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遅くなったけどみなさま明けましておめでとうございます!今年もどしどし動画をあげていくつもりなので、どうぞよろしくお願いしますぞ~さて今回は蒲生氏郷!一応、名前は洗礼名を含め何回か変わってますけど【氏郷】で統一させてもらいました。加えて話もエピソード中心です。だって逸話が熱いんだからしょうがない!もうね~副社長は好きなんですよね~昔っから関連本を何冊も読んだ戦国武将で、前田利家、島津義弘、立花宗茂とならぶ最古参のスキスキ武将です。家臣とのエピソードに事欠かない氏郷公ですが何回聞いても「こんなんホレてまうやろ~」がすぎてつらい・・・他にもリクエスト武将いたらどしどしコメしちゃってください~
彼が長く生きてたら歴史がどう変わってたか考えるだけでも面白いですよね🤣
その信念…に信念で返す部下達が、喜んでその人に着いていきたいと思わせる人柄が蒲生氏郷の氏郷足る由縁ですね✨氏郷が生きてたら、責めて…後継者が育つまで生きてたら…今の世の中また違ってたのかも…臆病者になることさえも恐れない男と見抜いたんだろうな……
木村重成をお願いします!
偉大なナンバー2、豊臣秀長も面白い。秀吉が信長に使え初めて信頼出来る家臣が秀長、彼は兄より優れていて外交、軍事、政治、経済において完璧な結果を出す万能の天才。あの鬼島津すら感服してしまう程の能力をもち、兄である秀吉に唯一諌言が出来る数少ない人であり、それでいて兄である秀吉の威光を振りかさず臣下として礼節を守る。まさに、兄より優れた弟と言うべき存在ですが性格は氏郷とは違うかもしれませんが、温厚で実直な性格であり。誰からも好かれる人物であったのと、領国統治者として寺社勢力が強い大和国を統治し果断な決断も出来た付け入る隙が無い位の人物。ですが、道半ばで病に倒れてしまい秀吉が「片腕を失った!」喚いて泣く程に衝撃が凄く。秀長が亡くなった後は秀吉の暴走を誰も止める事が出来ず、利休の切腹や秀次切腹など豊臣家が坂を降る様に傾いてしまった。「秀長が生きていれば」と呼ばれる程に偉大過ぎるナンバー2だったと言わざる得ない。秀長は銀河英雄伝説に出てくるジークフリード・キルヒアイスと言うべき存在です。(因みに、ラインハルトはキルヒアイスが倒れた時に誰の目を憚らず感情を顕にしています)
@@2000me 一心同体…
俺の地元会津だけど、中学校の時に蒲生氏郷を熱く語ってくれた社会の先生にめっちゃ感謝。子供ながら辞世の句にとても感動したのを今でもはっきり覚えてる。
大阪から三重に転勤になり、松阪市で毎年行われる氏郷まつりを知りました。なぜ初代城主が令和の時代になっても慕われているのか不思議でしたが、この動画を見て理由がわかりました。
畳で転んだ人をフォローするエピソードかっこよすぎる
この人に着いて行こうと思いますね
氏郷ファンです。取り上げていただきありがとうございました。以前、管理職昇格レポートに、氏郷の蒲生風呂や鯰尾兜の話などのエピソードを盛り込んで書きました。岩石城攻め・名生城攻めにみられる、電光石火の早業も好きなところです。海音寺潮五郎の『武将列伝』と松本清張の『奥羽の二人』は、氏郷の魅力がふんだんに描かれているのでおすすめです。
蒲生氏郷と前田利家は繋がりが非常に深く、この二家を合わせると約170万石となり徳川家に対抗できる力を持つことになりますさらに細川家を始め、利休門下の人脈もめちゃくちゃ広いので戦時には味方をかき集められるこの人物が早々に亡くなった事は家康公の幸運の一つだと思います
徳川幕府の成立ってこう考えると、まさに、針の穴を通すレベルの確率だったことが伺えますね😅前田家も上杉家も蒲生家も義理難いので、関ヶ原では間違いなく豊臣方に味方したでしょうからね。そもそも、前田利家か蒲生が生きていたら家康は上杉征伐もできず大人しくしていたでしょうから関ヶ原の戦いも江戸幕府もなく、豊臣政権は秀頼までは続いてさいたわけか🤔でも、後継者争いで揉めて再度戦乱の世の中になっていた可能性もあるので、徳川幕府の成立で戦乱の世が終わったのは結果としては良かったのかも。
蒲生氏郷五大老位の能力と石高はあるけれどな。
利家は信長の小姓の初代だし、先陣切って戦うのも似てるし、利家を尊敬してたエピソードもあるし、利長とは兄弟のような関係だったし姻戚関係もあるし蒲生と前田の関係は強固だったんだろうね。さらに宇喜多、上杉も確実に味方だから、もし氏郷が生きていたら間違いなく家康は負けてただろうね。
蒲生氏郷は家康の東国統治の与力扱いで氏郷死後も親戚になってるように徳川シンパなのでおそらく家康に付くと思いますよそもそも氏郷にとっても重用してくれた信長ならまだしも秀吉にそこまで恩あるわけではなく義理もないですね
@@真島吾郎-i2r そうなんですか??前田と蒲生はゆかりが深いと思いますし秀吉亡き後の天下人の話をしてた時に氏郷は利家を押してたとの話もあったりしますよね(逸話なので事実かどうかは不明ですか)当時家康に毒殺されたのではとの噂も出たくらいですから、家康との関係が強固とも思えないのですが。
めっちゃくちゃいい上司すぎてやべえな……これは全力でついていくよな…
気は優しくて力持ち。締めるところは締め、厳しいところもあるが、なんだかんだ言って情には厚い。慕われるリーダーだな。
蒲生氏郷、戦国最強の仁将と言っても過言ではないでしょうね、部下思いで自らも果敢に戦う信念を持ち、誰からも愛される武将だったんじゃないかな。今の世の中でもここまでの人ってなかなか居ないよな、戦国武将の中で理想の上司決定戦をしたら戦国武将に詳しい人なら間違いなく優勝候補に挙がるだろうね。
前田利家も挨拶に来た年老いた武士が、家臣が沢山居る前で転んでしまってその時は家臣が大笑いして馬鹿にしたら、「年寄りが体が弱いのは当然の事だ!それを手も差し出さずに馬鹿にするとは何事か!」言って激怒して、その後その転んだ武士に「今笑った家臣を全員切腹にするから許して欲しい」言って謝罪して、感動した武士が「殿のその謝罪だけで十分です。だから切腹は勘弁してあげて下さい」と泣きながら言ってその場が済んだ似た様な話がある。
いい男だなぁ!
