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事故当時の報道を思い出して涙が止まらず、画面が見えなくなって何度も再生を止めました。当時はバスの端っこがトンネルの坑門付近でひしゃげただけで、乗客乗員は隧道内で救助を待っていると信じていました。自衛隊をはじめ関係者各位の御尽力で搬出されたバスの車体…トレーラー(トラック?)に搭載された状態で大人の背丈ほどもあるかどうか、愕然としたのをつい先日のように思い出します。犠牲者の皆様のご冥福をお祈りするとともに、御遺族の皆様、壮絶な現場で救助に当たられた方々に通信回線越しですがお見舞いと感謝をしたくコメント致しました。最後になりましたが、この貴重な画像を見させて頂きありがとうございました。
最後まで見て下さり、ありがとうございました。私も毎年雪まつりのころ、この事故を思い出します。自分よりも1まわりも若い人たちが極寒のトンネルで命の火が消えたのはあまりにむごい帰結でした。この動画の制作はかなり迷いましたが、遺族と思われる方からお礼のコメントくださり、なにか肩の荷がおりたような気がしました...
この事故以来しばらくトンネル通るのが怖かったです
退官した自衛隊幹部です。懐かしくみさせていただきました。当時、真駒内の11師団司令部第3部防衛班に勤務しておりました。(3部とは訓練・防衛を担当する部署です。)災害が起こったのはちょうど雪まつりが開催されており、真駒内駐屯地も当時は大雪像を駐屯地内につくり一般公開していました。休日でしたが、私はちょうど司令部当直で勤務しており、事故が発生して後志支庁から倶知安に重機の要請があり災害派遣となりました。豊浜トンネルがある地域の災害派遣担当は第11特科連隊だったのですが、3月末日に廃止が決まっていた倶知安の第29普通科連隊に最後の花道を作ってやるという当時の師団長の決心で第29普通科連隊の派遣になりました。凍てつくような寒さだったので豊浜側の入り口からたくさんの温風ファンを回して中を少しでも温める努力をしていました。私も司令部の現地連絡班で行った際には、現地視察に訪れた師団長を案内してバスの前面(豊浜側から入ると岩に潰された中央バスの前面だけが見えました。)数メートルまで行ったのですが、バスのハザードはまだ点灯していたものの人の気配は感じませんでした。ちょうど映像で曲がり始めたところです、あそこから数メートルまっすぐ行ったところがそのバスが埋まっていた場所でした。とにかく対策本部にいた全員がなんとか巨大すぎる5万トンを言われていた巨石を取り除かねばという思いでした。自衛隊への要請はあくまでも重機による掘開でしたが、建設業者が何回も発破を失敗するあまり、閉じ込められている方の家族から、早く助けたいから戦車砲で巨石を撃って欲しいという非公式の要請もありましたが、たとえどんな状況でも国民に砲(銃)を向けることはできないという結論でした。他の方も言われているように、自衛隊の持つTNTを使えば1回で巨石を破壊できたかもしれませんが、巨石をトンネル側ではなく反対の海岸側に落とさねばならず、発破後の土砂のコントロールが計算できる土木業者に任せることになった次第です。4回めの発破のときも対策本部におり、モニターでその様子を見ておりましたが、発破が成功したときは不謹慎ですが自然と拍車が起きました。対策本部には自治体や主役の開発庁小樽開発建設部、警察、自衛隊がおりましたが、みんながやっとこれで助け出せるという思いでした。それから怒涛の勢いで土砂を取り除いていたのですが、最初に巻き込まれた赤い車が掘り出され、その後に中央バスの白い屋根が出てくるところまで自衛隊が掘り出したのですが、そこから北海道警察にバトンタッチしました。振り返ってみると、対策本部長の小樽開発建設部長は場馴れしておらず、いらいらするぐらい指示や方針が遅かったのを記憶しています。自衛隊は災害派遣等で自治体関係機関とつながりがあるので、こういうときはこうするというマニュアル的なものがあるのですが、道路を作ったり管理するのが専門の小樽開建にすべてを任せるのが間違いだったのかもしれません。小樽開建の上部組織は北海道沖縄開発庁になるので、そうなるのがしかたなかったのかもしれません。あれから何回か、積丹方面に行く際に豊浜トンネルを通りましたが、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りせずにはおられませんでした。
崩落事故当時の、災害派遣された自衛隊の観点から興味深いお話を聞けて大変ためになりました。岩の下の車両に搭乗者の生存が認めうる中、巨岩を海の方へ滑り落とすという困難な作業、また発破後の土砂除去は危険をともない、にもかかわらず隊員の働きで車両に到達できました。生存者はいなかったですが...当時は道路建設をどんどん進めてもトンネル崩落時の対応など準備がなく、隊の出動がなければ車両到達までさらに時間かかったことと思います!
災害派遣で行った元自衛官です私も、崩落現場まで徒歩で確認しに行きましたバスのハザードはまだ点いており運転手さんの白手袋のようなものが片方落ちていました(見間違えかもしれません)ハザードがあるってことは、あと少し先に居るのですがトンネル内は空間が無いほど岩で埋まっておりとてつもない恐怖と絶望感が…今でもハッキリ覚えています。
心苦しい任務に当たって頂きまして誠にありがとうございます。文中「建設業者が何度も発破を失敗する」とありますが,この件に関しては当局からの圧力で火薬の量を制限せざるを得なかったとの証言もあります。局からの圧力に屈した結果,業者の意図に反して小規模の火薬量にする他無く,苦渋の思いで発破をかけた結果,失敗という不幸な結果に至ったようです。これらについては,当時の記者であった溝口 徹氏の著書「氷結の岩」が詳しいです。
もう25年たったんだ。その日は崩落一時間前に豊浜トンネルを仕事で通過していました。バスの運転手は知り合いでしたし、小学生2人は前日にスキー授業をするために、自分が運転するバスに乗ってました。バスの中で「明日は雪まつりを見に行くんだ‼️」と友達と話していたのが、まだ覚えています。バスの後ろを走って一緒に被害に遭った乗用車の運転手は、いつも行く釣具屋の店員さんで、顔見知りでした。あと一時間遅かったら自分も巻き込まれてたかもと、思うと他人事とは、思えないですよ。あと古平に向かって走っていたダンプ、回送のバスも何台か居たそうで、その車も危うく巻き込まれていたかも。崩落した時はトンネル内が物凄く土埃で前の車すら見えなく成ったと、ダンプ、回送のバスの運転手から聞きました。崩落する前から古平側入り口付近には、大きな岩とかが旧道に落ちているのを目撃してましたけど、あの道は常に落石が有るのでさほど気にはしていなかったですが、後になり考えれば、崩落の予兆ら有ったと思いますよ。
今日の8時10分で、あれからまる25年です。とても貴重なお話をいただき、感謝申し上げます。旧豊浜トンネル付近、入江のカーブ急で浸食がすすみやすい地盤脆弱を示すものの、これほどの岩盤崩落はおそらく数百年に一度の出来事かもしれません。開発局報告書は予見不可能と結語してます。しかし、提供いただいた情報では予兆ととれる落石があったようですね。土埃の話、ひしひしと伝わります。結局通行者がたまたま運が悪かったと総括しているようにも読めます。一瞬でトンネルに閉じ込められ命を落とした人たち、厳寒期に寝ずにバスで救助を待ったそのご家族のことが忘れられないことを祈念します。
@@SteelonHayabusainHokkaido 崩落事故とは、関連が無いのかも知れませんが豊浜トンネルが作られた場所は、昔アイヌ民族の処刑場所だったらしいです。またトンネル工事中は何回も幽霊騒ぎが起きて、作業が中止に成ったことも有りました。岩盤を破壊するのに何回も発破掛けたのは、下敷き成ったバスの乗客が生きていると想定しての火薬量だったので、何回も発破する事になったっと聞いてます。発破作業にあたった、作業者の人も脆く成っている岩盤が、いつ崩落するか解らない状態での作業で、命懸けの作業と聞いてます。そんな状態で開発局の幹部達は暖かい部屋でテレビを見ながら指揮してたそうですよ。現場の声、遺族の声を一切聞かず、現場での責任転換とか、現場に居た開発局幹部の態度には、腹が立ちました。それはひどかったですよ。
豊浜トンネル
@@スズキ事務荷 北海道開発局長官が現場に来たのは何日目でしたっけ? 自衛隊への災害派遣依頼はいつなされたのでしょう?
@@SteelonHayabusainHokkaido 昔の記憶なので、曖昧だけど自衛隊は直ぐに来たと思います。開発局長官は、来てた事すら記憶に有りません。多分きても直ぐに帰られたからだと思います
この動画をきっかけに、セタカムイ道路防災祈念広場に来て、いま現地から書き込みしています。慰霊碑には多数の供花や供物がお供えされています。当時ニュースで救出活動を歯痒い思いで見ていた記憶が蘇ります。亡くなられた方々の写真を見て胸が締め付けられました。この動画を作って頂き、本当に有難う御座いました。
動画は説得力ありますが、現地の空気にかないません。今日はバレンタインデーですね。余市のサティにチョコ買いにバス乗った女の子も犠牲になったとききました。こちらこそ、ご視聴、またご足労いただき、うれしく思います。御霊にお気持ち伝わったでしょう。
驚いたこと、除雪がされていること。1シーズン1回ではないです。雪が降るたびに除雪しているのでしょう。周辺の人口を考えたら、除雪をして一人も通らないこともあるでしょう。雪国の人ならこれの凄さをわかりますよね?この除雪に関わっている人達に敬意を表します。ありがとうございます。
国道付帯設備なので駐車場の除雪は当然かもしれません。おっしゃるとおり、記念碑や追悼施設周辺がきれいに除雪、植木が冬囲いされているのは配慮ですね
開発局の施設なので、除雪は当然かも知れない。ただ逆に言えば、冬の日でも一人でも多くの人に事故のことを知ってほしいと言う開発局からのメッセージにも思える。事故が起きたのは真冬でしたから。
もう25年経ちましたか。他のコメントされた方同様、自分の遠い身内も犠牲者の1人です。トンネルを通る時に思い出してくれたら嬉しいですね。動画をありがとうございました。
ちょうど今日で25年ですね。親類の方のご冥福お祈りします。忘れてはならない出来事だと思います。こちらこそ御視聴ありがとうございました✨
貴重な映像ありがとうございます。現在中学生なので事故当時まだ私は生まれていませんが、この動画を見て、この事故が風化されないでほしいと思いました。そして、犠牲になった方のご冥福をお祈りいたします。
御視聴ありがとうございます。バレンタインチョコ買うため、バスに乗った女の子たちも犠牲になったと聞きます。今生きている尊さを大切にしたいですね
あれから1度も通ってません。それまでは毎年夏には必ず通る道でした。テレビの前であんなに無力を感じたことは未だに経験していません。決して忘れません。どうか安らかにと願うばかりです。本当はこうした動画を見ることもずーっと辛かったけど、大人になったのかな。最後まで泣かずに見終えました。手を合わせてくれてありがとうございます。貴重な動画をありがとうございます。
心境が伝わるコメント痛みります。皆が利用する国道で道が原因で起きた事故、多くの人に影響しました。一方、時は過ぎていき、その影響もひとによってさまざまに変化しました。ずっと直視するのは重すぎ、しかし忘れ去るのも無理..
通るたびに事故のことを思い出します。恐ろしい事故だったけど、今の若い人たちは知らない人が多いです。もう現場を簡単に見ることはできないので貴重な映像だと思います。ありがとうございます。
御視聴ありがとうございます。奥まった入り江に現場あるのでドローンで今回お見せできてよかったです。
当時、地元北海道の札幌で接客業をしてました。雪まつり時期でとても忙しく、仕事終わりにニュースを見て事故を知りました。その後の話で雪まつりを見に行くためにバスに乗ってた、母子家庭のお母さんと小学生の息子さんが巻き込まれたと聞いてとてつもなく悲しい気持ちになった事を今も覚えてます。豊浜トンネルの動画を見たり、雪まつりシーズンになると思い出され被害にあわれた方達の冥福を祈ります。
積丹町から雪まつりへ行くために中央バス乗った方が多かったようですね。一方、厳寒期でチャラシナイ岬の岩の湧き水が凍結膨脹、岩盤を脆弱にした頃でもあり、早朝、多くの方が事故に巻き込まれてしまいました。追悼施設中で千羽鶴みたとき、いたたまれない気持ちになりました。
昨年はコロナ禍のため叶いませんでしたが、ここ十数年、お盆時期に埼玉から新日本海フェリーで帰省しています。上陸した早朝、神威岬方面へのドライブがお決まりですが、豊浜トンネル崩落事故のことは毎回思い出します。次の機会には追悼施設に立ち寄りたいと思います。貴重な映像、ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。道路防災祈念広場はトイレもきれいで、セタカムイ岩が旅情を誘います。ぜひ帰省時にお寄りください。
犠牲者のご冥福をお祈りいたします🙏貴重な動画ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます。交通事故、トンネル事故、会いたくないですね。
よくドライブで通ったトンネルだったので、あの事故は大変ショックでした。何とか助かってほしいとテレビを見ながら祈ってました。もう通れないあの場所は残骸だらけで荒れたままなんだろうか…と大変気になっていて…綺麗に整備され、観音様もあると知ると安心するものですね。本当に貴重な映像をありがとうございました。私も今年は慰霊碑に手を合わせに行きたいと思います。
ご視聴ありがとうございます。あの巨岩に圧倒されると同時に、なんとか早く助けられないかと私も焦燥感にかられました。雪のせいかもしれませんが、神殿のような佇まいをみて同じ思いをしました。雪どけしたらたぶんお線香あげることできると思います!
小学生か中学生頃の事故の記憶がありますね岩盤の爆破の失敗が続き岩盤が大魔神みたいな顔に見えたのは凄く恐怖を感じましたね。
岩盤撤去に4日くらいかかりましたか... 大魔神の件、道新の写真でしたっけ?
