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八甲田山動画でこれが一番無駄がなくわかりやすくて好きです弘前隊が貧しい村民にもてなしさせ、案内人を酷使し廃人にしたこと、その後国からの補償もなかったことを知った時は時代が時代とはいえ「雪中行軍大成功!」と喜ぶ気持ちにはなれなかった。とはいえ隊員が犠牲にならなかったことを考えるとその時その時で正義の形はこうも違うのかと胸が痛む。
映画で良いイメージのある弘前隊のマイナス点もちゃんと報告してるのに好意が持てます
こんな場所ならロシアに取られてもいいよね。
この事故についてリサーチしていましたが、これほどよくまとめられた資料は他にありません・・・感謝しています!
本の丸写しだよ、ちゃんと参考資料を上げないとだめだと思いますがね
DVDの『ドキュメンタリー八甲田山』を見れば幸せになれるかも。発売の数年前から2ちゃんねる内の該当スレで話題になり、発売時にスレ内の住人がこぞって買った八甲田山遭難事故の解説(地形からそれに纏わる特異な気象現象、人の行動原理他)や再現ドラマ、地域の怪談まで網羅。見ていたらごめんなさい。
「事故」でなく人災です。
地形図から解説シリーズは遭難系がとてもわかりやすくて助かっています。次回作に期待しております。
映画見返しました。現地も通ったことありますが、改めて動画拝見して、更に理解が深まりました。大感謝です!
八甲田山は標高1,500mを超える山だけど、遭難した地点は標高700m。田茂木野の村から距離6km、たった標高300m登っただけのところ。荒れた冬山がいかに厳しいか感じる。
ほんと、行くたび、通るたびになんで?と思います😊こんな心休まる所で、…しかし冬には地獄…興味ある方は冬以外の季節にどうぞおたずねください。
荒れた山よりも怖いのは、私の経験ではホワイトアウト😢自分をコントロールするのが困難、パニックになるのだ‼️1㍍先が見えない。
すごくわかりやすいです。大袈裟な音楽や画像・演出のない淡々とした動画だからこそ、逆に純粋に胸に迫るものがありますね…。
学生の時、映画を見、小説も読んで5月の連休に旧青森連隊から田茂木野、馬立場、慰霊碑跡まで歩きました。道中15㎞位、なだらかな丘でなぜこんなところで遭難するのかと不思議に思うようなところでした。厳冬の雪の怖さを思い知りました。この丁寧なグーグル地図の説明で非常によく理解できました。本当にありがとうございます。
毛クク価値悲し簡単悲し価値ですコカ黒鬼悲し。簡単描く車の各個聞いたが化区画各九九和食処!化気を各九九からから閣議から化コカです聞いた2、贈与かくかく九聞いてみる化から閣議聞いてみる閣議閣議から化閣議化聞いたカコ名額田駅気を黒鬼中な?~~ですからカヌレ。そんなに、あかな!菜について、確かめません?、?、名です個!、服個化聞いた化化閣議から聞いてみるが閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議からからからからから気を化から聞いたががから閣議閣議閣議から化からからからからからからからからからからからからからからからからからから閣議か
ふゆ山は人を騙すの歳寄りの言葉を子供の時に聞いたが正にその通りに視界が効かずに感覚を無くすのでしよう?上官の過ちですね!案内人に御願いすれば免れたかも?当時の日本軍隊は不可能の言葉が無くて精神力で乗り切る軍隊だから!
なだらかな丘だからこそ迷うんだよ目印が無いから
稜線が分からなければ遭難する可能性はかなり高まりますね。ましてや冬山。八甲田山のCGを見る限り稜線を捉えるのが難しそうなのと雪の影響で正直わからない。地元民ですら迷う程ですからね。貴重な部隊の損失に残念でならないと私は書籍を読みながら感じました。
いつも大変分かりやすい解説、ありがとうございます!
いえいえ
弘前隊が、八甲田山を含む11泊12日行軍成功してんのがすごすぎ、、と思ったら地元民見捨てててあまりにひどいな
全て伝聞!真実はわかりません
悪評立った時点でアカンよ…そもそもこの時代、根拠なく地元民が軍を悪く言う道理が無い
軍に対して案内者の治療費を請求する文書が残っているそうなので事実だと思います。治療費は支払っていないようです。
映画では弘前隊の高倉健が案内の地元民に向かって敬礼するシーンがあったけど、あれも映画を盛り上げる為の演出で実際は違ってたのかと思うとなんかドン引きしちゃうね。
この事件が起きた明治34年(1902年)当時、八甲田山周辺の5万分の1地形図はまだ作られていませんでした。青森第5連隊が持っていた地図は簡易測量で作られた25万分の1地図だったとも、もっと簡易な案内図だったともいわれます。つまり、日本史上最低気温を記録した日でなくても、大吹雪でなくても進路や地形を見失い遭難した可能性が大です。また、この数年前に新潟県新発田の連隊が新発田〜会津の数日間にわたる雪中行軍を成功させていますが、その時の成果(食料を凍らせない方法など)を参考にした形跡もありません。幹部たちの準備不足が招いた人災です。
これも旧日本軍の強い精神があれば難局を乗り越えられるかな?
@@kkkdd-yh4kp 気合いがあれば遭難しません(洗脳済み)
あの辺って豪雪のイメージだし地図があっても地形変りそうだし、素人に毛が生えた程度の知識じゃ地図があっても迷いそう。なお、素人から毛が抜け落ちた自分は雪降ってなくても迷います
人体実験じゃないのかね 八甲田山の犠牲者の検死やら研究の成果がロシアとの戦争の際かなり役立ったみたいだし
なにせ、誰も田代新湯に行ったことがなかったというのだからあきれるばかり。
地元の方の助言、言い伝えがいかに重要か。。。
良いようにこき使われて置き去りは無いな。
凍傷で、頬に穴が開いたり足が曲がったりして、その後の生活に支障をきたしたが、福島大尉に脅されたことにより誰にも話せず、聞かれても話せず。ほとんどの案内人は死亡。後年生き残りがそろそろいいだろうと話した内容が今に伝わる。
映画では描かれなかった真実がこの動画にはあったね。酷えもんだわ
言葉の使い方に納得出来無い!こき使われたの表現は何を参考に言って居るのか?八甲田山死の彷徨でも其の様な表現はして無いけど其の時代の軍隊だから命令調な言葉はあってるが案内人に対して頭中の捧げ銃で!
東北の津波の時も言い伝え無視していたもんな
「田代温泉と言っても何もありません」を聞いた瞬間の絶望感凄い
救助隊かと思いきやただの木だったのが一番最悪
湯治のための小さな民家が一軒だったそうです。目的地に着いてても悲惨。
え?ないのか
淡々と解説してくれたおかげもあってか早送りせずしっかり視聴できました。
遭難した日に北海道旭川で観測された気温が国内における最低気温記録として未だに破られていない。
壊れとったんやろ
幌加内やな。-41.2℃は幌加内のカントリーサインにも描かれているね。
@@zadkmb そっちは公式じゃ無い方だね。1902年のは旭川で-41.0℃。
@@閃光のヤスウェイ その日周辺は他地点でも記録的な寒さだから壊れてた訳ではない、ただ古いから観測方法や機器自体が今と差を生んでる可能性はある。
今一番寒いのは北海道の陸別町だよ。しっかり覚えておいてね☺️
3:48 ドキュメンタリーなどでは兵が行軍続行を強く希望したことが戻らなかった理由になっているけど、これは責任を兵に押し付けてるだけだろ。重要な判断は上官が行う事であって、兵が口を挟む事ではないから。
那須岳の雪崩遭難も生徒がもっと上に行きたいと言ったとか。おそらくその生徒は亡くなっています。死人に口なしです。
2022年10月31日に八甲田山をリンゴ買い出しの帰りにドライブしました。標高が1000m近くの原野に近い山で、何もない美しい山野です。こんなに素晴らしい自然の中で、こんなに悲しい物語のある事が残念でならない。日本にはこんなに美しい自然があるが、多くの日本人は知らない。日本各地・世界各地を旅行したが、八甲田山は10本の指に入るほど美しく、観光地化していない自然です。箱根や伊豆やそこらの人が溢れる観光地ではない。本当は内緒にしたいが、美し過ぎます。
これはすごい。原作何度も読み、映画も見ましたがこの動画で初めて行程がよくわかりました。感謝感激です。
機会があれば、ドキュメンタリー八甲田山(DVD)を見た方がわかりますよ。
「八甲田山から還ってきた男」高木勉著は、ご存じですか?福島大尉の甥御さんですが、資料をもとに、3年後に福島大尉が日露戦争で亡くなるまでの生涯が書かれています。新田次郎の原作と共に読むと、人物像と時代背景がさらに分かり、訓練の結果は悲しいものでしたが、訓練事態は必要と考えられたのだろうと察せられます。
遭難したのもっと山の上の方かと思っていた分かりやすくまとめてくださってありがとうございます
凄い動画でした!映画などで知ってはいましたが、現地の感じがこんなだとは思いませんでした。相当危険だったんですね、ありがとうございます。
わずか1.5kmの距離でも辿り着けない。冬の山は本当に恐ろしいです。負けを認め、諦める勇気も必要だと痛感します
八甲田には高校生の頃には幾度となく冬山登山スキーに行きましたが、チョッと吹雪くと所謂『ホワイトアウト』状態になります。吹雪の中に立って腕を前に伸ばすと掌が見えなくなる程度の視界しかありません。重力のお蔭で上下方向は判りますが、東西南北の感覚は無くなります。前後不覚左右不明なので、慌てず騒がず雪洞を掘って、湯を沸かしコーヒーでも飲みながら吹雪が止むを待つしかないです。日が暮れてしまっても、半月より大きな月が出ていれば雪山は充分に明るいのでスキーで降りられます。
精神的に弱い現代人なら直ぐに引き返しただろうな。
@@jackal7123 まぁ、当時の装備だと雪洞は掘れても焚き火しかできないし防寒具の性能も低いからね
@@0954ups 確かに防寒具の性能差はあるだろうけど、最大の誤りは「現地の事情を知る案内人」を小馬鹿にし軽視した事でしょうね。八甲田付近は真冬になると積雪6m超が普通なので景色が様変わりしてしまいますから地図は当になりません。当然ながら、あの当時はGPSなんてものもありませんからね。春夏秋冬を現地で過ごし景色の変遷を我が身に沁み込ませている人でないと「ここは何所」状態に陥って当然なんですよ。
陸上自衛隊青森第五普通科連隊は陸上自衛隊で唯一、旧陸軍と同じ駐屯地の場所と連隊番号が一緒で有り、現在でも慰霊の為に第五普通科連隊では八甲田山の雪中行軍を行うが絶対に無理をしない事を鉄則しており雪中行軍を始めてから遭難事故は起きて居ない。
凄く分かりやすいです!ありがとうございます!
