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神葬祭を取り仕切る神職として語らせていただきますが、50日祭からは音を立てて拍手すべきです。死後50日を経過すれば、御魂は日(霊)の若宮(初級の神位)としての霊格を得られます。従って、50日祭以降は金封の水引も黒白や黄白ではなく、本来「紅白」とすべきであり、ましてや神格を得られた霊位(神位)に対して、忍び手作法を行うのは実際は失礼に当たります。地域性もありますが、この点は一線を画すべきです。
なるほど… 50日祭以降ですね。ご教示ありがとうございました。
そうですね。50日祭後は、忍び手(音を立てない)ではなく、通常の二拝二拍手一拝です。
神職の方のコメントが見れるなんてこのコメント欄ありがたい!
偲び手は50日迄で神上がりの後は神になるのだから音はたてて良いのです。50日前はまだ先祖神として完全ではないので音はたてません。御霊前も50日前に行う神葬祭、十日祭、五十日祭など遺族が神主に支払う以外の上書きは御霊前のほうがいいです。まだ神上がりしていないのだから。
この回はかなり不完全。偲手の仕方が。。。音を立てない拍掌であって、斯様に止めたりはしない。習合の理解もかなり。。。
我が家は神式で、毎朝、ご先祖がいらっしゃる祖霊舎にお米・水・塩をお供えしてご挨拶と感謝し、夜に下げます。朝には、二拝二拍手一拝しますが、私は少しだけ音を立てて拍手をし、「今日はこんなことをしますから、どうぞお導きお守り下さい」と一日のスケジュールをご報告しています。神道の葬儀はそれは荘厳で、父と母が亡くなったとき、参列者の方々は感動しておられました。神道の、和魂・幸魂・荒魂・奇魂の考えも興味深いですね。本当に昔の日本人は深く人間を観察していたと思います。良い国に生まれたと感謝しています。
動画ありがとうございます!!実家は神式で嫁ぎ先が仏式、頭の中混乱しました!ご焼香って何回入れればいいの!?ミスったら、故人と参列者に対しても申し訳ないし、常識知らずと思われるのか!?なんて毎回緊張します!神式と仏式の違いがちゃんと理解出来ると故人を送り出す時の思いも違いますね!ありがとうございます!!
喪服は白だったんですよね。本来は白の喪服が基本で 、西洋に合わせて喪服が黒になったのは日本の長い歴史の中ではごく最近のことです。
平安時代の喪服は墨染の衣でした。ですから、「西洋に合わせて喪服が黒になったのは日本の長い歴史の中ではごく最近のこと」というのは間違いです。
間違いでなないと思います。白になったり黒になったりしていたのは事実ですが、現在のようにほぼほぼ黒の喪服になったのはここ最近のことと言って間違いはないと思います。
追記しますと白と黒が混在していた時代はあったよいうことです。地域によっては平安時代でも白でした。現在のように一般国民においてもほぼほぼ黒となったのは、キッカケは明治天皇の大葬だといわれておりますが、一般国民がほぼほぼ黒になったのは第二次世界大戦以降だといわれています。
白の民と呼ばれ、穢払いの仕事で汚れが即わかるのと、黒だと汚れても見分けつかないと完全な別物なんですが葬式の白黒幕はそのへんの融合なのかなと
衣服の基本は生成りの白。後に晒しの真っ白。大陸より学び、朝廷に仕官する者の公務員としての衣の衣冠という形で外着が黒に変化し、しかし祝い事の礼服としては白のまま。衣冠が武家の礼装にまで影響してから、黒の羽織袴が礼装として庶民にまで影響する。しかし明治期に大礼服の導入で礼装は西洋に合わせるとし、祝い事の礼服も洋装に変化。しかし、今の国際儀礼では民族衣装も礼装として認められているので、狩衣や直垂や素襖など、古来からの正装も復古しても良いのではと思う。黒のスーツより黒羽二重の紋付き袴の方が、家紋も入って格も高いし夏冬にも適う。まあしかし為政者が全く日本的でなくなってしまうと、和装も再展開し辛いだろうなあ。
おばさんが嫁に行ったところが神道だったので、作法を教わりました。式中もなかなかみれない儀式ばっかりなので興味深かったです。
神仏習合はよい文化ですね。神道も孤立の道ではなく仏教から良い所を学んで高め、仏教も神道の心を取り入れて高め、お互いを尊重し学び合うことで高め合える関係が築かれてきた恩恵を今の日本人が受けられていることがなによりの行幸です。
うちの家は神道なのでお葬式は神式でした。仏式だと黒白の幕ですが神式では水色と白の幕です。全国の地方祭がありますが紅白の幕や幟旗を立てますが氏子の家の前は水色と白の幕や幟旗を立てます
私の家は、神道で、いつでも、お祭りします。一般的なお葬式にあたる神葬祭は、神上がりですね。柏手は、忍び手ですね。戒名もなしで、本名のままです。お寺に管理されるようになったのは、税金徴収のためですね。
葬儀について詳しく知りたいです。大恩人である家族に出来るだけ沢山の徳を積んで後生へ送り出す事が、せめてもの恩返しと思い、死んでからあれこれと調べるのではなく、しっかりと準備をしておきたいと思っています。けれど、何が故人の為になるのか、何日もお坊さんが唱えて下さる経は、どういう意味があるのか、自分はどういう立場で何をすれば良いのか、何も分かりません。
神仏習合の時代は分けて話すのは難しいのでは?と思ってしまいます。八坂神社は明治以前は祇園社でお寺でしたし、神宮や大社は神宮寺があったり、神社を管理しているのが別当(お寺)だったり。
沖縄の友達は以前、『お墓は怖くない。むしろ祖先達が守ってくれてるから有難いしそこで飲み会も楽しんでできる』と聞いたことがあります。神式の長い歴史の賜物で面白いですね☺️
地域にもよるのかも知れませんが、しのび手は寸止めではなく静かに手を合わせますよ。あと、しのび手は神葬祭~50日祭(仏教でいう49日)までですかね。慰霊祭などでは普通に柏手を打ちます。神仏習合は霊璽や位牌よりももっと大きな部分での話になりますね。
神社と直接関連なくても神式の家系もあります。うちの母方は代々神式ですけど藤原氏系で江戸~明治時代は豪農やりながら造り酒屋でした。
うちも神道ですがお墓みたいなものは何々家の奥城 おくつきと書いてあります。お参り時は起きてもらうため音を出して手を合わせます。市営墓地なんかに行くとお墓の先端が四角錐なのが目印です。探すと結構ありますよ。宗教で争わないのが日本人の良い所だなと改めて感じました。いつもためになる配信ありがとうございます。
自分が守られていると感じるのはこういうことか。古来からのご先祖さまなんだな。俺も精進しないとな。
いつも素晴らしいお話ありがとうございます。先生の話を聞いて大きな栗の木の下で、の曲に深い意味があるのかと思ったのですがググったら外国民謡でした^^;
神道葬儀での特徴。「遷霊祭(せんれいさい)」「忍び手」「玉串奉奠」菊の花献花とか?思い付くのはこんなところ。
喪が明けたら墓前でも拍手で音たててもいいですよ。もう神様ですから。
凄くわかりやすい説明で、スっと入って来ました。ありがとうございます。
素晴らしい動画を見させて頂きました。ほんとそうです。だから世界の歴史では宗教戦争が根幹で争いあっているのに、日本では宗教戦争が無かった。宗教学が好きなのでキリスト教、イスラム教、仏教など、経典を一応は呼んで知識として理解してますが、どの経典、聖典にも、平和だなんだとありますが結局史実として戦争が起きています。日本では別です。海外の歴史を見ても日本だけです。宗教戦争が無かった国は。結局色んな宗教の平和というのは"相手を憎まず"ということだと思います。だから日本が"和"=輪 の国だと言われている理由であり、神道こそが真の宗教であり、宗教と思わせない事こそが心構え=宗教だと思っています。あと聖書に書いてある事も含めですね。
古い記録が残らないのは、病死した者には家ごと燃やしていたから。なので死人が出るとお悔やみで形見分けをして家財等中身を減らす。ケガレの染みついた寝具や衣類や畳に床等さら、燃して更地にする。なので葬式は地域の一大行事であり、遺族にとっては新居イベント。富豪などは家を燃さぬよう、死人が出たことはなるべく伏せられた。みたいなことを何かで読んだ記憶。大家族なら民衆でも式年遷宮やw喪に服すという自粛は上記が切っ掛けだったのだろうかと思います。
同僚のお姉さんのご実家が讃岐琴平宮の氏子でご尊父が亡くなったときも神葬祭だったそうで「お父さんが守ってくれてるんよ」と聞いたことがあります。浄土真宗の我が家のあっさりした葬儀と比べてなんだか格式高いものを感じましたがそういうことだったんですね。
位牌に関しては神道由来というのは疑問です。中国には日本人がイメージするのと全く同じ形の位牌があります。今Wikiで調べたら、中国の後漢の時代にはあったとの記述。日本ではまず使われない「牌」の字(木の札の意)を用いることからも、中国伝来と考えるのが自然と思われます。
私の家は神道で私は嫁ぐまで数珠も持っていませんでした。お葬式がお祭りだったと言う事で、鯛がお供えしてあった事が記憶にあります。
八幡宮を解説して欲しいです。
仏教は人にたいする優しさを感じるんですね。人に着目してるというか。近くのお寺のお墓には観音像が建っており観音様のお墓に向いてる目が「お疲れ様大変だったね。ゆっくりおやすみなさい」と言ってるような気がしてものすごく優しい気持ちになります。
江戸時代は神仏混淆状態で寺が神社を管理するのが普通でした。
祖先が輪廻して、生まれ変わっている。お墓参りの対象に、自分が何分の1いる。祖先への感謝に加え、こんな気持ちでもお参りしてます。
ありがとうございます。亡くなった武道の師匠が神式でしたので次にお墓に行く際は教えて頂いた作法を実践して行こうと思います。☺️💕
母方が江戸時代以前からずっと神道です。神棚にあった木札に書かれたご先祖様の名前をまとめて頂いた際に、神主さんにご先祖に神社関係者がいたんじゃないか?と言われて不思議に思ってたんですが、歴史背景があったんですね〜!勉強になりました。
