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ハルノートの動画はこちらua-cam.com/video/8jXdbZLbkRo/v-deo.html真珠湾攻撃の動画はこちらua-cam.com/video/hg0X3ndmEOU/v-deo.html牟田口廉也の動画はこちらua-cam.com/video/Q0ztfBqP1aQ/v-deo.html
とてもも分かりやすかったです。ありがとうございます
なんで1週間前なの?
@@フラットライン斉藤 プレミアの自分だけの公開設定にしてそこでコメントしたと推測。(合ってるかはしらん)
イギリス東洋艦隊戦艦プリンス・オブ・ウェールズレパルス
私の祖父が銀輪部隊だったので当時の話を色々聞きました。自転車が壊れるたびに現地で調達していたとのこと。所属していた小隊の隊長が自転車に乗れなかったので現地人に漕いでもらっていたと言ってましたね😅
機械が苦手な私でも理解出来る、詳しい解説に感謝です。
当時の大本営は真珠湾攻撃に躍起だったので、航空機に使う予算も燃料も全部海軍に持って行かれ、「海軍にばかり活躍させてたまるか」と、陸軍は少ない予算と装備で必死にやりくりしてたからね。陸攻機で戦艦を爆撃する方法も連日連夜研究して、それにパイロットも応えた。
なるほど
その陸攻機は海軍所属の陸攻機なんですが・・・
話の進め方が上手いし、ほんとに聞きやすいです
まじすかマジうれしいっす
勝敗は単純な戦力の差ではなく、作戦と練度が重要だと再認識させられます。相手を舐めてると大国でも敗れる。この教訓は日常の教訓にしたい。
人間よくできたプログラムのような気もします
マレー作戦の勝利は嬉しいですが、真珠湾攻撃やインパール作戦みたいなドラマがあまりないので何度も寝落ちしました。でもインパール作戦につながる教訓みたいな作戦なので3回みました。ありがとうございます。
山下奉文大将凄いよなぁマッカーサーを追い詰めるとこまで行ったし
すごいです
山下幸文大将スゲー
@@donttellmearai 戦艦じゃなく航空機だったら戦きょくはかわっていたとか。という話があります。
今度は沖縄戦や硫黄島の戦いをやってほしいです
やります!待っててください!
ビアク島やタラワ、アッツ島もお願いします‼︎
満州油田が早く見つかっていれば、、、
本当それですよ😭😭😭
サハリンもですね。
当時の日本政府も満洲地域での油田開発を計画はしていました。実際に2000m級の掘削作業も行い、油田を探していましたが、思うような成果が出ずに、昭和15年夏頃に日本政府は南方方面の資源確保を目指す様になり、その後の大規模探索は行われませんでした。それに当時では満洲油田の一帯は油が出る場所と思われていなかったことと、大規模探索及び掘削には米國などの設備が必要で対米悪化が進む日本としては購入は愚か借り受ける事すら不可能でした。そして、現北朝鮮地域では、レアメタルを含む希土類やウラン元素などが有る事が知られています。当時の日本がこれらの資源を確保出来ていれば、そもそも米國との戦争を画策せずに済んだでしょう。
探索はしていたんですね…知らなかったです
大人の教養TV さん資料がかなり少ないですからね。私も大慶油田(満洲油田)を調べたのが、「かわぐちかいじ」作の「ジパング」と言う作品を一通り読んでからですからね。満洲関連の正確な資料は終戦時の焚書で各種報告書や調査書が焼失してしまいましたからね。私が読んだ資料も全てが正しいかはわかりませんが、僅かな資料とその当時に関係していた方の証言とそれでも足りない部分は推察しているといった感じですからね。とは言え地質調査の詳細な情報はその資料には添付して有ったので、大きく的が外れている推察では無いと思いますね。
マレー海戦に勝利した事を知ったNHKはあんまりにも嬉しすぎて大本営発表から3時間後にこの戦果を称える歌を作曲発表をしようとした。結果、3時間で作詞作曲は出来たがほぼリハーサルなしでぶっつけ本番で歌うことになってしまったが、歌手の藤山一郎は見事歌いきり、この試みは大成功した。ちなみに作曲者は今の朝ドラ「エール」の主役(の元ネタ)の古関裕而。
豆知識みたいな完璧な豆知識ですね
英国留学中に大変お世話になったイギリス人教授から、教授の父がミャンマーで捕虜になって、日本軍に結構ヒドい目に遭わされたって聞かされました。そんな背景があったのに、授業後に自分にマメに声かけてくれたり、クリスマスで食事に呼ばれたりとか、今この動画を見てから思い出すと、とても感慨深いものが感じられました。
すごい…歴史を知ると思うところがありますよね…
やっぱり分かりやすい!!これからもよろしくお願いします🥺
頑張ります!
日本の軍隊も優秀な一面があったという事がわかる動画でした
それはもちろんです!!!そうじゃなきゃここまでの大国じゃない
硫黄島の戦い詳しく知りたいです!
やりますので待っててください!