この話は小説、映画が脚色した内容で有名になってしまったので、誤解されていることが多いです。特に随行の少佐はべつに悪い人ではないのですが、話を面白くするために悪役にされています。愚かな青森隊、優秀な弘前隊という対比を作るために、本当は外道だった隊を立派にしちゃったし。あとこの動画でも腑に落ちない点はいつくかありますが、八甲田周辺は植林で今は森林ですが、当時はあまり木は無い地帯だったようです何も無いからこそ迷う。あと道案内の話は脚色の可能性が高いです。当時の新聞に現地の人の話として記事があったようですが、山の神の日は絶対に山に入ってはいけないと言った人が、行くなら道案内しますよ? なんて普通言わないです。
小説は判断ミスを全て少佐の独断とするような構成でしたね。判断ミスの原因とされている指揮系統の乱れについても諸説あるようですし。面白く読みましたが、創作だということははっきり記載した方がいいと思いました。
生還者らも山口少佐の判断ミスや軽率さを証言。何もない地帯?いえ、ちゃんと木々があり目印もありました。山口少佐は己な面子を優先し部下を皆殺しにした戦犯。おまけに夜間歩行を強行させ、部下を殺し自分まで三度も気絶し部下がその度に担ぎ、火を起こし蘇生させた。最後には谷底への移動まで拒否して駄々をこね、彼を温め囲んでた数名の部下も全員凍死。発見時には山口だけ毛布と部下の着せた服に包まり胡座をかいていた。道案内人の話も創作ではありませんし、しっかり証言も証拠もあり、軍部政府も認めてる。
地形図から遭難事件を解説する動画、待ってました編集お疲れ様です
編集ありがとうm(_ _)m
貴重な動画をありがとうございます。
夏の八甲田山に登りましたが、箱庭のような本当に百名山でも大いに登る価値のある美しい山でした。
夏の山を見るとそんな恐ろしいものと想像できないのよね。
まぁ冬は別世界なんだろうね。ましてや120年前じゃあ動画でも言ってた通り道や標識なんかないし装備も軽装じゃあこれは死にに行くようなもんだな。100%ナメてた指導者が悪いよ。
しかも、日本の一番寒い日に福島弘前第31連隊が弘前を出発したと言う(旭川で−41℃を叩き出した日)ですからねぇ。青森第5連隊が軽装で出発したのも、判ってたらもっと重装備をしたと生き残った兵士が語ってたと小説に書いてましたね。弘前第31連隊もかなり危なかったとの事でしたから、(実際ガイドした案内人は凍傷で死にかけてる方も居た)青森第5連隊は山口少佐と神成大尉他の幹部クラスしか分かってなかったからあんまり分らずに行軍してたみたいですね。しかも案内人のガイドを断って結局10名余りしか生き残らなかったといういわば人災ですわな。しかし、日露戦争では第8師団は凍傷患者は一人も出さなかったとの事。立見尚文師団長は“八甲田山の経験が生きた”と言っていたみたいですね。今でも自衛隊は青森の部隊は八甲田山に雪中行軍を毎年してるくらい冬山登山の経験を積ませてるくらい冬の山の危険な状態を経験させているのは流石だなと思いますね。120年余り前に雪中行軍をさせるのは無謀と思いますが、日本の一番寒い日にさせてしまったのも軍隊だからこそというのもあったのかな?と思いましたね。
八甲田山行軍で生き残りの10名の内五体満足は倉石大尉等の将校のみで下士官兵の生き残りは凍傷により手足切断だった。将校が凍傷を防いだのは将校の被服は自費購入で下士官兵の官給品に比べたら品質が良く、倉石大尉は当時は珍しいゴム長靴を着用していた。
倉石氏だけでなく他数名も五体満足です。だから彼らは日露に出兵出来ました。
@@武井希-x5y助かっても日露に行ってたとか辛すぎます
とても良くできています。昔映画でも見ましたが新たな真実を知り大変勉強になりました。ありがとうございます。
映画等で知ってはいましたけど地形等は分からなかったので詳しい解説ありがとうございました。
上司が無能であることは本当に恐ろしいことなんだけど、もっと恐ろしいのは「こんな馬鹿な計画を建てないでください」と誰も言い出せないところ。この事件から100年経っても日本人のこの部分は変わっていない。
無計画で無鉄砲。暴走してアメリかに戦争しかけてボロクソにやられるのも納得
@@佐藤一夫-b1c 「アメリか」なんて書いてるやつに言われてもねぇ😂
@@佐藤一夫-b1c 今はロシア軍かな(´ω`)
インパール作戦と同じ構図
上司に歯向かったら、クビ切られそう…
非常に良い解説😮ありがとうございました🙌
雪山🤦♀️無能
新田次郎の八甲田山死の彷徨を高校生の頃(42年前)読みました。いまほど、事実関係の報道がなく、高校生だった私にとって衝撃の一書でした。地形図と時系列を追うことでこの惨事がどうして起きたか、少しわかりました。冒頭で開設されていた当時の国際情勢もよくわかります。大変参考になりました。
私も20年くらい前に(社会人なってから)読みまして→映画高倉健 北大路欣也の八甲田山見まして 日露戦争のための訓練を知りました 亡くなられた兵士に黙祷
@@愛国者-f2u こんにちはありがとうありがとうしかありません
整備されている慰霊碑があったので、階段登って行って慰霊した。秋で小雨が降っていたが、こんなところで遭難したら秋でも生存が難しいと感じた。八甲田山の裾野は広いな。
上官の判断が如何に甘いことか。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
「死の彷徨」状況がよくわかりました。小説を読んでましたので遭難概略は知ってますが、立体図でその行動を示されると、「死の彷徨」の意味がさらに深く感じ取れます。上官の意思決定とその命令で動く兵士達。それぞれが最善を尽くしたが、結果的に彷徨い歩き死へと進んだ。ご冥福を祈るしかない。
自己判断で温泉に辿り着いた人は酷い凍傷で指を失ったりしましたが、辛うじて生還したそうです。
最善尽くしてなくね?行き当たりばったりの楽観視の結果じゃね?
@@鈴木三郎-b6b そのように思えますが、将校は自分の置かれた状況から行動判断しているようです。結果的に判断が大間違いであった為部隊を死の彷徨に導いてしまった。弁護するわけではないですが、適当に彷徨った分けではないでしょう。組織のトップリーダーが判断を間違えば何時でも何処でも起きて組織を潰す事例でしょう。
とても分かりやすい解説、素晴らしいです。ありがとうございます。当時の歩兵第五聯隊駐屯地は現在の陸上自衛隊青森駐屯地とは異なっており、現在は青森高校となっています。
補足青森駐屯地の防衛館は五聯隊の隊舎をそのまま移築したもので五聯隊がどんな隊舎にいたのか知りたければ青森駐屯地をおすすめ。(わいは冬の時期一時期青森駐屯地にいて防衛館の前をランニングしてたら雪が降り始めて遭難しかけた馬鹿です。)
地形図めちゃくちゃわかりやすいです!!
凄いシンプルな説明でわかりやすかった!
