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はじめまして、正念とは一切色に意を注ぎに、それは利己のことで、利他の考えは、結局利己の他の人を満たしたいという、利己の欲望の表れではないのかなと、どんなに自己の犠牲を払って、他のことを満たしてもそのことで、自己が満たされるのは、利己につながるのでないでしょうか?例えば、暴力的に、精神的に何かを奪われてしまっても、奪われた瞬間は、利他であるかもしれませんが、それを受け入れることは利己に繋がるのでないのでしょうか?全ては,在って無いものである、悩みも苦痛も不幸も幸福も喜びも本当は無でありそこに利己があるからあるように見えて、実際は無いものであり、それを欲した利己によるものによりそこにあるように見えるだけで実際は、不幸や幸福、苦痛や快感など存在しないことを、何も悩む必要もないことを唱えながら、この現世に結局はしばりつけるような解説にしか出会えないのはなぜかなと思い、コメントさせていただきました。利己と利他、他を満たすことを望んだことは利己であり、完全な利他を想像できません。完全なり対する行動について返信を頂ければと思います。
kensankai hitoriさん、ご視聴とコメントをいただきありがとうございました。さて、お尋ねの件ですが、明確なお答えにはならないかもしれませんが、まず、利他⇔利己ということについて、思いの及ぶ範囲でお返事いたします。まず、kensankai hitoriさんの観察は、実に的を得たものだと思います。少し話題がそれるかもしれませんが、カウンセラーを目指す方、すでにカウンセラーとして活動される方々が、陥りやすく、厳に戒めなければならないものに「共依存」という状況があります。相談者を救いたい一心で、その相談にのり、親身になっていく中で、カウンセラーとして相談者から頼られ、時として依存されている自分(カウンセラー自身)の姿、状態に、「自分は人から頼られ、信頼され、社会の役に立つ存在である」という満足感、自己実現の達成感を抱いてしまう。相談者の役に立つことは良いことですが、自分自身の自己実現のために、悩みを抱えて自分に依存してくれる相談者が欠かせない存在となってしまう。カウンセラー自身が、自分の存在意義を感じるために、相談者の存在に依存した状態。これが「共依存」です。社会の様々な状況の中で、これに類似する現象に接してこられていると思います。ご指摘の通り、「…他のことを満たしてもそのことで、自己が満たされるのは、利己につながる…」ということになります。私も、全くその通りだと思います。利他⇔利己というものは、本来そういう特性を持っていると、私は考えます。ただ、ここで大事なことは、先に「利他」を考えて行動し業を積むからこそ、「利己」の現象が顕われるという人間社会の特性ではないでしょうか。先に「利己」に執着した行動、業を積み重ねると、「利他」の状況は生まれませんから、「利他」によって現れるはずの「利己」の現象は現れず、「利己」に執着し、「利己」を先んじた行い、業を積み重ねても、一時的な見せかけだけの果報、結果を得られるだけで、その果報はやがて消滅し、結局は「利己」が得られない状況に陥ります。負のスパイラルです。これが、「利他」を先んじて行えば、感謝され、「利己」の状況が生まれ、そこでさらに「利他」の行いを積み重ねれば、「利他」の行い、その業に応じた応報として「利己」の現象が顕れます。正のスパイラルです。「利他」は行うものであり、「利己」はその因果の応報として顕れるもの。「利己」はそれそのものを求めたり、執着しても「利己」は結果的に顕れない。社会はこういう特性を持っている。お答えになっていないかもしれませんが、私はこのように考えています。大切なことは、この世の中は「己」だけで成立しているのではなく「他」の存在があって、「他」との関係によって「己」が存在しているという現実ではないでしょうか。だからこそ、「他」を利する業を積まなければ、「己」の存在そのものが危うくなる・・・のだと、私は考えています。