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蘇我氏って四隅突出型古墳の流れで考えると出雲族と関係があったみたいだね。乙巳の変の原因は蘇我氏の横暴じゃなくて百済滅亡に対してどう対処するか、親新羅・唐派(蘇我)と親百済派(中大兄皇子・中臣)の対立から起きたクーデターだったのではないかと思う。
>@user-mc9kh8bx7d 「出雲口伝」を読むことをお勧め。曽我氏は出雲系で縄文文化と融合した・・ 4000年前、古代出雲族はインドからやって来たドラヴィダ族であり、アーリア人によって侵略され、クナト王に率いられてガネーシャ(サルタヒコ)(イザナギ・イザナミ)など三神と一緒に日本列島へ、青森三内丸山遺跡を経て出雲へやって来た。出雲では今でも 神無月を神有月と呼び、全国八百万の神が出雲に集結すると言う。1万年以上も戦争がなく平和だった縄文印度系に対し、中華系渡来人の秦氏などは弥生系で好戦的。物部氏は後の藤原氏や天孫降臨系で 徐福は筑紫では「ニギハヤヒ」を名乗り、丹後国ではホアカリを名乗ったので、徐福=ニギハヤヒ=ホアカリ=スサノオ と同一人物。乙巳の変などは 曽我氏と物部氏の対立で、この10年後に古事記が編纂され 勝った物部氏の意向で中華系仏教(当時は道教)が導入されることとなった。そう 百済滅亡で 中華とどう対応するかを迫られたのだ、
横暴と言うより外交政治的イザコザそれで合ってるって研究のが最近挙がってる。
名前は動物であとからつけられた蔑称かもしれないが。我は蘇る、みたいな氏はカッコイイね。
その説否定されてるぞ当時は動物の名前をつけるなんて当たり前葛城氏には蟻臣、鴨氏には鴨蝦夷とかいるし
馬子と入鹿2人並べると馬鹿になる。自分の子供(もしくは本人)がこんな名前付けるかね?しかも、蝦夷ってもろ朝敵の事だもんねw
そっか、今は大化の改新ではなく、乙巳の変になったんだっけ。未だに違和感ー笑
ただ一言いつから変わった?
@@とーげん-k8n 私はしらないけど、QuizKnockをみて知りました笑
実質的に完全衰退したのは、壬申の乱以降ですね。
うちも中国地方の庄屋だが、奈良時代まで遡ると大伴氏だったらしい(wiki調べ)。没落してもけっこう裕福だったりする。
物部と大伴部ってどこにでもいるよな
@@conspiracy_shine石上、伴、石川の歴史的トータル勝率謎に高い。
おもしれー😮
すんだ
実は女性側から子孫が生き残ってる歴史はよくあるんだよなあ~軽視しすぎてるケドね。まあ男が認めたくないんだろうね
軽視しすぎているというよりは女性のXX染色体だと辿れないからではないですかね男性のXY染色体ならYを見れば(突然変異があったとしても)高い確率で辿れますし
嵯峨氏には蘇るという文字は含まれてはいませんよ。⁉️
そーがそーが
俺の先祖が土師で渡来して帰化した人であると思いますが。埴輪を造っていたと、兵馬俑を殉死の代りに秦の始皇帝の兵馬俑は有名ですね。埴輪は古い説で兵馬俑の代りだったことが日本書紀に書いてありますが。聖徳太子は蘇我氏に葛城氏という説もあり得ますねぇ。蘇我の入鹿の行為は極端なものでしたが、当時は政治的に横暴でも天誅だと云って、蘇我氏自身も邪悪な悪いことには内部分裂して、倉山田石川麻呂を自分もその時には支持するが。乙巳の変、蘇我氏は天皇の地位を狙う、恥ずべき者だと云う事になっていますが、それの歴史もアリと云うことになって仕舞って、蘇我の倉山田氏が天皇権を上回らずして、石川麻呂を暗殺した天皇の周りで政争が繰り返されるが、天皇の采配の下で天皇に頭を下げて連子(むらじこ)の蘇我の安麿呂(やすまろ)とか続いて行き、奈良時代にはがピリオッドで、石川の名前に蘇我氏が変わったと云う子孫が続いて行くのだが。俺は神奈川県の酒匂川付近の曾我庄のアノ部の者であるのであるが。天皇を革命せずに天皇万歳!?石川優子さんも石川ひとみさんも優れ過ぎの蘇我?ゴルフの石川遼君がモトの蘇我氏であったことは明らかであるが。宗我神社と云うものも在ったなぁ?
河野洋平&河野太郎を連想して仕舞った(怒)🙄🤔🤨😡🤬Godd… Fu…
蘇我氏=日本古来の土着人中臣=朝鮮渡来系と昔聞いたことがある。
違うぞまあ日本人自体がほとんど渡来した弥生人の末裔という意味では渡来系だけど
入鹿、蝦夷、馬子などその名前も勝者の藤原氏によって付けられた下賎な偽名という説も有力よね。今の日本の歴史も古代は藤原氏、中世は源氏や足利氏、戦国以降は徳川家、明治以降は政府によって歪められた歴史を含むことも理解しておかないとね。
蝦夷なんて北方の蛮族扱いされていた人々の名を名乗る筈ないもんね。で、中臣鎌足の子孫も同じ様に天皇家を侵食してる訳だ。
大体、歴史というのは勝者が作ったものと考えても良いと思います。そもそも蘇我馬子、蝦夷、入鹿とふざけた名前を権力の中枢にいた彼らが自分の名前に付けるかな?と思いますよね。中臣鎌足もトミという字を使っているのが怪しいと言う説もありますよね。
その説はすでに否定されてるぞ歴史が歪められてるという安易で無根拠で素人目線なコメント
今現在も勝者のアメリカによって歪められてると思う。明治維新は明確に勝者によって歪められてると思う。フルベッキ写真の存在を知れば、「国際金融資本によってやらされた革命だった」ってことがわかる。
明治維新の時点で日本は死んだ。
蘇我氏が渡来人なら藤原氏が喜んで記紀に書き残しているでしょう。
藤原鎌足自身が百済の王子と言う話もあるからね。もしそれが本当なら、下手な事書いたら藪蛇になっちゃうよ。
入鹿やら蝦夷やらとんでもねえ名前をつけられてるあたり、当時の王朝側にめっちゃくちゃ嫌われてたのがよくわかるよな。本名なんだったんだろな。
自分も蘇我氏はそれなりの悪事はやったけど、後世の同様な人達とくらべて取り立ててってほどじゃないとおもいます。自分が小さいころはそりゃもう漫画などで悪逆非道な書かれかたをしてきましたが、最近はちゃんとみなおされてきてるとおもいます。聖徳太子という謎の存在をつくりあげたのも、蘇我氏の功績を薄めたかったからじゃないかとおもっています。その理由としては、自分勝手な理由で引き起こしたクーデターでぬっ頃しちゃったもんだから正当化する必要があったからじゃないかと思います。当事者の中大兄皇子が天皇に即位してからの悪逆非道っぷりったらとても肯定できるものじゃないですしね。いつか中大兄皇子や中臣鎌足らが廃棄しそこなった歴史史料がでてきて、そのへんの真実があきらかになることを期待してます。
「日出処の天子」読み返したくなったよ~!
懐かしいです♪Kindleで入手してあるよー!