小説、映画も見ました。史上最大規模の山岳遭難ですね。生存した弘前隊も日露戦争で全員戦死というのが怖いですね
小説の嘘を信じてる弱者がまだいるとはな。犠牲者が多数出たのは事実だが、かなり生き残った人はいるぞ。
これ八甲田山には立ち寄ってもいない。容易な里山行進だったはず。爺さんの話では子供の頃に、悪天で視界が利かないときは、大人でも遭難するので、田の中を徒歩2,3分の隣家にも行っては行けないと親に言われていた。これ福島市郊外の話です。
八甲田山で道に迷った様子が良く分かりました… 凍死して発見された状態も、とても良く分かりました… とても良い動画です…
子息の一人である後藤信一は、日本陸軍に召集されインパール作戦に参加し、2021年現在107歳で存命であるっていうのがすごいな
厳冬の山中と熱帯のジャングルって無敵の親子。
田代温泉が近くダムに沈むので現地見たい人は早めにいったほうがよいかと当時は植林されてなく木はまばらで晴れならば視界は良かった、馬立場付近が植林されてないので当時の雰囲気が体感できますアイヌの捜索隊が超人的な働きをしたのはあまり知られてないのかな今年現地で色々調べてきたのですが、最新の研究ではちょっとこれまでの本とは違うみたいですね地形からの解説はとても良かったです
確か、遭難したイギリス?の北極探検隊も投げ出された氷山の上で半年生き延びたのは、同行していた案内のイヌイットのお陰とか。
いや、確か映画では三國連太郎演じる山口少佐が案内人を申し出た地元の人に、軍には地図とコンパスがあるんだ。と言って断ったシーンがありました。それを見た神田大尉は固まってましたね。
なぜかおすすめに出てきて観ました。すごく分かりやすかったです。私が感じたことはただ一つ。つまらぬ意地は張らないことですね。諦めることも大切かと。
無能が上に立つと辛いねぇ。巻き添えを食った兵さんたちのご冥福を祈ります。
今の政治も一緒⁉️
上も上でこの頃なんてもろに根性論だろうから、できませんとは言えなかったんだと思うよ。中間管理職の悩み
兵隊さんよりこき使われた挙句見捨てられた地元民の方がよっぽど不憫だ
過去の失敗を現代の尺度で無能だったと考えるのはどこか違うと思います。
@@MioMARU_17 ちゃんと準備をして行軍を成功させた弘前の部隊がいる以上、青森の部隊の判断は当時の尺度でも無能でしょう。
案内人の人が可哀想すぎる…
凍傷にかかるとだんだんヤケドにかかったような熱さを感じてくるため最終的に水に飛び込んでしまうと聞いたことがある。
体温を神経の集中する身体の中心部に保とうという作用が起きて身体の表面の温度は下がっても中心部はどんどん体温を上げて神経だけが熱いと感じる様になって矛盾脱衣が起きるそうでが、矛盾脱衣になって生き残った人がいない為、現代医学を以っても不明だそうです。
これが実際の戦争だったのならともかく、単なる訓練だったというのが悲惨の一言。亡くなった兵士の方々が哀れですよね。
これを待ってました。弘前隊の所業については初めて知りました。酷い話。でも、この後実際の戦地でほとんど亡くなったんですよね。
もしも、地元案内人たちに対する所業のことを云っているなら、本当にひどいですね。青森第五連隊を救助しなかったことに関してならば、1) 本当に遭遇していたかは不明、2) 遭遇していたとしても、その時点での救助作業は致命的な結果を呼んだだろうから、見殺しにしたのは残念ながら正解と言わざるを得ないのでしょう。ちなみに前者については、本人たちの証言しかないことも一応、念頭に置いておくべきなのでしょうね。大部分は真実だとは思うけれど...。
実際は日露から5名が生還してます。残念ながら弘前隊の英傑、倉石氏は奉天で散華。時の人になった福島大尉は黒溝台で突撃中に狙撃され戦死。八甲田生還者の小原元伍長が治療養所にまで伊藤氏、長谷川氏らが来たと証言。他も昭和まで生存確認
第一露営地と第二露営地の距離の近さが数百メートル1日かけてどれだけ迷ったのか…怖い……
寒さと疲労、更に睡眠不足と餓えに加え雪地獄を延々と彷徨う・・。私には到底耐えられる自信はありません。
これで生存者11人って生き残った人どんだけバケモンなんだよ。
今第一と第二の看板立ってますけどあまりの近さにかえつて驚きですね
車で行けば市内からそう遠くないところで遭難してるんですよね。いまは除雪も入って、酸ヶ湯温泉まで車で行けるけど、当時は本当に無謀な行軍だったんだと思う。
大変 わかりやすい動画でした
天災ではなく人災なんだよなあ
いや、両方だと個人的には思ってます。五聯隊が遭難したのは、旭川で日本の最低気温が記録された、一番酷かった時期。三十一聯隊が八甲田を通過したのはその後で、厳しいには違いないが最悪の時期は過ぎていたと思われます。装備経験を積んだ三十一聯隊でも最悪期に八甲田に入っていたら分からなかった、と思いますよ。五聯隊の装備準備が稚拙だったのは確かですが、それでも生存者が居たことを考えると、です。
まさに死の彷徨…私の友人のお母さんは青森の方で、この映画が公開されてる事も知らない明治生まれの方で、八甲田山の話をしたら、烈火のごとく、その話はしては成らないと…軍の箝口令を頑なに守ってきた、友人の母親に対して泣きそうに成った事を思い出しました…
四ヶ月かかろうとも、全員のご遺体を回収できたのは凄いな!!情感はともかく、連れていかれた一般兵が可哀想過ぎる…。
後始末に駆り出された者たちは堪りません。
立体地図も使って一番分かりやすい解説
沢深く、森深く、ホワイトアウト。
@@naomin4317 黙ってろお前は
救助隊の案内人たちがかわいそうすぎる…
映画ではそこの所は 描いて無かったです。都合が悪いと消してしまう映画、だから良く解らなかった。
救助隊の案内人ではなく弘前隊を導いたにも関わらず福島大尉に置き去りにされた案内人の村人。
結局自分のプライドが現地の方の案内も断り大勢の部下を死なせてしまったということですよね。酷すぎる。
実際に青森の資料館に行きましたが、当時の装備でとんでもない無謀な訓練ですね。雪に不慣れな隊員が多かったとか…
素人でも雪山登山で-20度悪天候の中、深夜出発はイカれてるとしか思えないけど、寒さが辛すぎてその場で止まる事ができずに、1秒でも早く下山したくなるんやろなぁ
5月にツーリングで通りました。今は道路があるのでその周囲は開けていますが山はとんでもない原生林。
映画「八甲田山」を観た時は、「なんて無謀な!指揮系統が朝令暮改で部隊が振り回されてる。」と思いました。だけど、この行軍を行うくらい、日本は危機感があったんですね。動画で遭難者を赤い点々で見て、遭難者収容に4ヶ月。本当に痛ましいと思いました。極寒の真っ暗、空腹。朝令暮改の指示。一体どんな気持ちだっただろう。
原作を読んだのは、真夏の夜、読み続けると、肌寒くなり、明け方には震えながら読み終えました。真夏に寒くなる「小説のチカラ」。映画では、周り一面「白」の世界。カメラマンとしては、絵作りが難しい。さすが、木村大作カメラマンの凄さ。高倉健さんを先頭に、吹雪の中をスタンバイ、待ち続ける役者とスタッフに感謝感激
吹雪の怖さは、体験したものでなければ、わからないのでしょう。悪天候の時は、外出を控えるのがベストです。
@@近藤茂-y9d さんへ映画「八甲田山」のカメラマンは、黒沢明監督「用心棒」の時には、セカンド助手ですが、ピント合わせの名人です。それから、次々と出世されて今や日本一のカメラマンであり、映画監督でもあります。「八甲田山」の時も、素晴らしいご活躍です。。。役者が通過すると足跡がつくので、一発勝負。それを撮影する撮影部は、足跡をつけないように、回り道してカメラポジションを考えるんですね。スタッフにも、感動。
近年の遭難事故でも足が濡れてしまうと地獄の始まりみたいなエピソードをよく聞きます。
知合いの親父さんが八甲田で泊まり込みの仕事してて夜中に兵隊の歩く音がたまに聞こえると言ってた。
山の神の日というのは、日本の地形や気候の特徴から生活している人々が定めた日。明治からの西洋崇拝による、日本の文化軽視なので、当然の結果ですね。根性とかで乗り越えられるほど人は無敵ではなないてすよ。
先人のご冥福をお祈りします🙏
地元の案内人が本当にかわいそう。ずっと危ないから止めろって言ってたのに……
えぇっ!こんな短い距離だったのか!?40数年前高校生の時友達と劇場に観に行ったが、記憶があいまいなのかもっと長い行軍なのかと思っていた。それも、初日からほとんど遭難モード。引き返せばよいのに。まあ、それが出来れば苦労はしないが・・・
神成大尉が指揮を執る予定だったのが、急遽上官の山口小佐が参加することになり、この人が無知無能だったためメチャクチャになってしまった。早く帰れば良かったのに、彷徨った挙げ句現地解散を命じたそうです真夜中に
30年ぐらい前に第一露営地あたりから徒歩で田代温泉まで入湯しに行ったことがあります。今は下流にダムが作られるためか廃湯になっていて残念ですが。
1902年の事件を大きくした責任者は山口少佐ではなく動画に出てこない津川謙光中佐である。映画では津山中佐として小林桂樹が演じた。事件の責任が隠蔽されたことも起因し、この事故で生き残った隊員も三年後の1905年日露戦争、黒溝台会戦で全滅した。以下の書籍に詳しい。伊藤 薫著『八甲田山 消された真実 』『生かされなかった八甲田山の悲劇』youtubeにそれぞれ出版記念トークショーがある。
あれ、たしか五聯隊の伊藤中尉は対露戦役を生きて還ったと思いましたが?
本当によくできた動画だ。すばらしい。
弘前隊の隊長は映画では敬礼して案内人と別れて行ったけど実際には案内人がうごけなかったため見捨てたんだね
現代の雪山でもこれと同様の遭難事故が後を絶たない
上空から見渡すと大したことないように見えるけど実際に雪山歩くと100mが途方もなく遠いんだよな
雪中行軍😠無能
これは分かりやすい!
