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いつもご視聴ありがとうございます。このチャンネルでは、真言宗を中心に仏教について解説しております。面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いします。
ご解説ありがとうございます。海外から視聴させていただいています。私は高野山の麓で生まれ育ち、真言宗のお葬式も馴染みがありました。今まで特に何も思いませんでしたが、一見矛盾しているように思われる即身成仏のお話も、なるほど、と納得いたしました。コロナ禍で帰国出来ない状況が数年続き、その間に祖母が亡くなり、お葬式にも出席できなかったのが心残りでした。去年約3年ぶりに帰国し、お墓参りと奥の院へお参りに行くことができ肩の荷がおりた気持ちです。ゆうき和尚様のような方に引導を渡していただけたらいいなぁと思いました。今後も動画の更新を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。高野山の麓のご出身とはいいご縁をお持ちですね。また、帰国されて、お参りされて何よりです。参考にしていただけたら嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。
ゆうき和尚様お疲れ様でございます。引導を渡すのは、悟りを目指したいという菩提心を葬儀で故人に打ち込む!すごいですね。生有、本有、死有、中有の輪廻( Reincanation)。引導作法は、大事だと思っています。現世で即身成仏できなかった場合に、亡くなった方を導くのがお葬式。菩提心を授けるのが大事ですね。 最近の葬儀に行った時、ウエッッツ!と言う気合いの入った声で引導作法をされるお坊様が見掛けなくなりました。枕経もそこそこに、会葬者に「生、苦、病、死」に付いて語られる説法が長く、3宗教もお坊様もほぼ同じお言葉で今流行りなのか?と思いました。 ゆうき和尚様のご講和は、私には、有り難いです。ご恩尊い、お有り難うございます。
いつもありがとうございます。>枕経もそこそこに、会葬者に「生、苦、病、死」に付いて語られる説法が長く、3宗教もお坊様もほぼ同じお言葉難しいところですね。私はお通夜と初七日の後に法話をして、お葬式はしません。お話するのはせいぜい3分ぐらいです。遺族も疲れているでしょうし、長々と話しても、様々な想いが頭を巡って聞いてもらえないのではと思っています。
一番大事なのは菩提心、というのは心に沁みる言葉です。南無大師遍照金剛 合掌
いつもありがとうございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)
こんばんは、本日も、ありがとうございます。真言宗の引導作法の講習会話し、ありがとうございます。合掌
いつもご視聴ありがとうございます。
ゆうき和尚さま、ありがたく拝聴しました。和尚さまのお話で菩提心は強くなります。ぼくにとって菩提心とは正解を求め続ける心なのですが、それが、真理を求め続ける心となれば、本当の菩提心なのかも知れませんね。そういう思考のヒントを、ゆうき和尚さまは与えてくださっているように思います。和尚さま、どうぞお身体お大事になさってください。
いつもありがとうございます。またお気遣いいただき恐縮です。参考にしていただけたら嬉しいです(*^_^*)正解を求め続ける心でも間違いはないと思います。
和尚さんこんにちは。今回もつらつらと沢山の事を感じ考えております。あれこれ経験しまして仏教式のお葬式は、弔われる人、弔う人の心構えと云うか、意向が大切なのかなぁと思いました。神道のお葬式は出しましたし、啓典の民(キリスト教式)のお葬式にも参列した事があります。そのどれも神から預かった魂を天に還す儀式でした。そこには弔われる人の心に働き掛ける要素はなかったです。そう考え合わせると、弔われる人が菩提心を持とうとする人であったかどうか、弔う人がどうなのかで仏教式(特に禅宗系)のお葬式はその真価が大きく変わってくるのでしょうね。とは云え、菩提心云々抜きにしても、送る側の気持ちとしては、読経を聞きながら故人への気持の整理を付けられる仏教式のお葬式は好きです。あと数回、動画を拝見しながらつらつら考えたいと思います。