また、「全ては,在って無いものである、悩みも苦痛も不幸も幸福も喜びも本当は無であり・・・」とのコメントをいただいていますが、全ては,在って無いものでありながら、苦痛も不幸も幸福も喜びも、この世の中に存在します。それどころか、ご承知のように、佛陀が仏教の四法印のひとつに「一切皆苦」を示しています。この世の中はすべてが「苦」であると説いています。本来悩む必要はないものですが、苦痛も不幸も厳然と存在します。そして、私自身も、苦痛は尽きていません。それを超越するには、学んで実践することを繰り返す以外にないものだと、私は感じてきました。根本となる三法印として「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」が示されていますが、これを学び、理解し、完全に受け入れられたならば、少しは悩みや苦痛が減るのだろうと考えています。最後に、このたびは、いろいろな誤解を恐れずに、初めてこのチャンネルでお答えしましたが、言葉を重ねて解説すればするほど、大切なものを誤って伝えてしまうという危惧を抱いてしまいます。この返信が、少しでもお役に立つことを願っています。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。このご縁に感謝します。
夜分遅くのコメントに対して早速のご返信ありがとうございます。何度か読み返す時間があり、そのおかげで思考が180度変わりました。有難い解説のおかげで、利己、利他について、改めて考えたので少し長くなりますが返信させていただきます。自身の考えとしては、全ては、無であり、それを意識認識するゆえにそこに存在するのであって、特に人間関係における不平や不満、不都合なことはそれを意識するゆえにそこに存在し、それを意識しなければ、何も存在しないのであって、その瞬間において違和感を抱いてもそれを無いものとして打ち消すように行動してきました。それは、完全に利己に執着した考え行動でした。結果は、因果応報人間関係、思考、行動、知識、経験すべてが、浅く薄く、単純なモノになってしまいました。利己、己、唯一無二の存在、それは、たった一つの思考、行動、知識、経験にしかなりません。利他、他、その他は、大勢で同じ人としてで、70億、草木や花、生き物、水、空気、土、空…無限に広がります。そのすべてに、思考、行動、知識、経験があるとすれば利他を優先することの重要性が単純に理解できます。例えば、道端に咲いている花が綺麗だ、持って帰って家に飾ろう、一時の間は綺麗な姿を楽しむことができますが、その花は二度と咲くことはありません。自己の満足も一度きりです。利己に執着した考え、行動です。これを、利他で考えると、その花が少しでもその場所で長く咲き続けられるように、行動することで、そこに、ミツバチや蝶のような生き物が集まってきたり、その花に対して同じく共感できる他人との人間関係が築けるかもしれません。次のその花が咲くころにまた、楽しむことができます。花に水を上げて、花を楽しむ、結果の行動は同じくして全く違うものです。結果の行動は同じでも、利己と利他の基準を変えるだけでより多くの思考、視野、行動が生まれそれを得ることができます。行動、日常を今日変えることは困難なことでありますが、利己、利他の思考を変えるのは単純なモノかもしれません。結果の行動は同じくともその基準を利他に変えることが大切なのだと気づきました。そして、利他の行動は特別なものではなく、広く、深く根付いているものだと感じました。それは、音楽やダンス等を見ても明らかです、とても多くのジャンルに分かれていながら、時には違うジャンルで融合したり新たなジャンルを築いていき、その根本はより多くの人に感動を与えたい、勇気を、元気を、と利他のために努力し行動した結果、因果応報として利己につながっています。この返信の内容についても利他について考えながら投稿させてもらいます。利他に執着しすぎて、共依存にならぬよう、思考、行動、視野、知識を広げていこうと思います。今回は、本当に有難い解説をありがとうございました。己が多くを説くことで他の思考、視野を狭くしてしまう事、誤解を生んでしまうことに懸念を抱いていることも理解できました。しかし、他の大勢はその思考、視野を持っていないのでそれを広げることにつながるのではないかと思いました。この動画に出会い、自分の疑念を解説いただいたこのご縁に感謝します。ありがとうございました。