この動画は素晴らしいですね。昔映画「八甲田山」が上映された時にテレビで実際の八甲田山の行軍をドキュメンタリーで放送してましたが、ここまで分かり易くなかったです。実際は福島隊は1名が怪我で現隊復帰させられた以外は無事生還したと聞いてましたが、映画の様に案内人を先頭にして村に入り別れる時も感謝の敬礼等は無く、実際上映された「八甲田山」を観た当時を知ってる人からは「こんな美談な事は無かった、陸軍は鬼畜生の様に村人を使い捨てた」と言っていたのを思いだしました。
この事件に関しては、福島の縁者が著したドキュメントが正確ですね。福島は、雪山に対しては慎重に行動したものの、民間人に対してはかなり酷い事をしています。新田作品や映画は、「冬山を甘く見て失敗した側と、謙虚に対応して成功した側」という分かりやすい図式を描きたくてああいう表現になったようです。
原作だと映画と違って冷たい人物として描かれていますね。まぁ映画は高倉健だから暖かい人物になったとおもいますが。
史実や原作小説の通りでは高倉健のパブリックイメージに合わないですからね。高倉健主演映画としてはあれで正解かと。
本の無許可丸写しの業者youtubeをほめる奴笑い
映画だと、高倉健率いる弘前隊は案内人(秋吉久美子)に対して最後は栄誉ある敬礼をもって感謝の辞を示してましたが…やっぱり映画の中だけなんだ…実際は粗雑に扱われてたんですね😢
高倉健のパブリックイメージというものがあって・・・史実や原作小説での案内人への対し方はさすがにイメージに合わないということで映画はああなったそうです。難行苦行の雪中行軍の中で観る側もホッと一息つけるシーン。
当時の帝国陸軍としたら秘密裏の演習ですから案内人への扱いも「口外禁止命令」も当然だったのかもしれませんね。
地元案内人は酷い扱いされたけどロシアに占領されたらもっと酷いことになってかなと思うと仕方がないのかな。
この視点での解説はすごく面白い。
八甲田山この山の中で200人の人がなくなる誰が想像したでしょうかこのドラマを見るたびに胸が暑くなります私も私も自衛隊の時雪中行軍でスキーを履いて玉江小前から千歳の肘まで川越しました皆さん全員が無事でしたよかったです
八甲田山遭難事件はWikipediaがすげーまとめられてる1回読み出すと止まらなくなって全部読んでしまうくらいよくできてる
あっそ。
地形図で説明してくださったのは判り易くて有難い。鳴沢付近で迷って絶望した神成大尉が「天は我々は軍隊の資料のために死ねというのが天の命令である!」というようなことを言って「みんなもう死のう」と声かけたというのは生き残りの小原伍長の証言で、それでみんな士気阻喪してバタバタと倒れて死んだということ。その証言の録音テープが残っています。ただそれでも定かではないという説が多数派なのは何でだろうと思いますが。この動画で足りないのは当時の八甲田山には草木がほとんど無いはげ山で、目印が馬立場とか大まかにしか無かった。それで吹雪が治まった時にそこを目指すのだが、直ぐに吹雪いて見えなくなり迷うの繰り返し。賽の河原とか吹きっ放しだったそうで、この行軍の前にここで慣れた住民が大量死している。弘前隊が住民を酷使して酷い扱いをした話は知らなかったので、時代が時代とはいえこれは酷すぎると思いました。
この件はドキュメンタリー等で悲惨さは理解していましたが、土地勘が全然なかったので地図で見れてとてもよく分かりました。地元の人は再三に渡って忠告していたのに無視するだけじゃなくて人質をとってでも強行していたんですね子供の頃滅多と降らない地元で雪が続いた時期があり、猛烈にふぶいていた日中にちょっとした好奇心から不謹慎にも近所の広域避難所指定の公園へ行って遭難ごっこをしようと思い立って一人で遊びに行ったことがあります公園の中央あたりまで行って吹雪いている中一人視界の悪さ(3m先が見えない状況)と足元のおぼつかなさとどんどん身体に乗積もる雪を一通り楽しんだ後にさて帰るか、と思い立って自分の家に近い方の出口に向かったと思っていたら途中から反対側の出口だと気づいて逆方向へ向かったつもりが斜め側の出口に近づいてた時は一気に雪で遊んでかいていた汗が冷え込んだことを今でも覚えてるし、家に着いた後飲んだココアとこたつのありがたさをひしひしと感じた。平成の時代に生きた人間が公園でさえいともたやすく遭難できるんだから、雪を舐めてはいけないと体感で理解したんだから、当時の人なら尚更危険性を理解していたはずですが、ロシアの侵攻のプレッシャーから今すぐにでもという思いの方が強かったんでしょうかね…戦争って人をとことん狂わせるんだとしみじみ感じました。
バカな指揮官のせいで大勢の軍人さんが犠牲になったんですね。どんな組織でもトップ次第で結果は良くも悪くもなるというという良い例ですね。
伊藤中尉の『日露の地獄は忘れられるが、八甲田の地獄は忘れられない』この言葉が全てを物語る。行軍の生き残りで日露戦争からも生還した伊藤、長谷川、谷川の3名が凄い。歩兵31連隊の泉館伍長と間山伍長も昭和まで生存していた。
上が無能だと下が苦労する。今も昔も。亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします😔
本当にそうです
本当にそうですわ時代変わっても同じですよ
昭和からあるほとんどの企業がそれ
今のロシア 知らんけど。
無能な上官に迎合してたいこ持ち部下が出世してるからクセが悪い。自分で考えて行動しない輩は死あるのみ。
今から110年前、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンセン隊が南極点に向けてどちらが先に到達するか競争をしたのを思い出す。初到達を果たし全員無事に帰還したのはアムンセン隊で、スコット隊は全員遭難死という悲劇に終わった。事前の調査、準備がいかに大事かを教えてくれる。
犬ぞりと馬そりの違いが一番印象に残りましたね。
@@kahi5667雪の中では犬ぞりに限ります!
こんな事が美化されて現代に伝わってる。
こんなわかりやすいチャンネルがあったとは知りませんでしたありがとうございます初日の第一露営地までがわりと順調で目的地まで1.5Kmまで到達してからの惨劇尾根筋から谷筋へ下る時は道一本間違えると悲惨なことになります東京23区内の台地ですらこれはあります、焦りから少し前方の道で谷へ降りてしまうんですよねすると全然違う谷底に出てしまうんです田代温泉に辿り着いて助かった隊員はいたのか気になります
動画でも触れられてますが一人たどり着き生存した人がいたそうです
@@hirokage9427映画では緒方拳が演じてました。
倉石大尉は東京土産のゴム長靴をたまたま履いていたので生存かつ、たしか足も切らなくてよかったはず逆に言えばゴム長靴程度でそれほど結果が変わってくるということは、わらじなのか軍靴なのか分からないけどいかにひどい装備で山に入ったかということになる
わらの雪沓(ゆきぐつ)を履いていた人はむしろ助かった傾向にあるようです。(青森に行った時に資料館で見ました)。一番ダメだったのは革のブーツを履いていた人のようでした。
@@Jose-mc8rf なるほど、わらにしてもブーツみたいな雪沓というのがあるんですね濡れたら即凍ってその後の行程はすべて氷を肌に押し付け続けるみたいなことになるから、耐水が鍵なのかもしれませんね橇隊や放棄後の大釜担当など初日に汗だくになった人からだめになったとも読みましたし資料館、自分もいつか行ってみたいです
八甲田山は映画で観たけけど、壮絶極まりないものでした。観ていて怖かったのを今でも思い出します。そんな中でも高倉健はカッコよかったし、北王子欣也は無惨な亡くなり方をしていて、今でもなかなか観るのにゆうきが要ります。皆様のご冥福を只々思うばかりです。
実際の軍の捜索隊は現地民を執拗にこき使わせて凍傷にまで追いやったのに何も補償もせず知らんぷり。挙げ句に事故を隠蔽しようと脅しまでかけてたとはやっぱり当時から陸軍は腐ってたんだな。映画では描かれてない真実が知れてよかった。
〇〇〇遭難でも低体温症で奇声を上げたりしてた様だから八甲田雪中行軍は悲惨な現場だっただろうな。映画と違って弘前隊の道案内人は相当過酷だったらしいね。
人ってまっすぐ歩いてるつもりでも目印なしではわずかに傾いて歩いてしまう、つまり暗闇等の目印のない状態で歩き続けてしまうと円を描いて元の場所に戻ってしまうのです。非常に恐ろしいことです。
勉強になります!
若い頃、戦史の時間に弘前連隊と青森連隊にそれぞれ学生が別れて、幕僚役をしながら研修したのを思い出します。
北大路欣也さん、三國連太郎さん、緒形拳さん、高倉健さん出演の、映画も凄い作品でした。日本人なら見るべき作品ですね。これが実話なのが恐怖。
映画を観た事があります。高倉健さんが演じられた士官が、案内して下さった民間人の女性に敬意を払い、案内終了後に敬礼して見送ったシーンが良かったですね。地形から見ると臨場感が伝わりますね。実際は更に過酷な状況だったんですね。動画良かったです。
あのシーン、原作小説(八甲田山死の彷徨by新田次郎)にもなかった映画オリジナルシーンでした。
原作者と映画監督の軍に対する感覚の相違。映画界は戦後結構な数の戦争映画を作っていて配慮がある以上に実態も把握していた。日本帝国の国軍組織も日本の役所・官僚からなる暴力組織の一種であり、他国のものとはいろいろ異なるし、立場も変われば印象も異なる。
実際の弘前隊の案内人は、酷い目に合ったそうです。重度の凍傷で後遺症の残った人や、凍傷で頬に穴があいて水を飲むのも苦労した人もいたそうです。
しっかり、動画内に案内人の事説明有りましたねぇ…(泣)酷い話です。
小学校の時、映画で見て高倉健演じる弘前隊隊長がカッコいいと思ってましたが、後年このような実態を知ってショックを受けた記憶があります。今では映画だと割り切って楽しむことはできますが....。
なぜかお勧めに出て来たので見てしまいました。映画のDVDを持っており、映画での知識しかありませんでした。事実と映画は違う事が良く分かりました。とても参考になりました。
映画では健さんの隊をかなり美化してたんですね。
八甲田山の遭難は200名の兵隊さんが雪の中でなくなりましたこのことを参考に現在自衛隊では雪中行軍はスキーで行なっています今まで事故は起きていません私も自衛隊員で
起きてるけどな
だいぶ前に心霊番組で見ました深夜の慰霊碑に行軍している彼らが映っていて まだあの山で歩いているのだと子供心に怖かったのを覚えています
八甲田山動画でこれが一番無駄がなくわかりやすくて好きです
弘前隊が貧しい村民にもてなしさせ、案内人を酷使し廃人にしたこと、その後国からの補償もなかったことを知った時は時代が時代とはいえ「雪中行軍大成功!」と喜ぶ気持ちにはなれなかった。
とはいえ隊員が犠牲にならなかったことを考えるとその時その時で正義の形はこうも違うのかと胸が痛む。
映画で良いイメージのある弘前隊のマイナス点もちゃんと報告してるのに好意が持てます
こんな場所ならロシアに取られてもいいよね。
この事故についてリサーチしていましたが、これほどよくまとめられた資料は他にありません・・・感謝しています!