硫黄島からの手紙という映画を観れば、良く解るかもしれない❗渡辺謙、嵐の二宮が出ている❗
この戦闘の後、無条件降伏を認めようとしないパーシバル中将に山下奉文がYESかNOか、と迫ったらしいな…
陸大の戦術教育、迂回や包囲が上手く当たった。インパール作戦ではイギリスは対応策を実施した。成功体験にすがり過ぎるのは人間の性なのかも知れない(明日は我が身
よくできた人間のプログラムだと思いますけどね
@@donttellmearai さん状況が同じという事がない。それで当てはめても上手くいかないと思う。戦史や戦術を眺めているとつくづくそう実感します。
ハリマオも機会がありましたらお願いします
日本の版図の広い事、古代ローマ帝国並み。そして、それは長くは続かない事も。動画、いつも 有難うございます。🌸
こちらこそ、マレー作戦見てくれて嬉しいです!これからもよろしくお願いします。
戦争は、1941年12月8日に始まったじゃなくて、満州事変後の大陸とのゴタゴタや1937年の日華事変と、既に戦時体制にあったんですね。
そうなんですよ日中戦争の動画を見てみて欲しいです
全然関係ないけど「世界見聞録」確かにものすごく良質なチャンネルだと思う配信者がイケメン、おしゃれ、声が良い動画もおしゃれで曲やサムネもおしゃれ大人の教養よりもおしゃれさやイケメンさでは遥かに上手で雲の上を行ってるいってるんだけど、更新頻度が遅い動画が少ない1か月に1本か2本の頻度では心が離れてしまう、、動画の投稿の頻度の多さよりフェアさ親しみやすさなどで私は大人の教養を支持するな
よかったです、乗り換えられたのかと思いました
はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいています。マレー作戦でも大活躍した山下奉文についてもっとよく知りたいので、どうか動画を作って欲しいです。忙しいとは思いますが、どうか宜しくお願いいたします。
ソ連の対日参戦や、日中戦争における中国の逆襲(1945年頃)を取り上げてほしいです。
マレー作戦とうとう来ましたね(*´ω`*)待ってました!マレー作戦と言えば山下奉文の「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行ったと言われるが、実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、菱刈隆文の通訳が分からないことに苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたと山下は日記で書いていたとされていますから、決して強要していた訳では無い事は知るべきかと思いますね。日本軍将校の中でも勇将と呼ばれただけはあり、未だに山下奉文の生き様は同じ男として尊敬に値する人物だと考えます。
かっけーす
いつも楽しみに見てます☺️是非とも蘭印作戦もお願いします🙇
調べてみますね
@@donttellmearai 是非ともよろしくお願いします☺️目標はインドネシアの石油です☺️
@@donttellmearai ペリリュー島とサイパン島もお願いします☺️
ABCD包囲網にかけられてアメリカからの石油をとめられたためインドネシアの石油が欲しかったからね!
その通りです
マレー上陸作戦は真珠湾攻撃より以前に行われています。(若干ですけどね)マレー上陸作戦は油田確保のためのもので、どちらかというとこちらの方が主目的です。というか、真珠湾攻撃のほうが余分だったような気がしてなりません。真珠湾攻撃がなければアメリカはWWⅡに参戦できなかったからね!マレー上陸作戦はマレーの人々にとっては、解放軍がやってきたと歓迎されています。しかしマレーには中国華僑が大勢いました(シンガポールは後中国華僑に乗っ取られていますしね)。簡単にいえば日本、マレー、タイ王国vs英国、中国華僑でした。
なるほどそうだったんですね、真珠湾攻撃の動画も見てみてくださいね!
今日ドントテルミー荒井ですの声が小さくて驚いた
音が割れちゃうんですよね…
マレー電撃戦ってボードゲーム持ってたよ、たしかに日本軍のユニットに銀輪部隊があった懐かしいなあ
面白そう!みたい
良し!勉強になった!日本!良くやった!
F機関にも触れてほしかったな~
えっ自転車って現地徴発だったのか、これは初めて知った
すごいことですね
現地民の所有物を一台ずつ取り上げてかき集めた訳ではない。そんなヒマはありません。開戦に先がけて現地の日本商社が軍から大量に在庫しておくよう指示されていて、それを徴発したのです。
自転車すごいんですね
最強の海軍国家と言われていたイギリスの戦艦が、新兵器で沈められるってかませ犬感がすごいな
動画制作お疲れ様でした。使用兵器までの解説見応えありました。いつもありがとうございます!
すごいところまでちゃんと堀ったって感じしますよね
マレー沖海戦の戦果はマジで凄すぎるなあ
それよ
超人パイロットを1人育てる予算で、凡人パイロットを3人育てるべきだった。航空戦は、艦隊戦以上に量が勝敗を決めるのだから。
零戦の解説見ました?
マレー作戦と牟田口。インパール作戦に繋がりました。
良かったです!
Gpsが誰でも活用出来る現代でありとあらゆるものを活用して自分の位置を割り出すって今考えたら凄すぎて草
ほんまそれですよ
元は軍事用。
イギリス東洋艦隊の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈められ、チャーチルは国内でも相当に叩かれ、同じ連合国のアメリカのルーズベルトからは「戦艦なんて時代遅れだ」と笑われたのは有名な話。今思えば、この時が日本のピークだった気がします。ギャンブルは1度勝つと、どうしても二匹目のどじょうを期待してしまう傾向が強いから、日本は形だけの大東亜共栄圏ではなく「真の大東亜共栄圏」を行い、アジアが一致団結して、短期にケリを付ける様にすべきでしたね。まぁ、相手が交渉に応じてくれればの話ですけどね(笑)。
短期決戦は総力戦には会いませんからね…
マレー何何って言われると、マレー沖海戦しか思いつかないけど、このどうがでまなべました!
良かったです
当時、あちこちで現地の人が朝起きて畑に行こうと思ったら『僕の銀輪(ママチャリ)が無いじゃないかよー(# ゚Д゚)』ってなっていたと思いますw
たまったもんじゃないですね。
この投稿のように落ち着いて説明されてると安心感があります。ロシア関連の動画などは、軽い内容に感じるので、余分な身振りを見せて急いてる雰囲気は少し残念と感じてるので、良き点は継続投稿して欲しいです。メンバーさん同士の投稿とは区別をつけることをお勧めします
ごめんなさい、こんごはこうあうかんじでだしますね
結局枢軸側の勝てた戦いって、ほとんど奇襲なんだよな。反撃態勢が整った連合軍にはほぼ勝ててない
戦争において橋って大事なんだなあだから橋頭堡があるんだな
気づき!ですね
是非ペリリューを解説してほしい
なんですかそれ?
マレー作戦に勝って、その後マレーシアとシンガポールで何をしたのか続編を教えてほしいです‼️
陸攻隊の名前を初めて知ったシンプルに訓練の賜物で超優秀だったというのがなんか面白いな下馬評を覆すなんて戦争はこういうことがあるから面白い?興味深い
興味深くはあります!
今度は是非とも石原莞爾について解説をお願い申し上げま☆聞きたいです(*^^*)
16:40 当時はmade in japanは粗悪品の代名詞でしょ
そうなんですか?
@@donttellmearai しょうもない返信ならするなや。いちいちいらんわ。
マクロで見た当時の日本の戦争は愚かで頭が悪くてもミクロの個人単体で見ると超優秀な人たちもいたというのが何か面白いなあ
その視点は何事においても超重要です
ダンケルクの救出作戦は最もすごかった
どうすごかったんですか?