kensankai hi
ご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございます。とても深く物事を観察され、考えておられる事が伝わってくる文面でした。感銘を受けました。このご縁に感謝します。
私はあなた様方のやりとりを拝読させていただき更に学びを得られました。私がやりとりをしているかの如く拝読出来た事を深く感謝いたします。大変貴重な気づきを得られました。ありがとうございました。
南無阿弥陀仏🙏有り難うございます😊
ありがとうございます。この救いの言の葉が身につきますように精進いたします。そして一切の生きとし生けるものの救いとは?何なのか、見つめ考えてゆくことを目標として、仏道を歩こうと思います。救って頂きました。失礼いたします。
有り難う御座います話し聞いて気持ちあらだろ行きます
とても悔しい思い、悲しい思い、辛い思いがある時、どう心で対処してよいかわかりませんでした。悟りへの道と捉えようとおもいます。ありがとうございます。
いつも仕事をしながら聞いています心の氷が、解けた様な気がします良き法を聞かせていただき 心より感謝いたします。
どうが息子家庭と娘家庭と私に幸せに慣れる道生活困らない生活できまさひように
ありがとうございます。自力も他力もありませんね。
後藤徳雄 コメントをいただき、ありがとうございます。
利己を極めた先に 真の利他があるからこそ まず無明を完璧に取り除くべきだと 思います。何が善で何が悪かは ありがたい事に 仏陀が説いてくれたんでまず 自分が心から その考えを 体験を持って理解しなければ 他人のために行動した事が真に善であるかどうか理解できないと考えます。利他に偏りすぎるのは 一つの極地であって 間違いなく執着で 苦しみを生むと思います。世界を救いたい 他人を幸せにしたい ましては 自分の利のために他人を救いたい みたいな考えは これは正しくなく 全ては心から 汚れた心だと思います。結果 小乗によって 瞑想修行によって まず無我まで至れば おのずと慈しみが沸いてきて 世界に対して 心から優しくなれると思います。常に生きとし生ける者への慈しみが無条件にある 状態での心で行動するから 見返りがない行動がとれると思います。それは利己により 心が清められていて他人より高い次元にいるからこそ 憐れむ事ができると思います。だからこそ、 己の心を汚す事に 危機感を覚え 行いが正され 色々な誘惑に打ち克って さらに そこから 世界の幸せを願いつつ 利己を極めて ニルヴァーナに到達するような気がします。なんし 自らの心を完璧に綺麗にした人の波動は そこにあるだけで 世界を幸せにする 善だと考えます。自らの心を清め続け その状態を持続させることこそ 究極の利己であり究極の利他のような気がしてならないのですが 自分にはまだそこまで わかりません。いかんせん 自分の心を汚してまで 他人のために行動する事は 絶対間違っていると思います。真の利他とは 自分も相手も幸せにならなければ 意味がないと感じます。はい
学べました教えに感謝します
ご視聴有難うございます。このご縁に感謝します。ありがとうございました。
スッタニパーダとダンマパダは非常に有名だし中村先生訳のものが岩波から安価で買えるので知っていましたがこれは初めて知りました。やはり原始仏教のブッダの言葉は最も重く深く心に入ってきてなくしてしまった純粋な自分をゆりうごかしてくれます。貴重なアップありがとうございます
寂静禅ってこの人が作ったオリジナルの教えだよ
静寂の中で音楽∞がつくられる。わたしたちの仕事も静寂のなか、ものづくりを勤めています。
お邪魔しまぁす我が身のことは仏の皿にも云わずとゆうことだと悟。慈愛
ありがとうございました。
イチヤ様、ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございます。
有難うございます。
すばらしい~
南無妙法蓮華経。
素晴らしい!
