【幕末偉人伝】最後まで真っ直ぐに生きたサムライ 佐川官兵衛 会津 戊辰戦争 西南戦争
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- Опубліковано 5 лип 2021
- みなさんこんにちは😊AIZUチャンネルあきくんです。
今回の動画は元会津藩士『佐川官兵衛』についてです。
佐川官兵衛と言えば鳥羽伏見の戦いで負傷しながらも鬼の形相で戦い続けて敵軍に
『鬼の官兵衛』『鬼佐川』と呼ばれ恐れられていました。
性格は直情型で曲がったことが大嫌い!不義な事を起こせば遠慮無く斬る!
そんな直角な男だったいいます。
それでいて人情に厚くどこか憎めないキャラクターで部下たちには慕われていたそうです。
そんな官兵衛も幕末明治の激動の時代に翻弄され最後は故郷会津から遠く離れた熊本阿蘇の
山中で銃弾に倒れるという壮絶な最後を迎えます。
会津士魂を生涯突き通し不義を絶ち弱い者に優しく生き抜いた佐川官兵衛の生涯をぜひご覧ください!
#会津 #幕末 #戦死
✅佐川官兵衛について詳しくはこちらをどうぞ⬇️
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%...
✅こちらのサイトも参考になります⬇️
BUSHOO!JAPANさんのサイトbushoojapan.com/jphistory/kin...
2021/02/12/118323/2
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熊本城物語 中村彰彦著
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それでは次の動画でお会いしましょう👋
画像はWikipedia
いらすとや
Photo AC - Розваги
佐川官兵衛の生涯も諸説あります。今回の内容が間違っている事もあると思います。気分を害する方がいらしましたら申し訳ありません。
とてもよく調べていると思います。
歴史は様々な書物が出版され論文も出ています。
研究者の立場や思想もあります。
自分の説が正しいと主張されるのは勝手ですが、AIZUチャンネルさんのように郷土の会津を愛して紹介する方に偏った僅かな資料を取り上げて反論するのは荒らしとしか思えません。
歴史は時代に影響されて政治的な背景から様々な説が横行しています。
史学はフィールドワークが重要です。
記録として残っている寺伝や慰霊碑などに残された日付などの資料で反論することは可能です。
過去に幾つか気になる投稿を拝見しましたが、AIZUチャンネルさんは、会津若松を中心に会津を紹介してくれる楽しく素晴らしいチャンネルです。
不愉快なこともあったかも知れませんが、気落ちせず投稿を続けて欲しいと願っています。
Jin Dogmaさんありがとうございます。
まだまだ歴史の認識に甘く諸先輩方の認識とはかけ離れて気分を害させる方が多いですね。自分ももっと勉強して地元会津の事に深く触れたいと思います。動画制作も現在昼間の仕事に追われてどうしても夜中になってしまうので誤字脱字に気がつかずに投稿してしまう事もあります。もう少し余裕を持って動画制作しなければいけませんね。動画をご覧になる方が気持ち良く視聴できるように気をつけたいと思います。
僕の動画は実際に現場に行ってリアルを撮影してお届けするというスタイルなのでどうしても時間がかかってしまいますが、気長に待っていただけると幸いです。
これからも勉強しつつ喜んでいただける動画作りに努めて参りたいと思っているので今後ともよろしくお願いします🙇♂️
おはようございますご返答頂き本当にありがとうございます
おはようございますご返答頂き本当にありがとうございますあの方の本を日々読んでおります
@@JZI00447 おはようございますあの方の生き方自分にとってはすごいしかありません
本田博太郎の演技は憑依しているかの様な名演だった
本田さんは前作にあたる「白虎隊」でも佐川官兵衛役で出演されており、2つのドラマを通じて佐川官兵衛の生涯を演じているのですね😌
自分は中学、高校と、一刀流溝口派剣術の手ほどきを受けました。
佐川官兵衛先生と萱野権兵衛先生は一刀流溝口派の遣い手です。
萱野権兵衛先生のお墓には会津に帰省した時は必ずお参りに行ってました。
今まで佐川官兵衛先生のお墓の場所が知らなかったので、お参りに行くことができませんでした。
この動画は凄く感謝しています。
ありがとうございます。
今度帰省した時は、佐川官兵衛先生のお墓にも行って来ます。
余談ですが、会津の一刀流溝口派は、薩摩の示現流に対抗できる唯一の流派です。
田原坂の戦いでは、警視庁抜刀隊の旧会津藩士(一刀流溝口派)は活躍したそうですよ。
佐川官兵衛さん、萱野権兵衛さんと同じ一刀流溝口派の剣術をやっておられたんですね!