この時、イギリス戦艦プリンスオブウェールズを沈めたんでしたか?
でしたっけ・・・?
真珠湾攻撃の2日後くらいでしたっけ?たしかマレー沖海戦で
艦攻を陸から飛ばすことはできないの?
たしかに、どうなんでしょう…
む 牟田口閣下にも活躍した瞬間があったはず・・・・
牟田口廉也の動画で詳しく取り上げていますよ
通常の作戦でも陸軍と海軍は仲良くしろよ
それな
陸海軍の仲の悪さは万国共通だが日本はことさら酷い
戦闘機パイロットって華があるよなあこう思ったらダメなんだろうけど
今も乗ってる自衛隊の方沢山います
この時期まで日英同盟が結ばれていたら歴史は変わっていそうですよね。
黄禍論が西洋にとって屈辱的だったってのもあるかもね。
4カ国同盟があるじゃないか
イギリスも牟田口も「油断」でやらかしたんやなそれにしてもイギリス「日本軍弱そwww」↓↓↓イギリス「え?負けたんだが?」↓↓↓牟田口「イギリス雑魚wインド余裕だなw」↓↓↓牟田口「え?イギリス軍つよ。負けたわ」めっさ愉快だな
せつりです
南進論、理解しました。北進論について詳しく聞かせて下さい。
アッツ島とかキスカ島の解説動画はもうありますよ!
15歳の時(1985年)、親の仕事の都合で赴任先のクアラルンプールで生活してました。フレンドリーで人懐っこいマレー人が好きでしたが、現地のタクシーに乗っていた時にドライバーとの雑談で「俺の親父は日本人に殺されたんだ」といきなり言われて怖くなり、当時治安もあまり良くなかった背景もあり、逃げるように途中下車したことを思い出しました。当時の日本人中学校での社会科授業でマレー決戦のことを学んでなかったからショックが強かったです。わかりやすい解説、いつもありがとうございます😊
陸上攻撃機は陸軍所属なので海軍パイロットではなく陸軍パイロットでは?陸軍機と海軍機は使い勝手が違うから陸海軍で訓練は別々に行われていたはず
陸攻は海軍機ですよ?
@@tsuchi3609 飛行場は陸軍の管轄だとずっと思ってたわ
海軍が運用しないと海上は飛べないよ。 ガダルカナルも海軍。
シンガポールという国がなぜ重要なのかわかる動画だ
ほんまそれ
マレー作戦成功の秘訣は辻が戦車に箱乗りしていぇーいと叫んでたから
イエーいって日本語なんですね
アニメ 決断【決断】第4話「マレー突進作戦」ua-cam.com/video/UsmuF0p_Mxc/v-deo.htmlアニメンタリー『決断』 第5話 シンガポール攻略ua-cam.com/video/L7Fx5gnyoaw/v-deo.html
みてみます
此方、防衛研究所から一部引用させて戴きました。御参考して戴ければ幸いと僭越ながら投稿させてもらいました。立川 マレー・シンガポール作戦112マレー・シンガポール作戦―山下奉文を中心に―立川京一はじめに太平洋戦争当時もそして今日に至るも、山下奉文は緒戦における戦勝将軍として、海軍の山本五十六と並んで高い評価を受けている。その名声は日本のみならず、海外にも聞こえ、「日本で出た最高の将軍」というような紹介のされ方をしている1。シンガポールのフォード工場跡におけるイギリス軍との停戦交渉で敵将パーシバルに「イエスか、ノーか」の回答を迫ったという逸話、写真や映像で見る巨大な体躯、大きな目といった風貌、「マレーの虎」という異名などによって、英雄的なイメージはいっそう増幅されているようである。ところが側近の見る山下は、こうした評判とはやや異なっている。例えば、日本陸軍第 25 軍の作戦主任参謀として山下軍司令官のもとでマレー・シンガポール作戦を遂行した辻政信は、堂々たる体躯と魁偉な容貌と に輝かしい過去の経歴を背景として、内外に貫禄を認められた器であり、永年、軍政の中枢に活躍されたためか、細かい点までよく気がつき、豪傑風の外貌に似もやらぬ頭脳明晰な、政治家型のところも多分にあった2と著書の中で述べている。また、同じく第 25 軍の作戦参謀であった国武輝人は、あの偉大な体躯から一般に言われているように腹の太い、豪放磊落な将軍だと思っていた。しかし、同時に繊細、鋭敏な神経の持ち主でもあるとは知らなかった 3と述べている。後日、山下自身が述べていることであるが、パーシバルとの停戦交渉における「イエスか、ノーか」という発言は、通訳官がもたもたしているので、イライラして、彼に向かって「イエスか、ノーか、訊け」と言うつもりで怒鳴ってしまったのが、あのように報道されたのであるらしい4。また、写真などで見られるように、山下が胸を1 Arthur Swinson, Four Samurai: A Quartet of Japanese Army Commanders in the Second World War (London: Hutchinson, 1968), pp. 90-91.2 辻政信『シンガポール――運命の転機――』(東西南北社)1952 年、37 頁。3 国武輝人「マレー軍司令部――第二十五軍かく戦えり――」(『丸』別冊第 8 号「戦勝の日々」1988年 3 月 )469-470 頁。4 安岡正隆『人間将軍 山下奉文――「マレーの虎」と畏怖された男の愛と孤独――』(光人社、2000
ありがとうございます!参考にさせていただきます
シンガポール人です
あら、いかがでしたか?
