Good morning from San Diego!! Thank you for your new episode!! What a great day to start with your channel!! I am so excited to watch next episode!! I am interested in the life stories of yasumasa sakakibara. Could you please introduce us?! 🐶💕💕💕🇺🇸🇯🇵
インパール作戦がどのような背景で行われ、どんな経過で敗北して行き、その原因は何だったのかを分かり安く動画でとても勉強になりました。 昔対戦国側ではインパール作戦はどうだったのかが気になり探したところ、イギリスの第二次世界大戦を取り扱ったドキュメンタリーの「The world at war」という作品を知り、その作品のビルマ戦線の回(日本のビルマ侵攻からインパール作戦終了までの1942年〜1944年を解説しております。)を見たところによるとインパール作戦における最激戦地はコヒマの「テニスコートの戦い」(上記のドキュメンタリーにてビルマ方面最高司令官マウント・バッテン将軍が当時のコヒマの戦い状況をとても激戦だったと解説しております。)だったそうです。 上記のドキュメンタリーにてコヒマで戦っていたイギリス軍達の心境は捕虜になったところで、虐待されるか殺されるかのどちらかしかないと知っていたから逃げることが出来ず、戦うしかなかったという状況だったみたいです。 インパール作戦中の日本軍の物資補給が悪かった理由の一つに日本が占領していたビルマにイギリス軍の空挺部隊「ティンディット部隊」(名前を間違えているかもしれません)が既にビルマ領内侵入していて、日本軍の補給物資を運ぶ列車を攻撃したり鉄道を破壊していたことも挙げられることと、インパール作戦が始まる少し前にアメリカ(イギリス軍からメリルの略奪者達と呼ばれておりました。)中国連合軍が日本軍の支配していた「ミートキイナ」という飛行場を目指し進撃していた時期であり、そちらへも兵力を割かなければならなかった事情もあったと思います。 今回の大人の教養TVの解説と上記の状況を合わせるとビルマの防衛もままならない状態で開始したまさに最悪な作戦だったと言えると思います。
牟田口は教科書に載せて、組織の失敗の典型例として語られるべき。そこにこの人が居たのが悲劇。
僕の曾お祖父さんはインパール作戦の生き残りです。最も辛かったのが、今まで共に戦ってきた仲間を目の前で失い、助けようとしても「今更助からん。先に行け。今までありがとう」とその仲間から告げられた事だそうです。
本当に曾お祖父さんは尊敬してます。
恐ろしいです。貴重なエピソードを教えていただきありがとうございました
私も仕事で出会った方がインパール作戦から帰ってきた方でした。
戦争に行ったことも大変だったそうですが、帰ってきてから戦死した方の遺族から「お前だけ生きて帰ってきやがって」ということを言われたりそういう雰囲気が辛かったと話されていました。
みなさん栃木・群馬出身ですか?先祖は歩兵214連隊、インパール付近にて戦死しました…。
@@jjjjjrrrrr
僕の曽祖父は恐らく京都だと思います。僕も京都で祖母も京都なので。
私の叔父も戦線は違いますが南方戦線の生き残りでした、付いた指揮官によっては将兵は散々な目にあってるみたいですね。多くの戦友を無意味に失くしたと良く語ってくれてました。辛かったのは泥の中で腐乱した戦友のご遺体の上を匍匐前進で後退した時だったようです。すまないと思いながら死にたくなくて必死で進んだよと言ってました。
うちの爺様もビルマからインパールへ行って戻ってきました。
生前、何度も話を聞いた事があります。
さっきまで話していた仲間が次見た時には亡くなっていた事、武器も食糧もあると言われて行ってが何もなかった事、トラックや戦車を分解して運んだ事。
牟田口はボンクラだった、負けるべくして負けたと言ってました。
91歳です。「大東亜戦争中」小学生でしたが時折「兵隊さん」が学校に来て「戦争のお話」をしてくれましたがとてもとても楽しかったしスリルがあって面白かったです。それを今日久々に想い出してしまいました。「インパール作戦」の文字だけしか知りませんでしたがよく分かりました。youtubeで向こうが撮影した「インパール戦」の映像を観て過酷と悲惨を初めて観てましたが、今となっては「両国の兵隊さん達」のご冥福をお祈りするばかりですね。「いくさは決してするものじゃない(帰国兵士)」・・・
