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私も今までペット(犬)を飼ってきましたが、犬から学ぶ事がたくさんあります。「生きる」という事はシンプルだという事が、教えてもらったもののひとつです。
愛猫が死を迎えようとしてるとき、その生に執着しているのは飼い主の私でした。何度も病院に連れて行きましたが、あんなことしない方が良かったのでは、と思うことがあります。ほんとにたくさんのことを愛猫に教わりました。
しばらく いろんなことを考え動物の生き方にヒントがあると思いました。どんな事があっても冷静にと教えられました。大愚和尚さんからも聞くことができてとても嬉しかったです!いつもありがとうございます!
とても良いお話しでした。ありがとうございます。感謝申し上げます。
いつもお話をありがとうございます。大愚和尚がおっしゃっている、命をたたむというお言葉に救われました。私もその日まで頑張ろうと思いました。
16年一緒に過ごした愛犬は病院が嫌いな子で、毎年フィラリアの薬をもらいに病院へ向かうだけでブルブル震えてる子でした。だんだん、歩けなくなり、食べれなくなりましたが最後は愛犬が嫌いな病院へは連れて行かず、私の仕事帰りを待つかのようにして一緒にいる時間に亡くなりました。自分もあの世へ行った時にまた一緒に過ごしたいなと思います。
私も 真っ白なウサギさんと11年 一緒にいました目がルビーのように美しいおっとり 優しい男の子でした 虹の橋を渡るその朝には大好物のイチジクを丸々 一個 美味しそうにたべてから天に帰りました🎉🙏✨
なんて愛くるしいうさぎさん 虹の橋に私の猫も私のお迎えを待ってると思うのあなたのルビー瞳ちゃんも待ってるね^_^
1週間前にオカメインコが天国に行ったばかりです。 悲しみの最中に和尚様のお話し、皆様のコメント内容は本当に心に響き有り難かったです😢ありがとうございます。
慈しむ気持ちが育ちますね、動物にも、心があります。物と扱う法がおかしい。
ありがとうございます🙏感動しました😭うちも今同じ状況です😢涙が止まりませんこれからもお話し聞かせて頂きます🙇
痛いのに、苦しいのに、吠えもせず、荒い呼吸で、立てるはずも無いのに、こっちに向かってきてくれたあの姿は、一生忘れない🥲出会えて良かった。生きる姿勢を教えてくれました。
動物たちはすべての不条理を受け入れ生きている。それが我々が学ぶべき真の生き方なのかも。
大愚和尚さんの動画毎日拝聴させて頂いております。今度の和尚さんのお話を伺って、思い出した動画があります。ライオンのオスが最期を迎え、自分で穴を掘り、そこに入り安らかに眠りにつく。動物はあらがうことは、しない。見習わないといけない思いました。そのようないずれ来る死に方ができるように日々精進してまいります。
ペットをつうじて学ばせてもらう、本当そうですね。いのちいっぱい今を生きているペットには本当生き方をまなばされますね。
大愚和尚さま。私はこの一年の間に犬2匹猫1匹・・虹の橋🌈を渡りました。今は犬1匹がいますが、皆んな老犬老猫で介護状態が続き現在も介護です。「ありがとう。感謝。」を教えてくれました。 その気持ちを今度は人にできれば・・。可愛いペット達に教えてもらったと、やっと思えるようになりました。 ペット達との出会えて本当に良かったと思う毎日です。
素晴らしいお話でした僕は自分の死を受け入れられるようになってから、他人や他の生物の死も受け入れられるようになりました
ありがとうございます。
ペットは、飼っていませんが、和尚さんのお話しで、生と死について、考えさせられました🌟動物は、何も考えることなく、そのまま、死を迎えていくんですねー😯見習えないけど、何か、色々考えさせられました🙂ありがとうございました🧡
