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ご覧いただきありがとうございます。日本の足軽もなかなかの戦闘力を持っていたことが分かっていただけたのではないでしょうか。皆さんもぜひ、名古屋城で足軽の踊舞さん、なつさんにも会いに来てください!お待ちしています。
普通にある戦国武将の話だけでなく色々な観点から戦国時代を考察してくれるので物凄く面白いです。
補給に対する意識はどこで日本は失っていったのかなあ戦国時代は補給をめっちゃ丁寧に考えてる
資源が無い状況で戦争せざるをえないことになったら兵站はギャンブルにならざるをえないと思う。そもそも資源が無いのに開戦の判断をしたことが間違いだったと言えばそれはそうだけど日清日露は問題なかったと思うから、兵站に問題があったってのは大東亜だけよね。なお食糧すら輸入に頼る現代日本
日本は西洋に対して火器の導入が遅れてたけど関ケ原の戦いの頃には鉄砲の保有率40%と西洋とそんなに遜色なくなってる
なんなら関ヶ原当時で世界の30%の火縄銃を保有してたって説もあるよそれでスペインが日本の植民地化を諦めたと指摘する人もいるくらいには相当な数持ってたのは確かみたい
日本は鉄砲を量産してたから。しかもカスタマイズしてる。
大坂の陣では装備率50%超。戦闘での損失を考慮して多数の予備を持って行っており正確な数字は出しづらいが兵員の7割に達する鉄砲を保持していたのは間違いない。(たとえば伊達家は8割に及ぶとか)
用兵術や騎馬の扱いが違うのは単純に「地形の違い」。日本は山地や荒れ地が多いが、欧州は基本は平地がメイン。なのでそれに適した戦術が要求される。スイスの傭兵ですが、戦場ではスイスの傭兵団同士が戦闘をするのが珍しくなく、その精強さが伝わってスイスを守っていたのもある。傭兵の隊長は基本条件として「読み書きが出来る」がある。当時の欧州に識字率は「日本の半分以下」とすら言われた程・・・傭兵にも出世した人物がおり、「欧州版:雑賀孫一」こと「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(傭兵将軍の異名がある)」がいたりする。
フランス革命の際、王室派と革命派のそれぞれに雇われたスイス傭兵同士が戦ったようですね。 スイス各地で傭兵記念像のようなものを見かけました。
@@nyt7282031 もともと革命政権誕生までの仏軍は志願兵からなる王の私兵なので全員が(個人レベルでの雇用関係にある)傭兵と言ってもよいくらいなのですが、スイス人主体で構成されスイス人連隊と呼称される正規軍部隊が10個くらいあったはずです。今日の我々がイメージする徴兵による国家の軍隊というのは革命政権樹立後に他国からの干渉戦争に対応するために作られた制度なんです。
火縄銃の命中精度に関しては日本製が圧倒的に優れていたようで、現在でも「火縄銃射撃大会」などで使用される火縄銃の大半は日本製とか。 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる vs 百発百中 ですね。 なお数量面でも、関ケ原の戦いの際に東西両軍が用意した鉄砲の総数は、当時のヨーロッパ全土に存在した鉄砲の総数を大きく上回っていたそうです。
夜討ち朝駆けは戦の基本って言うくらいの基本戦術
こういうの本当待ってました🥰なかなか比べるの難しいと思いますが、武器の強さ比べとかも待ってます!
西洋でも、ポーランド相手ではかなり分が悪いと思いますね。パイク兵の代わりに、銃と大砲で援護されたフサリアと言うパイクより長い槍を装備した重装騎兵が突っ込んできます。しかも、彼等は長槍以外にも、サーベル、エストック。騎兵銃、ピストル、小型の複合弓、戦斧、棍棒等で装備してます。大砲や銃で武装したオスマントルコに包囲されたウィーンを、解放したどころかオスマン軍を壊滅しています。
この比較は 大変 すばらしい です!