@@donttellmearai とても面白かったですありがとうございました
バターンの死の行進を取り上げてください。捕虜を歩かせるしか方法はなかったと聞いています。
日本も下士官降ろしてまで捕虜をぎゅうぎゅうにトラックに詰めて輸送してたけど、怪我人なども多くマラリアやデング熱が頻発し、やむを得ず歩かせならしいですね。うろ覚えですがこの時の米兵の証言で「なんであいつら(日本兵)はこんなに歩いても疲れないんだ!?」という話を聞いたことがあります。
マレーバクマレーグマ
かわちいよね
日本の大東亜共栄圏思想が、国権主義的大アジア主義ではなく自由民主的大アジア主義だったならば、“より”アジアの協力と連携を生んでいたと思う。大義は良かったが、手段に問題があった。
まぁやむを得なかったと言う感じもしますけどね
@@donttellmearai そうですね。
思想や宗教、価値観の違う者を短期間に纏めるのはそりぁ無理があるでしょー。
月月火水木金正日
キム・ジョンイル
月月火水勃起ん金
そもそも当時は自動車免許証持ってる人が軍でも少なかったらしいですね 敵性言語とかで教本におけるハンドルなどの用語も冗長だったようですし
なるほど…
ドイツのように車やオートバイを作る工業力も足りなかったのも原因
だから日本は精神力で戦った。アメリカならば、先ず工兵がジャングル切り拓いて道路造る、橋かける、からでないと進軍しない。
マレー沖海戦で沈んだイギリス戦艦ってプリンス・オブ・ウェールズだよね?
アメリカに宣戦布告する前に東南アジアを制圧して力を蓄えてからじゃ遅かったのかな?
それを悠長に見逃すとは考えられないような気がしますね
いや、それはどうだろう。僕は対米開戦せずに対英開戦のみをしても米国は動かないとおもいますよ?少なくとも米国が自発的に対戦に参加はしない。
前髪めちゃくちゃ伸びましたね😅😅
長すぎですよね
日本兵が自転車乗ってる写真を初めて見ました。何と言ったらいいにか・・・
なりふりかまわず勝ちましょう
勝って兜の緒を締めよ!我が国軍は、この教訓を肝に銘じて戦を続けなくなったから負けたんでしょうな。この後、バターン死の行進、戦場にかける橋とか、捕虜虐待で悪名をはせた事件が続いて、戦後、仕返しされて無念の死を遂げられた方々が大勢出ました。パールハーバーともども、最初に勝ちすぎたのがよかったかどうかです。むしろ負けていた方がよかったのかも。日清、日露戦争みたいに短期決戦だったら勝てたのでしょう。日本軍は確かに世界最強だったかもしれません。ミッドウェーの前に休戦していたらよかったのですが。チャーチルとルーズベルトにしてやられました。あの二人に匹敵するような政治家が不在だったのが最悪だったと思います。
東郷平八郎が言ったんでしたっけね
まぁミッドウェー前でも講和に乗ってくれるとは思えませんが
かなり左よりの解説ですね
どーゆーことですか?
どの辺がですか?
右から見れば真ん中は左に見えるんだよちょっと気に食わなかったら右だ左だと騒ぐ人にロクなのは居ない真ん中な立場で観て解説してる動画だよ
肝心なマレーの統治の仕方をなぜ飛ばしますか?
どちら側から見た統治でしょうか?マレーの解放は、日本軍とマレー人で成し遂げてます。統治は、裏表の顔があります。当時も今も、マレー半島は多民族イスラム国家です。当時の多くのマレー人(華僑含む)の敵は、イギリス国と華人でした。マレー人としてなら、それなりに良い関係の統治だったろうし、華人としてなら、良く判らない。虐殺があったとか無かったとか。
マレーの虎がマナーの虎に聞こえたw
そんなおばさん講師みたいな奴いましたね
物資が日本にあれば勝ててなのかな?
大量の物資と大量の人がいたら買ったと思いますよ
その為に戦争したんや…
真珠湾と同時並行でやっていたとは。これは侵略ではないですよね?欧州植民地から取り返す作戦ですよね!
取り返すって元々日本のものではないです
当時の自転車は今のシーマ以上。当然持ち主は一般民衆ではない。金持ち階級や支配層が持ち主。よって徴発しても、民衆は痛くも痒くもなかった。と俺は作戦経験者から聞いた。
なるほどそうなんですね。面白いですね。教えて下さってありがとうございます
マレーの虎🐯イギリス軍防衛線ジットララインでしょ?
そうそう
ゆっくり解説の人前やってたけど似たようなあれだね。
どういうことですか?何が言いたいんですか?
資源が欲しかったから戦争したわけじゃないよ「石油のために戦争をするのか」って東條英機は怒ってたし
じゃあなんのために戦争したんですか?
牟田口が調子に乗っちゃったんだな、、
あれはアレでしょうがない面も大きいです
なんか、一部のバカから、「反日」ってレッテル貼られてるみたいだけど、気にしないで、頑張ってね。フラットなリアリズムを反日だと云うのは、愚の骨頂だよね。
日本好きですからね僕は
ちょっといやかなり違うね
たとえばどこ?
このUA-camrの知能では日本は米中の核攻撃の実験場にされるのがオチ。
どういう意味ですか?
元東大生だけどどこの戦史にも書いてあるありきたりの事しか言ってないな
東大生なら戦史に書いてあること以外も知っていると思うんですか……?東大生ってただの大学生ですよ…
すごい!詳しくありがとうございます
ハルノートの動画はこちら
ua-cam.com/video/8jXdbZLbkRo/v-deo.html
真珠湾攻撃の動画はこちら
ua-cam.com/video/hg0X3ndmEOU/v-deo.html
牟田口廉也の動画はこちら
ua-cam.com/video/Q0ztfBqP1aQ/v-deo.html
とてもも分かりやすかったです。ありがとうございます
なんで1週間前なの?
@@フラットライン斉藤 プレミアの自分だけの公開設定にしてそこでコメントしたと推測。(合ってるかはしらん)
イギリス東洋艦隊戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
レパルス
私の祖父が銀輪部隊だったので当時の話を色々聞きました。自転車が壊れるたびに現地で調達していたとのこと。所属していた小隊の隊長が自転車に乗れなかったので現地人に漕いでもらっていたと言ってましたね😅
機械が苦手な私でも理解出来る、詳しい解説に感謝です。
当時の大本営は真珠湾攻撃に躍起だったので、航空機に使う予算も燃料も全部海軍に持って行かれ、「海軍にばかり活躍させてたまるか」と、陸軍は少ない予算と装備で必死にやりくりしてたからね。
陸攻機で戦艦を爆撃する方法も連日連夜研究して、それにパイロットも応えた。
なるほど
その陸攻機は海軍所属の陸攻機なんですが・・・
話の進め方が上手いし、ほんとに聞きやすいです
まじすかマジうれしいっす
勝敗は単純な戦力の差ではなく、作戦と練度が重要だと再認識させられます。相手を舐めてると大国でも敗れる。この教訓は日常の教訓にしたい。
人間よくできたプログラムのような気もします
マレー作戦の勝利は嬉しいですが、真珠湾攻撃やインパール作戦みたいなドラマがあまりないので何度も寝落ちしました。
でもインパール作戦につながる教訓みたいな作戦なので3回みました。
ありがとうございます。
山下奉文大将凄いよなぁマッカーサーを追い詰めるとこまで行ったし
すごいです
山下幸文大将スゲー
@@donttellmearai 戦艦じゃなく航空機だったら戦きょくはかわっていたとか。という話があります。
今度は沖縄戦や硫黄島の戦いをやってほしいです
やります!待っててください!