そういえば島津の殿様 義弘?にも似た話しがありました〇〇は戦場の勇士、おまえら畳の上の小姓とは違うわ!
この動画何回も見てしまうほど心揺さぶる好きな話😊
生まれも育ちも会津の俺、蒲生氏郷は一番好きな戦国武将です。会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は、蒲生氏郷の幼名だった鶴千代が由来だったとか。ちなみに氏郷は築城や開墾の腕前も相当なもので、会津若松市内には未だに氏郷の面影が残っています。その中でも特に印象的なのは「大町四角」という交差点。この交差点は綺麗な十字ではなく、東西方向が少しオフセットしているんですが、元々は水路だったところに道路が造られており、オフセットしている理由が「水路の水が均等に行き渡るためにわざと抵抗を付けた」のだとか…大町四角以外にも至る所にそういった変則交差点があり、その灌漑工事のおかげで田畑に充分な水が供給され作物が豊富に実った聞いたことがあります。気付くと自分は氏郷の享年と同じ歳になっておりました。毎年春、桜が咲く時期に満開の桜越しに観る鶴ヶ城を写真に収めているのですが、今年の写真は特に感慨深い一枚になりそうです。昨今のクソみたいな政治家や会社のファッキン経営者も氏郷を見習って欲しいと思いつつ、自分も会津人としてかくあるべきと気の引き締まる思いになりました。
蒲生氏郷理想の上司って感じがして大好きな武将ですいつか大河の主役になって欲しいなぁ
そんなに長くいなかったと思うんですが、松阪では今でも氏郷祭りっていうのやってますとても慕われていたようです
素晴らしい内容でした。氏郷は武勇も素晴らしいけど、内政・経済政策も素晴らしいんですよね。さすが、近江生まれで、近江商人を身近に見て育ったからでしょうね。
恥ずかしながら名前は知っていたけど、蒲生氏郷の中身は全然知らなかった。今回の動画を見て一気に好きになりました!こんなすごい武将がいたんですね。もっと知られて、評価されていい武将だと思いました。大河とかでも扱ってほしい!
自分も名前と能力が凄い武将程度しか知らない人間だったので偉そうなことは言えませんが、何で大河やってないのか分からないですね。鎌倉より氏郷やるべきでしょう。
「独眼竜政宗」観てましたが、政宗のライバルの一人だったが結局政宗にしてやられたイメージでした😅しかし若くして病に倒れなければ、家康にとって最も脅威になり得る存在だったとは。
一番好きな武将だから嬉しい😂短命で終わったのが残念
かっこいい武将ですよね!!
蒲生氏郷や大谷吉継みたいに信念というか筋が一本立ってる人物は好感持てる
蒲生氏郷好き。エピソード聞いて笑うところも多かったけど、じ~~~んと心が熱くなりました。強くても、やはり心あたたかくて、慕われることって本当になかなかできないと思います。しかも、常に行動で示すって難しいですもんね。寸分の狂いもなく、いい人だったんだなと、、いつも勉強になる動画ありがとうございます!戦国歴史好きになることができ、感謝です!
久々の戦国武将での解説ありがとうございます。確か、蒲生旧臣の多くは後に石田三成の家臣になったと聞いた事があります。そう考えると、三成は豊臣家の未来と同郷の蒲生家の未来を背負いながら関ヶ原で戦った事になりますよね。
三成は誤解されやすかったけど、分かる人には分かってとても好かれてたそうです。
こんなに感動したのは久しぶりです!かくも大きな器の人物に半歩でも近づけたらと気持ちを新たにいたしました。本当にありがとうございます。
どんな人材でも使い道はあると、色んな人を扱った。一番好きな大名の1人だからやってくれて嬉しかった( ´ー`)
会津出身です、蒲生氏郷はキリシタン大名だったんで会津に教会沢山出来たそうです。禁教令出たあと大変だった。
こんなに凄い日本人が居たかと思うと綺羅星の如く輝いた人が居たんだなぁ。歴史は個性豊かな人が織りなす極上のドラマ。
ありがとうございます氏郷様待ってました!
親戚はほとんど滋賀在住祖父より、この方の末裔と聞かされており、この動画にたどりつき感心しました。ありがとうございます。
エピソードがどれも好きすぎる
上司になって欲しい戦国武将ナンバー1で、大好きな武将の紹介で嬉しいです!
氏郷泣ける😭こんな凄い武将だったのか。大河級ではないか。
初めて知ったけど、この人めちゃくちゃカッコええやんか!!こんな偉人こそ大河で取り上げてくれ!!
露伴の「蒲生氏郷」読んだことあって、政宗と茶室で駆け引きしたり、わざと城攻めさせてみせる心理戦が面白かったです!