佐川官兵衛さんのお墓、僕も初めてお参りさせていただきました。
佐川官兵衛候の御霊は大分県の護国神社にも祀られています。
立派なサムライです。
侍どうしの戦いに鉄砲とは 恥知らずな
夫婦が隣り合わせなのがせめてもの救い
安らかに
昔、日本テレビ系列 “年末時代劇”「白虎隊」「田原坂」で本田博太郎さんが熱演してましたネ❗️
両作品ともチョイ役でしたが、猛将・鬼の官兵衛とシッカリと紹介されてました😌
佐川官兵衛候が戦死されたのは田原坂より東側の二重峠と言う地で有った様です。
まさに、「ならぬことは、ならぬこと」を実践してますね。素晴らしいです。
ならぬことはならぬ~でも戦とはいえ人を殺すのは、ならぬことはならぬじゃないんじゃない。難しいね
"八重の桜"で当人を演じた中村獅童がよく似ているのに正直びっくり!
後、川路利良は”るろ剣”でよく出てたので気づいてる人は少なくないかと
大内宿でそんな争いがあった事を知りませんでした。
ネギをカジりながら蕎麦を食べている長閑な風景からは想像もできません。
今度、大内宿に行った時には佐川官兵衛さんを偲び歩きたいと思います。
大内宿、今はのんびりした観光地ですからね😊
激しい戦いがあったなんて想像がつきませんね!
大内宿には、土方歳三も来てたらしいです。
@@dancho2780 さん
それは凄いですねぇ。
土方歳三さんが下野街道を歩いていたなんて、考えただけでもゾクゾクします。
本田博太郎さんの、佐川官兵衛、熱演でしたね、仲間思い、会津を思い、殿を思い、戦つた、思いがよく、わかりましたね。また、新作がやる時は、博太郎さんの、官兵衛見たいですね。
佐川官兵衛さんの壮絶な人生は胸を打ちますね。
拝見させて頂きました🙇♂️
会津魂は素晴らしいです✨
ありがとうございます😊
会津魂、もっと勉強したいですね!
大好きな会津の話をいつもありがとうございます!
ご視聴ありがとうございます。
僕もまだまだ勉強不足で間違っている所も多々あると思いますが💦頑張って勉強します。これからもよろしくお願いします。
官兵衛さんが討ち死にしたのは坂梨峠ではなく二重峠ですね。坂梨峠でも戦闘はあったようですが。些末なことかと思いますが,訪れる方が間違ったりしないよう・・・。数年前,南阿蘇をサイクリングの途中,明神池で官兵衛さんの胸像の落成式をたまたま見かけました。多くの方々が出席されてました。いまだに愛されてますね。
ご指摘ありがとうございます。坂梨峠での戦闘の後二重峠での最後の戦いで戦死したんですね、そこが抜けていました💦すみません。ご指摘訂正ありがとうございました。
官兵衛は、その身に3発の銃弾を浴びて戦死したとされています。
@@aizuchannel 興味深く楽しく見させていただきました。細かい部分とは思いましたが、勉強になる動画でしたので、さらにいいものになるお手伝いがちょこっとでもできればと思いまして・・・。
歴史シリーズとても良いですね!ありがとうございます。
会津の歴史には尊敬する人がたくさんおられますが、佐川官兵衛さんもそのひとりです。
ご視聴ありがとうございます。
まだまだ知識不足で至らない所が多くてすみません。
本当に会津は幕末、維新後の偉人が多いですね!佐川官兵衛さんの真っ直ぐな心尊敬します。
こんばんは聞かせてもらい本当にありがとうございます真っ直ぐに生きることの非常な難しさありすぎる最後まで貫くなんてなかなかできる人ではないと
自分の信じた道を貫くのは並大抵の事ではないと思います。
辛い事もたくさんあったと思いますが佐川官兵衛さんの真っ直ぐな生涯は尊敬しますね。
こんばんはご返答ありがとうございます全て先人たちの血汗涙あってこその毎日ではないかと
おはようございますご返答頂き本当にありがとうございますいろいろお気遣い本当にありがとうございますあの方の生き方生きざまなど私は足元に及びません
己の節義をかたくなにということは今はどうか?何か個性多様性とかよく言われてるなかで?