埋葬法ー4鳥葬(ちょうそう)とは葬儀、または死体の処理方法のひとつであり、肉食の鳥類に死体を処理させるものである。概要チベット仏教にて行われるのが有名である。またパールスィーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒も鳥葬を行う。国や地域によっては、法律などにより違法行為となる。日本では、鳥葬の習慣はないが、もし行った場合刑法190条の死体損壊罪に抵触する恐れがある。チベットの鳥葬はムスタン王国建国の数百年後に始まったと考えられ、現在も続いている。ゾロアスターは古代ペルシア(現在のイラン)にルーツを持ち、死者の肉を削ぎ動物に与える風習があった[1]。カリフォルニア大学マーセド校の考古学者マーク・アルデンダーファー(Mark Aldenderfer)は、「ゾロアスター教の葬儀をアッパームスタンの古代人が取り入れ、その後にチベットの鳥葬へと形を変えた可能性がある」という仮説を提示している[1]。チベットの鳥葬チベットの葬儀は5種類あるとされる。すなわち塔葬・火葬・鳥葬・水葬・土葬である。このうち塔葬はダライ・ラマやパンチェン・ラマなどの活仏に対して行われる方法であり、一般人は残りの4つの方法が採られる。チベット高地に住むチベット人にとって、最も一般的な方法が鳥葬である。葬儀に相当する儀式により、魂が解放された後の肉体はチベット人にとっては肉の抜け殻に過ぎない。その死体を郊外の荒地に設置された鳥葬台に運ぶ。それを裁断し断片化してハゲワシなどの鳥類に食べさせる。これは、死体を断片化する事で血の臭いを漂わせ、鳥類が食べやすいようにし、骨などの食べ残しがないようにするために行うものである。宗教上は、魂の抜け出た遺体を「天へと送り届ける」ための方法として行われており、鳥に食べさせるのはその手段に過ぎない。日本では鳥葬という訳語が採用されているが、中国語では天葬などと呼ぶ。また、多くの生命を奪ってそれを食べることによって生きてきた人間が、せめて死後の魂が抜け出た肉体を、他の生命のために布施しようという思想もある。死体の処理は、鳥葬を執り行う専門の職人が行い、骨も石で細かく砕いて鳥に食べさせ、あとにはほとんど何も残らない。ただし、地域によっては解体・断片化をほとんど行わないため、骨が残される場合もある。その場合は骨は決まった場所に放置される。職人を充分雇えない貧しい人達で大きな川が近くにある場合は水葬を行う。水葬もそのまま死体を川に流すのではなく、体を切断したうえで実施される。鳥葬はチベット仏教の伝播している地域で広く行われ、中国のチベット文化圏だけでなくブータン・ネパール北部・インドのチベット文化圏の一部・モンゴルのごく一部でも行われる。ただ、他の国のチベット人には別の葬儀方法が広まりつつある。チベット高地で鳥葬が一般的になった理由のひとつに、火葬や土葬は環境に対する負荷が大きすぎることもある。大きな木がほとんど生えないチベット高地で火葬を行うためには、薪の確保が困難である。しかし、森林の豊富な四川省のチベット人は火葬が一般的である。土葬も、寒冷なチベットにおいては微生物による分解が完全に行われず、かつ土が固くて穴掘りが困難なこともあり、伝染病の死者に対し行われる方法である。伝染病患者を鳥葬・水葬にすると病原体の拡散が起こりうるからである。中国の西蔵自治区当局は鳥葬は非衛生的だとして火葬を奨励していたが、2006年に鳥葬について撮影や報道を禁ずる条例を公布して、伝統文化を保護することになった。チベットには約1000箇所の鳥葬用石台があるが、関係者以外による撮影や見物、および鳥葬用石台近くの採石など開発行為も禁じた。ゾロアスター教の鳥葬ゾロアスター教では、死体は悪魔の住処とされる。葬式は悪魔による汚濁の源を浄化するための儀礼であった[2]。 ゾロアスター教においては、火を善神の象徴として崇拝しており、悪魔の住み処たる死体によって火が穢されるのを避ける。そのため火葬は行われず、同様の理由で土葬や水葬もない。 サーサーン朝ペルシア時代のゾロアスター教社会では、死体は路傍に放置されハゲワシに食われるか、直射日光で乾燥して骨だけになった後にダフマと呼ばれる磨崖穴に入れられる曝葬(ばくそう、風葬と同じ)が行われていた[3]。インドに流入したゾロアスター教の教徒(パールスィー)もその伝統を受け継いだが、イラン高原と異なり湿潤なインドでは死体が乾燥する前に腐乱してしまうため、磨崖穴にちなんでダフマと名付けられた鳥葬専用の施設を使用している[3]。 英語で沈黙の塔と呼ばれるタワー型のダフマは、古代ローマのコロッセウムにも似た開口部のある円筒状の塔であり、その上に置かれた死体は鳥がついばんで骨となり、骨は陽光によって漂白される。そして最終的には土に還るというわけである。その際、すみやかに骨のみになるとよいとされる。葬儀は亡くなったその日に行われるのが良いとされるが、日没後には行われない。遺体は金属製の台に乗せられ、ダフマの近くまで葬列を組んで送られる。遺族はダフマの近くで最後の別れを行い、遺体運搬人によるダフマへの行進を見届けた後、身を清めて没後3日間死者のための儀式を行う[2]。ダフマはインドのムンバイに2基、ナヴサーリーに2基あるほか、インド亜大陸のパールスィー居住区では数多く見ることが出来る[3]。
埋葬法ー5水葬(すいそう)葬儀方法の一種で、遺体を海や川、湖に葬るやり方である。国によっては宗教上の理由から、土をかけて一旦土に還した形(土葬)をとった後に行う場合もある。概要水葬が行われる理由は様々なものがある。まず、宗教(信仰)上の理由で水葬を行う地域としては、インドのガンジス川流域やポリネシアなどがある。地域によっては遺体を小さな舟に載せて川や海へ流すところもある(「船葬」や「舟葬」と呼ばれる)。また軍民問わず、洋上での死者や、上陸戦での犠牲者に対して、他には過激派の指導者が死亡した際に、埋葬地が聖地となるのを防ぐため水葬が行われた例がある[1]。通常、洋上の軍隊では、一旦国旗を被せ、滑り台により柩を海中に投下する。その際に弔砲や弔銃がなされる。式中は軍艦旗等が半旗にされる[2]。日本歴史民俗学の考察として、古墳時代における舟形石棺の遺物や棺を「ノリフネ(乗り舟)」「フネ(舟)」と呼び、葬儀の世話人を「フナウド(舟人)」という風習、補陀落渡海の伝説など、古来、水葬が行われてきたことをうかがわせる風俗や伝承があるとする[3]。現代では、法律により日本国内では、刑法190条の死体遺棄罪に該当するとされる。公海上の船舶例外として、日本船籍の船では船員法第15条に基づいて、船舶の航行中に船内の人間が死亡した時に、船長の権限で水葬を行える。船員法に基づいて船長が水葬を行うには、以下の1.~5.の要件を全て満たす必要がある。船長は、死体を水葬に付するときは、死体が浮き上がらないような適当な処置を講じ、且つ、なるべく遺族のために本人の写真を撮影した上、遺髪その他遺品となるものを保管し、相当の儀礼を行わなければならない(船員法施行規則第4条、第5条)。船舶が公海にあること。死亡後24時間を経過したこと。ただし、伝染病によって死亡したときは、この限りでない。衛生上死体を船内に保存することができないこと。ただし、船舶が死体を載せて入港することを禁止された港に入港しようとするときその他正当の事由があるときは、この限りでない。医師の乗り組む船舶にあっては、医師が死亡診断書を作成したこと。伝染病によって死亡したときは、十分な消毒を行ったこと。また、自衛隊でも水葬に関する事柄が定められている(防衛省訓令 隊員の分限、服務等に関する訓令・第21条)[4]。自衛隊の場合は、船員法とは以下の要件が異なっている。医官が乗り組む船舶にあっては、医官が死亡診断書または死体検案書を作成していること伝染病によって死亡したときは、感染症法およびこれに基づいて発する命令の規定による消毒方法をしていることインドガンジス川流域にて、ヒンドゥー教の儀式の一環として行われている。これは、「ヒンドゥー教が、仏教の無常観思想を受け継いでいるため」、とも言われている。水葬された有名人「Category:海葬された人物」を参照木曾義昌カジミエシュ・プワスキ - 1779年フランシス・ドレークジェームズ・クック山崎丞 (新撰組隊士。但し、異説もある) - 1868年ウサマ・ビンラディン - 2011年ニール・アームストロング - 2012年アブー・バクル・アル=バグダーディー - 2019年
仏式でも、真宗は告別式でも御霊前ではなく御仏前と書きますね。
すごくいい話しでした。寺請制度や神仏習合は知っていましたが、江戸時代以前は神社で葬式をしていたことや知りめせんでした、位牌のことはポータブルなお墓程度の認識でした。
この括り(江戸期以前は神葬祭)は、極めて不正確です。仏式の葬儀は、僧や皇族公卿については平安、武士に関しては鎌倉期辺りから普及していきます。また.寺と神社ですが、多くは習合の結果、神宮寺や別当社などで連動しており、明治以前において、寺・神社をハッキリ分けるのはナンセンスです。さらに。氏神・産土・鎮守の概念の説明もあまりに雑です。この回はやり直したほうがいいような気がします。江戸期に神葬祭が抑圧された事実はありません。また、「告別式」なる語は、近代の概念で、あくまで、通夜・葬儀です。佛教の浄土観についても曲解がありますし、神道の死後観についても相当問題があります。イデオロギーのバイアスでしようか。
祖先...氏神(氏神)|| 転居先...産土神(産土) ≒(無縁)|| || 凶方位...鎮守神(鎮守) (産土) ≒(無縁) || || (鎮守) (鎮守)始祖から先祖代々同じ土地に住み祖先の神社があれば氏神=産土神=守護殆どの人は何らかの時代に始祖の土地を離れているので土地神≒産土さん産土さんの土地を離れれば、その最寄神が産土となり凶方位が鎮守となる。
日本に生まれてよかったです。これ一言に限ります。有り難うございます。