蒲生氏郷、滝川一益、大谷吉継とか、器用で有能な武将が好きだわ
福島の会津出身なんだけど、江戸時代の会津藩はよく知られているのに比べて、蒲生氏郷はあまり知らなかったからいい勉強になった
辞世の句のどことなく切なく寂しい雰囲気が漂ってるところも含めて好き
氏郷はキリシタン大名で洗礼も受けてましたし、家臣の風呂を焚いたのはキリストが弟子の足を洗ったことに倣ったのかも知れませんね。当時の武人として一流でありながら、国内外の価値観に融通無碍に理解を示したのがエモいと思います。
なるほど。
信長の野望で異様にステータス高いのが謎だったけどこの動画で納得。
いやいや、信長の野望では過少評価だろ能力平均80代の藤堂高虎とか前田利家ぐらいのレベル
一番好きな戦国大名!もっと知られるべきなので高評価押しときます
会津出身です。今の会津の基礎を築かれたのは蒲生氏郷氏です。現在の鶴ヶ城(若松城)が赤瓦なのは、蒲生氏郷が故郷近江の職人を会津に呼んで瓦をつくったときのものを再現したものです。また、その近江の職人の技術は会津本郷焼として今なお継承されています。
子供の時に見た「独眼竜正宗」で気に入らない敵役ぐらいの印象しかありませんでした。ありがとうございます。
副社長が武将紹介なんか新鮮な気がするw
1987年NHK大河ドラマ独眼竜政宗では渡辺謙さん演じる伊達政宗のライバルとして描かれてたけど、寺泉憲さん演じる蒲生氏郷はかっこよかったと思います。
地元が蒲生郡日野です。とても光栄に思います。
蒲生氏郷は家康嫌いで有名だったので、もし関が原まで生きていたら間違いなく西軍側で参戦していたでしょうね。ただ領地の関係上、上杉が越後のままだったと仮定しても上杉蒲生VS伊達最上で東北の戦になりそうで、関が原本戦に参加するのは難しそうかな?蒲生軍を警戒して徳川は関東にそれなりの大軍を残さないといけなかっただろうからそういう意味では中央の東軍兵力(徳川旗本)がいくらか減った可能性はあるのかも。なんにせよ、もし生きていたらってのを考えると楽しい武将です。氏郷は心が暖かいと感じますね。そりゃみんなついていくよなぁ。早死にしたのがつくづく悔やまれます。
好き嫌いでを基準にそんなこと選ばなさそう
天下は前田!家康はケチだからダメの逸話の話ならアレは元ネタ加賀藩が書いたやつなんで加賀藩による前田利家様マンセーだと個人的には思ってる
氏郷が家康を嫌っているという一次史料はないです家康はケチ云々の逸話は江戸時代に作られたもので創作臭いですし逆に家康には会津及び奥州の統治の手助けしてもらっていた立場です
副社長の解説がいつも優秀で聞いていて楽しです。これからも頑張ってください!
教えてくださってありがとう。一生忘れない。
天才(氏郷)が魔王に出会ってしまったのか…氏郷は、只の猪武者では無くて、何度も領地を代わってるのに…出た土地も新しい土地も栄えてる✨その辺りは、副社長のエピソードでは、無いですが魔王信長の英才教育を受けたエリートだったんでしょうね蒲生風呂か……人を、人材を人財として大事にするんですね✨士気が高いのは、愛情と給与…人に信念を求めるが自分も信念で返すのか……勉強になるな自分に着いてこいってのも、あえて自分とは言わず、兜や鎧等シンボルに着いてこい(自分の死後もその後継者に…その後継者たれ)と言うのは……何より自分が引っ張るだけでなく後輩の育成も考えていたもしくは、考えなくても出来ていた生き方が見えるようなエピソードですね
めちゃくちゃカッコいいですね!戦国武将とか好きですけどそこまで詳しくないので、もっとマイナーな武将も紹介してほしいです!
蒲生氏郷という武将を知りませんでした...こんなにも凄い武将が居たんですね。
一番好きな武将動画でも触れた銀箔押鯰尾兜は最高にカッコイイ褒美として蒲生姓を与えたからみんな蒲生になって結局元の姓で呼び合ったとか実に微笑ましい早世して「カリスマが去れば乱れる」の法則が発動してしまったのが本当に残念
まさにチトーが死んだ後のユーゴスラビアですわ😭歴史は繰り返す😭
そういう意味では上杉景勝は優秀でしたね。我が岡山の宇喜多は八丈島へ島流しにされちゃいました😭今では岡山では、池田の殿様〜と慕われてますが、個人的には戦国時代を下剋上で生き抜いた宇喜多の殿様の方がよかったな…
せめて、世継ぎが成長していたら……。
かなり信長テイストが注入された具足ですね。
氏郷はマジ凄い武将ですよね。豊臣は氏郷が怖いから会津に追いやったらしいですね。しかも石が少なくても京が近かったらと、泣いたと聞いた事ありますね。
一番好きな人。大河になる前にやってくれてありがとうございます!
最強武将蒲生氏郷♪大好きな武将を取り上げてくれてありがとうございます。これからも身体に気を付けて頑張って下さい。
副社長の氏郷「愛」が伝わってきました。戦国若獅子の魅力炸裂動画。
一番好きな戦国武将です!いやぁ熱い、嬉しいですね。
蒲生氏郷と同じ場所で生まれることができたのが誇りです。
こんなに凄い武将だったんだね 今の社会でもそうだけどやっぱ上からガミガミ言ってるだけじゃなくて率先して汚れ仕事をやっていく上司を見ると必死に着いていく気持ちが出てくるよね 戦国時代でもこういう人がいたのが驚き
鳥肌たったあんまり日本史は興味なかったけど、好きな武将ができたわ
今までで一番面白かったです。
大好きでまた地元の武将を取り上げていただきありがとうございます。文武両道、治世や人身掌握にも長けた稀に見る人物で、もっと評価されて良いと思います。早世したのが、本当に惜しいです。
すげぇ面白かった。蒲生氏郷、俺も好きだっただけに、嬉しい。
いやぁ泣いた泣いた!良い回でした。ありがとうございます。
裸エプロンならぬ、裸甲冑という新ジャンルをありがとうございます……!
素晴らしい内容でした
三重県の松阪城跡の郷土資料館に蒲生氏郷侯の資料があり、興味を覚えたところにタイムリーに解説して頂き、ありがとうございました。
同じ日野町の生まれとして誇りに思います。
今回もめちゃめちゃ面白かったです!解説付きで信長の野望とか歴史ゲームをプレーしてほしいと思いました!笑
蒲生氏郷を紹介して頂きありがとうございます!!😭
氏郷を取り上げていただいてありがとうございます。知らない事もあり大変勉強になりました。
私は家臣西村の子孫なのですが、相撲の話は代々語り継がれていました。西村は一旦クビになったあと、どの家にも仕官することなく氏郷への忠義を貫いていたそうです。本当に素晴らしい殿様だと思います。
いい話しですね、戦場でした失敗ってどんなのですか?
@@pontarou01 秀吉の九州攻めの際に蒲生軍は先鋒を任されていたのですが、抜け駆けの軍規違反をしました。抜け駆けは大成功で秀吉直々に表彰されるのですが、動画でもあったように軍規違反に厳しい人だったようなので追放となったそうです。
@@KeiOnpu ご回答ありがとうございます。なる程、今で言うなら、労基よりも社則が優先ってとこですな。
蒲生氏郷は築城の名手とも言われているので、そのエピソードも欲しかったです日野の氏郷祭りには松阪や会津の人も参加するらしいので、どこでも人気者ですね
惚れ込まずにはいられない人物ですね。早逝が惜しまれる。
松阪出身として、この動画は大変嬉しいです!
