2024年7月新譜ダイジェスト/33CDR-3947_49/ダイレクト・トランスファーCD-R/CHRISTIAN FERRAS/NATHAN MILSTEIN/ERNST VON DOHONANY

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  • Опубліковано 26 сер 2024
  • ●今回はWESTERN ELECTRICが原盤作成時に試聴用として開発したWESTREX 10A
    カートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A 」MC型カートリッジを使用して、モノラルLPを再生しました。
    33CDR-3947
    モーツァルト:
    ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
    ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
    クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
    カール・ミュンヒンガー指揮
    シュトゥットガルト室内管弦楽団
    英DECCA LXT 5044(FFRR録音)
    1954年10月14日-11月11日、スイス、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール録音
    ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(365b)はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリッヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジェスマイアー(1766-1830)が加筆したという。ジェスマイヤーはモーツァルト最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在ではモーツァルトの作品表から除外されている。ジャック・ティボーの(1880-1953)の快心の名演がSPレコード(復刻CDR:78CDR-3080)にあったが、LP時代には録音はごく僅かだった。クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。これは21歳のフェラスが取り組んだ最初期の録音。指揮者のカール・ミュンヒンガー(1915-1990)はドイツ生まれ。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)に師事し、シュトゥットガルト室内管弦楽団を主宰した。
    復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
    33CDR-3948
    チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
    ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
    シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団
    米 RCA VICTOR LM 1760
    1953年3月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音
    ナタン・ミルシテイン(1903-1952)はウクライナのオデッサ生まれ。11歳でペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行をしたこともあった。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のソリストとしてアメリカ・デビュー。1942年にアメリカ市民権を得た。ミルシテインは生涯に8回もチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をレコード録音している。これはその2番目で50歳の時のもの。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はドイツのストラスブルク生まれ。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務めた。1929年にパリで指揮者デビュー。1937年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者になり1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその地位にあった。1967年パリ管弦楽団が出来たとき、初代の音楽監督に就任したが、同年アメリカを演奏旅行中に心臓発作で死去した。享年77。
    復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
    33CDR-3949
    ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78
    エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノ)
    アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
    米REMINGTON R-199-84
    1952年録音
    ピアノのエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハンガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名:ブラティスラヴァ)生まれ。ブダペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)のレッスンを受けてピアニストとしてデビューした。ヨアヒムの招きでベルリン高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をつとめた。その後アメリカに渡り定住した。ヴァイオリンのアルバート・スポールディング(1888-1955)はシカゴ生まれ。1906年にパリでデビュー。1922年にパリ音楽院管弦楽団初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンの円筒式レコードの時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンド・ディスクにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTOR社の専属だった。LP時代に米REMINGTONにブラームスとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集などを録音していた。
    復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
    全曲がこちらから購入いただけます。
    goodies1983.we...
    ●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
    SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
    収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。
    ■ご注意
    CD-Rを使用していますので、再生機器によっては再生が出来ない場合もございますので、ご了承下さい。
    編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
    トラック間の空白部分は統一されていません。
    リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
    一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。
    ●78CDRで始まる商品は、78回転のSPレコードからの復刻盤です。
    ●33CDRで始まる商品は、33回転のLPレコードからの復刻盤です。

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