情報のほどは知りませんが「神風特攻隊」を発案された方が戦後「名前を変えて」あちこち転々となさってたとか。また「牟田口廉也さん」も安穏な余生を送られたんですね。人間社会も階級に分けられて「行け」って云う方と「行きます」って云う方と分かれてしまう現実は「平に」とってはショガナイ運命だと思います。戦時でも平和でも同じでしょうか
文章が綺麗。
ジンギスカン作戦は多分途中で離脱した兵士も多いと思うね。私が現地の兵士なら、まず自分の安全を確保します。
@@100日待っていた兄貴死刑
ナポレオンの名言「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
しかも上層部という地獄
本当にその通りです
何一つとして成功した作戦のないまま兵士を殺した罪は大きい
後付けの大義の上無能な指揮官,若い命を無駄にした戦犯だ
祖父が福岡から菊兵団としてビルマ入りし、戦いました。
豪を火炎放射器で攻められ、背中に火傷を追い、マラリアにかかったまま帰国。
戦争の話は語る事なく、今は天国です。
私なりに祖父の足跡を辿りたく、5年前にミャンマーに行く事ができました。
動画、ありがとうございました🙇♀️
事細かに解説ありがとうございます。当時は情報が少なく、有効な戦法が見つからなかったからこのような悲劇が起きたのか、それとも日本軍の驕りだったのか… 個人的に感じるのは指揮官自身の驕りと、見栄とプライドのために一般の方々が犠牲になったとしか思えず、怒りが抑えられません。
白骨街道、一言で兵士の悲惨さが解ります。地獄の様相ですね。
牟田口は駄目でしたが、インパール作戦に参加した31師団の宮崎少将は少ない兵力で英軍を足止めして、味方の退却時間を稼ぎ、負傷者の搬送と味方の遺体の埋葬もしていましたので凄いなと思いました。
注目したい軍人さんはたくさんいますよね!
凄い偉い人が報われないのが戦争
インパール作戦で亡くなれた将兵の皆さんの英霊に心からご冥福を祈りたいと思っています。このインパール作戦の後、牟田口司令官は作戦の責任も取らずに自分の保身で人より早く日本に帰って、陸軍士官学校の校長に就任しています。本当にひどい人と思います。戦場で倒れて将兵の皆さんが聞いたらどんな悔しい思いだったでしょうか?
😊 😊😊
馬鹿の大将敵より怖いの実例と思いました。
よく聞きますね
一度決めたら 変えられない
今も同じですね 進歩なし 一人一人の命を軽く見る
変えまくっても怒られますからね
偉くなるほど、自分と兵隊の価値は違うと思い、兵隊の命を消耗品のように扱う愚かな軍人がいたということでしょう。特攻は、その典型ですね。命と交換に爆弾を船にぶつけろと命令したわけですから。
勉強になりました。何度も聴いています、もはやBGMの感じです。素晴らしいコンテンツですね!
ありがとうございます!!高評価ボタンを押してくれると嬉しいです
軍隊に限らず、大組織での意思決定で発生しがちな問題ですね。現場から報告された生々しい問題が、組織の上に伝達される過程で、どんどん楽観的で耳ざわりのよい報告へとゆがめられる。
愚将で検索すると一番トップに出るだけの事はある。
一番面白いのは、牟田口は自分の腹を切ると言っていたのに結局何もせずに77歳まで生きたっていう、もう根っからのお笑い芸人だったって事。
牟田口廉也のアンサイクロペディアには「最も連合軍に貢献した軍人」って紹介されてます
草
日本のせいで敗戦国なみに崩壊した大英帝国が唯一ホルホルできるのそこだけだからな。
すげえ皮肉で草
なお英軍側はインパール作戦において負ける一歩手前まで追い詰められていた模様
流石に大草バラ
日本の将兵は本当に良く戦ったと思う。無能な指揮官たちの為に死んでいった事が悔やみきれない!「靴に合わせろ」精神は現在の日本でも消えていません。
その通りです。組体操とか怖いです
撤退が苦手嫌いなのは今の日本も変わってないよね
日本人は我慢強いと聞いたことあるし
自分もそういうところあるし😔
ペリリュー島の戦いの解説見たいです!よろしければお願いします🙇⤵️
やります!お楽しみに
🎉🎉🎉🎉
インパール作戦の失敗が 何処にあったか わかり易く説明してくれて感謝してます。
間もなく雨季に入る事分かっていて、マレー作戦で成功余韻を残して、短期間で勝利する予想で、補給作戦をおろそかにした、牟田口司令官の大責任ですね。これからも、太平洋戦争の失敗例と その真相究明の説明を 分かりやすく よろしくお願いします。さらに、今後、ウクライナ侵攻についても検討してください。
荒井くん
いつも分かりやすい動画ありがとう、
こういった歴史をわかりやすく解説
してくれるのはホントありがたいで
す。
こちらこそご視聴ありがとうございます。他の動画も見てみてくださいね!
