おもしろいですね。どうなんでしょか? はちまんではなくて やーばたかもしれませんね。 BCのはなしです。

  • @ichigosuzuki2716
    @ichigosuzuki2716 3 роки тому

    近所の八幡神社の境内に稲荷あり、鳥居の横に弁財天があります。巳の日や寅の日に金運UPと世界平和を祈り、参拝させて頂いております。
    それと氏神様の境内にもなぜか稲荷が2つあります。稲荷はセットなんでしょうか?

  • @user-qz5mn2ql6w
    @user-qz5mn2ql6w 3 роки тому +4

    申し訳ありませんが、神社の投稿が少なくなって登録削除しましたが、また神社の投稿が多いので再登録し、いろいろ本も買っています。神社の投稿がすごくいいです 個人的な感想ですみません いいねを押しました。頑張って下さい

  • @kiyomiyamamoto3943
    @kiyomiyamamoto3943 3 роки тому +1

    神社⛩は日本と言う国を守るために造られたのかなとそんな気がしていますが、終末思想の八幡神社が日本で一番多いという事ですが、日本と言う国を守る!と言う事に関しては何系の神社になるのでしょうか?(交通安全とか家内安全とか神社によって色々ある様に)

  • @satopon555
    @satopon555 3 роки тому +5

    羽賀さん、こんばんは。
    夜分に失礼致します。🙇
    今までにお参りに伺った神社が、続けて社紋が
    三つ巴で、とても気になり、調べましたら、
    八幡さんの社紋との事で、また、弓道との繋がりもありました。
    違っているかもしれないですが、伺った神社に
    弓道の道場がありました。
    今回のお話で、
    さらに勉強になりました。
    有難うございました。🙏

  • @bakachopper
    @bakachopper 3 роки тому +1

    起源としては秦氏や、朝鮮系が絡んでいるのは分かるのですが、広がった理由と言えば、やはり源氏の氏神様としたところから、鎌倉以降江戸まで赴任先の武士(源氏)が、my八幡神社を建てたと思っていました。
    源頼光子孫、清和源氏系多田源氏系美濃源氏より。

  • @kiyomiyamamoto3943
    @kiyomiyamamoto3943 3 роки тому

    羽賀さん、スタッフの皆さん、いつも有難う御座います。
     ある疑問を感じていた事なのですが、今回のテーマの内容とは異なりますが、、
     私が生まれ育った地域の氏神様は金毘羅さんと総社宮この二つが特に主なのですが、その一つの総社宮は幾つかの神様を祀る事で総社宮と名付けられたのかと思っています。常陸国総社宮は6〜7の神様が祀られている様ですが、相性の(?)良い神様とか、相性の良くない神様同士とかあるのでしょうか?どの神様も同じ社殿に祀られても問題ないのでしょうか?それに加えて、例えば1日に幾つかの神社にお参りする、神様同士の相性の良い良くないと言った事で当日の参拝を避けた方が良いとか有るのでしょうか?
    (例:〜の神社へ本日参拝しましたが、他にも参拝する予定の神社があります、でも神社(神様同士の)相性が良くないので本日取り止めた方が良いとか)

  • @user-fm7sn9mq9n
    @user-fm7sn9mq9n 3 роки тому +1

    こんにちは。私は八幡神社が広がったのは、源氏の神様だから武士が広げたと思います。羽賀さんは動画の中で、武士は人口の一部で大多数の農民に広がるきっかけが無かったと述べましたが、違うと思います。「武士も農民だった」んです。私はオッサンなので司馬史観の影響を受けてますが、武士の本質は開拓農民なんです。で平安時代の律令制では、農地を開拓してもその人の物にならない。ふざけんな! ということで、都の貴族に反抗して武装したのが、武士の始まりだと考えてます。
    鎌倉時代になって、源氏を担いで政権も獲得した。ついでに源氏の神社を分社してもらって、自分たちの土地でも祀り出したのが、八幡神社信仰の広がりではないでしょうか。武士も農民で、しかも開拓部落のリーダーです。リーダーの言うことには、異論がなければ従ったのが当時の農民でたちだと思います。
    ご参考まで。

  • @bikonasukuna
    @bikonasukuna 3 роки тому +2

    那須与一が
    那須八幡大菩薩 あの扇の真ん中射させて給うたまえ
    と言っていたなと。。。

  • @nyoi5552
    @nyoi5552 3 роки тому +2

    確かに八幡神社🤔と云う御名前の神社多いですね。はちまん神😒祭神が→応神天皇を主座、比売(ひめ)神、神功皇后、の三座で一体とする。と在ります。👉🏻断じて🥺八幡神に誓って🥺噓偽りなくと誓う意

  • @nagisanagi
    @nagisanagi 3 роки тому +12

    八幡神社のこと、めっちゃ気になってた時に丁度上げて頂いてありがとうございます!!!タイミング良すぎてびっくりしました( ゚A゚ )感謝MAXです!!!
    567とか369系の話も色々繋がってそうなこととか、この時期に私が八幡神社が気になったっていうこととか…心に火灯りまくりますよ( ゚A゚ )

  • @user-vs8rf7xb7z
    @user-vs8rf7xb7z Рік тому +1

    阿波にヤハタ神社が多い.元は宇狭八幡では。おおくの田に種お播く意味では。阿波のあは始めあらゆる波は阿波からだとおもう。天皇も天照も農業も阿波からはじまった。

  • @oooo-kj1xq
    @oooo-kj1xq 3 роки тому

    古代ユダヤですね

  • @user-wg9yr7mv7p
    @user-wg9yr7mv7p 3 роки тому

    八幡て海賊って意味らしいけど。

  • @karazishibotan9451
    @karazishibotan9451 3 роки тому

    Α ༀ Ω
    Great awaking
    MASTER PEACE
    Earth People's Liberation Brotherhood
    地球人民解放同盟

  • @TT-xx3nw
    @TT-xx3nw 3 роки тому

    ハチマンじゃないですよ。ヤハタですよ。もともと漢字なんて当て字でヤハタを漢字にした後に、音読みで勘違いして発音してしまってるだけです。浅間もアサマであって、センゲンではないですよ。アサマは縄文の言葉で火山のことですから。言葉は大事にしましょう。浅間神社が富士山の周りにたくさんありますよね。センゲンって言わせているものもアサマって言わせて言わせているものありますが、アサマは言葉を大事にしているのでしょう。浅間山はアサマでよかったと思ってます。センゲン山だったら最悪です。

    • @rakiobaketawa
      @rakiobaketawa 3 роки тому

      浅草(あさくさ)の浅草寺(せんそうじ)はどちらが正しいのでしょうかね(*ov.v)o

    • @rakiobaketawa
      @rakiobaketawa 3 роки тому

      浅草(あさくさ)の浅草寺(せんそうじ)はどちらが正しいのでしょうかね(*ov.v)o

    • @TT-xx3nw
      @TT-xx3nw 3 роки тому

      @@rakiobaketawa こっちは仏教ですから