やはり八百万の神の信仰がベースに有るので仏教も異教神も許容出来るのでしょう。
確か江戸時代でかなり仏教も形骸化されてんですよね
お葬式の仕方について、とてもためになりました。特に位牌のことは、私も疑問に思っていたのですが、腑に落ちました。今回の講義とは別のお話ですが、佐渡金山のことが今話題になっています。果たして朝鮮人の強制労働があったのか、その辺の歴史を教えていただければ幸いです。
父母をおくりました。仏式です。お寺さんが告別式ではなく、葬儀式です。といわれ、葬儀屋さんに修正してもらいました。
江戸以前は庶民が神式で葬儀を行っていたなど全くデタラメです。神葬祭は18世紀中ごろより吉田系の一部の神職にだけおこなうことを幕府が認めたことに始まるものです。それでさえ方法がわからず道教などの作法を取り入れて「創作」したそうです。江戸以前に神式葬儀が行われていたなら分からなくなるはずがありません。そもそもそれまで神職でさえ仏式で葬られていたのに庶民の葬礼が神式のはずがありません。日本は古来より神仏が集合しております。今の仏式の葬送儀礼にしても古来よりの習俗(これを神道としてよいかも疑問)が相当混在しているということが前提ですが
お話ありがとうございます 面白く聞きました 大変参考になりました ありがとうございました
江戸時代以前はほとんど神式だった?ホント?江戸時代に無理矢理仏教に変えさせられた? 歴史のターニングポイント? ホントに訳のわからない話です。檀家制度が江戸時代にできたからといって、それ以前に寺檀関係が無かったとは言えません。寧ろ神道が庶民の葬式に関わることのほうが少数だったのではないですか!
私もそう思います。源氏物語などに出てくる葬儀も基本、仏式ですよね。江戸時代に檀家制度ができる以前から、仏教が浸透した時点、つまり遅くとも貴族は平安時代、庶民も鎌倉時代くらいまでには、葬儀も仏式だったと思われます。
親戚が浄土宗の寺やってます。創建は鎌倉時代。江戸時代前がほとんど神式だったというのはそこの住職からも先代住職からも聞いたこと無いですね、私も違うと思います。
基本神式なのは確かなのですが、神仏融合やらキリスト教の天使を仏式変換してたり謎な変化してるのでこれ、解説以前によく分からないところ庶民の食生活と同様に先祖辿って、何で神社総代やってる時期あるのか本当に謎
神職を祝部(ほうり)とも言います。つまり「葬ることを司る」職です。このような職名は僧階には見られません。因みに大祝部(おおほうり)という地位は最高クラスの神職階級です。私は小名木説を支持します。
はふりべ ほうりばさばさ ばさら
お隣りの国にはウリスト教と呼ばれるものがありますよねw
今日もがんばって誰かの役に立つ生き方しようそう思える動画でした死んだ後で我を讃えよではなくて家族と、地域と、縁者のしあわせを願って真剣に生きぬいた結果、家族ぐらいには「これからも守ってね」と思って貰えれば御の字。
大乗仏教は印度から支那に伝わる過程でキリスト教の習俗を取り入れて現在に至っているので、この場合はどう云う風に解釈すれば宜しいでしょうか。これは習合か否か好く解りません。
景教
めっちゃ面白いl自分が死ぬ時は神式が良いかもと思った。
今、神主さんの家しかやってないと思われます。
神主でなくても地方によってちがうかもです。うちは神主じゃなくても神式でした。
ほーーーーーーへーーーーーー。知らなかったという事は勿体無いことをしていたな。
昔は神前結婚式して仏教でお葬式というのが不思議だと思ってました
イタリアと日本の食文化を融合して、ちゃっかり日本人の日常にしちゃってる「ナポリタン」みたいなもんか
集落の真ん中に栗の木があったとすれば土偶が栗の顔立ちをしていたとしても不思議ではないですね。
有難いお話に感謝します
【講義リクエスト】ですが、縄文時代などの貝塚の発見などはよく聞きますが、縄文時代、桃山時代の陶器や庶民や武士のゴミは見つかったという話を聞きませんし、どこに行ったんですか??又、生活ゴミは、過去の日本人などはどのように処分していたのですか?昔は、ゴミ問題とかはなかったのですか??抗議の方よろしくお願いします
お葬式は意味があるのでしょうか?もしだれも知ってる人が亡くなった場合、神様、仏様は亡くなられた方をどう扱うのですか?これを考えるだけでも、全世界の葬式すべて、存在意義があると考えること自体が、おかしいでしょう。
習い合う。日本らしいです🤗
ありがとうございました。とても、ためになりました。
埋葬法ー3土葬ー2キリスト教の土葬アメリカ合衆国では宗教的理由により火葬より土葬が好まれる傾向が1990年代まで強かった。これはキリスト教の最後の審判に際しての死者の復活の教理を持つため、キリスト教会の伝統として火葬に否定的な見解があった事が背景にある。しかし、2007年から始まった世界的な不況の影響で費用が掛かる土葬よりも火葬が執り行われることが増えたとされる[11]。全米葬儀ディレクター協会や北アメリカ火葬協会の調べによると、2013年には火葬を選択したアメリカ人の割合が45.3%に達し、1998年に24%だった火葬の割合がその後の20年間で倍近くにまで増えており、急激に火葬の割合が上昇している[12][13]。火葬の否定は必ずしも日本で採用される見解ではない。正統長老教会の神学者ローレン・ベットナーは『不死-死後の問題の解明』で、聖書の火葬の記述、『ヨシュア記』7:25-26、『第一サムエル記』31:10-13が「呪われたもの」に対するものであったと指摘し、火葬に反対しているが、この本を翻訳した日本の福音派の指導者尾山令仁はベットナーと異なる見解をとっている。ベットナーはアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、そしてイエス・キリスト自身が土葬にされていることに注意を促し、クリスチャンは土葬するべきだとした[14]。正教会[15]、カトリック教会[16]、聖公会[17]、プロテスタント[18][19]のいずれの教派の信徒も他国では通常土葬されることが多いが、日本では火葬されることが一般的である[20]。イスラムの土葬イスラム教ではキリスト教同様、最後の審判の教義により、生前の肉体が失われることになる火葬は禁忌なので、土葬が行われている[21]。コーランには「現世を罪深く過ごした人間は地獄の炎で焼かれる」とあり、イスラム教徒にとって遺体を焼く火葬は、地獄のイメージとも重なり問題となる[22]。土葬が困難な国では富裕層中心に土葬が認められている国に運び埋葬する。2018年頃では日本の単身ムスリムの多くは母国に遺体を運搬する予定だが、遺体の空輸には、70万-100万円ほど費用がかかり手続きも複雑となる。だが、ムスリムが国際結婚したパートナーの日本人もムスリム入信が義務なので、これまでの家の墓とは別になってしまうという問題が発生している[23]。火葬の徹底している中国でも、イスラムのウイグル族、カザフ族は、土葬が認められている[9]。新型コロナウイルス感染症への防疫を目的とした中国政府の2020年2月1日の通知では、感染者の遺体は火葬の習慣がないイスラム系の少数民族を含め、一律に火葬するよう求めている[24]。スリランカ政府も2020年春、死亡した新型コロナウイルス感染者の火葬を義務付けたが、2021年2月25日に土葬を許可した。国内イスラム教徒の反発のほか、イスラム協力機構や国際人権団体から批判を受けた。世界保健機関(WHO)は「土葬で感染が広がる根拠はない」との見解を示している[1]。方式は、埋葬前に棺から出して、お清めとして真水で体を拭き、布を巻いてから埋葬する。日本では遺体の頭を北に向けて、体を西に向ける。顔を、そこの土地でのメッカの方向に向けて埋葬する。そして土葬といっても土に直に埋めるのではなく穴を2段に掘って、深い方に遺体を入れる。そこに木の板を敷いて、上に土を被せる。だから中は空洞になっている[21]。死後、横たえた遺体が、最後の審判の結果を伝える天使が来訪したら、上半身を起こし天使の声を聞くのだという。そのため、身を起こせるだけのスペースを確保する必要があるとのことである[23]。新型コロナウイルス感染症の拡大で、イランでは政府が専用の墓地を開設し、家族を立ち会わせず、遺体を洗わずに2メートル以上の深さに土葬する。イラクでは新型コロナウイルスによる死亡者の埋葬が墓地側に拒否される事例が発生。イスラム教は死亡後24時間以内に埋葬するのが望ましいとされるが、行き場を失った遺体が病院内に1週間も留め置かれる事態になり、国会は政府に対し、市街地から離れた砂漠地帯に新たな墓地を開設するよう求めている[24]。日本国内の墓地だが、イスラム教徒が日本では11万人と拡大し、21世紀に入ってから日本在住のイスラム教徒が土葬を行って周囲の住民と摩擦が発生している。専用の墓地建設は難航しつつも一部で進んでいる。墓数は一定確保できたが、地域的な偏りの解消、分散化、墓地情報の伝達が課題となっている[23]。日本でイスラム教徒向けや外国人の土葬を認める霊園は、山梨県甲州市と北海道余市町、茨城県つくばみらい市、小美玉市、静岡県静岡市、和歌山県橋本市、兵庫県神戸市立外国人墓地[注釈 1]の7か所にある[25][26][27][28][29][30]。2020年、大分県日出町にイスラム教徒用の土葬墓地の建設計画が進められていたが地域住民が反発。町議会で計画に反対する住民の陳情が議題として取り上げられ、同年12月4日、賛成多数で採択された[31]。
墓所が町の中央にあるということは、占術で使用する後天盤のエネルギー配置図の5黄を意識してのことなのでしょう。皇居を中心とする風水都市国家の形成は、現在も進行し続けています。
ねずさんの臨場感あふれるお芝居の部分が好きです♡ある人から、二礼二拍手もGHQによってアレされたやつで、本来は三礼三拍手一礼だと言われました。三拍手は目立ってちょっと勇気要ります。どうなんでしょうか?