ビアク島やタラワ、アッツ島もお願いします‼︎
満州油田が早く見つかっていれば、、、
本当それですよ😭😭😭
サハリンもですね。
当時の日本政府も満洲地域での油田開発を計画はしていました。
実際に2000m級の掘削作業も行い、油田を探していましたが、思うような成果が出ずに、昭和15年夏頃に日本政府は南方方面の資源確保を目指す様になり、その後の大規模探索は行われませんでした。
それに当時では満洲油田の一帯は油が出る場所と思われていなかったことと、大規模探索及び掘削には米國などの設備が必要で対米悪化が進む日本としては購入は愚か借り受ける事すら不可能でした。
そして、現北朝鮮地域では、レアメタルを含む希土類やウラン元素などが有る事が知られています。
当時の日本がこれらの資源を確保出来ていれば、そもそも米國との戦争を画策せずに済んだでしょう。
探索はしていたんですね…
知らなかったです
大人の教養TV さん
資料がかなり少ないですからね。
私も大慶油田(満洲油田)を調べたのが、「かわぐちかいじ」作の「ジパング」と言う作品を一通り読んでからですからね。
満洲関連の正確な資料は終戦時の焚書で各種報告書や調査書が焼失してしまいましたからね。
私が読んだ資料も全てが正しいかはわかりませんが、僅かな資料とその当時に関係していた方の証言とそれでも足りない部分は推察しているといった感じですからね。とは言え地質調査の詳細な情報はその資料には添付して有ったので、大きく的が外れている推察では無いと思いますね。
マレー海戦に勝利した事を知ったNHKはあんまりにも嬉しすぎて大本営発表から3時間後にこの戦果を称える歌を作曲発表をしようとした。結果、3時間で作詞作曲は出来たがほぼリハーサルなしでぶっつけ本番で歌うことになってしまったが、歌手の藤山一郎は見事歌いきり、この試みは大成功した。ちなみに作曲者は今の朝ドラ「エール」の主役(の元ネタ)の古関裕而。
豆知識みたいな完璧な豆知識ですね
英国留学中に大変お世話になったイギリス人教授から、
教授の父がミャンマーで捕虜になって、日本軍に結構ヒドい目に遭わされたって聞かされました。
そんな背景があったのに、授業後に自分にマメに声かけてくれたり、クリスマスで食事に呼ばれたりとか、
今この動画を見てから思い出すと、とても感慨深いものが感じられました。
すごい…歴史を知ると思うところがありますよね…
やっぱり分かりやすい!!
これからもよろしくお願いします🥺
頑張ります!
日本の軍隊も優秀な一面があったという事がわかる動画でした
それはもちろんです!!!そうじゃなきゃここまでの大国じゃない
硫黄島の戦い詳しく知りたいです!
やりますので待っててください!
硫黄島からの手紙という映画を観れば、良く解るかもしれない❗
渡辺謙、嵐の二宮が出ている❗
この戦闘の後、無条件降伏を認めようとしないパーシバル中将に山下奉文がYESかNOか、と迫ったらしいな…
陸大の戦術教育、迂回や包囲が上手く当たった。インパール作戦ではイギリスは対応策を実施した。
成功体験にすがり過ぎるのは人間の性なのかも知れない(明日は我が身
よくできた人間のプログラムだと思いますけどね
@@donttellmearai さん
状況が同じという事がない。
それで当てはめても上手くいかないと思う。
戦史や戦術を眺めているとつくづくそう実感します。
ハリマオも機会がありましたらお願いします
日本の版図の広い事、古代ローマ帝国並み。そして、それは長くは続かない事も。
動画、いつも 有難うございます。🌸
こちらこそ、マレー作戦見てくれて嬉しいです!
これからもよろしくお願いします。
戦争は、1941年12月8日に始まったじゃなくて、満州事変後の大陸とのゴタゴタや1937年の日華事変と、既に戦時体制にあったんですね。
そうなんですよ
日中戦争の動画を見てみて欲しいです
全然関係ないけど
「世界見聞録」確かにものすごく良質なチャンネルだと思う
配信者がイケメン、おしゃれ、声が良い
動画もおしゃれで曲やサムネもおしゃれ
大人の教養よりもおしゃれさやイケメンさでは遥かに上手で雲の上を行ってる
いってるんだけど、更新頻度が遅い
動画が少ない
1か月に1本か2本の頻度では心が離れてしまう、、
動画の投稿の頻度の多さ
よりフェアさ
親しみやすさ
などで私は大人の教養を支持するな
よかったです、乗り換えられたのかと思いました
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ソ連の対日参戦や、日中戦争における中国の逆襲(1945年頃)を取り上げてほしいです。
マレー作戦とうとう来ましたね(*´ω`*)
待ってました!
マレー作戦と言えば山下奉文の「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行ったと言われるが、実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、菱刈隆文の通訳が分からないことに苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたと山下は日記で書いていたとされていますから、決して強要していた訳では無い事は知るべきかと思いますね。
日本軍将校の中でも勇将と呼ばれただけはあり、未だに山下奉文の生き様は同じ男として尊敬に値する人物だと考えます。
かっけーす
いつも楽しみに見てます☺️
是非とも蘭印作戦もお願いします🙇
調べてみますね
@@donttellmearai 是非ともよろしくお願いします☺️
目標はインドネシアの石油です☺️
@@donttellmearai ペリリュー島とサイパン島もお願いします☺️
ABCD包囲網にかけられて
アメリカからの石油をとめられたため
インドネシアの石油が欲しかったからね!
