【ゆっくり解説】明治21年 磐梯山噴火 ー日本近代史上最悪の火山災害ー

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  • Опубліковано 25 лип 2024
  • 明治21年、福島県の磐梯山の噴火は日本近代史上最悪の火山災害となりました。
    磐梯山の山体が崩壊し、500名近い犠牲者を出した歴史的な噴火を解説します。
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    <目次>
    00:00 オープニング
    00:38 磐梯山について
    01:37 磐梯山の噴火
    04:22 北麓の岩屑なだれ
    06:43 東麓のブラスト
    07:40 被災地での医療活動
    09:20 国と民間からの支援金
    11:14 噴火後の磐梯山周辺と洪水
    12:54 エンディング
    <参考文献>
    内閣府「磐梯山噴火報告書」2005
    磐梯山火山防災連絡会議「磐梯山火山防災ハンドブック」2001
    雲野香右衛門『磐梯山大変録 : 密画插入』阿部彦三郎 1888
    記載のない画像についてはWikipediaより引用
    #災害史 #噴火 #磐梯山

КОМЕНТАРІ • 40

  • @cbdtipsvtuber8057
    @cbdtipsvtuber8057 9 місяців тому +13

    磐梯山の見える場所からコメントしています(河東インターそばのローソン)
    小さい頃から見てきた磐梯山、噴火の歴史はなんとなく覚えていましたが、改めて動画で見てみると甚大な被害だったと改めて痛感しました。

  • @user-it7vh2uw7h
    @user-it7vh2uw7h 9 місяців тому +16

    地元で驚きましたが、話題に取り上げて下さりありがとうございます…!
    今は猪苗代湖や五色沼など自然が豊かな観光地ですが、慰霊碑など多くの記録が今なお伝えられており、日本初赤十字の救助があった石碑も見かけた事もありました。
    この動画を見て、改めて忘れてはならない歴史や自然の脅威を感じる事が出来ました。(up主の動画制作も専門的で、いつも為になります)

    • @RekiotaNoSeidai
      @RekiotaNoSeidai  9 місяців тому +2

      励みになるコメントありがとうございます!

  • @user-rl6dl5zl7r
    @user-rl6dl5zl7r 9 місяців тому +24

    探すと噴火した時に飛んできたクソデカ岩が近隣の町に有ったりする

    • @TAUQAJHSQ
      @TAUQAJHSQ 5 місяців тому

      年々埋まり続けているヤツ、

  • @CHAOS-qs5py
    @CHAOS-qs5py 9 місяців тому +9

    山頂がまるごと吹き飛ぶほどの大噴火で山の形が変わってしまう「山体崩落」が起きたんだよな。その状況を連続写真だったかでリアルタイムで撮影された映像が残っているはず。あれはすごかった。まさに山の怒りそのもの。

  • @qtfunny6082
    @qtfunny6082 4 місяці тому +3

    母の実家が桧原なので、毎年の墓参ついでですが慰霊碑にも手を合わせてきます。私が子供の頃にはもう少し山中にあった慰霊碑ですが、今は廃校跡地に移設されています。裏磐梯の豊かな自然が130年前の災害の後に成り立ったものだと思うと、不思議な気持ちにもなりますね。

  • @user-mi5mk7fy3w
    @user-mi5mk7fy3w 9 місяців тому +5

    磐梯山は、噴火するまで水蒸気が出ておらず、静かな期間が長かったら、火山という事実が失くなるでしょうね。

  • @user-bs8um9ow6s
    @user-bs8um9ow6s 7 місяців тому +3

    高祖母が磐梯山噴火もしかしたら経験していたかもしれないな。元々畑を持っていたがこの磐梯山の噴火で畑が使えなくなり後に今の浪江町に引っ越したと、曽祖母から祖母が小さい頃聞いたと言っていたな。

  • @fuhkin575
    @fuhkin575 4 місяці тому

    こちらのチャンネルはつい最近見つけたのですが、資料に淡々と語らせるスタイルながら、語られる内容が凄惨であるだけに、むしろ凄みさえ感じます。災害を扱うあまたのチャンネルとは一線を画すものと感じ、登録しました。
    また、会津にルーツをもつ方と知り親近感が湧きました。

    • @RekiotaNoSeidai
      @RekiotaNoSeidai  4 місяці тому +1

      嬉しいコメントありがとうございます。
      とても励みになります!!