分かりやすくて、タメになる😊
大砲も銃も装備した20万の明軍の精鋭が5000の薩摩に一方的に蹂躙殺戮されとるからなあ。
明が西洋と思ってるバカ発見。
ナンなら一つの国ではなく一つの藩としてイギリスと戦って、勝利したからね
中華王朝の軍隊って乱戦になると途端に弱くなるのが伝統で日本の戦国時代の戦法が今で言うとこの散兵戦術で乱戦に持ち込むだから相性が悪かったとも中華軍隊は隊列を揃えて陣形を組んだらめちゃくちゃ強いけど陣形が組めないと弱い(山岳戦やら攻城戦やら苦手)
でも、あの時代に戦国時代を生き抜いてきた数十万の兵士たちが、本気で世界を取りに行ったら強かっただろうね。
補給が要だった戦国時代から学ばなかった帝国陸海軍だった事になりますね。
いや、陸はそうだけど海軍の補給はすごいレベルだぞ。特に日露
西洋の軍隊の拠点には鍛冶師、商人、料理人、娼婦が居て、軍団一つが街のような形成をしてたって聞くし、もし夜襲されたら武器やら食糧やら色々奪われ放題だろうな…😨
21:01傭兵A「マジか!?」で吹いたw戦力がすごいけど補給が弱く、守るのに長けているけど追撃出来ないってのでナポレオンやらヒトラーのロシア(ソ連)遠征もそんな感じだったのかな。足軽も傭兵も勘弁だけど高評価とチャンネルもコメントもしたよ👍
全方位防御の方陣は効率が悪いから横隊戦術に移行したけど突っ立った状態で敵弾に身を晒しつつひたすら前進しないといけない地獄
日本は個別の兵士が一兵卒でも字が読める人もいたり、臨機応変に行動したりめちゃくちゃ優秀で、西洋の傭兵はおそらく、やる気の無い人達の寄せ集めで、そう言ったことが、欧米は人に期待せず制度や装備を整えて、日本は個人に頼ってという、日本によくない流れになったのかなぁと感じました。
戦国時代の足軽一兵卒でも字が読める人なんて1割もいないぞそれを言ったら西洋でも一兵卒でも字が読める人がいるだろよく言われる江戸時代の識字率もデマだから
第2次世界大戦の時の兵士は、字の読み書き出来ない者多かりし。本国人は出来るだろうけど、植民地からの兵士はと言う事ですね。本家中国は、孫子の兵忘れ、数多しで結局負ける。西洋も孫子の兵法伝わってるハズだけど。活かしきれて無いですよね。漢が建国されて、一番褒美名誉を賜ったのは、本国にて糧食、兵士補充、糧食、武器を苦労して戦場に補給送りしの宰相
不利と見たら機動力の劣る敵からさっさと逃げておびき出す、ということができるので足軽有利かなぁ指揮官によるかも
西洋の傭兵集団と日本の足軽を同種に扱うのも疑問だ。日本の傭兵集団として有名なのは 根来衆 や雑賀衆だろう。どちらも鉄砲傭兵集団として活躍している。足軽はあくまでも大名の持つ兵種の一つで最下級の兵卒のこと。日本では信長のように兵卒を雇って秀吉のような指揮官に指揮させる 例はあったが、指揮系統の異なる傭兵集団を丸ごと雇うことは無かった。日本では雑賀衆のような特赦技能や武器を持った例外を除いて傭兵集団というものが存在しなかったと思う。
まあでも足軽ですらって話になり、その上の存在の雑賀衆とかなら当然のごとくって話になるだろう
キリスト教圏の兵士だけでなく、オスマン帝国等のイスラム圏の兵士とも比較してほしいですね。侍とイエニチェリはどちらが強いのか気になりますね。
日本は古来より個ではなく、集団での強調性を重視した戦法に強みがあるのではないでしょうか?訓練においても順序立てた綿密なスケジュールによって誰もがある程度のレベルになるようプログラムされており、皆が実直に従いますが、個人主義の西洋ではなかなか上手く行かなかったようですよ。現代でも日米の合同軍事演習では日本の自衛隊が圧勝してしまうらしいです。映画のトップガンのようなずば抜けたエ-スはいなくとも皆が平均以上である方が有利なのでしょうね。