接着剤で、変化因子なのよねなので、固まった部分に染み込んでいくコペルニクスやダーウィンとかは凄い苦労したんだろうな
今回は神回でした。お寺さんが管理していた「人別帳」とは現代でいうところの戸籍、住民票、パスポートのルーツのようなものだったのですね~。世界でも先進的です。さすがニッポン!先祖に感謝!
ちゃんと年貢も正確に集まりますしね🇯🇵
人別帳なんですがねなので、複数の戸籍みたいなのも作れて訳わからん所があると
お位牌を大事にしている意味がわかりました。浄土真宗はお位牌はないですね。中国古装ドラマ「琅揶榜」を江戸幕府は仏教界と結合して、中央集権国家を作り上げたということですね。浄土真宗にはお位牌はないようです。 中国古装ドラマ「琅揶榜」を見ていたらお位牌を屋敷に祀ったり、祈ったりしていました。これはどうなのでしょう。中国にもそういう習慣があるような気がしますが。
沖縄みたいやね
いやー、今本当に悩むね。仏教は宗派によるけど金が掛かるね。神道にかえようかなと思うよ。家は曹洞宗なんだけど、お坊さん達はサラリーマンみたいに転勤があったり出世があるんだ。一回式をやるときには何十万と納める。(お年忌など)やっぱり地獄の沙汰も金次第!かな?でも先祖代々墓あるからね。お坊さんはいい人達だけどね。慈悲とはなんぞや。
違います!何か空、それこそ色ですこの映画見ると全部意味ない
靖国神社へ参拝の拝礼の柏手も同様にするべきでしょうか?
強いて言うなら七福神が融合的ではありますが、同じ神様ですので融合できるのですね。勉強になりました。ありがとうございます。
「ヒンドゥー教と仏教の融合などあり得ない」という点は間違いです。インドに留学していた先輩の話によると、インドのヒンドゥー教徒に「仏教徒だ」というと、「仏陀もヒンドゥー教の神だから」ということで受け容れられるのだそうです。恐らくは、神道だけではなく、多神教は多かれ少なかれ、他の宗教を飲み込む性質があるのではないでしょうか?
まさに、老荘思想・儒教・先祖祭祀は、支那で佛教に強く付加されましたし、我が国の祭祀でも盂蘭盆のように、在来の習慣との、習合も。
位牌は儒教から来ていると思ってましたが。
はれ?道教は禅と繋がっていなかったけ?
ありがとうございました。
日本ってかっこいい!
にっぽんは、かっこいい!😊
サムネが二見ヶ浦だ✨
音を立てずに拍手するのは喪に服してる人が神様を拝む時です。音を立てて拍手するのは、音が響き渡った場所を清め結界を張る意味があり、亡くなった人や先祖の御霊を祓わないようにする為に、忍び手と呼ばれる音を立てない拍手をするんですよ。知っての通り、2拍手2礼2拍手も昔の挨拶の作法で高貴な方を挨拶をする時お互いに拍手をして場を清め頭を下げて話をして拍手をしてから場を離れた時の名残りで、会う人により回数も変わっていたので、神社の祭神によっては回数も変わります。神道は人から神様になれるのでお祝い。仏道は仏になる為の修行と別れの悲しみで喪に服す考えですね。最近ではお墓の塔婆立てや花筒が金属だと先祖が呪われるって言う人が出て来てますが、古墳等の墳墓に金属の刀や鏡が納められてるのも呪われてるって話になってしまうのに気づかず言ってしまう指導者が多いです。昔の事がわかれば、今どうしてそうしてるのかがわかるので、特に宗教は日本人の心に繋がる文化でもあるので、丁寧に説明して欲しいです。
故人の愛用品を一緒に埋葬して欲しいという愛情表現ですよね。現代では土壌汚染とかに配慮したりと色々あって埋葬の際の副葬品って無いですが、火葬する際には故人の愛用品を棺桶内に入れて一緒にくべたりしますね。火葬の障害になる金物などは一緒にはできませんが、衣服や書籍なら一緒に逝けます。墓回りに金物の花瓶等を避けるのは、落雷で墓を傷めぬようにという配慮かも知れません。副葬品として墓の中に埋まってるのと、地表に露出しているのとでは差が有りそう。
江戸時代においては結婚式も仏前で行われたのですか?
今でもお寺関係者は結婚式も仏式らしく、実家が浄土真宗のお寺だという私のクラスメートは、「仏式の結婚式はいいよ~」と言っていました。でも、江戸時代に結婚式が仏式だったのなら、それ現代にまで伝わっているはずですよね。NHK大河ドラマなどでは、例えば徳川秀忠と江、豊臣秀頼と千姫、徳川家定と篤姫などの婚儀の場面は、全て神道式でしたよね。それなりに時代考証はしているはずだと思うのですが。
ご回答ありがとうございます。とても参考になりました。
仏式はめっちゃ金がかかるんだよな、神式はどないやろか
「仏」つまりは、神になるってことですよね?
仏になる道ですよ神なら力が強ければ信仰が集まるそれが善行か悪行かは別物ですが
今悩んでる
神仏キリスト教複合。祈りの場。
人別改めは年貢の関係で、宗門改めは思想管理のためではなかったでしょうか?
寺請け制度、宗門改めは、隠れキリシタンを炙り出すためだったと言われていますね。
家は氏子の神社も檀家の寺も数キロ離れてる理由はそれぞれだが、本家は長兄従兄弟に任せた(家捨ててるから)
神式してもらいたいと思ってました!
お葬式の話しありがとうございました。なくなって仏になって神様になって家を守ってくれているんですね。お墓と仏壇はちゃん世話しているとご加護とご利益があるわけで、初詣に神社でもお寺でもいい理由がわかりました。位牌が神様の意味もあるというのも勉強になりました。家は二つの仏壇が別々の部屋に私の方のと嫁の義理の父母方のとがあって毎日拝んで線香をあげているのでなんだか強力に守ってまらえているような気がしてきました。神葬祭という言葉も初で意味は違うと思いますが子供の頃お葬式があると「おじゃんぼ」がくるよと小銭を拾いに飛び出して行ってなんだか悲しい感じはしてなかったです。
日本では昔からハイブリッドなのですね!
日本をカッコ良く………d( ̄  ̄)。
護国神社にお祈りする場合も2拍手の時に音を立て無い方が良いんでしょうか?
先生も恥をかいたとおっしゃいました。不完全だからこそ学びあい助け合うのです。
今は末法時代だから神信仰なんて絶対にやっちゃダメ、他の仏教もダメ、あくまでも方便なので阿弥陀とか大日如来なんていません。法華経以前の教えは全て方便、事実本当の宇宙法界の神々は仏法(正法)つまり仏に帰依しています、日本は本当の仏国ですよ。法と仏は一体です。
神葬祭を取り仕切る神職として語らせていただきますが、50日祭からは音を立てて拍手すべきです。死後50日を経過すれば、御魂は日(霊)の若宮(初級の神位)としての霊格を得られます。従って、50日祭以降は金封の水引も黒白や黄白ではなく、本来「紅白」とすべきであり、ましてや神格を得られた霊位(神位)に対して、忍び手作法を行うのは実際は失礼に当たります。地域性もありますが、この点は一線を画すべきです。
なるほど… 50日祭以降ですね。
ご教示ありがとうございました。
そうですね。50日祭後は、忍び手(音を立てない)ではなく、通常の二拝二拍手一拝です。
神職の方のコメントが見れるなんて
このコメント欄ありがたい!