天王寺の戦いで最前線で戦った信長や甲州征伐の時に陣頭に立って高遠城に乗りこんでいった信忠を見るに氏郷の陣頭に立って突撃するのは間違いなく信長の影響あるのかもしれない 高山右近・黒田官兵衛・蒲生氏郷(大谷吉継もそうだったといわれる)辺りのキリシタン系武将は人柄かなり良い話多いよね。
島津義弘が一番好きな戦国武将でしたが、蒲生氏郷の話を聞いて、好きレベルが一気に義弘公と双璧をなす人物となりました!2:49 「陣頭指揮」の精神…こんなもん見せられたら惚れてまうやろ〜っすわ!
とてもよかったです。あけましておめでとうございます。応援しております。
蒲生氏郷格好いいなぁ
めちゃくちゃカッコイイな蒲生氏!カリスマ過ぎる!
最上義光も家臣の領地多めに配分した結果、義光の死後の世代が家臣に舐められまくって孫の代で騒動が起きて改易でしたっけ。やっぱ部下との距離感と支配って大事ですね。自分の代はよくても次に続かなくなる。
黒田長政の息子忠之も栗山善助ら官兵衛時代からの功臣らとの軋轢で騒動起きてますね…毛利輝元や上杉景勝とかは逆に負けたことで近世大名にランクアップできたのかも
最上義光も人情家でしたからね。
蒲生氏郷の燕尾形って甲冑めちゃくちゃカッコイイよね。
凄いお話ですね💦NHKの大河ドラマの構成に呼ばれそうですね大河でみたいです!
ありがとうございます!
学ぶことが多そうな方だったんだな。。本当に惜しい人を失くした。。
氏郷いい人だよなぁ〜
めちゃくちゃ良い話!氏郷になる
会津の領主になって、黒川を今の若松に改名して鶴ヶ城に七層の巨大な天守を建築瓦に金箔を貼り付け権力を見せたし家臣も大事にしていたし家臣のためにお風呂を炊くなんてどんだけいい人なんだよ 部下を扱うのがうまいし戦いにも強い伊達政宗がいるから会津にいれて守りを固めたかったから秀吉さんが信頼していたから頼んだのだとやはり思いますね。もし福島県会津に機会があればぜひ来てください、おすすめの周辺の城跡、古墳や史跡を教えますね
自分が住んでると、雪は多いクソ田舎で海はねぇ田んぼしかねぇ遊ぶところはドンキくらいしかねぇ…って憂鬱な土地って思ってたけど、こういう話聞くとなんやかんや会津って昔はすげぇ重要な土地だったって実感が湧きますね〜wまぁとりあえず、キャンプ場いっぱいあるのと、ドンキ(旧アピタ)内のタリーズに加えて新しくスタバが出来たから今のところ幸せwww
見事なる哉!武者の鏡というべし!
氏郷の家臣の岡左内という人物もなかなか面白くカッコいいので是非解説お願いします!
独眼竜政宗を子供のころ見たときは敵役だったけど、内容知ったら政宗よりも氏郷に好感を持っていました。さらに詳しく教えてくださりありがとうございます。
滋賀の民として嬉しい動画ですね~
アレキサンダー大王の没後のようだ。それだけ絶大な信頼と絆で結ばれていたんだな…
あぁ、やっぱり、蒲生氏郷は名将だなぁ。あとは、子供たちが早くに死ななかったらなぁ。お家断絶は、悲しい😢。
人間力すごすぎる。魅力的ですね。
人心掌握が相当上手だったんだろうなぁ。だからこそ早く死んでしまったのが惜しい。
個人的な経験だけど、本来の仕事は別にあるのに下の立場の人間と同じ作業を積極的にやる上司って部下に慕われるよね。ただ、そういう人は何でも自分でやってしまいがちで、いなくなったときにたちまち組織が機能しなくなるのが欠点だと思う。でも僕はそういう氏郷みたいな人間がすごく好きです。
なんでも自分ですると仕事を奪うことになるもんな
…昔懐かしいアニメ一休さんでは新右衛門さんが病気療養中に将軍様が何かに付けて用事を頼もうにも新右衛門さんが居ないと回らないって話を思い出す…🤔
実際に氏郷死後にお家騒動起こってますからね1人の人間として見るか統治者として見るかで評価が大分変わりますね蒲生氏郷
結構、家臣との関係性において藤堂高虎と考え方が似てる高虎は、家臣は俸禄を得るのは当然のことと考える。いくら、恩賞を与えようがそれを当然だと思えば、戦場で死地を共にしてもいざという場で下知に従わないだろう。しかし、情けを受ければその恩は忘れまい。として、転職に失敗したやつとか再就職にも一部例外を除いて認めている。渡辺了など、自身の体面重視した人物などは許さんかったが、人というのを良く理解して扱いにたけていたんでしょう。
熱いぜ
信長の直参上がりで出世する人は結構短命なんですよね。堀秀政も小田原陣で病没した時が39とかその辺だし、氏郷もその辺ですもんね。配下の武将にはスペインの軍人上がりの武将とかいて、九州攻めで武功があったそうだし、蒲生家が秀吉に言いがかりつけられて減封になった時にそこの家臣を諸大名が血眼で招聘したといいますよね。関ヶ原で織田有楽斎に切り付けた蒲生郷舍もそんな中の一人ですね
蒲生氏郷やってくれて嬉しい😆
滋賀県の『日野町出身者』としては、郷土に銅像があることが記念に残っているな。日野町には馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社があり、その近辺を【若松】と言っていたんだが、その【若松】の名前から【会津若松】の名前を付けたんだよね!
蒲生氏郷や堀秀政が長生きしたら歴史の流れはまた違っていたと思う
どちらも信長にかなり気に入られてた若手でしたっけ?家康が天下を取るのも難しかったかもですね。
「長生きしていたら説」は、なんでもありになっちゃうからなあ
@@hymn13 だからこそ面白い
仙石や藤堂、石田の人生も変わっていたかもしれないですね。
秀長秀次隆景利家がおれば…
遅くなったけどみなさま明けましておめでとうございます!
