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1:21 954年→959年の誤りです。17:35 41歳ではなく31歳の誤りです。重要な所をミスしてしまい申し訳ありません。
確かに、後醍醐天皇意外にも、こんなにエネルギッシュな天皇がいたとは知らなかったです。面白かった。
新動画が出る度に、朝廷の内部事情がよりはっきり分かってきて面白いです。第五皇子で天皇即位の可能性のなかった円融が、最終的には現代まで続く天皇家に繋がるとはもはや人知を超えていますね。冷泉天皇も円融天皇も自身が若くで譲位することにより、自身の子を皇太子にする暗黙の条件としていたわけですね。一代限りの中継ぎの天皇では、妻も入内しないとは!驚きました。あまりに露骨な対応に、彼が怒り必ず自身の血統を継承しようと思ったのも尤もです。当時の不遇な者同士円融天皇と兼通のタッグは、まるで政治の内幕物そのもので、それ以降天皇は、他からの反対を受けても彼の出世を後押し、兼道は関白まで上る。それが、兼道の死によって瓦解する。パートナーを失った円融は頼忠を経て、あれほど嫌っていた兼家と結ばざるを得なくなる。こういう背景を知ると、詮子が円融天皇に好かれず孤独だった理由もスッキリも納得します。寵愛以前の彼女の父親との確執が遠因ですね。その後の花山天皇を譲位させる作戦でも、円融法皇、兼家共に自身の子、孫を即位させたい思惑の一致での共同作戦となったわけですね。彼ら二人がほぼ同時期に没しているのは、何だか因縁めいて感じられます。二転三転する関係者の対立と和合を知ると、ドラマの理解もさらに深まります。レキショックさんの動画は決して簡単な内容ではないので、私も毎回何度も聞き直して理解しています。安直に得られる知識も重宝しますが、この動画のような内容の濃い知識は、反復や自身での調べも要求されますが、その分しっかり知識が定着し実り多いと感じます。これからも、レキショックさんの登録者は皆動画を待っていらっしゃると思いますので、ずっとこのクオリティで続けて欲しいと思います。
やっぱり内容難しいですよね…内容の濃さは維持しつつ、なるべく分かりやすく伝えられるように頑張ります。
@@rekishockさん 視聴者さんも博識な方が多いので、このチャンネルは動画とコメント欄共に、学びとなっています。これからも、いろいろ発信よろしくお願いします。
12:12 何か円融天皇が後の白河、鳥羽、後白河の院政みたいにみえますね。
円融天皇の子孫が1000年以上皇統を護っているのは感慨深いですね。
冷泉天皇の系統も女系(後三条天皇の母は三条天皇の皇女)で現在の皇家に繋がっていきますよー
そうなんですね、ありがとうございます😊
冷泉天皇と円融天皇は同母兄弟であるだけではなく、嫡流と、傍流の見かたを考慮している節がありますね。 本来は、跡を継ぐ立場ではなかったので、子どもも一粒種の一条天皇しかいませんし。 たまたま、事の成り行きで、円融天皇の系統が嫡流を越しただけであって、嫡流の天皇が脅威を与えていたのは周知の事実です。
紫式部でどうなるんだろう……と思っていたけど、どうしてどうして、面白いですねぇ。円融天皇はあそこからここまで持ってきたのだからスゴいですよ。
円融上皇がしばらく、一条天皇の代わりに執政しようとしていたというところからも、摂関家出身の兼家と対立していたことはありますね。
朝廷は伏魔殿だな、、、
自分の皇位を投げうっても子孫に皇統を伝えたいというのは、個人主義の現代人の感覚とは大分違いますね。
円融院は954年ではなく、959年生誕では?
ミスしました。ご指摘ありがとうございます。
ドラマ内では一服盛ったりしてるのでもっと険悪かと思ってました。
円融天皇は41歳ではなく32歳ぐらいで崩御されたはずでは?