佐川官兵衛、幕末、明治の激動の時代を生きた会津魂を持った一途なサムライでした。
5年ほど前に帰省した際、喜多方の長福寺にお参りしてきました。
遠い、九州の地で彼の遺徳が遺されていたことは会津人として嬉しい限りです。
長福寺の佐川官兵衛さんのお墓へ行ったんですね!
遠い阿蘇の地で今でも語り継がれているのは本当に嬉しい事ですね。
私もコロナが落ち着いたら熊本、大分を旅する。勿論 佐川 官兵衛 戦地つ巡る・郡山市に里帰りは、少し後に!屋久の島→鹿児島本港上陸→熊本へ 車中泊ですね…安全を考えて
屋久さるさんこんばんは😊
熊本、大分の旅良いですね❗️佐川官兵衛さん巡り。
車中泊お気をつけて👍
阿蘇在住です。
熊本地震で壊れてしまった阿蘇大橋の近くに、佐川官兵衛討死之地碑があります。
一度は行ってみたいと思っています。
個人的に痛快な会津藩士として記憶しています。寝坊の件はやはり外せないエピソードになってしまうんですね。
話はそれますが、北海道には数か所会津藩士の墓があります。松前藩から幕府直轄地になった北海道を守るため、少なくない藩士を送り込みましたが多くの方が凍死されたと伺っております。
当時学生だった私はオートバイで野付半島、稚内、利尻をめぐりましたが、墓は朽ちかけており寂しく感じたものです。機会があれば貴チャンネルで取り上げて頂けますと幸いです。
ご視聴ありがとうございます。佐川官兵衛さんは豪快で真っ直ぐで嘘をつけない正直者のイメージがありますね!
北海道にも会津藩士のお墓が多数あるようですね、一度は訪問してみたいです。
本田博太郎さんがピッタリですねw
白虎隊や田原坂に出ていましたが
会津出身の傑物を語るには、不自由しませんね。幕末から近代も。特に印象に残るのは伊東正義さん。
総理の椅子を蹴飛ばしたことはあまりにも有名ですよね。このあたりの事も深掘りしたらおもしろいですね。
会津の偉人はたくさんいますからね!まだまだ知らない人もたくさんいると思うと調べるのが楽しみです!
伊東正義さんは有名ですね、実は詳しく知らないので調べてみます🤗
親父が「伊東正義さんのカバン持ちやらんか?」と言ったけど俺は政治家に向いてないからやらんかった。
@@aizuchannel
渡部恒三さんもお願いします
会津は何度旅行しても、土地も人も歴史も惹き付けられる何かがあります。
今のコロナ禍が過ぎ去ればまた行きたい。
お勧めにこのチャンネルが出てきて知りました。
とても勉強になります。
ご視聴ありがとうございます😊
早くコロナが落ち着く事を祈ってます🙏またいらしてくださいね。
佐川官兵衛の様な
真っ直ぐな政治家は
出ないかなぁ
鬼官衛兵、かっこいいですよね。
豪快で真っ直ぐな生き様が!憧れます。
失礼
以前熊本南阿蘇にあるトロッコ列車に乗った時この方のお話を聞きました
投稿有り難うございます。
阿蘇の方々が佐川官兵衛さんの事を今でも語り継いでいると聞いて嬉しくなります。ありがとうございます。
自分も福島の出身で、尊敬する人物が佐川官兵衛です。壮烈な生き様に感動しました。
ご視聴ありがとうございました😊
佐川官兵衛さんのように真っ直ぐに生きたいと思いますが難しいですね💦
憧れます。
ドラマ「田原坂」では会津藩家老として賊軍の汚名を返上すべく奮戦。壮絶死。
しかしそうしなくても、会津は紛れもない官軍だった。
孝明天皇の大御心からそれは証明されている。
佐川官兵衛の生き様に感銘を受けます‼️
当方、大分県民ですが、地元の大分縣護國神社の境内にある西南の役警察官墓地に佐川官兵衛の墓碑があります。
戦死の地は阿蘇付近ですが、当初大分県に派遣された縁で合祀されています。
いつかはそちらへお伺いしたいと思っております😊
ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
昔、年末時代劇で田原坂という大作ドラマが放送されて、
本田博太郎氏が佐川官兵衛を演じてたが、顔似てるな
ご視聴ありがとうございました😊