大愚和尚さんの言うと通りですね。私達人間は私達のペットから学んで生老病死を自然に受け入れて行きたいですね。ありがとうございます😭
3年前に、悪性リンパ腫で愛鳥を見送りました。主治医から抗癌剤治療も提案されましたが、延命出来るかは不透明とのことでしたので、辛い治療はせずに自宅でゆっくりと一緒に過ごしました。植物がやがて枯れるように、静かで穏やかな最期でした。
生かされている❤ 感謝🙏💜🧡💛✨
動物たちは、今を一心に生きている、それを感じさせてもらい、学ばせてもらっています。感謝あるのみです、と想っています。
供養は生きている間にもできますもんね……特に自然界そのままで生きてる動物たちには通じるかもと感じます。私の猫も老猫、1日でも多く撫で撫でして幸せをあげたいと思います。
ちょうど1年前に、13歳のシェルティを病気で見送りました。両親は最期まで24時間体制で看病しました。命を全うして天に召されたと思います。ペット葬儀に依頼して、御経を読み御骨を拾いました。業者様にも丁寧に供養して下さいました。今でも御骨とともに写真と花を飾って、毎日手を合わせて日々生きる事の感謝を実感しています。
7年前まで猫を飼っていましたが、その猫の死を最後にペットを飼うのはもう辞めました。なんだか去勢してまで一緒にいるような在り方に前々からどこか違和感を覚えたからです。動物から学び、癒され、大切な時を過ごしたとは思いますが…基本的には動物は自然の中で人の手など全く入らず、生き死んでいくようなノビノビとした世界の在り方として正しいと思います。それならペット諦めるのも潔しだし美学かなと。もちろん他の考え方もあるでしょうが。住職のお話を聞いてそんなことを思い出しました。
大愚お師匠の所で修行したいです。本当に人生が変わりました。イケm・・・
ペット?家畜?私の普通に息子ですもふもふの息子最後の最後まで私の息子同じ真っ赤な血が流れてる35年猫と暮らしています嬉しくて温かくて悲しくて有り難いです
私は10数年前にアイコンのアキちゃんを亡くして、ペットロスで病みました。これ程、依存していたのかと思いました。野良猫から家猫に向かえて、顔つきもずいぶん変わりましたね。一緒にお風呂に入ったり、お布団で寝たり。夜遅くまで起きていると、早くお布団に行こう!って誘ってきました。亡くなって、火葬してちっちゃくなって、凄い喪失感に襲われました。今でも写真を飾っています。
まさにその通り
おもちゃじゃない トイプードルですが かわいいじゃ済まされないくらい 愛おしい 大切 なんです
いつになったらペットだけでなく動物全てを物扱いすることを変えてくれるのか!動物愛護協会とか出来れば議員の中で立ち上がって法律を変えてくれる人はいないのか!何か方法はないのでしょうか。悲し過ぎます。
だから『愛玩』動物と呼ぶのでしょうね。自分もその感覚は持ち得ないです。自分には今、10人の子ども達がいます。『人』と呼んでますが猫です。その内の一人は皮膚ガンの末期でもう食べる事も出来なくなってきている子もいます。これまでも、9人の子たちを見送ってきました。病気の子もありました。昔は自分も『出来る限りの事はしてあげたい』、そう思い治療を続けていた子もいました。その子の気持ちは分かりませんが、嫌な治療も自分に付き合ってくれていた気もします。今目の前の子は、先日まで飲み薬はしていましたが今はやめています。この子が、のんびりと暮らして、5人の子ども達もいるので、その子達と穏やかに、その日まで過ごさせてあげたい、そう思っています。そして病気ではなかった子たち、事故で亡くした子もいます。最近は、猫は完全室内飼育、と言われる事が多くなっています。糞尿などの近所迷惑や事故の後処理だったり、他人に迷惑をかけてしまう、からでしょう。