多分そうだと思いますが。間違ってたらごめんなさい。
コメントなどを書き込みするのが初めてなので、乱文・乱筆お許しください。 現状の豊浜トンネル崩落事故現場についてありがとうございます。実は最近どうなっているか、私も気になっており、ドローンなどで近づいて見ることができれば、、、と考えておりました。しかし、電波の都合などで、あれ以上、近づくことは困難なのですね。残念です。それでも感謝の気持ちでいっぱいです。あの事故、、、私にとっては、かなり身近でかつ衝撃的でした。私、20歳のときです。よく私の古平の同級生が、「古平は狭いからほとんどが顔見知りでつらいんだ」と話していたことを思い出します。友人は、事故直前にも豊浜トンネルを通ったということでした。実際の崩落現場は観音様があるところよりももう少し奥、すなわち余市側のような気がしますが、その辺りは全く拝見することは不可能でしょうか? 余市から古平の海岸線を通る道路はすっかり変わってしまったのですね。小さいころ、親父に連れられ、古平方面によく行きました。ろうそく岩を見ながら海岸線を車で走った記憶があります。路線バスで古平の友人宅に行く際には、えびす岩をみて何度も驚いた記憶もあります。ここ最近は訪れる機会がなかったので、大幅な路線変更があることを存じ上げませんでした。 ここにコメントを書き込んでくださっている方々の小樽周辺の映像、楽しく拝見いたしております。親父が車でトンネルに入る際にクラクションを鳴らしていたことも思い出します。これからも様々な情報をご提供いただければ幸いです。本当にありがとうございました。
大変ご丁寧なコメント痛み入ります。私も同じく、25,6歳のころ、この事故を連日札幌から注視してました。崩落地は観音像よりやや奥になりますが、廃止が決まったトンネルはコンクリート閉鎖が原則であり、たとえ海路で入江に上陸しても現場にいけません。地元にお知り合いがたくさんおられるのですね。ろうそく岩は前編#2にありますので、よろしければ。またえびす、大黒岩は昨日行ったので今後アップします。
コメントありがとうございます。ここに書き込まれている方、それぞれに思い出があって、涙が出てきます。今頃、古平に住んでいた友人は何しているだろう?刑務官をしていたことまでは聞いたのですが。遺族にも25年の月日が流れたのですね。押しつぶされたバスの搬出時の画像がありました。以前はもっとネット上にも情報があったような気がします。
貴重な映像本当にありがとうございます。今現在高校生である自分は勿論当時産まれて居ませんでしたが投稿主様の撮影した崩落現場の映像を見た時涙が出てきました。これからも動画投稿是非頑張って下さい。
御視聴ありがとうございます。豊かな感性をおもちなのはご両親や友人のおかげかもしれませんね。次は北海道の伝説をモチーフにしたのをあげる予定です
何年か前に豊浜トンネルを通った時にその時は何も感じなかったんだけど。後になって豊浜トンネルって岩盤崩落事故のあったトンネルだよなーときがつきましたが、旧道は今はひっそりとした海側にあるんですね。見れてよかったです。ありがとうございました
コメントありがとうございます。励みになります。あの辺り、トンネル多いのでよほど気を付けないと通りすぎちゃいますね。道路防災祈念広場はトイレもきれいなので寄ってみてください
事故の発生した当時はまだ幼かったのでこの事故のことは知りませんでした。他の方の動画でこの事故のことを取り扱ったものを見てこの悲しい事故のことを知りました。新トンネルが完成したことで事故現場は今では容易には行くことはできない、とも紹介されていたので、こうやってドローンで撮影しUA-camに動画を上げて下さるあなたのような存在は大変ありがたいです。感謝します。
ご覧くださり、ありがとうございます。現場はセタカムイ岩に隠れた入り江にあり、ドローンで接近するのも難しいですが、新トンネル走ると変なカーブしてるので機会あれば。みんなで雪まつりやバレンタインチョコ買いに行った若者はもう帰りません…
貴重な映像ありがとう
あり難きお言葉こちらこそありがとうございます。
忘れかけていました。素晴らしい動画ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます。あれから四半世紀ですね...
事故発生当時、私は高校3年生でした。前年に修学旅行で北海道を訪れていたこともあり、この事故はとても衝撃的で記憶に残っています。昨年、ほぼ四半世紀ぶりに北海道を訪れることができ、ようやく慰霊碑に手を合わせることができました。この事故に際してご遺族の方々と向き合って取材を重ねられた、元北海道新聞の記者・ 溝口 徹 氏の著書「氷結の岩」の冒頭には「老朽化とはほど遠いあのトンネルは、なぜ落ちたのか。その理由を知る人は少ない」「今あるトンネルがなぜ二つのカーブを描いているのかも、知る人はほとんどいない」と記されています。投稿者様の「カーブで過去の出来事を思い出して」のメッセージを見て、その冒頭の文章を思い出しました。この2月にも北海道へ行こうと色々準備を進めていましたが、コロナ禍のため残念せざるを得ませんでした。そんな折、このような貴重な映像を投稿いただき、たいへん感謝いたします。初夏の頃には、改めて北海道へ足を運ぶとともに慰霊に向かいたいと思います。
修学旅行に訪れた北海道で起きたトンネル事故に関心もたれ、現地に行かれたのですね。そうなんです、さほど古くないトンネルでした。遺族には国賠支払われましたが、開発局の幹部は有罪になりませんでした。これが意味することは…落ち着いたらまた北海道にいらしてください。その前に、このコメント欄やたら長いですが、通読してみてください。
ぺしゃんこになった バスを見たときは涙が出てきた。
バレンタインのチョコを買いに行く若い人たちが乗っていたなんて信じたくないですよね...
小樽に住んでいて、この事故の2日後に生まれた娘が、もう25歳になります。ニュースは病院でも見ていました。自分も忘れられない事故です。
ちょうどお産の時期と重なったのですね。25年たち、その赤ちゃんが大人の女性になり...ほんとうに一人ひとりかけがえのないいのちですね。
他県で事故とは全く接点のない私ですが、当時小学校から帰ってきて、なかなか進まない爆破作業を歯がゆくテレビで観ていたことを思い出しました。「発破」という用語もこの事故から学びました。教訓として、こういった 映像資料を観ることができることに感謝です。
ご覧くださり、この事故はご本人達、ご家族、報道見た方たち、道路行政に大きな影響与えましたね…
自分は事故当時小学生でしたが、冬に起きた崩落事故はよく覚えております。今は車に乗って主様と同じく北海道内ドライブしたりしてますが、長い迂回トンネルはなにかきっかけがあって作り直されたものがほとんどだと思います。この豊浜トンネル然り、洞爺湖温泉街へ通づる2つのトンネルも火山の噴火で新しくできたトンネルでしたが、長いトンネルほど何かあったら・・・と常々思います。改めてドローンにての撮影、おつかれさまでした。それとありがとうございました。合掌。
あり難きお言葉ありがとうございました。長大トンネルが道内に急増したのは、豊浜トンネルの事故などがきっかけのようですね。ドライバーとしては圧迫感あるトンネルは歓迎できないですし、トンネル内で事故が起きると復旧に時間がかかります。しかし、このような危険なトンネルよりも安全性は高いと信じたいですね
@@SteelonHayabusainHokkaido 37の静狩トンネル周辺だとまだトンネル自体が先細りみたいな物が多く、大型車との離合はヒヤヒヤしながら通ってますね作られたのが古いだろうこともあり、割とおっかないですw
撮影&編集お疲れ様でした❗いやぁ、今回も素晴らしい動画ですね⤴ あの旧豊浜トンネル横に観音像があったとは、、、もう25年も経ったのかと、色々考えさせられました。貴重な映像ありがとうございました🙇
こんにちは。ご視聴ありがとございます。またしても、電波切れに悩まされましたが、zoomでなんとか現場が見れました。本当は入江に上陸してみたかったです。
当時私は小学校低学年でした崩落で発破をかけていた場所に木々が生えてきていますね、、、時の流れと共に風化してはいけない合唱、、、
女の子たちがバレンタインのチョコ買いにバスに乗ったそうです。私たちと同じく人生を歩めるはずの人たちが道路自体の問題で...
学生時代に何度かドライブした道でしたので、大きなショックを受けたことを覚えています。この時にはすでに道外に出ていましたが、テレビにかじりついて報道を見ていました。岩盤に押し潰されたバスの、ハザードランプが点滅していた中継映像が今も忘れられません。あの頃は、93年の北海道南西沖地震、翌年の東方沖地震、一年おいてこの豊浜トンネル事故、さらに翌年たくぎんの破綻...と、北海道でなんとも重苦しいニュースが続いた時代でしたね。全国的にも95年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件など、「世紀末」を実感するような、辛い事件事故が続いた時代でした。
私も学生から社会人になる過渡期におきた重大事件の一つとして、記憶に強く残る出来事でした。北海道に住むことの意味合いと道路管理の限界を思い知ることになりましたが、被害にあった若者たちが存命なら社会人として親としての姿があったはずと思ってしまいます。
まだその頃は学生でしたが、豊浜トンネル崩落の衝撃的なニュースは覚えています😢バスが事故後80センチの高さになっていたとか、、、
とても衝撃的な事故でしたね。小生は社会人2年目で、会社の観楓会でバスで通ったばかりで、自分が事故にあわなかったのは単なる運としか思えません...
少し遅ければ、、、と考えると危なかったですね💦自然災害はほんと怖いです🥲
3mのバスが80㎝になっていたというのは報道されておりましたね。ご遺体収容作業に当たっておられたうち若い消防士の方が思わず目を背けたという話も聞きました。
痛ましい話です。道のせいでこんなことは二度と起きないよう祈念するばかりです
私が就職で北海道を出る年におきた事故でした。引越しの準備をしながらニュースを見ておりました。あれから25年、本当に悲しい事故でしたね…
連日、とてつもない巨岩、発破、ガレキ除去の様子、報道されていましたね。4半世紀たってもこの道路災害は重い事実です...
自分が生まれる前の出来事なので、事故自体は知ってましたが詳細は余り知らなく、この動画で事の重大さが分かりました。犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
御視聴ありがとうございます。道自体の問題で命を失う、どう受け止めたらいいかまだ私もよくわかりませんが、少なくともこの命をよく生きたいと思ってます
当時ニセコのスキー場に勤務しており、豊浜トンネルは事故の半年前に走りました、この事故は今でも鮮明に覚えており早く救出されないかと心から願っていました、6年前に豊浜トンネルを走りました、旧道に向かって手を合わせて参りました。
2月スキー客対応でお忙しくされているとき、突然耳に入ったニュースに驚いたでしょう。私もあの巨岩をなんとかならないのかと焦燥にかられました。合掌されたとのこと、お気持ち伝わったと思います。
@@SteelonHayabusainHokkaido さん、ご返信ありがとうございます、その当時圧雪と救助を兼任していましたので尚の事早い救出お祈っておりました、本当に痛ましい事故でした。
当時の彼女と、又は仲間と積丹方面によく行き、ここも何度も通りました。ニュースでのご家族の声は今でも記憶に残っています、慰霊碑にも花を手向に行きました。動画ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。ドライブの際、花とともにお供えしたお心伝わったと思います。今を生きている貴重さ...
崩落の半年前そこを通ったよくこんなところに道路作ったもんだなと、同僚と半ば関心と半ば恐怖感を感じながら通った。半年後まさかあんなことが起こるとは思いもよらずに…災害が起こらないと対策がされない、日本のインフラ整備の進め方に一石を投じたことになった。20名の御霊と引き換えに。あまりに重すぎる命に今も心の中で合掌を続けている。
ご無事でなりよりです。当たり前のことですがこういう事故が起きたとあっては尊いことです。積丹では山道から海岸道路に大規模に切り替えられた際、予算だけでなく安全意識が不足してたとしか思えないですね。
事故当時小学生でした。関西に旅行に言って一番衝撃を受けたのは古い道路の平坦さです。北海道だとどうしても冬季に地中の水分が凍結と解凍を繰り返すせいでどこの道もボコボコでアスファルトも剥がれてますもんね…そしてフキの多さ。山菜として好まれるフキは水分の多い土地に成育する植物です。このフキが住宅街だろうが街中だろうが ちょっとした空き地に生えているのをよく見かけます。北海道は亜寒帯に属しているにも関わらず水分を多く含む土地が多いため内陸だろうと斜面がある場所は崩れる危険がある事を意識して生活する必要があります。
今、あちこちの道路あなぼこだらけで、道路工事中ですよ。また、この事故おきたところはチャラセナイ(小川がさらさら流れる)というところですしね。とはいえ、ここにトンネル掘った是非も合わせて考える必要ありそうです。
忘れられない痛ましい事故でした。寒空の下、犠牲になった方はもちろんご家族様もどれほどご無念であった事か。映像を観て25年たった今でもその頃の現場や救助の様子が思い出され自然に涙がでました。日本は海沿いや山間道路が多くトンネルだらけ・・・主様の動画でも旧(道)トンネル、旧旧(道)トンネルとの並びが多くありますね。事故がなければ昔の構造物はロマンですがほんとに自然は厳しく、管理は大変だという事を改めて考えさせられました。
動画のメッセージがつたわり嬉しく思います。あの事故の前の秋はツーリングや会社の慰安会で豊浜トンネル利用してて、報道見て愕然としました。四半世紀経ちましたが強烈な記憶ですね。
撮影お疲れ様でした。事故を知らない世代へドローンで見て普通れない現場ありがとう御座います。
視聴ありがとうございます。交通事故だけでなく、道自体気をつけなければならない出来事でした。
このニュースはリアルタイムで固唾を飲んで見てました、まさか全員が死亡するとはという感じでしたね…。痛ましい事故でした
20人も突然命奪われましたね。その後、道内では内陸側に長大トンネルに切り替えられました。
全員生還じゃなくて ? しばらくは皆で励まし合いながら救助隊が来るのを待っていたのでは もっと早く救助してあげればよかったのに・・・。
@@barbieoneness8219 ほぼ全員圧死で即死だった気がします。犠牲者の高校生が一人、3分間は生きていたなどという分析をしていた専門家も居た気がしましたね。生きていたとしたら恐怖と苦しみの3分間に他ならないですね…
@@barbieoneness8219 確か全員圧死で即死だった筈。これを機に無茶なトンネル工事に「待った」がかかったんじゃなかったっけかな?
@@barbieoneness8219 もっと早く…なんて、当時の作業に携わった方たちのことを考えたらちょっと軽率だと思います。
あれからもう25年ですか・・・余りにも悲しい事故でした。亡くなった方々の御霊に鎮魂の誠を捧げたく思います。合掌。
御視聴ありがとうございます。時間もたち、また、冬ですからこうして動画で契機をもうけてはと…お気持ち伝わると思います
動画、ありがとうございました。小樽出身、東京在住、50歳です。この事故で中学校の先輩、美しい女性が亡くなりました。10 代の終わり頃、深夜も中継される現場の映像をテレビで観てました。本当に悲しい事故です。合掌。
私も50代です。事故発生当時、積丹へ行く際に通ったことがある道で巨岩が崩落、若者の安否、そしてその家族の様子に心が痛みました。ご覧くださりありがとうございました。
この事故がきっかけになりトンネルや隧道の安全について点検されて道内のあちこちで修復改善されました。今ある安全は ある意味この事故がきっかけで格段にupされたと思います。北海道を離れて数年この配信を見るまでこの事を忘れていました。 嫌な事を思い出してしまう方もいますでしょうがあらためて犠牲者様やその家族の無念を感じつつ日々安全を守る道路管理の業務の方々が守って頂いてることに感謝させて頂きたく思いました。
まったくその通りだと思います。豊浜トンネルと、97年、同じく国道229号 でおきた第2白糸トンネル事故(島牧)で開発局は抜本的に道路行政を変え、トンネル付け替えが道内各地で行われましたね。現在、開発局の黄色い車両が頻繁に道路点検してますし、セタカムイ道路防災記念広場を含め、冬季もきちんと除雪され、通行者はその恩恵を受けてます。犠牲になった人々への追悼の念とともに、今後、私たちも道路になにか気になる点があれば通報する、異常気象時は無理して通ろうとしないなど注意が大切ですね。
あれから25年ですか。。。当時トラックで長距離してたので、よく覚えてます。
長距離だと、一日にいくつもトンネル通り、とくに長大トンネルは気をもんだことかと思います。
@@SteelonHayabusainHokkaido さん。今の日本海側路線は、当時の面影すらないくらい道路開発が進みましたね。被害に遭われた親子さんの事を思い出すと今でも胸が苦しくなります。このような大惨事があった事を、映像で後世に残す事もとても大事な事だと思いました!余談ですが、事故の数時間前に先輩ドライバーが通過して居ました。僕は今でも積丹へ釣りに行く事が多いので、立ち寄って手を合わせてきたいと思いました。追悼動画、ありがとうございました!