藤原氏より悪どいとは思えない
それで正解かと実際いまは藤原氏の横暴で藤原隆盛以前の歴史はかなり書き換えられたという考えが普通になってきました。結局藤原氏は政権盗ったあとはまともな仕事をせず国は滅茶苦茶になるのですから、藤原氏が悪を成敗したと考えるのは難しいです。
@@JK-akari大体いつも長屋王と言い、蘇我蝦夷と言い、菅公と言い、大津皇子と言い、滅茶苦茶頑張ってる人の横から水差して後を考えず功績だけ分捕ってぐちゃぐちゃにして後は放置しがちなのが藤原だもの。そして別氏族や皇族ががそのケツを拭いたり、反抗して藤原の欠陥政治構造ぶっ壊れるまでワンセット。
蘇我氏が渡来じゃなく、蘇我氏は出雲系、長髄彦系中臣氏は渡来系、そして渡来系と協力して天孫族(天皇)が出雲系を表舞台から完全に引き摺り下ろして日本を天孫族一色に塗り替えた歴史的大事件が大化の改新。という考察がリアリティとロマンに溢れて好き
日本は大和民族の単一民族国家って洗脳が強いけど、実際鎌倉時代ぐらいまでは異民族がウヨウヨいたそうな。インド系手長足長族(土蜘蛛?)出雲系中東民族(蝦夷?日高見国?)ポリネシア系海洋民族(熊襲?)徐福系大陸民族、天孫族で五色人の完成?胸熱ロマン
竹取物語、曽我物語、神武東征、天孫降臨のモデルが大化の改新だと思ってる鎌足=ニニギ=天武だとしたらな
曽我氏→宗岡か… 知らんかったわ><
鹿児島県の沖永良部島の住民だけど集落単位では全国一の人数の宗岡です。
とても面白かったです!…厩戸皇子と蘇我馬子(まあ、二人の呼び名からして示唆的ですが…)が作った史書といわれる、天皇記と国記。乙巳の変で蘇我宗家の館が焼けた際に焼失した、とのことですが、そんな大事な史書がどうして蘇我の館「だけ」にあったんでしょうね?焼失したから編纂されたのが記紀ですし。とかその他もろもろ、蘇我氏関連の色々な説や謎は、正しいかどうかは別にして面白過ぎます☺️
地元に西暦729年前後から存在する、蘇我氏一族が造ったと思われる宗我神社って場所あるんだけど、主祭神が不明なんだよね。蘇我氏が祀った神は誰だったのか・・・凄く気になってます。
蘇我氏が祀った神様なら武内宿禰命と同一視される住吉の神ではないかな。住吉の神様は別名『道主貴(みちぬしのむち)』と呼ばれる神様で名前にむちが入ってる神様は天照大御神の別名おおひるめのむちとおおなむち等僅かしかいない別格の神様です。
道主貴は宗像三女神ですね
普通に祖神でしょ
聖徳太子の功績=蘇我氏の功績と考えるとすんなり入る
悪者扱いされていますが、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子も同様に強権政治を行なっている。没後に息子と弟が争うなど蘇我氏よりも酷い。
乙巳の変が、中臣氏の忠心によるものか立身の野望によるものかで180度解釈が変わってきますよね現実に中臣氏はその後藤原氏となりこの世の春をを謳歌してしまいますからねまた、乙巳の変によってそれまでの国史書が焼き滅ぼされ(蘇我氏邸にあったと推測される、あるいは蘇我氏とともに焼き失われたとして同時期に消失する)その後の藤原氏の世に書き直される古事記日本書紀の再編纂で日本の歴史はすべてがこれに倣うこととなるわけです勝ち残った藤原氏方に一方的な正義や分別があったとは到底思えませんむろん蘇我氏方に私利私欲が無かったなどとも思えませんが
中臣がこの世の春を謳歌したって?そんなわけないだろ。不比等が持統天皇に引き立てられるまで、中臣は不遇だよ。藤原を創設したのは、鎌足じゃない。不比等だよ。
悪とか悪じゃないとか浅いよねただの政治的な対立によるクーデター
中臣氏は白村江の戦い後10年間行方不明で、その後ひっこりカムバックしています!
蘇我という駅が千葉にある
大阪のとあるところに蘇我さんという一族がいらっしゃって、現在もお住まいです。いつから蘇我氏を名乗られているかは知らないし、家系図とかは見せてもらったことがないけど、ご本人曰く、古代の蘇我氏の末裔ということです。聖徳太子に関係するお寺の住職を代々務められています。それなりに有名なお寺さんです。そのお寺の子供が同級生にいたけど、大化の改新を歴史の授業で扱うときは、教室全体が複雑な感じだった。
遠つ飛鳥
☺☺☺
全国的にいるよ
氏と苗字は違うでしょw藤原さんと藤原氏とは無関係と一緒。
@@taroyamada3845 なぜ無関係と断言できる?氏を苗字にした例は皆無?
私は蘇我氏がハメられたと、いろんな解説書を読んで感じました。何故なら蘇我氏権力の中で庶民が苦しめられていたという内容がほぼ無い。逆に乙巳の変後、庶民の生活の弊害が読み取れる部分がある。要は一般人が平穏な生活が出来ていたかどうか?が歴史上また、いつの世も重要な事では?と思うからです。そう、片方を悪者にする必要はない事であり、乙巳の変はただ単にオラが1番!という権力闘争っていう様な意味合いでしかないのでは?って読み取ってます
私もそう思います。馬子とか蝦夷とか入鹿とか、蔑んだ名前が権力者によって付けられたんでは?って疑ってしまう。東北の縄文人、逃げた出雲族を蝦夷と言ったように。
@@user-8107-d2sその説は否定されてるぞ
当時日陰者だった中大兄が鎌足にそそのかされて、大王を暗殺したクーデター事件かな?
政治不信の責任を押し付けた説
自分も大学の講義で蘇我入鹿は当時日本の相当優秀な人材で名前もやたら長い名前で教わりましたね。若くして日本の外交、防衛を中心人物として仕切ってたようです。あまりに優秀な為、中大兄皇子や鎌足が危惧して排除に動いたとか。その為、日本は政治的に停滞する事になり、半島を失う遠因にもなった・・・というか中大兄皇子が無能でやっかんだという話。
蘇我氏って我、蘇りし○○って意味では無いの。❓️
蘇我とか宗岡とか関東の地名にあるけど、由来があるのかな?
宗我部がいたんじゃない?
磯田道史先生曰く、勝者の歴史・敗者の歴史・滅亡者の歴史で改竄されている。
馬子の古墳だけデカすぎ。
イナメとかエミシとかイルカとかウマコとか人間じゃ無いですよね。(稲・蝦夷・鹿・馬)蔑視するために後から付けられたという説もありますよね。
その節は否定されてるぞ当時は動物の名前をつけるなんて当たり前葛城氏には蟻臣、鴨氏には鴨蝦夷とかいるし
小野妹子もやらかしてるからイモコって名前だとか
だいじん は おおおみ になおしてほしかったなぁ。受け取り方がだいぶ違う。
よくわかりました。明日香に長く住みながらなかなか頭の中が整理できていなかったのですがやっと入ってきました。ありがとうございました🙇
てことは、藤原氏を祖先とする、近衛文麿が天皇家を凌ぐ権力を欲したのは、血筋の宿命だったと、、、ストンと腑に落ちました。
ソガといえば、出雲大社にある素鵞社(ソガシャ)があり、スサノオが祀られており、加えてスサノオが初めて宮を作ったという神社は須賀(スガ、ほぼソガ)神社蘇我が、我蘇りの意味であれば、アマテラスを祖とする皇統に対して、スサノオ→オオクニヌシの子孫として、再び政権中枢に返り咲いたことを表していると考えられる(武内宿禰のように再び大臣に、という我蘇りの方が時代は近いけど)そうすると武内宿禰もいわゆる出雲系なのかもしれない
自分も同じようなことを考えていました。
妄想に妄想を重ねるな
@@conspiracy_shine ではあなたはどう考えているのですか?
@@eguchikou7544 普通に飛鳥の地名由来でしょ
@@conspiracy_shine ではアスカの語源は?
友人に蘇我さんているけど?
