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「仕方がない」は結論ではなくお互いが歩み寄るために必要なパーツの1つです。と思ってます。なのでそれを踏まえてどうしていきましょうかと、考え続ける事が必要だと思います。
仕方がない=抗えない という意味ですね。発達障害のせいにする/しないといった判断とは関係なく抗えない事実があるということ。
私はADHDですが、脳の前頭葉の働きがよくないことや継続力がないことで悔しい思いをし続けてきました。それに関して最近ではある意味「仕方がない。」とも思うようにもなってきました。私は本当は全力で、継続してしたい事がやりたいです。私は発達障害だと分かったのが40代の時で今はもう60歳に近くなりました。
同感致します。私も脳の前頭葉に障害を持ってます。最近解りました良く考えたら、いじめを初め色んなトラブルだらけの人生です。毎日死にたい気持ちですが…受け入れてます🖤🖤60歳の方の意見はとても受け入れ安く感じました。有難うございました🍀
「仕方がない」という言葉は、諦めを意味するように解釈されることがありますが、実際には「あるがままを受け入れる」という意味合いも持っていることもわかりました。人生の中で、自分の力ではどうしようもないことに直面したとき、その現実を否定するのではなく、受け入れて前に進むことが大切ということもわかりました。受け入れる姿勢は、諦めとは違って、現実を認識しながらも、心の平安を保つための重要なステップになることもわかりました。。「仕方がない」という言葉は、そのような心の持ちようを示す言葉ということもわかりました。私も常に試行錯誤しながら、一つ一つ乗り越えていきたいです。益田先生、ありがとうございます。
あるがまま理論。まさに森田療法のそれ。
別に乗り越えなくてもいいんだよそして乗り越えたいと思ったならチャレンジしてもいいここを間違えると大変なんだよ常にチャレンジして疲弊したりありのままに乗り越えないと決めてしまうと今度は自分が悪い方に腐ってしまう
仕方が無く「在るが儘を受け入れる」って=「諦め」「成長の停止」やん、なんでカッコ良い聞き心地の良い言葉に置き換えるん?別にそのままでも良くね?
益田さんの「発達障害だから仕方がない」は確かに色々言語化できてない意味が含まれた一文ですね。私は理解できるように多分なりましたけど、多分本当は毎回解説が必要な言葉ですよね。
自分は発達グレーだけど、障がいと人柄は違うことを相手に理解されるまでには時間が掛かることを受け入れている。また、自分が発達グレーだと分かった瞬間に“障がい者”と見られることにも諦めている。それでも、発達グレーだからこそ分かることや出来ることがある、と分かっているからそれをやる。ただ、職場で友人を作ることは諦めている。いつか、障がいや病気と人柄は違うことは普通のこととして認識される世の中になってほしい。
同感です。発達障害とレッテルつける、名乗ることの無意味さについて考えてます。ただの違い、適応しにくい社会というだけ。MBTIでINTPの人は何かしら発達傾向あると思う。
コメント欄、建設的な意見が交わされていて、Xに飛び交うひどい言葉の数々に参ってしまっていた自分には救いになるような気持ちです。どの意見も「なるほど」と頷きながら拝読しました。益田先生、有意義な動画をありがとうございました。
仕方がないと言う言葉 色々な場面に直面した時や不安な時などに安心する言葉だと感じました
@@あいす-i7k 有難うございます。今オリンピックでもあるから、慰めのお言葉は身に染みますね~生きづらさは指摘されても仕方ありません❤️🩹私には精神安定剤みたいな言葉が必要だから…受け入れました💚🍀
周りに恵まれたお陰でADHD持ちですが社会人しています。周りの人が受け入れよう、理解しようとして言ってくれているのに申し訳ないと思いつつも、「発達障害だから仕方ない/どうしようもない」と言われた時や、自分で気づいてしまった時は心のどこかでとても辛い気持ちが湧きます。どれだけ自分なりに気をつけて努力しても他人に迷惑をかけてしまうという申し訳なさと、普通の人ならできることなのに自分にはとても難しいという無力感がとても辛いです。
仕方がない=諦念(自分に対して)。治療のゴールとしての自己受容。対して、社会や法的側面からの取り扱いについて。益田先生の語り口も落ち着き真摯で、本質を突いた回だったように感じます。社会人としての振る舞いを求められる生活の中、擬態してぎりぎり凌いでいる私には、助けとなるお話でした。
発達障害の当事者ですが、私もたまに病気だから仕方ないって思う時はあります。でも諦めた訳でも無く、仕方ないで片付けて甘えたいわけでもありません。出来なかった自分を慰める感覚で、また次がんばろう!気をつけよう!って励ましています。
障がいがあるのは仕方がない。で、どうするのか。どうしていくのか。持つ側も接する側もお互いに考えて理解し、社会の一員として生きていくことが大事だと思いました。
フワちゃんの言葉が失言過ぎると取り上げられる事、それが発達障害のせいだと話題に上がる事、それで傷ついた方々の心が癒える事を願うのが大前提ですが、先生が仰る通りこうしたトラブルが世の話題に上がる事が大切だと思います。私は恐らくグレーゾーンで、今回のフワちゃんと似たような事をしてしまった事があります。中学生の時地方の方言を集める募集箱があり、私は『死ね』と言う単語の方言を書いて箱に入れたのですが「誰が書いたんだ?!」と少し騒ぎになりました。私がその言葉を書いた理由はその前日に読んだ漫画の中にその単語がたまたま出ていたからで、その募集箱を開封して読む人を傷つける意図は全くありませんでした。その時この箱には『方言』ではなく『優しい方言』を書かなければいけなかったのだと学びました。きっとフワちゃんも芸人さんとして『生きる』にかけた言葉遊びで『死ぬ』と言う単語を使っただけだと私は思います。このトラブルで私のようなグレーゾーンの人はこう言う場合は言ってはいけないんだと感情ではなく理性で学べます。中学生の頃そんな失敗のあった私も今は一般的な健常者の正社員として1人で生計を立てています。だから話題に上がる事は大事だと私は感じました。
宇多田ヒカルさんの歌にもありますよね。「変えられないものを受け入れる力 そして 受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」彼女は若干18歳でニーバーの「祈り」をモチーフにしたこの歌詞を書いた。私は動画を拝見して、直感的にですが先生の言わんとしてることを、この歌が少し解説してる様だと思いました。
先に進めないという意味ではなく、受け入れるということは、病気や障がい、特性と共に生きる上で必要で、共存社会でお互いにもそれができると生きやすさに繋がるよね、というものだと思います。罪がないとか擁護するとか、そういうことではなく。誰かを傷つけたとしたら、それはそれで事実ですし。ひとが、自分とは違う、自分の経験になかった現実を理解していく作業は、恐らく容易ではないですが、この事実をも受け止めることも大事かと、感じています。様々な視点で考えながら言葉を選びながら、言語化しようとする先生の姿勢が、素敵ですね😊
精神疾患を患って30年くらいです。重いか軽いかは、わからないけれど、『言ってはいけない言葉』や『してはいけない事』は学習する必要があると思います。自由意志はあるけれど、相手や自分自身を傷付けては悲しいです。ハンムラビ法典や仏教の「自分がされたら嫌な事はしない」に比べ、聖書は「自分にして欲しい事を相手にする」と1歩踏み込んだ教えが書いてあり、個人的に納得がいきます。精神疾患の人の家族、周りの人も、言葉遣いには気を付けなければいけないと思います。健常者なら、尚更。
「自分がして欲しいことを相手にする」は、発達障害の場合は危険だと思います。そもそも考え方が健常者と異なるので。社交辞令とか大人の対応とかはよく分からないから嫌いなら嫌いと言ってくれとか思いますから
良い内容でした
仕方がないというのは、自分の強さも弱さも、特性も、起こったことも含めて事実をありのまま受け入れるしかなく、起こってしまったことは変えようがないというとらえかたをしています。行為の是非は当人が負うことになるでしょう。気づかなければ周りの人が教え、改善していけばいいことです。よくない行為をしたとしても、当事者を責めたり人格まで否定するのは違うように思います。怒る気持ちもわかりますが、失敗で断罪されることがないよう、寛容な社会であってほしいと思います。発達障害の偏見を高めるのではということに対しては、広く障害について認知、理解のきっかけになるので、できごとが表に出て議論されることは意味があると思います。最後に文字のSNSは表情や口調がわからないので、意図しない伝わり方をしたり、思わぬことが起こります。今回のことは自分の戒めにもなりました。なるべくリアルなコミュニケーションを大切に人間関係を結んでいきたいと思います。
「発達障害だからしかたない」という言葉に、ますだ先生が免罪を求めてるわけではないのはわかります。精神科医として、患者が問題を起こしても、責めるとか許すとかを超えて粛々とサポートしていく姿勢なのだと思います。ただ、被害や迷惑をこうむる側も自分を守らなくてはならない。反撃などむやみに状況をエスカレートさせるのはいい結果を生みませんが、法や社会通念に照らして現実的な対処はせざるをえないでしょう。
お客様は神様と言う言葉は本来店が言う言葉であるように、◯◯だから仕方ないと言っていいのはされた側だと思ってます例えば障害のある方に殴られたとしても、健常者に殴られたとしても、殴られたことには変わりないですされた側は相手が障害によるものなのか、性格や故意であるかは分からないですしもちろん自分ではコントロールできない大変な方もいらっしゃるのは理解してますが、あまり障害について知らない人からすると考慮が難しいだろうなとは思いますざっくりと障害だから仕方ないとしてしまうと分断が生まれてしまいそうで怖いので、何かいい着地点があれば良いのですが
前提として、発達障害で精神福祉手帳を持ち障害者枠雇用を選んでる時点で障害者で有る事を言い訳に免罪符にしてしまっているのだから、発達障害枠雇用で有る場合にのみ、法的に殴られた事を立証するのに「発達障害だから仕方が無い」と言わなないと殴られる或いは殴られてしまった場合と、意見や事実が噛み合わないなど注意叱責の会話が硬直状態等で明らかに業務の停滞や妨害になる様な長時間の拘束となった場合に限り、発達障害で有る事のカミングアウトやどの様な症状でそうなったと言う説明はする「べき」です、その後の業務に関わる上でどの様にすれば気になり難い気にならないのか?どうしようも無い場合にどの様にすればその業務に関わらないで済むか??を上司上長同僚部下と相談し解決へ導くのが理想で有りする「べき」です。
@@dsanndnr 本物に言葉の暴力って大変ですね!!最近私はラインしてギスギスにやられましたので…
以前統合失調症の患者さんに、僕は人を殺めても正当防衛で罪になりません。と、ハッキリ言われました。それを聞いた時、自分も殺られるかもしれないと、感じました。
確かに色んな問題を通してでも障害について一人でも多くの人に「知ってもらい考えてもらう」ということが大事なのかも。座敷牢のように臭いものに蓋をしてばかりでは 認知も理解も得られない。自分にはADSの子どもがおり、ちょうど「仕方ないのその先」を考えていた所だったので、ありがたい動画でした。
そうなるのも納得がいく、という事ですかね
今年還暦を迎えますが、やっと、何かトラブルがあって、それを解決して、落ち着いたと思ったら、また何かしら起こって、という繰り返しなんだな~人生って、と理解が進みました^^先生があらためておっしゃってくださって、嬉しかったです。ありがとうございます。
2年前にADHDの診断受けてる60代女性です。先生のおっしゃる仕方ないの意味はよくわかります。日本語は難しいのか別の意味で使われる場合も多くあり、どちらの意味で使われているか判断が難しいことはありますよね。私個人としては30代で結婚、子育てを経験してから思うようにはならない事を経験することが格段に増えて現実を上手く受け入れていく以外に心の平安は得られないと思い、努力し続けてはいますが、なかなかどうして簡単にはできるようになりません。これはとても難しいですね。悟りを得るということに近いですもん。元々持ってる性格や特性にもよるかもしれませんが。でも完璧は目指さなくても、少しずつでも上手になっていくことでかなり楽になる気がします。
私はグレーゾーンだけど、病気を理由に何でも許して欲しいとか、許すのが正しいんだとかは思わないし、それはそれで偏見に繋がると思うけど、病気について学ぼうとせず無知なまま自分の価値観だけで人を攻撃するのは良くないと思う。こういう系の問題は、いつまで経っても解決はしないかも知れない。でも、解決しなくても皆で考え続けて、考えを微調整していく必要はあると思う。誰だって、被害者にも加害者にもなり得るのだから。
発達障害の人だけを相手に仕事をしています。利用児から『僕の場合は、怒ったり叩いたり蹴ったりしても仕方ないから良いんだってママとパパも言ってたよ』と、堂々と話されました。人を傷つける態度や表現は無しなんだと、ご家族が知る機会は必要だと感じます。18歳になったら、社会の1人の大人になるですから。親を殴ったり、外で暴力沙汰になったとき、『僕の場合は仕方ないんです』って、本当に警察に言っちゃいそうです。