今更のコメで恐縮です。私はルーツが鹿児島で、都市部ではそうでもないですし、最近はそうでもないかもしれませんが、
田舎の高齢の方の西郷さんの人気・英雄視ってのはそりゃもうすごかったです。先祖代々の写真とともに、西郷さんのよく見る肖像画とされているアレが
飾っていたりするんです。
であるのですが、勝てば官軍という考え方が幼少の頃よりしっくりこなくて、戦争ってのはお互いに言い分があるはずって思いが強く、
少しづつ調べた結果、距離置くというかどちらかと言えば佐幕派と言った考え方になりました。幕府が腐敗していた面はあるでしょうし、無茶苦茶
だった面もあったんでしょうが・・・。明治維新自体も必要であったとは思います。歴史好きという面もあるのですが、戊辰戦争ゆかりの場所で
手を合わせるという回数が結構な回数に上りました。国の為、帝の為と思っていた会津が朝敵になっていたというのがいたたまれないですね。
コメントありがとうございます😊
やはり地元の英雄はときが経っても英雄ですね。歴史的に紐解けばその土地その土地で英雄は変わってくると思いますが、僕の地元会津でも両極ですし。当時の人々の置かれた境遇でも変わってきますね。なのですフラットに歴史を見られれば良いんですがどうしても地元の贔屓になっちゃいますね。
鬼菅血風録読みました。芦ノ牧温泉のセブンイレブンで買いました
ご視聴ありがとうございました😊
一騎打ちをしてる、敵方を狙い撃ち、それが西郷軍とは、恥じっ晒ししかない。
佐川官兵衛は会津のため戦いに戦い抜いた人生でしたな
こんばんは見させて頂き本当にありがとうございます、勝てば官軍と言葉は、本当に奥深く重すぎます
こんばんは見させて頂き本当にありがとうございます、戦争はかったら正義?
ご視聴ありがとうございます。勝者、敗者それぞれに生き様がありそれぞれに喜び悲しみがあるんですね。勝敗によりその後の扱いが歴史にも影を落とす所もありますが、現代はその史実の上に成り立ってると思うと考えさせられますね。
@@aizuchannel こんばんはご返答頂き本当にありがとうございます、歴史は、一言で決して語れない計り難い奥深く重すぎとてつもない世界であり自分なんかはまだまだと思います
本当にそう思いますね。
良いも悪いもその一つ一つが歴史を積み重ね、今を形作っているんですね。
そしてその歴史の一部を僕たちが今作っているのかも思うとおいそれと軽はずみな行動は出来ないな!なんて思います笑
@@aizuchannel おはようございますご返答頂き心底感謝感激しております本当にありがとうございます大変嬉しい😃💕です
会津の侍素晴らしいです。田原坂という時代劇に出てた佐川官兵衛かっこよかった
頑固一徹‼️その頑固さの中にも優しさ弱さがありましたね😂
本当は心の優しい方だったのだろうと思います。
本田博太郎さんが演じてましたね。前年の年末時代劇「白虎隊」でも本田さんが演じていました。
すばらしく勉強になる動画でした。ただ、最後の奥様はかわいそうと思ってしまったw
佐川官兵衛の生き様は、フランス人の感銘により、抜刀隊と言う素晴らしい曲になり今に語り継がれていたす。
佐川官兵衛の頑固なまでの生き方にはあたまが下がります。
会津人ここにあり‼️ですね。
我は官軍我が敵は~天地いれざる朝敵ぞ~ってな
西南戦争戦没者の墓を見ると、墓碑に名前と出身地が書かれています。遠い東北地方など日本中から人々が反乱軍にも駆け付けた様子が分かります。今、わたしたちが学校で教えられるのとは違う何かが人々の中にあったのではないかと思います。
波乱に富んだ官兵衛の壮絶な人生。西郷も大久保もあの時代の同じ仲間だったのでは。合掌
ご視聴ありがとうございました😊
佐川勘兵衛の生きざみがひとのこころを惹き付ける
本当にそう思います‼️
中立で、会津へのとりなしの目的で岩村と、小千谷で交渉に臨む継之助、ここで官兵衛指揮の砲撃が行われ、長岡も列藩側に引き込まれた。官兵衛サン、策士。
いつもありがとうございます
説明、語り共にわかりやすいので良く勉強していることが分かります。
今後とも会津のことを教えてくださいね!