私の曽祖父は1944年5月にインパール付近で戦死しました。通称レッドヒル?といわれている場所で戦死し、最期は玉砕or自決と生存者から聞きました。現地には平和史料館も建てられているそうです。こう言った立派な動画に取り上げられ、きっと嬉しく思っているでしょう。
いってみたーい
@@donttellmearai ぜひお願いします!!!その動画を家宝にします笑
このアホ司令官が罪に問われず77歳まで大往生で生きたのがほんとむかつく
人の上に立ってはいけないタイプの日本代表みたいな人だったという事がよく分かる動画でした。
給料が上がるか下がるかの問題だけで済むような社会の組織においての上司とかなら、ある程度我慢できますが、命を預けるという意味での上司なら完全に拒絶ですね。
時代の流れが、拒絶すらできない空気になってしまうのでしょうが、「お国為に」と思いながら本当に戦った人間はどれだけいるのでしょうか?
自分なら、戦場に行って死ぬぐらいなら、逃げ出してこの世界で1番大切な人の側で死にたいです。
初コメント失礼します^^
高校時代には限られた時間内での授業だったので、説明が不十分で理解できなかった内容を詳しく解説して下さりとても有難いです!聞きやすい声と分かりやすい説明のおかげで苦手だった近代史が好きになれそうです✩ 少しずつ全ての動画を見させていただきます🙇🏻♀️
ありがとうございます!コメントをくださるとこちらも嬉しいです。お願いします
@@donttellmearai 耳もモマもマメモもまめ目も夢魔も桃も保つも耳もももももまももももたもたもめママでまももマメモもまももママ玉松っマモ玉目未桃メモ身もマモみまもももみもまももメモもマモみみままやたやたまたまたままままむままみ
歩兵や砲兵なども”輜重兵が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち””と
言って補給に携わる兵隊を見下していましたからね。このエピソード
からしても日本軍自体が如何に補給を軽視していたかが分かります。
なんと…
アメリカは専門家に士官クラスを地位を与えたりして積極的にやってたからなー。
ここでも大きな差ができた
@@とまちゃん-o9b アメリカの軍隊の優秀なところは兵站と補給だよね。戦闘部隊よりも補給部隊の方が数が多いと言われてるよね。
素人は戦略を語り玄人は補給を語る。結局日本軍のお偉いさんは牟田口をはじめ無能な人間が多かったということだね。
牟田口も師団長の時は 兵站に問題あると 反対してたんですけど
軍司令官になると見る光景は違うようだ
こんにちは。インパール作戦、ドンテルミー荒井流の徹底解説はとても興味深かったです。
大日本帝国海軍の聯合艦隊最期の作戦となったレイテ沖海戦もじっくり解説してもらえると嬉しいです。
レイテ沖海戦やります!お楽しみに
@@donttellmearai 楽しみに待っていますね❗️
現代の会社組織でも繰り返される内容ですね。
やはり戦いには引くことも大事だよね!