本の丸写しだよ、ちゃんと参考資料を上げないとだめだと思いますがね
DVDの『ドキュメンタリー八甲田山』を見れば幸せになれるかも。
発売の数年前から2ちゃんねる内の該当スレで話題になり、発売時にスレ内の住人がこぞって買った八甲田山遭難事故の解説(地形からそれに纏わる特異な気象現象、人の行動原理他)や再現ドラマ、地域の怪談まで網羅。
見ていたらごめんなさい。
「事故」でなく人災です。
地形図から解説シリーズは遭難系がとてもわかりやすくて助かっています。
次回作に期待しております。
映画見返しました。現地も通ったことありますが、改めて動画拝見して、更に理解が深まりました。大感謝です!
八甲田山は標高1,500mを超える山だけど、遭難した地点は標高700m。田茂木野の村から距離6km、たった標高300m登っただけのところ。荒れた冬山がいかに厳しいか感じる。
ほんと、行くたび、通るたびになんで?と思います😊こんな心休まる所で、…しかし冬には地獄…興味ある方は冬以外の季節にどうぞおたずねください。
荒れた山よりも怖いのは、私の経験ではホワイトアウト😢自分をコントロールするのが困難、パニックになるのだ‼️1㍍先が見えない。
すごくわかりやすいです。
大袈裟な音楽や画像・演出のない淡々とした動画だからこそ、逆に純粋に胸に迫るものがありますね…。
学生の時、映画を見、小説も読んで5月の連休に旧青森連隊から田茂木野、馬立場、慰霊碑跡まで歩きました。道中15㎞位、なだらかな丘でなぜこんなところで遭難するのかと不思議に思うようなところでした。厳冬の雪の怖さを思い知りました。この丁寧なグーグル地図の説明で非常によく理解できました。本当にありがとうございます。
毛クク価値悲し簡単悲し価値ですコカ黒鬼悲し。簡単描く車の各個聞いたが化区画各九九和食処!化気を各九九からから閣議から化コカです聞いた2、贈与かくかく九聞いてみる化から閣議聞いてみる閣議閣議から化閣議化聞いたカコ名額田駅気を黒鬼中な?~~ですからカヌレ。そんなに、あかな!菜について、確かめません?、?、名です個!、服個化聞いた化化閣議から聞いてみるが閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議からからからからから気を化から聞いたががから閣議閣議閣議から化からからからからからからからからからからからからからからからからからから閣議か
ふゆ山は人を騙すの歳寄りの言葉を子供の時に聞いたが正にその通りに視界が効かずに感覚を無くすのでしよう?上官の過ちですね!案内人に御願いすれば免れたかも?当時の日本軍隊は不可能の言葉が無くて精神力で乗り切る軍隊だから!
なだらかな丘だからこそ迷うんだよ
目印が無いから
稜線が分からなければ遭難する可能性はかなり高まりますね。
ましてや冬山。
八甲田山のCGを見る限り稜線を捉えるのが難しそうなのと雪の影響で正直わからない。
地元民ですら迷う程ですからね。
貴重な部隊の損失に残念でならないと私は書籍を読みながら感じました。
いつも大変分かりやすい解説、ありがとうございます!
いえいえ
弘前隊が、八甲田山を含む11泊12日行軍成功してんのがすごすぎ、、と思ったら地元民見捨てててあまりにひどいな
全て伝聞!
真実はわかりません
悪評立った時点でアカンよ…
そもそもこの時代、根拠なく地元民が軍を悪く言う道理が無い
軍に対して案内者の治療費を請求する文書が残っているそうなので事実だと思います。
治療費は支払っていないようです。
映画では弘前隊の高倉健が案内の地元民に向かって敬礼するシーンがあったけど、あれも映画を盛り上げる為の演出で実際は違ってたのかと思うとなんかドン引きしちゃうね。
この事件が起きた明治34年(1902年)当時、八甲田山周辺の5万分の1地形図はまだ作られていませんでした。青森第5連隊が持っていた地図は簡易測量で作られた25万分の1地図だったとも、もっと簡易な案内図だったともいわれます。つまり、日本史上最低気温を記録した日でなくても、大吹雪でなくても進路や地形を見失い遭難した可能性が大です。また、この数年前に新潟県新発田の連隊が新発田〜会津の数日間にわたる雪中行軍を成功させていますが、その時の成果(食料を凍らせない方法など)を参考にした形跡もありません。幹部たちの準備不足が招いた人災です。
これも旧日本軍の強い精神があれば難局を乗り越えられるかな?
@@kkkdd-yh4kp 気合いがあれば遭難しません(洗脳済み)
あの辺って豪雪のイメージだし地図があっても地形変りそうだし、素人に毛が生えた程度の知識じゃ地図があっても迷いそう。
なお、素人から毛が抜け落ちた自分は雪降ってなくても迷います
人体実験じゃないのかね 八甲田山の犠牲者の検死やら研究の成果がロシアとの戦争の際かなり役立ったみたいだし
なにせ、誰も田代新湯に行ったことがなかったというのだからあきれるばかり。
地元の方の助言、言い伝えがいかに重要か。。。
良いようにこき使われて置き去りは無いな。
凍傷で、頬に穴が開いたり足が曲がったりして、その後の生活に支障をきたしたが、福島大尉に脅されたことにより誰にも話せず、聞かれても話せず。
ほとんどの案内人は死亡。
後年生き残りがそろそろいいだろうと話した内容が今に伝わる。
映画では描かれなかった真実がこの動画にはあったね。
酷えもんだわ
言葉の使い方に納得出来無い!こき使われたの表現は何を参考に言って居るのか?八甲田山死の彷徨でも其の様な表現はして無いけど其の時代の軍隊だから命令調な言葉はあってるが案内人に対して頭中の捧げ銃で!
東北の津波の時も言い伝え無視していたもんな
「田代温泉と言っても何もありません」を聞いた瞬間の絶望感凄い
救助隊かと思いきやただの木だったのが一番最悪
湯治のための小さな民家が一軒だったそうです。目的地に着いてても悲惨。
え?ないのか
淡々と解説してくれたおかげもあってか早送りせずしっかり視聴できました。
遭難した日に北海道旭川で観測された気温が国内における最低気温記録として未だに破られていない。
壊れとったんやろ
幌加内やな。
-41.2℃は幌加内のカントリーサインにも描かれているね。
@@zadkmb
そっちは公式じゃ無い方だね。
1902年のは旭川で-41.0℃。
@@閃光のヤスウェイ
その日周辺は他地点でも記録的な寒さだから壊れてた訳ではない、ただ古いから観測方法や機器自体が今と差を生んでる可能性はある。
今一番寒いのは北海道の陸別町だよ。しっかり覚えておいてね☺️
3:48 ドキュメンタリーなどでは兵が行軍続行を強く希望したことが戻らなかった理由になっているけど、これは責任を兵に押し付けてるだけだろ。重要な判断は上官が行う事であって、兵が口を挟む事ではないから。
那須岳の雪崩遭難も生徒がもっと上に行きたいと言ったとか。
おそらくその生徒は亡くなっています。死人に口なしです。
2022年10月31日に八甲田山をリンゴ買い出しの帰りにドライブしました。
標高が1000m近くの原野に近い山で、何もない美しい山野です。
こんなに素晴らしい自然の中で、こんなに悲しい物語のある事が残念でならない。
日本にはこんなに美しい自然があるが、多くの日本人は知らない。
日本各地・世界各地を旅行したが、八甲田山は10本の指に入るほど美しく、
観光地化していない自然です。
箱根や伊豆やそこらの人が溢れる観光地ではない。
本当は内緒にしたいが、美し過ぎます。
これはすごい。原作何度も読み、映画も見ましたがこの動画で初めて行程がよくわかりました。感謝感激です。
機会があれば、ドキュメンタリー八甲田山(DVD)を見た方がわかりますよ。
「八甲田山から還ってきた男」高木勉著は、ご存じですか?
福島大尉の甥御さんですが、資料をもとに、3年後に福島大尉が日露戦争で亡くなるまでの生涯が書かれています。
新田次郎の原作と共に読むと、人物像と時代背景がさらに分かり、訓練の結果は悲しいものでしたが、訓練事態は必要と考えられたのだろうと察せられます。
遭難したのもっと山の上の方かと思っていた
分かりやすくまとめてくださってありがとうございます
凄い動画でした!映画などで知ってはいましたが、現地の感じがこんなだとは思いませんでした。相当危険だったんですね、ありがとうございます。
わずか1.5kmの距離でも辿り着けない。冬の山は本当に恐ろしいです。負けを認め、諦める勇気も必要だと痛感します
八甲田には高校生の頃には幾度となく冬山登山スキーに行きましたが、チョッと吹雪くと所謂『ホワイトアウト』状態になります。吹雪の中に立って腕を前に伸ばすと掌が見えなくなる程度の視界しかありません。重力のお蔭で上下方向は判りますが、東西南北の感覚は無くなります。前後不覚左右不明なので、慌てず騒がず雪洞を掘って、湯を沸かしコーヒーでも飲みながら吹雪が止むを待つしかないです。
日が暮れてしまっても、半月より大きな月が出ていれば雪山は充分に明るいのでスキーで降りられます。
精神的に弱い現代人なら直ぐに引き返しただろうな。
@@jackal7123
まぁ、当時の装備だと雪洞は掘れても焚き火しかできないし防寒具の性能も低いからね
@@0954ups 確かに防寒具の性能差はあるだろうけど、最大の誤りは「現地の事情を知る案内人」を小馬鹿にし軽視した事でしょうね。
八甲田付近は真冬になると積雪6m超が普通なので景色が様変わりしてしまいますから地図は当になりません。当然ながら、あの当時はGPSなんてものもありませんからね。春夏秋冬を現地で過ごし景色の変遷を我が身に沁み込ませている人でないと「ここは何所」状態に陥って当然なんですよ。
陸上自衛隊青森第五普通科連隊は陸上自衛隊で唯一、旧陸軍と同じ駐屯地の場所と連隊番号が一緒で有り、現在でも慰霊の為に第五普通科連隊では八甲田山の雪中行軍を行うが絶対に無理をしない事を鉄則しており雪中行軍を始めてから遭難事故は起きて居ない。
凄く分かりやすいです!ありがとうございます!