貴重な映像をありがとうございました。当時私は、10歳でした。この映像を見るまで、峠の山道かと思っていました。海だったんですね。この事故から私はトンネルが怖くて仕方がありません。今でもです。それほど衝撃的な事故でした。
当時、しおりさんより少しお姉さんたちがバレンタインチョコ買いに、また雪まつりを見にいくため、中央バスのりました。彼女たちの家族には国家賠償されましたが、公道通るのはある意味自己責任のようなところがある現実に愕然とします…
当時中一で積丹の中学に通っていて授業を中断して発破のニュースを見た記憶があります。岩盤の下には同級生のおじいちゃんやスキーを教えてくれてた人や色々知ってる人が乗ってました。なので少しでも早く岩盤が撤去されて欲しいと思ってました。これから先同じことの無いように切実に願います
中央バス、積丹町発でしたね。お知り合いがたくさん乗っていたとは、連日発破をみながら心が苦しかったでしょう。私もこの2月はとても寒くて早くしてくれないと...と当時TVをみながら思ってました。いろいろな条件が重なってたまたま事故にあった、というふうに忘れ去られてはならない出来事です。
ありがとう御座います
お言葉、痛み入ります。
あの痛ましい崩落事故は今でも鮮明に記憶に留まっております。25年も経つのですね😭ご冥福をお祈りします😭🙏😞
連日、TVで現地から報道されました。ずいぶんたちますが、忘れることはできないですね
動画拝見しました。事故が起きた頃、ちょうど積丹半島一周できることができる橋が開通した頃で、大学生だった私は手軽に行けるドライブコースとして何度もこの道路を使用していました。ゼミ室で突然のニュース映像にたいへん驚いた記憶があります。仲間と何度も通った道がものすごい事になっていて、衝撃を受けました。犠牲者の多くも同じ年代の方々で、ぺしゃんこのバスの画像に本当に悲しくなりました。事故があったころも、同じように雪がうっすらかぶっていて、当時のことを鮮明に思い出しました。犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、思い出す機会をいただきました投稿者様にも御礼申し上げます。
ご視聴ありがとうございます。おそらく私とほぼ同級生ですね。昔は神威岬まで往復という感じでしたが、229号が開通してドライブに観光に便利になった矢先にこのような悲劇が起きました。なにかが忘れられていたとしか思えません...
2度目の発破後の巨岩に現れた豊浜の悪魔の顔は忘れられません。
視聴ありがとうございます。顔は自然の驚異、犠牲者の、あるいはその家族の怒りが表出?
@@SteelonHayabusainHokkaido 当時の写真週刊誌にも被災者とその家族の怒りが現れたと書かれていました。
父の地元が古平町で、地元の豊浜トンネルで過去にこんなことが起きていたなんて…..信じられないです…この崩落事故を教訓にして、これ以上悲しい事故を無くしたいです。また、北海道に行く機会があれば、セタカムイ道路防災祈念館へ向かいたいと思います。
一部の地元の人はこの件もう触れたくないようです。一方、遺族の方?からこの動画に感謝されたことも。バレンタインチョコを買いに、また雪まつりを楽しみにバスに乗った若者たちが国道自体の問題で人生を終えたのは事実...祈念広場は後志道余市ICからそう遠くないのでぜひ現地で感じてみてください。
僕が生まれた2月14日にこの事故のニュースがいまだに流れていたと昔母から聞きました。学生時代に自転車で北海道1周をした際に何か縁があると思い、投稿者さんと同じように慰霊碑で手を合わせたのを覚えています。そんな僕ももうすぐ25歳。このご時世なのであまり北海道には伺えませんが、また手を合わせにいきたいと思っています。投稿者さんの動画がすごく好みだったのでチャンネル登録させていただきました!撮影大変でしょうが、北海道が好きなので楽しみにしています♫
お若い方が関心持ち、視聴くださり、うれしく思います。当時私は25才でよく積丹に行っていたのでとてもショックでした。私はマニアックなスポットばかりいきますが、是非今後も引き続き視聴おねがいします
地元ではありませんが、北海道住みの大学生です。私の母が小樽の高校で働いていた頃の教え子が 通学中にこの事故で犠牲となったと聞きました。そう遠くない存在であったことを思い知って恐ろしかったです💦もう二度とあのような惨事は起きて欲しくないです
様々な条件が重なりましたが、公道で起きた惨事であることは紛れもない事実ですね。先週、積丹に行った際、防災広場で手を合わせてまりました
私は、このトンネル崩落事故が発生した時は、小学生でしたが、かなりヤバイ状況なのはテレビからもひしひしと伝わって来ました。私の母親が北海道出身なのですが、私の母の地元の近くにも、同じ名前で、豊浜トンネルってあって、そこも50年くらい前に土砂災害で犠牲者が出ているトコなんですよ。やっぱりなんか因果でもあるんですかね。あと、最近になり、同じく母の実家に行く時に通る乙部町の舘の岬トンネル付近も、また土砂崩れでトンネル付近が通行止めなんですよ。最近北海道新幹線の話で北海道はもちきり(延伸は延期になったのかな)ですけど、新幹線の前にやる事あるんじゃないの?とは思います。
この異常事態ぶりは小学生でも感じたでしょうね。このトンネル事故は国家賠償請求など尾を引きましたし、その後の道路行政を少しでも海岸から内陸へ、それゆへ長大トンネルへと変わりました。Xにポストしましたが、館の岬、昔は岬を砂利道の国道が巡ってましたが、その後トンネルができました。しかし、今は大きく迂回しないといけませんね。
元北海道千歳民です。この事故は元道民、現道民も忘れない事故です。当時、中央バス千歳ターミナルの待合室のテレビの中継(古平側のトンネル入口)に延々と流されたあの事故から25年、神奈川から亡くなられた方にご冥福をお祈り申し上げます
同じく赤ラインあるバス待っているとき、前代未聞の道路災害の報道に接したお気持ち、お伝えくださり、ありがとうございます。忘れてはならない出来事ですね。
そんなことがあったんですね… 亡くなられた方々にご冥福をお祈りします。私は21世紀生まれ、九州育ちなので恥ずかしながらこの事故は知らなかったです。この動画で知れて良かったです。ドローン映像は資料館でも使われると良い資料の1つになると思いましたよ!
私も動画がなにか感じるところを与えたならよかったです。ドローンですが、ブレをなくすジンバル付きが普及しつつあり、画質が劇的に向上してます。次の動画は探検っぽいのを上げる予定です。
関東在住でしたが、事故現場がテレビで24時間カメラ中継されていたのを覚えてます。当時は朝早い仕事をしてまして、朝4時ごろにテレビを付けると、岩が埋まったトンネルが生中継されてましたが、BGMがクラシックでビックリしたのを覚えてます。事故現場中継でこの音楽はいかがなものかと思いました。今流に言うと、空気を読めてないという感じでしょうか。
御視聴ありがとうございます。2月の北海道でおきた岩盤崩落事故、発破がうまくできず撤去に1週間ほどかかり、その様子が連日報道されました
あの衝撃的な事故から、もう25年も経つのですね。テレビのニュースに釘付けでした。トンネルは新しくなったとは聞いていましたが、途中から新道で、事故現場のかなり先に出るのですね。そして、あの出入口には近づけず、かなり手前で封鎖されていることが、よくわかりました。セタカムイ岩や覆道があることも、初めて知りました。ドローンのお蔭で、慰霊の映像が撮れて、何よりです。立派な慰霊碑や建物もあって、あの事故の重大さを感じます。改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。実は私もあの事故の後の夏に、道東をドライブしました。トンネルこそ少ないエリアですが、短いトンネル(霧多布の付近?)でしたが、何か不安になり、早く通らなければ!と思ったものです。あの事故をきっかけに、トンネルの一層の点検やバイパスの建設が進められたのでしょうが、悲惨な笹子トンネルの事故も起きてしまいました。道路管理者には、トンネル、橋梁、そして道路の点検、修理を怠りなく、徹底して欲しいと願わずにはいられません。ドライバーが安全、安心して通行できるように!今回、私もとても気になっていた場所だけに、貴重なリポートありがとうございました。
当時、連日、TVで救助作業を放映してましたね。確かに、トンネル早く通過したくなるような出来事でした。今回、行政報告書や論文もざっと目を通しましたが、あの岬に道を作ったのは、たぶん当時の削岩技術レベルとコストの関係もあったと思いますが、誤りであったように思います。でも、予見不可能との結論でした。また、記念広場の展示はドライバーにも早くトンネル内状況を伝えるためとのこと。あの2月10日、雪まつりにいくためバスにのった高校生のご両親の気持ちを考えるととても複雑です。
貴重な映像をありがとうございます。不謹慎かもしれませんが、海とも雪ともほぼ縁のない県に住んでいるので風景の美しさに驚きました。こんなに綺麗な場所なんですね…この美しさが逆にどこか悲しい空気を持っているように感じました。私が生まれるずっと前に起こった事故ですが、知ることができて良かったです。崩落事故でお亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈りします。
ご覧くださり、ありがとうございます。まるで氷の神殿のような雰囲気ですよね。しかし、96年の2月はこの近くで我が子の帰りを待つ人々が何日もバスの中で待機してました。もし北海道旅行で積丹にいくなら途中で寄ってみてください。
@@SteelonHayabusainHokkaido 返信ありがとうございます。実は昨年北海道に行く予定だったのですが、コロナの影響で中止になってしまったんです…この映像を見てますます北海道に行きたくなりました。コロナが収まったら絶対に行こうと思います。
貴重な映像ですね。旅行で通った際、このあたりで崩落事故があったんだよなぁ...と。通行が再開され、路線バスが現場から発車する際、悲しみ??怒り?追悼のクラクションを3回ほど鳴らして走り出したのを覚えています。
ご覧くださりありがとうございます。中央バス、ですかね?道のせいで、ドライバー、乗客がなくなり、やるせない、そんなホーンだっかも…
本州から積丹へ旅行に行った際に通って、あの事故の!と公園に立ち寄りました。バスのウインカーが点滅していた映像を覚えています。その後、中央道笹子トンネル死亡事故と、事故は無くなっていません。事故からもっと学ぶべきことがあるはずです。動画ありがとうございます。 事故の話とは別ですが、トンネル内で断面が変形しているトンネルは全国に結構あり、旧トンネルの廃止や、落盤、線形変更などがあり興味深いです。
旅行の道中、寄られたのですね。笹子トンネルも、大変な事故でした。その後、国道で黄色い車の道路点検よく見かけるようになりましたが…トンネルの形に複雑な事情がありえること留意したいです
貴重な動画をありがとうございました。このトンネル事故を発端に全国のトンネルの緊急点検がおこなわれましたね。人命を失わなければ、動かない、変わらない国「日本」。しかし、国が重い腰を上げなくとも人々の心に教訓は、受け継がれていると信じています。
ご視聴ありがとうございました。今は開発局の黄色い車が国道を点検してますし、主要トンネルにはカメラがあり、異常事態を早く把握できるようになってます。ドライバーも予兆を感じ取る感性が大切ですね。
2008年から毎年のように秋口にフェリー&マイカーで北海道へ行きます。国道229号は何回も走りましたが、崩落事故を知ってからはそのたびに慰霊碑に寄って手を合わせます。セタカムイ岩が悲しい遠吠えをしているようにも見えます。新道が開通して事故現場へは近づくことができず、人の記憶からも消えかけているようですが決して忘れてはいけない事故だと思います。
御視聴ありがとうございます。セタカムイ岩が本来の伝説とは異なる役割担ってる感じもしますね。また、是非北海道にいらしてください。私は今年は道南をめぐってみたいと思います。
積丹半島一帯は崖と海しかなく、昔は人が歩くくらいの狭い道すら部分的にしか無いと聞きました。そんな場所でも住民の生活の為には、車が通れる道が必要であり、その為にはトンネルを掘るしかなく、崩落の危険があるのも仕方なかったです。とは言えそれで事故が起きたことは痛ましく、何とかならなかったのかとも思います。
船での行き来、峻険な山の道の苦労から、海岸道路を望んだのはたしかに現地の人たちですね。しかし本当に予見不可能だったのか、予防できなかったのか...
有難うございます。。。あの日も、この時と同じ厳寒期でしたね。無理に接近する必要はないです。私にはトンネル坑口が、絶対不可侵の墓標に映ります。貴重な映像、有難うございました。
早速ご覧くださりありがとうございます。積丹行ったらセタカムイ防災祈念広場でまた手を合わせようと思います。
笹子トンネル事故からちょうど9年が経ちました。豊浜トンネルについて様子を知りたくなり検索したところ、こちらの動画を見つけました。ありがとうございます。涙が止まりません。
笹子トンネル事故、悲惨な帰結で遺族はまだ心の傷癒えないでしょう。豊浜トンネルほか、層雲峡小函崩落事故も公開してます。
事故でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
御霊への尊いお気持ち、うれしく思います
人類がいる限り、この事が忘れられないのを願って寒い中、お疲れ様でした。
ねぎらいのお言葉痛み入ります。前途ある若者が道で亡くなったこと忘れてほしくないです。
冬に行かれて、貴重な映像を撮って公開していただき、ありがとうございました。 一瞬写った8:30のカットが心霊写真のように見えて怖かったです。
ご覧くださりありがとうございます。夏、防災祈念広場はよく寄りますが、冬行ったのは初めてでした。撮影者の姿が窓ガラスに映ってしまいました。気を付けます。
北海道とは縁も無い人間で、関東在住ですが、25年前のこの事故が起きて大変なことが起きたものだと、テレビで救助作業の成り行きを見ていました。崩落事故から数日が経過して、救助作業が続いていた当時、高校生だった自分は通っている学校に入試の手伝いに行っておりまして丁度、雨の降った日で寒い中、校門の近くに数人で立ち受験生を案内している合間、教職員とこの事故の話を少しした記憶があります。埋まったバスも自家用車もまだ見つからなかった時でしたが、教職員の一人が「あの崩落事故、巻き込まれた人はもう全員ダメだろ」と呟いて自分も同感で黙ってしまったことが、四半世紀前ですが、本当についこの間のことのように思い出されます。
たしか初日か二日目でバスの映像が映りましたが、客観的にみれば絶望となりますが、ご家族はー10℃にもなる冬に現地のバス内で1週間ほど救助を待っていたそうです。人の運命がここまで違うのはなぜなんでしょうね。
古平や積丹の人たちの中では、もう暗黙のタブーになっていて、この事件に触れることは無くなりつつあります。
当地の人々にとってライフラインである国道で起きた事故、辛く重い現実ですね
こんにちは、お疲れ様です、引き続き豊浜トンネルを久しぶり拝見しました、過去に自分も12年前に冬に2回ほど余市町と古平町に車でドライブしました。豊浜トンネルを入った時は緊張が走り何かあると、感じました。慰霊碑に止まりトイレ行くついでに、追悼して海を眺めながら帰り、あの事故を振り返り改めて感じました。帰りは余市町側に戻り追悼しながら、塞いでいる旧豊浜トンネルをちょっと見て帰りました。ただ崩れた跡の豊浜トンネルに観音様があったのはびっくり‼️しました。やはり忘れてはいけないですね、
御視聴ありがとうございます。豊浜トンネル事故から時間たちましたが、折に触れ、踏査すべきと思い冬にいきました。重要なスポットまた調べたいと思います❗
28年後の2月10日に拝見しました。親御さんの悲痛な声が忘れられません。
このタイミングでの視聴ありがとうございました。あまりに強烈な出来事でほんとつい先日のことのようですね
忘れていた記憶が蘇りました。衝撃的で悲しい事故でしたね。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
当時私は20代でしたが、私も衝撃的な出来事で忘れられないです。折に触れてセタカムイ防災祈念広場にて手を合わせてます
構成が素晴らしい。当時の記憶が蘇ります、被害者の御冥福をお祈りします。
ありがとうございます。事前に北海道開発局図書館で事故報告書を精読しました🫡
自分は、古平から遠く離れた空知地方に住んでいますが、この事故のことはよく覚えています。25年前なので、中学生くらいだったんですね。トンネルに突き刺さるように崩落した岩盤、発破後に発見された潰れたバス、この二つはとても衝撃的でした。被害者遺族の心情は分かりませんが、トンネルの名前が改良後も残されたので、この事故を忘れずにいることができます。
ご視聴ありがとうございます。まさに衝撃的でしたね。国内有数のトンネル事故、それもあれほどの巨岩の落下がメディアに詳細に報じられ、いろいろな課題、教訓を残したことをお伝えしたかった次第です。
全部のコメントに返信してる……凄い好感持ちましたが無理しないでくださいね。面白おかしくするアンチもいるかもしれませんので。札幌で当時彼女と固唾を飲んでニュースを見てました。未だにトラウマでトンネル恐怖症と積丹方面にドライブ行く事もなくなってしまった。貴重な動画ありがとうございました!バイクに乗ってるのですか?運転気をつけて下さいね。
ご視聴ありがとうございます。このようなお気遣いのコメントは初めてです!1週間ほど報道あったので彼女とのデートと重なっても無理ないです。多くの人に影響した出来事でした。バイクは無事帰還必達で今年も(^^)
本日慰霊碑へ訪れました。この事故は20歳だった私にもとても印象的で衝撃的な事故でした。事故は日曜日?の朝だったような…あまり交通量か多くない時間の巨大岩盤の崩落の瞬間、バス一台と乗用車1台がたまたま下敷きになっての大惨事…犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
ご訪問お疲れさまです。セタカムイ岩の向こうで起きた事故に想いを馳せ、いつもと違う夏になったと思います。残念ですが、乙部町の229号で最近崩落がおき、被災者はいないようですが、海岸道路の課題を再考させてます…
思い出しました感謝致します
本動画がお役にたてて光栄です!
