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学校の課題で赤壁の戦いをやったけど全然分からなかった、けどこの動画は分かりやすくてよかったです
コメントありがとうございます。それは良かったです。楽しく学んでいただければ幸いです。
曹操陣営としては、超絶アウェイの地で長征したのが元凶で兵の疲労が蓄積して疫病が蔓延して兵士の士気が下がっている上に、戦線膠着してしまっている時点で、ジリ貧になる路線まっしぐらで必死に近い敗勢モードになっていたんだろうね。あくまでも敗戦の決定打となった詰まされ方が火計という比較的派手な戦術だったこともあって、鄱陽湖の戦いの影響で話が盛られて映画になるほどの壮大なストーリーに仕立て上げられてしまったんだろうな。
コメントありがとうございます。正史の記述を見る限り、大きな敗因が疫病であったことは間違いありませんね。今度、赤壁の戦いについて、正史と演義の違いを紹介する動画を作成しようと考えています。また、是非見に来ていただけると幸いです。
@@kassenngekijo 正史里的赤壁之战,诸葛亮并没有参与,赤壁之战取胜的主要功劳归于周瑜
孔明がただ一人恐れ、リスペクトした呉の周瑜将軍。かっこいいね!
コメントありがとうございます。呉の周瑜はかっこいいですよね。私も大好きです。この次の話(荊州争奪戦)も周瑜の活躍を描いた動画になっていますので、是非ご覧になってみてください。
三国志演義は元末期から明初期に作られた軍記物で、董卓軍や袁紹軍や曹操軍が蒙古軍で、孫権が朱元璋、周瑜と諸葛亮が劉基で、羅貫中は劉基に極めて近い人物なんですよね演義が作られた目的としては、打倒蒙古軍の士気高揚と、儒家の復活が大きなテーマであるために、反儒の曹操が悪役にされたり、諸葛亮の出師の表と北伐が大都(北京)北伐を意識したモノになってたり、当時の時代背景がとても良く分かる作りになってます何より、明の最初の国名は呉であり、都は南京=建業ですから
中国を旅行した時に、「赤壁の戦い」の戦場を見てきました。岩に「赤壁」と赤い文字が書いてありましたよ。
周瑜が書いたと 言いましたが 文字が 現代風で 疑問を抱きます(笑)
曹操目線で見れば徐州大虐殺が無ければ諸葛兄弟が徐州を離れることはなく、劉備が諸葛亮、孫権が諸葛瑾を得ることもなく両陣営の同盟や赤壁の大敗もなかったかもしれないと思うと歴史って面白いですね
コメントありがとうございます。歴史は、あの時こうだったらどうだったんだろうと考えるのは楽しいですよね。
疫病が流行ったという事は栄養状態が悪かったという事。物流が悪い後方部隊だと兵士が栄養不良で戦う前に半分以上疫病リタイアがよくある。戦争は前線だけでなく後方物流が非常に大事。22万人の栄養失調と5万人の栄養充分の戦いだったかもしれない。周瑜の疫病予見は賢い。
栄養状態が良好とは言えないかもしれないが、悪かったと断言は出来るか…?
最近見た説だと曹操軍が誘い込まれて湿地帯の烏林を背に戦わされたと言う説がしっくり来ましたね確かに湿地ならばよくわからない病原が流行ってもおかしくないし、命からがら逃げたという記述の根拠として上陸した陸地の足場が悪くて退却に難航したことが伺えますホームの地の利があった周瑜と曹操という男の性格戦い方を熟知していた劉備の情報網をフル活用して勝てた戦いだったんだろうと想像してます
石壁の戦いのモデルは鄱陽湖上の戦いであるというのは誰でも知る有名な話だ
史実ではないと仰ってる方も多いですが、魏書はたしかに敗戦もあって触れられてませんが呉書や蜀書を読んだ感じ、多少の兵力差があり、火計を仕掛けたこととその時に東南方面に風が吹いていたこと、その後に劉備や周瑜らが追撃してることは間違いないのではないでしょうか。完全に史実かは不明ですが、少なくとも正史には沿ってますし、戦闘が全く無かったなんてことはないと思います。
コメントありがとうございます。仰ってるように、本動画で参考にしているのは、主に呉書、蜀書で記述がある部分を出来るだけ分かりやすく纏めて、正史ではどんな戦いだったのか、紹介する動画です。否定的なコメントがある中、このようなコメントをいただけると励みになります。今後ともよろしくお願いします🙇