ASDとADHDです。好きなことと得意なことを仕事にしてからは、障害のことはあまり気にしないようになりました。得意なことをやるようになって、自分こんなこともできる!って自己肯定感があがりました。でも、今回の騒動を目にして、やはり他人事にはできません。過去に思い当たることもあります。衝動的なもので加害者にならないように、本当に気をつけようと思います。
@@pinoko___5190 同感致しました。私も最近ラインを交わす事に注意してますので…💚
@@pinoko___5190 あなたはフワちゃんが目標とすべき人間ですね。おいくつなのかは存じませんが、自分の適性を見つけたこと、稼いでいること、過去を省みていること、もう完璧じゃないですか。いろいろおありだったのでしょうが立派ですね。
発達障害は種類があって、言いたいことを言う人がいるが、我慢しちゃって、しゃべらない人もいる😢ものすごく傷つきやすい発達障害😢空気読めない人だって一般の人だっているじゃない。
健常者と呼ばれる人達は、発達障害者がどれ程苦しみ、健常者からの心ない言葉に傷付いてきたか分かってませんよね。
発達障害の人も色々な人がいて、人を傷つけるのを止めたい改善したい人と、そのままでいたい人がいる。後者に対しては仕方ないよね。で距離取る。
ASD当事者として自分自身の無意識の加害性に悩んでいます。相手の気にしていることを良かれて思って指摘してしまう等、自分が全く何も発信や行動をしなければ世界にとって一番良いのではないかと思える程です。今回の彼女の炎上とそれに対する彼の独自の見解の発信、それ自体に、私自信が抱えている悩みと重なる部分があり、心がザワザワしていました。益田先生のお話を聞いて、『それでも行動を修正しながら淡々と生きていくしかない』ということを再度思い出せました。また、発信力のある人間が『難しいことを考えたくない人達』を扇動して『物事に単純な結論を出す(彼女って発達障害ってことで良いんじゃないの?)』危険性についても、私のASD特性なのか強い正義感から色々と思う所がありましたが、綺麗ではない情報でも、発信する人が居ないとそもそも議論が進んでいかない、という益田先生の考え方で自分を落ち着かせるのが良いと思えました。益田先生の正しい専門家としての発信力が確かだからそう思える部分もありますね。
『仕方がない』、双方に有効です。障害のある方々、障害のない方々。障害のない方々の忍耐も限界がありますから。相当付けられましたから、私。
きちんと診断を受けて治療が必要なら治療を受けてそれでも配慮が必要なら仕方がない部分もあるとは思います
「事情についてどう捉えるか」「許すか許さないか」ではなく「事情が在る」と認識するイメージなんだろうか。それなら「仕方ない」って言葉が事情について前向きに捉えるニュアンスを含むから話がややこしくなっているのかなと思う。
今だいぶ辛くなってたのでライブ見て少し落ち着きました。
仕方ないってのは現実をどう理解すべきかの話で、前の緊急動画ではそこの話だけされてた感じですよね。人が話を聞いたときに次の議論の結論まで気にしがちだったり勝手に、仕方ない=周りは許せ みたいな存在しないニュアンスで捉える個性の人がいるのも仕方ないから追加緊急動画でフォローされていてホッとしました
緊急で動画回してくださる機会が増えて嬉しいです!ありがとうございます!
職場でおそらく発達グレーだろう方がいて、親近感から庇ってしまうのですが、逆に周囲から反感を買ってしまい、思うようにいかないなと思っていました。仕方がないなと思うことしかできません。
発達障害だから仕方ない、と言えるのは彼女の普段を知る人や主治医かと思ってますいくら頻繁にSNS更新してようが私達が知るのは彼女の一部であり、ましてや発達障害の程度やどんな治療してるかも知らない私は"発達障害だから"仕方ないとは思いませんでしたそういう人なんだな、と思っただけです攻撃的で場にそぐわない言動をしてしまう、衝動を抑えられないなどは本当の姿でもあり盛ってる事も多分にありそうだし、何より定型だと思ってる人にもよく見られる言動ですよねそういう人なんだ、それだけでした
人柄と障害は関係ないと私も思います。定型でも似たような発言、行動する場面はあるし、極端普段から愛されているか否か…な気もする。
おはようございます!一緒に考えたいテーマです。。他人事とは思えません。
先生の仰る「仕方ない」について最近考えていました。私は全てに仕方がないと考えることが出来なくて前進出来ないタイプです。でも今悩んでいる事に仕方がないと考えて前に進む事を考えたらとても楽になりました。結果どうなるかわかりませんが人生は長くはない。やる事は一杯ある😊発達障害だから許されるかという問題はとても難しい。でも罪の意識があって謝罪したならそれは許されて欲しい。それと同時に発達障害のみならずその人なりの背景を知って欲しい。単純に人を裁かないで欲しい。人は大小関わらず間違いを犯す弱い者だから。
「もう発達障害って事にしちゃえばいいんじゃないの?」ってツイートみたあと、抱えきれない怒りと悲しみで苦しくなりました。まわりがびっくりする行動が普段からあるから傾向はあるのかもしれない。生きていく中でいい事ダメな事覚えていきます。もし発達障害のせいなら知能が幼児レベルじゃないの?と思いました。バラエティ能力あって発信する力があって自分で生きていける。ほんとに稼ぐ力もないし毎日精一杯生きてる人もいます。ずっと頑張り足りない、努力不足、周りからも言われたけど自分でもせめてなんでなんでってしてきたから発達障害、境界知能とわかり努力不足じゃないと嬉しかった。嬉しかったけどじゃどうしたらいいか?が今の悩みです。境界知能って名前を作ったのはサポート出来るようにしたいからってみました。なのに人を否定するときに使われるようになってるから問題ってみました。発信力ある人が、苦しんでる人いる事も考えないで簡単に言わないで欲しい。フワちゃんはそうゆう人、関わらなければいい、それ以上思わなかったけど、ひろゆきさん?の発言が辛かったし、差別広がるような事はやめてほしいです。
はじめまして障害福祉に携わっていたものとして、相手の想いを汲み取れないから、経験不足だからといって倫理的に使ってはいけない言葉があること許されないと日々伝えてきていました。また、ネットニュースなのでどこまで本当かわからないですが、彼女の場合日常的にそのような言葉を使っていたようですね。それは仕方がないの一言で言っていい問題では無いと思います。衝動的に、障害があるから受け入れなければいけない問題ではないです。どんな人であれ言われる側も1人の人間なので、その方も尊重されるべきだと思います。ちなみに、私自身毒親育ちで幼少期のトラウマによりそれ以前の記憶はほぼありません。今も精神的辛さで治療していますがそれを言い訳に暴言を吐くことは論外だと思っています。
それを言い続けると発達障害の方は回復するんですか?
@user-cy6mi8of7k この人は「死ね」など暴言を吐くのが習慣になってることと、発達障害は切り離して考えるべきだってことを言いたいのかと思います。
@@mkjnjhbhg障害と判断された状態が簡単に回復するとお思いですか?精神疾患も精神障害も脳の器質的な問題です。精神障害の症状固定の判断はとても難しいです。今話題の彼女は、発達障害であっても理解力を持ち合わせている方ですよね。日常的に仲間内で暴言を吐いて楽しんでいたということも拝見しました。理解しているからこそ隠れて暴言を吐いていたのだと思います。そこに発達障害だから仕方ないは存在しないと思います。発達障害であったとしても知的障害を伴わない方はとても多いですし生き辛さがあるのは理解しています。しかし、繰り返し伝えることにより少なくとも倫理的にダメな言葉である という言葉であると学習できる方はいます。支援も治療も何もせずに仕方ないで済ませることに問題があると思います。抑えされない衝動性等あったとしても人を傷つける免罪符にはなり得ません。過去に男女混合棟で夜勤した時ですが…カッとなりかつ粘着的な性質の障害の方(男性)が、勤務に入った時点ですでに怒っている状態でした。夜勤は女性でも1人勤務だったのですが、好きなスポーツ選手が負けたという理由でさらに不機嫌になり、夕食支援の後片付けていたら急に倒されて馬乗りの上首を絞められました。障害の特性上カッとなりやすいとわかっていても首を絞めてくる行為を仕方がないと言えますか?発達障害に限らずそういう障害だから仕方がないとは私は思えません。本人が、またはなんの支援も治療も環境設定もせずにありのままを受け入れろというのは傲慢です。
心の声が全て漏れ出て、コントロールできず苦しんでいる方もいる。それを日々受ける側で、苦しんでいる方もいる。相手を理解できても、自分を傷つける人を許すのにはエネルギーがいる。自分を守ってくれる人と一緒にいたいと願うのは、自然なこと。だからこそつらいな。どっちもつらいな。
この世のありとあらゆるものが存在するなかでは「仕方がない」と捉えるとストンと腑に落ちるし。「仕方がない」ことなんだから、おまえも受け入れろよ。って"言われている"ような気になると「おまえの感情は無視だ」って言われているようで傷つく。誰もそんなことは言ってないのに、ありのままを受け入れる土壌が自分のなかに無い時は、私は、、、僕は、、、と、主観100%で自分の世界の中だけで考えがちになる。「仕方がない」って言葉は、主語によってイメージが変わりますね。
「実際やな奴が多いんですよね」とサラッと仰ってましたね😅
過去に性被害をうけていて、カウンセラーの方が「あなたのせいではないんだよ」と繰り返し声をかけて下さったのを思い出しました。誰のせいとかはなくて、どんな人でも、その人のせいではないどうしようもないことがあるということを語りかけてくれていると思いました。
この世には絶対にかかわってはいけない人がいる。一方的に気にいらないと難癖を付けて攻撃してくる人。今回の事、凄くモヤモヤしました。あきらかに常軌を逸脱した性格な人を勝手に発達障害だと決めつけもいけない。一度検査を受けてというのも駄目だろうし。言ってはいけない事を全世界に発信して尊厳を傷つける行為も、まさかこんなにバッシングされるとは思ってもいない。だけどあれが本心なんですよね。それを謝ったから無かったことに出来るほど強くあらねばならないとは…やられた側が辛すぎます。
発達障害じゃなくてもいますよね…パワハラ、モラハラする人は人を選んで出す。
ドクター、ここで話してくださった事すべての言葉に深い意味のある内容でした。こちらの動画アップしてくださってありがとうございました。
傲岸不遜なキャラクターを面白がって持て囃した周囲やメディアも増長させてしまった責任はあると思います。都合が悪くなると発達障害を持ち出して責任逃れをする様は、発達障害でありながら真摯に生きようとしている人ほど悲しく感じたのも事実です。
仕方がないと諦観する側には哀しみがある その哀しみは何があったって消えない 片方の諦観で成り立つ人間関係なんて無い方が絶対いい
発達障害の人が突発的行動で問題を起こすのは仕方ない部分もある。ただ、世の中は絶対に多めには見てくれないし。障害を理由に許される事も無い。ので、障害と向き合って少しずつ行動を改善するしか無い。そのままでは周りの人に受け入れられる事は無いと本人に認識させる所からじゃ無いかな。
障碍者になってリハビリをして治る人もいるが治らない人も多い治らない人に治せと言っても無駄
外から失礼します障害者がリハビリで治る、もしくは自助具を使って日常生活を送りやすくなるのは身体障害者が主です。精神的疾患や精神障害は脳の器質的な問題です。鬱等寛解はありますが、罹患前の自分に完全に戻ることは不可能です。精神障害は治らないから開き直っていいとは思いません。ご自身の障害について知りコントロールする方法を模索している方には協力したいと思いますが、精神障害だからしょうがないと主張する方には一切関わりたくないです。健常者にも色んな方がいるのも事実ですが、精神障害と同様に開き直って迷惑をかけて当然と思っている方には関わりたくないです。
私は・・自分の子供があまりに過激に中傷してきてたまに暴力的です……世間様にはまだあまり知られていないので、、私も辛いです………今日は言えました……ここのお蔭です。まだまだ考察してみます、、会えない皆様ありがとうございます……
@@bn8dsこんにちは、はじめまして軽度の方から最重度の方まで、また児童から高齢者まで、生活環境も様々な方の支援をしてきました。その中で、服薬治療や環境設定を行ってもどうしても衝動性が抑えられずご本人もしんどいだろうなと思われる方もいらっしゃいました。服薬治療や環境設定をしても抑えられない衝動性もあることは理解していますしご家族の大変さも推し量って行きたいと思っていました。支援を通じて個人的に感じていたことですが、早い段階から医療だけではなく福祉サービスに繋がっておいた方がご家族やご本人にとっての将来の不安の軽減になると思っています。勤務している中で、ご家族で抱え込んでいる方もいらっしゃいましたが急にご家族で支えられなくなった方の過ごせる場所を探すのはとても困難です。制度的には緊急一時はありますが、そこから入所やGH等生活の場に繋がるケースはほぼありません。福祉サービスサイドも分からない方の受け入れではなく長期にわたり支援実績がある方を優先する傾向にあります。すでに福祉サービスを利用しているのなら余計なお世話を書いたかもしれません。ただ、ご家族だけで無理はなさらないようにと願います。失礼しました。
@@user-iq2ms9qy5x さま貴重なご意見ですね…ここに書いてお返事頂けるなんて思ってなかった……ありがとうございます!