はじめまして、もうあれから25年も経つんですね~ 時の流れが速く感じます。年に1度その場所を訪れます。その度にあの崩落のことを思い出し手を合わせております。
人生あっという間ですね。しかしトンネルに閉じ込められた人たちは…あそこに立ち、そう思いますよね
初めまして、今日(2021年2月10日)、テレビのニュースで豊浜トンネル事故発生から25年と放送されていました。遺族の方が慰霊に訪れている映像が流れていました。すっかり忘れていましたが、当時のニュースで救出の映像が放映されていたことを思い出しました。発破がうまくいかなかったことなどは、よく覚えています。その後、スマホでUA-camを覗いたところ、この動画がトップに表示されました。偶然かもしれませんが、何か不思議なものを感じました。
発破ですが開発局は業者任せにして戦略不足との指摘もあります。結局自衛隊の力がなければ1週間過ぎてもバスの乗客は帰らなかったでしょう。この動画の注釈には2月10日と記しており、UA-cam AIが可能性のある視聴者へおすすめしたのかも?
返信ありがとうございます。私自身の嗜好の旧道や廃道(トンネルも)と2月10日が関連して、UA-camがこの動画を提案したんでしょうね。この日(2月10日)は何度かUA-camを覗いていましたが、豊浜トンネル事故から25年のニュースの後に、この動画が表示されたので、絶妙のタイミングで驚いた次第です。
この時代、断崖絶壁の真横を通るトンネルが結構多かったですね。このトンネルを通ったことありますが、崖が崩落してきてもトンネルが耐えられるからここにトンネルがあるのかなと思って通り抜けた記憶があります。
海岸道路は風光明媚な景観を楽しめ、爽快ドライブでした。が、当時の工法の限界で断崖にトンネルが作られたようにも思います。そこにトンネルが作られた意味を少し考えたいものですね
ご冥福をお祈りいたします、
動画の意図が伝わりうれしく思います
もう25年ですか・・・当時は大学生で、家のテレビにて固唾をのんで見守っていました。当時の映像は正面や斜めの映像が多く、事故現場が入口からすぐのところだと思っている方が多いですが実際はもっと奥の方です。(観音様よりもっと奥の方です)トンネルを修復した後に発砲スチロールで覆い緑化させており映像の岩盤に向かって木の茂みが山のように盛り上がっている所の真下が事故現場になります。復旧直後は綺麗な芝生でした。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
とてもお詳しくて敬服いたします。この動画のコメントたくさんいただきましたが、緑化の工法までご指摘された方は初めてです。崩落事故現場はやや奥まったところということは、自衛隊の作業、困難だったと思います。今度通りかかったとき線香あげます...
この動画をたまたま見かけるまで、地元北海道でこんな悲劇があったことを知りませんでした。発生時期的に当時の僕はまだ赤ん坊、しかも道北に住んでおり積丹半島のあたりとは縁遠い人間だったので、知らなくても不思議ではないとは思いますが…。もちろん設計上の不備や災害発生後の対応にも問題点はあったでしょうが、それ以上に自然災害に対する人の無力さを感じてしまいます。自然豊かな北の大地で生きる我らだからこそ、時としてその自然が牙を剥いてくる可能性もあるってことを忘れてはならないですね。
御視聴ありがとうございました。ご指摘に同意です。開発が進んだ北海道にすむ私たちは、雪害、獣害、この岩盤崩落にあうリスクをよく認識していなければなりませんね。最近は熊害が気になります。ヒグマの住む地を開拓し、今も住む現実。
何年か前に豊浜トンネルをとおりました。その時は何も考えず通った後にあれ?豊浜トンネルってあの岩盤崩落事故があったトンネルだったようなとUA-camで検索した事を覚えてます。あの悲惨な事故はたった20数年前だったんだ、もっと昔の事故だったような気がします。何となく豊浜トンネルを通った時に何かを感じた事を覚えてます。
豊浜トンネルの線形は微妙なカープがあり、違和感を感じる人もいると思います。トンネル抜けると、防災祈念公園とあり、あ、と思うかもしれません。当時、観楓会のバスで通ったばかりの場所で崩落があり、愕然としました
「お別れの時間です…」の所で黙祷させて頂きました…もう28年経過してしまいましたが、自然に還ろうとしてるのですね…
@@misako-i3y 真心のこもった視聴有難うございます。公道自体が原因の事故が起きないことを祈念します
@@SteelonHayabusainHokkaido 返信ありがとうございます。当時リアタイで会社の昼休みに見てましたが、「豊浜トンネル内の天井から砂利が落ちてくる。」と数年前及び数分前から通報があったにもかかわらず開発局の長官が家族のもとに来たのが事件発生(もはや、事故でなく事件)数日後、というのが許せませんでした…
@@misako-i3y 私も秋に会社の慰安旅行でトンネル通ったので、報道にくぎづけでした
@@SteelonHayabusainHokkaido 返信ありがとうございますあれから笹子トンネルでも天井崩落事故、船では知床遊覧船沈没事故も有りましたがトンネル事故に関しては「豊浜トンネル岩盤崩落事故を学習してないのか💢」と父と話してました
施設内に生花があったという事は、定期的に参っている方がいらっしゃるのですね。
我が子へ、また永遠の若者たちへの供養が絶えないと…
当時、どうしようもない無力感に苛まれた事を、未だに思い出します。お亡くなりになられた犠牲者とそのご家族に、また救出作業に関わられた隊員と、その他すべての関係者の方々に心安らかな時が訪れる日を心よりお祈りしています。
ご覧くださり、ありがとうございます。あれほどの体積の落石、愕然としますよね。しかし、🚌などに乗った若者たちの命が失われた事実に直視しなければ…
余市出身。東京在住のおやじです。当時まだ余市在住で、連日テレビで、現場の映像が流れてました。美国に、いとこが居るので、よく通ってました。昔は、トンネルの巾も狭くて、怖かったです
1週間くらいずっと報道ありましたね。美国まで旧海岸道路は短めのトンネルと覆道の連続でした。#2に蛸穴ノ岬の洞窟道路、#4にシリパ岬の動画があるので、よろしければどうぞ。ua-cam.com/video/R2SegYIWAUE/v-deo.html
今だから話せます!当時このトンネルが出来た頃、天井にはウッスラと人影らしき気味の悪い(当時うわさもありました)シミが有り一人でそこを通る時は天井を見ないようにして走っていました。事故時には自分は外国におり,その事故を2日後位に知りました。何と可愛い身内がその事故に巻き込まれていました。知らせがあったというか?部屋の電気が何回か消えたり点いたりしていました…・いとこが亡くなったときにも外国に居ましたが同じようなことが有りました……日本中の人たちが1日も早く1時間も早く全員の命が助かって欲しいと神に祈っていてくれていたことでしたね。この場をお借りして御礼申し上げます。有難うございました!
こうしてみるとセタカムイ岩自体も剥離崩落した岩なのだとよく分かります。当時は現地の様子がよく分からず、一つトンネルを抜けた位置だった事を最近知った次第です。北海道の海岸線にある道路は、先人たちの血のにじむ努力で作られている事を理解出来ました。改めて犠牲になられた方のご冥福をお祈り致します。
ご覧いただきありがとうございます。主人を待つ犬とされるセタカムイ岩は湾のような形状の地形ができるプロセスで生まれた産物でしょうね。
当時、小樽に転勤して居て、何度も仕事やプライベートで通って居たトンネル…。正直に、この事故に巻き込まれて居ても知れません。、不思議では有りませんでした。人の運命は、いつ決まるのでしょうか…。
運命の決定は気まぐれで残酷なこともありますね。先日、セタカムイ防災祈念広場で手を合わせてきました
私は当時17歳で‥この事故のニュース鮮明に覚えています 同じ世代の方がと思うと‥胸が締め付けられます数年前忘れていました 北海道に行き積丹半島をドライブ その駐車場🅿で私の運転にかわりその時は何も考えず‥ただ新しいトンネルとしか のちにあの新しいトンネルはと気になって調べたら。。すごく申し訳ない気持ちになりました。
あと、3日で、まる25年です。犠牲者の若者と同年代ですね。今は長大トンネルとなり、通りすぎてしまいがちですが、機会あれば思い出してくれたらと思い、製作しました。人生て貴重ですね。
あれ!⁇ この動画知らなかった!初見で当時を思い出し、涙と鼻水でぐずぐずになっちまったよ。観音様まで行きたいけど、自分足が悪いので行けません。もしかしたら、三日三晩、苦しんでいる救助待ちの生存者が居たとしたらホントに悲しくて悲しくて辛いです。
2月の寒さのなかトンネル内で生存していたらと思うとつらいですし、現場で待っていた家族のみなさんの苦悩疲労、もう想像できません。観音まで行く必要はなく、慰霊碑で手を合わせる機会得られればいいですね
連日ニュースで大々的に放送されていましたね。ご冥福をお祈り申し上げます。ご家族が寒い思いをしていると話されていたことを思い出しました。北海道の冬は寒いです。それでもこの地で生きてます。すぐに新しい道とトンネルが作られ、また生活が続きます。生活道路とは、かくも凄まじいものです。北海道は広い…そして、どこへでも行ける道があります。ありがたいことですね。
多くの人には観光道路ですが、現地の人々にとっては生活道路ですね。雪まつり中に多くの人たちが岩盤崩落事故に巻き込まれ、ご家族はつらい思いをしました。また、ここを通ったことがある人たちはTVに釘付け。北海道開発局の当時の対応は批判がありましたが、今は道路点検しっかりやっているように思います。
1996年(平成8年)2月10日午前8:10この日に旧豊浜トンネルを走行中の乗用車と路線バスがトンネル真上の岩盤に押し潰され20人が亡くなった誰も予想していなかった悲劇が突然襲い掛かり路線バスと乗用車の人が一瞬にして命を奪った。亡くなった20人に心からご冥福を祈っていますまた同様事故が二度と起きない事も心から祈るばかりです。
道路が原因で大事故がおき、多くの人々の命が奪われ、家族を悲しませました。岩盤崩落は予見困難と結論され、誰も処分されず、一方、国家賠償請求は認められました。これら意味合いをよく考えていきたいです。
何年か前に、セタカムイの防災記念広場へ行きました。施錠されているお堂の中には、犠牲になった方々の戒名が書かれた紙があるのですが、全て「○生院」となっています。冬場でも、駐車場はともかく、奥にある慰霊碑やお堂の周りまで除雪されているのは、事故が起きたのが真冬だったということ(遺族や関係者がお参りしやすい様に)もあるかと思います。旧坑口へは陸上から行くことは不可能ですから、現時点では船を借りて海上から接近するしかないでしょう。あとはドローンの性能が上がって電波が届く様になるのを待つしかないのでしょうね。下の方で触れている中央自動車道・上り線笹子トンネル天井板崩落事故(2012年12月2日)は、私が住んでいる山梨県で起きたものです。下り線の初狩PAと同じ下り線のトンネル入口手前に慰霊碑があります。トンネル入口手前の慰霊碑は、並行している国道20号線から行くこともできます。トンネル事故といえば、1979年7月11日に発生した東名高速道路・下り線日本坂トンネル多重衝突火災事故、この豊浜トンネル岩盤崩落事故、そして笹子トンネル天井板崩落事故の3つは決して忘れてはいけないと思います。
御視聴、また多角的なコメントありがとうございます。広場にいらしたことあるのですね…同感です。トンネルは救済が遅れがちで、いわゆる72時間リミットに間に合わないこともありますね。中央道の事故、遺族の方の悲痛な叫び、忘れられませんし、忘れてはいけませんね…
岩の撤去後、トンネルに入り当時のカメラ(インスタントカメラ)でフィルムが無くなるまで撮影しました。現像に出し取りに行くとカメラ屋さんに見ない方がいいと1枚も写真を渡されなかった事がありました。
今はデジカメやスマホなので、カメラ屋さんで現像を依頼することなくなってしまいました。トンネルの写真を渡さなかったのはおそらく良心からだと思います。
僕が、自衛隊にいた頃、父親は、余市町から古平町の小樽水産高校の古平栽培実習場の用務員してました。この日、土曜日でした。休みでした。父親は、もし平日だったらと思うと、今でもゾッとしてました。ありがとうございます。
お父さん、余市から古平に通勤で、旧229号使っていたのですね。日常に潜む人智を超える大災害、なにか備えることができたらやっておきたいですね。
鮮明に覚えています。衝撃を受けました。
御視聴ありがとうございます。当時、私もショックうけました…
もうそんなにたつのかぁ…アイヌ語で言われてる通りやっぱりその土地には何か意味があって名前がついてるんだなと改めて思った
四半世紀たちましたね。チャラセナイやセタカムイ、意味を知るとじーんと来ますね...