敗れた曹操軍の実態は降伏したばかりの劉琮の水軍でしょうね。曹操軍本隊が乗る分の船が無い上、緒戦が不利だからと周瑜軍の攻撃を凌ぎながら長江南岸から北岸へ素早く損害を抑えて渡河するのは至難でしょう。何より張郃や于禁ら趙儼の指揮下にある七軍の諸将すら参加した形跡がありません。曹操本隊は荊州の支配権を確立する為に奔走しており、周瑜との戦闘は劉琮にお任せだったのでは。最大の誤算は手薄な合肥に孫権率いる大軍が押し寄せた事ぐらいでしょう。
コメントありがとうございます。確かに、曹操軍の主力が参戦した形跡はありませんし、曹操も荊州の支配権を確立するのは容易ではなかったでしょうね。赤壁の戦いは降伏した荊州の水軍が多かったのに加え、疫病によって曹操軍の兵や士気がかなり低下していた大きな敗因であると感じます。このような考察をいただけると、私も勉強になりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
曹操はハナから戦う気などなかったように見受けられますね呉の中でも降伏派と抗戦派で分断していたみたいですし、その情報を何らかの形で知っていた曹操の目論見としては、荊州水軍で威嚇して戦意を削って降伏を誘う算段だったと思われますそれを逆手に黄蓋の偽降伏等で曹操を誘い出し、油断したところを叩いたのが赤壁の実情じゃないかと思ってます
日本の歴史も美化された話しばかりなので他国も同じでしょうね。基本勝った方が都合の良い様に歴史は作られていますね。
勝てば官軍という言葉がありますから。
22万?少なかったんですね
コメントありがとうございます。三国志演義ではかなり誇張されていますが、正史ではこのくらいだったようです。
100万とか、80万のわけないだろ!
この豊は確か、敗けなかったか?豊は疲れていたとある。劉備は英傑だ!とかよりも劉備は豊が半端に敗けると劉備はワシでも良く戦えるぞ?とボロボロで言った。そしたら、犬に見えて気絶したとある。
赤壁の戦いは盛られ過ぎてると思う……まず連環の計だけど愚策すぎて曹操軍だってバカじゃないんだから自ら身動きできなくなる事するわけないし……仮に連環したとして火攻めされたとしてもすぐ連結を解ける仕組みにするはずで被害が多少でたとしても戦局に影響ないレベル……実際の戦力は曹操軍30万に対し周瑜軍は2万劉備軍入れても3万あるかないか……実際は疫病に困り果てた曹操が自ら船団に火を放ち敵の追撃を阻んで撤退しただけらしい……ちな三國志時代の天下とは華北、中原なので荊州、呉、蜀は外国みたいな感覚なので曹操にしてみればムリする理由がないんじゃないかな?…
コメントありがとうございます。本動画は、ちくまの「正史三国志」をもとに作成しています。ただ、正史にも魏書、呉書、蜀書があり、それぞれ記載が異なるところもありますし、正史が100%正しいわけではないというご指摘もそのとおりだと思います。鋭く面白い考察であり、今後とも勉強していきたいと思います。
満洲服を着た劉琮
コメントありがとうございます。出来るだけわかりやすくなるよう、多くの素材を使い、イメージしやすいように心掛けおりますが、無料素材も多く活用していることからご容赦いただけると幸いです。
@@kassenngekijo 何なら、シルエットでいいんですよ
吉川英治 漫画 横山光輝 NHK 人形劇三国志 みんな内容が 違うので どれが実話か解らない(笑)
コメントありがとうございます。吉川英治さんの小説や横山光輝さんの漫画は三国史演義をベースに描かれています。一般的に三国志演義は、史実7割、創作3割で作られていると言われています。 赤壁の戦いについても、演義では創作部分が数多くあり、みんなが知っている諸葛亮の活躍もほとんどが創作によるものです。今回作成した動画は、基本的には、ちくまの正史「三国志」をベースに作成しております。正史=100%正しいというわけではないですが、より史実に即したものになっています。
赤壁は武漢にあり、武漢と言えばコロナ。そして、黄鶴楼もある。一度は行ってみたい。あと、赤壁あたりに有名な史跡ありますか?
コメントありがとうございます。私も一度は行ってみたいと思いますが、現地には行ったことがありません。三国史の名所色々回ってみたいです。ネット情報では、テーマパーク化しているみたいですね!笑
正史あるのになんで演武ができたん?ドラマみたいな感じなのかな?