単純に事故の危険がある、可哀想でしょう、と言われる声も。我が子を突然に亡くした今は、本当にそう言われる事も意味も分かります。でも、それでも、と自分の中の『エゴ』は違う声をあげています。『自然に伸び伸びと、その時その瞬間まで自分らしく生きたあの子たちは、自分の人生を生き切った』と。服を着せる事も乳母車に乗せる事も室内に押し留める事も、はたまた自分のやってきた『自由に外に出させていた』事も、自分にはどっちも人間の勝手な『エゴ』としか思えないです。そんな自分は今現在外に出さなくして、家の中じゅうでマーキングをされたりケンカが絶えなくなったりと様々な『人間にとっての問題行動』をされる様になりました。それが毎日延々と続きノイローゼになり、この子達を怒ってしまう様にもなっています。自分勝手な事しかしていません。『出してあげたい』『でも出すのは怖い』『でも問題行動をされるのは…』そんな事をグルグル頭の中で渦巻く毎日です。すみません、自分の話に逸れてしまいました。今回のお話し、自分の中には答えを持てていませんが、『生命を學ぶ』そんな言葉をどこかで聞いたな、と思い出していました。自分にはこれだけ繰り返してきたのに、答えを持てていませんが、それでも、『この子たちの生命を全うさせてあげたい』そう思って、その為に、生きていきたいと思っています。
西洋の思想の悪いところだよね。人間以外はもの
動物をいつくしむ心は美しい。けれど、たとえば牛・豚・鶏はどうなのだろう。蚕(かいこ)はどうなのだろう。ペットと家畜の違い。動物園の動物たちとの違い。畜生塚や魚塚もあるので命を頂いているという感覚は日本人に根付いている。願わくばもうちょっと苦しみなく家畜の命を頂けるようになるといいなぁ。ブタの去勢も麻酔なしでおこなうせいでPTSDになったりショックでなくなったり上手く歩けなくなる子豚も多い。欧州では麻酔をかけるように法律が決まった。動物をゴミ扱いする件もそうだけど、ちょっと日本は動物愛護が遅れているのも事実だ。
私も今までペット(犬)を飼ってきましたが、犬から学ぶ事がたくさんあります。「生きる」という事はシンプルだという事が、教えてもらったもののひとつです。
愛猫が死を迎えようとしてるとき、その生に執着しているのは飼い主の私でした。何度も病院に連れて行きましたが、あんなことしない方が良かったのでは、と思うことがあります。ほんとにたくさんのことを愛猫に教わりました。
しばらく いろんなことを考え
動物の生き方にヒントがあると思いました。
どんな事があっても冷静にと教えられました。
大愚和尚さんからも聞くことができてとても嬉しかったです!
いつもありがとうございます!
とても良いお話しでした。ありがとうございます。感謝申し上げます。
いつもお話をありがとうございます。大愚和尚がおっしゃっている、命をたたむというお言葉に救われました。私もその日まで頑張ろうと思いました。
16年一緒に過ごした愛犬は病院が嫌いな子で、毎年フィラリアの薬をもらいに病院へ向かうだけでブルブル震えてる子でした。だんだん、歩けなくなり、食べれなくなりましたが最後は愛犬が嫌いな病院へは連れて行かず、私の仕事帰りを待つかのようにして一緒にいる時間に亡くなりました。自分もあの世へ行った時にまた一緒に過ごしたいなと思います。
私も 真っ白なウサギさんと
11年 一緒にいました
目がルビーのように美しい
おっとり 優しい男の子でした 虹の橋を渡るその朝には
大好物のイチジクを丸々 一個 美味しそうにたべてから
天に帰りました🎉🙏✨
なんて愛くるしいうさぎさん 虹の橋に私の猫も私のお迎えを待ってると思うの
あなたのルビー瞳ちゃんも待ってるね^_^
1週間前に
オカメインコが
天国に行ったばかりです。
悲しみの最中に
和尚様のお話し、
皆様のコメント内容は
