J S バッハ:ゴールトベルク変奏曲/山名敏之 J.S.Bach:Goldberg Variations/ YAMANA Toshiyuki ,cembalo with a 16 feet stop
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- Опубліковано 11 сер 2020
- J.S.バッハ:ゴールトベルク変奏曲 BWV988
J.S.Bach:Goldberg Variations BWV988
宮島達男《Drawing for Counter Three Thousand》
MIYAJIMA Tatsuo “Drawing for Counter Three Thousand”
チェンバロ演奏:山名敏之
YAMANA Toshiyuki, cembalo
※いわきアリオス所蔵16フィート弦付きジャーマン・チェンバロ:マティアス・クラマー製作2008年ドイツ(1754年ツェル/ハスモデル)
Cembalo with a 16-foot stop at the Iwaki Performing Arts Center : Matthias Kramer,Germany 2008 after Zell/Hass 1754
撮影・録音・編集:布施雅彦
Video Shooting, Recording,Editing:FUSE Masahiko
録音データ:2020年7月10日 いわき市立美術館
Recorded at Iwaki City Art Museum, 10th July 2020
■宮島達男《Drawing for Counter Three Thousand》を展示すること
文:杉浦友治(いわき市立美術館 副館長 兼 学芸課長)
音楽を聴いた記憶は、その場所、空間の記憶とともにあることが少なくありません。美術館で音楽を聴くとは、美術館の空間や鑑賞した美術作品とともに、その音楽が記憶されることにつながるでしょう。今回、J.S.バッハの「ゴールトベルク変奏曲」でチェンバロ・コンサートを美術館で開催するにあたり、会場に宮島達男のドローイング《Drawing for Counter Three Thousand》を展示し、一緒に楽しんでもらうことを計画していました。
宮島達男は、1988年のヴェネツィア・ビエンナーレに出品して以来、世界的に注目を集める、日本を代表する現代美術家です。彼は次の三つの基本的な理念を掲げます。
「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」。
そして、これらの理念を体現する独自のデジタル・カウンターを用い、「さまざまなイメージ(人、時間、世界など)を表現」しようとしています。
このカウンターの大きな特徴は、ゼロが表示されないことです。各数字は、「1」、「2」、「3」、……「9」と点滅し、その次は何も表示されない「闇(0)」の時間があり、また、「1」から「9」、「闇(0)」へと変化し、これが繰り返されます。数字の中には他の数字が「闇(0)」になるのに連動してカウントするものもあり、関係づけられています。なお、カウントダウンをする作品もありますが、ゼロが表示されないのは同じです。
ゼロが表示されない理由について宮島は、「仏教哲学における『空』の概念を表すため」といい、また、「数字が変化し輝いている様は人間の『生』を象徴し、ゼロの暗闇は『死』を象徴する」とも語っています。そして、「仏教哲学において、人間の生命は『生』と『死』を繰り返すと説かれている」と語ります。
このような考えのもとに制作される彼の作品の前にたたずむ時、無限の時間と空間の広がりを持つ宇宙的な世界や、人間が生命のバトンを受け継いできた果てしない歴史などを思い起こす方もいることでしょう。
今回展示を予定していた《Drawing for Counter Three Thousand》は、《Counter Three Thousand》という作品のためのドローイングです。《Counter Three Thousand》は、当館で1992年に開催した宮島達男展に展示されました。企画展示室2の横幅28m、高さ5mの壁面一杯に、本作品のような配置でカウンターが設置され、暗闇の中、無数の赤と緑の数字が点滅しました。彼の最高峰の作品です。
宮島達男の作品とバッハの「ゴールトベルク変奏曲」とは、宇宙のように広大なスケールを感じさせる点や、繰り返しの構造があるという点では似ているかも知れませんが、もちろん、宮島達男と「ゴールトベルク変奏曲」とは直接的な関係はありません。宮島の作品とバッハの音楽はそれぞれ独立した芸術です。ただ、もしもそれらが一人の人間の中で響きあい、シナジー効果のようなものがでるならば、これまでにはない新しい体験となることでしょう。
■ヨーハン・セバスティアン・バッハ作曲 《ゴールトベルク変奏曲》BWV988
文:足立優司(いわき芸術文化交流館アリオス 音楽学芸員