この話は小説、映画が脚色した内容で有名になってしまったので、誤解されていることが多いです。
特に随行の少佐はべつに悪い人ではないのですが、話を面白くするために悪役にされています。
愚かな青森隊、優秀な弘前隊という対比を作るために、本当は外道だった隊を立派にしちゃったし。
あとこの動画でも腑に落ちない点はいつくかありますが、
八甲田周辺は植林で今は森林ですが、当時はあまり木は無い地帯だったようです何も無いからこそ迷う。
あと道案内の話は脚色の可能性が高いです。当時の新聞に現地の人の話として記事があったようですが、
山の神の日は絶対に山に入ってはいけないと言った人が、行くなら道案内しますよ? なんて普通言わないです。
小説は判断ミスを全て少佐の独断とするような構成でしたね。
判断ミスの原因とされている指揮系統の乱れについても諸説あるようですし。
面白く読みましたが、創作だということははっきり記載した方がいいと思いました。
生還者らも山口少佐の判断ミスや軽率さを証言。何もない地帯?いえ、ちゃんと木々があり目印もありました。山口少佐は己な面子を優先し部下を皆殺しにした戦犯。おまけに夜間歩行を強行させ、部下を殺し自分まで三度も気絶し部下がその度に担ぎ、火を起こし蘇生させた。最後には谷底への移動まで拒否して駄々をこね、彼を温め囲んでた数名の部下も全員凍死。発見時には山口だけ毛布と部下の着せた服に包まり胡座をかいていた。道案内人の話も創作ではありませんし、しっかり証言も証拠もあり、軍部政府も認めてる。
地形図から遭難事件を解説する動画、待ってました
編集お疲れ様です
編集ありがとうm(_ _)m
貴重な動画をありがとうございます。
夏の八甲田山に登りましたが、箱庭のような本当に百名山でも大いに登る価値のある美しい山でした。
夏の山を見るとそんな恐ろしいものと想像できないのよね。
まぁ冬は別世界なんだろうね。
ましてや120年前じゃあ動画でも言ってた通り道や標識なんかないし装備も軽装じゃあこれは死にに行くようなもんだな。
100%ナメてた指導者が悪いよ。
しかも、日本の一番寒い日に福島弘前第31連隊が弘前を出発したと言う(旭川で−41℃を叩き出した日)ですからねぇ。
青森第5連隊が軽装で出発したのも、判ってたらもっと重装備をしたと生き残った兵士が語ってたと小説に書いてましたね。弘前第31連隊もかなり危なかったとの事でしたから、(実際ガイドした案内人は凍傷で死にかけてる方も居た)青森第5連隊は山口少佐と神成大尉他の幹部クラスしか分かってなかったからあんまり分らずに行軍してたみたいですね。しかも案内人のガイドを断って結局10名余りしか生き残らなかったといういわば人災ですわな。しかし、日露戦争では第8師団は凍傷患者は一人も出さなかったとの事。立見尚文師団長は“八甲田山の経験が生きた”と言っていたみたいですね。今でも自衛隊は青森の部隊は八甲田山に雪中行軍を毎年してるくらい冬山登山の経験を積ませてるくらい冬の山の危険な状態を経験させているのは流石だなと思いますね。
120年余り前に雪中行軍をさせるのは無謀と思いますが、日本の一番寒い日にさせてしまったのも軍隊だからこそというのもあったのかな?と思いましたね。
八甲田山行軍で生き残りの10名の内五体満足は倉石大尉等の将校のみで下士官兵の生き残りは凍傷により手足切断だった。将校が凍傷を防いだのは将校の被服は自費購入で下士官兵の官給品に比べたら品質が良く、倉石大尉は当時は珍しいゴム長靴を着用していた。
倉石氏だけでなく他数名も五体満足です。だから彼らは日露に出兵出来ました。
@@武井希-x5y
助かっても日露に行ってたとか辛すぎます
とても良くできています。昔映画でも見ましたが新たな真実を知り大変勉強になりました。ありがとうございます。
映画等で知ってはいましたけど地形等は分からなかったので詳しい解説ありがとうございました。
上司が無能であることは本当に恐ろしいことなんだけど、もっと恐ろしいのは「こんな馬鹿な計画を建てないでください」と誰も言い出せないところ。この事件から100年経っても日本人のこの部分は変わっていない。
無計画で無鉄砲。
暴走してアメリかに戦争しかけてボロクソにやられるのも納得
@@佐藤一夫-b1c 「アメリか」なんて書いてるやつに言われてもねぇ😂
@@佐藤一夫-b1c
今はロシア軍かな(´ω`)
インパール作戦と同じ構図
上司に歯向かったら、クビ切られそう…
非常に良い解説😮ありがとうございました🙌
雪山🤦♀️無能
新田次郎の八甲田山死の彷徨を高校生の頃(42年前)読みました。いまほど、事実関係の報道がなく、高校生だった私にとって衝撃の一書でした。地形図と時系列を追うことでこの惨事がどうして起きたか、少しわかりました。冒頭で開設されていた当時の国際情勢もよくわかります。大変参考になりました。
私も20年くらい前に(社会人なってから)読みまして→映画高倉健 北大路欣也の八甲田山見まして 日露戦争のための訓練を知りました 亡くなられた兵士に黙祷
@@愛国者-f2u こんにちはありがとうありがとうしかありません
整備されている慰霊碑があったので、階段登って行って慰霊した。秋で小雨が降っていたが、こんなところで遭難したら秋でも生存が難しいと感じた。八甲田山の裾野は広いな。
上官の判断が如何に甘いことか。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
「死の彷徨」状況がよくわかりました。小説を読んでましたので遭難概略は知ってますが、立体図でその行動を示されると、「死の彷徨」の意味がさらに深く感じ取れます。上官の意思決定とその命令で動く兵士達。それぞれが最善を尽くしたが、結果的に彷徨い歩き死へと進んだ。ご冥福を祈るしかない。
自己判断で温泉に辿り着いた人は酷い凍傷で指を失ったりしましたが、辛うじて生還したそうです。
最善尽くしてなくね?
行き当たりばったりの楽観視の結果じゃね?
@@鈴木三郎-b6b そのように思えますが、将校は自分の置かれた状況から行動判断しているようです。結果的に判断が大間違いであった為部隊を死の彷徨に導いてしまった。弁護するわけではないですが、適当に彷徨った分けではないでしょう。組織のトップリーダーが判断を間違えば何時でも何処でも起きて組織を潰す事例でしょう。
とても分かりやすい解説、素晴らしいです。ありがとうございます。
当時の歩兵第五聯隊駐屯地は現在の陸上自衛隊青森駐屯地とは異なっており、現在は青森高校となっています。
補足
青森駐屯地の防衛館は五聯隊の隊舎をそのまま移築したもので五聯隊がどんな隊舎にいたのか知りたければ青森駐屯地をおすすめ。(わいは冬の時期一時期青森駐屯地にいて防衛館の前をランニングしてたら雪が降り始めて遭難しかけた馬鹿です。)
地形図めちゃくちゃわかりやすいです!!
凄いシンプルな説明でわかりやすかった!