今年もどしどし動画をあげていくつもりなので、どうぞよろしくお願いしますぞ~
さて今回は蒲生氏郷!一応、名前は洗礼名を含め何回か変わってますけど【氏郷】で統一させてもらいました。加えて話もエピソード中心です。だって逸話が熱いんだからしょうがない!
もうね~副社長は好きなんですよね~
昔っから関連本を何冊も読んだ戦国武将で、前田利家、島津義弘、立花宗茂とならぶ最古参のスキスキ武将です。家臣とのエピソードに事欠かない氏郷公ですが何回聞いても「こんなんホレてまうやろ~」がすぎてつらい・・・
他にもリクエスト武将いたらどしどしコメしちゃってください~
彼が長く生きてたら歴史がどう変わってたか考えるだけでも面白いですよね🤣
その信念…に信念で返す
部下達が、喜んでその人に着いていきたいと思わせる人柄が蒲生氏郷の氏郷足る由縁ですね✨
氏郷が生きてたら、責めて…後継者が育つまで生きてたら…今の世の中また違ってたのかも…
臆病者になることさえも恐れない男と見抜いたんだろうな……
木村重成をお願いします!
偉大なナンバー2、豊臣秀長も面白い。秀吉が信長に使え初めて信頼出来る家臣が秀長、彼は兄より優れていて外交、軍事、政治、経済において完璧な結果を出す万能の天才。あの鬼島津すら感服してしまう程の能力をもち、兄である秀吉に唯一諌言が出来る数少ない人であり、それでいて兄である秀吉の威光を振りかさず臣下として礼節を守る。まさに、兄より優れた弟と言うべき存在ですが性格は氏郷とは違うかもしれませんが、温厚で実直な性格であり。誰からも好かれる人物であったのと、領国統治者として寺社勢力が強い大和国を統治し果断な決断も出来た付け入る隙が無い位の人物。ですが、道半ばで病に倒れてしまい秀吉が「片腕を失った!」喚いて泣く程に衝撃が凄く。秀長が亡くなった後は秀吉の暴走を誰も止める事が出来ず、利休の切腹や秀次切腹など豊臣家が坂を降る様に傾いてしまった。「秀長が生きていれば」と呼ばれる程に偉大過ぎるナンバー2だったと言わざる得ない。秀長は銀河英雄伝説に出てくるジークフリード・キルヒアイスと言うべき存在です。(因みに、ラインハルトはキルヒアイスが倒れた時に誰の目を憚らず感情を顕にしています)
@@2000me 一心同体…
俺の地元会津だけど、中学校の時に蒲生氏郷を熱く語ってくれた社会の先生にめっちゃ感謝。子供ながら辞世の句にとても感動したのを今でもはっきり覚えてる。
大阪から三重に転勤になり、松阪市で毎年行われる氏郷まつりを知りました。
なぜ初代城主が令和の時代になっても慕われているのか不思議でしたが、この動画を見て理由がわかりました。
畳で転んだ人をフォローするエピソードかっこよすぎる
この人に着いて行こうと思いますね
氏郷ファンです。取り上げていただきありがとうございました。
以前、管理職昇格レポートに、氏郷の蒲生風呂や鯰尾兜の話などのエピソードを盛り込んで書きました。岩石城攻め・名生城攻めにみられる、電光石火の早業も好きなところです。
海音寺潮五郎の『武将列伝』と松本清張の『奥羽の二人』は、氏郷の魅力がふんだんに描かれているのでおすすめです。
蒲生氏郷と前田利家は繋がりが非常に深く、この二家を合わせると約170万石となり徳川家に対抗できる力を持つことになります
さらに細川家を始め、利休門下の人脈もめちゃくちゃ広いので戦時には味方をかき集められる
この人物が早々に亡くなった事は家康公の幸運の一つだと思います
徳川幕府の成立ってこう考えると、まさに、針の穴を通すレベルの確率だったことが伺えますね😅
前田家も上杉家も蒲生家も義理難いので、関ヶ原では間違いなく豊臣方に味方したでしょうからね。
そもそも、前田利家か蒲生が生きていたら家康は上杉征伐もできず大人しくしていたでしょうから関ヶ原の戦いも江戸幕府もなく、豊臣政権は秀頼までは続いてさいたわけか🤔
でも、後継者争いで揉めて再度戦乱の世の中になっていた可能性もあるので、徳川幕府の成立で戦乱の世が終わったのは結果としては良かったのかも。
蒲生氏郷
五大老位の能力と石高はあるけれどな。
利家は信長の小姓の初代だし、先陣切って戦うのも似てるし、利家を尊敬してたエピソードもあるし、利長とは兄弟のような関係だったし姻戚関係もあるし蒲生と前田の関係は強固だったんだろうね。
さらに宇喜多、上杉も確実に味方だから、もし氏郷が生きていたら間違いなく家康は負けてただろうね。
蒲生氏郷は家康の東国統治の与力扱いで氏郷死後も親戚になってるように徳川シンパなのでおそらく家康に付くと思いますよ
そもそも氏郷にとっても重用してくれた信長ならまだしも秀吉にそこまで恩あるわけではなく義理もないですね
@@真島吾郎-i2r
そうなんですか??
前田と蒲生はゆかりが深いと思いますし
秀吉亡き後の天下人の話をしてた時に氏郷は利家を押してたとの話もあったりしますよね(逸話なので事実かどうかは不明ですか)
当時家康に毒殺されたのではとの噂も出たくらいですから、家康との関係が強固とも思えないのですが。
めっちゃくちゃいい上司すぎてやべえな……
これは全力でついていくよな…
気は優しくて力持ち。締めるところは締め、厳しいところもあるが、なんだかんだ言って情には厚い。慕われるリーダーだな。
蒲生氏郷、戦国最強の仁将と言っても過言ではないでしょうね、部下思いで自らも果敢に戦う信念を持ち、誰からも愛される武将だったんじゃないかな。
今の世の中でもここまでの人ってなかなか居ないよな、戦国武将の中で理想の上司決定戦をしたら戦国武将に詳しい人なら間違いなく優勝候補に挙がるだろうね。
前田利家も挨拶に来た年老いた武士が、家臣が沢山居る前で転んでしまって
その時は家臣が大笑いして馬鹿にしたら、「年寄りが体が弱いのは当然の事だ!
