当時「ローソンが勝てているのはYAMAHAマシンのおかげ」という世間の噂話(ホンダライダーであるスペンサーやガードナーはパワー>フレーム強度で乗りにくいマシンをねじ伏せて勝っているのにローソンはスムーズにマシンを操りマシンの素性の良さで勝っている的な噂)を聞いて、マシンのおかげじゃないということを証明したいというローソンの意向があり、さらにそのタイミングでスペンサー復帰が絶望的な状況で、アーブ金本(当時のスペンサー担当スーパーメカニック)がフリーな感じになっていたので実現したとのことだったと思います。結果的にローソンはマシンに勝たせてもらっているのではないことを証明できたのでヤマハへ戻ったというような話だったと記憶しています。NSRがローソンの要望で改善されこのころからだれが乗っても早いマシンになったのははご存知の通りです。 当初の雑誌のインタビュー記事(今は廃刊になったGrand prix illustratid)で読んだ内容を参考まで。
この2stのパワーバンドに入った時のあの加速感が好き
小さい頃から、親父にNSRは最強だと言い聞かされて育ってきて、22歳でNSR 88 SPを購入しました。もうバイクに乗ると言うより、バイクに乗せていただいてる。と言う感じですね。コーナーでも、狙ったラインを、逃さずに走ってくれる、ブレーキは、指1本でも、ギュって効いてくれる。2度、焼きつけてしまい、3度目の修理をし、今では親父が宝物として大事に乗っています。
本当に、素晴らしいバイクす。そんなバイクを手にし、乗らせていただいてる、父&俺は、NSR250に出会えて、幸福です。
おとーさん何歳?
@@todaymania1985 60歳です。
1番ピーキーな年式で。
88SPか こりゃまた・・一番尖ったやつだな。
ライドオンのビデオマガジン、毎月買ってました!
創刊号からすべて持っているので、この特集も持ってます! この回は繰り返し何度も見ました👍😆
いいですね‼️😆
バイクライフの中でロスマンズカラーは青春だったな!
当時の市販2スト250㏄の車重に160馬力なんてマシンだからね、恐ろし~
歴史的価値のある映像です。
いつの日か、NSR500のモデル作成の参考資料とさせていただきます。
三品さんのナレーションは聴きやすいね♪
88NSRから切り取ったパイプを溶接して補強と言うのが、ワークスマシンなのに貧乏臭い手法で笑える♪メインフレームの上からガセット被せて溶接して剛性アップとかも強引なやり方で時代を感じるね!
オッサンの懐古主義と言われちゃうかも知れないけど、80~90年代は技術も未熟だったから次々と新技術が導入されてどんどんマシンが進化してたし、タイヤの性能が今よりずっと悪くてバイクを寝かせられないから、ライダーのフォームがみんな違ってて面白かった。
要は、観てる人に変化が分かり易かった。
ブレーキディスクがステンレスからカーボンに変わったり、成立から倒立フォークに変わったり、ホイールが18インチからイキナリ16インチになって、やり過ぎたと間をとって17インチになったり(笑
エンジンも直4、スクエア4、V3にV4、楕円ピストン4サイクルV4までいろんな形式が有って、みんな音が違い、同じ2ストV4でも位相同爆が導入されて「ホンダのエンジンの音が変だ!」と騒ぎになったり(笑
今も技術は進歩してるけど、Gセンサーが改良されたとか、プログラムが変更されてトラコン制御が緻密になったとか、観ている方には進化がわからないんだよね。
インテリばかりが出演するクイズ番組が高度過ぎて、答えを聞いてもピンとこないのと似てる。普通の人にはインテリクイズより、マジカル頭脳パワーの方が楽しめる感じ(笑
皆が乗れるNSRにしてくれたローソン
この年のNSRはヤマハから電撃移籍したローソンのオーダーに合わせたローソンスペシャル結果戦車のような無骨なマシンになった
当時中学生の自分は、街中でこのロスマンズカラーのNSRを見たら
えらく興奮していたの思い出した。
今じゃ1000ccで200馬力だけど500ccで200馬力出せる2ストマシンはすごいよね
+軽さ( ˘•ω•˘ )b
と言っても2st500ccは換算すれば4st1000ccに該当するんだけどね( ˘•ω•˘ )b
これが小型バイク並みの装備重量しかないんだよ・・・速いという言葉を通り越して自分が弾丸そのものになって飛ばされる感覚の狂気がそこにはある。
Eddie Lawson is a legend !