小説、映画も見ました。史上最大規模の山岳遭難ですね。生存した弘前隊も日露戦争で全員戦死というのが怖いですね
小説の嘘を信じてる弱者がまだいるとはな。犠牲者が多数出たのは事実だが、かなり生き残った人はいるぞ。
これ八甲田山には立ち寄ってもいない。容易な里山行進だったはず。
爺さんの話では子供の頃に、悪天で視界が利かないときは、大人でも遭難するので、田の中を徒歩2,3分の隣家にも行っては行けないと親に言われていた。
これ福島市郊外の話です。
八甲田山で道に迷った様子が良く分かりました… 凍死して発見された状態も、とても良く分かりました… とても良い動画です…
子息の一人である後藤信一は、日本陸軍に召集されインパール作戦に参加し、2021年現在107歳で存命であるっていうのがすごいな
厳冬の山中と熱帯のジャングルって無敵の親子。
田代温泉が近くダムに沈むので現地見たい人は早めにいったほうがよいかと
当時は植林されてなく木はまばらで晴れならば視界は良かった、馬立場付近が植林されてないので当時の雰囲気が体感できます
アイヌの捜索隊が超人的な働きをしたのはあまり知られてないのかな
今年現地で色々調べてきたのですが、最新の研究ではちょっとこれまでの本とは違うみたいですね
地形からの解説はとても良かったです
確か、遭難したイギリス?の北極探検隊も投げ出された氷山の上で半年生き延びたのは、同行していた案内のイヌイットのお陰とか。
いや、確か映画では三國連太郎演じる山口少佐が案内人を申し出た地元の人に、
軍には地図とコンパスがあるんだ。と言って断ったシーンがありました。
それを見た神田大尉は固まってましたね。
なぜかおすすめに出てきて観ました。
すごく分かりやすかったです。
私が感じたことはただ一つ。
つまらぬ意地は張らないことですね。
諦めることも大切かと。
無能が上に立つと辛いねぇ。
巻き添えを食った兵さんたちのご冥福を祈ります。
今の政治も一緒⁉️
上も上でこの頃なんてもろに根性論だろうから、できませんとは言えなかったんだと思うよ。中間管理職の悩み
兵隊さんよりこき使われた挙句見捨てられた地元民の方がよっぽど不憫だ
過去の失敗を現代の尺度で無能だったと考えるのはどこか違うと思います。
@@MioMARU_17 ちゃんと準備をして行軍を成功させた弘前の部隊がいる以上、青森の部隊の判断は当時の尺度でも無能でしょう。
案内人の人が可哀想すぎる…
凍傷にかかるとだんだんヤケドにかかったような熱さを感じてくるため最終的に水に飛び込んでしまうと聞いたことがある。
体温を神経の集中する身体の中心部に保とうという作用が起きて身体の表面の温度は下がっても中心部はどんどん体温を上げて神経だけが熱いと感じる様になって矛盾脱衣が起きるそうでが、矛盾脱衣になって生き残った人がいない為、現代医学を以っても不明だそうです。
これが実際の戦争だったのならともかく、単なる訓練だったというのが悲惨の一言。亡くなった兵士の方々が哀れですよね。
これを待ってました。
弘前隊の所業については初めて知りました。酷い話。でも、この後実際の戦地でほとんど亡くなったんですよね。
もしも、地元案内人たちに対する所業のことを云っているなら、本当にひどいですね。青森第五連隊を救助しなかったことに関してならば、1) 本当に遭遇していたかは不明、2) 遭遇していたとしても、その時点での救助作業は致命的な結果を呼んだだろうから、見殺しにしたのは残念ながら正解と言わざるを得ないのでしょう。ちなみに前者については、本人たちの証言しかないことも一応、念頭に置いておくべきなのでしょうね。大部分は真実だとは思うけれど...。
実際は日露から5名が生還してます。残念ながら弘前隊の英傑、倉石氏は奉天で散華。時の人になった福島大尉は黒溝台で突撃中に狙撃され戦死。八甲田生還者の小原元伍長が治療養所にまで伊藤氏、長谷川氏らが来たと証言。他も昭和まで生存確認
第一露営地と第二露営地の距離の近さが数百メートル
1日かけてどれだけ迷ったのか…怖い……
寒さと疲労、更に睡眠不足と餓えに加え雪地獄を延々と彷徨う・・。
私には到底耐えられる自信はありません。
これで生存者11人って生き残った人どんだけバケモンなんだよ。
今第一と第二の看板立ってますけどあまりの近さにかえつて驚きですね
車で行けば市内からそう遠くないところで遭難してるんですよね。
いまは除雪も入って、酸ヶ湯温泉まで車で行けるけど、当時は本当に無謀な行軍だったんだと思う。
大変 わかりやすい動画でした
天災ではなく人災なんだよなあ
いや、両方だと個人的には思ってます。
五聯隊が遭難したのは、旭川で日本の最低気温が記録された、一番酷かった時期。
三十一聯隊が八甲田を通過したのはその後で、厳しいには違いないが最悪の時期は過ぎていたと思われます。
装備経験を積んだ三十一聯隊でも最悪期に八甲田に入っていたら分からなかった、と思いますよ。
五聯隊の装備準備が稚拙だったのは確かですが、それでも生存者が居たことを考えると、です。
まさに死の彷徨…
私の友人のお母さんは青森の方で、この映画が公開されてる事も知らない
明治生まれの方で、八甲田山の話をしたら、烈火のごとく、その話はしては成らないと…軍の箝口令を頑なに守ってきた、友人の母親に対して泣きそうに成った事を思い出しました…
四ヶ月かかろうとも、全員のご遺体を回収できたのは凄いな!!
情感はともかく、連れていかれた一般兵が可哀想過ぎる…。
後始末に駆り出された者たちは堪りません。
立体地図も使って一番分かりやすい解説
沢深く、森深く、ホワイトアウト。
@@naomin4317 黙ってろお前は
救助隊の案内人たちがかわいそうすぎる…
映画ではそこの所は 描いて無かったです。
都合が悪いと消してしまう映画、だから良く解らなかった。
救助隊の案内人ではなく
弘前隊を導いたにも関わらず福島大尉に置き去りにされた案内人の村人。
結局自分のプライドが現地の方の案内も断り
大勢の部下を死なせてしまったということですよね。
酷すぎる。
実際に青森の資料館に行きましたが、当時の装備でとんでもない無謀な訓練ですね。雪に不慣れな隊員が多かったとか…
素人でも雪山登山で-20度悪天候の中、深夜出発はイカれてるとしか思えないけど、寒さが辛すぎてその場で止まる事ができずに、1秒でも早く下山したくなるんやろなぁ
5月にツーリングで通りました。今は道路があるのでその周囲は開けていますが山はとんでもない原生林。
映画「八甲田山」を観た時は、「なんて無謀な!指揮系統が朝令暮改で部隊が振り回されてる。」と思いました。
だけど、この行軍を行うくらい、日本は危機感があったんですね。
動画で遭難者を赤い点々で見て、遭難者収容に4ヶ月。
本当に痛ましいと思いました。
極寒の真っ暗、空腹。朝令暮改の指示。
一体どんな気持ちだっただろう。
原作を読んだのは、真夏の夜、
読み続けると、肌寒くなり、明け方には震えながら読み終えました。
真夏に寒くなる「小説のチカラ」。
映画では、周り一面「白」の世界。カメラマンとしては、絵作りが難しい。
さすが、木村大作カメラマンの凄さ。
高倉健さんを先頭に、吹雪の中をスタンバイ、待ち続ける役者とスタッフに感謝感激
吹雪の怖さは、体験したものでなければ、わからないのでしょう。悪天候の時は、外出を控えるのがベストです。
@@近藤茂-y9d さんへ
映画「八甲田山」のカメラマンは、黒沢明監督「用心棒」の時には、セカンド助手ですが、ピント合わせの名人です。
それから、次々と出世されて
今や日本一のカメラマンであり、映画監督でもあります。
「八甲田山」の時も、素晴らしいご活躍です。。。
役者が通過すると足跡がつくので、一発勝負。
それを撮影する撮影部は、足跡をつけないように、回り道してカメラポジションを考えるんですね。
スタッフにも、感動。
近年の遭難事故でも足が濡れてしまうと地獄の始まりみたいなエピソードをよく聞きます。
知合いの親父さんが八甲田で泊まり込みの仕事してて夜中に兵隊の歩く音がたまに聞こえると言ってた。
山の神の日というのは、日本の地形や気候の特徴から生活している人々が定めた日。
明治からの西洋崇拝による、日本の文化軽視なので、当然の結果ですね。
根性とかで乗り越えられるほど人は無敵ではなないてすよ。
先人のご冥福をお祈りします🙏
地元の案内人が本当にかわいそう。
ずっと危ないから止めろって言ってたのに……
えぇっ!こんな短い距離だったのか!?40数年前高校生の時友達と劇場に観に行ったが、記憶があいまいなのかもっと長い行軍なのかと思っていた。それも、初日からほとんど遭難モード。引き返せばよいのに。まあ、それが出来れば苦労はしないが・・・
神成大尉が指揮を執る予定だったのが、急遽上官の山口小佐が参加することになり、この人が無知無能だったためメチャクチャになってしまった。早く帰れば良かったのに、彷徨った挙げ句現地解散を命じたそうです真夜中に
30年ぐらい前に第一露営地あたりから徒歩で田代温泉まで入湯しに行ったことがあります。今は下流にダムが作られるためか廃湯になっていて残念ですが。
1902年の事件を大きくした責任者は山口少佐ではなく動画に出てこない津川謙光中佐である。
映画では津山中佐として小林桂樹が演じた。
事件の責任が隠蔽されたことも起因し、この事故で生き残った隊員も三年後の1905年日露戦争、黒溝台会戦で全滅した。
以下の書籍に詳しい。
伊藤 薫著『八甲田山 消された真実 』『生かされなかった八甲田山の悲劇』
youtubeにそれぞれ出版記念トークショーがある。
あれ、たしか五聯隊の伊藤中尉は対露戦役を生きて還ったと思いましたが?
本当によくできた動画だ。すばらしい。
弘前隊の隊長は映画では敬礼して案内人と別れて行ったけど実際には案内人がうごけなかったため見捨てたんだね
現代の雪山でもこれと同様の遭難事故が後を絶たない
上空から見渡すと大したことないように見えるけど実際に雪山歩くと100mが途方もなく遠いんだよな
雪中行軍😠無能
これは分かりやすい!