その通りです
マレー上陸作戦は真珠湾攻撃より以前に行われています。(若干ですけどね)マレー上陸作戦は油田確保のためのもので、どちらかというとこちらの方が主目的です。というか、真珠湾攻撃のほうが余分だったような気がしてなりません。真珠湾攻撃がなければアメリカはWWⅡに参戦できなかったからね!
マレー上陸作戦はマレーの人々にとっては、解放軍がやってきたと歓迎されています。しかしマレーには中国華僑が大勢いました(シンガポールは後中国華僑に乗っ取られていますしね)。簡単にいえば日本、マレー、タイ王国vs英国、中国華僑でした。
なるほどそうだったんですね、真珠湾攻撃の動画も見てみてくださいね!
今日ドントテルミー荒井ですの声が小さくて驚いた
音が割れちゃうんですよね…
マレー電撃戦ってボードゲーム持ってたよ、たしかに日本軍のユニットに銀輪部隊があった
懐かしいなあ
面白そう!みたい
良し!勉強になった!日本!良くやった!
F機関にも触れてほしかったな~
えっ自転車って現地徴発だったのか、これは初めて知った
すごいことですね
現地民の所有物を一台ずつ取り上げてかき集めた訳ではない。そんなヒマはありません。
開戦に先がけて現地の日本商社が軍から大量に在庫しておくよう指示されていて、それを徴発したのです。
自転車すごいんですね
最強の海軍国家と言われていたイギリスの戦艦が、新兵器で沈められるってかませ犬感がすごいな
動画制作お疲れ様でした。使用兵器までの解説見応えありました。いつもありがとうございます!
すごいところまでちゃんと堀ったって感じしますよね
マレー沖海戦の戦果はマジで凄すぎるなあ
それよ
超人パイロットを1人育てる予算で、凡人パイロットを3人育てるべきだった。航空戦は、艦隊戦以上に量が勝敗を決めるのだから。
零戦の解説見ました?
マレー作戦と牟田口。インパール作戦に繋がりました。
良かったです!
Gpsが誰でも活用出来る現代でありとあらゆるものを活用して自分の位置を割り出すって今考えたら凄すぎて草
ほんまそれですよ
元は軍事用。
イギリス東洋艦隊の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈められ、チャーチルは国内でも相当に叩かれ、同じ連合国のアメリカのルーズベルトからは「戦艦なんて時代遅れだ」と笑われたのは有名な話。今思えば、この時が日本のピークだった気がします。ギャンブルは1度勝つと、どうしても二匹目のどじょうを期待してしまう傾向が強いから、日本は形だけの大東亜共栄圏ではなく「真の大東亜共栄圏」を行い、アジアが一致団結して、短期にケリを付ける様にすべきでしたね。まぁ、相手が交渉に応じてくれればの話ですけどね(笑)。
短期決戦は総力戦には会いませんからね…
マレー何何って言われると、マレー沖海戦しか思いつかないけど、このどうがでまなべました!
良かったです
当時、あちこちで現地の人が朝起きて畑に行こうと思ったら『僕の銀輪(ママチャリ)が無いじゃないかよー(# ゚Д゚)』ってなっていたと思いますw
たまったもんじゃないですね。
この投稿のように落ち着いて説明されてると安心感があります。
ロシア関連の動画などは、軽い内容に感じるので、余分な身振りを見せて急いてる雰囲気は少し残念と感じてるので、良き点は継続投稿して欲しいです。
メンバーさん同士の投稿とは区別をつけることをお勧めします
ごめんなさい、こんごはこうあうかんじでだしますね
結局枢軸側の勝てた戦いって、ほとんど奇襲なんだよな。反撃態勢が整った連合軍にはほぼ勝ててない
戦争において橋って大事なんだなあ
だから橋頭堡があるんだな
気づき!ですね
是非ペリリューを解説してほしい
なんですかそれ?
マレー作戦に勝って、その後マレーシアとシンガポールで何をしたのか続編を教えてほしいです‼️
陸攻隊の名前を初めて知った
シンプルに訓練の賜物で超優秀だったというのがなんか面白いな
下馬評を覆すなんて
戦争はこういうことがあるから面白い?興味深い
興味深くはあります!
今度は是非とも石原莞爾について解説をお願い申し上げま☆聞きたいです(*^^*)
調べてみますね
16:40 当時はmade in japanは粗悪品の代名詞でしょ
そうなんですか?
@@donttellmearai しょうもない返信ならするなや。いちいちいらんわ。
マクロで見た当時の日本の戦争は愚かで頭が悪くても
ミクロの個人単体で見ると超優秀な人たちもいたというのが何か面白いなあ
その視点は何事においても超重要です
ダンケルクの救出作戦は最もすごかった
どうすごかったんですか?
この時、イギリス戦艦プリンスオブウェールズを沈めたんでしたか?
でしたっけ・・・?
真珠湾攻撃の2日後くらいでしたっけ?
たしかマレー沖海戦で
艦攻を陸から飛ばすことはできないの?
たしかに、どうなんでしょう…
む 牟田口閣下にも活躍した瞬間があったはず・・・・
牟田口廉也の動画で詳しく取り上げていますよ
通常の作戦でも陸軍と海軍は仲良くしろよ
それな
陸海軍の仲の悪さは万国共通だが日本はことさら酷い
戦闘機パイロットって華があるよなあ
こう思ったらダメなんだろうけど
今も乗ってる自衛隊の方沢山います
この時期まで日英同盟が結ばれていたら歴史は変わっていそうですよね。
黄禍論が西洋にとって屈辱的だったってのもあるかもね。
4カ国同盟があるじゃないか
イギリスも牟田口も「油断」でやらかしたんやな
それにしても
イギリス「日本軍弱そwww」
↓↓↓
イギリス「え?負けたんだが?」
↓↓↓
牟田口「イギリス雑魚wインド余裕だなw」
↓↓↓
牟田口「え?イギリス軍つよ。負けたわ」
めっさ愉快だな
せつりです
南進論、理解しました。北進論について詳しく聞かせて下さい。
アッツ島とかキスカ島の解説動画はもうありますよ!