今回取り上げる《ゴールトベルク変奏曲》は、J.S.バッハがライプツィヒ市の音楽監督として着任後に自費で出版し始めた「クラヴィーア練習曲」シリーズの第4巻として、1741 年にニュルンベルクのバルタザール・シュミット社から刊行されました。彼の鍵盤楽器用作品のなかでも最大規模、また変奏曲という名のもとにフーガやカノン、トッカータ、組曲、協奏曲など、それまで彼が取組んできた手法を盛り込んだ、まさに円熟期を迎えようとする 56 歳のバッハによる集大成ともいえる作品です。
この「クラヴィーア練習曲」、第1巻は《パルティータ》全6曲(1726 年)で、その後、第2巻《イタリア協奏曲&フランス風序曲》(1735 年)、第3巻《ドイツ・オルガン・ミサ》(1739 年)と、次第に充実してきていました。このシリーズは、〈聖書ソナタ〉で名高い前任者のヨハン・クーナウが出版した「新クラヴィーア練習曲」に倣ったものと考えられています。当時「練習曲」のタイトルをつけることは、楽譜の売れ行きを考慮し、また自らの“指導者”としての立場を強めるためにも普通のことでした。もちろん練習曲といっても、どれもバッハの作曲技法の粋が凝らされた作品ばかりであり、後のショパンやドビュッシーにも大きな影響を与え、彼らに高度な音楽性とテクニックを必要とする「練習曲」を書かせることになったのです。
ところで、この作品が広く《ゴールトベルク変奏曲》と呼び習わされるのは、バッハの最初の伝記を執筆したヨハン・ニコラウス・フォルケルが、1802 年に刊行した『バッハ評伝』に記している有名な逸話が基になっています。この逸話は今日まったく無条件に信じられているわけではありませんが、いくつかの史実からフォルケルの記した通り、バッハがこの作品を書く契機となったのがロシアの外交官カイザーリンク伯爵からのすすめであったらしいこと、この作品の初版本を伯爵に送って大きな返礼を受けたらしいことがわかっています。さらにフォルケルの言う、バッハが初版本に赤インクで訂正を書き込んだ「私蔵版」も 1975 年にストラスブールで発見され、その楽譜の余白には、《ゴールトベルク変奏曲》の「バス主題」に基づく 14 のカノンが書き込まれていたのでした。
この作品の最も大きな魅力のひとつが、冒頭と最後(ダ・カーポ)に置かれた「アリア」の美しさにあるといえるでしょう。サラバンドという舞曲のリズムによる穏やかで豊かな広がりと、聴く人の耳を強く捕えて離さない、揺るぎない強さを持っています。また、通常「変奏曲」といえば、最初に提示される旋律主題(主旋律)を次第に変化させていくものですが、実は《ゴールトベルク変奏曲》で変化の対象となっているのは、旋律主題ではなく左手の「バス主題」。ですから右手のアリア主題は、その後 30 曲に及ぶ変奏の中には一度も出てきません(こんなに美しいのに……)。“バロック音楽”の大きな特徴のひとつが「通奏低音」であり、その当時は必ずしも「主旋律」と「伴奏」という固定的な役割分担があるわけではなかったために、全ての声部に対等な重みを持たせる「対位法」が、進化を遂げつつあった「和声法」とせめぎ合っていたことから、バッハはこの作品で「バス主題」の変奏という手法を選んだのです。全曲を通して同じバス主題が変奏され、ほぼ同じ和声(例外は同主調であるト短調の3曲のみ)で進む自由度の少ない条件でありながら、30 曲ものヴァリエーション豊かな、魅力あふれる音楽を創り上げる離れ業と、全体的な雰囲気の統一感を見事に両立させた、非常に高度な作品に仕上がっています。
作品の構成にも、「数字の達人」バッハの真骨頂が遺憾なく発揮されています。例えば全 30 曲の変奏に、最初と最後のアリアを加えた「32」という数字は、アリアをはじめとする各曲の小節数に一致。また、各曲は 16 小節ずつで前・後半に分かれていますが、構成上でも全曲のちょうど真ん中、16 曲目に当たる「第 15 変奏」が初めて現れる短調、続く 17 曲目の「第 16変奏」には「序曲」という小タイトルが付けられ、ここで明確に前・後半に分かれています。16はキリスト教で「天と地」を表す4を二乗(4×4)した数であり、最も完全な数である8(この世界を表す7に、神の数である1を加えた数)の2倍ですから、この作品の確固とした安定構造を示そうとしているのでしょう。
さらに 30 曲の変奏を順に、横に3曲ずつ、縦に 10 段並べると、列ごとに 10 曲ずつ、3つのグループに分けられます。一番左側は、バッハがこれまでに通常のクラヴィーア曲や室内楽の楽章としてしばしば用いていた形式で自由に作曲した変奏曲を集めたもので、舞曲や小フーガ、そして緩徐楽章などから成っています。真ん中の列では、2段目(第5変奏)以降でチェンバロの2段鍵盤を活かし、右手と左手を対等に扱う「二重奏(デュエット)」のような性格の曲が集められ、右端には、「カノン」と題された旋律の“追いかけっこ”による曲が置かれています。カノンは出てくる順に、同じ音程で追いかける第3変奏、2度(一つ上の音程)上で追いかける第6変奏、3度上の第9変奏……と、次第に音程が広がり、8度(オクターヴ)上で追いかける第24 変奏まで、追われる旋律、追いかける旋律、そしてバス主題の変奏と、3声で構成されるグループを形成しています。ところがその先、彼は第 27 変奏を、バス主題そのものを9度上で追いかける2声部の構成とし、最後の第 30 変奏ではカノンに代わり、「クォドリベト」という、別々の流行歌の旋律を重ねて歌いながら楽しむという、当時流行していた形式を採りました。