すみませんミスしました。ご指摘ありがとうございます。コメント欄にて訂正させて頂きます。
冷泉天皇の家計は女系(後三条天皇の母禎子内親王)を通じて今の皇家に通じてます
花山天皇は三田の山奥で亡くなりました
栓子(せんし)、と読みます
超子(ちょうし)、と読みます。
同母兄(どうぼあに)、と読みます
1:21 954年→959年の誤りです。
17:35 41歳ではなく31歳の誤りです。
重要な所をミスしてしまい申し訳ありません。
確かに、後醍醐天皇意外にも、こんなにエネルギッシュな天皇がいたとは知らなかったです。面白かった。
新動画が出る度に、朝廷の内部事情がよりはっきり分かってきて面白いです。第五皇子で天皇即位の可能性のなかった円融が、最終的には現代まで続く天皇家に繋がるとはもはや人知を超えていますね。冷泉天皇も円融天皇も自身が若くで譲位することにより、自身の子を皇太子にする暗黙の条件としていたわけですね。一代限りの中継ぎの天皇では、妻も入内しないとは!驚きました。あまりに露骨な対応に、彼が怒り必ず自身の血統を継承しようと思ったのも尤もです。当時の不遇な者同士円融天皇と兼通のタッグは、まるで政治の内幕物そのもので、それ以降天皇は、他からの反対を受けても彼の出世を後押し、兼道は関白まで上る。それが、兼道の死によって瓦解する。パートナーを失った円融は頼忠を経て、あれほど嫌っていた兼家と結ばざるを得なくなる。こういう背景を知ると、詮子が円融天皇に好かれず孤独だった理由もスッキリも納得します。寵愛以前の彼女の父親との確執が遠因ですね。その後の花山天皇を譲位させる作戦でも、円融法皇、兼家共に自身の子、孫を即位させたい思惑の一致での共同作戦となったわけですね。彼ら二人がほぼ同時期に没しているのは、何だか因縁めいて感じられます。二転三転する関係者の対立と和合を知ると、ドラマの理解もさらに深まります。レキショックさんの動画は決して簡単な内容ではないので、私も毎回何度も聞き直して理解しています。安直に得られる知識も重宝しますが、この動画のような内容の濃い知識は、反復や自身での調べも要求されますが、その分しっかり知識が定着し実り多いと感じます。これからも、レキショックさんの登録者は皆動画を待っていらっしゃると思いますので、ずっとこのクオリティで続けて欲しいと思います。
やっぱり内容難しいですよね…
内容の濃さは維持しつつ、なるべく分かりやすく伝えられるように頑張ります。
@@rekishockさん 視聴者さんも博識な方が多いので、このチャンネルは動画とコメント欄共に、学びとなっています。これからも、いろいろ発信よろしくお願いします。
12:12 何か円融天皇が後の白河、鳥羽、後白河の院政みたいにみえますね。
円融天皇の子孫が1000年以上皇統を護っているのは感慨深いですね。
冷泉天皇の系統も女系(後三条天皇の母は三条天皇の皇女)で現在の皇家に繋がっていきますよー
そうなんですね、ありがとうございます😊
冷泉天皇と円融天皇は同母兄弟であるだけではなく、嫡流と、傍流の見かたを考慮している節がありますね。
本来は、跡を継ぐ立場ではなかったので、子どもも一粒種の一条天皇しかいませんし。
たまたま、事の成り行きで、円融天皇の系統が嫡流を越しただけであって、嫡流の天皇が脅威を与えていたのは周知の事実です。
紫式部でどうなるんだろう……と思っていたけど、どうしてどうして、面白いですねぇ。
円融天皇はあそこからここまで持ってきたのだからスゴいですよ。
円融上皇がしばらく、一条天皇の代わりに執政しようとしていたというところからも、摂関家出身の兼家と対立していたことはありますね。
朝廷は伏魔殿だな、、、
自分の皇位を投げうっても子孫に皇統を伝えたいというのは、個人主義の現代人の感覚とは大分違いますね。
円融院は954年ではなく、959年生誕では?
ミスしました。ご指摘ありがとうございます。
ドラマ内では一服盛ったりしてるので
もっと険悪かと思ってました。
円融天皇は41歳ではなく32歳ぐらいで崩御されたはずでは?
すみませんミスしました。
ご指摘ありがとうございます。コメント欄にて訂正させて頂きます。
冷泉天皇の家計は女系(後三条天皇の母禎子内親王)を通じて今の皇家に通じてます
花山天皇は三田の山奥で亡くなりました
栓子(せんし)、と読みます
超子(ちょうし)、と読みます。
同母兄(どうぼあに)、と読みます