人は他人に影響される生き物だ。善人も悪人も周りの人間次第で変わる。たとえ善人であっても悪人のみの村に住むなら心は汚れ悪人となるだろう。まるで腐った野菜が他の野菜も腐らせるように。悪しき臭いがうつるように。逆に善人のみの世界では全てが善人となる。つまり全ては周りの人間の運である。これは真理である。
世界平和命尊し有難う御座います。
寂静禅経は教えではなく、自分の考えと同じであることがおどろきでした、やはり行き着くところはおなじなのですね、ひたすら自分の会社を考えて仕事してきました、いつも子供の時からおなじです、神様はいつも、心にありました、最後に何のための仕事なのかと、結論は他人のため、であることが、それ以外ないものと、結論しました、ただ、いかなる時も、迷いがありたくさんの選択があり、簡単な結論は出ないそこが、永遠の問題、どちらが利他の道か、たくさんの間違いから、方向でいい少しでも利他の道へ向かえばいいのです、と結論しました、悟りは遠く、冥土のみちは近いのでしょうか。
ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございました。素晴らしい心がけをお持ちだと、拝察いたしました。このご縁に感謝します。ありがとうございました。
利他心はそのまま阿頼耶識という自分の深層世界に種まきされ、いずれ自らに善果として返って来る。それがまさに利他の利己への返報になるのかなと。。
はじめましてお釈迦様のお言葉の大切さをしり、コメントいただきました🙌毎日聞いております一般人、障害をもった方でも仏の悟りを開くことはできるのでしょうか?高い悟りを目指すことは可能でしょうか?
返信が遅くなりました。ご視聴ありがとうございます。原始仏典の中にも、ご質問のような例が紹介されています。わたしは、可能だと考えております。このご縁に感謝します。ありがとうございました。
聞く度に痛、痛、痛、1ミナ儲けようと思います。
二法とは顕密の事なんでしょうか?しかし何でこれ程のお経が余り知られていないのか仏教の真髄が簡潔な言葉で表現されているのに。
yamatogawaさま、このお経は、この場所のほかには存在していません。私の20年間の修行の節目において、仏性に感受した経文です。物理的には、私が書き記したものですが、私の仏性を通して、書かされたものです。yamatogawaさまであれば、ご理解いただけると思います。経文の解説は、この場では控えさせていただきます。ご視聴、有難うございました。
素晴らしいです。とちらからの引用かお教えください
私が、我流で20年ほど仏教を体験し、自身のたどり着いた境地を綴ったものです。いずこの宗派に属するわけでもなく、直接の引用元があるわけではありません。隠すべきではないという理由から公開しておりますが、ご縁のある方だけが、ご覧いただくというものにすぎません。
教えてください。寂静禅経中には、「仏説」という言葉が数回あるようですが、これは、ネットで調べると、【大辞林第三版】ぶっせつ【仏説】〘仏〙 仏教の教義。また特に、釈迦が自らの口から直接説いた教え。と、あります。私は、「仏説」とあるものは、お釈迦様が口伝された教えであるという意味と思っていましたが、この場合は、梅尾様の独自に感受した経文ということですので、前者の、仏教の教義ととる方がよいのですか?
bearsandflowersさま、ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございます。お尋ねの件ですが、ご指摘通り、私が、その佛性に感受したものを記したものです。「仏教の教義」の一つとご理解いただいてかまいません。ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございます。私のような者でも、経文を手軽に親しく読むことができ、大変嬉しく視聴させていただいています。今後も、長くお続けいただければと思っております。
解説書を出してほしい。良く知りたい。
石川様、ありがとうございます。
いらない人間。悪人、底辺などが餓鬼や地獄にいる人間だと思えば人間レベルが分かりやすい。このような愚かな人とは絶対に関わるべきではない。はっきり言って魂や人間レベルというのはほぼ確実に存在する。愚かな人のみ他人に危害を加える。賢者は絶対に他人を害しない。
悟り=懺悔一神教、多神教大乗仏教、インド仏教キリスト教などをまとめ己れ自身が真に生きるすべを体得する事です❗️
生の言葉か…。
Mo phat
フクロウのサムネのパクリチャンネルを見つけました。一応、報告まで。
こ
利他・利己を分けている時点でもはや禅ではないのでは?生意気言ってすみません。
はじめまして、正念とは一切色に意を注ぎに、それは利己のことで、利他の考えは、結局利己の他の人を満たしたいという、利己の欲望の表れではないのかなと、どんなに自己の犠牲を払って、他のことを満たしてもそのことで、自己が満たされるのは、利己につながるのでないでしょうか?