動物も自然も機械も、コントロールするには相当な知識と経験が必要。一生できない人もたくさんいる。なぜみんな、人だけは素人が簡単にコントロールできると思うのだろうか。不思議。
昔は喧嘩なんていくらでもあっただろうしお互いに人の顔色を伺いすぎる今の日本の文化が良くないんじゃないかなって
益田先生がこの時事問題について結構こだわって動画コメントしておられることの深さを感じます。このような見過ごされがちなことに対して具体的な見解を頂き、心にとめておくべきだと思います。
言語化が難しいという言葉に救われます。言葉や表現は適切か、事実と異なることは言っていないか、相手に伝わる表現になっているか、相手の言葉を理解できてるか、を仕事中常に意識する必要があります。言語や文字で進化してきた動物のため、それの重要性と難しさに苦しむことが多いです。
グレーの子供を育てています。定型発達の子と同じようにできないこともあり特性を受け入れるために仕方ないと思うようにしています。ただ、人が傷つくこと、どんな言葉は言ってはいけないのか伝えています。なかなか先のことを考えるのが難しい、人がどんな気持ちになるのかを考えるのが苦手な部分もあるので、繰り返し繰り返し何度も伝えています。
この企画はどんどんやって欲しいです
あるがままを受け入れるということ自体訓練がいるよ。モンスターみたいな行動の根源に発達障害があるんだよ😢と知り、仕方ないとなるには果てしない啓蒙が必要でクラクラする。
数人集まって、アンチのコメントを書くなら…という事をやっていた、という事は、あんな酷いアンチの言葉を見てゲラゲラ笑ってた人達がいたって事ですよね?それを発達障害は仕方ない、では終わりにして欲しくないです。偏見に繋がると思います。
不安や小さなトラウマや罪への拘りが拭えず興味関心が限定されてしまうと確かに聞こえていた励ましの声が遠く離れてしまいます。 健常者同士の世界でも刑罰には不平等があるのだから障害者は医療の世界で仕方ないのであり社会の話ではありません。
「衝動性が高い」ということと、「書いた内容」とは分けて考える必要があります。衝動性はADHDの特性で「仕方がない」面はありますが、誹謗中傷となった「書いた内容」は仕方ないでは済まされません。書く内容にはその人の人間性が表れます。
悪い人間性を健常者は隠せるんだけど発達障害の人は隠せない悪い人間性を治せと言うのは簡単だけど大人になるとなかなか変わらんぞ発達障害なら尚更
そういう内容を書いちゃうのもADHDってことなんじゃないの?なぜ同じ脳由来なのに、意味づけは分裂してしまうの?
あなたが言う「人間性」の形成も含めて脳の作りが関わってるから、自分は、書いた内容もこの動画の文脈での「仕方がない」に含まれると思う。
@@さっまぃも そうすると、ADHD脳由来だからADHDの人は全員が他人をSNSで誹謗中傷してしまう、ということになりますが、そういう理解でいいですか。
@@なみょう-v3c 「人間性」の形成も含めて脳の作りが関わってるから、「仕方がない」とのことですが、そうするとADHDという脳の作りを持ってる人は、全員がSNSで他人に対して誹謗中傷を行うことになってしまいますが、そういう理解でいいですか。
おつかれさまです😊ありがとうございます♪
こどもがASDですが、「そういうこともあるよね」の日々繰り返しです。その中で諦念やら悲しみやらを時間という水の流れで薄めて流し、水底に残った信念や希望を掬い出してもちこす、そんな日々の繰り返しです。第三者が「仕方がない」といって客観を提示してくれることに救いも感じます。いつも動画ありがとうございます。自宅で子をワンオペで見る夏休みの支えになっています。
生きるのは大変だなと思いました。
発達障害にもいろんな人がいると思います 個性ですから許せないと受け止める人がいてもしかたないです
7:38 素敵な概念
大変参考になりました。『諦める』という言葉の語源は『明らかに見る』という説があるそうですね。『諦念と受容』をモットーとされる先生のスタンスは、まさにこの動画で話されていた、「患者にあるがままの現実を見るよう促していく」というものなのでしょう。ご立派な態度だと思いますし、一理あると思います。たしかに、自己改善や目標達成、幸せだなんて幽霊のような絵空事に過ぎないのかもしれませんね。(これは本当に余計なお世話でしょうし、偏見でもありますが、恐らく先生の視聴者の中には幽霊を本気で信じる方々も相当数いらっしゃると思いますよ。老婆心ながら申し上げますと、その辺りのふわっとしたものに言及するときは気を遣った方が安牌かもしれません)ただ、やっぱり患者側の立場になって先生の意見を拝聴してみると、どうしても「突き放されている」ような感覚になってしまうのです。反対に、メンタルヘルス先進国であるアメリカは、国民の過半数が宗教に傾倒していますよね?イエスなんたらの教えに従う、という『人生の指針』を、国民という広範囲に対して示せている土壌がある状態なんですよね。だからアメリカの精神科医やカウンセラーは、患者の人生やパーソナリティの領域まで踏み込む必要がないだけなのではないでしょうか?土壌が全く違うアメリカの精神医療を、モデルケースとして真似をしてしまっているから、精神科医と患者の間で、歪なすれ違いが起きているのではないでしょうか……?だから、日本では『人生の指針』をはっきりと示してくる占い等のふわっとしたものにシェアが大きく奪われてしまっている。日本のメンタルヘルス業界の方は、患者がスピリチュアルに傾倒する理由を「日本社会が精神疾患に理解を示さないからだ」「論理性が不足しているからだ」と、分析しておられる方が多いようですが、私は、患者の『人生の指針』に関与することを日本の精神医療側が避けているせいだと思っています。もっともらしくいえば、日本の精神医療は、(リスクはあるにせよ)もう少し患者のパーソナリティの領域に踏み込むべきだと考えています。こんなことを先生に申し上げたところで、先生が日本のガイドラインに大きく外れたりはしないと理解しています。むしろ、患者にあまりにも寄り添い過ぎる精神科医は、ガイドラインを軽視している方なわけですから、(こんなことを申し上げている私ですら)警戒に値すると思います。こんなコメントを投稿するのは、冷静に考えれば、傍迷惑な八つ当たりのようなものなのかもしれません。ただ、知れば知るほど見えてくる、救い手となってくれるはず精神医療の構造と一部の患者や私の求めてるもののすれ違い。この行き違いのやるせなさを、どこに訴えれば良いというのでしょう。
パーソナリティから変えて行きたいなら宗教しかない
@@mkjnjhbhg おっしゃる通り。現実的には、それに近い状況になっていますよね。でも。私はそういう状況に、不満があるんです。宗教には科学的根拠なんか、まあないじゃないですか。パーソナリティの領域に、科学的な「確からしさ」に基づいて踏み込むが本当に出来ないのか? という疑念があるんです。宗教やらスピリチュアルやら占いやらに人が流れるよりは、いくらか「確からしさ」のある精神医療側でそこを示すことは、果たして出来ないのだろうかと。需要は間違いなくあると思うんです。というか、私自身が強く切望しているから、こんなコメントを書いていたりするわけですね。まあ、やっぱり難しい話かもしれませんし、患者視点の戯言・わがままにしかならないかもしれませんが……
@@たなかなか-o6l パーソナリティを一つに絞ってそこを目指すというのは全然科学的じゃないでしょ科学は微妙なことは行わないというスタンス仮にそれっぽいのができたとしても微妙なラインしかできないのでほぼ効果がないと思います逆に宗教は都合の良いストーリーを作って様々なことまで介入していきますそれを行うには洗脳しなければいけないのでそこに踏み込んだ瞬間から心理学は宗教になったと言っていいと思いますよそういうのが好みの人はキリスト教徒がやってるカウンセラーのところに行けばいいんじゃないかな宗教と言ってもできるだけ科学的な解釈をしようとする派閥とかもあるので、すべてがデタラメというわけじゃないので自分を1からダイナミックに変えて心を安定させたいと考えてる方は宗教がおすすめ
僕は30歳で発達障害が判明しました。仕事が長続きしなくておかしいなと思っていましたが、周囲の人からは一度も発達障害なんて指摘されたことはありません。それまでは適応障害だと誤診され続けておりました。障害年金を本来であればもっと早く受け取れていたものを悔しいです。発達障害の検査を義務化したらもっともっと現実にはいると思います。
5:34 「悪いやつ」思い切った言語化ですが的確だと思います。人間を睨む野良猫と近づいて腹をみせてくる野良猫がいたとして、彼らはただ生きているだけで同じようにいつか死にます。体毛の色の違いと同じ次元の話だと思います。人間がなぜそんな話に頭を悩ませているかですが、これは文明の発達の代償だと思います。インターネットが社会を広げたことが終わりの始まりだと思います。自分に害を加えてくる可能性がある人間は「悪」ここまで文明が発達しても、これだけは変わりませんね。人間がそれぞれの肉体に縛られてる限り多分無理です。高度文明の恩恵を受ける以上は、頭を悩ませて考えるべきなんでしょうね。
発達障害の友達だった人と"発達障害だから仕方がない"の言葉について衝突したことがありましたので今日のお話もとても興味深く拝見させていただきました。
発達障害者は色々な人や色々な物事に気を遣わなければならないことが多いと思うようになって来ました。そのことで本当に疲れを感じています。
わかります!コメント欄 見てみます。
単なる無理解や誤用だと思う。「仕方ない」って言葉は極めて強い効果を持つジョーカーみたいな単語の癖に、前提条件とか場面を無理やりスルーして都合よく使える万能さ・手軽さ・不明瞭さがあるせいで低コストで大量に出せて使い方を誤りやすいよね。万能さ・手軽さは「仕方ない」ってたったの4文字にたくさん意味が含まれているのに、その概念は広く浅く浸透していて誰にでも使えるせいで簡単に文章として成立してしまうこと不明瞭さは発達障害って合併してるか否か・障害の強弱や組み合わせで個人差があって、第三者はもちろん本人でさえ実態を把握しきれていない場合があるし、嘘もつけるから精査のしにくさが発生してること
仕方ない人に遭遇するのも、類友の法則からすれば、同類なのでしょうか?やす子さんもフワちゃんも本質は同じなのでしょうか?私はやす子さんタイプですが、フワちゃんタイプに攻撃され易いASDです。加害者は仕方ない人だから許してあげなさい、やられたからと、やり返す事はしてはいけない、と教師から言われ泣き寝入りするばかり、身体症状で自己主張するしかない人生でした。こういう立ち位置も仕方ないで片付けるしかないですか?