私も喜多方の出身です。故郷が大好きですが知識がありませんので勉強になります。
ご視聴ありがとうございます😊
僕もまだまだ勉強不足で間違いも多々あります💦
これからも勉強しながら地元会津をお伝え出来ればと思っています。
南阿蘇村の討ち死にした場所や慰霊碑に行ってみたいと思います。
可能であれば動画にしたいところです。このチャンネルについても、ご紹介するかもしれません。
会津と阿蘇の両方の視点があると面白いかと( *´艸`)
敬礼、会津若松市出身です。
会津と沖縄には特別の感情がある。
近代日本は両地方の犠牲無しでは語れない。
歴史的に重要な場所、戦いがあった所ですね。
父親が会津戦争で負け戦、西南戦争で戦死、その息子が日露戦争で戦死とは非情すぎる実話物語。
戦に翻弄された家族ですね💦
(旧)白水村明神池の傍に記念館を開いてる方がいらっしゃるようです。自分は薩軍応援なので参観していませんが。
佐川官兵衛の話をありがとうございました。会津の侍が政府軍として戊辰戦争に参加したことは知っていましたが、佐川官兵衛もその一人だったわけですね。
ご視聴ありがとうございます😊
西南戦争で戊辰の雪辱を❗️という思いも強かったのかと思いますね。
斎藤一さんも参戦していますね。
@@aizuchannel 松江豊寿の父親にあたる松江久平も参加していたようです。参加者のうち佐川含む71名が戦死したそうですが久平は無事に帰還していくらかの報償ももらったようです。
死してこの世に生まれ落ち二百と有余年、天膳の住もうておる この狭間の世こそ、まさに…地獄なり
佐川官兵衛の息子は、日露戦争で戦死しています。
私も福島の人間です🙂
退去→たいきょ たいきと聞こえるが 、折角の動画間違えると勿体ない
漢、佐川官兵衛泣けた😭
漢 佐川官兵衛ですね‼️
奥様と寄り添うように建つお墓を見た時は本当に涙が出ました😂
@@aizuchannel
またいつか会津に行きたいと思っております、前に日新藩校に行ったのを覚えております
熊本県白水村には佐川官兵衛の遺品や関連資料を保存、展示する「佐川官兵衛記念館」があります。入口には会津藩旗が掲げられています。
佐川官兵衛さん最後の地❗️
佐川官兵衛記念館ぜひ行ってみたいです😊ありがとうございます。
会津生まれで、大分県に3年も転勤で住んでたのにその頃は会津の歴史に興味がなく勿体無いことをした。
一度佐川官兵衛さんが戦い亡くなった場所へ行ってみたいですね😊
秋田出身の私としては
恥ずかしい限りです😭
裏切って新政府に付いても
その後の処遇は😭
戦時下の事なので藩を守るため家族を守るため様々な事情があったかと思います。
決して恥じることはないと思います。今があるのはご先祖様のおかげだと思いますから😊
彼は元々、戊辰戦争で「賊軍」とされた元・会津藩士でしたが、西南戦争の勇猛果敢な働きを見せ殉職した事で靖国神社や護國神社に御英霊としてお祀りされています。
これは「賊軍」では無く立派な「官軍」の兵士として最高の名誉を得られた事を示していますよね。
佐川官兵衛さんの功績、人柄。
同じ会津人として大変誇りに思います。
3人目の妻とは眠らないんですね、人生いろいろ…。あの日寝過ごしました?って訊いたら私斬られるんだろうな 明治まで生き残って活躍した方の話はわりと珍しいのでなんかほっとします。
中村先生の碑文でしたよね
ずっとう警察庁だったのか
戊辰戦争後に警視庁ですね。
会津若松の名前を聞くと何故か涙💧がこみ上げてしまいます。会津が好きです。
ご視聴ありがとうございました😊
誤字多くて残念です。
部門➡︎武門
時世の句の読み方
露 あらわ