例えば、暴力的に、精神的に何かを奪われてしまっても、奪われた瞬間は、利他であるかもしれませんが、それを受け入れることは利己に繋がるのでないのでしょうか?
全ては,在って無いものである、悩みも苦痛も不幸も幸福も喜びも本当は無でありそこに利己があるからあるように見えて、実際は無いものであり、それを欲した利己によるものによりそこにあるように見えるだけで実際は、不幸や幸福、苦痛や快感など存在しないことを、何も悩む必要もないことを唱えながら、この現世に結局はしばりつけるような解説にしか出会えないのはなぜかなと思い、コメントさせていただきました。
利己と利他、他を満たすことを望んだことは利己であり、完全な利他を想像できません。
完全なり対する行動について返信を頂ければと思います。
kensankai hitoriさん、ご視聴とコメントをいただきありがとうございました。
さて、お尋ねの件ですが、明確なお答えにはならないかもしれませんが、まず、利他⇔利己ということについて、思いの及ぶ範囲でお返事いたします。
まず、kensankai hitoriさんの観察は、実に的を得たものだと思います。
少し話題がそれるかもしれませんが、カウンセラーを目指す方、すでにカウンセラーとして活動される方々が、陥りやすく、厳に戒めなければならないものに「共依存」という状況があります。
相談者を救いたい一心で、その相談にのり、親身になっていく中で、カウンセラーとして相談者から頼られ、時として依存されている自分(カウンセラー自身)の姿、状態に、「自分は人から頼られ、信頼され、社会の役に立つ存在である」という満足感、自己実現の達成感を抱いてしまう。
相談者の役に立つことは良いことですが、自分自身の自己実現のために、悩みを抱えて自分に依存してくれる相談者が欠かせない存在となってしまう。カウンセラー自身が、自分の存在意義を感じるために、相談者の存在に依存した状態。これが「共依存」です。
社会の様々な状況の中で、これに類似する現象に接してこられていると思います。ご指摘の通り、「…他のことを満たしてもそのことで、自己が満たされるのは、利己につながる…」ということになります。私も、全くその通りだと思います。
利他⇔利己というものは、本来そういう特性を持っていると、私は考えます。
ただ、ここで大事なことは、先に「利他」を考えて行動し業を積むからこそ、「利己」の現象が顕われるという人間社会の特性ではないでしょうか。
先に「利己」に執着した行動、業を積み重ねると、「利他」の状況は生まれませんから、「利他」によって現れるはずの「利己」の現象は現れず、「利己」に執着し、「利己」を先んじた行い、業を積み重ねても、一時的な見せかけだけの果報、結果を得られるだけで、その果報はやがて消滅し、結局は「利己」が得られない状況に陥ります。負のスパイラルです。
これが、「利他」を先んじて行えば、感謝され、「利己」の状況が生まれ、そこでさらに「利他」の行いを積み重ねれば、「利他」の行い、その業に応じた応報として「利己」の現象が顕れます。正のスパイラルです。
「利他」は行うものであり、「利己」はその因果の応報として顕れるもの。
「利己」はそれそのものを求めたり、執着しても「利己」は結果的に顕れない。
社会はこういう特性を持っている。
お答えになっていないかもしれませんが、私はこのように考えています。
大切なことは、この世の中は「己」だけで成立しているのではなく「他」の存在があって、「他」との関係によって「己」が存在しているという現実ではないでしょうか。だからこそ、「他」を利する業を積まなければ、「己」の存在そのものが危うくなる・・・のだと、私は考えています。
また、「全ては,在って無いものである、悩みも苦痛も不幸も幸福も喜びも本当は無であり・・・」とのコメントをいただいていますが、全ては,在って無いものでありながら、苦痛も不幸も幸福も喜びも、この世の中に存在します。