西洋は結局機械化・近代化を一番早くできたから強かっただけで、中世はモンゴルも非常に強かったし、イスラム圏のイエニチェリをはじめかなり強かったみたいですね…香辛料の富とかも中東、イスラム圏が先に手にしてたのかな…
@@佐藤充-s3v 最近のアメリカをイメージしてヨーロッパも個人主義だと思ってる人多いけどヨーロッパは日本人が思ってるほど個人主義でもない昔のドイツはナチスが台頭しただけあって似たように集団主義の出る杭は打たれる集団主義ナチスの反動で個人主義になりつつあるけど
@@匿名名無しの いやいや、日本との比較では恐ろしく個人主義である事は明らか。軍団編成も全く機能しなかったらしいし。
@@佐藤充-s3v そもそも欧米の個人主義ってアメリカ独立やフランス革命のあった18世紀頃から生まれたもので戦国時代のあった16世紀頃のヨーロッパだと個人主義の概念すらなかった19世紀や20世紀初頭でもヨーロッパではフランスくらいで本当にヨーロッパで広く浸透するようになったのは第二次世界大戦後
面白かった。
面白い西洋の傭兵と日本の足軽を比べるなんてでも信長様の兵農分離が有ってこその足軽ですね先見の明が有ったからこその足軽ですね信長様👏👏👏👏👏
初期の兵農分離は武田信虎が行ったもので、直属の足軽大将に足軽衆を率いらせて関所の管理などを任せていましたね足軽は常備軍なのでお給料が必要ですが、それは関所の通行税から支払っていました有名なところでは実在が怪しまれていた山本勘助(菅助)ですただ信虎は今川家へ出かけていた際に家臣団のクーデターにより自慢の足軽衆によって関所を閉ざされてしまい帰宅が許されず長い間各勢力の下で客将として御厄介になってます
@@nekono_mimikon 下級武士の一角を占める足軽年貢減免の代わりに軍役を義務づけられた軍役衆や農閑期の農民(農兵)他所から雇い入れたり勝手に参加したりする傭兵(雑兵・陣借り)戦国時代の兵力はこのような構成になっていた
装束を新調されましたな。此度のは一段と高級感が御座いまする。
30年戦争の頃には一応大型の車輪がついた「野砲」はあったが、重くて機動力は無く、野戦では散弾を使って防御用に使うくらいでしょ。18世紀の終わりにグリボーバルが野砲の軽量化に成功し、ナポレオンが野砲を攻撃目的で使って成功。その後榴散弾や榴弾が発明されて、野戦でも砲兵が戦場の女王になる。なので、日本の戦国時代あたりを考えるなら、大砲の性のうさは無視できるでしょ。城攻めなら別だけど。
あれ、スウェーデンのグスタフアドルフが大砲の軽量化させてなかったっけ?それによって三兵戦術が可能となったと思ってたが・・・
@@SM-pk8gz はい。小型の野砲はありましたが、大型野砲が導入されるのは18世紀末ということです。炸裂弾は臼砲では使えましたが、17世紀の野砲では使えません。野砲を野戦で使用する場合には、密集歩兵に向かって、実体弾をバウンドさせながら撃つか、あるいは接近してきた敵に対して散弾を撃って薙ぎ払うことになります。ヨーロッパではテルシオのような密集陣形とるので効果的かもしれませんが、日本の戦場では有効性は低いと思います。
西洋の傭兵と日本の足軽の装備の違いは、戦場の地形に関わってくるのではないでしょうか。どちらのホームグラウンドに近い土地で戦うかによって優劣は変わってきそうに思います。