麻雀やるとわかるよね
私の従兄でインパール作戦に行った人がいました。従兄と言っても30歳くらい離れた上の人で、その時の体験談をたまに聞いていました。その時にわが軍はというと、三八銃といって弾を2発ずつ込めて撃つ銃で、まず撃鉄を起こして弾帯から手で弾を取り出し、弾倉に弾を込めて狙いを定めて、引き金を引く。終わるとその繰返しで撃つ。他方、敵のイギリス軍はスパイ映画にも出てくるような1m足らずの銃身の自動小銃で1秒間に10っ発以上打てる銃を持ってそれを小脇に抱えて撃ってきた。と言っていた。こんなんで勝負は初めからついている。勝てるわけねえよなあ、というような顔をしながら話していた。
貴重なお話を聞かせてくださりありがとうございました。それでも戦わなければならないというのは恐ろしいです
その弾も工場で作ってたんだからね。
何度も言うけど、何で戦後に牟田口に復讐しようとする軍人やその家族が1人もいなかったんだろう、、
不思議でしょうがない
そんなことしても死人は返ってこないからだと思います
ノモンハンの解説動画、お願いします😊
年内には必ずやりますお楽しみに
兵站無き作戦インパ―ル作戦を解り易く解説ありがとうございます
戦犯とは戦勝国から見て裁かれ物であるとつくずく感じました。
それはあるよね
@@donttellmearaiら❤❤🎉😮😢😅
リットン調査団について知りたいです
満州事変の動画で出てきます
水野さん、藤原さんからなる吉本興業所属のお笑い芸人コンビです。
人生には色々な忍耐の場面がありますが、インパール作戦は「全く意味のない痩せ我慢も存在する」ということを歴史的に証明する史実だと捉えます。この史実は、ハラスメント防止を正当化する強力な論拠となります。
牟田口って作戦失敗後側近に「作戦失敗したけど自害すべきか?」って聞いたんだよな
そしたら側近が「自害すべきと思う者は聞かずにやってる。とっとと死んだらいい」って言われたんだよな
そして牟田口は「ふぐぅ」となって自害しなかった
草
インパール作戦が最悪の戦いとなってしまったのは、牟田口のせいといっても過言ではないですね!そんな、自分の見栄とか名誉のために、何人も地獄のような目に逢わせていたとは…😞💦 牟田口、しかも戦後も反省してないなんて、どれだけ罪深いのだろう!A級戦犯で死刑となれば良かったのに!牟田口自身についての動画もあるみたいなので、見てみますね。
この頃の動画見てくれるの嬉しいです
最後まで正義と良心の人でした。
今日は外出先から拝見します。来週SCするね。
待ってます!いつもほんとありがとうございます!
インパール作戦は色々な感じでお話し聞いていますが、牟田口愚将型が殆どなので、前半にそちらにウェイトが弱かったので、良い感じに学習になりました。中盤に、勝手に行動し出すようになるで大きな事件にが何だっけ?と思ったのが、佐藤師団長の無断撤退のお話しだったのですね。抗命事件と言う名前があるのですね。結構亡くなる直前まで抗命事件で勝手に撤退したのが敗北の原因で、これをしなかったら勝てたのだと言い張っていたらしいというのを聞いたことがあります。こんな上司のところから消えていなくなります。
インパール作戦アップ済みだったんですね
ありがとうございます
見てくれてありがとうございます
結局責任を取るのは国民です。
この時代の軍部の暴走は多くの国民が放置した結果である。
国民が考える事を怠ると恐ろしい世の中になる。
70年~80年前は大昔と感じる者が多いと思うがたった2~3世代前の確実に繋がった世界。
昨今の日本も本質は同じ様な状態だと感じる🇯🇵
それはすごく思います
民主主義社会において真理だと思います
ですが、現在のようにすべての成人(18才含)が代議士を推薦できるような普通選挙制度はなかったわけですから、国民が国の指導者を選ぶという方法はありませんでした。
勿論女性には選挙権はありませんし
身分の低い者(低所得者)にもありませんでしたから、おのずと軍部、大臣現役武官制の中枢部が判断を誤れば国は暴走する図式が出来上がります.. 戦時体制下では必然の様相となります..共産主義など論外で、軍部に異を唱えようものなら特高警察に逮捕され厳しく尋問(拷問)されました.. .. 小林多喜二の悲惨な例もあります。
当時の国民は軍部、大本営、政府を後押しして、イケイケどんどん!勝てば官軍負ければ賊軍の思想が染みついた付和雷同の愚民に近かったのであります。
現在もこの図式は残っていて、そんなに大きくは変わっていないように感じます、、
4番目にイギリス軍は笑ったw
しかし、ぼろぼろになりながらもイギリス兵と戦った日本兵がインドのマニプール人からは感謝されることになってしまったのは皮肉です🪖
以前私がインドのアグラ城砦に行った時、マニプルから来たと言う若い男女が10名くらい寄ってきて「一緒に写真撮りましょう」と言われて私と友人と皆さんと写真を撮った経験があります。
マニプール州の皆さんは今でも親日の方が多いですね😭
そうなんですね、行ってみたい
無謀な戦略や作戦失敗はまだいい。
だが将官であるにも関わらず責任を取らず部下を見捨てたのだけは許せん。先輩方よく終戦後に殺らなかったよなぁ。
恨みつらみは相当だったでしょうね
もともと反対派だったのがこの期を逃すとインド独立支援は二度と不可能だからやれって言われたのが牟田口だから
責任とか冗談じゃないって感じだったんだろ。
@@ys4414
つまりは将官の器じゃなかったってことですか😓
無謀な戦力や作戦失敗がまだいい…………だと?