  • @user-vz3vs3ii1c
    @user-vz3vs3ii1c 6 місяців тому +2

    毎年桧原湖にはワカサギ釣りに行っているのですが、あの鳥居はなんだろう?行けるのかな?と思っていました。
    噴火の爪痕だったとは…
    やはり自然はすごいですね😮

  • @user-jj4mr3vf5f
    @user-jj4mr3vf5f 5 місяців тому +1

    少し前にこの動画が出てきて面白くて即登録して全部見ました。とても面白くまた為になる動画だと思います。
    子供の頃に磐梯山に行ったことがあり、その頃に遊覧船で湖底の村というのを見た記憶があって、長くそれは猪苗代湖だと思ってましたが桧原湖だったようです(母に電話して確認してみました)リンク先の動画も見ましたがあそこまで濁ってるなんて、と驚きました。子供の頃に見た時は普通にはっきり見えたのに、と思って考えたら…あの頃から60年もたってました(笑)当時弟がはしゃいで飛んで歩いた道も今では歩けなくなってるとか母から聞きました。水中での発掘がこれからも進むのを楽しみにしています。それから主様もお体大切になさって動画も頑張って下さい。楽しみにしています😊

    • @RekiotaNoSeidai
      @RekiotaNoSeidai  5 місяців тому +1

      嬉しいコメント、ありがとうございます
      励みになります!!

  • @user-zz7em1dp3e
    @user-zz7em1dp3e 9 місяців тому +5

    チャンネル主は会津藩にルーツがあったのか。災害の風評被害ってシャレにならない。一人ひとりが現地がどういう場所で、どういう事が起こったのか、それを確かめることは、例え動画配信が個人で出来る現在でも不可能だと思う(自分から見に来なければならないから)
    マスコミにも大事な使命があるが、ヘイトって人目や興味を引くから手段の一つでは有る。でもそれは「報道の観点ではない」んだな。
    一度受け入れられ、定着した評価を覆すのは大変だ。こういったことは報道のマイナス例として残される事であるな。

  • @user-kp8eu8dn9z
    @user-kp8eu8dn9z 9 місяців тому +7

    明治後期の都市部物価で比較すると、1円は現代の2~4000円相当くらいで考えればいいかな。(当時は都市と地方の格差が激しいから、被災地での価値はもっと高そうだけど)

    • @user-dl3cj9rv8c
      @user-dl3cj9rv8c 2 місяці тому

      明治時代後期の旧1円(昭和23年に貨幣法の改正があって今現在に至る)は、だいたいが5000~8000円くらいではないかと思います。これは金のg単位価格に基づいた金本位制だったためです。
       昔の文学作品に銭と円が登場しますが、我々現代の者からするとひどく安く感じますが、実際はとんでもない大金だったりしますね。

  • @user-tw9hl7wx8e
    @user-tw9hl7wx8e 9 місяців тому +6

    そう言えば、災害って集中する時期が有るよな。
    明治20年代もそうだし、昭和19〜23年も、戦災に加えて地震、台風の被害が集中している。
    「令和の大災害」が起きない事を祈る。

  • @user-nt9tj6ge8e
    @user-nt9tj6ge8e 5 місяців тому

    この噴火の為に大河ドラマ八重の桜で西島秀俊さん演じる山本覚馬が江戸から会津に帰国した時磐梯山の姿が当時と変わっていたんですよね。

  • @user-po4ci6vb9x
    @user-po4ci6vb9x 25 днів тому

    磐梯山の噴火は、ドクター野口も、子供の時経験していました。伝記で、読んだよ。

  • @Legendary_mapo_tofu
    @Legendary_mapo_tofu 9 місяців тому +6

    小原庄助さんの印象だが、噴火する山だったのか

    • @kakkazan2008
      @kakkazan2008 9 місяців тому +4

      小原庄助さんの唄が出来た頃の磐梯山は、まだ「静かな山」だったのでしょうね。

    • @user-wo9om2ec4v
      @user-wo9om2ec4v 9 місяців тому +2

      ワシ昔、小原庄助べんとうなる駅弁を食べたことある。
      一説には小原庄助さんは、あの鬼官兵衛こと會津藩家老佐川官兵衛の指揮下で戦い戦死した會津藩士だったという(同姓同名の藩士の墓がある)

