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逃げ若を読んで足利兄弟のカッコ良さにハマり、この動画にたどり着きました!分かりやすく解説してくださりありがとうございます
亡くなってから弟の大切さがわかります私の場合、弟とは5歳離れていましたが
大河でも台詞にありました。「兄上は優柔不断で儂がおらねは何もできなんだではありませぬか」後醍醐との決別、幕府の創設。頑張ってたのにな。
肖像画が最高過ぎて一生直義派として忠義を尽くすつもり。日本の肖像画で1番の出来だし国宝絵画中でも異質の完成度。同時代の西欧には無いレベルの作品で構図の大胆さと端正過ぎる表情からモデルと絵師がアーッとか邪推してしまうベラスケス的な表現でもある
袍の模様や冠の陰影とか細かい描かれ方してますよね( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
足利尊氏:ひらめきに頼る天才型の突破力と一貫性の無さ足利直義:知識に頼る秀才型の実務力と危機に瀕した時のひ弱さ
経理を理解しない馬鹿のイメージが強すぎる
柱間と扉間やん
最近の教科書だと直義が全権力握ってたとか握るようになったってニュアンスが強かった気がする
だって尊氏は戦以外は基本引きこもってるからな。
足利直義も豊臣秀長も中の人は高嶋政伸
わぁ!!見事にそう言われればそうですね!!
後、真田丸の北条氏政も高嶋政伸です。
弟が目立つとろくな事が無いというのは本当で頼朝と義経、家光と忠長らが証明している
どちらも良い演技だったね
義姉が沢口靖子なのも同じ。真田広之が兄(尊氏)から兄の側近(石田三成)は違和感満載。
毒殺を企てるならば尊氏よりは義詮だと思っている。南朝との使者になった時、義直討伐の綸旨を出すように村上上皇に条件つけるように言ったのも義詮だったし、高野親子を討たれた怨みもあっただろうから。関東の諸将に義直討伐の指示を出したのも義詮だったし。
確かに息子の義詮が犯人なら、合点がいきますね。
直冬へのコンプレックスもありそうだから。
この時代だけ足利、新田、楠木の全てが弟が副将なんだよな不思議。
しかもみんな優秀という足利直義:高い実務能力で尊氏がやりたくない地味な政務を司る楠木正季:副将として最後まで兄と行動を共にした勇将脇屋義助:兄の戦死後は南朝の事実上の総大将として北陸・四国で勢力を拡大北畠顕家の弟二人(顕信、顕能)も優秀で共に浪岡、伊勢で勢力を築いて戦国時代まで続くし高師泰も兄師直に負けず劣らずの猛将だしこの時代の兄弟は優秀なのが多い
義経と違って何となく散々利用されて捨てられたという感じはしない。
義経は弟とはいっても大人になって初めて会ったんだから家臣としか思ってなかったろうね直義は尊氏の1個下で側室の子で後継になれないからずっと一緒に育ってきたわけだし
足利兄弟の不幸は武家の頂点に立ってしまったことでしょうね、そして持ちえた権力を兄弟で2分したことが決定的なミスになってしまった。最高権力は必ず1つに纏ろうとします、足利兄弟の気持ちなど関係ありません、2人の周りの家臣がそれぞれ派閥を作って相手方を潰そうと考えますから。
あーあ、あんなに一緒だったのに・・・
足利尊氏の正室登子は北条氏の娘。登子からしたら直義が優柔不断なバカ旦那を唆して私の実家(北条)を滅ぼしたと思っていただろうな。そういう因縁もあり、登子が(戦以外は無能な)尊氏を唆して兄弟仲が悪くなった可能性もある。
足利尊氏にとってラッキーだったのは存命中に武断派(高師直)と文治派(足利直義)の決着がついたところか。
秀吉と秀長の関係みたいな感じやねある意味でこの兄弟喧嘩的な事で室町幕府は安定する事がなったんやろね
秀長がもっと長生きしてれば、我が子可愛さでボケた兄の暴走を止めることができたかもしれんし、兄の死後に勢力を強めた家康を抑えることもできたかもしれない。少なくともこのまますんなり家康の天下にならなかったのは相違ないかと。
@@CHAOS-qs5py 秀長が秀吉亡き後に10年位生きてたら豊臣家臣の分断もなかったと思うから家康も動きにくくはなってたやろね
だが、秀長の晩年近くにあっての秀吉はその秀長の言も聞かなくなっていた記述もあったからもしかしたら生きていたとしても朝鮮出兵を止められたかどうか?