コメントありがとうございます。下の方が返してくださっているとおりです。正史はあくまで歴史記録で個人の伝記をベースに記述されているので、時系列で三国志を追うには向いていません。そこで、みんなに分かりやすく小説としてまとめられたのが、三国志演義です。一般的に三国志演義は、史実7割、創作3割で作られていると言われています。赤壁の戦いについても、演義では創作部分が数多くあり、みんなが知っている諸葛亮の活躍もほとんどが創作によるものです。そのあたりも、今後動画を作りたいと思っていますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。
@@kassenngekijo演技はあくまで小説で赤壁の戦い自体が丸々、羅貫中の創作ですね。今の定説は赤壁で戦いは無かったです。演技での赤壁の戦いのモデルは鄱陽湖上の戦いですよ。
『正史』風『演技』
コメントありがとうございます。本動画はちくまの正史三国志をベースに作成しております。ただ、他の方からも正史が100%事実ではないというご指摘をいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。今後とも色々と勉強させていただきながら、動画を作成していきますので、どうぞよろしくお願いします。
曹軍100万(ドン!)
コメントありがとうございます。正史ではそれほど多くありませんが、曹軍100万と聞くとやはり迫力を感じますね。
歴史小説ですよ、まるでk国みたい、朱元璋の戦いですよ、赤壁、どこにありますか。
正史をなんにも知らないくせにこれは正史ではない!とか演技だ!とかイキってるヤツら多くて投稿主可哀想。魏書、蜀書、呉書で書いてる内容が違うのとか知らないのかな?ただ人のことを批判したい人間たちなのだろうな。
コメントありがとうございます。そのように評価いただき、本当に嬉しいです。これからも色々勉強しながら、動画を作成していきますので、応援よろしくお願いします🙇
三國志の正史・演戯論争が続いてますね。ただ、注意しなくてはいけないのは、正史=100%正しいってわけではないって事です。歴史書は偏向報道や自分の所属している国に有利に書かれるって事です。まあ、これは現代のマスコミですら、そうなんですけどね。三國志正史の作者の陳寿ですが、当初は蜀に仕えてましたが、のちに晋で三國志正史を完成させる事になります。そのため基本的には魏および晋贔屓に書かれています。そのため魏、晋の自分の上司スジの人物には良く書かれています。しかし呉蜀の人物には評価ばかりではなく批判も書かれる事が多いです。また陳寿は孔明に処罰を受けた事があり私怨があります。それでも孔明に関しては最期にチクリとやっているものの、かなり褒めて書いています。それ程、孔明は無視できない優秀さがあったのでしょう。ただ、陳寿には晋のある武将に「私に賄賂を送って頂ければあなたの事を良く記述してあげましょう」と言いましたが断られたのでその武将に関して全く記述しなかったという嫌な逸話もあります。
勝者が歴史を作るのだから当たり前ですが正史が真実だけを伝えるわけがありません。しかしその史実からかけ離れた正史や資治通鑑を元に書かれたエンターテイメントである三国志演義が最も史実がかけ離れているのは当然でしょう。だから現代の学者が発掘などから明らかになる事から色々と研究するのでしょう。そして今のところ赤壁で大規模な戦闘は無かったが有力な説ですね。
コメントありがとうございます。本動画は、ちくまの正史「三国志」をベースに、多くの人に分かりやすいように作成しています。ただ、おっしゃているように正史=100%ではないですね。色々なご指摘をいただき、私も一緒に学んでいけたらと思っているので、今後ともよろしくお願いいたします。
まあこうやって盛り上がっているのは、三國志演義が素晴らしく面白いからで。。
コメ主の陳寿の逸話にも創作が混ざっていますしね
史実?私が知っている史実とは違うな。演義ベースで多少史実が混ざっている程度に感じます。
胡散臭いソシャゲみたいなアフレコで草
史実ではなく演義ですね。
コメントありがとうございます。基本的には、ちくまの正史「三国志」をベースに作成しております。そのため、諸葛亮が神がかり的な活躍する100万本の矢や東南の風を吹かせるといった演義ならではのエピソードは入っていません。ただ、正史はあくまで歴史記録で個人の伝記で記述されており、このチャンネルではそれを出来る限り分かりやすく編集しています。その際、できるだけ正史「三国志」に忠実に作成しているつもりですが、至らぬ点等ありましたら、教えていただけると勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
