【総集編】世界が恐れた日本人の強さの秘密

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 20 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 36

  • @山本崇-s4y
    @山本崇-s4y 5 місяців тому +13

    いつもありがとうございます。

  • @fukuta6197
    @fukuta6197 Місяць тому +2

    福岡市内の荒江地区に住んでいますが、元寇激戦地の蘇原地区まで約1kmです。現在は蘇原公園として滑り台やブランコなどがあって子供などから喜ばれています。私も時々孫たちを連れて遊びに行きますが、公園内の石碑や掲示板には 当時の合戦模様や説明などが張り付けてあります。また近くには防塁跡もあります。今の平和な世の中はありがたいです。

    • @梅子-w6u
      @梅子-w6u Місяць тому +1

      情報ありがとうございます。
      今度行って鎌倉武士団にお礼を言ってきます😊

  • @すずりん-r2d
    @すずりん-r2d 4 місяці тому +34

    日本人の能力と団結力が優れてたんでしょうね。海外からみたら日本はアジアの国々の中でも別格だと言われてますよね。
    黒船も恐怖どころかみんな興味津々で港まで見に来る人がいっぱいいたとか。。。興味があれば新しいものを受け入れて研究しますよね。遺跡博物館とかの展示物を見ても住まいの工夫とか素晴らしくてビックリすることがあります。

  • @Okayu3
    @Okayu3 4 місяці тому +11

    とても、楽しく視聴させて頂きました。動画作成ありがとうございます😭

  • @松本悠佐
    @松本悠佐 4 місяці тому +9

    鉄砲作り…バラしてすべてをまね同じ物を製造し更に品質の更なる高みを目指す…まねるは学ぶの原点だと思います。

  • @user-mv2ks6gx7l
    @user-mv2ks6gx7l 4 місяці тому +12

    我々の先輩は本当に頭が良くて強かったんだと誇らしく思う一方今の日本人として恥ずかしく思います。
    強い日本にもう一度戻りたい!

  • @シャインmm
    @シャインmm 4 місяці тому +7

    私達日本人は 数多の祖先の方々のお陰で 他国からの侵略を受けず
    日本人として生きてこられたのですね
    そう考えると どんな苦難があろうとも その命をむげにすることは残念な事ですね
    未来の人達のためにも 今を精一杯生きていきたいです🍀😌🍀

  • @青深香南
    @青深香南 4 місяці тому +3

    世界の自然災害でその1割は日本だと聞いたことがあります。それだけ日本は自然災害が多く助け合って行かなければ生きて行かなかったと思います。日本の強さはそのあたりから来ていたのかな?とも思いました。そして諦めない心=武士道ですかね?にも関わらず私は主人に助けて貰ってばかりです。もっと主人に感謝しなければです😅

  • @fivepointedstar196
    @fivepointedstar196 4 місяці тому +2

    江戸後期、欧米列強に対する危機感が高まる。
    当時の技術では対応できないと感じた一部の藩は、反射炉を導入する。
    外国船に対抗するには、精度が高く飛距離の長い洋式砲が必要。
    従来の日本の鋳造技術では大型の洋式砲を製作することは困難であり、外国式の融解炉が必要となる。
    これに佐賀藩が着手。
    嘉永3年6月に「大銃製造方」を設置。
    この初号炉で鉄の鋳造を数回試みて鋳造に成功。
    大砲の砲身をくり抜く錐鑚台やそれを動かす水車なども随時製作。
    藩主鍋島直正が見学した際には反射炉4炉を同時に稼働させ、36ポンド砲の鋳造を行っている。
    江戸幕府は、大砲の鋳造の実績のある佐賀藩に鉄製大砲50門を注文。
    そのうち42門が品川台場に配備された。
    蒸気機関も佐賀藩は嘉永5年(1852)、精煉方を立ち上げ蒸気機関の開発にも着手。
    日本で建造された最初の実用蒸気船、凌風丸を完成させている。

  • @もりもりやまやま
    @もりもりやまやま 5 місяців тому +21

    天国から見てるご先祖様たちからしたら今の日本人は呆れ果てるほど情けないと思ってるはず

    • @和子小山-t2u
      @和子小山-t2u 4 місяці тому +4

      いつも、御先ぞに感謝してます、教育を与えてくれたし、世界の歴史も教えてくれました!英語の勉強も!いまあるのも、おや、ごせんぞさまのおかげです!

    • @和子小山-t2u
      @和子小山-t2u 4 місяці тому

      でも、さつまは嫌いです!男尊女卑いまだにやってますから!