根絶はしていないでしょう。😂
日向さんについては続日本紀の文武天皇の3年6月23日に日向王が卒すという記事があり、これが蘇我日向のことではないかと。
北野廃寺(愛知県岡崎市)奈良県に多数ある〇〇廃寺蘇我氏にまつわる寺、しかもどれもその地域で一番の古い寺が乙巳の変以降、蘇我氏憎しで潰されている?その当時大変なことが起きた、その衝撃を物語っているように思える。
蘇我氏って我蘇れりって意味もあるらしい。蘇我一族と中臣氏は今も付き合いが無い。
曽我、巷奇とも書くから関係ないよ
サムネの顔がムカつくのが👍描いたヤツの悪意を感じる。今も昔もそういう感情は変わらないのが面白い。
蘇我氏は単に勢力争いに破れて忘れられていっただけで悪逆非道と言うようなことは無いように思う。
ラブコメみたいな出会いからのクーデター→天智天皇爆誕→白村江で唐新羅軍にフルボッコ→大津へ移転/崩御→壬申の乱藤原氏一人勝ちでジワる
曾我や曽我部、長曽我部とその血脈を感じる。
曽我。十河。須賀。坂・・・邪馬台国 (やはた・ヤハト・やまだ)国。 戴斯烏越(たいしうえつ)が蘇我氏のたけしうち宿祢さん。焼かれた富士王朝やヤハト・ヤハタ・ヒロハタ・・・ヒメミコの先祖の故郷、息長氏(いぶきながよ)海女の霊力ノロやユタのシャーマンの故郷に繋がるウエツフミの布留言文(ふることふみ)がのこっていればエジプトの太陽の船。エジプトのヒエログリフが西都原古墳の死者の壁画の名蘇我知りたかった。 ヤハトはエジプトに連なる。太陽の鶏 八咫烏に行き着くあのアメのラマ船(天鳥船・太陽の船・鏡船 ガレイ船や環太平洋の島々を巡った白い神伝説と、死せるもの黄泉返す・・スクナヒコナの伝説は、行方知れずのベツレヘムの星・イヘフォシュア・ハリスウス(イエス・キリスト)伝説は言霊文化圏 ラー・フー イブキナガヨで死せるものを生き返らし病の者を道返したと居Y環太平洋ポリネシア・マオリー言霊伝説の息吹き神道ラーフー。。神語で「ラームー」は日本と環太平洋の島々に嶋時に格差R手いる。 日本こそ失われた地平線・・ラーフー文明の女護ヶ島だと言い切る。 身角足人
近くに蘇我屋って地名があるけど関係あるのかな🤔🤔
確か勝海舟も署名に「勝麟太郎蘇我義勝」って書いていたような、、、
はわわわわわ
歴史書燃やしたのだけはマジで許せない
枝豆野郎かわいいな
蘇我氏が完全悪だったとは思えないだよなぁ。むしろ中臣の方が…謎の四世紀についてもっと色々判明したらたくさんの点と点が繋がって分かってくるものもあるんだろうけど🤔
蘇我氏はなぜ変な変な名前なのですか?蝦夷なんていい意味じゃない気がするが?
蝦夷という名前は普通だぞ鴨蝦夷って人もいる
@@conspiracy_shine普通ではないだろう大和朝廷は蝦夷と戦争してたんだから。敵国の名前をつけるなんて普通あり得ない
@@松村クリス-x8b お前がお前の感覚で勝手に決めつけるなエミシって名前は普通にいるのくらい日本書紀読めばわかるぞ
@@conspiracy_shine 普通というわりに例が少なすぎる。最低あと五人は用意しなけりゃ。
@@NACHASH0224 阿部毛人・佐伯毛人・小野毛人・秦毛人・辛国毛人・広田毛人・中臣毛人・大石毛人・他田毛人・林毛人・火毛人・酒人毛人・大倭毛人・壱岐毛人・辛毛人・薏原毛人・大伴毛人etc...持たざる者に教えてやるのも持てる者の務めかぁ…
世界宗教・仏教を弘めるための方便にすぎない。
暗殺のシーンをVRでってアサシンズクリードじゃん!
蘇我氏が名を変えて、現在でもある曽我さんは出来過ぎかな?蘇我入鹿の専横が酷いから乙巳の変で惨殺され、その後藤原(中臣)も皇室内を牛耳り因果応報だな。25:09西園寺(さいえんじ)ではなく(さいおんじ)でしょうが!
無茶をやったのは藤原氏も同じなのに藤原氏は現代まで続いてるよね。やっぱり天皇の廃立に関わるとダメなんだな。
藤原氏も普通に天皇の廃立に関わってるぞ藤原氏はただ対立した人間の処理の仕方がうまかったってだけ
細かいけど役所名ですから「大宰府(だいざいふ)」ですね。蘇我氏の台頭は、謎の多い継体欽明の乱から見なければなりませんかね。
埼玉県志木市に宗岡、って地名があるんですが、それも蘇我氏と何か関係あるんですかね…字も読みも同じなので…
6世紀ごろ、この地に蘇我の一族が入植しました。平安末期まで500年ここを治めました。
宗岡の近くです!この辺りは6世紀から栄えていたのですね
関係ないよー
昔の教科書ではこのことを大化の改新と呼ばれていたな。アップデートしなければならないかも。
蘇我氏=聖徳太子
蘇我と曽我、また違う流れですかねぇ?
同じだよ
大和山城の豪族だったのでしょう。天皇家と同格だったと思えますが。
本当かどうか解らないけど、長宗我部元親が蘇我氏の子孫って話があるな。
蘇我氏に藤原氏天皇家の血はこの頃からかなり濃いね
蘇我氏って邪馬台国出身という話しがありますがどうなんでしょうか。
無関係
@@conspiracy_shine そかそか
悪人だったのは蘇我馬子、蝦夷、入鹿で他の蘇我氏は結構まともだったみたいよ
北に拉致された曽我ひとみさんも関係あんのかなぁ?
藤原の名字は金で売買された時代があるので正しい血筋じゃ無い方も居られます。😅💧
クーデター起こす方も悪くね、高等な政治の話なんだろうけど
そんなのいるか?😂蘇我のいるか 小野妹子が滋賀県に高島市辺りになんか見たような😂
天皇家を蘇我氏が侵食したと言うよりも蘇我氏が天皇(大王)を輩出する有力豪族家だったと言う方が早いのでは。その後の乙巳の変以降の日本政治の不可解さを見るとその方が自然と思えるのだけど。
天皇を輩出するのは皇族なんよ。総理大臣かなにかと思ってない?
そもそも中臣氏って、蘇我氏の別派なんだけどね。
愛知の石川だけど、勝手に蘇我氏と関係あるんだろうなぁと思っている
確か、戦国時代の長宗我部氏は蘇我氏の子孫を名乗っていたと思う。
山背大兄王=蘇我蝦夷と同一人物説を推す。
「ズンダモン」の声がカワイイが、これは人工的な合成❓️
蘇我が衰退したん大化の改新じゃ無いん?
当時の蘇我氏が本当に横暴だったかどうかは知りませんが、功績者であった事は確かなのでしょう。その謀殺を正当化する為に悪口を並べ立てて功績も聖徳太子(ほぼ架空?)がやった事にした史書を創作したのでは?と思うてる。
聖徳太子は実在してるぞ
因みに曾ての古代中華王国には馬祖師と呼ばれる海運の神様が居ましたしね。⁉️
宇宙皇子を思い出した(´▽`)ノ
あ、藤原不比等が出てきてた!