赤壁の戦いは正史でも記述が少ない部分で本当に戦いがあったのかすら疑わしいという意見もあるほどです。(その場合の解釈は曹操は江東に駐屯したものの疫病(流石の武漢周辺)が蔓延して、せっかく手に入れた水軍を敵に取られるくらいならと自ら艦を鎖でつないで自ら火を放ち、陸路で撤退したとする)三国志演義でもかなり盛り上がる部分が正史では「よくわからない」では三国志の面白さが伝わらないと思われたのか、正史ベースの作品や著作でも演義の中でも本当に有り得そうな部分を正史とごちゃまぜにしてしまっているモノが多いです。おそらく動画制作者様が参考にしたのはそういった著作物だった可能性が高いと推測します。もし、「史実」として扱うなら史実不明な出来事なので、少なくとも正史原文かその和訳を読んでから「私の思う史実」とすべきだと思います。特に赤壁という地名は無く、周瑜が曹操の艦隊が燃える火が岸壁に赤く映った事からその岸壁を「赤壁」と呼んだとする「伝説」があるだけなのでそれが伝説ではなく「史実」として扱うにしても、曹操艦隊が燃える前に赤壁と呼ぶのは間違いだと思います。
あえて追記すると、そもそも正史も事実7虚構3と言われる程に演義よりはマシにせよ虚構塗れで、正史に書いてあるから史実と判断するのは少し早計かと思います。なので先述のように「私の思う史実を語る赤壁の戦い!…」か「正史で語る赤壁の戦い!…」に動画タイトルを直されるべきかと思います。私はこの「史実で語る…」をみて、正史ではなくより新たな事実が判明したのか、史実を独自解釈した動画かと勘違いして再生してしまいました。私のように勘違いして再生している人もいると思いますのでそこに配慮をいただければ幸いです。
@@kassenngekijo今、定説となっているのは赤壁で大きな戦は無かったとする説ですね。そもそも赤壁の戦いのモデルになったのは朱元璋の天下を決定付けた鄱陽湖上の戦いです。演技では戦いがあったように描かれていますが正史には戦いの記述はなく功なくして軍返すとあるだけです。そもそも演技の記述のように大敗した曹操が更に勢力を増すなど矛盾でしかありませんし。
@@きゅうきゅう-l7k>正史には戦いの記述はなく【時劉備為曹公所破、欲引南渡江、與魯肅遇於當陽、遂共圖計、因進住夏口、遣諸葛亮詣權、權遂遣瑜及程普等與備并力逆曹公、遇於赤壁。時曹公軍衆已有疾病、初一交戰、公軍敗退、引次江北。瑜等在南岸。】史書のうち「正史」として扱われている「十八史略」には赤壁にて戦闘が行われた記述があります。この記述が全て事実だなどと云うつもりは毛頭ありませんが、一応「正史」には記述されているという事実だけは、お伝え致します。
史実じゃねえだろ(笑)学説では魏軍に疫病がはやったのもあって、曹操が軍事侵攻を西方に変えるべく北に帰って行った、というのが有力らしい。いずれにせよ殆どわかってないのが事実。
コメントありがとうございます。本動画は正史をもとに作成させていただいており、演義の創作部分は含まれておりません。ただ、正史が100%正しいわけではないというご指摘もいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。引き続き、よろしくお願いします🙇
中華ね。
正史を基にしていたらこんなに長い動画にはならないと思うんたが?詳しい戦の状況なんて何にも記されてないからな完全に演技を基にして、オカルトチックなものや大げさなものを排除してるだけじゃんちゃんと伝えたいなら、何もわからない戦いだったと伝えるべき
コメントありがとうございます。本動画は正史三国志(呉書周瑜伝や魯粛伝など、本動画に関連の人物列伝)を読み、作成しております。もちろん、分かっていないことが多くあることも承知しており、また正史が100%正しいわけではないというご指摘もいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。皆様からご指摘をいただき、色々と勉強させていただいているところです。今後とも精進してまいりますので、引き続き、よろしくお願いします🙇
史実はおもしろくない。三國志演義は虚構だからおもしろい。歴史家でもない我々が、真実を知ってどうするのか?