  • @hirohisaishikawa9624
    @hirohisaishikawa9624 Місяць тому

    こうして見ると、火山の山体って砂場で作った砂山みたいに非常に脆い物だと痛感させらるな。

  • @user-re7rq1pzwkjr
    @user-re7rq1pzwkjr 9 місяців тому +1

    磐梯山噴火警戒レベル1(活火山である事に留意)近畿地方には活火山が無い…火山認定されてる神鍋火山群最後の噴火は、1万2000前位。

  • @user-um7no9tv9m
    @user-um7no9tv9m 9 місяців тому +7

    そうでしたか…主様のご先祖様は会津藩士でありましたか…。
    それはそれは、言うに言われぬご苦労がお有りだったでしょう…。
    徳川家とは並々ならぬ結びつきがあったがために賊軍と言う汚名を着せられて…さぞや悔しかったでしょうね😢
    会津のお姫様が親王殿下にお輿入れされ、少しはお気持ちが晴れましたならよかったです…。
    あら!磐梯山とは関係が無いことを書いてしまいましたことをお許しください。

    • @RekiotaNoSeidai
      @RekiotaNoSeidai  9 місяців тому +12

      曾祖父は明治元年生まれで19の時、会津から歩いて上京したそうです。お輿入れの際は東京の会津関係者が集まって大喜びしたとか

  • @user-dl3cj9rv8c
    @user-dl3cj9rv8c 2 місяці тому

    磐梯山の噴火に関して知ったのは小学生の高学年になってからだったかな。確か小磐梯山が炸裂した感じの錦絵を書籍で目にしましたが、水蒸気噴火だったとは。錦絵から感じられたのはマグマ噴火そのものだった気がしています。

  • @LITHRONE35
    @LITHRONE35 Місяць тому

    野口英世の故郷、翁島村は無事だったのか。

  • @user-wo9om2ec4v
    @user-wo9om2ec4v 9 місяців тому +3

    松平容保のことをネットで調べていた時に少しかじった話ですが、なんとも想像を絶する災害だったんですね。
    戊辰戦争ののち、冷たく追い出されるようにして會津を離れた容保公でしたが、この大災害に矢も盾もたまらず被災地に駆けつけ、會津の人々は両手を上げて歓迎したといいます。

  • @user-yh1wz8rz1d
    @user-yh1wz8rz1d 5 місяців тому

    気象庁は基本的に月1回、富士山等の一部の活火山について火山活動解説資料を発表していますが、磐梯山は今でも山頂北麓で弱いながら噴気活動が続いており、注意が必要である事に変わりは無い様です。

  • @user-po4ci6vb9x
    @user-po4ci6vb9x Місяць тому

    野口博士も、若い頃経験したかもしれないよ。伝記に載ってたよ。猪苗代湖のそばに住んでたからかな。

  • @moomin53
    @moomin53 9 місяців тому

    長瀬川は「はせがわ」と読むと思ったんですが、当時は読み方が違ったのかも知れません。

  • @kurenai892
    @kurenai892 5 місяців тому

    普通に考えれば、山腹の温泉に浸かっておいて「活火山という認識がなかった」って有り得ないんですよね😅
    その湯は何故温かくなってるのか??っていう…

  • @xiaog7555
    @xiaog7555 9 місяців тому

    山体崩壊で上の方がぶっ飛んだから
    磐梯山はいわゆる頂上を「5合目」って言うんですよね
    記録がないので正確な事はわからないみたいですけど

  • @user-nr1wq1xb2j
    @user-nr1wq1xb2j 5 місяців тому

    野口英世の母がこの山を見ながら幼い英世を背負っていた、と伝記に記載されていた。

  • @Kappa-Lub
    @Kappa-Lub 3 місяці тому

    会津党閥似加わった北九州市 小倉藩。