それどころか、ご承知のように、佛陀が仏教の四法印のひとつに「一切皆苦」を示しています。この世の中はすべてが「苦」であると説いています。本来悩む必要はないものですが、苦痛も不幸も厳然と存在します。そして、私自身も、苦痛は尽きていません。それを超越するには、学んで実践することを繰り返す以外にないものだと、私は感じてきました。
根本となる三法印として「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」が示されていますが、これを学び、理解し、完全に受け入れられたならば、少しは悩みや苦痛が減るのだろうと考えています。
最後に、このたびは、いろいろな誤解を恐れずに、初めてこのチャンネルでお答えしましたが、言葉を重ねて解説すればするほど、大切なものを誤って伝えてしまうという危惧を抱いてしまいます。この返信が、少しでもお役に立つことを願っています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。このご縁に感謝します。
夜分遅くのコメントに対して早速のご返信ありがとうございます。
何度か読み返す時間があり、そのおかげで思考が180度変わりました。
有難い解説のおかげで、利己、利他について、改めて考えたので少し長くなりますが返信させていただきます。
自身の考えとしては、全ては、無であり、それを意識認識するゆえにそこに存在するのであって、特に人間関係における不平や不満、不都合なことはそれを意識するゆえにそこに存在し、それを意識しなければ、何も存在しないのであって、その瞬間において違和感を抱いてもそれを無いものとして打ち消すように行動してきました。
それは、完全に利己に執着した考え行動でした。
結果は、因果応報
人間関係、思考、行動、知識、経験すべてが、浅く薄く、単純なモノになってしまいました。
利己、己、唯一無二の存在、それは、たった一つの思考、行動、知識、経験にしかなりません。
利他、他、その他は、大勢で同じ人としてで、70億、草木や花、生き物、水、空気、土、空…無限に広がります。
そのすべてに、思考、行動、知識、経験があるとすれば利他を優先することの重要性が単純に理解できます。
例えば、道端に咲いている花が綺麗だ、持って帰って家に飾ろう、一時の間は綺麗な姿を楽しむことができますが、その花は二度と咲くことはありません。自己の満足も一度きりです。
利己に執着した考え、行動です。
これを、利他で考えると、その花が少しでもその場所で長く咲き続けられるように、行動することで、そこに、ミツバチや蝶のような生き物が集まってきたり、その花に対して同じく共感できる他人との人間関係が築けるかもしれません。次のその花が咲くころにまた、楽しむことができます。
花に水を上げて、花を楽しむ、結果の行動は同じくして全く違うものです。
結果の行動は同じでも、利己と利他の基準を変えるだけでより多くの思考、視野、行動が生まれそれを得ることができます。
行動、日常を今日変えることは困難なことでありますが、利己、利他の思考を変えるのは単純なモノかもしれません。
結果の行動は同じくともその基準を利他に変えることが大切なのだと気づきました。
そして、利他の行動は特別なものではなく、広く、深く根付いているものだと感じました。
それは、音楽やダンス等を見ても明らかです、とても多くのジャンルに分かれていながら、時には違うジャンルで融合したり新たなジャンルを築いていき、その根本はより多くの人に感動を与えたい、勇気を、元気を、と利他のために努力し行動した結果、因果応報として利己につながっています。
この返信の内容についても利他について考えながら投稿させてもらいます。
利他に執着しすぎて、共依存にならぬよう、思考、行動、視野、知識を広げていこうと思います。
今回は、本当に有難い解説をありがとうございました。
己が多くを説くことで他の思考、視野を狭くしてしまう事、誤解を生んでしまうことに懸念を抱いていることも理解できました。
しかし、他の大勢はその思考、視野を持っていないのでそれを広げることにつながるのではないかと思いました。
この動画に出会い、自分の疑念を解説いただいたこのご縁に感謝します。