あんたそれこの作戦で亡くなった英霊達に聞かれたら呪い殺されるぞ
@@ほこたてちゃんねるゆっくり解説
無謀な戦略はダメかもしれません。
でも失敗を責めだしたら、当時の戦勝国すら作戦失敗はありましたし、そもそもルール無用の“殺し合い”に絶対失敗しない作戦なんて存在しません。
他の人間が諌めたとありますが、結果的に命令しなかった大本営の連中も実際には“命令”して止めなかった訳ですから。この作戦では“発令者”は誰も責任をとっていません。
実際2017年にアメリカ軍特殊部隊もニジェールで無謀な作戦の結果5名が戦死し、その指揮官は懲戒処分になりました。違いは“責任”をとるかどうかでしょう
悲惨過ぎますね、こんなすさんだ時代を精一杯戦っていた日本人は凄いです。そして今の時代に生まれれただけでも幸せな事だと痛感しますね。
八甲田山などもそうでしたが、上司が部下を物扱いしている感じと上官の軽視してる感じとよく分からない自信みたものが多くの兵士の命を奪ったような気がします。時代なんですかね、今もあんまりそこは変わってないかもしれないですけど。今の政治を見ても悲しくなる事が多いです。
例えばどの辺ですか?
@@donttellmearai
PFI法(水道民営化など)水道法改正、カジノ法案、銀行法案、種子法、法人税減税、消費税増税、(資産課税には一切触れないところなど)派遣法改正、特定秘密保護法、国家戦略特区域法、入管法改正、働き方改革法など、国民にとってマイナスにしかならい法案が国会で次々と通っていると感じます。
歴史のチャンネルだと思うのですが、個人的には政治なども見てみたいです。
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OK I`ll search it
@@donttellmearai whohoo!!
33333333333+868693
Can you understand japanese? Im interested in you.
@@eeeg yes!
以前の作戦がまた、成功するとは、限りません。士気が上がるとは、ないということです。補給がいつも必要だということです。
いつも必要ですよね
朝ドラ「エール」で、インパールに慰問で訪れた主人公と作戦に参加している恩師が再会するシーンがありました。が、一瞬にして今まで会話をしていた人たちが死に、主人公の目の前で恩師は撃たれ…と、朝ドラとは思えないほど残酷なシーンでした。
朝ドラちゃんとえぐいことしてますよね
よほどドラマチックにしたいのかNHKも脚色が過ぎますね。
本当は恩師は昭和46年まで生きて天授を全うされたのに劇中で戦死したことにされるなんて…。
あまりにも印象操作と偏向報道が過ぎるのでTVを見なくなって数年たちますが、普通にTVを見ている友人が教えてくれました。
ウォーギルドインフォメーションプログラムでアメリカ占領軍によりNHKに刷り込まれた自虐的場面ではないでしょうか
インパール作戦中止!の後の撤退中にほとんど亡くなったそうです。撤退中が一番危険なのですね。
優秀な敵より、無能な味方の方が怖いが、その無能な味方が自軍の司令官だとは…。
結果だけ見たらですね
牟田口は作戦立案までは普通に有能だったんだよなぁ
最後の質問のリクエストですが作戦ではないんですが英米合作経済抗戦力調査とかどうですか?下調べの段階の調査報告書なんで教養の範囲超えちゃうかもだけど最近の動画のクオリティが素晴らしいく大変勉強になるので開戦前の調査とかもと思い前段階もと思い。
え、嬉しいです。動画自体の伸びはあんまりよくないので不安でしたが、ナモカさんがそう言ってくださると自信が持てます。ありがとうございます!調べてみます!
@@donttellmearai 前回のむーさんの動画より教養としての情報量が素晴らしいです。プレミアム配信ではふざけたコメントしかしていなかったですが内心感動してました。使用兵器の紹介から兵站の方法、作戦の概要、なぜその拠点を攻めたかや戦況の流れまで一本の動画に綺麗にまとめられていて傑作動画の1つだと思います!他の人が何と言うかは分かりませんが教養と思える範囲で戦術から戦略まで学べる良作だと思います。
愚将のいい例ですね
精神論で戦争は継続出来ません
その通りです
インパール作戦で牟田口は芸者を伴う料亭の業者を追従させていた。
インパール作戦末期は既にアルコール中毒に陥っていたそう。
この方は愚将として多くの歴史家も取り上げていますし、戦犯としても罪を免れるため、他人のせいにして戦後も生き延びています。許せない生き様ですね。
なお序盤はイギリスのスリム中将を手玉に取っていた模様
撤退までの判断の遅さは擁護出来ませんが別に作戦自体がダメダメだった訳では無い
責任者である河辺正三、牟田口廉也こそ戦争犯罪者として日本人が裁くべき。戦後、牟田口はインパール作戦の正当性ばかり主張し反省すらしていない。
牟田口が現世にいたら「プリウス飯塚」のように頑なに俺は悪くない!って交通刑務所で吠えてそう(笑)
Thank you🙏
歴史上の人物の解説も出来ますか?
