第2話 【弱小から最強へ】森繁和が見た西武黄金時代。「遅入り早上がり」からの広岡野球。
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- Опубліковано 27 вер 2021
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#森繁和 #西武ライオンズ - Спорт
やっぱ話が面白いな。
森繁さんの話の間が好きなのに、編集で全部消えてて滲み出る人柄が消えてしまってて残念…
来期 西武投手コーチ又はヘッドで黄金期をまた築いて下さい
根本陸夫さんとの出会いが、現在の森繁和さんになっていると思います。
落合博満中日監督時代のヘッドコーチは、黄金時代を構築しましたね。
落合博満さんが根本陸夫さんから
「何かあったら、森繁を頼れ」
と語っていたのが、中日の黄金時代に繋がったと思います。
西武時代の黎明期から黄金時代を構築した1人として、森さんが支えていましたね。
西武の豪華投手陣は、現在の西武の投手陣を投手コーチとして現場復帰して欲しいですね。
当時子供心にも「海外キャンプ、日本でオープン戦無し」ってすごいなぁって思ってました。
新球団が急に決まって球場建設これからという事情とはいえ、選手たちにとっては
たまったものじゃなかったでしょうね。
慣れない新球場での開幕戦、エラー連発、挟殺プレーからのキャッチャーから2塁への送球が大暴投、センターフェンスまで届いて外野手がボール取った時には打者走者まで生還したシーンは強烈に覚えています(苦笑)
翌日のスポーツ紙の見出しは「新球場が泣くぞ!!」
森さんが投げる時もエラーが多くて援護も少なくてそれが5勝16敗という成績になってしまったんだと思います。
西武どら一、駒澤色がでてきた。
最近、先発が完投しないの、森繁さんの言う事でなんとなくわかりました、
でも完投して欲しい‼︎
この70周年の本うちにもあります、森繁和さんはライオンズが埼玉所沢に移転して最初のドラフト1位であの「空白の一日」のドラフトの指名選手でもありましたね。
1年目は松沼博久さんと松沼雅之さんの松沼兄弟と一緒に野村克也さんとよくバッテリー組んでいて1年目で適正が抑えの方が向いてると判断されたと根本陸夫さん関連の本で見た記憶ありました。
1979年の埼玉での西武ライオンズ1年目はまだ球場が開幕ギリギリに完成してオープン戦の時期に球場がないためオープン戦が組めなかったと聞いたことありました。
森繁和さんは肘故障の影響で10年で引退しましたが引退は根本陸夫さんが森繁和さんは根本陸夫さんが根本さんと同じ適正あると見抜き早めに引退したと聞いたことありました、森祇晶監督と東尾修監督の西武でコーチした後日ハムと横浜ベイスターズコーチ経て中日コーチ~監督~シニアディレクターで根本陸夫さんと同じ力を発揮してたと思いました。
落合博満さんは根本陸夫さんに監督やるなら森繁和さんをコーチにするように推薦したようですね。
東尾さんが目白に住んでいて田淵さんが豊島区出身なのは知ってましたが森繁和さんは現役時代練馬区住んでたと聞いたことありました、練馬区住んでた西武ライオンズ選手は大田卓司さんが大泉学園住んでると聞いたことありました。
森繁和さんは選手時代が思わしくなく、根本陸夫さんが早期引退・コーチ転身させたんですよね。
それで落合さんに「監督やるなら、森繁和を使え。アイツは苦労してる分、投手の使い方が分かる奴だ」とアドバイスした。
それが落合博満-森繁和の政権誕生。
姉ちゃんやっぱり顔デカイな…浮腫でるのか???