偲び手は50日迄で神上がりの後は神になるのだから音はたてて良いのです。
50日前はまだ先祖神として完全ではないので音はたてません。
御霊前も50日前に行う神葬祭、十日祭、五十日祭など遺族が神主に支払う以外の上書きは御霊前のほうがいいです。まだ神上がりしていないのだから。
この回はかなり不完全。
偲手の仕方が。。。
音を立てない拍掌であって、斯様に止めたりはしない。
習合の理解もかなり。。。
我が家は神式で、毎朝、ご先祖がいらっしゃる祖霊舎にお米・水・塩をお供えしてご挨拶と感謝し、夜に下げます。朝には、二拝二拍手一拝しますが、私は少しだけ音を立てて拍手をし、「今日はこんなことをしますから、どうぞお導きお守り下さい」と一日のスケジュールをご報告しています。
神道の葬儀はそれは荘厳で、父と母が亡くなったとき、参列者の方々は感動しておられました。
神道の、和魂・幸魂・荒魂・奇魂の考えも興味深いですね。本当に昔の日本人は深く人間を観察していたと思います。良い国に生まれたと感謝しています。
動画ありがとうございます!!
実家は神式で嫁ぎ先が仏式、頭の中混乱しました!
ご焼香って何回入れればいいの!?
ミスったら、故人と参列者に対しても申し訳ないし、常識知らずと思われるのか!?
なんて毎回緊張します!
神式と仏式の違いがちゃんと理解出来ると
故人を送り出す時の思いも違いますね!
ありがとうございます!!
喪服は白だったんですよね。本来は白の喪服が基本で 、西洋に合わせて喪服が黒になったのは日本の長い歴史の中ではごく最近のことです。
平安時代の喪服は墨染の衣でした。
ですから、「西洋に合わせて喪服が黒になったのは日本の長い歴史の中ではごく最近のこと」というのは間違いです。
間違いでなないと思います。
白になったり黒になったりしていたのは事実ですが、現在のようにほぼほぼ黒の喪服になったのはここ最近のことと言って間違いはないと思います。
追記しますと白と黒が混在していた時代はあったよいうことです。地域によっては平安時代でも白でした。現在のように一般国民においてもほぼほぼ黒となったのは、キッカケは明治天皇の大葬だといわれておりますが、一般国民がほぼほぼ黒になったのは第二次世界大戦以降だといわれています。
白の民と呼ばれ、穢払いの仕事で
汚れが即わかるのと、黒だと汚れても見分けつかないと
完全な別物なんですが
葬式の白黒幕はそのへんの融合なのかなと
衣服の基本は生成りの白。後に晒しの真っ白。大陸より学び、朝廷に仕官する者の公務員としての衣の衣冠という形で外着が黒に変化し、しかし祝い事の礼服としては白のまま。
衣冠が武家の礼装にまで影響してから、黒の羽織袴が礼装として庶民にまで影響する。
しかし明治期に大礼服の導入で礼装は西洋に合わせるとし、祝い事の礼服も洋装に変化。
しかし、今の国際儀礼では民族衣装も礼装として認められているので、狩衣や直垂や素襖など、古来からの正装も復古しても良いのではと思う。
黒のスーツより黒羽二重の紋付き袴の方が、家紋も入って格も高いし夏冬にも適う。
まあしかし為政者が全く日本的でなくなってしまうと、和装も再展開し辛いだろうなあ。
おばさんが嫁に行ったところが神道だったので、作法を教わりました。
式中もなかなかみれない儀式ばっかりなので興味深かったです。
神仏習合はよい文化ですね。神道も孤立の道ではなく仏教から良い所を学んで高め、仏教も神道の心を取り入れて高め、お互いを尊重し学び合うことで高め合える関係が築かれてきた恩恵を今の日本人が受けられていることがなによりの行幸です。
うちの家は神道なのでお葬式は神式でした。仏式だと黒白の幕ですが神式では水色と白の幕です。全国の地方祭がありますが紅白の幕や幟旗を立てますが氏子の家の前は水色と白の幕や幟旗を立てます
私の家は、神道で、いつでも、お祭りします。一般的なお葬式にあたる神葬祭は、神上がりですね。柏手は、忍び手ですね。戒名もなしで、本名のままです。
お寺に管理されるようになったのは、税金徴収のためですね。
葬儀について詳しく知りたいです。
大恩人である家族に出来るだけ沢山の徳を積んで後生へ送り出す事が、せめてもの恩返しと思い、死んでからあれこれと調べるのではなく、しっかりと準備をしておきたいと思っています。けれど、何が故人の為になるのか、何日もお坊さんが唱えて下さる経は、どういう意味があるのか、自分はどういう立場で何をすれば良いのか、何も分かりません。
神仏習合の時代は分けて話すのは難しいのでは?と思ってしまいます。八坂神社は明治以前は祇園社でお寺でしたし、神宮や大社は神宮寺があったり、神社を管理しているのが別当(お寺)だったり。
沖縄の友達は以前、『お墓は怖くない。むしろ祖先達が守ってくれてるから有難いしそこで飲み会も楽しんでできる』と聞いたことがあります。神式の長い歴史の賜物で面白いですね☺️
地域にもよるのかも知れませんが、しのび手は寸止めではなく静かに手を合わせますよ。あと、しのび手は神葬祭~50日祭(仏教でいう49日)までですかね。慰霊祭などでは普通に柏手を打ちます。
神仏習合は霊璽や位牌よりももっと大きな部分での話になりますね。
神社と直接関連なくても神式の家系もあります。うちの母方は代々神式ですけど藤原氏系で江戸~明治時代は豪農やりながら造り酒屋でした。
うちも神道ですがお墓みたいなものは何々家の奥城 おくつきと書いてあります。お参り時は起きてもらうため音を出して手を合わせます。市営墓地なんかに行くとお墓の先端が四角錐なのが目印です。探すと結構ありますよ。宗教で争わないのが日本人の良い所だなと改めて感じました。いつもためになる配信ありがとうございます。
自分が守られていると感じるのはこういうことか。古来からのご先祖さまなんだな。
俺も精進しないとな。
いつも素晴らしいお話ありがとうございます。先生の話を聞いて大きな栗の木の下で、の曲に深い意味があるのかと思ったのですがググったら外国民謡でした^^;
神道葬儀での特徴。
「遷霊祭(せんれいさい)」
「忍び手」
「玉串奉奠」
菊の花献花とか?