いつもありがとうございます。神と人間がはっきり分かれているキリスト教と、人間が神(仏)になることができると考える仏教の違いかもしれません。そう考えると、人間が神になりうる神道で、魂を天に返すだけというのは不思議ですね。
おはようございます。 何時も視聴して学ばせて頂いてます。お葬式=引導作法はつまるところ〝感想〟でしょうか。浄土宗だと阿弥陀様がお迎えに来るのを感想するのだと思います。真言宗ではお不動様を感想して悟りの旅路を護って頂くのに路から外れない様に剣と縄で導き火炎は旅路の闇の照らす知恵の灯明になります様にと。なので日頃のお行は大切なのですね。合掌…。
いつもありがとうございます。おっしゃる通り、お葬式に限らず「観想」が重要と思っています。
ゆうき和尚様いつもためになるお話ありがとうございます😊難しいテーマを取り上げて下さり感謝申し上げます。私も葬儀と修行は離れるものではないと考えています。全ては布教に繋がっていますね😊
宗信和尚様いつもコメントいただき感謝申し上げます。禅宗でもお葬式と修行がつながっているのですね。そのあたりを、また動画でお話しくだされば有難いです。(*^_^*)
14:22 わたくしも、おおよそそのような認識をもっております。わたし的には、死者の幻影を透視して、その死者の想念を受け止めて、死者と仏のビジョンを共有すること、、のように今は思っております。そのようにすると、死者の幻影(ビジョン)は、光(クリヤライト)に変わり、そして虚空へ消えていく、そう視えております。和尚さまも、死者が光となるビジョンが視えておられるのではないでしょうか。お葬式の引導、いま風に表現すると、死者をヒーリングする、とうことのように感じております。
いつもありがとうございます。私は見えません( 一一)見えないですが、感じています。
私は日本史を学んでいた学生の頃、即身成仏とは、生きたまま僧侶姿でミイラになる事(即身仏)だと勘違いしていました。よく写真で見かけた即身仏、それだけインパクトが強かったのです。
いつもありがとうございます。即身仏と即身成仏を混同される方は少なくないですね。ただ、即身仏はインパクトが強いと思います。そうなるには大変だったでしょう。
ゆうき和尚、こんばんわ、死とは無、限りない無だと思っていました。生きていることが有だと、したら、永遠の無というのは分からないし、わかりようがないし、更に何か怖いことのように思います。率直に(*_*)
いつもありがとうございます。「死が限りない無」というのも、逆に「永遠に生死を続ける輪廻」というのも、深く考えると恐ろしいですね。子供の頃、死んだらどうなるのだろうと考えて恐ろしく感じました。成長するにつれては鈍くなったのか気にならないですが(*^_^*)
ゆうき和尚様✨感動しました💓どこにもスランプを感じさせない、矛盾が多かったはずの(突き詰めると、仏事と仏教の整合性が取れない)前回の動画との不思議な連続性、さすがは、真言密教の瞑想の達人、宗派を超越した😷ゆうき和尚様のご考察です🙏
いつもありがとうございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)ただ、実際は原稿作成も撮影も編集までも、ペースに乗れませんでした( 一一)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様(*^_^*)ゆうき和尚様からのお返事に、感謝いたしております❣️🥰このクオリティでも、まだまだ、ご自身の中では「ペースに乗れなかった」( ーー)と、お感じになられるのですね😳宗派によっては難しいと思いますが、ゆうき和尚様のように、私たち在家信徒が、生前に自分自身では「仏教徒の認識」がありながらも、実際には「仏事にしか携われなかった」故人を前にして、目には見えないけれども、「魂」(心)が連続してある事を信じて、死後に、引導を渡す「強い一念」(波動)で祈る事で、安らかな即身成仏の軌道に乗れるような「菩提心を打ち込む」お導きをしてくださる能力を、日々の密教瞑想などの修法で、怠らずに、磨き続ける努力をなさっている、その紛れもないな事実こそが、😇🧘「僧侶の僧侶たる証」ですよね🥹🙏
かりのやどから様>ペースに乗れなかったブランクを感じるとは思いませんでしたが、撮影も編集もえらく時間がかかりました( 一一)>僧侶の僧侶たる証私は大したものではございません(*^_^*)
こんばんは、いつも拝聴しています。菩提心についてもう少し噛み砕いてお教えいただけないでしょうか?