事故当時の報道を思い出して涙が止まらず、画面が見えなくなって何度も再生を止めました。
当時はバスの端っこがトンネルの坑門付近でひしゃげただけで、乗客乗員は隧道内で救助を待っていると信じていました。自衛隊をはじめ関係者各位の御尽力で搬出されたバスの車体…トレーラー(トラック?)に搭載された状態で大人の背丈ほどもあるかどうか、愕然としたのをつい先日のように思い出します。
犠牲者の皆様のご冥福をお祈りするとともに、御遺族の皆様、壮絶な現場で救助に当たられた方々に通信回線越しですがお見舞いと感謝をしたくコメント致しました。
最後になりましたが、この貴重な画像を見させて頂きありがとうございました。
最後まで見て下さり、ありがとうございました。
私も毎年雪まつりのころ、この事故を思い出します。
自分よりも1まわりも若い人たちが極寒のトンネルで命の火が消えたのはあまりにむごい帰結でした。
この動画の制作はかなり迷いましたが、遺族と思われる方からお礼のコメントくださり、
なにか肩の荷がおりたような気がしました...
この事故以来しばらくトンネル通るのが怖かったです
退官した自衛隊幹部です。懐かしくみさせていただきました。
当時、真駒内の11師団司令部第3部防衛班に勤務しておりました。(3部とは訓練・防衛を担当する部署です。)
災害が起こったのはちょうど雪まつりが開催されており、真駒内駐屯地も当時は大雪像を駐屯地内につくり一般公開していました。
休日でしたが、私はちょうど司令部当直で勤務しており、事故が発生して後志支庁から倶知安に重機の要請があり災害派遣と
なりました。豊浜トンネルがある地域の災害派遣担当は第11特科連隊だったのですが、3月末日に廃止が決まっていた倶知安の第29普通科連隊
に最後の花道を作ってやるという当時の師団長の決心で第29普通科連隊の派遣になりました。
凍てつくような寒さだったので豊浜側の入り口からたくさんの温風ファンを回して中を少しでも温める努力をしていました。
私も司令部の現地連絡班で行った際には、現地視察に訪れた師団長を案内してバスの前面(豊浜側から入ると岩に潰された中央バスの前面
だけが見えました。)数メートルまで行ったのですが、バスのハザードはまだ点灯していたものの人の気配は感じませんでした。
ちょうど映像で曲がり始めたところです、あそこから数メートルまっすぐ行ったところがそのバスが埋まっていた場所でした。
とにかく対策本部にいた全員がなんとか巨大すぎる5万トンを言われていた巨石を取り除かねばという思いでした。
自衛隊への要請はあくまでも重機による掘開でしたが、建設業者が何回も発破を失敗するあまり、閉じ込められている方の家族から、早く助けたいから
戦車砲で巨石を撃って欲しいという非公式の要請もありましたが、たとえどんな状況でも国民に砲(銃)を向けることはできないという結論でした。
他の方も言われているように、自衛隊の持つTNTを使えば1回で巨石を破壊できたかもしれませんが、巨石をトンネル側ではなく反対の海岸側に
落とさねばならず、発破後の土砂のコントロールが計算できる土木業者に任せることになった次第です。
4回めの発破のときも対策本部におり、モニターでその様子を見ておりましたが、発破が成功したときは不謹慎ですが自然と拍車が起きました。
対策本部には自治体や主役の開発庁小樽開発建設部、警察、自衛隊がおりましたが、みんながやっとこれで助け出せるという思いでした。
それから怒涛の勢いで土砂を取り除いていたのですが、最初に巻き込まれた赤い車が掘り出され、その後に中央バスの白い屋根が出てくるところまで
自衛隊が掘り出したのですが、そこから北海道警察にバトンタッチしました。
振り返ってみると、対策本部長の小樽開発建設部長は場馴れしておらず、いらいらするぐらい指示や方針が遅かったのを記憶しています。
自衛隊は災害派遣等で自治体関係機関とつながりがあるので、こういうときはこうするというマニュアル的なものがあるのですが、
道路を作ったり管理するのが専門の小樽開建にすべてを任せるのが間違いだったのかもしれません。小樽開建の上部組織は北海道沖縄開発庁に
なるので、そうなるのがしかたなかったのかもしれません。
あれから何回か、積丹方面に行く際に豊浜トンネルを通りましたが、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りせずにはおられませんでした。
崩落事故当時の、災害派遣された自衛隊の観点から興味深いお話を聞けて
大変ためになりました。
岩の下の車両に搭乗者の生存が認めうる中、巨岩を海の方へ滑り落とすという困難な作業、また発破後の土砂除去は危険をともない、にもかかわらず隊員の働きで車両に到達できました。生存者はいなかったですが...当時は道路建設をどんどん進めてもトンネル崩落時の対応など準備がなく、隊の出動がなければ車両到達までさらに時間かかったことと思います!
災害派遣で行った元自衛官です
私も、崩落現場まで徒歩で
確認しに行きました
バスのハザードはまだ点いており
運転手さんの白手袋のようなものが
片方落ちていました(見間違えかもしれません)
ハザードがあるってことは、あと少し先に居るのですがトンネル内は
空間が無いほど岩で埋まっており
とてつもない恐怖と
絶望感が…今でもハッキリ覚えて
います。
心苦しい任務に当たって頂きまして誠にありがとうございます。
文中「建設業者が何度も発破を失敗する」とありますが,この件に関しては当局からの圧力で火薬の量を制限せざるを得なかったとの証言もあります。
局からの圧力に屈した結果,業者の意図に反して小規模の火薬量にする他無く,苦渋の思いで発破をかけた結果,失敗という不幸な結果に至ったようです。
これらについては,当時の記者であった溝口 徹氏の著書「氷結の岩」が詳しいです。
もう25年たったんだ。
その日は崩落一時間前に豊浜トンネルを仕事で通過していました。
バスの運転手は知り合いでしたし、小学生2人は前日にスキー授業をするために、自分が運転するバスに乗ってました。バスの中で「明日は雪まつりを見に行くんだ‼️」と友達と話していたのが、まだ覚えています。
バスの後ろを走って一緒に被害に遭った乗用車の運転手は、いつも行く釣具屋の店員さんで、顔見知りでした。
あと一時間遅かったら自分も巻き込まれてたかもと、思うと他人事とは、思えないですよ。
あと古平に向かって走っていたダンプ、回送のバスも何台か居たそうで、その車も危うく巻き込まれていたかも。
崩落した時はトンネル内が物凄く土埃で前の車すら見えなく成ったと、ダンプ、回送のバスの運転手から聞きました。
崩落する前から古平側入り口付近には、大きな岩とかが旧道に落ちているのを目撃してましたけど、あの道は常に落石が有るのでさほど気にはしていなかったですが、後になり考えれば、崩落の予兆ら有ったと思いますよ。
今日の8時10分で、あれからまる25年です。とても貴重なお話をいただき、感謝申し上げます。旧豊浜トンネル付近、入江のカーブ急で浸食がすすみやすい地盤脆弱を示すものの、これほどの岩盤崩落はおそらく数百年に一度の出来事かもしれません。開発局報告書は予見不可能と結語してます。しかし、提供いただいた情報では予兆ととれる落石があったようですね。土埃の話、ひしひしと伝わります。結局通行者がたまたま運が悪かったと総括しているようにも読めます。一瞬でトンネルに閉じ込められ命を落とした人たち、厳寒期に寝ずにバスで救助を待ったそのご家族のことが忘れられないことを祈念します。
@@SteelonHayabusainHokkaido
崩落事故とは、関連が無いのかも知れませんが
豊浜トンネルが作られた場所は、昔アイヌ民族の処刑場所だったらしいです。またトンネル工事中は何回も幽霊騒ぎが起きて、作業が中止に成ったことも有りました。
岩盤を破壊するのに何回も発破掛けたのは、下敷き成ったバスの乗客が生きていると想定しての火薬量だったので、何回も発破する事になったっと聞いてます。発破作業にあたった、作業者の人も脆く成っている岩盤が、いつ崩落するか解らない状態での作業で、命懸けの作業と聞いてます。そんな状態で開発局の幹部達は暖かい部屋でテレビを見ながら指揮してたそうですよ。
現場の声、遺族の声を一切聞かず、現場での責任転換とか、現場に居た開発局幹部の態度には、腹が立ちました。それはひどかったですよ。
豊浜トンネル
@@スズキ事務荷 北海道開発局長官が現場に来たのは何日目でしたっけ? 自衛隊への災害派遣依頼はいつなされたのでしょう?
@@SteelonHayabusainHokkaido
昔の記憶なので、曖昧だけど自衛隊は直ぐに来たと思います。
開発局長官は、来てた事すら記憶に有りません。多分きても直ぐに帰られたからだと思います
この動画をきっかけに、セタカムイ道路防災祈念広場に来て、いま現地から書き込みしています。慰霊碑には多数の供花や供物がお供えされています。当時ニュースで救出活動を歯痒い思いで見ていた記憶が蘇ります。亡くなられた方々の写真を見て胸が締め付けられました。
この動画を作って頂き、本当に有難う御座いました。
動画は説得力ありますが、現地の空気にかないません。今日はバレンタインデーですね。余市のサティにチョコ買いにバス乗った女の子も犠牲になったとききました。こちらこそ、ご視聴、またご足労いただき、うれしく思います。御霊にお気持ち伝わったでしょう。
驚いたこと、除雪がされていること。1シーズン1回ではないです。雪が降るたびに除雪しているのでしょう。周辺の人口を考えたら、除雪をして一人も通らないこともあるでしょう。雪国の人ならこれの凄さをわかりますよね?この除雪に関わっている人達に敬意を表します。ありがとうございます。
国道付帯設備なので駐車場の除雪は当然かもしれません。おっしゃるとおり、記念碑や追悼施設周辺がきれいに除雪、植木が冬囲いされているのは配慮ですね
開発局の施設なので、除雪は当然かも知れない。ただ逆に言えば、冬の日でも一人でも多くの人に事故のことを知ってほしいと言う開発局からのメッセージにも思える。事故が起きたのは真冬でしたから。
もう25年経ちましたか。他のコメントされた方同様、自分の遠い身内も犠牲者の1人です。トンネルを通る時に思い出してくれたら嬉しいですね。動画をありがとうございました。
ちょうど今日で25年ですね。親類の方のご冥福お祈りします。忘れてはならない出来事だと思います。こちらこそ御視聴ありがとうございました✨
貴重な映像ありがとうございます。現在中学生なので事故当時まだ私は生まれていませんが、この動画を見て、この事故が風化されないでほしいと思いました。
そして、犠牲になった方のご冥福をお祈りいたします。
御視聴ありがとうございます。バレンタインチョコ買うため、バスに乗った女の子たちも犠牲になったと聞きます。今生きている尊さを大切にしたいですね
あれから1度も通ってません。
それまでは毎年夏には必ず通る道でした。
テレビの前であんなに無力を感じたことは未だに経験していません。
決して忘れません。
どうか安らかにと願うばかりです。
本当はこうした動画を見ることもずーっと辛かったけど、大人になったのかな。最後まで泣かずに見終えました。
手を合わせてくれてありがとうございます。
貴重な動画をありがとうございます。
心境が伝わるコメント痛みります。皆が利用する国道で道が原因で起きた事故、多くの人に影響しました。一方、時は過ぎていき、その影響もひとによってさまざまに変化しました。ずっと直視するのは重すぎ、しかし忘れ去るのも無理..
通るたびに事故のことを思い出します。恐ろしい事故だったけど、今の若い人たちは知らない人が多いです。
もう現場を簡単に見ることはできないので貴重な映像だと思います。ありがとうございます。
御視聴ありがとうございます。奥まった入り江に現場あるのでドローンで今回お見せできてよかったです。
当時、地元北海道の札幌で接客業をしてました。
雪まつり時期でとても忙しく、仕事終わりにニュースを見て事故を知りました。
その後の話で雪まつりを見に行くためにバスに乗ってた、母子家庭のお母さんと小学生の息子さんが巻き込まれたと聞いてとてつもなく悲しい気持ちになった事を今も覚えてます。
豊浜トンネルの動画を見たり、雪まつりシーズンになると思い出され被害にあわれた方達の冥福を祈ります。
積丹町から雪まつりへ行くために中央バス乗った方が多かったようですね。一方、厳寒期でチャラシナイ岬の岩の湧き水が凍結膨脹、岩盤を脆弱にした頃でもあり、早朝、多くの方が事故に巻き込まれてしまいました。追悼施設中で千羽鶴みたとき、いたたまれない気持ちになりました。
昨年はコロナ禍のため叶いませんでしたが、ここ十数年、お盆時期に埼玉から新日本海フェリーで帰省しています。
上陸した早朝、神威岬方面へのドライブがお決まりですが、豊浜トンネル崩落事故のことは毎回思い出します。
次の機会には追悼施設に立ち寄りたいと思います。貴重な映像、ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。道路防災祈念広場はトイレもきれいで、セタカムイ岩が旅情を誘います。ぜひ帰省時にお寄りください。
犠牲者のご冥福をお祈りいたします🙏
貴重な動画ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます。交通事故、トンネル事故、会いたくないですね。
よくドライブで通ったトンネルだったので、あの事故は大変ショックでした。
何とか助かってほしいとテレビを見ながら祈ってました。
もう通れないあの場所は残骸だらけで荒れたままなんだろうか…と大変気になっていて…
綺麗に整備され、観音様もあると知ると安心するものですね。
本当に貴重な映像をありがとうございました。
私も今年は慰霊碑に手を合わせに行きたいと思います。
ご視聴ありがとうございます。あの巨岩に圧倒されると同時に、
なんとか早く助けられないかと私も焦燥感にかられました。
雪のせいかもしれませんが、神殿のような佇まいをみて同じ思いをしました。
雪どけしたらたぶんお線香あげることできると思います!
小学生か中学生頃の事故の記憶がありますね岩盤の爆破の失敗が続き岩盤が
大魔神みたいな顔に見えたのは凄く
恐怖を感じましたね。
岩盤撤去に4日くらいかかりましたか... 大魔神の件、道新の写真でしたっけ?
多分そうだと思いますが。
間違ってたらごめんなさい。
コメントなどを書き込みするのが初めてなので、乱文・乱筆お許しください。
現状の豊浜トンネル崩落事故現場についてありがとうございます。実は最近どうなっているか、私も気になっており、ドローンなどで近づいて見ることができれば、、、と考えておりました。しかし、電波の都合などで、あれ以上、近づくことは困難なのですね。残念です。それでも感謝の気持ちでいっぱいです。あの事故、、、私にとっては、かなり身近でかつ衝撃的でした。私、20歳のときです。よく私の古平の同級生が、「古平は狭いからほとんどが顔見知りでつらいんだ」と話していたことを思い出します。友人は、事故直前にも豊浜トンネルを通ったということでした。実際の崩落現場は観音様があるところよりももう少し奥、すなわち余市側のような気がしますが、その辺りは全く拝見することは不可能でしょうか?