特性によって失敗するのは仕方がない反省しなくてはいけないのは、発達障害があってもなくても変わらないということなのかなあと思います。綺麗な情報だけでは伝わっていかないという視点は考えさせられました。啓発ポスターみたいな情報だけでは、多くの人に届かないんですよね。今回の件によって偏見が生まれるかもしれない、だけど理解が深まる人もいる。考えるきっかけがないことの方が、無意識の偏見が残り続けると思います。
動画を視聴して思ったこと。言われることは大体わかるように思います。ただそれが実際に行動として現れるレベルにあるかと言われれば、そうではないという感じに思います。あるがままでいいんだよというのと、やはり改善や上昇を目指すべきの間という感じではないかなというのと、都度使い分けるという感じでもあるかなと思います。本当に感じてることがあるとすれば、言われていることは別に目新しいことではなく、以前からあることをできるだけ理解してもらいたいという思いは伝わってきました。とはいえ自分の考えとしては、第3の在り方というのがおそらく存在しているのではないか?という感じがしてます。言葉でそれは説明できませんが、簡単にいえば収まるところに収まる時がくるまでの葛藤状態に今あるという感じではないかな?と思ってます。こんな人間の在り方があると体感するまでの苦しみの過程ではないかな?と、そんな感じに思ってます。(今の苦しさは変わらなくても、長期的にみればそうではないという感じで、それはほぼほぼ小さな作為では無理な領域ではないかと、そんな感じのことを思ってます)
コンパクトサイズの緊急動画。言葉の辞書引きというか?定義?のプチミーティングのようにですかね。ありがとうございました。洗濯もの干しますね。(⌒∇⌒)大変でしたね。
頑張って言語化しにくい事象を分かりやすく説明しようとしてるのが見えますここにコメントする人は程度の差はあれど益田先生の言ってる事を理解しようとしてはいると思います常に自分の仕事に使命感というか、向上心がある人なんだなと思います共感ができない事もありますが、応援していますふと思ったのは、精神に関する事に関心がある自分でさえ難しい部分があると感じるわけで全くそんな事に関心がない人には余計精神疾患に関して無知なのは無理もないかなと思います自分は病んでなかったらこの動画見てたかなあと思います雑に言ってしまうと興味がないって人の方が当人は幸せな人生を歩んでるのではと思います
難しいテーマであるも、精神医学や個人の成長は発展途上のため、仕方がないという言葉だけでは現せられない複雑さがあると解釈しました。綺麗な情報だけでは広がっていかない。との意見が大切と思いました。
最近騒がれてる発達障害って簡単に言ってるけど生物としてみたヒトには全然関係のない話なんですよね。自分達の社会に都合の良いようにでっち上げた資質であり自分からしたら健常者っぽい態度のやつが結構裏で悪どい事を見えないからってやってたりして、これって出来る出来ないの判断で決めつけて良いものか?と思ったことありますよ。
あのコメントの内容そのものは…嫉妬や妬みなど健常者にもよくあるかと思うけど、間違って投稿してしまう部分(操作ミスとか裏垢とか表垢とか)が発達障害が関係してくるのかなと思ったりしてました。
当事者としての考えは、「仕方がない」は言い訳や開き直りの言葉ではなく、当事者が自己受容して自分の人生のスタートラインに立つための言葉だと思います。自己受容できなければ自分の本当の人生をスタートさせることはできません。自分の努力ではどうすることもできない部分に対して諦めを持つことによって抑圧されていた自己を解放して、自分の人生に新しい可能性を見いだすために必要な言葉だと思います。それが理解されるように当事者も根気強く伝えていく必要があると感じています。
彼女の発言の責任につき、帳消しにするのではなく、発達障害を理由に少し情状酌量してあげるというのはまだ私は受け入れられます。けど、あんなことを言われた方の心の痛みは軽減されないと思います。
テレビで観るかぎり、彼女はまるで腫れ物扱いされているような感じがしていました。雑な言動していても、それを許さないのは価値観が古い、媚びないキャラでいいねと笑って受け止めるのが器の大きさと、周りのタレントさん達も思っているような…。誰も、本当の意味で彼女に愛情持ってる人はいなかったように感じます…。
@@kurominmi認めたくない親もいるかも知れませんが、必要以上に傷ついたりつけたりしないためにも包括的に早期支援が大事だと思います。
今回の騒動もだけど、被害者側のケアの話が殆どない。加害者側をどうするかばかり。
ぶっちゃけ性格悪い言い方をすれば話としての面白さの差要するに加害者側の方が面白いから目立ってるだけ普通に被害者側のケアもやってるだろうけどねただわざわざ話題にあげても注目されない
悪口を言われた側のケアってそんなに難しいことじゃないからな寝れば忘れる人もいるし
いいえ。20~30年忘れられない悪口もある。いじめっ子は何も覚えてないみたいだけど。やられた方は忘れない。
ケアの内容自体、多数派の価値観で作られているものです。発達と健常のすれ違いとしてありがちなのが、逆に言われても発達側は傷つかない、から口に出してしまう。同じだけその逆もあるということです。発達側が健常の言葉で傷ついていたとしても、対するケアはもちろんありません。
@@172-zb8gm 健常者の話だよそういうトラウマの話はしてない
仕方がないというのは発達障害を理解して、特性と出来事を受け入れて、じゃあどうやって解決しようかと考える流れだと理解しました。仕方ないから、悪くないという意味ではない。仕組み性質があり、抗えず仕方がなく事象が起こり、それに対処する。罰し方は別問題で今それについて話してはないと。
まあいうて、「できないならできないってことを面接の時に言うべき、じゃなくても検査結果出た時点で会社側に報告すべき、それがないなら迷惑」って言われる現実
報告したら干されるような社会でなければ皆、無理せずゆっくり改善していけると思うんですよね。そんな余裕のない社会なことはわかっているから隠す訳で。
失礼します。個人的に天国はあると思っていますが、きれいな情報だけ発信しても広まる筈はない、とは日々感じています。精神科の患者イコール心のピュアな人じゃないし、人間なら清濁併せ持つのは自然なこと。困るのは、このように患者サイドで申し上げると、何か疑いの目を支援者から時として向けられることです。
一人称としての仕方ない、二人称としての仕方ない、三人称としての仕方ない。人の気持ちになる、という論法の上では結果的に等価になるのかもしれないけれど、現実的には分けて考えてみたほうがいいのだろうな、という気がする。
三猿という言葉あります。見猿、言わ猿、聞か猿。それは子供の時だけの話で大人になった、嫌な事を聞かないといけない。見ないといけない。言わないといけない悪い部分と良い部分の二つを知って悩む事が、人間としての意義だと思うこの頃です。
自分が心穏やかなときはいいのですが、40年以上一緒にいれば、40°ちかい太陽の下でウキワの小さなあなを探し補修をすると夫はいう。やはりずっと優しく諭すことは子どもにはできても他人の夫には無理だ。しかも自分がうつになったら大きな怒りにもなってしまう。しかし、悪口いわれた方、その親はもっと大きな怒りになるのは現実です。しかし、なるべく小さな事は個人の見解に任せる我慢もした方がいいでしょう。
先日の動画で十分に伝わりましたそれは自分が当事者であったり色々勉強したからでもあるのでしょうね
私は病気になって、自分の至らなさもありますが、身内や地域、医療関係、福祉関係の人に色々言われて家族がバラバラになってしまい、とても真っ暗な数年を送ってましたが、今は仕方ないかと思っています。神様が、離れた方がいいって思ったんだな、仕方ないかと。どん底まで行くと神様にすがりたくなりますね😊笑
先生の毎日の(これまでの)ご苦労が垣間見えるとは思いましたがやはり発達障害がいわば=性格が悪いという(そう断言はされてないのを前提ですが) 単純すぎな理解が広まるのは違うと思います。先生もおっしゃるように【本人は困っている】が根底にあるので、そういう意味で今回の件は、それこそ本人の性格が関わっていると私には思えます。
あるがままを現実を受け入れるは、残酷です。だから、謙虚になり頭を下げて感謝出来るのだと…
発達障害で、とても仲の良い人に傷つくことが多かったので、お別れしましたが「根はいい人なのに傷つくという理由で関係を切っていいのか」という自分の中の葛藤が今でも処理できていません。「発達障害だけど受け入れる」というキャパシティが自分にはなく、そんな自分を責めてしまっています。フワちゃんの件は本人のツイートを見る限り、性格にも問題があるように思えますが私が接してきた発達障害の人の中には、根はいい人が多いです。だから余計に「障害なのに受け入れられないキャパが狭い自分がいけないのではないか」という葛藤を持ってしまいます。
発達障害というものの正体がピンと来ないのですが、要は自然現象と同じで、あるもんはあるし、努力でなんとかなる部分は少ないし、結局上手く対処するしかないよね、というニュアンスで「仕方ない」という言葉になったのかと思いました。あと、人間ってそもそも理性的でも自己決定的でもないよね、という理解が前提にあるのかなと。
「それは、それ。これは、これ」のようなフラットな発想ができないようなセンシティブな現象なので、益田ドクターが苦しそうだなと、1人の視聴者として感じました。そもそも元になった動画が、精神科医としての発言ができない、しにくいデリケートすぎる内容だったなと感じました。以上、否定でも肯定でもないです。
「あるがままを受け入れる」痛みと共に受け入れることによって、今やるべきことが見えてくる。「あるがままを受け入れること」が出来なければ人はどうなるのだろう?発達障害の子ども達に、教え伝えることはどこまで出来るのか。
「仕方がない」は結論ではなくお互いが歩み寄るために必要なパーツの1つです。と思ってます。なのでそれを踏まえてどうしていきましょうかと、考え続ける事が必要だと思います。
仕方がない=抗えない という意味ですね。発達障害のせいにする/しないといった判断とは関係なく抗えない事実があるということ。
私はADHDですが、脳の前頭葉の働きがよくないことや継続力がないことで悔しい思いをし続けてきました。それに関して最近ではある意味「仕方がない。」とも思うようにもなってきました。私は本当は全力で、継続してしたい事がやりたいです。私は発達障害だと分かったのが40代の時で今はもう60歳に近くなりました。
同感致します。私も脳の前頭葉に障害を持ってます。最近解りました良く考えたら、いじめを初め色んなトラブルだらけの人生です。毎日死にたい気持ちですが…受け入れてます🖤🖤60歳の方の意見はとても受け入れ安く感じました。有難うございました🍀
「仕方がない」という言葉は、諦めを意味するように解釈されることがありますが、実際には「あるがままを受け入れる」という意味合いも持っていることもわかりました。人生の中で、自分の力ではどうしようもないことに直面したとき、その現実を否定するのではなく、受け入れて前に進むことが大切ということもわかりました。受け入れる姿勢は、諦めとは違って、現実を認識しながらも、心の平安を保つための重要なステップになることもわかりました。。「仕方がない」という言葉は、そのような心の持ちようを示す言葉ということもわかりました。私も常に試行錯誤しながら、一つ一つ乗り越えていきたいです。益田先生、ありがとうございます。
あるがまま理論。まさに森田療法のそれ。
別に乗り越えなくてもいいんだよ
そして乗り越えたいと思ったならチャレンジしてもいい
ここを間違えると大変なんだよ
常にチャレンジして疲弊したり
ありのままに乗り越えないと決めてしまうと
今度は自分が悪い方に腐ってしまう
仕方が無く「在るが儘を受け入れる」って=「諦め」「成長の停止」やん、なんでカッコ良い聞き心地の良い言葉に置き換えるん?別にそのままでも良くね?