軍記物なものだとランチョウ(麒麟やドラゴンの類になる架空動物)の毒でやられた説もあったなあ
持ってる才能が逆なら良かったのですよねこの兄弟。
頼朝と義経はまさにそうだったんですよね。秀吉と秀長は、後者が先に病死したから(表立った)兄弟喧嘩はなかった?
@@schimitch3277 源兄弟はその点理想的でしたね。問題が起きたのは義経の独断専行が主因でしたが。豊臣兄弟は政治と軍事のような関係ではないのと、秀長の性格が大きいと思います。むしろ秀長の方が長生きしていたら秀次の粛清もなく、もっと政権が続いたのではと思えるぐらい?
今まで源頼朝だと思ってた肖像画は、足利直義だったのかね?まだ確定はしてないはずだが、現在の教科書はどうなってるのだろう?
現在の教科書をザっと見ましたが、いずれもがずおが掲載されていませんね。後醍醐天皇のように明快に画像が確定していない人物は載せていないのではないでしょうか。ちょっと時期が経つと信長とか秀吉は載ってます。
足利直冬の解説をリクエストします
もし解説した際は是非みてくださいね( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
豊臣兄弟より足利兄弟を大河ドラマでやって欲しかったですね。
めっちゃ観たいです( •̀∀︎•́ )✧︎
まだ頼朝に見えてしまうオレがいる
足利尊氏「兄より優れた弟なんぞ存在しねぇ」
観応の遊乱末期の直義は全く主体的に動いている痕跡がないので、亀田先生はこの頃から重病で本当に病死だったのだろうと推測してるね
太平記で高嶋政伸のイメージ。
太平記ではなんだか熱血な感じでしたよね!
なぜ、例の肖像はここまで長く別人として伝わっていたのでしょうか?
なんだろう…直義の肖像画の方がよっぽど、貫禄あるンだが。かつての尊氏の肖像画と云われた高師直肖像画は小学生の社会の課題で使ったのだか…。
長らく源頼朝像とされていた肖像画は、足利直義であったことがほぼ確定したようですね。一方、足利尊氏とされていた騎馬武者は一旦は、高階師直であったとされていましたが、やっぱし尊氏だろう、ということになっているのが現在の見解であります。となると、やっぱし尊氏は、大雑把でよく分からん出たとこ勝負の武士であり、一方で足利直義は、凛とした生真面目な武将であり、文武両面に通じた傑物であったが、いかんせん時代が弱肉強食で殺したモン勝ちの鎌倉後期であり、早すぎた真の将軍候補であったということなのでしょうね。
三谷幸喜脚本で太平記を大河でやってほしいな
見てみたいです!!
申し訳ないが、視たくありません。三谷幸喜の脚本は冗漫で良い物とは思えません。『新選組』など酷いものでした。『真田丸』ならば、新大型時代劇『真田太平記』の方が格段上だと思います。
@@松本隆憲-z3r喜劇なら三谷さんの演劇は本当に素晴らしいけど太平記には合わないと私も思います
一方甲斐善光寺にある頼朝の木像はめちゃくちゃ情けない顔してるっていう…
気になったことがあります‼️最初の将軍は尊氏はわかりますが、2代の義詮~義昭までは「義」なんですよね!理由は2つ、1つは尊氏は後醍醐天皇の名前をもらったから、もう1つは弟の直義が優れた人物だったからだと思います。
足利氏の先祖源義国の父親である源義家の義の字だそうです。
まあ、立役者というか作った人ですよね
個人的には直冬を養子にしたことが失敗の始まりだったような気がします。
直義がどうしても頼朝に見えてしまう…
足利尊氏、本当に弟好きだったんか😰サイコパスって結局自分しか大事じゃないんだよな……
あと、イイネも俺が一番だ!
俺がコメントも再生も一番だ!
ありがとうございます( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
逃げ若を読んで足利兄弟のカッコ良さにハマり、この動画にたどり着きました!