思い付くのはこんなところ。
喪が明けたら墓前でも拍手で音たててもいいですよ。もう神様ですから。
凄くわかりやすい説明で、スっと入って来ました。ありがとうございます。
素晴らしい動画を見させて頂きました。ほんとそうです。だから世界の歴史では宗教戦争が根幹で争いあっているのに、日本では宗教戦争が無かった。宗教学が好きなのでキリスト教、イスラム教、仏教など、経典を一応は呼んで知識として理解してますが、どの経典、聖典にも、平和だなんだとありますが結局史実として戦争が起きています。日本では別です。海外の歴史を見ても日本だけです。宗教戦争が無かった国は。結局色んな宗教の平和というのは"相手を憎まず"ということだと思います。だから日本が"和"=輪 の国だと言われている理由であり、神道こそが真の宗教であり、宗教と思わせない事こそが心構え=宗教だと思っています。あと聖書に書いてある事も含めですね。
古い記録が残らないのは、病死した者には家ごと燃やしていたから。
なので死人が出るとお悔やみで形見分けをして家財等中身を減らす。
ケガレの染みついた寝具や衣類や畳に床等さら、燃して更地にする。
なので葬式は地域の一大行事であり、遺族にとっては新居イベント。
富豪などは家を燃さぬよう、死人が出たことはなるべく伏せられた。
みたいなことを何かで読んだ記憶。大家族なら民衆でも式年遷宮やw
喪に服すという自粛は上記が切っ掛けだったのだろうかと思います。
同僚のお姉さんのご実家が讃岐琴平宮の氏子でご尊父が亡くなったときも神葬祭だったそうで「お父さんが守ってくれてるんよ」と聞いたことがあります。
浄土真宗の我が家のあっさりした葬儀と比べてなんだか格式高いものを感じましたがそういうことだったんですね。
位牌に関しては神道由来というのは疑問です。中国には日本人がイメージするのと全く同じ形の位牌があります。
今Wikiで調べたら、中国の後漢の時代にはあったとの記述。日本ではまず使われない「牌」の字(木の札の意)を用いることからも、中国伝来と考えるのが自然と思われます。
私の家は神道で私は嫁ぐまで数珠も持っていませんでした。
お葬式がお祭りだったと言う事で、鯛がお供えしてあった事が記憶にあります。
八幡宮を解説して欲しいです。
仏教は人にたいする優しさを感じるんですね。人に着目してるというか。
近くのお寺のお墓には観音像が建っており
観音様のお墓に向いてる目が「お疲れ様大変だったね。ゆっくりおやすみなさい」と言ってるような気がしてものすごく優しい気持ちになります。
江戸時代は神仏混淆状態で寺が神社を管理するのが普通でした。
祖先が輪廻して、生まれ変わっている。お墓参りの対象に、自分が何分の1いる。祖先への感謝に加え、こんな気持ちでもお参りしてます。
ありがとうございます。亡くなった武道の師匠が神式でしたので次にお墓に行く際は教えて頂いた作法を実践して行こうと思います。☺️💕
母方が江戸時代以前からずっと神道です。神棚にあった木札に書かれたご先祖様の名前をまとめて頂いた際に、神主さんにご先祖に神社関係者がいたんじゃないか?と言われて不思議に思ってたんですが、歴史背景があったんですね〜!勉強になりました。
埋葬法ー4
鳥葬(ちょうそう)とは葬儀、または死体の処理方法のひとつであり、肉食の鳥類に死体を処理させるものである。
概要
チベット仏教にて行われるのが有名である。またパールスィーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒も鳥葬を行う。国や地域によっては、法律などにより違法行為となる。日本では、鳥葬の習慣はないが、もし行った場合刑法190条の死体損壊罪に抵触する恐れがある。
チベットの鳥葬はムスタン王国建国の数百年後に始まったと考えられ、現在も続いている。
ゾロアスターは古代ペルシア(現在のイラン)にルーツを持ち、死者の肉を削ぎ動物に与える風習があった[1]。
カリフォルニア大学マーセド校の考古学者マーク・アルデンダーファー(Mark Aldenderfer)は、「ゾロアスター教の葬儀をアッパームスタンの古代人が取り入れ、その後にチベットの鳥葬へと形を変えた可能性がある」という仮説を提示している[1]。
チベットの鳥葬
チベットの葬儀は5種類あるとされる。すなわち塔葬・火葬・鳥葬・水葬・土葬である。このうち塔葬はダライ・ラマやパンチェン・ラマなどの活仏に対して行われる方法であり、一般人は残りの4つの方法が採られる。チベット高地に住むチベット人にとって、最も一般的な方法が鳥葬である。葬儀に相当する儀式により、魂が解放された後の肉体はチベット人にとっては肉の抜け殻に過ぎない。その死体を郊外の荒地に設置された鳥葬台に運ぶ。それを裁断し断片化してハゲワシなどの鳥類に食べさせる。これは、死体を断片化する事で血の臭いを漂わせ、鳥類が食べやすいようにし、骨などの食べ残しがないようにするために行うものである。
宗教上は、魂の抜け出た遺体を「天へと送り届ける」ための方法として行われており、鳥に食べさせるのはその手段に過ぎない。日本では鳥葬という訳語が採用されているが、中国語では天葬などと呼ぶ。また、多くの生命を奪ってそれを食べることによって生きてきた人間が、せめて死後の魂が抜け出た肉体を、他の生命のために布施しようという思想もある。死体の処理は、鳥葬を執り行う専門の職人が行い、骨も石で細かく砕いて鳥に食べさせ、あとにはほとんど何も残らない。ただし、地域によっては解体・断片化をほとんど行わないため、骨が残される場合もある。その場合は骨は決まった場所に放置される。職人を充分雇えない貧しい人達で大きな川が近くにある場合は水葬を行う。水葬もそのまま死体を川に流すのではなく、体を切断したうえで実施される。
鳥葬はチベット仏教の伝播している地域で広く行われ、中国のチベット文化圏だけでなくブータン・ネパール北部・インドのチベット文化圏の一部・モンゴルのごく一部でも行われる。ただ、他の国のチベット人には別の葬儀方法が広まりつつある。
チベット高地で鳥葬が一般的になった理由のひとつに、火葬や土葬は環境に対する負荷が大きすぎることもある。大きな木がほとんど生えないチベット高地で火葬を行うためには、薪の確保が困難である。しかし、森林の豊富な四川省のチベット人は火葬が一般的である。土葬も、寒冷なチベットにおいては微生物による分解が完全に行われず、かつ土が固くて穴掘りが困難なこともあり、伝染病の死者に対し行われる方法である。伝染病患者を鳥葬・水葬にすると病原体の拡散が起こりうるからである。
中国の西蔵自治区当局は鳥葬は非衛生的だとして火葬を奨励していたが、2006年に鳥葬について撮影や報道を禁ずる条例を公布して、伝統文化を保護することになった。チベットには約1000箇所の鳥葬用石台があるが、関係者以外による撮影や見物、および鳥葬用石台近くの採石など開発行為も禁じた。
ゾロアスター教の鳥葬
ゾロアスター教では、死体は悪魔の住処とされる。葬式は悪魔による汚濁の源を浄化するための儀礼であった[2]。 ゾロアスター教においては、火を善神の象徴として崇拝しており、悪魔の住み処たる死体によって火が穢されるのを避ける。そのため火葬は行われず、同様の理由で土葬や水葬もない。 サーサーン朝ペルシア時代のゾロアスター教社会では、死体は路傍に放置されハゲワシに食われるか、直射日光で乾燥して骨だけになった後にダフマと呼ばれる磨崖穴に入れられる曝葬(ばくそう、風葬と同じ)が行われていた[3]。
インドに流入したゾロアスター教の教徒(パールスィー)もその伝統を受け継いだが、イラン高原と異なり湿潤なインドでは死体が乾燥する前に腐乱してしまうため、磨崖穴にちなんでダフマと名付けられた鳥葬専用の施設を使用している[3]。 英語で沈黙の塔と呼ばれるタワー型のダフマは、古代ローマのコロッセウムにも似た開口部のある円筒状の塔であり、その上に置かれた死体は鳥がついばんで骨となり、骨は陽光によって漂白される。そして最終的には土に還るというわけである。その際、すみやかに骨のみになるとよいとされる。
葬儀は亡くなったその日に行われるのが良いとされるが、日没後には行われない。遺体は金属製の台に乗せられ、ダフマの近くまで葬列を組んで送られる。遺族はダフマの近くで最後の別れを行い、遺体運搬人によるダフマへの行進を見届けた後、身を清めて没後3日間死者のための儀式を行う[2]。
ダフマはインドのムンバイに2基、ナヴサーリーに2基あるほか、インド亜大陸のパールスィー居住区では数多く見ることが出来る[3]。
埋葬法ー5
水葬(すいそう)
葬儀方法の一種で、遺体を海や川、湖に葬るやり方である。国によっては宗教上の理由から、土をかけて一旦土に還した形(土葬)をとった後に行う場合もある。
概要
水葬が行われる理由は様々なものがある。
まず、宗教(信仰)上の理由で水葬を行う地域としては、インドのガンジス川流域やポリネシアなどがある。地域によっては遺体を小さな舟に載せて川や海へ流すところもある(「船葬」や「舟葬」と呼ばれる)。
また軍民問わず、洋上での死者や、上陸戦での犠牲者に対して、他には過激派の指導者が死亡した際に、埋葬地が聖地となるのを防ぐため水葬が行われた例がある[1]。
通常、洋上の軍隊では、一旦国旗を被せ、滑り台により柩を海中に投下する。その際に弔砲や弔銃がなされる。式中は軍艦旗等が半旗にされる[2]。
日本
歴史
民俗学の考察として、古墳時代における舟形石棺の遺物や棺を「ノリフネ(乗り舟)」「フネ(舟)」と呼び、葬儀の世話人を「フナウド(舟人)」という風習、補陀落渡海の伝説など、古来、水葬が行われてきたことをうかがわせる風俗や伝承があるとする[3]。
現代では、法律により日本国内では、刑法190条の死体遺棄罪に該当するとされる。
公海上の船舶
例外として、日本船籍の船では船員法第15条に基づいて、船舶の航行中に船内の人間が死亡した時に、船長の権限で水葬を行える。
船員法に基づいて船長が水葬を行うには、以下の1.~5.の要件を全て満たす必要がある。
船長は、死体を水葬に付するときは、死体が浮き上がらないような適当な処置を講じ、且つ、なるべく遺族のために本人の写真を撮影した上、遺髪その他遺品となるものを保管し、相当の儀礼を行わなければならない(船員法施行規則第4条、第5条)。
船舶が公海にあること。
死亡後24時間を経過したこと。ただし、伝染病によって死亡したときは、この限りでない。
衛生上死体を船内に保存することができないこと。ただし、船舶が死体を載せて入港することを禁止された港に入港しようとするときその他正当の事由があるときは、この限りでない。
医師の乗り組む船舶にあっては、医師が死亡診断書を作成したこと。
伝染病によって死亡したときは、十分な消毒を行ったこと。
また、自衛隊でも水葬に関する事柄が定められている(防衛省訓令 隊員の分限、服務等に関する訓令・第21条)[4]。自衛隊の場合は、船員法とは以下の要件が異なっている。
医官が乗り組む船舶にあっては、医官が死亡診断書または死体検案書を作成していること
伝染病によって死亡したときは、感染症法およびこれに基づいて発する命令の規定による消毒方法をしていること
インド
ガンジス川流域にて、ヒンドゥー教の儀式の一環として行われている。これは、「ヒンドゥー教が、仏教の無常観思想を受け継いでいるため」、とも言われている。
水葬された有名人
「Category:海葬された人物」を参照
木曾義昌
カジミエシュ・プワスキ - 1779年
フランシス・ドレーク
ジェームズ・クック
山崎丞 (新撰組隊士。但し、異説もある) - 1868年
ウサマ・ビンラディン - 2011年