本当に心に響き
有り難かったです😢
ありがとうございます。
慈しむ気持ちが育ちますね、動物にも、心があります。物と扱う法がおかしい。
ありがとうございます🙏
感動しました😭うちも今
同じ状況です😢涙が止まりません
これからもお話し
聞かせて頂きます🙇
痛いのに、苦しいのに、吠えもせず、荒い呼吸で、立てるはずも無いのに、こっちに向かってきてくれたあの姿は、
一生忘れない🥲出会えて良かった。
生きる姿勢を教えてくれました。
動物たちはすべての不条理を受け入れ生きている。それが我々が学ぶべき真の生き方なのかも。
大愚和尚さんの動画毎日拝聴させて頂いております。今度の和尚さんのお話を伺って、思い出した動画があります。ライオンのオスが最期を迎え、自分で穴を掘り、そこに入り安らかに眠りにつく。動物はあらがうことは、しない。見習わないといけない思いました。そのようないずれ来る死に方ができるように日々精進してまいります。
ペットをつうじて学ばせてもらう、本当そうですね。いのちいっぱい今を生きているペットには本当生き方をまなばされますね。
大愚和尚さま。私はこの一年の間に犬2匹猫1匹・・虹の橋🌈を渡りました。今は犬1匹がいますが、皆んな老犬老猫で介護状態が続き現在も介護です。「ありがとう。感謝。」を教えてくれました。 その気持ちを今度は人にできれば・・。可愛いペット達に教えてもらったと、やっと思えるようになりました。 ペット達との出会えて本当に良かったと思う毎日です。
素晴らしいお話でした
僕は自分の死を受け入れられるようになってから、他人や他の生物の死も受け入れられるようになりました
ありがとうございます。
ペットは、飼っていませんが、和尚さんのお話しで、生と死について、考えさせられました🌟
動物は、何も考えることなく、そのまま、死を迎えていくんですねー😯
見習えないけど、何か、色々考えさせられました🙂
ありがとうございました🧡
大愚和尚さんの言うと通りですね。私達人間は私達のペットから学んで生老病死を自然に受け入れて行きたいですね。ありがとうございます😭
3年前に、悪性リンパ腫で愛鳥を見送りました。主治医から抗癌剤治療も提案されましたが、延命出来るかは不透明とのことでしたので、辛い治療はせずに自宅でゆっくりと一緒に過ごしました。植物がやがて枯れるように、静かで穏やかな最期でした。
生かされている❤ 感謝🙏💜🧡💛✨
動物たちは、今を一心に生きている、それを感じさせてもらい、学ばせてもらっています。感謝あるのみです、と想っています。
供養は生きている間にも
できますもんね……
特に自然界そのままで生きてる
動物たちには通じるかもと
感じます。
私の猫も老猫、1日でも多く
撫で撫でして幸せをあげたいと
思います。
ちょうど1年前に、13歳のシェルティを病気で見送りました。
両親は最期まで24時間体制で看病しました。命を全うして天に召されたと思います。
ペット葬儀に依頼して、御経を読み御骨を拾いました。業者様にも丁寧に供養して下さいました。
今でも御骨とともに写真と花を飾って、毎日手を合わせて日々生きる事の感謝を実感しています。
7年前まで猫を飼っていましたが、その猫の死を最後にペットを飼うのはもう辞めました。なんだか去勢してまで一緒にいるような在り方に前々からどこか違和感を覚えたからです。動物から学び、癒され、大切な時を過ごしたとは思いますが…基本的には動物は自然の中で人の手など全く入らず、生き死んでいくようなノビノビとした世界の在り方として正しいと思います。それならペット諦めるのも潔しだし美学かなと。もちろん他の考え方もあるでしょうが。住職のお話を聞いてそんなことを思い出しました。
大愚お師匠の所で修行したいです。本当に人生が変わりました。イケm・・・
ペット?家畜?