それを手も差し出さずに馬鹿にするとは何事か!」言って激怒して、その後
その転んだ武士に「今笑った家臣を全員切腹にするから許して欲しい」言って
謝罪して、感動した武士が「殿のその謝罪だけで十分です。だから切腹は勘弁してあげて下さい」
と泣きながら言ってその場が済んだ似た様な話がある。
いい男だなぁ!
そういえば
島津の殿様 義弘?
にも似た話しがありました
〇〇は戦場の勇士、おまえら畳の上の小姓とは違うわ!
この動画何回も見てしまうほど心揺さぶる好きな話😊
生まれも育ちも会津の俺、蒲生氏郷は一番好きな戦国武将です。
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は、蒲生氏郷の幼名だった鶴千代が由来だったとか。
ちなみに氏郷は築城や開墾の腕前も相当なもので、会津若松市内には未だに氏郷の面影が残っています。
その中でも特に印象的なのは「大町四角」という交差点。
この交差点は綺麗な十字ではなく、東西方向が少しオフセットしているんですが、元々は水路だったところに道路が造られており、オフセットしている理由が「水路の水が均等に行き渡るためにわざと抵抗を付けた」のだとか…
大町四角以外にも至る所にそういった変則交差点があり、その灌漑工事のおかげで田畑に充分な水が供給され作物が豊富に実った聞いたことがあります。
気付くと自分は氏郷の享年と同じ歳になっておりました。
毎年春、桜が咲く時期に満開の桜越しに観る鶴ヶ城を写真に収めているのですが、今年の写真は特に感慨深い一枚になりそうです。
昨今のクソみたいな政治家や会社のファッキン経営者も氏郷を見習って欲しいと思いつつ、自分も会津人としてかくあるべきと気の引き締まる思いになりました。
蒲生氏郷
理想の上司って感じがして大好きな武将です
いつか大河の主役になって欲しいなぁ
そんなに長くいなかったと思うんですが、松阪では今でも氏郷祭りっていうのやってます
とても慕われていたようです
素晴らしい内容でした。
氏郷は武勇も素晴らしいけど、内政・経済政策も素晴らしいんですよね。さすが、近江生まれで、近江商人を身近に見て育ったからでしょうね。
恥ずかしながら名前は知っていたけど、蒲生氏郷の中身は全然知らなかった。今回の動画を見て一気に好きになりました!こんなすごい武将がいたんですね。もっと知られて、評価されていい武将だと思いました。大河とかでも扱ってほしい!
自分も名前と能力が凄い武将程度しか知らない人間だったので偉そうなことは言えませんが、何で大河やってないのか分からないですね。鎌倉より氏郷やるべきでしょう。
「独眼竜政宗」観てましたが、政宗のライバルの一人だったが結局政宗にしてやられたイメージでした😅
しかし若くして病に倒れなければ、家康にとって最も脅威になり得る存在だったとは。
一番好きな武将だから嬉しい😂
短命で終わったのが残念
かっこいい武将ですよね!!
蒲生氏郷や大谷吉継みたいに信念というか筋が一本立ってる人物は好感持てる
蒲生氏郷好き。エピソード聞いて笑うところも多かったけど、じ~~~んと心が熱くなりました。
強くても、やはり心あたたかくて、慕われることって本当になかなかできないと思います。
しかも、常に行動で示すって難しいですもんね。
寸分の狂いもなく、いい人だったんだなと、、
いつも勉強になる動画ありがとうございます!
戦国歴史好きになることができ、感謝です!
久々の戦国武将での解説ありがとうございます。
確か、蒲生旧臣の多くは後に石田三成の家臣になったと聞いた事があります。
そう考えると、三成は豊臣家の未来と同郷の蒲生家の未来を背負いながら関ヶ原で戦った事になりますよね。
三成は誤解されやすかったけど、
分かる人には分かってとても好かれてたそうです。
こんなに感動したのは久しぶりです!かくも大きな器の人物に半歩でも近づけたらと気持ちを新たにいたしました。本当にありがとうございます。
どんな人材でも使い道はあると、色んな人を扱った。
一番好きな大名の1人だからやってくれて嬉しかった( ´ー`)
会津出身です、蒲生氏郷はキリシタン大名だったんで会津に教会沢山出来たそうです。禁教令出たあと大変だった。
こんなに凄い日本人が居たかと思うと
綺羅星の如く輝いた人が居たんだなぁ。
歴史は個性豊かな人が織りなす極上のドラマ。
ありがとうございます氏郷様待ってました!
親戚はほとんど滋賀在住
祖父より、この方の末裔と聞かされており、この動画にたどりつき感心しました。
ありがとうございます。
エピソードがどれも好きすぎる
上司になって欲しい戦国武将ナンバー1で、大好きな武将の紹介で嬉しいです!
氏郷泣ける😭こんな凄い武将だったのか。大河級ではないか。
初めて知ったけど、この人めちゃくちゃカッコええやんか!!
こんな偉人こそ大河で取り上げてくれ!!
露伴の「蒲生氏郷」読んだことあって、政宗と茶室で駆け引きしたり、わざと城攻めさせてみせる心理戦が面白かったです!
蒲生氏郷、滝川一益、大谷吉継とか、器用で有能な武将が好きだわ
福島の会津出身なんだけど、江戸時代の会津藩はよく知られているのに比べて、蒲生氏郷はあまり知らなかったからいい勉強になった
辞世の句のどことなく切なく寂しい雰囲気が漂ってるところも含めて好き
氏郷はキリシタン大名で洗礼も受けてましたし、
家臣の風呂を焚いたのはキリストが弟子の足を洗ったことに倣ったのかも知れませんね。
当時の武人として一流でありながら、国内外の価値観に融通無碍に理解を示したのがエモいと思います。
なるほど。
信長の野望で異様にステータス高いのが謎だったけどこの動画で納得。
いやいや、信長の野望では過少評価だろ
能力平均80代の藤堂高虎とか前田利家ぐらいのレベル
一番好きな戦国大名!