戦国時代の日本は輜重部隊をかなり重視していたみたいですね、少なくとも総兵力の3割は小荷駄だったとか。今と違って移動手段は徒歩しかありません。戦場まで移動しその後の戦闘で勝利するにはタップリ食べさせ足軽に精をつけさせねばなりません、旧軍にも学んで欲しかったですね。日本が戦国後期、常に万を越す軍勢を動員できたのも加工をしなければ食せない小麦ではなく簡単な加工で食べられ作付面積の大きい米を主食にしていたからだ、なんて話を聞いたことがあります。
拠点の間隔が遠すぎ輸送路確保のために決戦に勝たなくてはならない状態になっていたからですね。
北条氏康による〝川越夜戦”は夜襲の根拠は薄いようで、桶狭間の戦のように強攻が実態のようです。
雇用制度と食糧事情で勝負あったと思う
兵糧攻めですね
同じ時代だと三十年戦争の頃だから、テルシオ陣形全盛期か平地だと日本の方がキツイな
テルシオ組める練度の常備兵というコスト激重のユニットを、コスト安の動員兵足軽と同じ人数用意できるならな。
戦国期の16世紀なら兎も角、三十年戦争があった17世紀はグスタフの戦術革命があったので西洋の方が強いんじゃね?
土地によっても有利不利は決まってきそうだけど。日本のように起伏の激しい土地であれば奇襲は有効だけど欧州では日本ほど奇襲が有効ではなさそう。開けた土地であれば密集した方が戦力の集中になる。その分大砲も有効。起伏が激しいと1箇所にまとまり過ぎると何かと動きに制約がかかるし山上から囲まれたら最悪。欧州のような防御重視だと坂の上り下りだけで体力が相当消耗する。結論からすると日本で戦えば日本の軍勢が有利、欧州で戦えば欧州の軍勢が有利というなんの面白味もない結論に達すると思う。
農民足軽の強みは基本敗北撤退戦が自家の困窮に繋がるから死兵になること金払い足軽は日本でも堪え性が無く崩れ易いとされてましたから西洋傭兵も崩れ易かったでしょう
この時代、世界の1/3の鉄砲を日本は保有していたのではないですか?その上、日本人の技術者の探究心のための魔改造の賜物で画期的な標準装備(照星と照門を正確に設置するなど)をしたために。西洋では、一般の火縄銃とは違って別扱いにしてた日本製の鉄砲が高値で取引されていたとの事実も今度、動画で取り上げて下さい。
ありがとうございます、お疲れ様でした。希望を言わせていただきます。若い時から時代劇好きでしたが、いつも不思議でした捕物には欠かせない岡っ引きが号令をかける(?)木製の長い棒をつかう身分の大勢の捕り方達について可能ならお願いします、絵にならぬ為か主役には作家先生も、その他的な扱いですね。😂
稲作なので人口が多く動員兵力が一桁違うよ。
銃の装備率がヨーロッパの方が高い?戦国時代の鉄砲の数は日本一国でほぼ ヨーロッパ全土に匹敵する数を持ってたと聞いていたが。
他の方のコメントにもありましたが、人数そのものが違うので、数が多くて率は低いというのは十分ありえますね。だから個人とか傭兵団の単位での比較だと片手落ち感が強いです。
@@nanoto103 なるほどそういう事か。保有数が多かったはずなのに装備率が低い??本当??なんて日本嫌いの動画なんだろうと思って見てたよ。それなら同等の兵士数で比べないと不公平じゃん。
傭兵団の単位で言うなら雑賀衆や 根来衆は鉄砲傭兵集団として有名でほぼ100%鉄砲を装備してた。
日本の鉄砲保有率世界一はバブル時代の作家の書いたデマだぞまだ信じてる人がいたのかよ
スイス人傭兵。アルプスの少女ハイジのお爺さんも、若い頃は傭兵だったって設定でしたね。