上げるならスターリンとか
レーニンもうやってます!スターリンも必ずやります
丁寧な動画いつも拝見しています!とても勉強になります。日本人であるからこそ、しっかり歴史を学ぶ必要があると思い、勉強中です。
私のひいおじいちゃんがビルマに行き、銃弾を足にうけて帰ってきたそうです。ハーモニカが得意で、よく幹部の方に演奏をしていて、寝食は優遇されていたと言っていました。
インパール作戦がどのような背景で行われ、どんな経過で敗北して行き、その原因は何だったのかを分かり安く動画でとても勉強になりました。
昔対戦国側ではインパール作戦はどうだったのかが気になり探したところ、イギリスの第二次世界大戦を取り扱ったドキュメンタリーの「The world at war」という作品を知り、その作品のビルマ戦線の回(日本のビルマ侵攻からインパール作戦終了までの1942年〜1944年を解説しております。)を見たところによるとインパール作戦における最激戦地はコヒマの「テニスコートの戦い」(上記のドキュメンタリーにてビルマ方面最高司令官マウント・バッテン将軍が当時のコヒマの戦い状況をとても激戦だったと解説しております。)だったそうです。
上記のドキュメンタリーにてコヒマで戦っていたイギリス軍達の心境は捕虜になったところで、虐待されるか殺されるかのどちらかしかないと知っていたから逃げることが出来ず、戦うしかなかったという状況だったみたいです。
インパール作戦中の日本軍の物資補給が悪かった理由の一つに日本が占領していたビルマにイギリス軍の空挺部隊「ティンディット部隊」(名前を間違えているかもしれません)が既にビルマ領内侵入していて、日本軍の補給物資を運ぶ列車を攻撃したり鉄道を破壊していたことも挙げられることと、インパール作戦が始まる少し前にアメリカ(イギリス軍からメリルの略奪者達と呼ばれておりました。)中国連合軍が日本軍の支配していた「ミートキイナ」という飛行場を目指し進撃していた時期であり、そちらへも兵力を割かなければならなかった事情もあったと思います。
今回の大人の教養TVの解説と上記の状況を合わせるとビルマの防衛もままならない状態で開始したまさに最悪な作戦だったと言えると思います。
なるほど詳しくありがとうございます
石を投げて攻撃するって石器時代か、ジンギスカン作戦もあまりにも無謀。
なぜそうなってしまったんでしょう?
ジンギスカン作戦は佐藤師団長の部隊でおこなわれました。ジンギスカン作戦なんてやったらそりゃ命令違反しても仕方ないですよね(´・ω・`)
わかりやすかったよ。
ありがとう!
竹山道雄著の「ビルマの竪琴」はとても感動する映画でオススメです!
昔見た感じする
石原莞爾について解説してほしいです!
了解しました
ブラック企業のトップみたいな人ですね💦何でこんな人がそんな地位についてこの作戦実行できたかも謎でした。
そこまで解説したかったです
ある動画が現在の日本はインパール作戦のようだと揶揄されていたものを見ました。気になって見てみましたがなるほどと思いました。今の人材不足の会社破産と当時の食糧不足は通づるものがありますね。岸田さんも牟田口も似た人物かと思いました。自身の功績優先、これしか頭にない気がしました。手遅れにならないうちに自分たちが率先して動かないといけない気がしました。
牟田口〜長生きしやがって〜。まぁ間違いなくあの世で袋叩きにあってるだろうな。
スターリンの解説動画見たいです。よろしければお願いします🙏
やると思います「
補給が大切なんですね
牟田口は前線の兵士達にむちゃくちゃ言ってた時に己は現地に芸者を読んで酒を飲んでたみたいなので酷い男だと思う。自分が最前線に行って戦って真っ先に散れば評価も変わったはず。この作戦はこの無能な男による人災だ。
2024-12-4昔の日本に戻りつつある日本
過去を忘れてはならない。平和外交しろ😢😢😢
日本軍は過去の勝利のみの幻想がこのインパール作戦でもいかされ、新しい発想や戦略がたてられなかったのかもしれません
現状がかなり厳しかったっていうのがでかいらしいです
原住民の大切な家畜を奪ったという視点を忘れないでほしいですね。
確かに…
苦しみぬいて亡くなった日本兵が哀れでなりません。愚鈍な司令官をどうすることもできなかったのか。
ペリリューの激戦区、中川中佐をお願いします!!
