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悲哀の海 歌唱なし!演歌

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  • Опубліковано 10 гру 2023
  • 寿永4年2月屋島の戦いに敗北した平宗盛率いる平氏軍勢は、安徳天皇と三種の神器を奉じ、弟知盛が本陣を構える壇ノ浦に向かって西下。
    その途上、安芸の国能美島に停泊し、行在所(内裏)を設けたそうです。
    しかし、源氏の猛追を受け、留まっていたのは3日程と言われています。
    軍勢の留まった近辺には今も安徳天皇に因んだ地名がいくつも残っています。
    なお宗盛の父清盛が沈みかけた夕日を招き戻して開通させたと言われる「音戸の瀬戸」は、対岸倉橋島の反対側になります。
    作詞 作曲 編曲 : 木原隆知
    歌詞
    1 屋島逃がれて 下る海
    暫しの行在 能美松原
    沈みゆく夕日は 呼べど波に濡れ
    栄華も威信も もはや無く
    棟梁宗盛 何思う
    2 向かい倉橋 藤の脇
    若宮に遊ぶ 春のひと時
    慰めも束の間 哀れ母と子は
    平安京恋しと 濡らす頬
    安徳悲しや 数え八つ
    3 迫る源氏旗 義経を
    見つけて繰り出す 平氏水軍
    為す戦術も尽き果て またも逃げ戦
    目指すは本陣 壇ノ浦
    明日の命運 誰が知る
    作成:木之原隆(rkmusic.ip@gmail.com)
    #源平 #安徳天皇 #能美島 #瀬戸内 #安芸灘 #創作演歌

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