ソーガティースト? ソガって響きがアジア高地方面の膠着語話してる地域(イランー中国奥地)のそれ。500年辺りの大規模中国人入植イベント以前からいた日本原住民だとは間違いなく思う。因みに千葉のすぐ南に蘇我駅があり、内房線も外房線もここを通る。
中国人による千葉侵攻ルートは2つあって、1つは安房にベースキャンプを起き、いすみ夷隅→東端の銚子を回って鹿島神宮、香取神宮を経由し、利根川を遡上したルート。成田線沿いの駅にはみんな変な名前(キオロシ木下、アジキ安食、アビコ我孫子など)がついている。ここの地域は冬季の北東からの風が強すぎて普通の人間は住まないので、空白地帯に近かったと思われる。(寒風台小学校)それと鎌倉・鶴岡八幡宮から関東ダイレクト北上ルート。中国人は社稷をもって民族の象徴としていたので、神宮として運営する以前は、鶴岡・香取・鹿島の地点には社稷と同一視できる何かが置かれていたのだろう。
妄想はいいけど他人に押し付けないようにね
@@conspiracy_shineそう言って自分の妄想を他人に押し付けて回ってるんだね?知ってるよ。 辞めてね。
@@bertrand_sushibar_russell1679 あ、悔しかった?でも鸚鵡返しはダサいぞ
@@conspiracy_shine あ、悔しかった?でも鸚鵡返しはダサいぞ
蘇我氏の輝かしい功績を全て抹消するために地味な厩戸を神格化し功績を聖徳太子のものに書き換えた古代史by藤原氏
思えば、ウルトラ警備隊にも在籍してましたね。ソガ隊員……。まぁフィクションですけど。
自殺したけどな
こういうの楽しいよね(笑)
どこかの一族の血入ってるかな〜😳
積極的外交を求める朝廷と保守的外交を求める蘇我大臣という対立だと思っています。
○○藤か…「伊藤!」「よう!加藤」
「イナメとかエミシとかイルカとかウマコとか人間じゃ無いですよね。」。そうです。誰のことか分からなくするためにこのような名前で呼ぶのです。「乙巳の変」はかつて「大化の改新」と呼ばれていました。そして「大化」という年号は大和朝廷にはなく(645~650年の大和年号は作り話)、695~699年の九州年号です(二中歴参照)。そしてこの間に大和朝廷(日本)は倭国王薩耶麻を殺害し、倭国を併合してしまいました。すなわち、曽我入鹿は九州王薩耶麻であろうと考えます。そして聖徳太子はこの薩耶麻の祖父のアメタリシヒコ(天垂りし彦)を指します。アメタリシヒコは倭国王で「皇太子」ではないと考える方がいると思いますが、皇太子制は天武天皇か持統天皇の時代にできたもので、聖徳太子の頃にはありませんでした。つまり、アメタリシヒコが聖徳大師と呼ばれていて、その存在を消したいため、皇太子制を導入するとともに「聖徳大師」を「聖徳太子」と呼ぶように命じたのではないでしょうか。
蝦夷が古書文庫に放火して自害していなければ、今ごろ古事記以前の日本の歴史も解明されてたんだけどなぁ…
蝦夷が火を放つ必要もなく、普通に自害では無く殺害時に放火したと思いますよ。
そもそも、蘇我。ですらなく石川臣(大臣)家蘇我臣や巨勢臣、平群臣、石川臣、は皆、本姓は武内臣家(渡来系(突き詰めたら徐福が始祖))で皆、親戚。(また、元出雲王家富家の女婿(武内臣(宿禰)大田根さま(3世紀後半~4世紀))~女系親戚)それぞれ分家して盤踞(本拠と)した地名にちなんでの名字。蘇我本家は北陸の雄。継体天皇が平群(臣)大王家(王朝)に半ば無理やり婿養子入りさせられた際は、元出雲王家の次男から蘇我本家に婿養子入り~当主となっていて蘇我オホド王だった。↑のオホド大王、継体天皇が平群(武内)王朝に招請、共立された最大の決め手が平群大王家のみ成らず重臣たちの本宗家である元出雲王家富家の出身、だったから。御輿を担ぐのに最も最適な血筋だった。↑を記紀神話は天照大神の天岩戸開き~再臨した天照大神(出雲王家、王朝の比喩)とした。もとい。蘇我にされた石川大臣(おほおみ)家また有名な所謂、蘇我三代も名前が悪意の改ざんがされて巨勢臣家に石川臣家から養子入りしたのが巨勢(石川)臣稲目。石川臣家は河内国の近つ飛鳥の出身。大和川の支流、石川の流域が武内臣(宿禰)家の子孫、石川臣家の地盤だった。蘇我馬子❌→⭕石川臣麻古蘇我蝦夷❌→⭕石川臣雄正蘇我入鹿❌→石川臣林太郎巨勢(石川)臣稲目は大蔵の仕事を受け持った。子孫にもその仕事をするように命じた。大蔵の仕事は石川臣家の世襲となった。大蔵は租税を集め管理するだけでなく官吏に給料を与える役目も行った。それから官吏の任命や昇任の原案を司った。それで官人たちは石川臣に頭が上がらなくなった。石川臣家は大王(天皇)家に次ぐ家となった云々(伝承の日本史 飛鳥文化と宗教争乱 勝 友彦著。大元出版(元出雲王家富家伝承~)第三章越前出身の大王 E.河内出身の石川臣家p43~47 )
はいアウトー
石川氏が蘇我氏の分家なのは通説というか周知の事実だぞ
ずいずいずっころばしの歴史解釈。隋の中臣鎌足は唐(唐物茶壺)に追われて倭国(九州)に逃げ込みました、倭人(俵のねずみ)と揉め、中大兄皇子と組み、お宮の庭にあった井戸の回りで蘇我氏(茶碗)を暗殺(欠いた)。乙巳の変である。
そう。ワシというか自分はこのままだけれども、ずんだ門家は古来より名を変えて来てるし。下衆家なのかな!?現在はそう名乗っておられてか!?
中世の鎌倉佛教の中の1人曹洞宗の道元禅師が宗に留学する時の先輩の僧侶が蘇我氏の流れの人だったと伝記作家が書いていました。先輩の僧侶は上座部佛教系戒律を守る手続きを済ませていたので直ぐ中国大陸に上陸出来ましたが道元は大乗佛教系戒律を守る手続きだけだったので上陸出来ず道元は文書で上陸許可を求めていましたので奈良の寺院は上座部佛教の戒律も教えていたが京都から滋賀(比叡山延暦寺の領域)は大乗佛教の戒律と密教を教えていた経典の違いが記述されていましたが蘇我氏の信仰した佛教は上座部佛教の経典が多かった様に思う。しかし先に中国大陸に上陸出来た僧侶は中国大陸で亡くなり、逆に道元はモンゴル族が中国大陸を制覇する直前に無事に日本に帰国出来たのは運命の悪戯の様に私は感じます。他に昭和の人でペンネーム司馬遼太郎氏が蘇我氏の末裔説を見ました。司馬遼太郎の全作品の解説書(新聞記者時代の名の時は何と現代小説も書いていましたが余り売れ無かった様に思います)を買って読みましたが、大学教授をしているらしい著者の調べた限りの司馬遼太郎の略歴を読むと母親が蘇我氏の末裔の様に記述していました。今は個人情報保護があるので戸籍調べられませんが昔は研究者が作家の戸籍調べたりしているので昔の本を読むと驚く事があります。略歴からは司馬遼太郎は外国語はモンゴル語(清の王朝の人々はモンゴル語系の言葉を使用したらしい)学び外交官希望が時代が時代だったので入隊し戦車隊に所属し、戦後は新聞記者にもなり中東のアラビアンナイト位の知識しか日本人に無い時代に中東を舞台の小説を書いたりして知名度を上げてから時代小説を書いていたのだと判ります。西への知識欲の高い氏族だと中世と昭和に文献に現れる蘇我氏の末裔を思いました。
ジャンジャカ嫁がせるのだあ。
「乙巳の変」なんて初耳ですよそんな歴史用語あるんだw
かつて大化の改新だったもの
😁WWWW
まあ、上級層はみんな大陸から来てるでしょ
半分位では。藤原氏は半島から。
@@どうく-p8u違うぞ
まあ日本人自体がほとんど渡来した弥生人の末裔だからな
半島を侵略した時に女の捕虜を大量に連れてきたんだよ
蘇我氏って四隅突出型古墳の流れで考えると出雲族と関係があったみたいだね。
乙巳の変の原因は蘇我氏の横暴じゃなくて百済滅亡に対してどう対処するか、親新羅・唐派(蘇我)と親百済派(中大兄皇子・中臣)の対立から起きたクーデターだったのではないかと思う。
>@user-mc9kh8bx7d 「出雲口伝」を読むことをお勧め。
曽我氏は出雲系で縄文文化と融合した・・ 4000年前、古代出雲族はインドからやって来たドラヴィダ族であり、
アーリア人によって侵略され、クナト王に率いられてガネーシャ(サルタヒコ)(イザナギ・イザナミ)など三神
と一緒に日本列島へ、青森三内丸山遺跡を経て出雲へやって来た。
出雲では今でも 神無月を神有月と呼び、全国八百万の神が出雲に集結すると言う。
1万年以上も戦争がなく平和だった縄文印度系に対し、中華系渡来人の秦氏などは弥生系で好戦的。
物部氏は後の藤原氏や天孫降臨系で 徐福は筑紫では「ニギハヤヒ」を名乗り、丹後国ではホアカリを名乗ったので、
徐福=ニギハヤヒ=ホアカリ=スサノオ と同一人物。
乙巳の変などは 曽我氏と物部氏の対立で、この10年後に古事記が編纂され 勝った物部氏の意向で
中華系仏教(当時は道教)が導入されることとなった。
そう 百済滅亡で 中華とどう対応するかを迫られたのだ、
横暴と言うより外交政治的イザコザそれで合ってるって研究のが最近挙がってる。
名前は動物であとからつけられた蔑称かもしれないが。
我は蘇る、みたいな氏はカッコイイね。
その説否定されてるぞ
当時は動物の名前をつけるなんて当たり前
葛城氏には蟻臣、鴨氏には鴨蝦夷とかいるし
馬子と入鹿2人並べると馬鹿になる。自分の子供(もしくは本人)がこんな名前付けるかね?