余市から古平の海岸線を通る道路はすっかり変わってしまったのですね。小さいころ、親父に連れられ、古平方面によく行きました。ろうそく岩を見ながら海岸線を車で走った記憶があります。路線バスで古平の友人宅に行く際には、えびす岩をみて何度も驚いた記憶もあります。ここ最近は訪れる機会がなかったので、大幅な路線変更があることを存じ上げませんでした。
ここにコメントを書き込んでくださっている方々の小樽周辺の映像、楽しく拝見いたしております。親父が車でトンネルに入る際にクラクションを鳴らしていたことも思い出します。これからも様々な情報をご提供いただければ幸いです。本当にありがとうございました。
大変ご丁寧なコメント痛み入ります。私も同じく、25,6歳のころ、この事故を連日札幌から注視してました。崩落地は観音像よりやや奥になりますが、廃止が決まったトンネルはコンクリート閉鎖が原則であり、たとえ海路で入江に上陸しても現場にいけません。地元にお知り合いがたくさんおられるのですね。ろうそく岩は前編#2にありますので、よろしければ。またえびす、大黒岩は昨日行ったので今後アップします。
コメントありがとうございます。ここに書き込まれている方、それぞれに思い出があって、涙が出てきます。今頃、古平に住んでいた友人は何しているだろう?刑務官をしていたことまでは聞いたのですが。遺族にも25年の月日が流れたのですね。押しつぶされたバスの搬出時の画像がありました。以前はもっとネット上にも情報があったような気がします。
貴重な映像本当にありがとうございます。今現在高校生である自分は勿論当時産まれて居ませんでしたが投稿主様の撮影した崩落現場の映像を見た時涙が出てきました。これからも動画投稿是非頑張って下さい。
御視聴ありがとうございます。豊かな感性をおもちなのはご両親や友人のおかげかもしれませんね。次は北海道の伝説をモチーフにしたのをあげる予定です
何年か前に豊浜トンネルを通った時にその時は何も感じなかったんだけど。後になって豊浜トンネルって岩盤崩落事故のあったトンネルだよなーときがつきましたが、旧道は今はひっそりとした海側にあるんですね。見れてよかったです。ありがとうございました
コメントありがとうございます。励みになります。あの辺り、トンネル多いのでよほど気を付けないと通りすぎちゃいますね。道路防災祈念広場はトイレもきれいなので寄ってみてください
事故の発生した当時はまだ幼かったのでこの事故のことは知りませんでした。他の方の動画でこの事故のことを取り扱ったものを見てこの悲しい事故のことを知りました。新トンネルが完成したことで事故現場は今では容易には行くことはできない、とも紹介されていたので、こうやってドローンで撮影しUA-camに動画を上げて下さるあなたのような存在は大変ありがたいです。感謝します。
ご覧くださり、ありがとうございます。現場はセタカムイ岩に隠れた入り江にあり、ドローンで接近するのも難しいですが、新トンネル走ると変なカーブしてるので機会あれば。みんなで雪まつりやバレンタインチョコ買いに行った若者はもう帰りません…
貴重な映像
ありがとう
あり難きお言葉こちらこそありがとうございます。
忘れかけていました。素晴らしい動画ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます。あれから四半世紀ですね...
事故発生当時、私は高校3年生でした。
前年に修学旅行で北海道を訪れていたこともあり、この事故はとても衝撃的で記憶に残っています。
昨年、ほぼ四半世紀ぶりに北海道を訪れることができ、ようやく慰霊碑に手を合わせることができました。
この事故に際してご遺族の方々と向き合って取材を重ねられた、元北海道新聞の記者・ 溝口 徹 氏の著書「氷結の岩」の冒頭には
「老朽化とはほど遠いあのトンネルは、なぜ落ちたのか。その理由を知る人は少ない」
「今あるトンネルがなぜ二つのカーブを描いているのかも、知る人はほとんどいない」
と記されています。
投稿者様の「カーブで過去の出来事を思い出して」のメッセージを見て、その冒頭の文章を思い出しました。
この2月にも北海道へ行こうと色々準備を進めていましたが、コロナ禍のため残念せざるを得ませんでした。
そんな折、このような貴重な映像を投稿いただき、たいへん感謝いたします。
初夏の頃には、改めて北海道へ足を運ぶとともに慰霊に向かいたいと思います。
修学旅行に訪れた北海道で起きたトンネル事故に関心もたれ、現地に行かれたのですね。そうなんです、さほど古くないトンネルでした。遺族には国賠支払われましたが、開発局の幹部は有罪になりませんでした。これが意味することは…落ち着いたらまた北海道にいらしてください。その前に、このコメント欄やたら長いですが、通読してみてください。
ぺしゃんこになった バスを見たときは涙が出てきた。
バレンタインのチョコを買いに行く若い人たちが乗っていたなんて信じたくないですよね...
小樽に住んでいて、この事故の2日後に生まれた娘が、もう25歳になります。ニュースは病院でも見ていました。自分も忘れられない事故です。
ちょうどお産の時期と重なったのですね。25年たち、その赤ちゃんが大人の女性になり...ほんとうに一人ひとりかけがえのないいのちですね。
他県で事故とは全く接点のない私ですが、当時小学校から帰ってきて、なかなか進まない爆破作業を歯がゆくテレビで観ていたことを思い出しました。「発破」という用語もこの事故から学びました。
教訓として、こういった 映像資料を観ることができることに感謝です。
ご覧くださり、この事故はご本人達、ご家族、報道見た方たち、道路行政に大きな影響与えましたね…
自分は事故当時小学生でしたが、冬に起きた崩落事故はよく覚えております。
今は車に乗って主様と同じく北海道内ドライブしたりしてますが、長い迂回トンネルはなにかきっかけがあって作り直されたものがほとんどだと思います。この豊浜トンネル然り、洞爺湖温泉街へ通づる2つのトンネルも火山の噴火で新しくできたトンネルでしたが、長いトンネルほど何かあったら・・・と常々思います。
改めてドローンにての撮影、おつかれさまでした。それとありがとうございました。合掌。
あり難きお言葉ありがとうございました。長大トンネルが道内に急増したのは、豊浜トンネルの事故などがきっかけのようですね。ドライバーとしては圧迫感あるトンネルは歓迎できないですし、トンネル内で事故が起きると復旧に時間がかかります。しかし、このような危険なトンネルよりも安全性は高いと信じたいですね
@@SteelonHayabusainHokkaido 37の静狩トンネル周辺だとまだトンネル自体が先細りみたいな物が多く、大型車との離合はヒヤヒヤしながら通ってますね
作られたのが古いだろうこともあり、割とおっかないですw
撮影&編集お疲れ様でした❗
いやぁ、今回も素晴らしい動画ですね⤴ あの旧豊浜トンネル横に観音像があったとは、、、もう25年も経ったのかと、色々考えさせられました。貴重な映像ありがとうございました🙇
こんにちは。ご視聴ありがとございます。またしても、電波切れに悩まされましたが、zoomでなんとか現場が見れました。本当は入江に上陸してみたかったです。
当時私は小学校低学年でした
崩落で発破をかけていた場所に木々が生えてきていますね、、、時の流れと共に風化してはいけない
合唱、、、
女の子たちがバレンタインのチョコ買いにバスに乗ったそうです。私たちと同じく人生を歩めるはずの人たちが道路自体の問題で...
学生時代に何度かドライブした道でしたので、大きなショックを受けたことを覚えています。
この時にはすでに道外に出ていましたが、テレビにかじりついて報道を見ていました。
岩盤に押し潰されたバスの、ハザードランプが点滅していた中継映像が今も忘れられません。
あの頃は、93年の北海道南西沖地震、翌年の東方沖地震、一年おいてこの豊浜トンネル事故、さらに翌年たくぎんの破綻...と、
北海道でなんとも重苦しいニュースが続いた時代でしたね。
全国的にも95年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件など、「世紀末」を実感するような、辛い事件事故が続いた時代でした。
私も学生から社会人になる過渡期におきた重大事件の一つとして、
記憶に強く残る出来事でした。北海道に住むことの意味合いと道路管理の限界を
思い知ることになりましたが、被害にあった若者たちが存命なら社会人として親としての姿があったはずと思ってしまいます。
まだその頃は学生でしたが、豊浜トンネル崩落の衝撃的なニュースは覚えています😢バスが事故後80センチの高さになっていたとか、、、
とても衝撃的な事故でしたね。小生は社会人2年目で、会社の観楓会でバスで通ったばかりで、自分が事故にあわなかったのは単なる運としか思えません...
少し遅ければ、、、と考えると危なかったですね💦自然災害はほんと怖いです🥲
3mのバスが80㎝になっていたというのは報道されておりましたね。ご遺体収容作業に当たっておられたうち若い消防士の方が思わず目を背けたという話も聞きました。
痛ましい話です。道のせいでこんなことは二度と起きないよう祈念するばかりです
私が就職で北海道を出る年におきた事故でした。引越しの準備をしながらニュースを見ておりました。あれから25年、本当に悲しい事故でしたね…
連日、とてつもない巨岩、発破、ガレキ除去の様子、報道されていましたね。4半世紀たってもこの道路災害は重い事実です...
自分が生まれる前の出来事なので、事故自体は知ってましたが詳細は余り知らなく、この動画で事の重大さが分かりました。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
御視聴ありがとうございます。道自体の問題で命を失う、どう受け止めたらいいかまだ私もよくわかりませんが、少なくともこの命をよく生きたいと思ってます
当時ニセコのスキー場に勤務しており、豊浜トンネルは事故の半年前に走りました、この事故は今でも鮮明に覚えており早く救出されないかと心から願っていました、6年前に豊浜トンネルを走りました、旧道に向かって手を合わせて参りました。
2月スキー客対応でお忙しくされているとき、突然耳に入ったニュースに驚いたでしょう。私もあの巨岩をなんとかならないのかと焦燥にかられました。合掌されたとのこと、お気持ち伝わったと思います。
@@SteelonHayabusainHokkaido さん、ご返信ありがとうございます、その当時圧雪と救助を兼任していましたので尚の事早い救出お祈っておりました、本当に痛ましい事故でした。
当時の彼女と、又は仲間と積丹方面によく行き、ここも何度も通りました。ニュースでのご家族の声は今でも記憶に残っています、慰霊碑にも花を手向に行きました。動画ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。ドライブの際、花とともにお供えしたお心伝わったと思います。今を生きている貴重さ...
崩落の半年前そこを通った
よくこんなところに道路作ったもんだなと、同僚と半ば関心と半ば恐怖感を感じながら通った。
半年後まさかあんなことが起こるとは思いもよらずに…
災害が起こらないと対策がされない、日本のインフラ整備の進め方に一石を投じたことになった。
20名の御霊と引き換えに。
あまりに重すぎる命に今も心の中で合掌を続けている。
ご無事でなりよりです。当たり前のことですがこういう事故が起きたとあっては尊いことです。積丹では山道から海岸道路に大規模に切り替えられた際、予算だけでなく安全意識が不足してたとしか思えないですね。
事故当時小学生でした。
関西に旅行に言って一番衝撃を受けたのは古い道路の平坦さです。
北海道だとどうしても冬季に地中の水分が凍結と解凍を繰り返すせいでどこの道もボコボコでアスファルトも剥がれてますもんね…
そしてフキの多さ。
山菜として好まれるフキは水分の多い土地に成育する植物です。
このフキが住宅街だろうが街中だろうが ちょっとした空き地に生えているのをよく見かけます。
北海道は亜寒帯に属しているにも関わらず水分を多く含む土地が多いため内陸だろうと斜面がある場所は崩れる危険がある事を意識して生活する必要があります。
今、あちこちの道路あなぼこだらけで、道路工事中ですよ。また、この事故おきたところはチャラセナイ(小川がさらさら流れる)というところですしね。とはいえ、ここにトンネル掘った是非も合わせて考える必要ありそうです。
忘れられない痛ましい事故でした。寒空の下、犠牲になった方はもちろんご家族様もどれほどご無念であった事か。
映像を観て25年たった今でもその頃の現場や救助の様子が思い出され自然に涙がでました。
日本は海沿いや山間道路が多くトンネルだらけ・・・主様の動画でも旧(道)トンネル、旧旧(道)トンネルとの並びが多くありますね。
事故がなければ昔の構造物はロマンですがほんとに自然は厳しく、管理は大変だという事を改めて考えさせられました。
動画のメッセージがつたわり嬉しく思います。あの事故の前の秋はツーリングや会社の慰安会で豊浜トンネル利用してて、報道見て愕然としました。四半世紀経ちましたが強烈な記憶ですね。
撮影お疲れ様でした。
事故を知らない世代へ
ドローンで見て普通れない現場
ありがとう御座います。
視聴ありがとうございます。
交通事故だけでなく、道自体気をつけなければならない出来事でした。
このニュースはリアルタイムで固唾を飲んで見てました、まさか全員が死亡するとはという感じでしたね…。痛ましい事故でした
20人も突然命奪われましたね。その後、道内では内陸側に長大トンネルに切り替えられました。
全員生還じゃなくて ? しばらくは皆で励まし合いながら救助隊が来るのを待っていたのでは もっと早く救助してあげればよかったのに・・・。
@@barbieoneness8219 ほぼ全員圧死で即死だった気がします。犠牲者の高校生が一人、3分間は生きていたなどという分析をしていた専門家も居た気がしましたね。
生きていたとしたら恐怖と苦しみの3分間に他ならないですね…
@@barbieoneness8219
確か全員圧死で即死だった筈。
これを機に無茶なトンネル工事に「待った」がかかったんじゃなかったっけかな?
@@barbieoneness8219 もっと早く…なんて、当時の作業に携わった方たちのことを考えたらちょっと軽率だと思います。
あれからもう25年ですか・・・余りにも悲しい事故でした。亡くなった方々の御霊に鎮魂の誠を捧げたく思います。合掌。
御視聴ありがとうございます。時間もたち、また、冬ですからこうして動画で契機をもうけてはと…お気持ち伝わると思います
動画、ありがとうございました。
小樽出身、東京在住、50歳です。
この事故で中学校の先輩、美しい女性が亡くなりました。
10 代の終わり頃、深夜も中継される現場の映像をテレビで観てました。
本当に悲しい事故です。
合掌。
私も50代です。事故発生当時、積丹へ行く際に通ったことがある道で巨岩が崩落、若者の安否、そしてその家族の様子に心が痛みました。ご覧くださりありがとうございました。
この事故がきっかけになり
トンネルや隧道の安全について
点検されて道内のあちこちで
修復改善されました。
今ある安全は ある意味
この事故がきっかけで
格段にupされたと思います。
北海道を離れて数年
この配信を見るまで
この事を忘れていました。
嫌な事を思い出して
しまう方もいますでしょうが
あらためて
犠牲者様やその家族の無念を
感じつつ
日々安全を守る
道路管理の業務の方々が
守って頂いてることに
感謝させて頂きたく思いました。
まったくその通りだと思います。
豊浜トンネルと、97年、同じく国道229号 でおきた第2白糸トンネル事故(島牧)で開発局は抜本的に道路行政を変え、トンネル付け替えが道内各地で行われましたね。現在、開発局の黄色い車両が頻繁に道路点検してますし、セタカムイ道路防災記念広場を含め、冬季もきちんと除雪され、通行者はその恩恵を受けてます。
犠牲になった人々への追悼の念とともに、
今後、私たちも道路になにか気になる点があれば通報する、
異常気象時は無理して通ろうとしないなど注意が大切ですね。
あれから25年ですか。。。当時トラックで長距離してたので、よく覚えてます。
長距離だと、一日にいくつもトンネル通り、とくに長大トンネルは気をもんだことかと思います。
@@SteelonHayabusainHokkaido さん。
今の日本海側路線は、当時の面影すらないくらい道路開発が進みましたね。被害に遭われた親子さんの事を思い出すと今でも胸が苦しくなります。
このような大惨事があった事を、映像で後世に残す事もとても大事な事だと思いました!
余談ですが、事故の数時間前に先輩ドライバーが通過して居ました。僕は今でも積丹へ釣りに行く事が多いので、立ち寄って手を合わせてきたいと思いました。
追悼動画、ありがとうございました!