この動画は素晴らしいですね。
昔映画「八甲田山」が上映された時にテレビで実際の八甲田山の行軍をドキュメンタリーで放送してましたが、ここまで分かり易くなかったです。
実際は福島隊は1名が怪我で現隊復帰させられた以外は無事生還したと聞いてましたが、映画の様に案内人を先頭にして村に入り別れる時も感謝の敬礼等は無く、実際上映された「八甲田山」を観た当時を知ってる人からは「こんな美談な事は無かった、陸軍は鬼畜生の様に村人を使い捨てた」と言っていたのを思いだしました。
この事件に関しては、福島の縁者が著したドキュメントが正確ですね。福島は、雪山に対しては慎重に行動したものの、民間人に対してはかなり酷い事をしています。新田作品や映画は、「冬山を甘く見て失敗した側と、謙虚に対応して成功した側」という分かりやすい図式を描きたくてああいう表現になったようです。
原作だと映画と違って冷たい人物として描かれていますね。
まぁ映画は高倉健だから暖かい人物になったとおもいますが。
史実や原作小説の通りでは
高倉健のパブリックイメージに合わない
ですからね。
高倉健主演映画としては
あれで正解かと。
本の無許可丸写しの業者youtubeをほめる奴笑い
映画だと、高倉健率いる弘前隊は案内人(秋吉久美子)に対して最後は栄誉ある敬礼をもって感謝の辞を示してましたが…やっぱり映画の中だけなんだ…
実際は粗雑に扱われてたんですね😢
高倉健のパブリックイメージというものがあって・・・
史実や原作小説での案内人への対し方は
さすがにイメージに合わないということで
映画はああなったそうです。
難行苦行の雪中行軍の中で
観る側もホッと一息つけるシーン。
当時の帝国陸軍としたら秘密裏の演習ですから案内人への扱いも「口外禁止命令」も当然だったのかもしれませんね。
地元案内人は酷い扱いされたけどロシアに占領されたらもっと酷いことになってかなと思うと仕方がないのかな。
この視点での解説はすごく面白い。
八甲田山この山の中で200人の人がなくなる誰が想像したでしょうかこのドラマを見るたびに胸が暑くなります私も私も自衛隊の時雪中行軍でスキーを履いて玉江小前から千歳の肘まで川越しました皆さん全員が無事でしたよかったです
八甲田山遭難事件はWikipediaがすげーまとめられてる
1回読み出すと止まらなくなって全部読んでしまうくらいよくできてる
あっそ。
地形図で説明してくださったのは判り易くて有難い。
鳴沢付近で迷って絶望した神成大尉が「天は我々は軍隊の資料のために死ねというのが天の命令である!」というようなことを言って「みんなもう死のう」と声かけたというのは生き残りの小原伍長の証言で、それでみんな士気阻喪してバタバタと倒れて死んだということ。
その証言の録音テープが残っています。
ただそれでも定かではないという説が多数派なのは何でだろうと思いますが。
この動画で足りないのは当時の八甲田山には草木がほとんど無いはげ山で、目印が馬立場とか大まかにしか無かった。
それで吹雪が治まった時にそこを目指すのだが、直ぐに吹雪いて見えなくなり迷うの繰り返し。
賽の河原とか吹きっ放しだったそうで、この行軍の前にここで慣れた住民が大量死している。
弘前隊が住民を酷使して酷い扱いをした話は知らなかったので、時代が時代とはいえこれは酷すぎると思いました。
この件はドキュメンタリー等で悲惨さは理解していましたが、土地勘が全然なかったので地図で見れてとてもよく分かりました。
地元の人は再三に渡って忠告していたのに無視するだけじゃなくて人質をとってでも強行していたんですね
子供の頃滅多と降らない地元で雪が続いた時期があり、猛烈にふぶいていた日中に
ちょっとした好奇心から不謹慎にも近所の広域避難所指定の公園へ行って遭難ごっこをしようと思い立って一人で遊びに行ったことがあります
公園の中央あたりまで行って吹雪いている中一人視界の悪さ(3m先が見えない状況)と足元のおぼつかなさとどんどん身体に乗積もる雪を一通り楽しんだ後にさて帰るか、と思い立って自分の家に近い方の出口に向かったと思っていたら途中から反対側の出口だと気づいて
逆方向へ向かったつもりが斜め側の出口に近づいてた時は一気に雪で遊んでかいていた汗が冷え込んだことを今でも覚えてる
し、家に着いた後飲んだココアとこたつのありがたさをひしひしと感じた。
平成の時代に生きた人間が公園でさえいともたやすく遭難できるんだから、雪を舐めてはいけないと体感で理解したんだから、当時の人なら尚更危険性を理解していたはずですが、ロシアの侵攻のプレッシャーから今すぐにでもという思いの方が強かったんでしょうかね…戦争って人をとことん狂わせるんだとしみじみ感じました。
バカな指揮官のせいで大勢の軍人さんが犠牲になったんですね。
どんな組織でもトップ次第で結果は良くも悪くもなるというという良い例ですね。
伊藤中尉の『日露の地獄は忘れられるが、八甲田の地獄は忘れられない』この言葉が全てを物語る。行軍の生き残りで日露戦争からも生還した伊藤、長谷川、谷川の3名が凄い。歩兵31連隊の泉館伍長と間山伍長も昭和まで生存していた。
上が無能だと下が苦労する。今も昔も。亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします😔
本当にそうです
本当にそうですわ
時代変わっても同じですよ
昭和からあるほとんどの企業がそれ
今のロシア 知らんけど。
無能な上官に迎合してたいこ持ち部下が出世してるからクセが悪い。自分で考えて行動しない輩は死あるのみ。
今から110年前、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンセン隊が南極点に向けてどちらが先に到達するか競争をしたのを思い出す。初到達を果たし全員無事に帰還したのはアムンセン隊で、スコット隊は全員遭難死という悲劇に終わった。事前の調査、準備がいかに大事かを教えてくれる。
犬ぞりと馬そりの違いが一番印象に残りましたね。
@@kahi5667雪の中では犬ぞりに限ります!
こんな事が美化されて現代に伝わってる。
こんなわかりやすいチャンネルがあったとは知りませんでした
ありがとうございます
初日の第一露営地までがわりと順調で目的地まで1.5Kmまで到達してからの惨劇
尾根筋から谷筋へ下る時は道一本間違えると悲惨なことになります
東京23区内の台地ですらこれはあります、焦りから少し前方の道で谷へ降りてしまうんですよね
すると全然違う谷底に出てしまうんです
田代温泉に辿り着いて助かった隊員はいたのか気になります
動画でも触れられてますが一人たどり着き生存した人がいたそうです
@@hirokage9427映画では緒方拳が演じてました。
倉石大尉は東京土産のゴム長靴をたまたま履いていたので生存かつ、たしか足も切らなくてよかったはず
逆に言えばゴム長靴程度でそれほど結果が変わってくるということは、わらじなのか軍靴なのか分からないけどいかにひどい装備で山に入ったかということになる
わらの雪沓(ゆきぐつ)を履いていた人はむしろ助かった傾向にあるようです。(青森に行った時に資料館で見ました)。一番ダメだったのは革のブーツを履いていた人のようでした。
@@Jose-mc8rf なるほど、わらにしてもブーツみたいな雪沓というのがあるんですね
濡れたら即凍ってその後の行程はすべて氷を肌に押し付け続けるみたいなことになるから、耐水が鍵なのかもしれませんね
橇隊や放棄後の大釜担当など初日に汗だくになった人からだめになったとも読みましたし
資料館、自分もいつか行ってみたいです
八甲田山は映画で観たけけど、壮絶極まりないものでした。観ていて怖かったのを今でも思い出します。
そんな中でも高倉健はカッコよかったし、北王子欣也は無惨な亡くなり方をしていて、今でもなかなか観るのにゆうきが要ります。
皆様のご冥福を只々思うばかりです。
実際の軍の捜索隊は現地民を執拗にこき使わせて凍傷にまで追いやったのに何も補償もせず知らんぷり。挙げ句に事故を隠蔽しようと脅しまでかけてたとはやっぱり当時から陸軍は腐ってたんだな。
映画では描かれてない真実が知れてよかった。
〇〇〇遭難でも低体温症で奇声を上げたりしてた様だから八甲田雪中行軍は悲惨な現場だっただろうな。映画と違って弘前隊の道案内人は相当過酷だったらしいね。
人ってまっすぐ歩いてるつもりでも目印なしではわずかに傾いて歩いてしまう、つまり暗闇等の目印のない状態で歩き続けてしまうと円を描いて元の場所に戻ってしまうのです。非常に恐ろしいことです。
勉強になります!
若い頃、戦史の時間に弘前連隊と青森連隊にそれぞれ学生が別れて、幕僚役をしながら研修したのを思い出します。
北大路欣也さん、三國連太郎さん、緒形拳さん、高倉健さん出演の、映画も凄い作品でした。日本人なら見るべき作品ですね。これが実話なのが恐怖。
映画を観た事があります。高倉健さんが演じられた士官が、案内して下さった民間人の女性に敬意を払い、案内終了後に敬礼して見送ったシーンが良かったですね。地形から見ると臨場感が伝わりますね。実際は更に過酷な状況だったんですね。動画良かったです。
あのシーン、原作小説(八甲田山死の彷徨by新田次郎)にもなかった映画オリジナルシーンでした。
原作者と映画監督の軍に対する感覚の相違。映画界は戦後結構な数の戦争映画を作っていて配慮がある以上に実態も把握していた。日本帝国の国軍組織も日本の役所・官僚からなる暴力組織の一種であり、他国のものとはいろいろ異なるし、立場も変われば印象も異なる。
実際の弘前隊の案内人は、酷い目に合ったそうです。
重度の凍傷で後遺症の残った人や、凍傷で頬に穴があいて水を飲むのも苦労した人もいたそうです。
しっかり、動画内に案内人の事説明有りましたねぇ…(泣)
酷い話です。
小学校の時、映画で見て高倉健演じる弘前隊隊長がカッコいいと思ってましたが、後年このような実態を知ってショックを受けた記憶があります。
今では映画だと割り切って楽しむことはできますが....。
なぜかお勧めに出て来たので見てしまいました。
映画のDVDを持っており、映画での知識しかありませんでした。
事実と映画は違う事が良く分かりました。
とても参考になりました。
映画では健さんの隊をかなり美化してたんですね。
八甲田山の遭難は200名の兵隊さんが雪の中でなくなりましたこのことを参考に現在自衛隊では雪中行軍はスキーで行なっています今まで事故は起きていません私も自衛隊員で
起きてるけどな
だいぶ前に心霊番組で見ました
深夜の慰霊碑に行軍している彼らが映っていて まだあの山で歩いているのだと子供心に怖かったのを覚えています