ありがとうございました。
kensankai hi
ご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございます。とても深く物事を観察され、考えておられる事が伝わってくる文面でした。感銘を受けました。このご縁に感謝します。
私はあなた様方のやりとりを拝読させていただき更に学びを得られました。
私がやりとりをしているかの如く拝読出来た事を深く感謝いたします。
大変貴重な気づきを得られました。
ありがとうございました。
南無阿弥陀仏🙏有り難うございます😊
ありがとうございます。この救いの言の葉が身につきますように精進いたします。そして一切の生きとし生けるものの救いとは?何なのか、見つめ考えてゆくことを目標として、仏道を歩こうと思います。救って頂きました。失礼いたします。
有り難う御座います話し聞いて気持ちあらだろ行きます
とても悔しい思い、悲しい思い、辛い思いがある時、どう心で対処してよいかわかりませんでした。悟りへの道と捉えようとおもいます。ありがとうございます。
いつも仕事をしながら聞いています心の氷が、解けた様な気がします
良き法を聞かせていただき
心より感謝いたします。
どうが
息子家庭と娘家庭と私に幸せ
に慣れる道
生活困らない
生活できまさひように
ありがとうございます。自力も他力もありませんね。
後藤徳雄 コメントをいただき、ありがとうございます。
利己を極めた先に 真の利他があるからこそ まず無明を完璧に取り除くべきだと 思います。
何が善で何が悪かは ありがたい事に 仏陀が説いてくれたんで
まず 自分が心から その考えを 体験を持って理解しなければ
他人のために行動した事が真に善であるかどうか理解できないと考えます。
利他に偏りすぎるのは 一つの極地であって 間違いなく執着で 苦しみを生むと思います。
世界を救いたい 他人を幸せにしたい
ましては 自分の利のために他人を救いたい みたいな考えは これは正しくなく 全ては心から 汚れた心だと思います。
結果 小乗によって 瞑想修行によって まず無我まで至れば おのずと慈しみが沸いてきて 世界に対して 心から優しくなれると思います。
常に生きとし生ける者への慈しみが無条件にある 状態での心で行動するから 見返りがない行動がとれると思います。それは利己により 心が清められていて他人より高い次元にいるからこそ 憐れむ事ができると思います。だからこそ、 己の心を汚す事に 危機感を覚え 行いが正され 色々な誘惑に打ち克って さらに そこから 世界の幸せを願いつつ 利己を極めて ニルヴァーナに到達するような気がします。
なんし 自らの心を完璧に綺麗にした人の波動は そこにあるだけで 世界を幸せにする 善だと考えます。
自らの心を清め続け その状態を持続させることこそ 究極の利己であり究極の利他のような気がしてならないのですが 自分にはまだそこまで わかりません。
いかんせん 自分の心を汚してまで 他人のために行動する事は 絶対間違っていると思います。
真の利他とは 自分も相手も幸せにならなければ 意味がないと感じます。はい
学べました
教えに感謝します
ご視聴有難うございます。このご縁に感謝します。ありがとうございました。
スッタニパーダとダンマパダは非常に有名だし中村先生訳のものが岩波から安価で買えるので知っていましたがこれは初めて知りました。やはり原始仏教のブッダの言葉は最も重く深く心に入ってきてなくしてしまった純粋な自分をゆりうごかしてくれます。貴重なアップありがとうございます
寂静禅ってこの人が作ったオリジナルの教えだよ
静寂の中で音楽∞がつくられる。わたしたちの仕事も静寂のなか、ものづくりを勤めています。
お邪魔しまぁす
我が身のことは仏の皿にも云わず
とゆうことだと悟。
慈愛
ありがとうございました。
イチヤ様、ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございます。
有難うございます。
すばらしい~
南無妙法蓮華経。
素晴らしい!