同数でも間違いなく日本の足軽が勝つと思う。そもそも当時の大砲は攻城兵器であって、対人はあまり想定されていない。また銃の質に関しても日本が上。鍛造技術の発展が凄まじい日本の火縄銃は昔からずっと世界一。銃の保有率に関して動画内では触れていたけどそれはそもそも兵士の数に関して一切触れていないから罠みたいなもの。当時の日本の銃の保有数は世界一。兵士もめちゃくちゃ多いから保有率が減るだけで西洋と同数にすれば100%も余裕で到達するどころか超過する。まぁ、日本には様々な飛び道具が存在するし、わざわざ全て銃にする意味もないんだけど。そもそも西洋の戦いってアジアに比べてめちゃくちゃ規模が小さいんだよね。アジアの書物は兵力が盛られてるとは言うが、実際に米を主食とする地域は別格の人口を誇る。ヨーロッパが国家同士の戦いで出す兵力を日本は1つの大名の領地でポンと出してた。いろんな面でヨーロッパに勝ち目がない。
まあ中世まではそうなのかもねでも近代に入ると海軍なんかは寄せ集めじゃできないから専門のプロ集団を常時整える必要があったし陸軍にしても海軍ほどじゃないにしても兵器の多様化複雑化で日ごろからの練度が重要になって来たそうすると(日本で言うと江戸時代くらいだと)とてもじゃないけど体格が劣り兵器もアウトレンジのレベルが低い日本の軍隊なんて西欧軍にはとても歯が立たなくなるわけでそもそも江戸時代に入ると官僚社会になって西欧軍の様な日ごろから練度の高い常備軍を保有してないでしょ
そうだなぁ。いつも腹を減らした傭兵どもを雇い入れて、敵に戦わせるかな。日本の武家どもならw 兵站を整えている大名ならば。戦国が終焉し、海外へ流れた浪人たちが大暴れした話もあるぐらいで、当時かなりヤバい人らだったみたいだから、あながち西洋の兵には負けてないのかもね
ベネチア商人が十字軍を唆して、 本来 味方だったビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(貿易のライバル都市)を襲わせた話は好き
スパルタ軍と足軽どちらが強いでしょうか?
たぶんスパルタ。産まれた時に体の弱かった子はその場で淘汰して、1年生くらいから共同生活をして、中学生くらいから本格的に戦闘から戦場で飢えないように略奪方法まで実地訓練で仕込まれて、成人するまで毎日が強化合宿。スパルタ軍が特殊すぎて敵わないと思う。スパルタは強い子どもを残さなきゃいけないので、女性もムキムキ。
@@MAY-su8kj 矢や投石でやられると思いますよ一人一人の屈強さは遠距離には敵いませんからスパルタの弱点になったのも弓兵の普及した軍隊でしたし
@@gsb7422 旧約聖書にも出てくる投石紐が使われていた時代であり地域でもありましたからどうなのかな。鎧を着た相手の骨も砕けます。
スパルタ兵。あいつらはサイヤ人みたいなもんと思ったら良い。
さすがに紀元前古代ギリシア、ようやく鉄器を使い出したくらいの時代の都市国家の兵が、中世の鉄砲を使い出した時代の兵に太刀打ち出来るとは思えないですね。
雑賀衆や根来衆は傭兵やで。村上水軍とかもそれに近い。あと、忍者系統も。
ヨーロッパの傭兵文化は、今では『フランス外人部隊』に引き継がれています。文化の違いが、面白いですね😊AIにシュミレーションしてもらうのも 面白いかも😁
中央の陣に集中攻撃を加えて陣を潰し、他の陣が崩れた所を騎馬隊が側面に突撃したら何とかなりそうだな。あるいは敵の射程外に陣城を築いて持久戦に持ち込むとかもありか。