15歳の時(1985年)、親の仕事の都合で赴任先のクアラルンプールで生活してました。
フレンドリーで人懐っこいマレー人が好きでしたが、現地のタクシーに乗っていた時にドライバーとの雑談で
「俺の親父は日本人に殺されたんだ」
といきなり言われて怖くなり、当時治安もあまり良くなかった背景もあり、逃げるように途中下車したことを思い出しました。
当時の日本人中学校での社会科授業でマレー決戦のことを学んでなかったからショックが強かったです。
わかりやすい解説、いつもありがとうございます😊
陸上攻撃機は陸軍所属なので海軍パイロットではなく陸軍パイロットでは?
陸軍機と海軍機は使い勝手が違うから陸海軍で訓練は別々に行われていたはず
陸攻は海軍機ですよ?
@@tsuchi3609 飛行場は陸軍の管轄だとずっと思ってたわ
海軍が運用しないと海上は飛べないよ。 ガダルカナルも海軍。
シンガポールという国がなぜ重要なのかわかる動画だ
ほんまそれ
マレー作戦成功の秘訣は辻が戦車に箱乗りしていぇーいと叫んでたから
イエーいって日本語なんですね
アニメ 決断
【決断】第4話「マレー突進作戦」
ua-cam.com/video/UsmuF0p_Mxc/v-deo.html
アニメンタリー『決断』 第5話 シンガポール攻略
ua-cam.com/video/L7Fx5gnyoaw/v-deo.html
みてみます
此方、防衛研究所から一部引用させて戴きました。
御参考して戴ければ幸いと僭越ながら投稿させてもらいました。
立川 マレー・シンガポール作戦
112
マレー・シンガポール作戦
―山下奉文を中心に―
立川京一
はじめに
太平洋戦争当時もそして今日に至るも、山下奉文は緒戦における戦勝将軍として、海
軍の山本五十六と並んで高い評価を受けている。その名声は日本のみならず、海外にも
聞こえ、「日本で出た最高の将軍」というような紹介のされ方をしている1。シンガポー
ルのフォード工場跡におけるイギリス軍との停戦交渉で敵将パーシバルに「イエスか、
ノーか」の回答を迫ったという逸話、写真や映像で見る巨大な体躯、大きな目といった
風貌、「マレーの虎」という異名などによって、英雄的なイメージはいっそう増幅されて
いるようである。
ところが側近の見る山下は、こうした評判とはやや異なっている。例えば、日本陸軍
第 25 軍の作戦主任参謀として山下軍司令官のもとでマレー・シンガポール作戦を遂行
した辻政信は、
堂々たる体躯と魁偉な容貌と に輝かしい過去の経歴を背景として、内外に貫禄を認め
られた器であり、永年、軍政の中枢に活躍されたためか、細かい点までよく気がつき、
豪傑風の外貌に似もやらぬ頭脳明晰な、政治家型のところも多分にあった2
と著書の中で述べている。また、同じく第 25 軍の作戦参謀であった国武輝人は、
あの偉大な体躯から一般に言われているように腹の太い、豪放磊落な将軍だと思って
いた。しかし、同時に繊細、鋭敏な神経の持ち主でもあるとは知らなかった 3
と述べている。後日、山下自身が述べていることであるが、パーシバルとの停戦交渉に
おける「イエスか、ノーか」という発言は、通訳官がもたもたしているので、イライラ
して、彼に向かって「イエスか、ノーか、訊け」と言うつもりで怒鳴ってしまったのが、
あのように報道されたのであるらしい4。また、写真などで見られるように、山下が胸を
1 Arthur Swinson, Four Samurai: A Quartet of Japanese Army Commanders in the Second World
War (London: Hutchinson, 1968), pp. 90-91.
2 辻政信『シンガポール――運命の転機――』(東西南北社)1952 年、37 頁。
3 国武輝人「マレー軍司令部――第二十五軍かく戦えり――」(『丸』別冊第 8 号「戦勝の日々」1988
年 3 月 )469-470 頁。
4 安岡正隆『人間将軍 山下奉文――「マレーの虎」と畏怖された男の愛と孤独――』(光人社、2000
ありがとうございます!参考にさせていただきます
シンガポール人です
あら、いかがでしたか?
@@donttellmearai とても面白かったです
ありがとうございました
バターンの死の行進を取り上げてください。
捕虜を歩かせるしか方法はなかったと聞いています。
日本も下士官降ろしてまで捕虜をぎゅうぎゅうにトラックに詰めて輸送してたけど、怪我人なども多くマラリアやデング熱が頻発し、やむを得ず歩かせならしいですね。
うろ覚えですがこの時の米兵の証言で「なんであいつら(日本兵)はこんなに歩いても疲れないんだ!?」という話を聞いたことがあります。
マレーバク
マレーグマ
かわちいよね
日本の大東亜共栄圏思想が、国権主義的大アジア主義ではなく自由民主的大アジア主義だったならば、“より”アジアの協力と連携を生んでいたと思う。
大義は良かったが、手段に問題があった。
まぁやむを得なかったと言う感じもしますけどね
@@donttellmearai そうですね。
思想や宗教、価値観の違う者を短期間に纏めるのはそりぁ無理があるでしょー。
月月火水木金正日
キム・ジョンイル
月月火水勃起ん金
そもそも当時は自動車免許証持ってる人が軍でも少なかったらしいですね 敵性言語とかで教本におけるハンドルなどの用語も冗長だったようですし
なるほど…
ドイツのように車やオートバイを作る工業力も足りなかったのも原因
だから日本は精神力で戦った。アメリカならば、先ず工兵がジャングル切り拓いて道路造る、橋かける、からでないと進軍しない。
マレー沖海戦で沈んだイギリス戦艦ってプリンス・オブ・ウェールズだよね?
アメリカに宣戦布告する前に東南アジアを制圧して力を蓄えてからじゃ遅かったのかな?