ニール・アームストロング - 2012年
アブー・バクル・アル=バグダーディー - 2019年
仏式でも、真宗は告別式でも御霊前ではなく御仏前と書きますね。
すごくいい話しでした。寺請制度や神仏習合は知っていましたが、江戸時代以前は神社で葬式をしていたことや知りめせんでした、位牌のことはポータブルなお墓程度の認識でした。
この括り(江戸期以前は神葬祭)は、極めて不正確です。
仏式の葬儀は、僧や皇族公卿については平安、武士に関しては鎌倉期辺りから普及していきます。
また.寺と神社ですが、多くは習合の結果、神宮寺や別当社などで連動しており、明治以前において、寺・神社をハッキリ分けるのはナンセンスです。
さらに。
氏神・産土・鎮守の概念の説明もあまりに雑です。
この回はやり直したほうがいいような気がします。
江戸期に神葬祭が抑圧された事実はありません。
また、「告別式」なる語は、近代の概念で、あくまで、通夜・葬儀です。佛教の浄土観についても曲解がありますし、神道の死後観についても相当問題があります。イデオロギーのバイアスでしようか。
祖先...氏神
(氏神)
|| 転居先...産土神
(産土) ≒(無縁)
|| || 凶方位...鎮守神
(鎮守) (産土) ≒(無縁)
|| ||
(鎮守) (鎮守)
始祖から先祖代々同じ土地に住み祖先の神社があれば氏神=産土神=守護
殆どの人は何らかの時代に始祖の土地を離れているので土地神≒産土さん
産土さんの土地を離れれば、その最寄神が産土となり凶方位が鎮守となる。
日本に生まれてよかったです。これ一言に限ります。有り難うございます。
やはり八百万の神の信仰がベースに有るので仏教も異教神も許容出来るのでしょう。
確か江戸時代でかなり仏教も形骸化されてんですよね
お葬式の仕方について、とてもためになりました。特に位牌のことは、私も疑問に思っていたのですが、腑に落ちました。
今回の講義とは別のお話ですが、佐渡金山のことが今話題になっています。果たして朝鮮人の強制労働があったのか、その辺の歴史を教えていただければ幸いです。
父母をおくりました。
仏式です。お寺さんが告別式ではなく、葬儀式です。といわれ、葬儀屋さんに修正してもらいました。
江戸以前は庶民が神式で葬儀を行っていたなど全くデタラメです。神葬祭は18世紀中ごろより吉田系の一部の神職にだけおこなうことを幕府が認めたことに始まるものです。それでさえ方法がわからず道教などの作法を取り入れて「創作」したそうです。江戸以前に神式葬儀が行われていたなら分からなくなるはずがありません。そもそもそれまで神職でさえ仏式で葬られていたのに庶民の葬礼が神式のはずがありません。日本は古来より神仏が集合しております。今の仏式の葬送儀礼にしても古来よりの習俗(これを神道としてよいかも疑問)が相当混在しているということが前提ですが
お話ありがとうございます 面白く聞きました 大変参考になりました ありがとうございました
江戸時代以前はほとんど神式だった?ホント?江戸時代に無理矢理仏教に変えさせられた? 歴史のターニングポイント?
ホントに訳のわからない話です。檀家制度が江戸時代にできたからといって、それ以前に寺檀関係が無かったとは言えません。寧ろ神道が庶民の葬式に関わることのほうが少数だったのではないですか!
私もそう思います。源氏物語などに出てくる葬儀も基本、仏式ですよね。
江戸時代に檀家制度ができる以前から、仏教が浸透した時点、つまり遅くとも貴族は平安時代、庶民も鎌倉時代くらいまでには、葬儀も仏式だったと思われます。
親戚が浄土宗の寺やってます。創建は鎌倉時代。江戸時代前がほとんど神式だったというのはそこの住職からも先代住職からも聞いたこと無いですね、私も違うと思います。
基本神式なのは確かなのですが、神仏融合やら
キリスト教の天使を仏式変換してたり謎な変化してるので
これ、解説以前によく分からないところ
庶民の食生活と同様に
先祖辿って、何で神社総代やってる時期あるのか本当に謎
神職を祝部(ほうり)とも言います。つまり「葬ることを司る」職です。このような職名は僧階には見られません。因みに大祝部(おおほうり)という地位は最高クラスの神職階級です。私は小名木説を支持します。
はふりべ ほうり
ばさばさ ばさら
お隣りの国にはウリスト教と呼ばれるものがありますよねw
今日もがんばって誰かの役に立つ生き方しよう
そう思える動画でした
死んだ後で我を讃えよ
ではなくて
家族と、地域と、縁者のしあわせを願って真剣に生きぬいた結果、家族ぐらいには
「これからも守ってね」
と思って貰えれば御の字。
大乗仏教は印度から支那に伝わる過程でキリスト教の習俗を取り入れて現在に至っているので、この場合はどう云う風に解釈すれば宜しいでしょうか。これは習合か否か好く解りません。
景教
めっちゃ面白いl
自分が死ぬ時は神式が良いかもと思った。
今、神主さんの家しかやってないと思われます。
神主でなくても地方によってちがうかもです。
うちは神主じゃなくても神式でした。
ほーーーーーーへーーーーーー。
知らなかったという事は勿体無いことをしていたな。
昔は神前結婚式して仏教でお葬式というのが不思議だと思ってました
イタリアと日本の食文化を融合して、ちゃっかり日本人の日常にしちゃってる
「ナポリタン」みたいなもんか
集落の真ん中に栗の木があったとすれば
土偶が栗の顔立ちをしていたとしても
不思議ではないですね。
有難いお話に感謝します
【講義リクエスト】ですが、縄文時代などの貝塚の発見などはよく聞きますが、縄文時代、桃山時代の陶器や庶民や武士のゴミは見つかったという話を聞きませんし、どこに行ったんですか??又、生活ゴミは、過去の日本人などはどのように処分していたのですか?昔は、ゴミ問題とかはなかったのですか??抗議の方よろしくお願いします
お葬式は意味があるのでしょうか?
もしだれも知ってる人が亡くなった場合、神様、仏様は亡くなられた方をどう扱うのですか?
これを考えるだけでも、全世界の葬式すべて、存在意義があると考えること自体が、おかしいでしょう。
習い合う。日本らしいです🤗
ありがとうございました。
とても、ためになりました。
埋葬法ー3
土葬ー2
キリスト教の土葬
アメリカ合衆国では宗教的理由により火葬より土葬が好まれる傾向が1990年代まで強かった。これはキリスト教の最後の審判に際しての死者の復活の教理を持つため、キリスト教会の伝統として火葬に否定的な見解があった事が背景にある。しかし、2007年から始まった世界的な不況の影響で費用が掛かる土葬よりも火葬が執り行われることが増えたとされる[11]。全米葬儀ディレクター協会や北アメリカ火葬協会の調べによると、2013年には火葬を選択したアメリカ人の割合が45.3%に達し、1998年に24%だった火葬の割合がその後の20年間で倍近くにまで増えており、急激に火葬の割合が上昇している[12][13]。
火葬の否定は必ずしも日本で採用される見解ではない。正統長老教会の神学者ローレン・ベットナーは『不死-死後の問題の解明』で、聖書の火葬の記述、『ヨシュア記』7:25-26、『第一サムエル記』31:10-13が「呪われたもの」に対するものであったと指摘し、火葬に反対しているが、この本を翻訳した日本の福音派の指導者尾山令仁はベットナーと異なる見解をとっている。ベットナーはアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、そしてイエス・キリスト自身が土葬にされていることに注意を促し、クリスチャンは土葬するべきだとした[14]。
正教会[15]、カトリック教会[16]、聖公会[17]、プロテスタント[18][19]のいずれの教派の信徒も他国では通常土葬されることが多いが、日本では火葬されることが一般的である[20]。
イスラムの土葬
イスラム教ではキリスト教同様、最後の審判の教義により、生前の肉体が失われることになる火葬は禁忌なので、土葬が行われている[21]。コーランには「現世を罪深く過ごした人間は地獄の炎で焼かれる」とあり、イスラム教徒にとって遺体を焼く火葬は、地獄のイメージとも重なり問題となる[22]。土葬が困難な国では富裕層中心に土葬が認められている国に運び埋葬する。2018年頃では日本の単身ムスリムの多くは母国に遺体を運搬する予定だが、遺体の空輸には、70万-100万円ほど費用がかかり手続きも複雑となる。だが、ムスリムが国際結婚したパートナーの日本人もムスリム入信が義務なので、これまでの家の墓とは別になってしまうという問題が発生している[23]。
火葬の徹底している中国でも、イスラムのウイグル族、カザフ族は、土葬が認められている[9]。新型コロナウイルス感染症への防疫を目的とした中国政府の2020年2月1日の通知では、感染者の遺体は火葬の習慣がないイスラム系の少数民族を含め、一律に火葬するよう求めている[24]。
スリランカ政府も2020年春、死亡した新型コロナウイルス感染者の火葬を義務付けたが、2021年2月25日に土葬を許可した。国内イスラム教徒の反発のほか、イスラム協力機構や国際人権団体から批判を受けた。世界保健機関(WHO)は「土葬で感染が広がる根拠はない」との見解を示している[1]。
方式は、埋葬前に棺から出して、お清めとして真水で体を拭き、布を巻いてから埋葬する。日本では遺体の頭を北に向けて、体を西に向ける。顔を、そこの土地でのメッカの方向に向けて埋葬する。そして土葬といっても土に直に埋めるのではなく穴を2段に掘って、深い方に遺体を入れる。そこに木の板を敷いて、上に土を被せる。だから中は空洞になっている[21]。死後、横たえた遺体が、最後の審判の結果を伝える天使が来訪したら、上半身を起こし天使の声を聞くのだという。そのため、身を起こせるだけのスペースを確保する必要があるとのことである[23]。
新型コロナウイルス感染症の拡大で、イランでは政府が専用の墓地を開設し、家族を立ち会わせず、遺体を洗わずに2メートル以上の深さに土葬する。イラクでは新型コロナウイルスによる死亡者の埋葬が墓地側に拒否される事例が発生。イスラム教は死亡後24時間以内に埋葬するのが望ましいとされるが、行き場を失った遺体が病院内に1週間も留め置かれる事態になり、国会は政府に対し、市街地から離れた砂漠地帯に新たな墓地を開設するよう求めている[24]。
日本国内の墓地
だが、イスラム教徒が日本では11万人と拡大し、21世紀に入ってから日本在住のイスラム教徒が土葬を行って周囲の住民と摩擦が発生している。専用の墓地建設は難航しつつも一部で進んでいる。墓数は一定確保できたが、地域的な偏りの解消、分散化、墓地情報の伝達が課題となっている[23]。日本でイスラム教徒向けや外国人の土葬を認める霊園は、山梨県甲州市と北海道余市町、茨城県つくばみらい市、小美玉市、静岡県静岡市、和歌山県橋本市、兵庫県神戸市立外国人墓地[注釈 1]の7か所にある[25][26][27][28][29][30]。
2020年、大分県日出町にイスラム教徒用の土葬墓地の建設計画が進められていたが地域住民が反発。町議会で計画に反対する住民の陳情が議題として取り上げられ、同年12月4日、賛成多数で採択された[31]。
墓所が町の中央にあるということは、占術で使用する後天盤のエネルギー配置図の5黄を意識してのことなのでしょう。皇居を中心とする風水都市国家の形成は、現在も進行し続けています。
ねずさんの臨場感あふれるお芝居の部分が好きです♡
ある人から、二礼二拍手もGHQによってアレされたやつで、本来は三礼三拍手一礼だと言われました。
三拍手は目立ってちょっと勇気要ります。
どうなんでしょうか?