調べてみます!
@@donttellmearai よろしくお願いします!
インパールも何もそもそも列強に遅れんとして力もないくせに大陸に触手を伸ばした柳条湖事件からして間違いだった。
その辺は日中戦争の動画で解説してますよ!
他の戦争配信は目をこすりながら見てましたが牟田口のような人の話はあっという間です。日本人は変わりませんね。石破総理は良い方かも
見方を変えれば、戦争の遂行より勝利より、日本軍には優先すべき事案があったと。
いい番組ですがもう少し声大きめでお願いします、聞き流しで使わせて頂いております。
ごめんなさい。頑張って声を張りますね
@@donttellmearai
注文つけてごめんなさい🙏でもそうする事で作業しながら聞く人も増えると思います!ご返信ありがとうございました!
インパール作戦、最後まで戦い帰ってきた曹長の子孫です。
最近、知りました。
コロナ前まで毎年のようにミャンマー行っていたのでビックリ、
現地にある慰霊碑で身体を乗っ取られた理由がわかりました。
ホロコーストについても教えてほしいです。
わかりました!調べてみますね
人間の闇の部分について触れるのは心痛い
こうゆう無謀な方針が好きなトップっていますよね…今も歴史は繰り返している
ビルマ方面軍司令官は河辺中将でした。牟田口中将は第15軍司令官でした、お間違えなく。
補給の現実を全く無視した作戦がなぜ中央で裁可され、実行されたのか。誰も作成失敗の責任はとっていないと思います。
責任を取る
ということは原理的に不可能だと思っています僕は
インパールを落とせる可能性が十分あったからでしょう
実際英司令官がアメリカの輸送機を無理やり使って増援送ってなければ完全にインパール一帯は陥落して英軍側が雨季の中撤退する羽目になった訳ですから
日本軍は基本的に責任回避の王道、天皇に仕えていたからね
何故かいつも賢者タイムに見てる
今までもらったコメントで一番うれしいコメントです。
同じく笑
時代は違うけれど、石田三成がどれだけ凄い事がしたか分かります。
どういうことですか?
石田三成が物質の輸送に長けていたからです。
@@Katakata-Peramori 確かに!奴のお陰で秀吉は天下を取ったともいわれるよな。関が原で亡き者になっちゃったけど。朝鮮出兵でも綿密な補給計画を立てていたみたいだけど。福島とかにめっちゃ嫌われたけどね。
学校の授業では教科書に載ってることやるよりこれをそのまんま流して子供達に教えてあげたほうがいいと思う
重要なことなのに習わないことが多すぎる
間違った知識となるのでこの動画はやめといたほうがいいかと…
泥沼でしかない戦辞められない逆上せた思い沈めなくっちゃ
いつも冷静になることを思い起こさせる反面教師です。
わしの会社にも、牟田口の様な上司がいたね。
学校の先生はだいたいこんな感じでした
動画では日本には航空部隊がいないと言っていましたが、実際には第五航空師団が4月、5月にインパール市街への夜間爆撃やインパール北飛行場への爆撃、コヒマの敵戦車や陣地への近接航空支援などを幾度としており少なくとも5月17日のザドズップ西飛行場爆撃までは日本軍も航空機による攻撃はしていましたよ
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます
葬式の時に正当だったって、身内がビラ巻いたんだよね。
身内もくそ。
自分の身内だったらかばいません?
戦後の聞き取りって?生きて帰って来たのか………。
司令官でしたからねインパールでは。前線出てません
確かインパール作戦を指揮してたこの人(牟田口)は危険が迫ってると知って真っ先に逃げ出したとか
ちなみに露光虚事件の際に関東軍に対して安易な許可を出してたのもこの人(牟田口)らしい
まあ、この人も色々言われているけれど、大切なのは自身が牟田口みたいな人間にならないことであり、これが意外と難しい。
インパール作戦は昭和17年にはやろうと思っていたのですが、ミッドウェー海戦等の影響もあって延期されました。仮にこの時期に実行したとしても成功したかというと難しいとは思いますが、「ジリ貧を避けんとしてドカ貧に陥る」「一発逆転を狙ってさらに悪化する」という作戦になってしまいましたね。竹田宮も軽はずみなことをするなと釘を刺していたりしましたが、牟田口のことを気に入っていた上層部の者達が後押しする形になったという面もあります。
なお、戦史叢書でインパール作戦を読んだことがあります。戦史叢書はデジタル化されてネットで閲覧できるようになっているのでとても便利ですよ。あとでURLを貼っておきますね。
www.nids.mod.go.jp/military_history_search/
ここで戦史叢書を検索閲覧できます。便利な世の中になりましたね。
ありがとうございます!みてみますね
😢インパール作戦立案当時から補給軽視しており、作戦参謀からも補給について質問あったにもかかわらず、作戦参謀更迭し作戦遂行中でも意見した指揮官等更迭し戦後責任逃れした指揮官はどう思っているのかな?