益田さんの「発達障害だから仕方がない」は確かに色々言語化できてない意味が含まれた一文ですね。私は理解できるように多分なりましたけど、多分本当は毎回解説が必要な言葉ですよね。
自分は発達グレーだけど、障がいと人柄は違うことを相手に理解されるまでには時間が掛かることを受け入れている。
また、自分が発達グレーだと分かった瞬間に“障がい者”と見られることにも諦めている。
それでも、発達グレーだからこそ分かることや出来ることがある、と分かっているからそれをやる。
ただ、職場で友人を作ることは諦めている。
いつか、障がいや病気と人柄は違うことは普通のこととして認識される世の中になってほしい。
同感です。発達障害とレッテルつける、名乗ることの無意味さについて考えてます。ただの違い、適応しにくい社会というだけ。MBTIでINTPの人は何かしら発達傾向あると思う。
コメント欄、建設的な意見が交わされていて、Xに飛び交うひどい言葉の数々に参ってしまっていた自分には救いになるような気持ちです。どの意見も「なるほど」と頷きながら拝読しました。
益田先生、有意義な動画をありがとうございました。
仕方がないと言う言葉 色々な場面に直面した時や不安な時などに安心する言葉だと感じました
@@あいす-i7k 有難うございます。今オリンピックでもあるから、慰めのお言葉は身に染みますね~生きづらさは指摘されても仕方ありません❤️🩹私には精神安定剤みたいな言葉が必要だから…受け入れました💚🍀
周りに恵まれたお陰でADHD持ちですが社会人しています。
周りの人が受け入れよう、理解しようとして言ってくれているのに申し訳ないと思いつつも、「発達障害だから仕方ない/どうしようもない」と言われた時や、自分で気づいてしまった時は心のどこかでとても辛い気持ちが湧きます。
どれだけ自分なりに気をつけて努力しても他人に迷惑をかけてしまうという申し訳なさと、普通の人ならできることなのに自分にはとても難しいという無力感がとても辛いです。
仕方がない=諦念(自分に対して)。治療のゴールとしての自己受容。対して、社会や法的側面からの取り扱いについて。益田先生の語り口も落ち着き真摯で、本質を突いた回だったように感じます。社会人としての振る舞いを求められる生活の中、擬態してぎりぎり凌いでいる私には、助けとなるお話でした。
発達障害の当事者ですが、私もたまに病気だから仕方ないって思う時はあります。
でも諦めた訳でも無く、仕方ないで片付けて甘えたいわけでもありません。
出来なかった自分を慰める感覚で、また次がんばろう!気をつけよう!って励ましています。
障がいがあるのは仕方がない。で、どうするのか。どうしていくのか。持つ側も接する側もお互いに考えて理解し、社会の一員として生きていくことが大事だと思いました。
フワちゃんの言葉が失言過ぎると取り上げられる事、それが発達障害のせいだと話題に上がる事、それで傷ついた方々の心が癒える事を願うのが大前提ですが、先生が仰る通りこうしたトラブルが世の話題に上がる事が大切だと思います。私は恐らくグレーゾーンで、今回のフワちゃんと似たような事をしてしまった事があります。中学生の時地方の方言を集める募集箱があり、私は『死ね』と言う単語の方言を書いて箱に入れたのですが「誰が書いたんだ?!」と少し騒ぎになりました。私がその言葉を書いた理由はその前日に読んだ漫画の中にその単語がたまたま出ていたからで、その募集箱を開封して読む人を傷つける意図は全くありませんでした。その時この箱には『方言』ではなく『優しい方言』を書かなければいけなかったのだと学びました。きっとフワちゃんも芸人さんとして『生きる』にかけた言葉遊びで『死ぬ』と言う単語を使っただけだと私は思います。このトラブルで私のようなグレーゾーンの人はこう言う場合は言ってはいけないんだと感情ではなく理性で学べます。中学生の頃そんな失敗のあった私も今は一般的な健常者の正社員として1人で生計を立てています。だから話題に上がる事は大事だと私は感じました。
宇多田ヒカルさんの歌にもありますよね。
「変えられないものを受け入れる力 そして 受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」
彼女は若干18歳でニーバーの「祈り」をモチーフにしたこの歌詞を書いた。
私は動画を拝見して、直感的にですが先生の言わんとしてることを、この歌が少し解説してる様だと思いました。
先に進めないという意味ではなく、受け入れるということは、病気や障がい、特性と共に生きる上で必要で、共存社会でお互いにもそれができると生きやすさに繋がるよね、というものだと思います。
罪がないとか擁護するとか、そういうことではなく。誰かを傷つけたとしたら、それはそれで事実ですし。
ひとが、自分とは違う、自分の経験になかった現実を理解していく作業は、恐らく容易ではないですが、この事実をも受け止めることも大事かと、感じています。
様々な視点で考えながら言葉を選びながら、言語化しようとする先生の姿勢が、素敵ですね😊
精神疾患を患って30年くらいです。重いか軽いかは、わからないけれど、『言ってはいけない言葉』や『してはいけない事』は学習する必要があると思います。自由意志はあるけれど、相手や自分自身を傷付けては悲しいです。
ハンムラビ法典や仏教の「自分がされたら嫌な事はしない」に比べ、聖書は「自分にして欲しい事を相手にする」と1歩踏み込んだ教えが書いてあり、個人的に納得がいきます。精神疾患の人の家族、周りの人も、言葉遣いには気を付けなければいけないと思います。健常者なら、尚更。
「自分がして欲しいことを相手にする」は、発達障害の場合は危険だと思います。
そもそも考え方が健常者と異なるので。
社交辞令とか大人の対応とかはよく分からないから嫌いなら嫌いと言ってくれとか思いますから
良い内容でした
仕方がないというのは、自分の強さも弱さも、特性も、起こったことも含めて事実をありのまま受け入れるしかなく、起こってしまったことは変えようがないというとらえかたをしています。
行為の是非は当人が負うことになるでしょう。気づかなければ周りの人が教え、改善していけばいいことです。よくない行為をしたとしても、当事者を責めたり人格まで否定するのは違うように思います。怒る気持ちもわかりますが、失敗で断罪されることがないよう、寛容な社会であってほしいと思います。
発達障害の偏見を高めるのではということに対しては、広く障害について認知、理解のきっかけになるので、できごとが表に出て議論されることは意味があると思います。
最後に文字のSNSは表情や口調がわからないので、意図しない伝わり方をしたり、思わぬことが起こります。今回のことは自分の戒めにもなりました。なるべくリアルなコミュニケーションを大切に人間関係を結んでいきたいと思います。
「発達障害だからしかたない」という言葉に、ますだ先生が免罪を求めてるわけではないのはわかります。
精神科医として、患者が問題を起こしても、責めるとか許すとかを超えて粛々とサポートしていく姿勢なのだと思います。
ただ、被害や迷惑をこうむる側も自分を守らなくてはならない。反撃などむやみに状況をエスカレートさせるのはいい結果を生みませんが、法や社会通念に照らして現実的な対処はせざるをえないでしょう。
お客様は神様と言う言葉は本来店が言う言葉であるように、◯◯だから仕方ないと言っていいのはされた側だと思ってます
例えば障害のある方に殴られたとしても、健常者に殴られたとしても、殴られたことには変わりないです
された側は相手が障害によるものなのか、性格や故意であるかは分からないですし
もちろん自分ではコントロールできない大変な方もいらっしゃるのは理解してますが、あまり障害について知らない人からすると考慮が難しいだろうなとは思います
ざっくりと障害だから仕方ないとしてしまうと分断が生まれてしまいそうで怖いので、何かいい着地点があれば良いのですが
前提として、発達障害で精神福祉手帳を持ち障害者枠雇用を選んでる時点で障害者で有る事を言い訳に免罪符にしてしまっているのだから、発達障害枠雇用で有る場合にのみ、法的に殴られた事を立証するのに「発達障害だから仕方が無い」と言わなないと殴られる或いは殴られてしまった場合と、
意見や事実が噛み合わないなど注意叱責の会話が硬直状態等で明らかに業務の停滞や妨害になる様な長時間の拘束となった場合に限り、
発達障害で有る事のカミングアウトやどの様な症状でそうなったと言う説明はする「べき」です、その後の業務に関わる上でどの様にすれば気になり難い気にならないのか?どうしようも無い場合にどの様にすればその業務に関わらないで済むか??を上司上長同僚部下と相談し解決へ導くのが理想で有りする「べき」です。
@@dsanndnr 本物に言葉の暴力って大変ですね!!最近私はラインしてギスギスにやられましたので…
以前統合失調症の患者さんに、僕は人を殺めても正当防衛で罪になりません。と、ハッキリ言われました。それを聞いた時、自分も殺られるかもしれないと、感じました。
確かに色んな問題を通してでも障害について一人でも多くの人に「知ってもらい考えてもらう」ということが大事なのかも。座敷牢のように臭いものに蓋をしてばかりでは 認知も理解も得られない。
自分にはADSの子どもがおり、ちょうど「仕方ないのその先」を考えていた所だったので、ありがたい動画でした。
そうなるのも納得がいく、という事ですかね
今年還暦を迎えますが、やっと、何かトラブルがあって、それを解決して、落ち着いたと思ったら、また何かしら起こって、という繰り返しなんだな~人生って、と理解が進みました^^
先生があらためておっしゃってくださって、嬉しかったです。ありがとうございます。
2年前にADHDの診断受けてる60代女性です。先生のおっしゃる仕方ないの意味はよくわかります。日本語は難しいのか別の意味で使われる場合も多くあり、どちらの意味で使われているか判断が難しいことはありますよね。