しかも、蝦夷ってもろ朝敵の事だもんねw
そっか、今は大化の改新ではなく、乙巳の変になったんだっけ。
未だに違和感ー笑
ただ一言
いつから変わった?
@@とーげん-k8n
私はしらないけど、QuizKnockをみて知りました笑
実質的に完全衰退したのは、壬申の乱以降ですね。
うちも中国地方の庄屋だが、奈良時代まで遡ると大伴氏だったらしい(wiki調べ)。没落してもけっこう裕福だったりする。
物部と大伴部ってどこにでもいるよな
@@conspiracy_shine石上、伴、石川の歴史的トータル勝率謎に高い。
おもしれー😮
すんだ
実は女性側から子孫が生き残ってる歴史はよくあるんだよなあ~軽視しすぎてるケドね。まあ男が認めたくないんだろうね
軽視しすぎているというよりは女性のXX染色体だと辿れないからではないですかね
男性のXY染色体ならYを見れば(突然変異があったとしても)高い確率で辿れますし
嵯峨氏には蘇るという文字は含まれてはいませんよ。⁉️
そーがそーが
俺の先祖が土師で渡来して帰化した人であると思いますが。埴輪を造っていたと、兵馬俑を殉死の代りに秦の始皇帝の兵馬俑は有名ですね。埴輪は古い説で兵馬俑の代りだったことが日本書紀に書いてありますが。聖徳太子は蘇我氏に葛城氏という説もあり得ますねぇ。蘇我の入鹿の行為は極端なものでしたが、当時は政治的に横暴でも天誅だと云って、蘇我氏自身も邪悪な悪いことには内部分裂して、倉山田石川麻呂を自分もその時には支持するが。乙巳の変、蘇我氏は天皇の地位を狙う、恥ずべき者だと云う事になっていますが、それの歴史もアリと云うことになって仕舞って、蘇我の倉山田氏が天皇権を上回らずして、石川麻呂を暗殺した天皇の周りで政争が繰り返されるが、天皇の采配の下で天皇に頭を下げて連子(むらじこ)の蘇我の安麿呂(やすまろ)とか続いて行き、奈良時代にはがピリオッドで、石川の名前に蘇我氏が変わったと云う子孫が続いて行くのだが。俺は神奈川県の酒匂川付近の曾我庄のアノ部の者であるのであるが。天皇を革命せずに天皇万歳!?石川優子さんも石川ひとみさんも優れ過ぎの蘇我?ゴルフの石川遼君がモトの蘇我氏であったことは明らかであるが。宗我神社と云うものも在ったなぁ?
河野洋平&河野太郎を連想して仕舞った(怒)
🙄🤔🤨😡🤬Godd… Fu…
蘇我氏=日本古来の土着人
中臣=朝鮮渡来系
と昔聞いたことがある。
違うぞ
まあ日本人自体がほとんど渡来した弥生人の末裔という意味では渡来系だけど
入鹿、蝦夷、馬子などその名前も勝者の藤原氏によって付けられた下賎な偽名という説も有力よね。
今の日本の歴史も古代は藤原氏、中世は源氏や足利氏、戦国以降は徳川家、明治以降は政府によって歪められた歴史を含むことも理解しておかないとね。
蝦夷なんて北方の蛮族扱いされていた人々の名を名乗る筈ないもんね。
で、中臣鎌足の子孫も同じ様に天皇家を侵食してる訳だ。
大体、歴史というのは勝者が作ったものと考えても良いと思います。そもそも蘇我馬子、蝦夷、入鹿とふざけた名前を権力の中枢にいた彼らが自分の名前に付けるかな?と思いますよね。中臣鎌足もトミという字を使っているのが怪しいと言う説もありますよね。
その説はすでに否定されてるぞ
歴史が歪められてるという安易で無根拠で素人目線なコメント
今現在も勝者のアメリカによって歪められてると思う。
明治維新は明確に勝者によって歪められてると思う。
フルベッキ写真の存在を知れば、「国際金融資本によってやらされた革命だった」ってことがわかる。
明治維新の時点で日本は死んだ。
蘇我氏が渡来人なら藤原氏が喜んで記紀に書き残しているでしょう。
藤原鎌足自身が百済の王子と言う話もあるからね。
もしそれが本当なら、下手な事書いたら藪蛇になっちゃうよ。
入鹿やら蝦夷やらとんでもねえ名前をつけられてるあたり、当時の王朝側にめっちゃくちゃ嫌われてたのがよくわかるよな。
本名なんだったんだろな。
自分も蘇我氏はそれなりの悪事はやったけど、後世の同様な人達とくらべて取り立ててってほどじゃないとおもいます。自分が小さいころはそりゃもう漫画などで悪逆非道な書かれかたをしてきましたが、最近はちゃんとみなおされてきてるとおもいます。聖徳太子という謎の存在をつくりあげたのも、蘇我氏の功績を薄めたかったからじゃないかとおもっています。その理由としては、自分勝手な理由で引き起こしたクーデターでぬっ頃しちゃったもんだから正当化する必要があったからじゃないかと思います。当事者の中大兄皇子が天皇に即位してからの悪逆非道っぷりったらとても肯定できるものじゃないですしね。いつか中大兄皇子や中臣鎌足らが廃棄しそこなった歴史史料がでてきて、そのへんの真実があきらかになることを期待してます。
「日出処の天子」読み返したくなったよ~!
懐かしいです♪Kindleで入手してあるよー!