人は他人に影響される生き物だ。善人も悪人も周りの人間次第で変わる。たとえ善人であっても悪人のみの村に住むなら心は汚れ悪人となるだろう。まるで腐った野菜が他の野菜も腐らせるように。悪しき臭いがうつるように。逆に善人のみの世界では全てが善人となる。つまり全ては周りの人間の運である。これは真理である。
世界平和命尊し有難う御座います。
寂静禅経は教えではなく、自分の考えと同じであることがおどろきでした、
やはり行き着くところはおなじなのですね、ひたすら自分の会社を考えて
仕事してきました、いつも子供の時からおなじです、
神様はいつも、心にありました、最後に何のための仕事なのかと、結論は
他人のため、であることが、それ以外ないものと、結論しました、
ただ、いかなる時も、迷いがありたくさんの選択があり、簡単な結論は出ない
そこが、永遠の問題、どちらが利他の道か、たくさんの間違いから、方向でいい
少しでも利他の道へ向かえばいいのです、と結論しました、悟りは遠く、冥土
のみちは近いのでしょうか。
ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございました。
素晴らしい心がけをお持ちだと、拝察いたしました。
このご縁に感謝します。ありがとうございました。
利他心はそのまま阿頼耶識という自分の深層世界に種まきされ、いずれ自らに善果として返って来る。それがまさに利他の利己への返報になるのかなと。。
はじめまして
お釈迦様のお言葉の
大切さをしり、コメント
いただきました🙌
毎日聞いております
一般人、障害をもった方でも
仏の悟りを開くことはできるので
しょうか?
高い悟りを目指すことは
可能でしょうか?
返信が遅くなりました。ご視聴ありがとうございます。
原始仏典の中にも、ご質問のような例が紹介されています。
わたしは、可能だと考えております。
このご縁に感謝します。ありがとうございました。
聞く度に痛、痛、痛、1ミナ儲けようと思います。
二法とは顕密の事なんでしょうか?
しかし何でこれ程のお経が余り知られていないのか
仏教の真髄が簡潔な
言葉で表現されているのに。
yamatogawaさま、このお経は、この場所のほかには存在していません。私の20年間の修行の節目において、仏性に感受した経文です。物理的には、私が書き記したものですが、私の仏性を通して、書かされたものです。yamatogawaさまであれば、ご理解いただけると思います。経文の解説は、この場では控えさせていただきます。ご視聴、有難うございました。
素晴らしいです。とちらからの引用かお教えください
私が、我流で20年ほど仏教を体験し、自身のたどり着いた境地を綴ったものです。
いずこの宗派に属するわけでもなく、直接の引用元があるわけではありません。
隠すべきではないという理由から公開しておりますが、ご縁のある方だけが、ご覧いただくというものにすぎません。
教えてください。寂静禅経中には、「仏説」という言葉が数回あるようですが、これは、ネットで調べると、【大辞林第三版】ぶっせつ【仏説】〘仏〙 仏教の教義。また特に、釈迦が自らの口から直接説いた教え。と、あります。私は、「仏説」とあるものは、お釈迦様が口伝された教えであるという意味と思っていましたが、この場合は、梅尾様の独自に感受した経文ということですので、前者の、仏教の教義ととる方がよいのですか?
bearsandflowersさま、ご視聴並びにコメントをいただき、ありがとうございます。
お尋ねの件ですが、ご指摘通り、私が、その佛性に感受したものを記したものです。「仏教の教義」の一つとご理解いただいてかまいません。
ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございます。私のような者でも、経文を手軽に親しく読むことができ、大変嬉しく視聴させていただいています。今後も、長くお続けいただければと思っております。
解説書を出してほしい。良く知りたい。
石川様、ありがとうございます。
いらない人間。悪人、底辺などが餓鬼や地獄にいる人間だと思えば人間レベルが分かりやすい。このような愚かな人とは絶対に関わるべきではない。はっきり言って魂や人間レベルというのはほぼ確実に存在する。愚かな人のみ他人に危害を加える。賢者は絶対に他人を害しない。
悟り=懺悔
一神教、多神教
大乗仏教、インド仏教
キリスト教などをまとめ己れ自身が真に生きるすべを体得する事です❗️
生の言葉か…。
Mo phat
フクロウのサムネのパクリチャンネルを見つけました。一応、報告まで。
こ
利他・利己を分けている時点でもはや禅ではないのでは?生意気言ってすみません。
ありがとうございました。
有難うございます。