貴重な映像をありがとうございました。当時私は、10歳でした。この映像を見るまで、峠の山道かと思っていました。海だったんですね。
この事故から私はトンネルが怖くて仕方がありません。今でもです。それほど衝撃的な事故でした。
当時、しおりさんより少しお姉さんたちがバレンタインチョコ買いに、また雪まつりを見にいくため、中央バスのりました。彼女たちの家族には国家賠償されましたが、公道通るのはある意味自己責任のようなところがある現実に愕然とします…
当時中一で積丹の中学に通っていて授業を中断して発破のニュースを見た記憶があります。
岩盤の下には同級生のおじいちゃんやスキーを教えてくれてた人や色々知ってる人が乗ってました。なので少しでも早く岩盤が撤去されて欲しいと思ってました。
これから先同じことの無いように切実に願います
中央バス、積丹町発でしたね。お知り合いがたくさん乗っていたとは、連日発破をみながら心が苦しかったでしょう。私もこの2月はとても寒くて早くしてくれないと...と当時TVをみながら思ってました。いろいろな条件が重なってたまたま事故にあった、というふうに忘れ去られてはならない出来事です。
ありがとう御座います
お言葉、痛み入ります。
あの痛ましい崩落事故は今でも鮮明に記憶に留まっております。25年も経つのですね😭ご冥福をお祈りします😭🙏😞
連日、TVで現地から報道されました。ずいぶんたちますが、忘れることはできないですね
動画拝見しました。事故が起きた頃、ちょうど積丹半島一周できることができる橋が開通した頃で、大学生だった私は手軽に行けるドライブコースとして何度もこの道路を使用していました。
ゼミ室で突然のニュース映像にたいへん驚いた記憶があります。仲間と何度も通った道がものすごい事になっていて、衝撃を受けました。
犠牲者の多くも同じ年代の方々で、ぺしゃんこのバスの画像に本当に悲しくなりました。
事故があったころも、同じように雪がうっすらかぶっていて、当時のことを鮮明に思い出しました。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、思い出す機会をいただきました投稿者様にも御礼申し上げます。
ご視聴ありがとうございます。おそらく私とほぼ同級生ですね。昔は神威岬まで往復という感じでしたが、
229号が開通してドライブに観光に便利になった矢先にこのような悲劇が起きました。なにかが忘れられていたとしか思えません...
2度目の発破後の巨岩に現れた豊浜の悪魔の顔は忘れられません。
視聴ありがとうございます。顔は自然の驚異、犠牲者の、あるいはその家族の怒りが表出?
@@SteelonHayabusainHokkaido 当時の写真週刊誌にも被災者とその家族の怒りが現れたと書かれていました。
父の地元が古平町で、地元の豊浜トンネルで過去にこんなことが起きていたなんて…..信じられないです…この崩落事故を教訓にして、これ以上悲しい事故を無くしたいです。また、北海道に行く機会があれば、セタカムイ道路防災祈念館へ向かいたいと思います。
一部の地元の人はこの件もう触れたくないようです。一方、遺族の方?からこの動画に感謝されたことも。バレンタインチョコを買いに、また雪まつりを楽しみにバスに乗った若者たちが国道自体の問題で人生を終えたのは事実...祈念広場は後志道余市ICからそう遠くないのでぜひ現地で感じてみてください。
僕が生まれた2月14日にこの事故のニュースがいまだに流れていたと昔母から聞きました。
学生時代に自転車で北海道1周をした際に何か縁があると思い、投稿者さんと同じように慰霊碑で手を合わせたのを覚えています。
そんな僕ももうすぐ25歳。このご時世なのであまり北海道には伺えませんが、また手を合わせにいきたいと思っています。
投稿者さんの動画がすごく好みだったのでチャンネル登録させていただきました!
撮影大変でしょうが、北海道が好きなので楽しみにしています♫
お若い方が関心持ち、視聴くださり、うれしく思います。当時私は25才でよく積丹に行っていたのでとてもショックでした。私はマニアックなスポットばかりいきますが、是非今後も引き続き視聴おねがいします
地元ではありませんが、北海道住みの大学生です。
私の母が小樽の高校で働いていた頃の教え子が 通学中にこの事故で犠牲となったと聞きました。
そう遠くない存在であったことを思い知って恐ろしかったです💦
もう二度とあのような惨事は起きて欲しくないです
様々な条件が重なりましたが、公道で起きた惨事であることは紛れもない事実ですね。先週、積丹に行った際、防災広場で手を合わせてまりました
私は、このトンネル崩落事故が発生した時は、小学生でしたが、かなりヤバイ状況なのはテレビからもひしひしと伝わって来ました。私の母親が北海道出身なのですが、私の母の地元の近くにも、同じ名前で、豊浜トンネルってあって、そこも50年くらい前に土砂災害で犠牲者が出ているトコなんですよ。やっぱりなんか因果でもあるんですかね。あと、最近になり、同じく母の実家に行く時に通る乙部町の舘の岬トンネル付近も、また土砂崩れでトンネル付近が通行止めなんですよ。最近北海道新幹線の話で北海道はもちきり(延伸は延期になったのかな)ですけど、新幹線の前にやる事あるんじゃないの?とは思います。
この異常事態ぶりは小学生でも感じたでしょうね。このトンネル事故は国家賠償請求など尾を引きましたし、その後の道路行政を少しでも海岸から内陸へ、それゆへ長大トンネルへと変わりました。Xにポストしましたが、館の岬、昔は岬を砂利道の国道が巡ってましたが、その後トンネルができました。しかし、今は大きく迂回しないといけませんね。
元北海道千歳民です。
この事故は元道民、現道民も忘れない事故です。
当時、中央バス千歳ターミナルの待合室のテレビの中継(古平側のトンネル入口)に延々と流された
あの事故から25年、神奈川から亡くなられた方にご冥福をお祈り申し上げます
同じく赤ラインあるバス待っているとき、前代未聞の道路災害の報道に接したお気持ち、お伝えくださり、ありがとうございます。忘れてはならない出来事ですね。
そんなことがあったんですね… 亡くなられた方々にご冥福をお祈りします。
私は21世紀生まれ、九州育ちなので恥ずかしながらこの事故は知らなかったです。この動画で知れて良かったです。
ドローン映像は資料館でも使われると良い資料の1つになると思いましたよ!
私も動画がなにか感じるところを与えたならよかったです。ドローンですが、ブレをなくすジンバル付きが普及しつつあり、画質が劇的に向上してます。次の動画は探検っぽいのを上げる予定です。
関東在住でしたが、事故現場がテレビで24時間カメラ中継されていたのを覚えてます。
当時は朝早い仕事をしてまして、朝4時ごろにテレビを付けると、岩が埋まったトンネルが生中継されてましたが、BGMがクラシックでビックリしたのを覚えてます。
事故現場中継でこの音楽はいかがなものかと思いました。
今流に言うと、空気を読めてないという感じでしょうか。
御視聴ありがとうございます。2月の北海道でおきた岩盤崩落事故、発破がうまくできず撤去に1週間ほどかかり、その様子が連日報道されました
あの衝撃的な事故から、もう25年も経つのですね。テレビのニュースに釘付けでした。
トンネルは新しくなったとは聞いていましたが、途中から新道で、事故現場のかなり先に出るのですね。そして、あの出入口には近づけず、かなり手前で封鎖されていることが、よくわかりました。セタカムイ岩や覆道があることも、初めて知りました。ドローンのお蔭で、慰霊の映像が撮れて、何よりです。立派な慰霊碑や建物もあって、あの事故の重大さを感じます。改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
実は私もあの事故の後の夏に、道東をドライブしました。トンネルこそ少ないエリアですが、短いトンネル(霧多布の付近?)でしたが、何か不安になり、早く通らなければ!と思ったものです。
あの事故をきっかけに、トンネルの一層の点検やバイパスの建設が進められたのでしょうが、悲惨な笹子トンネルの事故も起きてしまいました。道路管理者には、トンネル、橋梁、そして道路の点検、修理を怠りなく、徹底して欲しいと願わずにはいられません。ドライバーが安全、安心して通行できるように!
今回、私もとても気になっていた場所だけに、貴重なリポートありがとうございました。
当時、連日、TVで救助作業を放映してましたね。確かに、トンネル早く通過したくなるような出来事でした。今回、行政報告書や論文もざっと目を通しましたが、あの岬に道を作ったのは、たぶん当時の削岩技術レベルとコストの関係もあったと思いますが、誤りであったように思います。でも、予見不可能との結論でした。また、記念広場の展示はドライバーにも早くトンネル内状況を伝えるためとのこと。あの2月10日、雪まつりにいくためバスにのった高校生のご両親の気持ちを考えるととても複雑です。
貴重な映像をありがとうございます。
不謹慎かもしれませんが、海とも雪ともほぼ縁のない県に住んでいるので風景の美しさに驚きました。こんなに綺麗な場所なんですね…この美しさが逆にどこか悲しい空気を持っているように感じました。
私が生まれるずっと前に起こった事故ですが、知ることができて良かったです。崩落事故でお亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈りします。
ご覧くださり、ありがとうございます。まるで氷の神殿のような雰囲気ですよね。しかし、96年の2月はこの近くで我が子の帰りを待つ人々が何日もバスの中で待機してました。もし北海道旅行で積丹にいくなら途中で寄ってみてください。
@@SteelonHayabusainHokkaido 返信ありがとうございます。
実は昨年北海道に行く予定だったのですが、コロナの影響で中止になってしまったんです…
この映像を見てますます北海道に行きたくなりました。コロナが収まったら絶対に行こうと思います。
貴重な映像ですね。旅行で通った際、このあたりで崩落事故があったんだよなぁ...と。
通行が再開され、路線バスが現場から発車する際、悲しみ??怒り?
追悼のクラクションを3回ほど鳴らして走り出したのを覚えています。
ご覧くださりありがとうございます。中央バス、ですかね?道のせいで、ドライバー、乗客がなくなり、やるせない、そんなホーンだっかも…
本州から積丹へ旅行に行った際に通って、あの事故の!と公園に立ち寄りました。バスのウインカーが点滅していた映像を覚えています。その後、中央道笹子トンネル死亡事故と、事故は無くなっていません。事故からもっと学ぶべきことがあるはずです。動画ありがとうございます。 事故の話とは別ですが、トンネル内で断面が変形しているトンネルは全国に結構あり、旧トンネルの廃止や、落盤、線形変更などがあり興味深いです。
旅行の道中、寄られたのですね。笹子トンネルも、大変な事故でした。その後、国道で黄色い車の道路点検よく見かけるようになりましたが…トンネルの形に複雑な事情がありえること留意したいです
貴重な動画をありがとうございました。
このトンネル事故を発端に全国のトンネルの緊急点検がおこなわれましたね。人命を失わなければ、動かない、変わらない国「日本」。
しかし、国が重い腰を上げなくとも人々の心に教訓は、受け継がれていると信じています。
ご視聴ありがとうございました。今は開発局の黄色い車が国道を点検してますし、主要トンネルにはカメラがあり、異常事態を早く把握できるようになってます。ドライバーも予兆を感じ取る感性が大切ですね。
2008年から毎年のように秋口にフェリー&マイカーで北海道へ行きます。国道229号は何回も走りましたが、崩落事故を知ってからはそのたびに慰霊碑に寄って手を合わせます。セタカムイ岩が悲しい遠吠えをしているようにも見えます。新道が開通して事故現場へは近づくことができず、人の記憶からも消えかけているようですが決して忘れてはいけない事故だと思います。
御視聴ありがとうございます。セタカムイ岩が本来の伝説とは異なる役割担ってる感じもしますね。また、是非北海道にいらしてください。私は今年は道南をめぐってみたいと思います。
積丹半島一帯は崖と海しかなく、昔は人が歩くくらいの狭い道すら部分的にしか無いと聞きました。
そんな場所でも住民の生活の為には、車が通れる道が必要であり、
その為にはトンネルを掘るしかなく、崩落の危険があるのも仕方なかったです。
とは言えそれで事故が起きたことは痛ましく、何とかならなかったのかとも思います。
船での行き来、峻険な山の道の苦労から、海岸道路を望んだのはたしかに現地の人たちですね。しかし本当に予見不可能だったのか、予防できなかったのか...
有難うございます。。。あの日も、この時と同じ厳寒期でしたね。
無理に接近する必要はないです。私にはトンネル坑口が、絶対不可侵の墓標に映ります。
貴重な映像、有難うございました。
早速ご覧くださりありがとうございます。
積丹行ったらセタカムイ防災祈念広場でまた手を合わせようと思います。
笹子トンネル事故からちょうど9年が経ちました。豊浜トンネルについて様子を知りたくなり検索したところ、こちらの動画を見つけました。ありがとうございます。涙が止まりません。
笹子トンネル事故、悲惨な帰結で遺族はまだ心の傷癒えないでしょう。豊浜トンネルほか、層雲峡小函崩落事故も公開してます。
事故でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
御霊への尊いお気持ち、うれしく思います
人類がいる限り、この事が忘れられないのを願って
寒い中、お疲れ様でした。
ねぎらいのお言葉痛み入ります。
前途ある若者が道で亡くなったこと忘れてほしくないです。
冬に行かれて、貴重な映像を撮って公開していただき、ありがとうございました。 一瞬写った8:30のカットが心霊写真のように見えて怖かったです。
ご覧くださりありがとうございます。夏、防災祈念広場はよく寄りますが、冬行ったのは初めてでした。
撮影者の姿が窓ガラスに映ってしまいました。気を付けます。
北海道とは縁も無い人間で、関東在住ですが、25年前のこの事故が起きて大変なことが起きたものだと、テレビで救助作業の成り行きを見ていました。崩落事故から数日が経過して、救助作業が続いていた当時、高校生だった自分は通っている学校に入試の手伝いに行っておりまして丁度、雨の降った日で寒い中、校門の近くに数人で立ち受験生を案内している合間、教職員とこの事故の話を少しした記憶があります。埋まったバスも自家用車もまだ見つからなかった時でしたが、教職員の一人が「あの崩落事故、巻き込まれた人はもう全員ダメだろ」と呟いて自分も同感で黙ってしまったことが、四半世紀前ですが、本当についこの間のことのように思い出されます。
たしか初日か二日目でバスの映像が映りましたが、客観的にみれば絶望となりますが、ご家族はー10℃にもなる冬に現地のバス内で1週間ほど救助を待っていたそうです。人の運命がここまで違うのはなぜなんでしょうね。
古平や積丹の人たちの中では、もう暗黙のタブーになっていて、この事件に触れることは無くなりつつあります。
当地の人々にとってライフラインである国道で起きた事故、辛く重い現実ですね
こんにちは、お疲れ様です、
引き続き豊浜トンネルを久しぶり拝見
しました、過去に自分も12年前に冬に
2回ほど余市町と古平町に車でドライブしました。豊浜トンネルを入った時は緊張が走り
何かあると、感じました。慰霊碑に
止まりトイレ行くついでに、追悼して
海を眺めながら帰り、あの事故を振り返り
改めて感じました。帰りは余市町側に
戻り追悼しながら、塞いでいる旧豊浜トンネルをちょっと見て帰りました。
ただ崩れた跡の豊浜トンネルに観音様が
あったのはびっくり‼️しました。
やはり忘れてはいけないですね、
御視聴ありがとうございます。豊浜トンネル事故から時間たちましたが、折に触れ、踏査すべきと思い冬にいきました。重要なスポットまた調べたいと思います❗
28年後の2月10日に拝見しました。親御さんの悲痛な声が忘れられません。
このタイミングでの視聴ありがとうございました。あまりに強烈な出来事でほんとつい先日のことのようですね
忘れていた記憶が蘇りました。
衝撃的で悲しい事故でしたね。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
当時私は20代でしたが、私も衝撃的な出来事で忘れられないです。
折に触れてセタカムイ防災祈念広場にて手を合わせてます
構成が素晴らしい。当時の記憶が蘇ります、被害者の御冥福をお祈りします。
ありがとうございます。事前に北海道開発局図書館で事故報告書を精読しました🫡
自分は、古平から遠く離れた空知地方に住んでいますが、この事故のことはよく覚えています。
25年前なので、中学生くらいだったんですね。
トンネルに突き刺さるように崩落した岩盤、発破後に発見された潰れたバス、この二つはとても衝撃的でした。
被害者遺族の心情は分かりませんが、トンネルの名前が改良後も残されたので、この事故を忘れずにいることができます。
ご視聴ありがとうございます。まさに衝撃的でしたね。国内有数のトンネル事故、それもあれほどの巨岩の落下がメディアに詳細に報じられ、いろいろな課題、教訓を残したことをお伝えしたかった次第です。
全部のコメントに返信してる……凄い好感持ちましたが無理しないでくださいね。面白おかしくするアンチもいるかもしれませんので。札幌で当時彼女と固唾を飲んでニュースを見てました。未だにトラウマでトンネル恐怖症と積丹方面にドライブ行く事もなくなってしまった。貴重な動画ありがとうございました!バイクに乗ってるのですか?運転気をつけて下さいね。
ご視聴ありがとうございます。このようなお気遣いのコメントは初めてです!1週間ほど報道あったので彼女とのデートと重なっても無理ないです。多くの人に影響した出来事でした。バイクは無事帰還必達で今年も(^^)
本日慰霊碑へ訪れました。
この事故は20歳だった私にもとても印象的で衝撃的な事故でした。
事故は日曜日?の朝だったような…
あまり交通量か多くない時間の巨大岩盤の崩落の瞬間、バス一台と乗用車1台がたまたま下敷きになっての大惨事…
犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
ご訪問お疲れさまです。セタカムイ岩の向こうで起きた事故に想いを馳せ、いつもと違う夏になったと思います。残念ですが、乙部町の229号で最近崩落がおき、被災者はいないようですが、海岸道路の課題を再考させてます…
思い出しました感謝致します
本動画がお役にたてて光栄です!