コメントありがとうございます。私も三国志演義から入って、実際はどうなんだろうと興味本位で調べたのがきっかけでした。正史と演義で見比べて、虚構部分がどこなのか知るのも結構面白いなと思ってます。正史と演義の違いに焦点をあてて、今後動画を投稿しようと思ってます。引き続き、応援いただければ幸いです。
歴史的資料ではこの頃魏と呉が戦って途中で魏が帰って行ったらしいという事しかわかってないから、ほぼ90%が作り話だな(笑)
学校の課題で赤壁の戦いをやったけど全然分からなかった、けどこの動画は分かりやすくてよかったです
コメントありがとうございます。
それは良かったです。
楽しく学んでいただければ幸いです。
曹操陣営としては、超絶アウェイの地で長征したのが元凶で兵の疲労が蓄積して疫病が蔓延して兵士の士気が下がっている上に、戦線膠着してしまっている時点で、ジリ貧になる路線まっしぐらで必死に近い敗勢モードになっていたんだろうね。あくまでも敗戦の決定打となった詰まされ方が火計という比較的派手な戦術だったこともあって、鄱陽湖の戦いの影響で話が盛られて映画になるほどの壮大なストーリーに仕立て上げられてしまったんだろうな。
コメントありがとうございます。
正史の記述を見る限り、大きな敗因が疫病であったことは間違いありませんね。
今度、赤壁の戦いについて、正史と演義の違いを紹介する動画を作成しようと考えています。
また、是非見に来ていただけると幸いです。
@@kassenngekijo 正史里的赤壁之战,诸葛亮并没有参与,赤壁之战取胜的主要功劳归于周瑜
孔明がただ一人恐れ、リスペクトした呉の周瑜将軍。かっこいいね!
コメントありがとうございます。
呉の周瑜はかっこいいですよね。私も大好きです。
この次の話(荊州争奪戦)も周瑜の活躍を描いた動画になっていますので、是非ご覧になってみてください。
三国志演義は元末期から明初期に作られた軍記物で、董卓軍や袁紹軍や曹操軍が蒙古軍で、孫権が朱元璋、周瑜と諸葛亮が劉基で、羅貫中は劉基に極めて近い人物なんですよね
演義が作られた目的としては、打倒蒙古軍の士気高揚と、儒家の復活が大きなテーマであるために、反儒の曹操が悪役にされたり、諸葛亮の出師の表と北伐が大都(北京)北伐を意識したモノになってたり、当時の時代背景がとても良く分かる作りになってます
何より、明の最初の国名は呉であり、都は南京=建業ですから
中国を旅行した時に、「赤壁の戦い」の戦場を見てきました。岩に「赤壁」と赤い文字が書いてありましたよ。
周瑜が書いたと 言いましたが 文字が 現代風で 疑問を抱きます(笑)
曹操目線で見れば徐州大虐殺が無ければ諸葛兄弟が徐州を離れることはなく、劉備が諸葛亮、孫権が諸葛瑾を得ることもなく両陣営の同盟や赤壁の大敗もなかったかもしれないと思うと歴史って面白いですね
コメントありがとうございます。
歴史は、あの時こうだったらどうだったんだろうと考えるのは楽しいですよね。
疫病が流行ったという事は栄養状態が悪かったという事。物流が悪い後方部隊だと兵士が栄養不良で戦う前に半分以上疫病リタイアがよくある。戦争は前線だけでなく後方物流が非常に大事。22万人の栄養失調と5万人の栄養充分の戦いだったかもしれない。周瑜の疫病予見は賢い。
栄養状態が良好とは言えないかもしれないが、悪かったと断言は出来るか…?
最近見た説だと曹操軍が誘い込まれて湿地帯の烏林を背に戦わされたと言う説がしっくり来ましたね
確かに湿地ならばよくわからない病原が流行ってもおかしくないし、命からがら逃げたという記述の根拠として上陸した陸地の足場が悪くて退却に難航したことが伺えます
ホームの地の利があった周瑜と曹操という男の性格戦い方を熟知していた劉備の情報網をフル活用して勝てた戦いだったんだろうと想像してます
石壁の戦いのモデルは鄱陽湖上の戦いであるというのは誰でも知る有名な話だ
史実ではないと仰ってる方も多いですが、魏書はたしかに敗戦もあって触れられてませんが呉書や蜀書を読んだ感じ、多少の兵力差があり、火計を仕掛けたこととその時に東南方面に風が吹いていたこと、その後に劉備や周瑜らが追撃してることは間違いないのではないでしょうか。完全に史実かは不明ですが、少なくとも正史には沿ってますし、戦闘が全く無かったなんてことはないと思います。
コメントありがとうございます。
仰ってるように、本動画で参考にしているのは、主に呉書、蜀書で記述がある部分を出来るだけ分かりやすく纏めて、正史ではどんな戦いだったのか、紹介する動画です。