私個人としては30代で結婚、子育てを経験してから思うようにはならない事を経験することが格段に増えて現実を上手く受け入れていく以外に心の平安は得られないと思い、努力し続けてはいますが、なかなかどうして簡単にはできるようになりません。これはとても難しいですね。悟りを得るということに近いですもん。元々持ってる性格や特性にもよるかもしれませんが。
でも完璧は目指さなくても、少しずつでも上手になっていくことでかなり楽になる気がします。
私はグレーゾーンだけど、病気を理由に何でも許して欲しいとか、許すのが正しいんだとかは思わないし、それはそれで偏見に繋がると思うけど、病気について学ぼうとせず無知なまま自分の価値観だけで人を攻撃するのは良くないと思う。
こういう系の問題は、いつまで経っても解決はしないかも知れない。
でも、解決しなくても皆で考え続けて、考えを微調整していく必要はあると思う。
誰だって、被害者にも加害者にもなり得るのだから。
発達障害の人だけを相手に仕事をしています。利用児から『僕の場合は、怒ったり叩いたり蹴ったりしても仕方ないから良いんだってママとパパも言ってたよ』と、堂々と話されました。人を傷つける態度や表現は無しなんだと、ご家族が知る機会は必要だと感じます。18歳になったら、社会の1人の大人になるですから。親を殴ったり、外で暴力沙汰になったとき、『僕の場合は仕方ないんです』って、本当に警察に言っちゃいそうです。
ASDとADHDです。
好きなことと得意なことを仕事にしてからは、障害のことはあまり気にしないようになりました。得意なことをやるようになって、自分こんなこともできる!って自己肯定感があがりました。
でも、今回の騒動を目にして、やはり他人事にはできません。過去に思い当たることもあります。衝動的なもので加害者にならないように、本当に気をつけようと思います。
@@pinoko___5190 同感致しました。私も最近ラインを交わす事に注意してますので…💚
@@pinoko___5190 あなたはフワちゃんが目標とすべき人間ですね。
おいくつなのかは存じませんが、自分の適性を見つけたこと、稼いでいること、過去を省みていること、もう完璧じゃないですか。いろいろおありだったのでしょうが立派ですね。
発達障害は種類があって、言いたいことを言う人がいるが、我慢しちゃって、しゃべらない人もいる😢ものすごく傷つきやすい発達障害😢空気読めない人だって一般の人だっているじゃない。
健常者と呼ばれる人達は、発達障害者がどれ程苦しみ、健常者からの心ない言葉に傷付いてきたか分かってませんよね。
発達障害の人も色々な人がいて、
人を傷つけるのを止めたい改善したい人と、
そのままでいたい人がいる。
後者に対しては仕方ないよね。で距離取る。
ASD当事者として自分自身の無意識の加害性に悩んでいます。相手の気にしていることを良かれて思って指摘してしまう等、自分が全く何も発信や行動をしなければ世界にとって一番良いのではないかと思える程です。
今回の彼女の炎上とそれに対する彼の独自の見解の発信、それ自体に、私自信が抱えている悩みと重なる部分があり、心がザワザワしていました。
益田先生のお話を聞いて、『それでも行動を修正しながら淡々と生きていくしかない』ということを再度思い出せました。
また、発信力のある人間が『難しいことを考えたくない人達』を扇動して『物事に単純な結論を出す(彼女って発達障害ってことで良いんじゃないの?)』危険性についても、私のASD特性なのか強い正義感から色々と思う所がありましたが、
綺麗ではない情報でも、発信する人が居ないとそもそも議論が進んでいかない、という益田先生の考え方で自分を落ち着かせるのが良いと思えました。
益田先生の正しい専門家としての発信力が確かだからそう思える部分もありますね。
『仕方がない』、双方に有効です。障害のある方々、障害のない方々。
障害のない方々の忍耐も限界がありますから。相当付けられましたから、私。
きちんと診断を受けて
治療が必要なら治療を受けて
それでも配慮が必要なら仕方がない部分もあるとは思います
「事情についてどう捉えるか」「許すか許さないか」ではなく「事情が在る」と認識するイメージなんだろうか。それなら「仕方ない」って言葉が事情について前向きに捉えるニュアンスを含むから話がややこしくなっているのかなと思う。
今だいぶ辛くなってたのでライブ見て少し落ち着きました。
仕方ないってのは現実をどう理解すべきかの話で、前の緊急動画ではそこの話だけされてた感じですよね。
人が話を聞いたときに次の議論の結論まで気にしがちだったり
勝手に、仕方ない=周りは許せ みたいな存在しないニュアンスで捉える個性の人がいるのも仕方ないから
追加緊急動画でフォローされていてホッとしました
緊急で動画回してくださる機会が増えて嬉しいです!
ありがとうございます!
職場でおそらく発達グレーだろう方がいて、親近感から庇ってしまうのですが、逆に周囲から反感を買ってしまい、思うようにいかないなと思っていました。仕方がないなと思うことしかできません。
発達障害だから仕方ない、と言えるのは
彼女の普段を知る人や主治医かと思ってます
いくら頻繁にSNS更新してようが私達が知るのは彼女の一部であり、
ましてや発達障害の程度やどんな治療してるかも知らない
私は"発達障害だから"仕方ないとは思いませんでした
そういう人なんだな、と思っただけです
攻撃的で場にそぐわない言動をしてしまう、衝動を抑えられないなどは本当の姿でもあり盛ってる事も多分にありそうだし、
何より定型だと思ってる人にもよく見られる言動ですよね
そういう人なんだ、それだけでした
人柄と障害は関係ないと私も思います。定型でも似たような発言、行動する場面はあるし、極端普段から愛されているか否か…な気もする。
おはようございます!
一緒に考えたいテーマです。。
他人事とは思えません。
先生の仰る「仕方ない」について最近考えていました。私は全てに仕方がないと考えることが出来なくて前進出来ないタイプです。でも今悩んでいる事に仕方がないと考えて前に進む事を考えたらとても楽になりました。結果どうなるかわかりませんが人生は長くはない。やる事は一杯ある😊
発達障害だから許されるかという問題はとても難しい。でも罪の意識があって謝罪したならそれは許されて欲しい。それと同時に発達障害のみならずその人なりの背景を知って欲しい。単純に人を裁かないで欲しい。人は大小関わらず間違いを犯す弱い者だから。
「もう発達障害って事にしちゃえばいいんじゃないの?」ってツイートみたあと、抱えきれない怒りと悲しみで苦しくなりました。
まわりがびっくりする行動が普段からあるから傾向はあるのかもしれない。
生きていく中でいい事ダメな事覚えていきます。
もし発達障害のせいなら知能が幼児レベルじゃないの?と思いました。
バラエティ能力あって発信する力があって自分で生きていける。
ほんとに稼ぐ力もないし毎日精一杯生きてる人もいます。
ずっと頑張り足りない、努力不足、周りからも言われたけど自分でもせめてなんでなんでってしてきたから発達障害、境界知能とわかり努力不足じゃないと嬉しかった。
嬉しかったけどじゃどうしたらいいか?が今の悩みです。境界知能って名前を作ったのはサポート出来るようにしたいからってみました。なのに人を否定するときに使われるようになってるから問題ってみました。発信力ある人が、苦しんでる人いる事も考えないで簡単に言わないで欲しい。
フワちゃんはそうゆう人、関わらなければいい、それ以上思わなかったけど、ひろゆきさん?の発言が辛かったし、差別広がるような事はやめてほしいです。
はじめまして
障害福祉に携わっていたものとして、相手の想いを汲み取れないから、経験不足だからといって倫理的に使ってはいけない言葉があること許されないと日々伝えてきていました。また、ネットニュースなのでどこまで本当かわからないですが、彼女の場合日常的にそのような言葉を使っていたようですね。それは仕方がないの一言で言っていい問題では無いと思います。衝動的に、障害があるから受け入れなければいけない問題ではないです。どんな人であれ言われる側も1人の人間なので、その方も尊重されるべきだと思います。
ちなみに、私自身毒親育ちで幼少期のトラウマによりそれ以前の記憶はほぼありません。今も精神的辛さで治療していますがそれを言い訳に暴言を吐くことは論外だと思っています。
それを言い続けると発達障害の方は回復するんですか?
@user-cy6mi8of7k この人は「死ね」など暴言を吐くのが習慣になってることと、発達障害は切り離して考えるべきだってことを言いたいのかと思います。
@@mkjnjhbhg
障害と判断された状態が簡単に回復するとお思いですか?
精神疾患も精神障害も脳の器質的な問題です。精神障害の症状固定の判断はとても難しいです。
今話題の彼女は、発達障害であっても理解力を持ち合わせている方ですよね。日常的に仲間内で暴言を吐いて楽しんでいたということも拝見しました。理解しているからこそ隠れて暴言を吐いていたのだと思います。そこに発達障害だから仕方ないは存在しないと思います。
発達障害であったとしても知的障害を伴わない方はとても多いですし生き辛さがあるのは理解しています。
しかし、繰り返し伝えることにより少なくとも倫理的にダメな言葉である という言葉であると学習できる方はいます。支援も治療も何もせずに仕方ないで済ませることに問題があると思います。
抑えされない衝動性等あったとしても人を傷つける免罪符にはなり得ません。
過去に男女混合棟で夜勤した時ですが…カッとなりかつ粘着的な性質の障害の方(男性)が、勤務に入った時点ですでに怒っている状態でした。夜勤は女性でも1人勤務だったのですが、好きなスポーツ選手が負けたという理由でさらに不機嫌になり、夕食支援の後片付けていたら急に倒されて馬乗りの上首を絞められました。障害の特性上カッとなりやすいとわかっていても首を絞めてくる行為を仕方がないと言えますか?