私の普通に息子です
もふもふの息子
最後の最後まで私の息子
同じ真っ赤な血が流れてる
35年猫と暮らしています
嬉しくて温かくて悲しくて有り難いです
私は10数年前にアイコンのアキちゃんを亡くして、ペットロスで病みました。
これ程、依存していたのかと思いました。
野良猫から家猫に向かえて、顔つきもずいぶん変わりましたね。
一緒にお風呂に入ったり、お布団で寝たり。
夜遅くまで起きていると、早くお布団に行こう!って誘ってきました。
亡くなって、火葬してちっちゃくなって、凄い喪失感に襲われました。
今でも写真を飾っています。
まさにその通り
おもちゃじゃない トイプードルですが かわいいじゃ済まされないくらい 愛おしい 大切 なんです
いつになったらペットだけでなく動物全てを物扱いすることを変えてくれるのか!
動物愛護協会とか出来れば議員の中で立ち上がって法律を変えてくれる人はいないのか!
何か方法はないのでしょうか。悲し過ぎます。
だから『愛玩』動物と呼ぶのでしょうね。
自分もその感覚は持ち得ないです。
自分には今、10人の子ども達がいます。
『人』と呼んでますが猫です。
その内の一人は皮膚ガンの末期でもう食べる事も出来なくなってきている子もいます。
これまでも、9人の子たちを見送ってきました。
病気の子もありました。
昔は自分も『出来る限りの事はしてあげたい』、そう思い治療を続けていた子もいました。
その子の気持ちは分かりませんが、嫌な治療も自分に付き合ってくれていた気もします。
今目の前の子は、先日まで飲み薬はしていましたが今はやめています。
この子が、のんびりと暮らして、5人の子ども達もいるので、その子達と穏やかに、その日まで過ごさせてあげたい、
そう思っています。
そして病気ではなかった子たち、事故で亡くした子もいます。
最近は、猫は完全室内飼育、と言われる事が多くなっています。
糞尿などの近所迷惑や事故の後処理だったり、他人に迷惑をかけてしまう、からでしょう。
単純に事故の危険がある、可哀想でしょう、と言われる声も。
我が子を突然に亡くした今は、本当にそう言われる事も意味も分かります。
でも、それでも、と自分の中の『エゴ』は違う声をあげています。
『自然に伸び伸びと、その時その瞬間まで自分らしく生きたあの子たちは、自分の人生を生き切った』と。
服を着せる事も乳母車に乗せる事も室内に押し留める事も、はたまた自分のやってきた『自由に外に出させていた』事も、
自分にはどっちも人間の勝手な『エゴ』としか思えないです。
そんな自分は今現在外に出さなくして、家の中じゅうでマーキングをされたりケンカが絶えなくなったりと様々な『人間にとっての問題行動』をされる様になりました。
それが毎日延々と続きノイローゼになり、この子達を怒ってしまう様にもなっています。
自分勝手な事しかしていません。
『出してあげたい』
『でも出すのは怖い』
『でも問題行動をされるのは…』
そんな事をグルグル頭の中で渦巻く毎日です。
すみません、自分の話に逸れてしまいました。
今回のお話し、自分の中には答えを持てていませんが、
『生命を學ぶ』
そんな言葉をどこかで聞いたな、と思い出していました。
自分にはこれだけ繰り返してきたのに、答えを持てていませんが、それでも、
『この子たちの生命を全うさせてあげたい』
そう思って、その為に、生きていきたいと思っています。
西洋の思想の悪いところだよね。人間以外はもの
動物をいつくしむ心は美しい。けれど、たとえば牛・豚・鶏はどうなのだろう。蚕(かいこ)はどうなのだろう。ペットと家畜の違い。動物園の動物たちとの違い。畜生塚や魚塚もあるので命を頂いているという感覚は日本人に根付いている。願わくばもうちょっと苦しみなく家畜の命を頂けるようになるといいなぁ。ブタの去勢も麻酔なしでおこなうせいでPTSDになったりショックでなくなったり上手く歩けなくなる子豚も多い。欧州では麻酔をかけるように法律が決まった。動物をゴミ扱いする件もそうだけど、ちょっと日本は動物愛護が遅れているのも事実だ。
ありがとうございます。