もっと知られるべきなので高評価押しときます
会津出身です。今の会津の基礎を築かれたのは蒲生氏郷氏です。現在の鶴ヶ城(若松城)が赤瓦なのは、蒲生氏郷が故郷近江の職人を会津に呼んで瓦をつくったときのものを再現したものです。また、その近江の職人の技術は会津本郷焼として今なお継承されています。
子供の時に見た「独眼竜正宗」で気に入らない敵役ぐらいの印象しかありませんでした。
ありがとうございます。
副社長が武将紹介なんか新鮮な気がするw
1987年NHK大河ドラマ独眼竜政宗では渡辺謙さん演じる伊達政宗のライバルとして描かれてたけど、寺泉憲さん演じる蒲生氏郷はかっこよかったと思います。
地元が蒲生郡日野です。
とても光栄に思います。
蒲生氏郷は家康嫌いで有名だったので、もし関が原まで生きていたら
間違いなく西軍側で参戦していたでしょうね。
ただ領地の関係上、上杉が越後のままだったと仮定しても
上杉蒲生VS伊達最上で東北の戦になりそうで、関が原本戦に参加するのは難しそうかな?
蒲生軍を警戒して徳川は関東にそれなりの大軍を残さないといけなかっただろうから
そういう意味では中央の東軍兵力(徳川旗本)がいくらか減った可能性はあるのかも。
なんにせよ、もし生きていたらってのを考えると楽しい武将です。
氏郷は心が暖かいと感じますね。そりゃみんなついていくよなぁ。
早死にしたのがつくづく悔やまれます。
好き嫌いでを基準にそんなこと選ばなさそう
天下は前田!家康はケチだからダメの逸話の話ならアレは元ネタ加賀藩が書いたやつなんで加賀藩による前田利家様マンセーだと個人的には思ってる
氏郷が家康を嫌っているという一次史料はないです
家康はケチ云々の逸話は江戸時代に作られたもので創作臭いですし
逆に家康には会津及び奥州の統治の手助けしてもらっていた立場です
副社長の解説がいつも優秀で聞いていて楽しです。これからも頑張ってください!
教えてくださってありがとう。一生忘れない。
天才(氏郷)が魔王に出会ってしまったのか…
氏郷は、只の猪武者では無くて、何度も領地を代わってるのに…出た土地も新しい土地も栄えてる✨その辺りは、副社長のエピソードでは、無いですが魔王信長の英才教育を受けたエリートだったんでしょうね
蒲生風呂か……人を、人材を人財として大事にするんですね✨
士気が高いのは、愛情と給与…人に信念を求めるが自分も信念で返すのか……勉強になるな
自分に着いてこいってのも、あえて自分とは言わず、兜や鎧等シンボルに着いてこい(自分の死後もその後継者に…その後継者たれ)と言うのは……何より自分が引っ張るだけでなく後輩の育成も考えていたもしくは、考えなくても出来ていた生き方が見えるようなエピソードですね
めちゃくちゃカッコいいですね!
戦国武将とか好きですけどそこまで詳しくないので、もっとマイナーな武将も紹介してほしいです!
蒲生氏郷という武将を知りませんでした...
こんなにも凄い武将が居たんですね。
一番好きな武将
動画でも触れた銀箔押鯰尾兜は最高にカッコイイ
褒美として蒲生姓を与えたからみんな蒲生になって結局元の姓で呼び合ったとか実に微笑ましい
早世して「カリスマが去れば乱れる」の法則が発動してしまったのが本当に残念
まさにチトーが死んだ後のユーゴスラビアですわ😭
歴史は繰り返す😭
そういう意味では上杉景勝は優秀でしたね。
我が岡山の宇喜多は八丈島へ島流しにされちゃいました😭
今では岡山では、池田の殿様〜と慕われてますが、個人的には戦国時代を下剋上で生き抜いた宇喜多の殿様の方がよかったな…
せめて、世継ぎが成長していたら……。
かなり信長テイストが注入された具足ですね。
氏郷はマジ凄い武将ですよね。
豊臣は氏郷が怖いから会津に追いやったらしいですね。
しかも石が少なくても京が近かったらと、泣いたと聞いた事ありますね。
一番好きな人。
大河になる前にやってくれてありがとうございます!
最強武将蒲生氏郷♪
大好きな武将を取り上げてくれてありがとうございます。
これからも身体に気を付けて頑張って下さい。
副社長の氏郷「愛」が伝わってきました。戦国若獅子の魅力炸裂動画。
一番好きな戦国武将です!
いやぁ熱い、嬉しいですね。
蒲生氏郷と同じ場所で生まれることができたのが誇りです。
こんなに凄い武将だったんだね 今の社会でもそうだけどやっぱ上からガミガミ言ってるだけじゃなくて率先して汚れ仕事をやっていく上司を見ると必死に着いていく気持ちが出てくるよね 戦国時代でもこういう人がいたのが驚き
鳥肌たった
あんまり日本史は興味なかったけど、好きな武将ができたわ
今までで一番面白かったです。
大好きでまた地元の武将を取り上げていただきありがとうございます。
文武両道、治世や人身掌握にも長けた稀に見る人物で、もっと評価されて良いと思います。
早世したのが、本当に惜しいです。
すげぇ面白かった。蒲生氏郷、俺も好きだっただけに、嬉しい。
いやぁ泣いた泣いた!良い回でした。ありがとうございます。
裸エプロンならぬ、裸甲冑という新ジャンルをありがとうございます……!
素晴らしい内容でした
三重県の松阪城跡の郷土資料館に蒲生氏郷侯の資料があり、興味を覚えたところにタイムリーに解説して頂き、ありがとうございました。
同じ日野町の生まれとして誇りに思います。
今回もめちゃめちゃ面白かったです!
解説付きで信長の野望とか歴史ゲームをプレーしてほしいと思いました!笑
蒲生氏郷を紹介して頂きありがとうございます!!😭
氏郷を取り上げていただいてありがとうございます。
知らない事もあり大変勉強になりました。
私は家臣西村の子孫なのですが、相撲の話は代々語り継がれていました。
西村は一旦クビになったあと、どの家にも仕官することなく氏郷への忠義を貫いていたそうです。
本当に素晴らしい殿様だと思います。
いい話しですね、戦場でした失敗ってどんなのですか?
@@pontarou01 秀吉の九州攻めの際に蒲生軍は先鋒を任されていたのですが、抜け駆けの軍規違反をしました。抜け駆けは大成功で秀吉直々に表彰されるのですが、動画でもあったように軍規違反に厳しい人だったようなので追放となったそうです。
@@KeiOnpu
ご回答ありがとうございます。
なる程、今で言うなら、労基よりも社則が優先ってとこですな。
蒲生氏郷は築城の名手とも言われているので、そのエピソードも欲しかったです
日野の氏郷祭りには松阪や会津の人も参加するらしいので、どこでも人気者ですね
惚れ込まずにはいられない人物ですね。
早逝が惜しまれる。
松阪出身として、この動画は大変嬉しいです!