これはインパール作戦に限らず今の世の中もあてはめてみたらどうなるのかな😢
牟田口は逮捕して軍法会議にかけるべきだったね。
これほど明確な利敵行為は無い。
戦後、あるきっかけからインパール作戦の弁解を始めた事から長く批判された。
葬儀でも遺族は参列者にインパール作戦を弁解するチラシを配布した。
あるきっかけってなんなんですか??
当時の人はこう考えたのではないだろうか・・・・
撤退はご法度だったはずなのに最後の一人になるまで戦い続けなかったのか、
撤退すれば負けだが戦い続ければ勝つことはあり得る。
多少苦しくても、撤退したことが唯一の敗因
補給が必要なんて考えても当時の日本は無理でしょう
ザップ将軍率いるベトミン軍は、いくつもの山・ジャングルをも超えてディエンビエンフーに5万人の兵力を移動させ、フランス軍を壊滅させたけど、日本軍とベトミン軍はどこが違ったのですかね?
ビルマの竪琴😢戦場のメリークリスマス😢
今の日本でも同じことが起きていると思います。
私も無茶な納期や仕事量で、身体を壊しました。
しかし、上司たちの判断は、「個人の能力が足りなかったからだ。」と言われました。
職場で出世した人は、素晴らしい能力が有るとは思いますが、
そこを基準にして、まるでコピーロボットがたくさんいる様に考え、納期やノルマを見積もって、成果を上げたことを強調する上司はいます。
そこを解説した本今度紹介します!
今回もわかりやすかったです!
それと、もしよろしければ明治以降の議会についてまとめていただけないでしょうか?個人的に学習していてもいまいちしっくりこないところが多い分野なので、是非お願いしたいです。
例えばどんなものでしょうか」?
大人の教養TV 政党内閣が誕生するあたりや、桂園時代の頻繁な入れ替わりなど、その時の時代背景とともに覚えたいなーと思ってます。
補足しますと、牟田口(日本のために戦った方に失礼だが彼は呼び捨てがふさわしい)は、作戦発令後、軍司令部お抱えの料亭で芸者相手に、「突撃」を敢行していました。
そうなんですか??
中部太平洋の海軍の一大拠点トラック島が米艦載機の大規模空襲により壊滅し、戦争の趨勢が日本側の絶対的不利な状況に傾くなかで、
形だけでも陸軍側で一か八かの攻勢に出ようとした作戦だった。
ちょっと遅れて開始した中国方面での大陸打通作戦(兵力50万戦車800台騎馬7万動員)は一応成功したのよね。
だけど印度方面はアメリカと連携し装備補給、戦術を一新したイギリスが相手。
中国兵とはレベルが違ったわ。
航空機の援護もなく装備も貧弱、糧食も原則現地調達、作戦計画も杜撰。
近代戦を舐め切ってたというしかないわね。
日本軍と連携したインド国民軍も、参加兵力6,000人のうち戦死、戦病死、餓死により半数前後の損害を出しほぼ壊滅した。
ただ戦後英国が旧国民軍兵士を軍事裁判にかけようとして、それに怒ったインド゙国民による対英独立闘争が勃発し独立につながったことは
彼らの当初の目的がかなったことになるわね。
確かな勝算もなく全軍万歳突撃のような無慈悲で無謀な作戦だったけど
ナポレオンのモスクワ遠征で50万の兵力が消滅した戦いよりはまだましだった
と自らを慰めるしかないわよね。
ナポレオンの動画もつくりますね!
インドの独立が達成されたということで、誇るべき戦いだったのではないでしょうか?戦術的失敗ばかり取り上げていないで、インドの独立という世界史に誇るべきことを日本人として、もっとアピールするべきだと思います。インパール作戦を戦った日本軍兵士を誇りに思います。
シュムシュ島の戦いについて知りたいです
やるかもです