いつもありがとうございます。わかりました。おっしゃる通り、漠然としていてわかりにくいかもしれません。少しお待ちください。
悟りって何でしょうか?悟りに導くお話しをされてる方を、見た事がありません。お釈迦様の人としての在り方や、苦しみから逃れる考え方は、聞いた事があります。しかし……色々と私なりに勉強してきましたが、まず仏教の考え方(お釈迦様は言ってない)教義が多すぎるように思います。根本から、仏教では仏様が上で神様が下と言いますが、私はやはり逆だと思います。そして私は、本当の解脱とは、輪廻から離れるのではなく、神界仏界天界人間界などの世界全てから卒業する事だと思ってます。究極すぎて、それをできた者を見た事も聞いた事もありませんが。できたなら、その者は新しい宇宙や次元の創造主になり、新しい世界そのものを作れるかもしれません。創造主は、自分以外の創造主を増やしたいのではないか、現れるのを待っているのではないか、そんな気がしており、それが出来た時、究極の悟りを得た状態になっていると思っています。つまり逆を言えば、創造主になれないなら、究極の悟りを得られてないと言う事になります。私には無理だと思いました。なので私は、悟る事など何もない、無意味で、ひたすら上の存在から教えを頂いて、悟るというより、悟りに近づくと言う感覚でいます。そして、僧侶の皆様には、真実ではなく真理を学ぶ事を目指してほしいです。真実は、お釈迦様が教えてくださってますから。有り難うございました。
いつもありがとうございます。興味深いお話なので、改めて動画でお返事させていただきたいと思います。
いつもご視聴ありがとうございます。
このチャンネルでは、真言宗を中心に仏教について解説しております。
面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いします。
ご解説ありがとうございます。
海外から視聴させていただいています。
私は高野山の麓で生まれ育ち、真言宗のお葬式も馴染みがありました。今まで特に何も思いませんでしたが、一見矛盾しているように思われる即身成仏のお話も、なるほど、と納得いたしました。
コロナ禍で帰国出来ない状況が数年続き、その間に祖母が亡くなり、お葬式にも出席できなかったのが心残りでした。去年約3年ぶりに帰国し、お墓参りと奥の院へお参りに行くことができ肩の荷がおりた気持ちです。
ゆうき和尚様のような方に引導を渡していただけたらいいなぁと思いました。
今後も動画の更新を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
高野山の麓のご出身とはいいご縁をお持ちですね。
また、帰国されて、お参りされて何よりです。
参考にしていただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
ゆうき和尚様
お疲れ様でございます。
引導を渡すのは、悟りを目指したいという菩提心を葬儀で
故人に打ち込む!すごいですね。生有、本有、死有、中有の輪廻( Reincanation)。
引導作法は、大事だと思っています。現世で即身成仏できなかった場合に、亡くなった方を導くのがお葬式。菩提心を授けるのが大事ですね。 最近の葬儀に行った時、ウエッッツ!と言う気合いの入った声で引導作法をされるお坊様が見掛けなくなりました。
枕経もそこそこに、会葬者に
「生、苦、病、死」に付いて語られる説法が長く、3宗教もお坊様もほぼ同じお言葉で
今流行りなのか?と思いました。 ゆうき和尚様のご講和は、私には、有り難いです。
ご恩尊い、お有り難うございます。
いつもありがとうございます。
>枕経もそこそこに、会葬者に「生、苦、病、死」に付いて語られる説法が長く、3宗教もお坊様もほぼ同じお言葉
難しいところですね。
私はお通夜と初七日の後に法話をして、お葬式はしません。
お話するのはせいぜい3分ぐらいです。
遺族も疲れているでしょうし、長々と話しても、様々な想いが頭を巡って聞いてもらえないのではと思っています。