前年チャンプのローソンが、いきなりヤマハ→ホンダに移籍した。
理由は、ガードナーの挑発「エディに負けたのではなく、ヤマハに負けた。」
この言葉にエディが「じゃあ同じホンダで勝ってやる」と意地の張り合いで
移籍とは!でもってエディがシリーズチャンプ取るんだからスゲー!
また次シリーズは、ヤマハに戻りました。
契約金嘘つかれたから移籍したんじゃないかな、たしか。
スポンサーから金搾られたからごめんねってチームってアゴから言われて直談判しに行ったら本当は増額されてた。
何じゃそれ?ってチームに愛想が尽きた。
@@nyantat282その通り
雑誌レーサーズで、エディ自身が語っています。皮肉にも92年カジバでも、ジャコモと一緒になる
最高のマシンだと思います❤ 欲しい😢
このマシンで フレディスペンサー 走るところを見たかったです😢
やっぱり原点はこれです!😂
街道レーサー、サーキットへ
今ではのんびりライダーですが、痺れるのは最新式のバイクではなくこれなんだよなぁ😁😁😁
ピーキーなスペンサーとの対比も面白いですね。ガードナーやミックに繋がるポイントとなるNSRとなるんですネ!
バイクの中でこのマシンが一番!
福田さん、懐かしい!!
2ストロークエンジンは
シンプルなので
4ストみたいに調教出来ない部分が多く
それを究極の状況でコントロールできる
スキルが有るライダーのみトップ争いが出来た
なので、スズキでもヤマハでもホンダでも
ライダー次第で三つどもえのバトルが有った。
今のMOTO-GPはもうそんな感じは無く
F1みたいでマシン次第に成ってしまった。
やはり パワーありすぎて フレームを補強しないと持たなかったと思います😢
1年移籍して結果残すんだから大したもの。
ローソンは雑誌のインタビューで今のモトGPライダーでは、スロットワークが難し過ぎて、一周もしない間に転んでしまうと言ってたな😅
「2stエンジン」これこそがオートバイの心臓として、最初期にして究極。今のライダーは、ほとんど知らないんだろうなぁ~。ギターと同じく、レスポール(4st)とテレキャスター、ストラトキャスター(2st)を超えるものは無いに等しい。いずれに(ギターはUSAには敵わない)しても、
スゲーカッコいいやっぱバイクは2stがいーなぁ。。
明らかに時代が一つ進んだと実感したマシン、89 NSR500。
メーカー移籍してすぐこんだけ新機軸盛り込んだマシンで走り出して、
しかもシーズン中にダメ出し&モデファイ加えまくってタイトル獲ったんだから
エディーの開発能力は凄い。
ホンダが(ホンダなりに)ハンドリングに目覚めたのもここからと言われてますよね。
「このマシンは走るぜ、俺にはわかる」と誰かと同じことをエディも言ったのかな。
三年連続チャンピオンになりたかったから、移籍した。当時ホンダヤマハと交互にチャンプとっていたから、とどこかで聞いた。
僕もそうでした😢
音を聞くと全く吹けてない😅パワー出ないようにめちゃめちゃ濃くセッティングしてるよね😅こっちは250でNSR500に130R手前で抜かれるとコース外へ吹き飛ばされそうになるからね😱😱😱
私が1番好きなのはHONDA RC166
このマシンで峠を走りたい😢
福田さんも山田さんもお若い。
パワーブレーキ フレーム 難しい問題です😢
That is no racing...without honda...😍😍😍
当時ローソンのマシンはどこに改良加えたのか分からず謎でした。ステダンは固めなのは聞いてましたが乗りにくくないのかな?
ちょうだい❤
Queste sono vere moto....2 tempi per sempre il 4 tempi non ha diritto di esistere figuriamoci la moto E....😂😂😂😂
あのローソンが乗りづらそうに乗ってたからね😅全く自分が思った通りには行かなかった😅ローソンが体力的にもかなりキツイマシンと思っただろう😅あと三年位乗せたら劇的にコーナリングマシンとなっていただろう😅
かなりカッコイイ😲✨カードナーより断然速かったのはローソンが本物だった証😎👍いつまでKロバーツの生徒では無い‼️🤩そんなプライドを感じた🔥🔥🔥🔥
このマシンで峠を走りたい❤
1:09アーブカネモトだw
ロスマンズカラーのNチビだったら昔乗ってたな~(^_^;)
どのライダーもそうですが 大きい 事故をすると 怖くなるからだと思います😢
Honda mah,
Emang mantap
Terbaik
Di indonesian.