藤原氏より悪どいとは思えない
それで正解かと
実際いまは藤原氏の横暴で藤原隆盛以前の歴史はかなり書き換えられたという考えが普通になってきました。
結局藤原氏は政権盗ったあとはまともな仕事をせず国は滅茶苦茶になるのですから、藤原氏が悪を成敗したと考えるのは難しいです。
@@JK-akari大体いつも長屋王と言い、蘇我蝦夷と言い、菅公と言い、大津皇子と言い、滅茶苦茶頑張ってる人の横から水差して後を考えず功績だけ分捕ってぐちゃぐちゃにして後は放置しがちなのが藤原だもの。そして別氏族や皇族ががそのケツを拭いたり、反抗して藤原の欠陥政治構造ぶっ壊れるまでワンセット。
蘇我氏が渡来じゃなく、
蘇我氏は出雲系、長髄彦系
中臣氏は渡来系、そして渡来系と協力して天孫族(天皇)が出雲系を表舞台から完全に引き摺り下ろして日本を天孫族一色に塗り替えた歴史的大事件が大化の改新。という考察がリアリティとロマンに溢れて好き
日本は大和民族の単一民族国家って洗脳が強いけど、実際鎌倉時代ぐらいまでは異民族がウヨウヨいたそうな。
インド系手長足長族(土蜘蛛?)出雲系中東民族(蝦夷?日高見国?)ポリネシア系海洋民族(熊襲?)徐福系大陸民族、天孫族で五色人の完成?胸熱ロマン
竹取物語、曽我物語、神武東征、天孫降臨のモデルが大化の改新だと思ってる
鎌足=ニニギ=天武だとしたらな
曽我氏→宗岡か… 知らんかったわ><
鹿児島県の沖永良部島の住民だけど
集落単位では全国一の人数の宗岡です。
とても面白かったです!
…厩戸皇子と蘇我馬子(まあ、二人の呼び名からして示唆的ですが…)が作った史書といわれる、天皇記と国記。
乙巳の変で蘇我宗家の館が焼けた際に焼失した、とのことですが、そんな大事な史書がどうして蘇我の館「だけ」にあったんでしょうね?
焼失したから編纂されたのが記紀ですし。
とかその他もろもろ、蘇我氏関連の色々な説や謎は、正しいかどうかは別にして面白過ぎます☺️
地元に西暦729年前後から存在する、蘇我氏一族が造ったと思われる宗我神社って場所あるんだけど、主祭神が不明なんだよね。
蘇我氏が祀った神は誰だったのか・・・凄く気になってます。
蘇我氏が祀った神様なら武内宿禰命と同一視される住吉の神ではないかな。住吉の神様は別名『道主貴(みちぬしのむち)』と呼ばれる神様で名前にむちが入ってる神様は天照大御神の別名おおひるめのむちとおおなむち等僅かしかいない別格の神様です。
道主貴は宗像三女神ですね
普通に祖神でしょ
聖徳太子の功績=蘇我氏の功績と考えるとすんなり入る
悪者扱いされていますが、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子も同様に強権政治を行なっている。
没後に息子と弟が争うなど蘇我氏よりも酷い。
乙巳の変が、中臣氏の忠心によるものか立身の野望によるものかで180度解釈が変わってきますよね
現実に中臣氏はその後藤原氏となりこの世の春をを謳歌してしまいますからね
また、乙巳の変によってそれまでの国史書が焼き滅ぼされ(蘇我氏邸にあったと推測される、あるいは蘇我氏とともに焼き失われたとして同時期に消失する)その後の藤原氏の世に書き直される古事記日本書紀の再編纂で日本の歴史はすべてがこれに倣うこととなるわけです
勝ち残った藤原氏方に一方的な正義や分別があったとは到底思えません
むろん蘇我氏方に私利私欲が無かったなどとも思えませんが
中臣がこの世の春を謳歌したって?そんなわけないだろ。
不比等が持統天皇に引き立てられるまで、中臣は不遇だよ。
藤原を創設したのは、鎌足じゃない。不比等だよ。
悪とか悪じゃないとか浅いよね
ただの政治的な対立によるクーデター
中臣氏は白村江の戦い後10年間行方不明で、その後ひっこりカムバックしています!
蘇我という駅が千葉にある
大阪のとあるところに蘇我さんという一族がいらっしゃって、現在もお住まいです。
いつから蘇我氏を名乗られているかは知らないし、家系図とかは見せてもらったことがないけど、
ご本人曰く、古代の蘇我氏の末裔ということです。
聖徳太子に関係するお寺の住職を代々務められています。それなりに有名なお寺さんです。
そのお寺の子供が同級生にいたけど、大化の改新を歴史の授業で扱うときは、教室全体が複雑な感じだった。
遠つ飛鳥
☺☺☺
全国的にいるよ
氏と苗字は違うでしょw藤原さんと藤原氏とは無関係と一緒。
@@taroyamada3845
なぜ無関係と断言できる?
氏を苗字にした例は皆無?
私は蘇我氏がハメられたと、いろんな解説書を読んで感じました。
何故なら蘇我氏権力の中で庶民が苦しめられていたという内容がほぼ無い。
逆に乙巳の変後、庶民の生活の弊害が読み取れる部分がある。
要は一般人が平穏な生活が出来ていたかどうか?が歴史上また、いつの世も
重要な事では?と思うからです。
そう、片方を悪者にする必要はない事であり、乙巳の変はただ単にオラが1番!という権力闘争っていう様な意味合いでしかないのでは?って読み取ってます
私もそう思います。馬子とか蝦夷とか入鹿とか、蔑んだ名前が権力者によって付けられたんでは?って疑ってしまう。東北の縄文人、逃げた出雲族を蝦夷と言ったように。
@@user-8107-d2sその説は否定されてるぞ
当時日陰者だった中大兄が鎌足にそそのかされて、大王を暗殺したクーデター事件かな?
政治不信の責任を押し付けた説
自分も大学の講義で蘇我入鹿は当時日本の相当優秀な人材で名前もやたら長い名前で教わりましたね。若くして日本の外交、防衛を中心人物として仕切ってたようです。あまりに優秀な為、中大兄皇子や鎌足が危惧して排除に動いたとか。
その為、日本は政治的に停滞する事になり、半島を失う遠因にもなった・・・というか中大兄皇子が無能でやっかんだという話。
蘇我氏って
我、蘇りし○○って意味では無いの。❓️
蘇我とか宗岡とか関東の地名にあるけど、由来があるのかな?
宗我部がいたんじゃない?
磯田道史先生曰く、勝者の歴史・敗者の歴史・滅亡者の歴史で改竄されている。
馬子の古墳だけデカすぎ。
イナメとかエミシとかイルカとかウマコとか人間じゃ無いですよね。
(稲・蝦夷・鹿・馬)
蔑視するために後から付けられたという説もありますよね。
その節は否定されてるぞ
当時は動物の名前をつけるなんて当たり前
葛城氏には蟻臣、鴨氏には鴨蝦夷とかいるし
小野妹子もやらかしてるからイモコって名前だとか
だいじん は おおおみ になおしてほしかったなぁ。受け取り方がだいぶ違う。
よくわかりました。明日香に長く住みながらなかなか頭の中が整理できていなかったのですがやっと入ってきました。ありがとうございました🙇
てことは、藤原氏を祖先とする、近衛文麿が天皇家を凌ぐ権力を欲したのは、血筋の宿命だったと、、、
ストンと腑に落ちました。
ソガといえば、出雲大社にある素鵞社(ソガシャ)があり、スサノオが祀られており、加えてスサノオが初めて宮を作ったという神社は須賀(スガ、ほぼソガ)神社
蘇我が、我蘇りの意味であれば、アマテラスを祖とする皇統に対して、スサノオ→オオクニヌシの子孫として、再び政権中枢に返り咲いたことを表していると考えられる
(武内宿禰のように再び大臣に、という我蘇りの方が時代は近いけど)
そうすると武内宿禰もいわゆる出雲系なのかもしれない
自分も同じようなことを考えていました。
妄想に妄想を重ねるな
@@conspiracy_shine ではあなたはどう考えているのですか?
@@eguchikou7544 普通に飛鳥の地名由来でしょ
@@conspiracy_shine ではアスカの語源は?
友人に蘇我さんているけど?
根絶はしていないでしょう。
😂
日向さんについては続日本紀の文武天皇の3年6月23日に日向王が卒すという記事があり、これが蘇我日向のことではないかと。
北野廃寺(愛知県岡崎市)
奈良県に多数ある〇〇廃寺
蘇我氏にまつわる寺、しかも
どれもその地域で一番の古い
寺が乙巳の変以降、蘇我氏憎しで潰されている?