一番大事なのは菩提心、というのは心に沁みる言葉です。
南無大師遍照金剛 合掌
いつもありがとうございます。
そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)
こんばんは、本日も、ありがとうございます。真言宗の引導作法の講習会話し、ありがとうございます。合掌
いつもご視聴ありがとうございます。
ゆうき和尚さま、ありがたく拝聴しました。和尚さまのお話で菩提心は強くなります。ぼくにとって菩提心とは正解を求め続ける心なのですが、それが、真理を求め続ける心となれば、本当の菩提心なのかも知れませんね。そういう思考のヒントを、ゆうき和尚さまは与えてくださっているように思います。和尚さま、どうぞお身体お大事になさってください。
いつもありがとうございます。
またお気遣いいただき恐縮です。
参考にしていただけたら嬉しいです(*^_^*)
正解を求め続ける心でも間違いはないと思います。
和尚さんこんにちは。
今回もつらつらと沢山の事を感じ考えております。
あれこれ経験しまして仏教式のお葬式は、弔われる人、弔う人の心構えと云うか、意向が大切なのかなぁと思いました。
神道のお葬式は出しましたし、啓典の民(キリスト教式)のお葬式にも参列した事があります。
そのどれも神から預かった魂を天に還す儀式でした。
そこには弔われる人の心に働き掛ける要素はなかったです。
そう考え合わせると、弔われる人が菩提心を持とうとする人であったかどうか、弔う人がどうなのかで仏教式(特に禅宗系)のお葬式はその真価が大きく変わってくるのでしょうね。
とは云え、菩提心云々抜きにしても、送る側の気持ちとしては、読経を聞きながら故人への気持の整理を付けられる仏教式のお葬式は好きです。
あと数回、動画を拝見しながらつらつら考えたいと思います。
いつもありがとうございます。
神と人間がはっきり分かれているキリスト教と、人間が神(仏)になることができると考える仏教の違いかもしれません。
そう考えると、人間が神になりうる神道で、魂を天に返すだけというのは不思議ですね。
おはようございます。 何時も視聴して学ばせて頂いてます。お葬式=引導作法はつまるところ〝感想〟でしょうか。
浄土宗だと阿弥陀様がお迎えに来るのを感想するのだと思います。
真言宗ではお不動様を感想して悟りの旅路を護って頂くのに路から外れない様に剣と縄で導き火炎は旅路の闇の照らす知恵の灯明になります様にと。
なので日頃のお行は大切なのですね。
合掌…。
いつもありがとうございます。
おっしゃる通り、お葬式に限らず「観想」が重要と思っています。
ゆうき和尚様
いつもためになるお話ありがとうございます😊難しいテーマを取り上げて下さり感謝申し上げます。私も葬儀と修行は離れるものではないと考えています。全ては布教に繋がっていますね😊
宗信和尚様
いつもコメントいただき感謝申し上げます。
禅宗でもお葬式と修行がつながっているのですね。そのあたりを、また動画でお話しくだされば有難いです。(*^_^*)
14:22 わたくしも、おおよそそのような認識をもっております。わたし的には、死者の幻影を透視して、その死者の想念を受け止めて、死者と仏のビジョンを共有すること、、のように今は思っております。
そのようにすると、死者の幻影(ビジョン)は、光(クリヤライト)に変わり、そして虚空へ消えていく、そう視えております。和尚さまも、死者が光となるビジョンが視えておられるのではないでしょうか。
お葬式の引導、いま風に表現すると、死者をヒーリングする、とうことのように感じております。
いつもありがとうございます。
私は見えません( 一一)
見えないですが、感じています。
私は日本史を学んでいた学生の頃、即身成仏とは、生きたまま僧侶姿でミイラになる事(即身仏)だと勘違いしていました。よく写真で見かけた即身仏、それだけインパクトが強かったのです。
いつもありがとうございます。
即身仏と即身成仏を混同される方は少なくないですね。ただ、即身仏はインパクトが強いと思います。そうなるには大変だったでしょう。