はじめまして、もうあれから25年も経つんですね~ 時の流れが速く感じます。年に1度その場所を訪れます。その度にあの崩落のことを思い出し手を合わせております。
人生あっという間ですね。しかしトンネルに閉じ込められた人たちは…あそこに立ち、そう思いますよね
初めまして、今日(2021年2月10日)、テレビのニュースで豊浜トンネル事故発生から25年と放送されていました。
遺族の方が慰霊に訪れている映像が流れていました。
すっかり忘れていましたが、当時のニュースで救出の映像が放映されていたことを思い出しました。発破がうまくいかなかったことなどは、よく覚えています。
その後、スマホでUA-camを覗いたところ、この動画がトップに表示されました。偶然かもしれませんが、何か不思議なものを感じました。
発破ですが開発局は業者任せにして戦略不足との指摘もあります。結局自衛隊の力がなければ1週間過ぎてもバスの乗客は帰らなかったでしょう。この動画の注釈には2月10日と記しており、UA-cam AIが可能性のある視聴者へおすすめしたのかも?
返信ありがとうございます。私自身の嗜好の旧道や廃道(トンネルも)と2月10日が関連して、UA-camがこの動画を提案したんでしょうね。
この日(2月10日)は何度かUA-camを覗いていましたが、豊浜トンネル事故から25年のニュースの後に、この動画が表示されたので、絶妙のタイミングで驚いた次第です。
この時代、断崖絶壁の真横を通るトンネルが結構多かったですね。
このトンネルを通ったことありますが、崖が崩落してきてもトンネルが耐えられるからここにトンネルがあるのかなと思って通り抜けた記憶があります。
海岸道路は風光明媚な景観を楽しめ、爽快ドライブでした。が、当時の工法の限界で断崖にトンネルが作られたようにも思います。そこにトンネルが作られた意味を少し考えたいものですね
ご冥福をお祈りいたします、
動画の意図が伝わりうれしく思います
もう25年ですか・・・
当時は大学生で、家のテレビにて固唾をのんで見守っていました。
当時の映像は正面や斜めの映像が多く、事故現場が入口からすぐのところだと
思っている方が多いですが実際はもっと奥の方です。(観音様よりもっと奥の方です)
トンネルを修復した後に発砲スチロールで覆い緑化させており
映像の岩盤に向かって木の茂みが山のように盛り上がっている所の真下が
事故現場になります。復旧直後は綺麗な芝生でした。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
とてもお詳しくて敬服いたします。この動画のコメントたくさんいただきましたが、
緑化の工法までご指摘された方は初めてです。崩落事故現場はやや奥まったところということは、
自衛隊の作業、困難だったと思います。今度通りかかったとき線香あげます...
この動画をたまたま見かけるまで、地元北海道でこんな悲劇があったことを知りませんでした。
発生時期的に当時の僕はまだ赤ん坊、しかも道北に住んでおり積丹半島のあたりとは縁遠い人間だったので、知らなくても不思議ではないとは思いますが…。
もちろん設計上の不備や災害発生後の対応にも問題点はあったでしょうが、それ以上に自然災害に対する人の無力さを感じてしまいます。
自然豊かな北の大地で生きる我らだからこそ、時としてその自然が牙を剥いてくる可能性もあるってことを忘れてはならないですね。
御視聴ありがとうございました。ご指摘に同意です。開発が進んだ北海道にすむ私たちは、雪害、獣害、この岩盤崩落にあうリスクをよく認識していなければなりませんね。最近は熊害が気になります。ヒグマの住む地を開拓し、今も住む現実。
何年か前に豊浜トンネルをとおりました。その時は何も考えず通った後にあれ?豊浜トンネルってあの岩盤崩落事故があったトンネルだったようなとUA-camで検索した事を覚えてます。あの悲惨な事故はたった20数年前だったんだ、もっと昔の事故だったような気がします。何となく豊浜トンネルを通った時に何かを感じた事を覚えてます。
豊浜トンネルの線形は微妙なカープがあり、違和感を感じる人もいると思います。トンネル抜けると、防災祈念公園とあり、あ、と思うかもしれません。当時、観楓会のバスで通ったばかりの場所で崩落があり、愕然としました
「お別れの時間です…」の所で黙祷させて頂きました…
もう28年経過してしまいましたが、自然に還ろうとしてるのですね…
@@misako-i3y 真心のこもった視聴有難うございます。公道自体が原因の事故が起きないことを祈念します
@@SteelonHayabusainHokkaido
返信ありがとうございます。当時リアタイで会社の昼休みに見てましたが、「豊浜トンネル内の天井から砂利が落ちてくる。」と数年前及び数分前から通報があったにもかかわらず開発局の長官が家族のもとに来たのが事件発生(もはや、事故でなく事件)数日後、というのが許せませんでした…
@@misako-i3y 私も秋に会社の慰安旅行でトンネル通ったので、報道にくぎづけでした
@@SteelonHayabusainHokkaido
返信ありがとうございます
あれから笹子トンネルでも天井崩落事故、船では知床遊覧船沈没事故も有りましたがトンネル事故に関しては「豊浜トンネル岩盤崩落事故を学習してないのか💢」と父と話してました
施設内に生花があったという事は、定期的に参っている方がいらっしゃるのですね。
我が子へ、また永遠の若者たちへの供養が絶えないと…
当時、どうしようもない無力感に苛まれた事を、未だに思い出します。
お亡くなりになられた犠牲者とそのご家族に、また救出作業に関わら
れた隊員と、その他すべての関係者の方々に心安らかな時が訪れる日
を心よりお祈りしています。
ご覧くださり、ありがとうございます。あれほどの体積の落石、愕然としますよね。しかし、🚌などに乗った若者たちの命が失われた事実に直視しなければ…
余市出身。東京在住のおやじです。当時まだ余市在住で、連日テレビで、現場の映像が流れてました。美国に、いとこが居るので、よく通ってました。昔は、トンネルの巾も狭くて、怖かったです
1週間くらいずっと報道ありましたね。美国まで旧海岸道路は短めのトンネルと覆道の連続でした。#2に蛸穴ノ岬の洞窟道路、#4にシリパ岬の動画があるので、よろしければどうぞ。ua-cam.com/video/R2SegYIWAUE/v-deo.html
今だから話せます!
当時このトンネルが出来た頃、天井にはウッスラと人影らしき気味の悪い(当時うわさもありました)シミが有り一人でそこを通る時は天井を見ないようにして走っていました。
事故時には自分は外国におり,その事故を2日後位に知りました。
何と可愛い身内がその事故に巻き込まれていました。
知らせがあったというか?部屋の電気が何回か消えたり点いたりしていました…・
いとこが亡くなったときにも外国に居ましたが同じようなことが有りました……
日本中の人たちが1日も早く1時間も早く全員の命が助かって欲しいと神に祈って
いてくれていたことでしたね。
この場をお借りして御礼申し上げます。
有難うございました!
こうしてみるとセタカムイ岩自体も剥離崩落した岩なのだとよく分かります。当時は現地の様子がよく分からず、一つトンネルを抜けた位置だった事を最近知った次第です。
北海道の海岸線にある道路は、先人たちの血のにじむ努力で作られている事を理解出来ました。改めて犠牲になられた方のご冥福をお祈り致します。
ご覧いただきありがとうございます。主人を待つ犬とされるセタカムイ岩は湾のような形状の地形ができるプロセスで生まれた産物でしょうね。
当時、小樽に転勤して居て、何度も仕事やプライベートで通って居たトンネル…。
正直に、この事故に巻き込まれて居ても知れません。、不思議では有りませんでした。
人の運命は、いつ決まるのでしょうか…。
運命の決定は気まぐれで残酷なこともありますね。先日、セタカムイ防災祈念広場で手を合わせてきました
私は当時17歳で‥この事故のニュース鮮明に覚えています 同じ世代の方がと思うと‥胸が締め付けられます
数年前忘れていました 北海道に行き積丹半島をドライブ その駐車場🅿で私の運転にかわりその時は何も考えず‥ただ新しいトンネルとしか のちにあの新しいトンネルはと気になって調べたら。。
すごく申し訳ない気持ちになりました。
あと、3日で、まる25年です。犠牲者の若者と同年代ですね。今は長大トンネルとなり、通りすぎてしまいがちですが、機会あれば思い出してくれたらと思い、製作しました。人生て貴重ですね。
あれ!⁇ この動画知らなかった!
初見で当時を思い出し、涙と鼻水でぐずぐずになっちまったよ。
観音様まで行きたいけど、自分足が悪いので行けません。
もしかしたら、三日三晩、苦しんでいる救助待ちの生存者が居たとしたらホントに悲しくて悲しくて辛いです。
2月の寒さのなかトンネル内で生存していたらと思うとつらいですし、現場で待っていた家族のみなさんの苦悩疲労、もう想像できません。観音まで行く必要はなく、慰霊碑で手を合わせる機会得られればいいですね
連日ニュースで大々的に放送されていましたね。ご冥福をお祈り申し上げます。ご家族が寒い思いをしていると話されていたことを思い出しました。北海道の冬は寒いです。それでもこの地で生きてます。
すぐに新しい道とトンネルが作られ、また生活が続きます。生活道路とは、かくも凄まじいものです。北海道は広い…そして、どこへでも行ける道があります。ありがたいことですね。
多くの人には観光道路ですが、現地の人々にとっては生活道路ですね。雪まつり中に多くの人たちが岩盤崩落事故に巻き込まれ、ご家族はつらい思いをしました。また、ここを通ったことがある人たちはTVに釘付け。北海道開発局の当時の対応は批判がありましたが、今は道路点検しっかりやっているように思います。
1996年(平成8年)2月10日午前8:10
この日に旧豊浜トンネルを走行中の
乗用車と路線バスがトンネル真上の
岩盤に押し潰され20人が亡くなった
誰も予想していなかった悲劇が突然
襲い掛かり路線バスと乗用車の人が
一瞬にして命を奪った。亡くなった
20人に心からご冥福を祈っています
また同様事故が二度と起きない事も
心から祈るばかりです。
道路が原因で大事故がおき、多くの人々の命が奪われ、家族を悲しませました。
岩盤崩落は予見困難と結論され、誰も処分されず、一方、国家賠償請求は認められました。これら意味合いをよく考えていきたいです。
何年か前に、セタカムイの防災記念広場へ行きました。施錠されているお堂の中には、犠牲になった方々の戒名が書かれた紙があるのですが、全て「○生院」となっています。
冬場でも、駐車場はともかく、奥にある慰霊碑やお堂の周りまで除雪されているのは、事故が起きたのが真冬だったということ(遺族や関係者がお参りしやすい様に)もあるかと思います。
旧坑口へは陸上から行くことは不可能ですから、現時点では船を借りて海上から接近するしかないでしょう。
あとはドローンの性能が上がって電波が届く様になるのを待つしかないのでしょうね。
下の方で触れている中央自動車道・上り線笹子トンネル天井板崩落事故(2012年12月2日)は、私が住んでいる山梨県で起きたものです。下り線の初狩PAと同じ下り線のトンネル入口手前に慰霊碑があります。
トンネル入口手前の慰霊碑は、並行している国道20号線から行くこともできます。
トンネル事故といえば、1979年7月11日に発生した東名高速道路・下り線日本坂トンネル多重衝突火災事故、この豊浜トンネル岩盤崩落事故、そして笹子トンネル天井板崩落事故の3つは決して忘れてはいけないと思います。
御視聴、また多角的なコメントありがとうございます。広場にいらしたことあるのですね…同感です。トンネルは救済が遅れがちで、いわゆる72時間リミットに間に合わないこともありますね。中央道の事故、遺族の方の悲痛な叫び、忘れられませんし、忘れてはいけませんね…
岩の撤去後、トンネルに入り当時のカメラ(インスタントカメラ)でフィルムが無くなるまで撮影しました。現像に出し取りに行くとカメラ屋さんに見ない方がいいと1枚も写真を渡されなかった事がありました。
今はデジカメやスマホなので、カメラ屋さんで現像を依頼することなくなってしまいました。
トンネルの写真を渡さなかったのはおそらく良心からだと思います。
僕が、自衛隊にいた頃、父親は、余市町から古平町の小樽水産高校の古平栽培実習場の用務員してました。この日、土曜日でした。休みでした。父親は、もし平日だったらと思うと、今でもゾッとしてました。ありがとうございます。
お父さん、余市から古平に通勤で、旧229号使っていたのですね。日常に潜む人智を超える大災害、なにか備えることができたらやっておきたいですね。
鮮明に覚えています。衝撃を受けました。
御視聴ありがとうございます。当時、私もショックうけました…
もうそんなにたつのかぁ…
アイヌ語で言われてる通りやっぱりその土地には何か意味があって名前がついてるんだなと改めて思った
四半世紀たちましたね。
チャラセナイやセタカムイ、意味を知るとじーんと来ますね...