その当時大変なことが起きた、
その衝撃を物語っているように
思える。
蘇我氏って我蘇れりって意味もあるらしい。
蘇我一族と中臣氏は今も付き合いが無い。
曽我、巷奇とも書くから関係ないよ
サムネの顔がムカつくのが👍
描いたヤツの悪意を感じる。
今も昔もそういう感情は変わらないのが面白い。
蘇我氏は単に勢力争いに破れて忘れられていっただけで悪逆非道と言うようなことは無いように思う。
ラブコメみたいな出会いからのクーデター→天智天皇爆誕→白村江で唐新羅軍にフルボッコ→大津へ移転/崩御→壬申の乱
藤原氏一人勝ちでジワる
曾我や曽我部、長曽我部とその血脈を感じる。
曽我。十河。須賀。坂・・・邪馬台国 (やはた・ヤハト・やまだ)国。
戴斯烏越(たいしうえつ)が蘇我氏のたけしうち宿祢さん。焼かれた富士王朝やヤハト・ヤハタ・ヒロハタ・・・ヒメミコの先祖の故郷、息長氏(いぶきながよ)海女の霊力ノロやユタのシャーマンの故郷に繋がるウエツフミの布留言文(ふることふみ)がのこっていればエジプトの太陽の船。エジプトのヒエログリフが西都原古墳の死者の壁画の名蘇我知りたかった。
ヤハトはエジプトに連なる。太陽の鶏 八咫烏に行き着くあのアメのラマ船(天鳥船・太陽の船・鏡船 ガレイ船や環太平洋の島々を巡った白い神伝説と、死せるもの黄泉返す・・スクナヒコナの伝説は、行方知れずのベツレヘムの星・イヘフォシュア・ハリスウス(イエス・キリスト)伝説は言霊文化圏 ラー・フー イブキナガヨで死せるものを生き返らし病の者を道返したと居Y環太平洋ポリネシア・マオリー言霊伝説の息吹き神道ラーフー。。神語で「ラームー」は日本と環太平洋の島々に嶋時に格差R手いる。
日本こそ失われた地平線・・ラーフー文明の女護ヶ島だと言い切る。
身角足人
近くに蘇我屋って地名があるけど関係あるのかな🤔🤔
確か勝海舟も署名に「勝麟太郎蘇我義勝」って書いていたような、、、
はわわわわわ
歴史書燃やしたのだけはマジで許せない
枝豆野郎かわいいな
蘇我氏が完全悪だったとは思えないだよなぁ。むしろ中臣の方が…
謎の四世紀についてもっと色々判明したらたくさんの点と点が繋がって分かってくるものもあるんだろうけど🤔
悪とか悪じゃないとか浅いよね
ただの政治的な対立によるクーデター
蘇我氏はなぜ変な変な名前なのですか?蝦夷なんていい意味じゃない気がするが?
蝦夷という名前は普通だぞ
鴨蝦夷って人もいる
@@conspiracy_shine
普通ではないだろう
大和朝廷は蝦夷と戦争してたんだから。
敵国の名前をつけるなんて普通あり得ない
@@松村クリス-x8b お前がお前の感覚で勝手に決めつけるな
エミシって名前は普通にいるのくらい日本書紀読めばわかるぞ
@@conspiracy_shine 普通というわりに例が少なすぎる。
最低あと五人は用意しなけりゃ。
@@NACHASH0224 阿部毛人・佐伯毛人・小野毛人・秦毛人・辛国毛人・広田毛人・中臣毛人・大石毛人・他田毛人・林毛人・火毛人・酒人毛人・大倭毛人・壱岐毛人・辛毛人・薏原毛人・大伴毛人etc...
持たざる者に教えてやるのも持てる者の務めかぁ…
世界宗教・仏教を弘めるための方便にすぎない。
暗殺のシーンをVRでってアサシンズクリードじゃん!
蘇我氏が名を変えて、現在でもある曽我さんは出来過ぎかな?
蘇我入鹿の専横が酷いから乙巳の変で惨殺され、その後藤原(中臣)も皇室内を牛耳り因果応報だな。
25:09西園寺(さいえんじ)ではなく(さいおんじ)でしょうが!
無茶をやったのは藤原氏も同じなのに藤原氏は現代まで続いてるよね。やっぱり天皇の廃立に関わるとダメなんだな。
藤原氏も普通に天皇の廃立に関わってるぞ
藤原氏はただ対立した人間の処理の仕方がうまかったってだけ
細かいけど役所名ですから「大宰府(だいざいふ)」ですね。
蘇我氏の台頭は、謎の多い継体欽明の乱から見なければなりませんかね。
埼玉県志木市に宗岡、って地名があるんですが、それも蘇我氏と何か関係あるんですかね…字も読みも同じなので…
6世紀ごろ、この地に蘇我の一族が入植しました。
平安末期まで500年ここを治めました。
宗岡の近くです!この辺りは6世紀から栄えていたのですね
関係ないよー
昔の教科書ではこのことを大化の改新と呼ばれていたな。アップデートしなければならないかも。
蘇我氏=聖徳太子
蘇我と曽我、また違う流れですかねぇ?
同じだよ
大和山城の豪族だったのでしょう。天皇家と同格だったと思えますが。
本当かどうか解らないけど、長宗我部元親が蘇我氏の子孫って話があるな。
蘇我氏に藤原氏
天皇家の血はこの頃からかなり濃いね
蘇我氏って邪馬台国出身という話しがありますがどうなんでしょうか。
無関係
@@conspiracy_shine
そかそか
悪人だったのは蘇我馬子、蝦夷、入鹿で
他の蘇我氏は結構まともだったみたいよ
北に拉致された曽我ひとみさんも関係あんのかなぁ?
藤原の名字は金で売買された時代があるので正しい血筋じゃ無い方も居られます。😅💧
クーデター起こす方も悪くね、高等な政治の話なんだろうけど
そんなのいるか?😂蘇我のいるか 小野妹子が滋賀県に高島市辺りになんか見たような😂
天皇家を蘇我氏が侵食したと言うよりも蘇我氏が天皇(大王)を輩出する有力豪族家だったと言う方が早いのでは。
その後の乙巳の変以降の日本政治の不可解さを見るとその方が自然と思えるのだけど。
天皇を輩出するのは皇族なんよ。総理大臣かなにかと思ってない?
そもそも中臣氏って、蘇我氏の別派なんだけどね。
愛知の石川だけど、勝手に蘇我氏と関係あるんだろうなぁと思っている
確か、戦国時代の長宗我部氏は蘇我氏の子孫を名乗っていたと思う。
山背大兄王=蘇我蝦夷と同一人物説を推す。
「ズンダモン」の声がカワイイが、これは人工的な合成❓️
蘇我が衰退したん大化の改新じゃ無いん?
当時の蘇我氏が本当に横暴だったかどうかは知りませんが、功績者であった事は確かなのでしょう。
その謀殺を正当化する為に悪口を並べ立てて功績も聖徳太子(ほぼ架空?)がやった事にした史書を創作したのでは?と思うてる。
聖徳太子は実在してるぞ
因みに曾ての古代中華王国には馬祖師と呼ばれる海運の神様が居ましたしね。⁉️
宇宙皇子を思い出した(´▽`)ノ
あ、藤原不比等が出てきてた!
ソーガティースト?