ではなく、つゆ
と読まなきゃ、、ね。
内容が良いから、、そこを修正しましょう
最後→最期
鬼の官兵衛さん幕末、明治と生きた、会津魂と武士道を持ち備えて家族愛もあり、戦場の地でも、会津でも慕われた偉人だと思います。こんな良い人が現代の、政治家にいたら、もっとましな日本になっていたのでしょう。‼️
佐川官兵衛さんのお話はたくさんありますね。それだけ人を惹きつける魅力ある人だったのかと思います。
11:03 「武士道を貫き通した」は「(武士道を)つきとおした」ではなく「つらぬきとおした」と言うのが一般的でしょうw
お墓にお参りするときは、帽子を取りましょうね。
そうでしたね🙇♂️失礼しました。気をつけます。
身は露(つゆ)となる…でしょ😓
露(つゆ)の方だったんですね💦
失礼しました🙇♂️勉強不足でした。
部門??武門じゃない?死に様は、悲惨でも、愛された人柄が窺えますね。
母方の祖先が同じ場所に墓が有ります 田原坂で抜刀隊として戦死
そうなんですね❗️
抜刀隊のご先祖様だったんですね。
日本人同士が戦った最後の戦(いくさ)「西南の役」
武士の世が終わった瞬間
時代が変わった戦だったんですね。
会津には武士らしい武士が多い。
頑固一徹會津魂
代々の教えかもしれませんね。
幕末に長州で起こった会津藩士神戸岩蔵事件からその事が分かって来ました。教育が違う。第二次大戦でもそのことが端々にでています。
片岡鶴太郎さんに似てますね。
確かにちょっと似てるかもしれませんね😊
戊辰戦争ではなく西南戦争おの間違いでした。お恥ずかしい。
いえいえ😊
私は高知県人ですが、土佐藩を含め新政府側のやり方にはかなり悪どさを感じます。正直、戊辰戦争が必然だったとは到底思えません。新政府側が徳川や旧幕府方に配慮出来たなら、失われずに済んだ人命がどれだけだろうかと思うと、残念でなりません。
人と人が争う根源は社会性にあり人が人として生きるようになって以来耐えることは無いですね。
無念です。
本来は会津藩を見せしめにして徳川と武士の世を終わらせようとしたはずなのに
新政府側が武士の作法として会津を良き敵として相手取り、旧時代の老兵に去っていただくという目的を忘れ
自分たちの功績を輝かせるためのメッキ代わりにただの敗北者として世間に広めてしまったからですね
新政府側にも維新の論功にあずかれない者、また民衆にも価値観の激変した明治と言う新時代に取り残された者たちなど様々な格差が生じて
結局官民の随所から噴煙巻き起こり西南の役に繋がってしまった
噴煙と言えば薩摩の桜島、しかも維新三傑の筆頭大西郷を旗頭に鹿児島から旧勢力が蜂起したのは皮肉なものですね
江戸時代は260年以上続いてきましたので、その体制に再び戻らない様に苛烈でも断ち切る(元京都守護職を潰しておく)必要があると考えたのではないでしょうか?放っておいたなら、内政の人材は江戸幕府での経験豊富な者に、明治政府の要職がとって代わられ、乗っ取られてしまっては維新を行った意味がなく、幕府軍と戦い散っていった同志達に顔向けできないでしょう。今に生きる多くの国民と同じ様な、客観的な立場に立つのは難しいと思います。(そもそも維新を起こした側の旧薩摩藩ですら、不満が溜まり、西南戦争という反乱が起きていますし)
それと個人的には、会津藩の御留流(外部流出厳禁の武術)の大東流合気柔術又はその原型が流出し、その後に合気道が作られ、それを習う事ができたのはありがたかった。
会津藩がまともに残っていたら、御留流のままであっただろうから、合気道という武道も存在していない。
死に場所を求めて薩摩との戦いに臨んだ側面も在りそうな気もする?