それを悠長に見逃すとは考えられないような気がしますね
いや、それはどうだろう。僕は対米開戦せずに対英開戦のみをしても米国は動かないとおもいますよ?少なくとも米国が自発的に対戦に参加はしない。
前髪めちゃくちゃ伸びましたね😅😅
長すぎですよね
日本兵が自転車乗ってる写真を初めて見ました。何と言ったらいいにか・・・
なりふりかまわず勝ちましょう
勝って兜の緒を締めよ!我が国軍は、この教訓を肝に銘じて戦を続けなくなったから負けたんでしょうな。この後、バターン死の行進、戦場にかける橋とか、捕虜虐待で悪名をはせた事件が続いて、戦後、仕返しされて無念の死を遂げられた方々が大勢出ました。パールハーバーともども、最初に勝ちすぎたのがよかったかどうかです。むしろ負けていた方がよかったのかも。日清、日露戦争みたいに短期決戦だったら勝てたのでしょう。日本軍は確かに世界最強だったかもしれません。ミッドウェーの前に休戦していたらよかったのですが。チャーチルとルーズベルトにしてやられました。あの二人に匹敵するような政治家が不在だったのが最悪だったと思います。
東郷平八郎が言ったんでしたっけね
まぁミッドウェー前でも講和に乗ってくれるとは思えませんが
かなり左よりの解説ですね
どーゆーことですか?
どの辺がですか?
右から見れば真ん中は左に見えるんだよ
ちょっと気に食わなかったら右だ左だと騒ぐ人にロクなのは居ない
真ん中な立場で観て解説してる動画だよ
肝心なマレーの統治の仕方をなぜ飛ばしますか?
どちら側から見た統治でしょうか?
マレーの解放は、日本軍とマレー人で成し遂げてます。
統治は、裏表の顔があります。
当時も今も、マレー半島は多民族イスラム国家です。
当時の多くのマレー人(華僑含む)の敵は、イギリス国と華人でした。
マレー人としてなら、それなりに良い関係の統治だったろうし、
華人としてなら、良く判らない。虐殺があったとか無かったとか。
マレーの虎がマナーの虎に聞こえたw
そんなおばさん講師みたいな奴いましたね
物資が日本にあれば勝ててなのかな?
大量の物資と大量の人がいたら買ったと思いますよ
その為に戦争したんや…
真珠湾と同時並行でやっていたとは。これは侵略ではないですよね?欧州植民地から取り返す作戦ですよね!
取り返すって元々日本のものではないです
当時の自転車は今のシーマ以上。当然持ち主は一般民衆ではない。
金持ち階級や支配層が持ち主。よって徴発しても、民衆は痛くも
痒くもなかった。
と俺は作戦経験者から聞いた。
なるほどそうなんですね。面白いですね。教えて下さってありがとうございます
マレーの虎🐯イギリス軍防衛線ジットララインでしょ?
そうそう
ゆっくり解説の人前やってたけど似たようなあれだね。
どういうことですか?何が言いたいんですか?
資源が欲しかったから戦争したわけじゃないよ
「石油のために戦争をするのか」って東條英機は怒ってたし
じゃあなんのために戦争したんですか?
牟田口が調子に乗っちゃったんだな、、
あれはアレでしょうがない面も大きいです
なんか、一部のバカから、「反日」ってレッテル貼られてるみたいだけど、気にしないで、頑張ってね。フラットなリアリズムを反日だと云うのは、愚の骨頂だよね。
日本好きですからね僕は
ちょっといやかなり違うね
たとえばどこ?
このUA-camrの知能では日本は米中の核攻撃の実験場にされるのがオチ。
どういう意味ですか?
元東大生だけど
どこの戦史にも書いてあるありきたりの事しか言ってないな
東大生なら戦史に書いてあること以外も知っていると思うんですか……?
東大生ってただの大学生ですよ…
此方、防衛研究所から一部引用させて戴きました。
御参考して戴ければ幸いと僭越ながら投稿させてもらいました。
立川 マレー・シンガポール作戦
112
マレー・シンガポール作戦
―山下奉文を中心に―
立川京一
はじめに
太平洋戦争当時もそして今日に至るも、山下奉文は緒戦における戦勝将軍として、海
軍の山本五十六と並んで高い評価を受けている。その名声は日本のみならず、海外にも
聞こえ、「日本で出た最高の将軍」というような紹介のされ方をしている1。シンガポー
ルのフォード工場跡におけるイギリス軍との停戦交渉で敵将パーシバルに「イエスか、
ノーか」の回答を迫ったという逸話、写真や映像で見る巨大な体躯、大きな目といった
風貌、「マレーの虎」という異名などによって、英雄的なイメージはいっそう増幅されて
いるようである。
ところが側近の見る山下は、こうした評判とはやや異なっている。例えば、日本陸軍
第 25 軍の作戦主任参謀として山下軍司令官のもとでマレー・シンガポール作戦を遂行
した辻政信は、
堂々たる体躯と魁偉な容貌と に輝かしい過去の経歴を背景として、内外に貫禄を認め
られた器であり、永年、軍政の中枢に活躍されたためか、細かい点までよく気がつき、
豪傑風の外貌に似もやらぬ頭脳明晰な、政治家型のところも多分にあった2
と著書の中で述べている。また、同じく第 25 軍の作戦参謀であった国武輝人は、
あの偉大な体躯から一般に言われているように腹の太い、豪放磊落な将軍だと思って
いた。しかし、同時に繊細、鋭敏な神経の持ち主でもあるとは知らなかった 3
と述べている。後日、山下自身が述べていることであるが、パーシバルとの停戦交渉に
おける「イエスか、ノーか」という発言は、通訳官がもたもたしているので、イライラ
して、彼に向かって「イエスか、ノーか、訊け」と言うつもりで怒鳴ってしまったのが、
あのように報道されたのであるらしい4。また、写真などで見られるように、山下が胸を
1 Arthur Swinson, Four Samurai: A Quartet of Japanese Army Commanders in the Second World
War (London: Hutchinson, 1968), pp. 90-91.
2 辻政信『シンガポール――運命の転機――』(東西南北社)1952 年、37 頁。
3 国武輝人「マレー軍司令部――第二十五軍かく戦えり――」(『丸』別冊第 8 号「戦勝の日々」1988
年 3 月 )469-470 頁。
4 安岡正隆『人間将軍 山下奉文――「マレーの虎」と畏怖された男の愛と孤独――』(光人社、2000
すごい!詳しくありがとうございます