否定的なコメントがある中、このようなコメントをいただけると励みになります。
今後ともよろしくお願いします🙇
敗れた曹操軍の実態は降伏したばかりの劉琮の水軍でしょうね。
曹操軍本隊が乗る分の船が無い上、緒戦が不利だからと周瑜軍の攻撃を凌ぎながら長江南岸から北岸へ素早く損害を抑えて渡河するのは至難でしょう。
何より張郃や于禁ら趙儼の指揮下にある七軍の諸将すら参加した形跡がありません。
曹操本隊は荊州の支配権を確立する為に奔走しており、周瑜との戦闘は劉琮にお任せだったのでは。
最大の誤算は手薄な合肥に孫権率いる大軍が押し寄せた事ぐらいでしょう。
コメントありがとうございます。
確かに、曹操軍の主力が参戦した形跡はありませんし、曹操も荊州の支配権を確立するのは容易ではなかったでしょうね。
赤壁の戦いは降伏した荊州の水軍が多かったのに加え、疫病によって曹操軍の兵や士気がかなり低下していた大きな敗因であると感じます。
このような考察をいただけると、私も勉強になりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
曹操はハナから戦う気などなかったように見受けられますね
呉の中でも降伏派と抗戦派で分断していたみたいですし、その情報を何らかの形で知っていた曹操の目論見としては、荊州水軍で威嚇して戦意を削って降伏を誘う算段だったと思われます
それを逆手に黄蓋の偽降伏等で曹操を誘い出し、油断したところを叩いたのが赤壁の実情じゃないかと思ってます
日本の歴史も美化された話しばかりなので他国も同じでしょうね。
基本勝った方が都合の良い様に歴史は作られていますね。
勝てば官軍という言葉がありますから。
22万?少なかったんですね
コメントありがとうございます。
三国志演義ではかなり誇張されていますが、正史ではこのくらいだったようです。
100万とか、80万のわけないだろ!
この豊は確か、敗けなかったか?豊は疲れていたとある。劉備は英傑だ!とかよりも劉備は豊が半端に敗けると劉備はワシでも良く戦えるぞ?とボロボロで言った。そしたら、犬に見えて気絶したとある。
赤壁の戦いは盛られ過ぎてると思う……まず連環の計だけど愚策すぎて曹操軍だってバカじゃないんだから自ら身動きできなくなる事するわけないし……仮に連環したとして火攻めされたとしてもすぐ連結を解ける仕組みにするはずで被害が多少でたとしても戦局に影響ないレベル……実際の戦力は曹操軍30万に対し周瑜軍は2万劉備軍入れても3万あるかないか……実際は疫病に困り果てた曹操が自ら船団に火を放ち敵の追撃を阻んで撤退しただけらしい……ちな三國志時代の天下とは華北、中原なので荊州、呉、蜀は外国みたいな感覚なので曹操にしてみればムリする理由がないんじゃないかな?…
コメントありがとうございます。
本動画は、ちくまの「正史三国志」をもとに作成しています。
ただ、正史にも魏書、呉書、蜀書があり、それぞれ記載が異なるところもありますし、正史が100%正しいわけではないというご指摘もそのとおりだと思います。
鋭く面白い考察であり、今後とも勉強していきたいと思います。
満洲服を着た劉琮
コメントありがとうございます。
出来るだけわかりやすくなるよう、多くの素材を使い、イメージしやすいように心掛けおりますが、無料素材も多く活用していることからご容赦いただけると幸いです。
@@kassenngekijo 何なら、シルエットでいいんですよ
吉川英治 漫画 横山光輝 NHK 人形劇三国志 みんな内容が 違うので どれが実話か解らない(笑)
コメントありがとうございます。
吉川英治さんの小説や横山光輝さんの漫画は三国史演義をベースに描かれています。
一般的に三国志演義は、史実7割、創作3割で作られていると言われています。 赤壁の戦いについても、演義では創作部分が数多くあり、みんなが知っている諸葛亮の活躍もほとんどが創作によるものです。
今回作成した動画は、基本的には、ちくまの正史「三国志」をベースに作成しております。
正史=100%正しいというわけではないですが、より史実に即したものになっています。
赤壁は武漢にあり、武漢と言えばコロナ。そして、黄鶴楼もある。一度は行ってみたい。あと、赤壁あたりに有名な史跡ありますか?
コメントありがとうございます。
私も一度は行ってみたいと思いますが、現地には行ったことがありません。
三国史の名所色々回ってみたいです。
ネット情報では、テーマパーク化しているみたいですね!笑
正史あるのに
なんで演武ができたん?
ドラマみたいな感じなのかな?