天王寺の戦いで最前線で戦った信長や甲州征伐の時に陣頭に立って高遠城に乗りこんでいった信忠を見るに氏郷の陣頭に立って突撃するのは間違いなく信長の影響あるのかもしれない 高山右近・黒田官兵衛・蒲生氏郷(大谷吉継もそうだったといわれる)辺りのキリシタン系武将は人柄かなり良い話多いよね。
島津義弘が一番好きな戦国武将でしたが、蒲生氏郷の話を聞いて、好きレベルが一気に義弘公と双璧をなす人物となりました!
2:49 「陣頭指揮」の精神…こんなもん見せられたら惚れてまうやろ〜っすわ!
とてもよかったです。あけましておめでとうございます。応援しております。
蒲生氏郷格好いいなぁ
めちゃくちゃカッコイイな蒲生氏!カリスマ過ぎる!
最上義光も家臣の領地多めに配分した結果、義光の死後の世代が家臣に舐められまくって孫の代で騒動が起きて改易でしたっけ。
やっぱ部下との距離感と支配って大事ですね。
自分の代はよくても次に続かなくなる。
黒田長政の息子忠之も栗山善助ら官兵衛時代からの功臣らとの軋轢で騒動起きてますね…
毛利輝元や上杉景勝とかは逆に負けたことで近世大名にランクアップできたのかも
最上義光も人情家でしたからね。
蒲生氏郷の燕尾形って甲冑めちゃくちゃカッコイイよね。
凄いお話ですね💦
NHKの大河ドラマの構成に呼ばれそうですね
大河でみたいです!
ありがとうございます!
学ぶことが多そうな方だったんだな。。
本当に惜しい人を失くした。。
氏郷いい人だよなぁ〜
めちゃくちゃ良い話!
氏郷になる
会津の領主になって、黒川を今の若松に改名して鶴ヶ城に七層の巨大な天守を建築瓦に金箔を貼り付け権力を見せたし家臣も大事にしていたし家臣のためにお風呂を炊くなんてどんだけいい人なんだよ 部下を扱うのがうまいし戦いにも強い伊達政宗がいるから会津にいれて守りを固めたかったから秀吉さんが信頼していたから頼んだのだとやはり思いますね。もし福島県会津に機会があればぜひ来てください、おすすめの周辺の城跡、古墳や史跡を教えますね
自分が住んでると、雪は多いクソ田舎で海はねぇ田んぼしかねぇ遊ぶところはドンキくらいしかねぇ…って憂鬱な土地って思ってたけど、こういう話聞くとなんやかんや会津って昔はすげぇ重要な土地だったって実感が湧きますね〜w
まぁとりあえず、キャンプ場いっぱいあるのと、ドンキ(旧アピタ)内のタリーズに加えて新しくスタバが出来たから今のところ幸せwww
見事なる哉!
武者の鏡というべし!
氏郷の家臣の岡左内という人物もなかなか面白くカッコいいので是非解説お願いします!
独眼竜政宗を子供のころ見たときは敵役だったけど、内容知ったら政宗よりも氏郷に好感を持っていました。さらに詳しく教えてくださりありがとうございます。
滋賀の民として嬉しい動画ですね~
アレキサンダー大王の没後のようだ。それだけ絶大な信頼と絆で結ばれていたんだな…
あぁ、やっぱり、蒲生氏郷は名将だなぁ。あとは、子供たちが早くに死ななかったらなぁ。お家断絶は、悲しい😢。
人間力すごすぎる。
魅力的ですね。
人心掌握が相当上手だったんだろうなぁ。
だからこそ早く死んでしまったのが惜しい。
個人的な経験だけど、本来の仕事は別にあるのに下の立場の人間と同じ作業を積極的にやる上司って部下に慕われるよね。
ただ、そういう人は何でも自分でやってしまいがちで、いなくなったときにたちまち組織が機能しなくなるのが欠点だと思う。
でも僕はそういう氏郷みたいな人間がすごく好きです。
なんでも自分ですると仕事を奪うことになるもんな
…昔懐かしいアニメ
一休さんでは新右衛門さんが病気療養中に将軍様が
何かに付けて用事を頼もうにも新右衛門さんが居ないと回らないって話を思い出す…🤔
実際に氏郷死後にお家騒動起こってますからね
1人の人間として見るか統治者として見るかで評価が大分変わりますね蒲生氏郷
結構、家臣との関係性において藤堂高虎と考え方が似てる
高虎は、家臣は俸禄を得るのは当然のことと考える。いくら、恩賞を与えようがそれを当然だと思えば、戦場で死地を共にしてもいざという場で下知に従わないだろう。しかし、情けを受ければその恩は忘れまい。として、転職に失敗したやつとか再就職にも一部例外を除いて認めている。
渡辺了など、自身の体面重視した人物などは許さんかったが、人というのを良く理解して扱いにたけていたんでしょう。
熱いぜ
信長の直参上がりで出世する人は結構短命なんですよね。堀秀政も小田原陣で病没した時が39とかその辺だし、氏郷もその辺ですもんね。配下の武将にはスペインの軍人上がりの武将とかいて、九州攻めで武功があったそうだし、蒲生家が秀吉に言いがかりつけられて減封になった時にそこの家臣を諸大名が血眼で招聘したといいますよね。関ヶ原で織田有楽斎に切り付けた蒲生郷舍もそんな中の一人ですね
蒲生氏郷やってくれて嬉しい😆
滋賀県の『日野町出身者』としては、郷土に銅像があることが記念に残っているな。
日野町には馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社があり、その近辺を【若松】と
言っていたんだが、その【若松】の名前から【会津若松】の名前を付けたんだよね!
蒲生氏郷や堀秀政が長生きしたら歴史の流れはまた違っていたと思う
どちらも信長にかなり気に入られてた若手でしたっけ?家康が天下を取るのも難しかったかもですね。
「長生きしていたら説」は、なんでもありになっちゃうからなあ
@@hymn13 だからこそ面白い
仙石や藤堂、石田の人生も変わっていたかもしれないですね。
秀長秀次隆景利家がおれば…