「クォドリベト」で用いられている歌は「ニンジン、ダイコン、キャベツとカブに追い出され」と、「久しぶりだね、さぁおいで」という歌詞のものであることが分かっています。これは、冒頭のアリアに「久しく会えなかった」のは、彼自身の創造力の賜物である 30 曲もの「ニンジン、ダイコン……」のせいだった、というユーモアであると同時に、バッハのその他の代表作である《ロ短調ミサ》や《マタイ受難曲》、《ヨハネ受難曲》を鑑みて、彼自身の信仰表明ではないか、とも考えられています。つまり、黄泉を清め、3日後に復活を果たすキリストの姿に、30(3×10)もの変奏をめぐり清め、再帰するアリアを重ね、併せて、最初に復活のキリストと相まみえたマグダラのマリアに、この旋律を最初に書き記した「音楽帳」の持ち主――もしかしたら、この旋律の発案者――である、愛妻アンナ=マグダレーナ(アンナは聖母マリアの母)を重ね合わせたのかもしれません。
長大な変奏を経て、再びこのアリアが回帰するとき、演奏者は果てしない大海原への航海を終えて港に帰ってきたような、言葉にならない特別の感慨で心が満たされるといいます。それを聴く皆さまにとっても、その体験はきっと、人生における様々な想いを走馬灯のように速回しで見たような、大きな感動を与えてくれるものとなるでしょう。
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素晴らしい動画をありがとうございます!す、す、すすすすす素晴らしい!美しい響き!美術館の作品は地球に生まれたことに、喜びを感じ、そして、私達は人として、自然から奏でられる音をバッハさんから、そして、演奏される素晴らしい奏者さんから、感じることができる。地球上で、生きているすべての方に、聞いていただきたいです。心も体も、癒やされました。普通の主婦より
全て素敵なのですが、30番が何故か涙が出てきます。
演奏の素晴らしさもさることながら、各変奏に様式をふまえた的確な言葉が添えられていることがとてもありがたいですね。
美術館とチェンバロの音色、ぴったりです
チェンバロの音色 素敵です💕
私はゴルドベルクのカノンが好きです。らららクラッシックを見てこの曲を知りました。演奏者もチェンバロもとてもすてきです!
素晴らしい演奏と美しいハープシコードの音色ですね.引き込まれます.
山名氏のゴールドベルク全曲演奏。数多の録音があります。何回かこの山名氏の動画を拝聴致しました。一言でゴールドベルクらしいゴールドベルク、と賞賛致しまします。かなりな録音を聴く中で、名手の録音は良くも悪くも技術を全面に出して演奏されてます。今までその事にちょっとした違和感を感じるひとりです。翻って、氏の演奏は(ゴールドベルク氏への....)例の逸話のごとく、本当は全体が落ち着いた演奏になるはずで、氏は此をとても調和良く達成された素晴らし演奏ですね。氏は録音はされてるでしょうか?......手元にディスクラス置いてお置きたい。そんな素晴らしい演奏です。
ぜひこちらも,聞いてほしい。
ua-cam.com/video/1SxVfjRkPI4/v-deo.html
素直な気持ちです。生涯の秘蔵版にさせて頂きたいと思います。
不思議でしたのは、ピカピカに光る靴と背景に通過する車両です。もしも余裕が出来ましたら、実際に訪ねさせて頂きます。ww
バッハは古典派だから
チェンバロを弾いてバッハの思いを馳せる事が出来る幸せ‼️
どうせなら バッハっぽい格好して弾いたらいいのに…。
バロックだぜ❗️
@@michael-rc5wr さま
バッハがショパンの時代に生きてたら
今のピアノ🎹でどんな作曲をされたでしょうね…
当時ってどのような格好だったのでしょうかね!
@@mini98s さま
音楽室の肖像画…
コメントに評価頂き恐縮しています。何のきなしに書き込みました。プロに対して失礼ではなかったでしょうか。私はピアノ学習者ですが、以前にアリアを勉強したことがあります。アリアでさえ大変に難行しました。で、バッハの凄さを素人の一印象として書き込みます。お弟子さんなどへの一言のご参考にと。バッハは触る毎に指が麻薬的に喜ぶんです。ただの旋律だけでさえも、また鍵盤を触りたいと、指が欲求する。そんな作曲家です。その事に自身ぎょっとしました。触り手の、心の奥の何かを捉えてしまう。バッハはそんな不思議な大作曲家です。私はバッハの音楽を表現する人を深く尊敬しています。
演奏を褒める記述は多いが、この曲をつくった人を称える記述はないでしょ。なぜなのか不思議です