ソガって響きがアジア高地方面の膠着語話してる地域(イランー中国奥地)のそれ。
500年辺りの大規模中国人入植イベント以前からいた日本原住民だとは間違いなく思う。因みに千葉のすぐ南に蘇我駅があり、内房線も外房線もここを通る。
中国人による千葉侵攻ルートは2つあって、1つは安房にベースキャンプを起き、いすみ夷隅→東端の銚子を回って鹿島神宮、香取神宮を経由し、利根川を遡上したルート。成田線沿いの駅にはみんな変な名前(キオロシ木下、アジキ安食、アビコ我孫子など)がついている。ここの地域は冬季の北東からの風が強すぎて普通の人間は住まないので、空白地帯に近かったと思われる。(寒風台小学校)
それと鎌倉・鶴岡八幡宮から関東ダイレクト北上ルート。
中国人は社稷をもって民族の象徴としていたので、神宮として運営する以前は、鶴岡・香取・鹿島の地点には社稷と同一視できる何かが置かれていたのだろう。
妄想はいいけど他人に押し付けないようにね
@@conspiracy_shineそう言って自分の妄想を他人に押し付けて回ってるんだね?知ってるよ。 辞めてね。
@@bertrand_sushibar_russell1679 あ、悔しかった?でも鸚鵡返しはダサいぞ
@@conspiracy_shine あ、悔しかった?でも鸚鵡返しはダサいぞ
蘇我氏の輝かしい功績を全て抹消するために地味な厩戸を神格化し功績を聖徳太子のものに書き換えた古代史by藤原氏
思えば、ウルトラ警備隊にも在籍してましたね。ソガ隊員……。まぁフィクションですけど。
自殺したけどな
こういうの楽しいよね(笑)
どこかの一族の血入ってるかな〜😳
積極的外交を求める朝廷と保守的外交を求める蘇我大臣という対立だと思っています。
○○藤か…「伊藤!」「よう!加藤」
「イナメとかエミシとかイルカとかウマコとか人間じゃ無いですよね。」。そうです。誰のことか分からなくするためにこのような名前で呼ぶのです。「乙巳の変」はかつて「大化の改新」と呼ばれていました。そして「大化」という年号は大和朝廷にはなく(645~650年の大和年号は作り話)、695~699年の九州年号です(二中歴参照)。そしてこの間に大和朝廷(日本)は倭国王薩耶麻を殺害し、倭国を併合してしまいました。すなわち、曽我入鹿は九州王薩耶麻であろうと考えます。そして聖徳太子はこの薩耶麻の祖父のアメタリシヒコ(天垂りし彦)を指します。アメタリシヒコは倭国王で「皇太子」ではないと考える方がいると思いますが、皇太子制は天武天皇か持統天皇の時代にできたもので、聖徳太子の頃にはありませんでした。つまり、アメタリシヒコが聖徳大師と呼ばれていて、その存在を消したいため、皇太子制を導入するとともに「聖徳大師」を「聖徳太子」と呼ぶように命じたのではないでしょうか。
蝦夷が古書文庫に放火して自害していなければ、今ごろ古事記以前の日本の歴史も解明されてたんだけどなぁ…
蝦夷が火を放つ必要もなく、普通に自害では無く殺害時に放火したと思いますよ。
そもそも、
蘇我。ですらなく
石川臣(大臣)家
蘇我臣や巨勢臣、平群臣、石川臣、
は
皆、本姓は武内臣家(渡来系(突き詰めたら徐福が始祖))で
皆、親戚。
(また、元出雲王家富家の女婿(武内臣(宿禰)大田根さま(3世紀後半~4世紀))~女系親戚)
それぞれ分家して
盤踞(本拠と)した地名にちなんでの
名字。
蘇我本家は北陸の雄。
継体天皇が平群(臣)大王家(王朝)に
半ば無理やり婿養子入りさせられた際は、
元出雲王家の次男から蘇我本家に婿養子入り~当主となっていて
蘇我オホド王だった。
↑のオホド大王、継体天皇が
平群(武内)王朝に招請、共立された
最大の決め手が
平群大王家のみ成らず重臣たちの本宗家である
元出雲王家富家の出身、だったから。
御輿を担ぐのに最も最適な血筋だった。
↑を
記紀神話は
天照大神の天岩戸開き~再臨した
天照大神(出雲王家、王朝の比喩)とした。
もとい。
蘇我にされた
石川大臣(おほおみ)家
また有名な所謂、
蘇我三代も
名前が悪意の改ざんがされて
巨勢臣家に石川臣家から養子入りしたのが
巨勢(石川)臣稲目。
石川臣家は河内国の近つ飛鳥の出身。
大和川の支流、石川の流域が
武内臣(宿禰)家の子孫、石川臣家の地盤だった。
蘇我馬子❌
→⭕石川臣麻古
蘇我蝦夷❌
→⭕石川臣雄正
蘇我入鹿❌
→石川臣林太郎
巨勢(石川)臣稲目は
大蔵の仕事を受け持った。
子孫にもその仕事をするように命じた。
大蔵の仕事は石川臣家の世襲となった。
大蔵は租税を集め管理するだけでなく
官吏に給料を与える役目も行った。
それから官吏の任命や昇任の原案を司った。
それで官人たちは石川臣に頭が上がらなくなった。
石川臣家は大王(天皇)家に次ぐ家となった
云々
(伝承の日本史
飛鳥文化と宗教争乱 勝
友彦著。
大元出版(元出雲王家富家伝承~)
第三章
越前出身の大王
E.河内出身の石川臣家p43~47 )
はいアウトー
石川氏が蘇我氏の分家なのは通説というか周知の事実だぞ
ずいずいずっころばしの歴史解釈。隋の中臣鎌足は唐(唐物茶壺)に追われて倭国(九州)に逃げ込みました、倭人(俵のねずみ)と揉め、中大兄皇子と組み、お宮の庭にあった井戸の回りで蘇我氏(茶碗)を暗殺(欠いた)。乙巳の変である。
そう。ワシというか自分はこのままだけれども、ずんだ門家は古来より名を変えて来てるし。下衆家なのかな!?現在はそう名乗っておられてか!?
中世の鎌倉佛教の中の1人曹洞宗の道元禅師が宗に留学する時の先輩の僧侶が蘇我氏の流れの人だったと伝記作家が書いていました。
先輩の僧侶は上座部佛教系戒律を守る手続きを済ませていたので直ぐ中国大陸に上陸出来ましたが道元は大乗佛教系戒律を守る手続きだけだったので上陸出来ず道元は文書で上陸許可を求めていましたので奈良の寺院は上座部佛教の戒律も教えていたが京都から滋賀(比叡山延暦寺の領域)は大乗佛教の戒律と密教を教えていた経典の違いが記述されていましたが蘇我氏の信仰した佛教は上座部佛教の経典が多かった様に思う。
しかし先に中国大陸に上陸出来た僧侶は中国大陸で亡くなり、逆に道元はモンゴル族が中国大陸を制覇する直前に無事に日本に帰国出来たのは運命の悪戯の様に私は感じます。
他に昭和の人でペンネーム司馬遼太郎氏が蘇我氏の末裔説を見ました。
司馬遼太郎の全作品の解説書(新聞記者時代の名の時は何と現代小説も書いていましたが余り売れ無かった様に思います)を買って読みましたが、大学教授をしているらしい著者の調べた限りの司馬遼太郎の略歴を読むと母親が蘇我氏の末裔の様に記述していました。
今は個人情報保護があるので戸籍調べられませんが昔は研究者が作家の戸籍調べたりしているので昔の本を読むと驚く事があります。
略歴からは司馬遼太郎は外国語はモンゴル語(清の王朝の人々はモンゴル語系の言葉を使用したらしい)学び外交官希望が時代が時代だったので入隊し戦車隊に所属し、戦後は新聞記者にもなり中東のアラビアンナイト位の知識しか日本人に無い時代に中東を舞台の小説を書いたりして知名度を上げてから時代小説を書いていたのだと判ります。
西への知識欲の高い氏族だと中世と昭和に文献に現れる蘇我氏の末裔を思いました。
ジャンジャカ嫁がせるのだあ。
「乙巳の変」なんて初耳ですよ
そんな歴史用語あるんだw
かつて大化の改新だったもの
😁WWWW
まあ、上級層はみんな大陸から来てるでしょ
半分位では。藤原氏は半島から。
@@どうく-p8u違うぞ
まあ日本人自体がほとんど渡来した弥生人の末裔だからな
半島を侵略した時に女の捕虜を大量に連れてきたんだよ