発達障害に限らずそういう障害だから仕方がないとは私は思えません。本人が、またはなんの支援も治療も環境設定もせずにありのままを受け入れろというのは傲慢です。
心の声が全て漏れ出て、コントロールできず苦しんでいる方もいる。それを日々受ける側で、苦しんでいる方もいる。
相手を理解できても、自分を傷つける人を許すのにはエネルギーがいる。
自分を守ってくれる人と一緒にいたいと願うのは、自然なこと。
だからこそつらいな。どっちもつらいな。
この世のありとあらゆるものが存在するなかでは「仕方がない」と捉えるとストンと腑に落ちるし。
「仕方がない」ことなんだから、おまえも受け入れろよ。って"言われている"ような気になると「おまえの感情は無視だ」って言われているようで傷つく。
誰もそんなことは言ってないのに、ありのままを受け入れる土壌が自分のなかに無い時は、私は、、、僕は、、、と、主観100%で自分の世界の中だけで考えがちになる。
「仕方がない」って言葉は、主語によってイメージが変わりますね。
「実際やな奴が多いんですよね」とサラッと仰ってましたね😅
過去に性被害をうけていて、カウンセラーの方が「あなたのせいではないんだよ」と繰り返し声をかけて下さったのを思い出しました。
誰のせいとかはなくて、どんな人でも、その人のせいではないどうしようもないことがあるということを語りかけてくれていると思いました。
この世には絶対にかかわってはいけない人がいる。一方的に気にいらないと難癖を付けて攻撃してくる人。
今回の事、凄くモヤモヤしました。あきらかに常軌を逸脱した性格な人を勝手に発達障害だと決めつけもいけない。一度検査を受けてというのも駄目だろうし。
言ってはいけない事を全世界に発信して尊厳を傷つける行為も、まさかこんなにバッシングされるとは思ってもいない。だけどあれが本心なんですよね。それを謝ったから無かったことに出来るほど強くあらねばならないとは…やられた側が辛すぎます。
発達障害じゃなくてもいますよね…パワハラ、モラハラする人は人を選んで出す。
ドクター、ここで話してくださった事すべての言葉に深い意味のある内容でした。こちらの動画アップしてくださってありがとうございました。
傲岸不遜なキャラクターを面白がって持て囃した周囲やメディアも増長させてしまった責任はあると思います。都合が悪くなると発達障害を持ち出して責任逃れをする様は、発達障害でありながら真摯に生きようとしている人ほど悲しく感じたのも事実です。
仕方がないと諦観する側には哀しみがある その哀しみは何があったって消えない 片方の諦観で成り立つ人間関係なんて無い方が絶対いい
発達障害の人が突発的行動で問題を起こすのは仕方ない部分もある。
ただ、世の中は絶対に多めには見てくれないし。障害を理由に許される事も無い。
ので、障害と向き合って少しずつ行動を改善するしか無い。そのままでは周りの人に受け入れられる事は無いと本人に認識させる所からじゃ無いかな。
障碍者になってリハビリをして治る人もいるが
治らない人も多い
治らない人に治せと言っても無駄
外から失礼します
障害者がリハビリで治る、もしくは自助具を使って日常生活を送りやすくなるのは身体障害者が主です。
精神的疾患や精神障害は脳の器質的な問題です。
鬱等寛解はありますが、罹患前の自分に完全に戻ることは不可能です。
精神障害は治らないから開き直っていいとは思いません。ご自身の障害について知りコントロールする方法を模索している方には協力したいと思いますが、精神障害だからしょうがないと主張する方には一切関わりたくないです。健常者にも色んな方がいるのも事実ですが、精神障害と同様に開き直って迷惑をかけて当然と思っている方には関わりたくないです。
私は・・自分の子供があまりに過激に中傷してきてたまに暴力的です……世間様にはまだあまり知られていないので、、私も辛いです………今日は言えました……ここのお蔭です。まだまだ考察してみます、、会えない皆様ありがとうございます……
@@bn8ds
こんにちは、はじめまして
軽度の方から最重度の方まで、また児童から高齢者まで、生活環境も様々な方の支援をしてきました。
その中で、服薬治療や環境設定を行ってもどうしても衝動性が抑えられずご本人もしんどいだろうなと思われる方もいらっしゃいました。服薬治療や環境設定をしても抑えられない衝動性もあることは理解していますしご家族の大変さも推し量って行きたいと思っていました。
支援を通じて個人的に感じていたことですが、早い段階から医療だけではなく福祉サービスに繋がっておいた方がご家族やご本人にとっての将来の不安の軽減になると思っています。勤務している中で、ご家族で抱え込んでいる方もいらっしゃいましたが急にご家族で支えられなくなった方の過ごせる場所を探すのはとても困難です。制度的には緊急一時はありますが、そこから入所やGH等生活の場に繋がるケースはほぼありません。福祉サービスサイドも分からない方の受け入れではなく長期にわたり支援実績がある方を優先する傾向にあります。
すでに福祉サービスを利用しているのなら余計なお世話を書いたかもしれません。ただ、ご家族だけで無理はなさらないようにと願います。
失礼しました。
@@user-iq2ms9qy5x さま
貴重なご意見ですね…ここに書いてお返事頂けるなんて思ってなかった……ありがとうございます!
動物も自然も機械も、コントロールするには相当な知識と経験が必要。一生できない人もたくさんいる。
なぜみんな、人だけは素人が簡単にコントロールできると思うのだろうか。不思議。
昔は喧嘩なんていくらでもあっただろうしお互いに人の顔色を伺いすぎる今の日本の文化が良くないんじゃないかなって
益田先生がこの時事問題について結構こだわって動画コメントしておられることの深さを感じます。このような見過ごされがちなことに対して具体的な見解を頂き、心にとめておくべきだと思います。
言語化が難しいという言葉に救われます。言葉や表現は適切か、事実と異なることは言っていないか、相手に伝わる表現になっているか、相手の言葉を理解できてるか、を仕事中常に意識する必要があります。言語や文字で進化してきた動物のため、それの重要性と難しさに苦しむことが多いです。
グレーの子供を育てています。
定型発達の子と同じようにできないこともあり特性を受け入れるために仕方ないと思うようにしています。
ただ、人が傷つくこと、どんな言葉は言ってはいけないのか伝えています。
なかなか先のことを考えるのが難しい、人がどんな気持ちになるのかを考えるのが苦手な部分もあるので、繰り返し繰り返し何度も伝えています。
この企画はどんどんやって欲しいです
あるがままを受け入れるということ自体訓練がいるよ。モンスターみたいな行動の根源に発達障害があるんだよ😢と知り、仕方ないとなるには果てしない啓蒙が必要でクラクラする。
数人集まって、アンチのコメントを書くなら…という事をやっていた、という事は、あんな酷いアンチの言葉を見てゲラゲラ笑ってた人達がいたって事ですよね?
それを発達障害は仕方ない、では終わりにして欲しくないです。偏見に繋がると思います。
不安や小さなトラウマや罪への拘りが拭えず興味関心が限定されてしまうと確かに聞こえていた励ましの声が遠く離れてしまいます。 健常者同士の世界でも刑罰には不平等があるのだから障害者は医療の世界で仕方ないのであり社会の話ではありません。
「衝動性が高い」ということと、「書いた内容」とは分けて考える必要があります。衝動性はADHDの特性で「仕方がない」面はありますが、誹謗中傷となった「書いた内容」は仕方ないでは済まされません。書く内容にはその人の人間性が表れます。
悪い人間性を健常者は隠せるんだけど
発達障害の人は隠せない
悪い人間性を治せと言うのは簡単だけど
大人になるとなかなか変わらんぞ
発達障害なら尚更
そういう内容を書いちゃうのもADHDってことなんじゃないの?
なぜ同じ脳由来なのに、意味づけは分裂してしまうの?
あなたが言う「人間性」の形成も含めて脳の作りが関わってるから、自分は、書いた内容もこの動画の文脈での「仕方がない」に含まれると思う。
@@さっまぃも そうすると、ADHD脳由来だからADHDの人は全員が他人をSNSで誹謗中傷してしまう、ということになりますが、そういう理解でいいですか。
@@なみょう-v3c 「人間性」の形成も含めて脳の作りが関わってるから、「仕方がない」とのことですが、そうするとADHDという脳の作りを持ってる人は、全員がSNSで他人に対して誹謗中傷を行うことになってしまいますが、そういう理解でいいですか。
おつかれさまです😊
ありがとうございます♪
こどもがASDですが、「そういうこともあるよね」の日々繰り返しです。その中で諦念やら悲しみやらを時間という水の流れで薄めて流し、水底に残った信念や希望を掬い出してもちこす、そんな日々の繰り返しです。第三者が「仕方がない」といって客観を提示してくれることに救いも感じます。いつも動画ありがとうございます。自宅で子をワンオペで見る夏休みの支えになっています。
生きるのは大変だなと思いました。
発達障害にもいろんな人がいると思います 個性ですから許せないと受け止める人がいてもしかたないです
7:38 素敵な概念
大変参考になりました。
『諦める』という言葉の語源は『明らかに見る』という説があるそうですね。
『諦念と受容』をモットーとされる先生のスタンスは、まさにこの動画で話されていた、「患者にあるがままの現実を見るよう促していく」というものなのでしょう。
ご立派な態度だと思いますし、
一理あると思います。
たしかに、自己改善や目標達成、幸せだなんて幽霊のような絵空事に過ぎないのかもしれませんね。
(これは本当に余計なお世話でしょうし、偏見でもありますが、恐らく先生の視聴者の中には幽霊を本気で信じる方々も相当数いらっしゃると思いますよ。老婆心ながら申し上げますと、その辺りのふわっとしたものに言及するときは気を遣った方が安牌かもしれません)
ただ、
やっぱり患者側の立場になって先生の意見を拝聴してみると、どうしても「突き放されている」ような感覚になってしまうのです。
反対に、メンタルヘルス先進国であるアメリカは、国民の過半数が宗教に傾倒していますよね?
イエスなんたらの教えに従う、という『人生の指針』を、国民という広範囲に対して示せている土壌がある状態なんですよね。
だからアメリカの精神科医やカウンセラーは、患者の人生やパーソナリティの領域まで踏み込む必要がないだけなのではないでしょうか?
土壌が全く違うアメリカの精神医療を、モデルケースとして真似をしてしまっているから、精神科医と患者の間で、歪なすれ違いが起きているのではないでしょうか……?
だから、日本では『人生の指針』をはっきりと示してくる占い等のふわっとしたものにシェアが大きく奪われてしまっている。
日本のメンタルヘルス業界の方は、患者がスピリチュアルに傾倒する理由を「日本社会が精神疾患に理解を示さないからだ」「論理性が不足しているからだ」と、分析しておられる方が多いようですが、
私は、患者の『人生の指針』に関与することを日本の精神医療側が避けているせいだと思っています。
もっともらしくいえば、日本の精神医療は、(リスクはあるにせよ)もう少し患者のパーソナリティの領域に踏み込むべきだと考えています。
こんなことを先生に申し上げたところで、
先生が日本のガイドラインに大きく外れたりはしないと理解しています。
むしろ、患者にあまりにも寄り添い過ぎる精神科医は、ガイドラインを軽視している方なわけですから、(こんなことを申し上げている私ですら)警戒に値すると思います。
こんなコメントを投稿するのは、冷静に考えれば、傍迷惑な八つ当たりのようなものなのかもしれません。
ただ、
知れば知るほど見えてくる、救い手となってくれるはず精神医療の構造と一部の患者や私の求めてるもののすれ違い。
この行き違いのやるせなさを、どこに訴えれば良いというのでしょう。
パーソナリティから変えて行きたいなら宗教しかない
@@mkjnjhbhg
おっしゃる通り。
現実的には、それに近い状況になっていますよね。
でも。
私はそういう状況に、不満があるんです。
宗教には科学的根拠なんか、まあないじゃないですか。
パーソナリティの領域に、科学的な「確からしさ」に基づいて踏み込むが本当に出来ないのか? という疑念があるんです。
宗教やらスピリチュアルやら占いやらに人が流れるよりは、いくらか「確からしさ」のある精神医療側でそこを示すことは、果たして出来ないのだろうかと。
需要は間違いなくあると思うんです。
というか、私自身が強く切望しているから、こんなコメントを書いていたりするわけですね。
まあ、やっぱり難しい話かもしれませんし、患者視点の戯言・わがままにしかならないかもしれませんが……
@@たなかなか-o6l
パーソナリティを一つに絞って
そこを目指すというのは全然科学的じゃないでしょ
科学は微妙なことは行わないというスタンス
仮にそれっぽいのができたとしても
微妙なラインしかできないのでほぼ効果がないと思います
逆に宗教は都合の良いストーリーを作って
様々なことまで介入していきます
それを行うには洗脳しなければいけないので
そこに踏み込んだ瞬間から
心理学は宗教になったと言っていいと思いますよ
そういうのが好みの人はキリスト教徒がやってる
カウンセラーのところに行けばいいんじゃないかな
宗教と言ってもできるだけ科学的な解釈をしようとする派閥とかもあるので、すべてがデタラメというわけじゃないので
自分を1からダイナミックに変えて
心を安定させたいと考えてる方は宗教がおすすめ
僕は30歳で発達障害が判明しました。
仕事が長続きしなくておかしいなと思っていましたが、周囲の人からは一度も発達障害なんて指摘されたことはありません。
それまでは適応障害だと誤診され続けておりました。
障害年金を本来であればもっと早く受け取れていたものを悔しいです。
発達障害の検査を義務化したらもっともっと現実にはいると思います。
5:34 「悪いやつ」思い切った言語化ですが的確だと思います。
人間を睨む野良猫と近づいて腹をみせてくる野良猫がいたとして、彼らはただ生きているだけで同じようにいつか死にます。
体毛の色の違いと同じ次元の話だと思います。
人間がなぜそんな話に頭を悩ませているかですが、これは文明の発達の代償だと思います。
インターネットが社会を広げたことが終わりの始まりだと思います。
自分に害を加えてくる可能性がある人間は「悪」
ここまで文明が発達しても、これだけは変わりませんね。人間がそれぞれの肉体に縛られてる限り多分無理です。
高度文明の恩恵を受ける以上は、頭を悩ませて考えるべきなんでしょうね。
発達障害の友達だった人と
"発達障害だから仕方がない"の言葉について衝突したことがありましたので
今日のお話もとても興味深く拝見させていただきました。
発達障害者は色々な人や色々な物事に気を遣わなければならないことが多いと思うようになって来ました。そのことで本当に疲れを感じています。
わかります!