コメントありがとうございます。
下の方が返してくださっているとおりです。
正史はあくまで歴史記録で個人の伝記をベースに記述されているので、時系列で三国志を追うには向いていません。
そこで、みんなに分かりやすく小説としてまとめられたのが、三国志演義です。
一般的に三国志演義は、史実7割、創作3割で作られていると言われています。
赤壁の戦いについても、演義では創作部分が数多くあり、みんなが知っている諸葛亮の活躍もほとんどが創作によるものです。
そのあたりも、今後動画を作りたいと思っていますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。
@@kassenngekijo
演技はあくまで小説で赤壁の戦い自体が丸々、羅貫中の創作ですね。
今の定説は赤壁で戦いは無かったです。
演技での赤壁の戦いのモデルは鄱陽湖上の戦いですよ。
『正史』風『演技』
コメントありがとうございます。
本動画はちくまの正史三国志をベースに作成しております。
ただ、他の方からも正史が100%事実ではないというご指摘をいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。
今後とも色々と勉強させていただきながら、動画を作成していきますので、どうぞよろしくお願いします。
曹軍100万(ドン!)
コメントありがとうございます。
正史ではそれほど多くありませんが、曹軍100万と聞くとやはり迫力を感じますね。
歴史小説ですよ、まるでk国みたい、朱元璋の戦いですよ、赤壁、どこにありますか。
正史をなんにも知らないくせにこれは正史ではない!とか演技だ!とかイキってるヤツら多くて投稿主可哀想。魏書、蜀書、呉書で書いてる内容が違うのとか知らないのかな?ただ人のことを批判したい人間たちなのだろうな。
コメントありがとうございます。
そのように評価いただき、本当に嬉しいです。
これからも色々勉強しながら、動画を作成していきますので、応援よろしくお願いします🙇
三國志の正史・演戯論争が続いてますね。
ただ、注意しなくてはいけないのは、正史=100%正しいってわけではないって事です。
歴史書は偏向報道や自分の所属している国に有利に書かれるって事です。まあ、これは現代のマスコミですら、そうなんですけどね。
三國志正史の作者の陳寿ですが、当初は蜀に仕えてましたが、のちに晋で三國志正史を完成させる事になります。そのため基本的には魏および晋贔屓に書かれています。
そのため魏、晋の自分の上司スジの人物には良く書かれています。しかし呉蜀の人物には評価ばかりではなく批判も書かれる事が多いです。
また陳寿は孔明に処罰を受けた事があり私怨があります。それでも孔明に関しては最期にチクリとやっているものの、かなり褒めて書いています。それ程、孔明は無視できない優秀さがあったのでしょう。
ただ、陳寿には晋のある武将に「私に賄賂を送って頂ければあなたの事を良く記述してあげましょう」と言いましたが断られたのでその武将に関して全く記述しなかったという嫌な逸話もあります。
勝者が歴史を作るのだから当たり前ですが正史が真実だけを伝えるわけがありません。
しかしその史実からかけ離れた正史や資治通鑑を元に書かれたエンターテイメントである三国志演義が最も史実がかけ離れているのは当然でしょう。
だから現代の学者が発掘などから明らかになる事から色々と研究するのでしょう。
そして今のところ赤壁で大規模な戦闘は無かったが有力な説ですね。
コメントありがとうございます。
本動画は、ちくまの正史「三国志」をベースに、多くの人に分かりやすいように作成しています。
ただ、おっしゃているように正史=100%ではないですね。
色々なご指摘をいただき、私も一緒に学んでいけたらと思っているので、今後ともよろしくお願いいたします。
まあこうやって盛り上がっているのは、三國志演義が素晴らしく面白いからで。。
コメ主の陳寿の逸話にも創作が混ざっていますしね
史実?
