第203回「分からぬままに」2021/7/28【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • Опубліковано 27 гру 2024
  • 本日の管長日記は、「分からぬままに」です。
    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
    本日もよろしくお願いいたします。
     
    ■管長日記「分からぬままに」
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    季刊『禅文化』261号が届きました。
    今号の特集は、「禅僧が選ぶ一冊 - 私を変えた本 -」というのであります。
    執筆しているのが、方広寺の管長さまである安永祖堂老師、愛媛の伝宗寺の住職の多田曹渓さん、福井の善應寺の五十嵐祖傳さん、建長寺派宗禅寺の高井正俊さんです。
    それに私が加わっています。
    私は、他の方とは違って読書家などとはほど遠いのですが、円覚寺派の管長と花園大学の総長という肩書きがありますので、恐れ多くの巻頭に文章を載せてもらっています。
    特集の始まりには、
    「不立文字教外別伝とはいえ、禅僧が本を読まないかと言えばそんなことはあるまい。
    古来より読まれてきた仏典外典は枚挙に暇がない。ましてや、この情報化社会においても接化教導をする立場である。
    そんな禅僧方に、仏典禅録に限らず、自らが影響を受けた本をあげてもらった。
    読書離れが叫ばれる中、こんな本を手に取ってみられては如何だろうか。」
    と書かれています。
    この特集の執筆を依頼された時には、選ぶ一冊というのは、禅籍以外で選んで欲しいということでありました。
    禅籍以外ということはどういうことかなと考えました。
    『臨済録』や『碧巌録』というような禅の語録などを指すのだろうかと思いました。
    それならば、私が影響を受けた山本玄峰老師や山田無文老師、朝比奈宗源老師の本などを挙げることができます。
    禅文化研究所に問い合わせてみると、そのような禅の書物もできれば避けて欲しいというご依頼なのでありました。
    そう言われると困ったことでした。
    私は、禅や仏教の書物ばかりを読んで今日まで生きてきたのであります。
    何か本は無いかとおもって書棚を見ても禅や仏教の本ばかりなのです。
    禅はもとよりのこと、できれば仏教書以外でという条件ではありましたが、仏教以外の本にそれほど影響を受けた記憶がありませんので、私は椎尾弁匡僧正の『仏教の要領』(昭和三十二年発行)を取り上げたのでありました。
    禅門ではない、浄土門の椎尾僧正の本です。
    この本についての思い入れは、かつて管長日記で「四十年前の感動」と題して語ったことがあります。
    図書館で見つけたのですが、貸し出しの出来ない本でしたので、図書館の書庫で、ノートを取りながらくり返し読んだのでした。
    安永老師は、当代随一の勉強家の老師でいらっしゃいますので、書かれている内容も奥深いものがございます。
    老師は、若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』という本を選んで書かれています。
    冒頭に「本書は学術的な小説であり、啓蒙的な論文です」と書かれています。
    タイトルの「クアトロ・ラガッツィ」というのは「四人の少年」という意味だそうで、「十六世紀末にヨーロッパに派遣された四人の少年使節」だそうです。
    その中で、宗教における「知」の世界と「信」の世界について書かれています。
    そこでの釈徹宗さんの文章が紹介されていました。
    この文章に考えさせられましたので、引用します。
    釈先生の文章を安永老師が引用されて、それをまた引用します。
    「『阿育王経』という経典にある話です。
    ある修行僧が先達に弟子入りを志願する。
    ところがその師匠は弟子を取らないという。
    何でも言うことを聞きますからと頼む修行僧に、ではこの庭の木に登れと命じる。
    落ちたら死んでしまうような高い木に登ったら、下から師匠が「横に出ている枝にぶら下がれ」
    と言う。
    すると両手両足でしがみついてぶら下がっているところに「左足を離せ」と告げる。