接着剤で、変化因子なのよね
なので、固まった部分に染み込んでいく
コペルニクスやダーウィンとかは凄い苦労したんだろうな
今回は神回でした。お寺さんが管理していた「人別帳」とは現代でいうところの戸籍、住民票、パスポートのルーツのようなものだったのですね~。世界でも先進的です。さすがニッポン!先祖に感謝!
ちゃんと年貢も正確に集まりますしね🇯🇵
人別帳なんですがね
なので、複数の戸籍みたいなのも作れて訳わからん所があると
お位牌を大事にしている意味がわかりました。浄土真宗はお位牌はないですね。中国古装ドラマ「琅揶榜」を江戸幕府は仏教界と結合して、中央集権国家を作り上げたということですね。浄土真宗にはお位牌はないようです。 中国古装ドラマ「琅揶榜」を見ていたらお位牌を屋敷に祀ったり、祈ったりしていました。これはどうなのでしょう。中国にもそういう習慣があるような気がしますが。
沖縄みたいやね
いやー、今本当に悩むね。仏教は宗派によるけど金が掛かるね。神道にかえようかなと思うよ。家は曹洞宗なんだけど、お坊さん達はサラリーマンみたいに転勤があったり出世があるんだ。一回式をやるときには何十万と納める。(お年忌など)やっぱり地獄の沙汰も金次第!かな?でも先祖代々墓あるからね。お坊さんはいい人達だけどね。慈悲とはなんぞや。
違います!
何か空、それこそ色です
この映画見ると全部意味ない
靖国神社へ参拝の拝礼の柏手も同様にするべきでしょうか?
強いて言うなら七福神が融合的ではありますが、同じ神様ですので融合できるのですね。勉強になりました。ありがとうございます。
「ヒンドゥー教と仏教の融合などあり得ない」という点は間違いです。
インドに留学していた先輩の話によると、インドのヒンドゥー教徒に「仏教徒だ」というと、「仏陀もヒンドゥー教の神だから」ということで受け容れられるのだそうです。
恐らくは、神道だけではなく、多神教は多かれ少なかれ、他の宗教を飲み込む性質があるのではないでしょうか?
まさに、老荘思想・儒教・先祖祭祀は、支那で佛教に強く付加されましたし、我が国の祭祀でも盂蘭盆のように、在来の習慣との、習合も。
位牌は儒教から来ていると思ってましたが。
めっちゃ面白いl
自分が死ぬ時は神式が良いかもと思った。
はれ?道教は禅と繋がっていなかったけ?
ありがとうございました。
日本ってかっこいい!
にっぽんは、かっこいい!😊
サムネが二見ヶ浦だ✨
音を立てずに拍手するのは喪に服してる人が神様を拝む時です。
音を立てて拍手するのは、音が響き渡った場所を清め結界を張る意味があり、亡くなった人や先祖の御霊を祓わないようにする為に、忍び手と呼ばれる音を立てない拍手をするんですよ。
知っての通り、2拍手2礼2拍手も昔の挨拶の作法で高貴な方を挨拶をする時お互いに拍手をして場を清め頭を下げて話をして拍手をしてから場を離れた時の名残りで、会う人により回数も変わっていたので、神社の祭神によっては回数も変わります。
神道は人から神様になれるのでお祝い。
仏道は仏になる為の修行と別れの悲しみで喪に服す考えですね。
最近ではお墓の塔婆立てや花筒が金属だと先祖が呪われるって言う人が出て来てますが、古墳等の墳墓に金属の刀や鏡が納められてるのも呪われてるって話になってしまうのに気づかず言ってしまう指導者が多いです。
昔の事がわかれば、今どうしてそうしてるのかがわかるので、特に宗教は日本人の心に繋がる文化でもあるので、丁寧に説明して欲しいです。
故人の愛用品を一緒に埋葬して欲しいという愛情表現ですよね。
現代では土壌汚染とかに配慮したりと色々あって埋葬の際の副葬品って無いですが、
火葬する際には故人の愛用品を棺桶内に入れて一緒にくべたりしますね。
火葬の障害になる金物などは一緒にはできませんが、衣服や書籍なら一緒に逝けます。
墓回りに金物の花瓶等を避けるのは、落雷で墓を傷めぬようにという配慮かも知れません。副葬品として墓の中に埋まってるのと、地表に露出しているのとでは差が有りそう。
江戸時代においては結婚式も仏前で行われたのですか?
今でもお寺関係者は結婚式も仏式らしく、実家が浄土真宗のお寺だという私のクラスメートは、「仏式の結婚式はいいよ~」と言っていました。
でも、江戸時代に結婚式が仏式だったのなら、それ現代にまで伝わっているはずですよね。
NHK大河ドラマなどでは、例えば徳川秀忠と江、豊臣秀頼と千姫、徳川家定と篤姫などの婚儀の場面は、全て神道式でしたよね。それなりに時代考証はしているはずだと思うのですが。
ご回答ありがとうございます。とても参考になりました。
仏式はめっちゃ金がかかるんだよな、神式はどないやろか
「仏」つまりは、神になるってことですよね?
仏になる道ですよ
神なら力が強ければ信仰が集まる
それが善行か悪行かは別物ですが
今悩んでる
神仏キリスト教複合。祈りの場。
人別改めは年貢の関係で、宗門改めは思想管理のためではなかったでしょうか?
寺請け制度、宗門改めは、隠れキリシタンを炙り出すためだったと言われていますね。
家は氏子の神社も檀家の寺も数キロ離れてる
理由はそれぞれだが、本家は長兄従兄弟に任せた(家捨ててるから)
神式してもらいたいと思ってました!
お葬式の話しありがとうございました。なくなって仏になって神様になって家を守ってくれているんですね。お墓と仏壇はちゃん世話しているとご加護とご利益があるわけで、初詣に神社でもお寺でもいい理由がわかりました。位牌が神様の意味もあるというのも勉強になりました。家は二つの仏壇が別々の部屋に私の方のと嫁の義理の父母方のとがあって毎日拝んで線香をあげているのでなんだか強力に守ってまらえているような気がしてきました。神葬祭という言葉も初で意味は違うと思いますが子供の頃お葬式があると「おじゃんぼ」がくるよと小銭を拾いに飛び出して行ってなんだか悲しい感じはしてなかったです。
日本では昔から
ハイブリッド
なのですね!
日本をカッコ良く………d( ̄  ̄)。
護国神社にお祈りする場合も2拍手の時に音を立て無い方が良いんでしょうか?
先生も恥をかいたとおっしゃいました。
不完全だからこそ学びあい助け合うのです。
今は末法時代だから神信仰なんて絶対にやっちゃダメ、他の仏教もダメ、あくまでも方便なので阿弥陀とか大日如来なんていません。法華経以前の教えは全て方便、事実本当の宇宙法界の神々は仏法(正法)つまり仏に帰依しています、日本は本当の仏国ですよ。法と仏は一体です。