コメント欄 見てみます。
単なる無理解や誤用だと思う。
「仕方ない」って言葉は極めて強い効果を持つジョーカーみたいな単語の癖に、前提条件とか場面を無理やりスルーして都合よく使える万能さ・手軽さ・不明瞭さがあるせいで低コストで大量に出せて使い方を誤りやすいよね。
万能さ・手軽さは
「仕方ない」ってたったの4文字にたくさん意味が含まれているのに、その概念は広く浅く浸透していて誰にでも使えるせいで簡単に文章として成立してしまうこと
不明瞭さは
発達障害って合併してるか否か・障害の強弱や組み合わせで個人差があって、第三者はもちろん本人でさえ実態を把握しきれていない場合があるし、嘘もつけるから精査のしにくさが発生してること
仕方ない人に遭遇するのも、類友の法則からすれば、同類なのでしょうか?やす子さんもフワちゃんも本質は同じなのでしょうか?私はやす子さんタイプですが、フワちゃんタイプに攻撃され易いASDです。加害者は仕方ない人だから許してあげなさい、やられたからと、やり返す事はしてはいけない、と教師から言われ泣き寝入りするばかり、身体症状で自己主張するしかない人生でした。こういう立ち位置も仕方ないで片付けるしかないですか?
特性によって失敗するのは仕方がない
反省しなくてはいけないのは、発達障害があってもなくても変わらない
ということなのかなあと思います。
綺麗な情報だけでは伝わっていかないという視点は考えさせられました。
啓発ポスターみたいな情報だけでは、多くの人に届かないんですよね。
今回の件によって偏見が生まれるかもしれない、だけど理解が深まる人もいる。
考えるきっかけがないことの方が、無意識の偏見が残り続けると思います。
動画を視聴して思ったこと。
言われることは大体わかるように思います。
ただそれが実際に行動として現れるレベルにあるかと言われれば、そうではないという感じに思います。
あるがままでいいんだよというのと、やはり改善や上昇を目指すべきの間という感じではないかなというのと、都度使い分けるという感じでもあるかなと思います。
本当に感じてることがあるとすれば、言われていることは別に目新しいことではなく、以前からあることをできるだけ理解してもらいたいという思いは伝わってきました。
とはいえ自分の考えとしては、第3の在り方というのがおそらく存在しているのではないか?という感じがしてます。
言葉でそれは説明できませんが、簡単にいえば収まるところに収まる時がくるまでの葛藤状態に今あるという感じではないかな?と思ってます。
こんな人間の在り方があると体感するまでの苦しみの過程ではないかな?と、そんな感じに思ってます。
(今の苦しさは変わらなくても、長期的にみればそうではないという感じで、それはほぼほぼ小さな作為では無理な領域ではないかと、そんな感じのことを思ってます)
コンパクトサイズの緊急動画。言葉の辞書引きというか?定義?のプチミーティングのようにですかね。ありがとうございました。洗濯もの干しますね。(⌒∇⌒)大変でしたね。
頑張って言語化しにくい事象を分かりやすく説明しようとしてるのが見えます
ここにコメントする人は程度の差はあれど益田先生の言ってる事を理解しようとしてはいると思います
常に自分の仕事に使命感というか、向上心がある人なんだなと思います
共感ができない事もありますが、応援しています
ふと思ったのは、精神に関する事に関心がある自分でさえ難しい部分があると感じるわけで全くそんな事に関心がない人には余計精神疾患に関して無知なのは無理もないかなと思います
自分は病んでなかったらこの動画見てたかなあと思います
雑に言ってしまうと興味がないって人の方が当人は幸せな人生を歩んでるのではと思います
難しいテーマであるも、精神医学や個人の成長は発展途上のため、仕方がないという言葉だけでは現せられない複雑さがあると解釈しました。綺麗な情報だけでは広がっていかない。との意見が大切と思いました。
最近騒がれてる発達障害って簡単に言ってるけど生物としてみたヒトには全然関係のない話なんですよね。自分達の社会に都合の良いようにでっち上げた資質であり自分からしたら健常者っぽい態度のやつが結構裏で悪どい事を見えないからってやってたりして、これって出来る出来ないの判断で決めつけて良いものか?と思ったことありますよ。
あのコメントの内容そのものは…嫉妬や妬みなど健常者にもよくあるかと思うけど、間違って投稿してしまう部分(操作ミスとか裏垢とか表垢とか)が発達障害が関係してくるのかなと思ったりしてました。
当事者としての考えは、「仕方がない」は言い訳や開き直りの言葉ではなく、当事者が自己受容して自分の人生のスタートラインに立つための言葉だと思います。自己受容できなければ自分の本当の人生をスタートさせることはできません。自分の努力ではどうすることもできない部分に対して諦めを持つことによって抑圧されていた自己を解放して、自分の人生に新しい可能性を見いだすために必要な言葉だと思います。それが理解されるように当事者も根気強く伝えていく必要があると感じています。
彼女の発言の責任につき、帳消しにするのではなく、発達障害を理由に少し情状酌量してあげるというのはまだ私は受け入れられます。
けど、あんなことを言われた方の心の痛みは軽減されないと思います。
テレビで観るかぎり、彼女はまるで腫れ物扱いされているような感じがしていました。雑な言動していても、それを許さないのは価値観が古い、媚びないキャラでいいねと笑って受け止めるのが器の大きさと、周りのタレントさん達も思っているような…。
誰も、本当の意味で彼女に愛情持ってる人はいなかったように感じます…。
@@kurominmi認めたくない親もいるかも知れませんが、必要以上に傷ついたりつけたりしないためにも包括的に早期支援が大事だと思います。
今回の騒動もだけど、
被害者側のケアの話が殆どない。
加害者側をどうするかばかり。
ぶっちゃけ性格悪い言い方をすれば話としての面白さの差
要するに加害者側の方が面白いから目立ってるだけ
普通に被害者側のケアもやってるだろうけどね
ただわざわざ話題にあげても注目されない
悪口を言われた側のケアって
そんなに難しいことじゃないからな
寝れば忘れる人もいるし
いいえ。20~30年忘れられない悪口もある。
いじめっ子は何も覚えてないみたいだけど。
やられた方は忘れない。
ケアの内容自体、多数派の価値観で作られているものです。発達と健常のすれ違いとしてありがちなのが、逆に言われても発達側は傷つかない、から口に出してしまう。同じだけその逆もあるということです。発達側が健常の言葉で傷ついていたとしても、対するケアはもちろんありません。
@@172-zb8gm
健常者の話だよ
そういうトラウマの話はしてない
仕方がない
というのは
発達障害を理解して、特性と出来事を受け入れて、じゃあどうやって解決しようかと考える流れだと理解しました。
仕方ないから、悪くないという意味ではない。仕組み性質があり、抗えず仕方がなく事象が起こり、それに対処する。罰し方は別問題で今それについて話してはないと。
まあいうて、「できないならできないってことを面接の時に言うべき、じゃなくても検査結果出た時点で会社側に報告すべき、それがないなら迷惑」って言われる現実
報告したら干されるような社会でなければ皆、無理せずゆっくり改善していけると思うんですよね。そんな余裕のない社会なことはわかっているから隠す訳で。
失礼します。
個人的に天国はあると思っていますが、きれいな情報だけ発信しても広まる筈はない、とは日々感じています。
精神科の患者イコール心のピュアな人じゃないし、人間なら清濁併せ持つのは自然なこと。
困るのは、このように患者サイドで申し上げると、何か疑いの目を支援者から時として向けられることです。
一人称としての仕方ない、二人称としての仕方ない、三人称としての仕方ない。
人の気持ちになる、という論法の上では結果的に等価になるのかもしれないけれど、
現実的には分けて考えてみたほうがいいのだろうな、という気がする。
三猿という言葉あります。見猿、言わ猿、聞か猿。それは子供の時だけの話で
大人になった、嫌な事を聞かないといけない。見ないといけない。言わないといけない
悪い部分と良い部分の二つを知って悩む事が、人間としての意義だと思うこの頃です。
自分が心穏やかなときはいいのですが、
40年以上一緒にいれば、40°ちかい太陽の下でウキワの小さなあなを探し補修をすると夫はいう。やはりずっと優しく諭すことは子どもにはできても他人の夫には無理だ。
しかも自分がうつになったら大きな怒りにもなってしまう。
しかし、悪口いわれた方、その親はもっと大きな怒りになるのは現実です。
しかし、なるべく小さな事は個人の見解に任せる我慢もした方がいいでしょう。
先日の動画で十分に伝わりました
それは自分が当事者であったり色々勉強したからでもあるのでしょうね
私は病気になって、自分の至らなさもありますが、身内や地域、医療関係、福祉関係の人に色々言われて家族がバラバラになってしまい、とても真っ暗な数年を送ってましたが、今は仕方ないかと思っています。
神様が、離れた方がいいって思ったんだな、仕方ないかと。どん底まで行くと神様にすがりたくなりますね😊笑
先生の毎日の(これまでの)ご苦労が垣間見えるとは思いましたがやはり発達障害がいわば=性格が悪いという(そう断言はされてないのを前提ですが) 単純すぎな理解が広まるのは違うと思います。先生もおっしゃるように【本人は困っている】が根底にあるので、そういう意味で今回の件は、それこそ本人の性格が関わっていると私には思えます。
あるがままを現実を受け入れるは、残酷です。
だから、謙虚になり頭を下げて感謝出来るのだと…
発達障害で、とても仲の良い人に傷つくことが多かったので、お別れしましたが
「根はいい人なのに傷つくという理由で関係を切っていいのか」という自分の中の葛藤が今でも処理できていません。
「発達障害だけど受け入れる」というキャパシティが自分にはなく、そんな自分を責めてしまっています。
フワちゃんの件は本人のツイートを見る限り、性格にも問題があるように思えますが
私が接してきた発達障害の人の中には、根はいい人が多いです。
だから余計に「障害なのに受け入れられないキャパが狭い自分がいけないのではないか」という葛藤を持ってしまいます。
発達障害というものの正体がピンと来ないのですが、要は自然現象と同じで、あるもんはあるし、努力でなんとかなる部分は少ないし、結局上手く対処するしかないよね、というニュアンスで「仕方ない」という言葉になったのかと思いました。
あと、人間ってそもそも理性的でも自己決定的でもないよね、という理解が前提にあるのかなと。
「それは、それ。これは、これ」のようなフラットな発想ができないようなセンシティブな現象なので、益田ドクターが苦しそうだなと、1人の視聴者として感じました。
そもそも元になった動画が、精神科医としての発言ができない、しにくいデリケートすぎる内容だったなと感じました。以上、否定でも肯定でもないです。
「あるがままを受け入れる」
痛みと共に受け入れることによって、今やるべきことが見えてくる。
「あるがままを受け入れること」が出来なければ人はどうなるのだろう?
発達障害の子ども達に、教え伝えることはどこまで出来るのか。