    さらに「右足を離せ」という。次に「左手を離せ」となって、ついに右手一本でぶら下がっている修行僧に「その右手を離せ」と命じた。
    落ちたら死んでしまうが、何でも言うことを聞くと言ったではないかと師匠は詰め寄る。
    修行僧はなるようになれと右手も離すが、その瞬間に悟りを開くという話。
    実はこの木は師匠が催眠術で見せていた幻だったので、修行僧が死ぬことはなかったという。」
    というのであります。
    この話を書かれて、安永老師は、
    「禅に親しんでいる人たちには「香厳上樹」(『無門関』第五則)の公案や「大死一番絶後に蘇る」、「百尺竿頭一歩を進む」という禅語を想起させるでしょう。
    ただし、釈先生は以下のように解説されています。」として、
    更に「宗教という領域には、眼をつぶって我が身を投げ打たねば見えないものがあります。
    どんなに研究や勉強をしても、境界線のぎりぎり手前しか行けない。
    そこから先は飛ばねばならないんです。
    身をゆだねば見えない光景があるんです。この説話は、そういった宗教の道・信仰の道を表現しているのでしょう。」
    と書かれていました。
    香厳上樹というのは、こんな問題です。
    人が木に登ったときに、口に枝をくわえて、手も枝を握っていないし、脚も枝を踏んではいない。
    全く口だけで枝にぶら下がっているときに、木の下に人がいて、禅の教えとはいったいどんなものですかと聞かれたらどう答えるかという問いです。
    若し答えなければその人の問いかけに背くことになるし、答えれば木から落っこちていのちを失ってしまう。
    さあどうするかという詰問です。
    無門慧開禅師は、たとえ立て板に水のような弁が立っても、こうして木の上で枝をくわえて踏ん張っているときには何の役にも立たない、大蔵経を全部諳んじていても、こんな時には何の役にも立たないぞと言っています。
    習い覚えたことなど全部放ってしまわないと駄目だと言っているのです。
    さて、『禅文化』を読んでいて、福井の五十嵐祖傳さんが、『信者めぐり』という本をあげて下さっているのを見てうれしくなりました。
    『信者めぐり』は私も持っている本であります。
    よくこの本を取りあげてくれたと感動しました。
    『信者めぐり』には「三田老人求道物語」という副題がついています。
    五十嵐さんの解説によると、
    「三田老人(三田源七)という方は、弘化三年(一八四六)五月五日丹波の国何鹿郡多田村に生まれ、十三歳のとき父を亡くし、それが動機となり信心に悩み、元治元年(一八六四)十一月、十九歳のときに家を出て、各地の有名な信者や名師を歴訪しました。
    『信者めぐり』は三田老人(出版時に七十七歳)が善知識を歴訪して、承った法義物語や自督領解を、越中の竹田同行が聞き取り備忘として記録して、それを整理して大正十一年(一九二二)に出版されたもの」なのです。
    その中にこんな言葉がありました。
    「何程聞いても分らぬ分からぬと云ふが、若し分かったら信の字はいらぬ。
    どうしても分らぬから信が這入りてあるのである。
    如何なる菩薩でも、なるほどの云へぬ法である。
    なるほど分ったと云ふやうな淺い処に往生はない。」
    というのです。原口針水師の言葉です。
    分かったというようなものは、浅いのだというのです。
    分からぬからこそ、「信」がいるのです。
    そのあとに
    「鶏でさえ卵をかえすに、我身忘れて昼夜よかれかしよかれかしと、温めて温めて温ぬいてかえすじゃないか、種のある卵をかえすにさえ卵の力ではない、親鳥の念力一つにある如く。
    今無有出離之縁の種のない者を例にするのじゃもの、五劫永々劫の其間、御身の苦労を打忘れ、助けたうて助けたうてならぬ、
    大悲の御念力一つで仏にして下さるのじゃ、親の心も少し思いやりをして聞くのじゃぞ。」
    とございます。
    分かろうが分かるまいが、分からないままに身を放ったところに、ふっと助けられている、大いなるものに抱かれていると気がつくことができるのです。
    このあたりは、禅とお念仏の一致していると受け止めることができます。
    横田南嶺
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