生まれ故郷会津の地で隠居していた官兵衛が再び戦いの場へ行くと言うのは運命なのか武士の性なのか?結末は悲しいですが自分で選んだ道!なんですね。
@@aizuchannel
山川を西南戦争に、引きずり出した時の誘い文句がもう一度天皇の為に戦わないか?と云うものでした。
薩摩と戦えるなら、会津抜刀隊誕生。
京都御所の警備をあれよあれよと、云う間に解任された前後の経緯が未だに明らかと為って居ません。
会津藩は、天皇すり替えに気付いて居ない。
早乙女貢氏も著書の中では確認出来無い。もう少し生きて欲しかった。
何故、上京途中、和宮が箱根山中で暗殺されねばならなかったのか?
和宮は、睦仁を知っている、それを恐れた?
戊辰の仇!
田原坂に響いた元会津藩士の怒号は、薩摩隼人を戦慄させたと言う。
鬼の官兵衛👹
鬼気迫る会津藩士の顔が見えるようですね。
官兵衛さんお寝坊の件、他の組の人が起こしに行かなかったこと自体が会津松平家をして敗戦を目前にして統制が効かなくなっていた証拠なのでしょう。
川路利良は薩摩出身ですが、佐川官兵衛たち会津武士の侠骨に感じ入るところがあったのでしょう。
容保公だったと思いますが、「長州は最初から敵だったからよい。味方のふりをして最後に裏切った薩摩は許せない」といい、会津武士が新政府軍に多数加わっていた理由も分かります。
つらぬきとおした。かな。
ですね💦
読み違いすみません🙇♂️
色々と編集や言い回しに指摘もわかりますが それを引いて余りある 歴史的な資料の動画だと思いますよ‼️私の好きな佐川氏をあげて頂きありがとうございます。
ありがとうございます😊
リズムがない。
すみません🙇♂️
「戊辰の仇、戊辰の仇」と絶叫しながら薩摩の反乱軍に突入していった警視庁抜刀隊のエピソードが
抜けていますね。 これじゃダメです。かく言う小生は会津藩士の子孫です。
すみません🙇♂️
戊辰の仇 の説は後からの創作だと書いてる方も居ますね(^o^;) 佐川氏を 警視庁抜刀隊 と紹介したりもありますが 正式な抜刀隊は 佐川氏ら 手練れの警察官で臨時に編成された警視隊の働きのあとに編成されたとか。 自分は薩摩生まれで 親父(故人)は示現流習ってた海軍航空隊員で 中村半次郎氏に心酔してました。 この手の本 読むほどに 自分は会津よりになりそうです(≧▽≦) 佐川官兵衛氏は 自分がお気に入りの幕末のお侍さんでもあります。
出来れば会津の昔からの風趣を護るためにも、沢山子供を作って下さい❢昔の会津の、教えを守って下さい❢女の子で、合っても薙刀や、合気道を習わせて下さい大東流合気柔術輪、会津お止め流が発祥だとか、
ご視聴ありがとうございました😊
常体と敬体の混在や、一般的な言い回しと荘重な言い回しなどの混在は、あまり格好のいいものではありません。
特に史実を紹介するような内容ならば、見る人の知的レベルも上がるでしょうから、なおさら避けた方がいいと思います。
同様に誤字や誤読も見ている方は気になりますので、きちんと辞書を調べた方がいいのではないでしょうか? ex.貫く=つらぬく ╳つく、◯最期 ╳最後
すみません🙇♂️
気をつけます。