  • @アプリ-z9x
    @アプリ-z9x 5 місяців тому +17

    本当にですね。昔の日本人は確かに強かったと思いますね
    しかし今は昔の良さが失われている様な気がします。今の政治家が良い見本だと思いますね。これから先の日本はどうなるのか本当に不安ですね。

  • @へいのじ
    @へいのじ 5 місяців тому +3

    薩英戦争後に薩摩藩から若者の英国留学が始まった事にも触れて欲しかったです。

  • @たま-u8r
    @たま-u8r Місяць тому

    盾は要らぬ。無用の長物。背水の陣を引いたら足手まといとなる。
    もう1つは、攻撃は最大の防御。刀で攻めるも、防ぐも両方する。目が良く、危険予知という勘も良い武士なら出来る。

  • @うさけんちゅーば
    @うさけんちゅーば 2 місяці тому

    海峡を 渡る船は 高麗に 造らせていたようだから かなり 脆弱で すぐに 壊れたんじゃないかな 大陸の騎馬民には わからんだろうね

  • @チェーンソー-f5b
    @チェーンソー-f5b 4 місяці тому +1

    なんで今こんな国になってしまったのか? おかしい...。

  • @隼-v9v
    @隼-v9v 4 місяці тому +2

    日本が資源がない国だったなんて大間違い
    黄金の国ZIPANGUと言われたし
    明治維新後には金が豊富で
    金と銀のレートが違って
    金が海外に安く流れました。

  • @yoshiokobayashi1307
    @yoshiokobayashi1307 4 місяці тому +2

    少し違うと思いますが、日本刀⚔️は、世界で一番軽い刃物です。 スシのヤナギ刃も一番軽い刃物です。作るのが難しいです。

  • @アライグマなモルモット
    @アライグマなモルモット 3 місяці тому

    これが本当の侍なんだよ

  • @沖縄塗装工業
    @沖縄塗装工業 Місяць тому

    薩摩は儲けることができないから貿易で儲かってる琉球を攻めてリベートを取ろうとしたが、幕府に全部取られて、今も変わらず。
    残念だね。

  • @louiesuperior7998
    @louiesuperior7998 4 місяці тому

    独立してないですよ

  • @sirorennjya7164
    @sirorennjya7164 Місяць тому

    話し方が少し気になります。語尾が上がるのが残念です。

  • @和子小山-t2u
    @和子小山-t2u 4 місяці тому

    侍といえば、主人の本家は…、諫早藩城台家老でした、本家にいくた、怖かった、歴代の家老が描かれていたが、ものすご〜く恐ろしき顔で、睨みつけてました、その絵を見ただけで5歳の長男は怖い怖いと、泣き出しました!日本刀で、頭から人をたたきころすのですから。はんのためとはいえ人を殺すのですか、わたしたちの想像できないしんじょうです!

  • @ヨシ-c3u
    @ヨシ-c3u 3 місяці тому

    日本が強い?
    火縄銃よりマシンガンやろ!ww

  • @369-v5j
    @369-v5j 5 місяців тому +3

    恐れてないんじゃね?現代では猿かモルモットでしょう

  • @手塚誠-h3p
    @手塚誠-h3p Місяць тому

    日本は独立国ではないですよかお😂

  • @文無師屑雄
    @文無師屑雄 5 місяців тому +2

    イギリスから武器弾薬をもらい薩摩藩が内戦奇襲を幕府にしたことは?
    それから明治惟信のせいで
    戦争が始まった事を言わないの?

  • @りょうた-r7n
    @りょうた-r7n 4 місяці тому

    植民地としての魅力が少ないで冷めたわ、、、、

  • @たけちゃん-w6z
    @たけちゃん-w6z 5 місяців тому +12

    日本は『鎖国』したと歴史の教科書に書いてありましたが、実際のところは鎖国をしていなかったと聞きました。
    因みに東京・上野にある『西郷隆盛像』をお披露目された時、奥様が立ち会いました。奥様からの一言『似ていない』と仰られていたそうです。元々、西郷隆盛は大の写真嫌いだったそうで写真(フォトグラフ)は1枚も無かったので、どんな顔立ちでどんな体つきだったのかは不明です。西郷隆盛の写真と云われている物は親戚二人の写真を合成(上と下)によって造り出された真っ赤な偽物。

  • @菊地哲郎-e1f
    @菊地哲郎-e1f 4 місяці тому

    今の日本人は哀れな子羊と狼に群がる臆病な子犬だな