ゆうき和尚、こんばんわ、
死とは無、限りない無だと思っていました。生きていることが有だと、したら、永遠の無というのは分からないし、わかりようがないし、更に何か怖いことのように思います。率直に(*_*)
いつもありがとうございます。
「死が限りない無」というのも、逆に「永遠に生死を続ける輪廻」というのも、深く考えると恐ろしいですね。子供の頃、死んだらどうなるのだろうと考えて恐ろしく感じました。成長するにつれては鈍くなったのか気にならないですが(*^_^*)
ゆうき和尚様
✨感動しました💓
どこにもスランプを感じさせない、矛盾が多かったはずの(突き詰めると、仏事と仏教の整合性が取れない)前回の動画との不思議な連続性、さすがは、真言密教の瞑想の達人、宗派を超越した😷ゆうき和尚様のご考察です🙏
いつもありがとうございます。
そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)
ただ、実際は原稿作成も撮影も編集までも、ペースに乗れませんでした( 一一)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様
(*^_^*)ゆうき和尚様からのお返事に、感謝いたしております❣️🥰
このクオリティでも、まだまだ、ご自身の中では「ペースに乗れなかった」( ーー)と、お感じになられるのですね😳
宗派によっては難しいと思いますが、ゆうき和尚様のように、私たち在家信徒が、生前に自分自身では「仏教徒の認識」がありながらも、実際には「仏事にしか携われなかった」故人を前にして、目には見えないけれども、「魂」(心)が連続してある事を信じて、死後に、引導を渡す「強い一念」(波動)で祈る事で、安らかな即身成仏の軌道に乗れるような「菩提心を打ち込む」お導きをしてくださる能力を、日々の密教瞑想などの修法で、怠らずに、磨き続ける努力をなさっている、その紛れもないな事実こそが、😇🧘「僧侶の僧侶たる証」ですよね🥹🙏
かりのやどから様
>ペースに乗れなかった
ブランクを感じるとは思いませんでしたが、撮影も編集もえらく時間がかかりました( 一一)
>僧侶の僧侶たる証
私は大したものではございません(*^_^*)
こんばんは、いつも拝聴しています。菩提心についてもう少し噛み砕いてお教えいただけないでしょうか?
いつもありがとうございます。
わかりました。おっしゃる通り、漠然としていてわかりにくいかもしれません。
少しお待ちください。
悟りって何でしょうか?
悟りに導くお話しをされてる方を、見た事がありません。
お釈迦様の人としての在り方や、苦しみから逃れる考え方は、聞いた事があります。
しかし……色々と私なりに勉強してきましたが、まず仏教の考え方(お釈迦様は言ってない)教義が多すぎるように思います。
根本から、仏教では仏様が上で神様が下と言いますが、
私はやはり逆だと思います。
そして私は、本当の解脱とは、
輪廻から離れるのではなく、
神界
仏界
天界
人間界
などの世界全てから卒業する事だと思ってます。究極すぎて、それをできた者を見た事も聞いた事もありませんが。
できたなら、その者は新しい宇宙や次元の創造主になり、新しい世界そのものを作れるかもしれません。
創造主は、自分以外の創造主を増やしたいのではないか、現れるのを待っているのではないか、そんな気がしており、それが出来た時、究極の悟りを得た状態になっていると思っています。
つまり逆を言えば、創造主になれないなら、究極の悟りを得られてないと言う事になります。
私には無理だと思いました。
なので私は、悟る事など何もない、無意味で、ひたすら上の存在から教えを頂いて、悟るというより、悟りに近づくと言う感覚でいます。
そして、僧侶の皆様には、真実ではなく真理を学ぶ事を目指してほしいです。
真実は、お釈迦様が教えてくださってますから。
有り難うございました。
いつもありがとうございます。
興味深いお話なので、改めて動画でお返事させていただきたいと思います。