Maupun di japanese,
Honda sport racing.
走る恐怖を 知ったライダーは まともに アクセルを開けられません😢
ヤマハもスズキも2スト500ccレプリカ市販したんだからホンダも出せば面白かったのになあ
Rothmans honda🎉
マシンのセッティングがやはり ライダーによって好みが違うので😢
造るのが忙しくてあんまり観てなかった、それに今ほど映像が無かったな⁉️
今のバイクは速くても面白く無い
ハム ハム 探検隊 車もそう。デザインも海外含めて全部同じ、能力が低い。
若者の車離れも仕方ない
全部排ガス規制のせい
何故、ローソンはこのマシンを見限ってヤマハに戻ったのか?
当時「ローソンが勝てているのはYAMAHAマシンのおかげ」という世間の噂話(ホンダライダーであるスペンサーやガードナーはパワー>フレーム強度で乗りにくいマシンをねじ伏せて勝っているのにローソンはスムーズにマシンを操りマシンの素性の良さで勝っている的な噂)を聞いて、マシンのおかげじゃないということを証明したいというローソンの意向があり、さらにそのタイミングでスペンサー復帰が絶望的な状況で、アーブ金本(当時のスペンサー担当スーパーメカニック)がフリーな感じになっていたので実現したとのことだったと思います。結果的にローソンはマシンに勝たせてもらっているのではないことを証明できたのでヤマハへ戻ったというような話だったと記憶しています。NSRがローソンの要望で改善されこのころからだれが乗っても早いマシンになったのははご存知の通りです。
当初の雑誌のインタビュー記事(今は廃刊になったGrand prix illustratid)で読んだ内容を参考まで。
ネット検索で調べたら、単にホンダのレース部門の待遇が最悪だったから、とローソンは答えてました。
早い話がカネのようです。 レース部門はHRCではなくマネージメントの部門です。
翌年の契約金が低かったからだと記憶しています。ホンダのエースはあくまでもガードナーと言う姿勢をホンダ側が崩さなかったからですね
根本的にHRCのV4とYAMAHAやSUZUKIのV4とは性格が違う。
HRCは1軸クランクシャフト、YAMAHA、SUZUKIは2軸。
エンジン幅は若干1軸が大きくなる(理屈上2.5気筒分)半面、前後長は短縮でき、コンパクト化、マスの集中化には都合がいい。
それ故、HRCはエンジンの仕様変更よりフレームの仕様変更が頻繁で、またアルミ製故に基礎設計に失敗すると下手すると1シーズン棒に振る。88年がその典型。だから89年のローソン車が大規模改修だけで6回も実施したのは異例。もともとHRCのフレームワークはフロントステア重視の傾向があり、思えばマモラが84-85シーズンをHRCから参戦したが、いわゆる『マモラ乗り』と呼ばれる極端なライディングスタイルは、フロントの剛性(ステアリングネック周辺)が不足していたのだろう。
スペンサーがエースとして活躍していた頃は、彼の要求するスペックを叶えるため、極端な狭いパワーバンドと絶対出力を実現したが、他のライダーが乗りこなせない厄介な代物になってしまった。また、YAMAHAとの差別化を過剰に意識しすぎたか、長く難解な構成を構築していた。
89年からNSRも倒立テレスコピックを採用している(但し全日本仕様は正立)が、これはローソンの強いリクエストによるもの。それ故にフレームの不具合が露呈したとも言えるだろう。
ガードナーはスペンサー程ではないにせよ、エンジンパワーに依存する傾向があり、ドゥーハンはどちらかというとYAMAHA的な特性寄りの印象があるが、ビックバンエンジンを使えていることから、本物の天才だったのかもしれない。
SUZUKIは偶然か必然か、比較的両社の中間的特性。エンジンパワーは既に完成の域にあったが制御系に難があり、フレームも熟成不足。シュワンツのテクニックで対等に渡り合ったが、タイトロープ的ライディングは当然リスキーでもある。ただ、YAMAHAより扱いやすかった可能性もあり、型落ちマシンをサテライトチームに預けて熟成させればもっと善かったような気がするが、資金的に厳しかったかも。