分かりやすく解説してくださりありがとうございます
亡くなってから弟の大切さがわかります
私の場合、弟とは5歳離れていましたが
大河でも台詞にありました。
「兄上は優柔不断で儂がおらねは何もできなんだではありませぬか」
後醍醐との決別、幕府の創設。頑張ってたのにな。
肖像画が最高過ぎて
一生直義派として忠義を尽くすつもり。
日本の肖像画で1番の出来だし
国宝絵画中でも異質の完成度。
同時代の西欧には無いレベルの作品で
構図の大胆さと端正過ぎる表情から
モデルと絵師がアーッとか邪推してしまう
ベラスケス的な表現でもある
袍の模様や冠の陰影とか細かい描かれ方してますよね( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
足利尊氏:ひらめきに頼る天才型の突破力と一貫性の無さ
足利直義:知識に頼る秀才型の実務力と危機に瀕した時のひ弱さ
経理を理解しない馬鹿のイメージが強すぎる
柱間と扉間やん
最近の教科書だと直義が全権力握ってたとか握るようになったってニュアンスが強かった気がする
だって尊氏は戦以外は基本引きこもってるからな。
足利直義も豊臣秀長も中の人は高嶋政伸
わぁ!!
見事にそう言われればそうですね!!
後、真田丸の北条氏政も高嶋政伸です。
弟が目立つとろくな事が無いというのは本当で頼朝と義経、家光と忠長らが証明している
どちらも良い演技だったね
義姉が沢口靖子なのも同じ。
真田広之が兄(尊氏)から兄の側近(石田三成)は違和感満載。
毒殺を企てるならば尊氏よりは義詮だと思っている。
南朝との使者になった時、義直討伐の綸旨を出すように村上上皇に条件つけるように言ったのも義詮だったし、高野親子を討たれた怨みもあっただろうから。関東の諸将に義直討伐の指示を出したのも義詮だったし。
確かに息子の義詮が犯人なら、合点がいきますね。
直冬へのコンプレックスもありそうだから。
この時代だけ足利、新田、楠木の全てが弟が副将なんだよな不思議。
しかもみんな優秀という
足利直義:高い実務能力で尊氏がやりたくない地味な政務を司る
楠木正季:副将として最後まで兄と行動を共にした勇将
脇屋義助:兄の戦死後は南朝の事実上の総大将として北陸・四国で勢力を拡大
北畠顕家の弟二人(顕信、顕能)も優秀で共に浪岡、伊勢で勢力を築いて戦国時代まで続くし
高師泰も兄師直に負けず劣らずの猛将だし
この時代の兄弟は優秀なのが多い
義経と違って何となく散々利用されて捨てられたという感じはしない。
義経は弟とはいっても大人になって初めて会ったんだから家臣としか思ってなかったろうね
直義は尊氏の1個下で側室の子で後継になれないからずっと一緒に育ってきたわけだし
足利兄弟の不幸は武家の頂点に立ってしまったことでしょうね、そして持ちえた権力を兄弟で2分したことが決定的なミスになってしまった。最高権力は必ず1つに纏ろうとします、足利兄弟の気持ちなど関係ありません、2人の周りの家臣がそれぞれ派閥を作って相手方を潰そうと考えますから。
あーあ、あんなに一緒だったのに・・・
足利尊氏の正室登子は北条氏の娘。登子からしたら直義が優柔不断なバカ旦那を唆して私の実家(北条)を滅ぼしたと思っていただろうな。そういう因縁もあり、登子が(戦以外は無能な)尊氏を唆して兄弟仲が悪くなった可能性もある。
足利尊氏にとってラッキーだったのは存命中に武断派(高師直)と文治派(足利直義)の決着がついたところか。
秀吉と秀長の関係みたいな感じやね
ある意味でこの兄弟喧嘩的な事で室町幕府は安定する事がなったんやろね
秀長がもっと長生きしてれば、我が子可愛さでボケた兄の暴走を止めることができたかもしれんし、兄の死後に勢力を強めた家康を抑えることもできたかもしれない。少なくともこのまますんなり家康の天下にならなかったのは相違ないかと。
@@CHAOS-qs5py 秀長が秀吉亡き後に10年位生きてたら豊臣家臣の分断もなかったと思うから家康も動きにくくはなってたやろね
だが、秀長の晩年近くにあっての秀吉はその秀長の言も聞かなくなっていた記述もあったからもしかしたら生きていたとしても朝鮮出兵を止められたかどうか?