私が知っている史実とは違うな。
演義ベースで多少史実が混ざっている程度に感じます。
胡散臭いソシャゲみたいなアフレコで草
史実ではなく演義ですね。
コメントありがとうございます。
基本的には、ちくまの正史「三国志」をベースに作成しております。
そのため、諸葛亮が神がかり的な活躍する100万本の矢や東南の風を吹かせるといった演義ならではのエピソードは入っていません。
ただ、正史はあくまで歴史記録で個人の伝記で記述されており、このチャンネルではそれを出来る限り分かりやすく編集しています。その際、できるだけ正史「三国志」に忠実に作成しているつもりですが、至らぬ点等ありましたら、教えていただけると勉強になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
赤壁の戦いは正史でも記述が少ない部分で本当に戦いがあったのかすら疑わしいという意見もあるほどです。(その場合の解釈は曹操は江東に駐屯したものの疫病(流石の武漢周辺)が蔓延して、せっかく手に入れた水軍を敵に取られるくらいならと自ら艦を鎖でつないで自ら火を放ち、陸路で撤退したとする)
三国志演義でもかなり盛り上がる部分が正史では「よくわからない」では三国志の面白さが伝わらないと思われたのか、正史ベースの作品や著作でも演義の中でも本当に有り得そうな部分を正史とごちゃまぜにしてしまっているモノが多いです。
おそらく動画制作者様が参考にしたのはそういった著作物だった可能性が高いと推測します。
もし、「史実」として扱うなら史実不明な出来事なので、少なくとも正史原文かその和訳を読んでから「私の思う史実」とすべきだと思います。
特に赤壁という地名は無く、周瑜が曹操の艦隊が燃える火が岸壁に赤く映った事からその岸壁を「赤壁」と呼んだとする「伝説」があるだけなのでそれが伝説ではなく「史実」として扱うにしても、曹操艦隊が燃える前に赤壁と呼ぶのは間違いだと思います。
あえて追記すると、そもそも正史も事実7虚構3と言われる程に演義よりはマシにせよ虚構塗れで、正史に書いてあるから史実と判断するのは少し早計かと思います。
なので先述のように「私の思う史実を語る赤壁の戦い!…」か「正史で語る赤壁の戦い!…」に動画タイトルを直されるべきかと思います。
私はこの「史実で語る…」をみて、正史ではなくより新たな事実が判明したのか、史実を独自解釈した動画かと勘違いして再生してしまいました。
私のように勘違いして再生している人もいると思いますのでそこに配慮をいただければ幸いです。
@@kassenngekijo今、定説となっているのは赤壁で大きな戦は無かったとする説ですね。
そもそも赤壁の戦いのモデルになったのは朱元璋の天下を決定付けた鄱陽湖上の戦いです。
演技では戦いがあったように描かれていますが正史には戦いの記述はなく功なくして軍返すとあるだけです。
そもそも演技の記述のように大敗した曹操が更に勢力を増すなど矛盾でしかありませんし。
@@きゅうきゅう-l7k
>正史には戦いの記述はなく
【時劉備為曹公所破、欲引南渡江、與魯肅遇於當陽、遂共圖計、因進住夏口、遣諸葛亮詣權、權遂遣瑜及程普等與備并力逆曹公、遇於赤壁。時曹公軍衆已有疾病、初一交戰、公軍敗退、引次江北。瑜等在南岸。】
史書のうち「正史」として扱われている「十八史略」には赤壁にて戦闘が行われた記述があります。
この記述が全て事実だなどと云うつもりは毛頭ありませんが、一応「正史」には記述されているという事実だけは、お伝え致します。
史実じゃねえだろ(笑)
学説では魏軍に疫病がはやったのもあって、曹操が軍事侵攻を西方に変えるべく北に帰って行った、というのが有力らしい。
いずれにせよ殆どわかってないのが事実。
コメントありがとうございます。
本動画は正史をもとに作成させていただいており、演義の創作部分は含まれておりません。
ただ、正史が100%正しいわけではないというご指摘もいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。
引き続き、よろしくお願いします🙇
中華ね。
正史を基にしていたらこんなに長い動画にはならないと思うんたが?
詳しい戦の状況なんて何にも記されてないからな
完全に演技を基にして、オカルトチックなものや大げさなものを排除してるだけじゃん
ちゃんと伝えたいなら、何もわからない戦いだったと伝えるべき
コメントありがとうございます。
本動画は正史三国志(呉書周瑜伝や魯粛伝など、本動画に関連の人物列伝)を読み、
作成しております。
もちろん、分かっていないことが多くあることも承知しており、また正史が100%正しいわけではない
というご指摘もいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。
皆様からご指摘をいただき、色々と勉強させていただいているところです。
今後とも精進してまいりますので、引き続き、よろしくお願いします🙇
史実はおもしろくない。三國志演義は虚構だからおもしろい。歴史家でもない我々が、真実を知ってどうするのか?
コメントありがとうございます。
私も三国志演義から入って、実際はどうなんだろうと興味本位で調べたのがきっかけでした。
正史と演義で見比べて、虚構部分がどこなのか知るのも結構面白いなと思ってます。
正史と演義の違いに焦点をあてて、今後動画を投稿しようと思ってます。
引き続き、応援いただければ幸いです。
歴史的資料では
この頃魏と呉が戦って途中で魏が帰って行ったらしいという事しかわかってないから、
ほぼ90%が作り話だな(笑)
コメントありがとうございます。
本動画は正史をもとに作成させていただいており、演義の創作部分は含まれておりません。
ただ、正史が100%正しいわけではないというご指摘もいただいており、そこは反省すべき点であったと思っております。
引き続き、よろしくお願いします🙇