ついでにYAMAHAもフレーム開発に失敗したことがある。結果としてミシュロップ(フロントがミシュラン、リアがダンロップ(市販品)という超変則的セッティング、カダローラがタイヤとのマッチングを疑い強行したが結果フレーム不具合と判明)やROC製フレーム(YAMAHAとしては旧式フレームに戻すものと同義で猛烈に拒否したが、ロバーツが強行、結果その判断が正しかったことを証明)への換装など。YAMAHAはシーズン通してほぼ仕様が変化しない、SUZUKIは終盤に先行試作型を投入して巻き返すのが常だった。
ローソンがHRC陣営に参加した大きな理由は2つ聞いている。
1つは、ジャコモ・アゴスチーニとの決別をスムーズに行い、チーム・ロバーツの参加を見越してあえてワンクッション置いたもの。アゴとの不協和音は84シーズン終了後の契約更新で大揉めしているのでご存知の方も多い筈。シーズン12戦4勝、全レースでポイント獲得(全クラスで彼だけ、ちなみに89年もボイコット騒動になったイタリアGP以外全レースでポイント獲得)でチャンピオン獲得するも、スペンサーの自滅、NSRの不具合、マモラの第1戦、第2戦の欠場(SUZUKIがこのシーズン活動休止したため、浪人状態に陥っていた)などの理由をつけて契約金を非常識に低く提示したらしい。結局、タイトル防衛のためにローソンが折れる結果になったが、以降アゴとの不仲はパドックでは有名。
アーブ・カネモト(アーブ金本と表記する者が当時から居たが、彼は日系アメリカ人で、国籍もアメリカ、日本語はほとんど話せない事から、『金本』の表記は失礼)に興味があったのも事実。彼がサテライトチームを」立ち上げなければ、移籍は無かっただろう。
反面、アゴはスペンサーを口説いて復帰させたが、エンジン特性が見合わず低迷したため、中盤までで契約終了(事実上のクビ)、後釜に250ccのカダローラを据えようとしたが契約上の問題(またアゴがケチった)ため1戦のみの参戦に留まる。結果500ccでのシートを失い(エースチームはチームロバーツに移行)、ローソンの目論見通りに。
コメント長すぎ・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
Honda sport racing.
また事故を起こすんじゃないかと😢
Sugoii ne
risma125D motovlog ((
現代では考えられない手作り感が美しい。実測スピードは向上しても、ライディング技術は後退している事実。
あのね、タイヤ一つとっても当時と今ではプロファイルが別物。特に剛性は比較にならない。コンパウンドも違う。
膝のバンクセンサーも、当時は『これ以上寝かせては危険』だったが、今は『ここまで寝かせろ』と意味が真逆。
2サイクルから4サイクル、電子制御、車重の違い、空力特性、車体のディメンション等々、並列で語るのが難しくなっている。
貴様がせめてテストライダーになってから、ほざけ。
こいつ阿呆や。今は2ストの時代からタイヤ、サス、フレームが滅茶苦茶進化しとる。故にフルバンクでコーナリングし、アクセルを空けていられる時間も多い。コーナリングスピードの向上を見るだけで、2ストマシンは過去のものと分かるだろうに。ただ、今の技術でNSRを作れば、全く次元の違う物になるだろうね。
磯直久
後退…?
変化やろ。なんでもかんでも自分の時代が大事かオッサン??
@@ラウスハロルド 今の技術で電子制御てんこ盛りの2st500ccマシンを作ったら現行のGPマシンより速くなるのかな?
現実的な話20年前で開発の止まってる技術に付け焼き刃の電制や車体入れた所で話にならないかと…
2stの最大の特徴といえば軽量コンパクトな所ですけど、それも最低重量の規制があっては生かせませんし…
Honda sport racing.
Isle of man TT
試乗詐欺か?
往年の三流ライダーは、おっかなびっくりだね。笑
この時代は世界に通用する人は2~3人位しかいなかったもんね。
世界に通用しないわけだわ。
当時既に現役引退してた福田さんが一台数億円の本物チャンピオンマシン乗ってるのに
限界まで攻める訳ないだろ
ゆとりは物の価値が分からないらしいねwww
当時2~3人もいたの?
どっちにしろ今は(てかこの10年前後)0人なんだけど