軍記物なものだとランチョウ(麒麟やドラゴンの類になる架空動物)の毒でやられた説もあったなあ
持ってる才能が逆なら良かったのですよねこの兄弟。
頼朝と義経はまさにそうだったんですよね。秀吉と秀長は、後者が先に病死したから(表立った)兄弟喧嘩はなかった?
@@schimitch3277 源兄弟はその点理想的でしたね。問題が起きたのは義経の独断専行が主因でしたが。
豊臣兄弟は政治と軍事のような関係ではないのと、秀長の性格が大きいと思います。むしろ秀長の方が長生きしていたら秀次の粛清もなく、もっと政権が続いたのではと思えるぐらい?
今まで源頼朝だと思ってた肖像画は、足利直義だったのかね?
まだ確定はしてないはずだが、現在の教科書はどうなってるのだろう?
現在の教科書をザっと見ましたが、いずれもがずおが掲載されていませんね。後醍醐天皇のように明快に画像が確定していない人物は載せていないのではないでしょうか。ちょっと時期が経つと信長とか秀吉は載ってます。
足利直冬の解説をリクエストします
もし解説した際は
是非みてくださいね( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
豊臣兄弟より足利兄弟を大河ドラマでやって欲しかったですね。
めっちゃ観たいです( •̀∀︎•́ )✧︎
まだ頼朝に見えてしまうオレがいる
足利尊氏「兄より優れた弟なんぞ存在しねぇ」
観応の遊乱末期の直義は全く主体的に動いている痕跡がないので、亀田先生はこの頃から重病で本当に病死だったのだろうと推測してるね
太平記で高嶋政伸のイメージ。
太平記ではなんだか熱血な感じでしたよね!
なぜ、例の肖像はここまで長く別人として伝わっていたのでしょうか?
なんだろう…直義の肖像画の方がよっぽど、貫禄あるンだが。
かつての尊氏の肖像画と云われた高師直肖像画は小学生の社会の課題で使ったのだか…。
長らく源頼朝像とされていた肖像画は、足利直義であったことがほぼ確定したようですね。一方、足利尊氏とされていた騎馬武者は一旦は、高階師直であったとされていましたが、やっぱし尊氏だろう、ということになっているのが現在の見解であります。となると、やっぱし尊氏は、大雑把でよく分からん出たとこ勝負の武士であり、一方で足利直義は、凛とした生真面目な武将であり、文武両面に通じた傑物であったが、いかんせん時代が弱肉強食で殺したモン勝ちの鎌倉後期であり、早すぎた真の将軍候補であったということなのでしょうね。
三谷幸喜脚本で太平記を大河でやってほしいな
見てみたいです!!
申し訳ないが、視たくありません。三谷幸喜の脚本は冗漫で良い物とは思えません。『新選組』など酷いものでした。『真田丸』ならば、新大型時代劇『真田太平記』の方が格段上だと思います。
@@松本隆憲-z3r
喜劇なら三谷さんの演劇は
本当に素晴らしいけど
太平記には合わないと私も思います
一方甲斐善光寺にある頼朝の木像はめちゃくちゃ情けない顔してるっていう…
気になったことがあります‼️最初の将軍は尊氏はわかりますが、2代の義詮~義昭までは「義」なんですよね!理由は2つ、1つは尊氏は後醍醐天皇の名前をもらったから、もう1つは弟の直義が優れた人物だったからだと思います。
足利氏の先祖源義国の父親である源義家の義の字だそうです。
まあ、立役者というか作った人ですよね
個人的には直冬を養子にしたことが失敗の始まりだったような気がします。
直義がどうしても頼朝に見えてしまう…
足利尊氏、本当に弟好きだったんか😰
サイコパスって結局自分しか大事じゃないんだよな……
あと、イイネも俺が一番だ!
俺がコメントも再生も一番だ!
ありがとうございます( ˶ˆ꒳ˆ˵ )