戦場が違う、平野戦と野山を駆け巡るゲリラ戦、今の現有軍隊でも苦戦するよ
時期と場合によるんだろうけど日本って意外にも銃の技術が高くて狙撃手が作られるほどには精度が高い白兵戦もしっかり強く素早く動けるのはあるけど日本刀は頑丈で切れ味も高いのと西洋剣と比べると軽いから刀の操作が容易で正確に急所をつくことができるんまぁ…負けてるところがあるのなら人的と防御戦術じゃないかな?実際オランダが侍を傭兵として雇ったらスペインに圧勝したらしいしね(その後スペインも侍を雇って日本人同士で戦うなんて事もあったとか)
戦術なんて勉強すれば誰でも勝てる作戦たてられるもんです。相手の弱点を相手よりも多くの兵を集中させて奇襲かければ勝てるんです。戦術はこれを能書き書いていろいろ言ってるにすぎません。問題は作戦通りに動けるかどうかなんです。これがなかなか難しい。人は思い通りに動いてくれません。大体勝つほうが優れているのではなく、負けるほうに何かしら失態があります。
鉄砲が普及しても鎧や槍が廃れなかったのは硝石や鉛が稀少物資だったこともそうだが竹束の発明が大きな要因だと思う。これで遠距離の銃撃を凌ぎ距離が詰まったところで弓矢と石礫で制圧し突撃をするという戦法がとれたのではないか?
日本の兵は古来から散兵戦を得意としており、軍歌、歩兵の本領でも歌詞にあるぐらいゲリラ戦は十八番の得意技。西洋戦術なんて霞むぐらい弱い幕末、幕府は西洋戦術取り入れたけど、全然だめで、連敗してたからね
足軽と西洋の兵士って比べるってかなり大雑把だな、、。元々体格の違いなどを利用して盾並べてスクラム組んで押し倒すという肉弾突撃に馬が加わって破壊力マシマシの戦い方の西洋。対する日本ではどちらかと言うと白村江以降は反乱民や国内の賊対策が主であり平安時代は大規模な戦闘は無く弓中心の戦闘方法。蝦夷との戦いで痛い目に遭った朝廷側の戦闘員が馬を本格的に取り入れ、それを発展させて馬上で長弓を射るという謎進化をした侍が戦いの中心になったのが日本。室町期になって京での都市戦に以降すると馬上弓のアドバンテージも薄れたので建物の破壊工作を目的にした足軽を雇うようになり、彼らが戦場に躍り出るようになった。破壊工作用の足軽だったが、応仁の乱が長引き、足軽自体が傭兵のように各地を渡り歩くようになり戦場の何でも屋として使われていく事になる。ちなみに、西欧では攻撃力が上がる程、防御である冶金術のレベルも上がっていったが、防御力が上がると逆に細かい機動力が削がれる事になりアジャンクールのような大敗も珍しくなくなった。騎兵は長らく戦場の主流であったけれど、銃の登場により騎兵に対する対処法が格段に進化してテルシオのような隊形が生まれ無双するようになる。まあ、足軽や傭兵と言っても時代によって経験値や戦闘力が違う。30年戦争当時のドイツや東欧の傭兵ならば個々の兵士の残虐性や狂暴性など戦闘力で言えば足軽よりも強かったでしょうね。
終身雇用、粗末な兵装、攻撃偏重、食の確保、機動力、卑怯ラッキョウ期間雇用、豊富な兵装、防御偏重、飢死傾向、守備力、正攻法現代も感じる東西の傾向はこの頃にはもうあったんですね参考になりまうす
日本の戦国の足軽、西洋の傭兵、合戦開始は、日本では、法螺貝、西洋では、角笛、三國志の合戦では、角笛を使ってたでござる、日本の足軽は、江戸時代、足軽傘寿ぴょう人斑、御家人、足軽侍は、同心、上の足軽は、与力、江戸町奉行、火盗改などの配下、足軽侍、御家人でござる、以上
足軽の戦いをしたナチ西洋兵の戦いをしたマジノフランス結果は歴史書に
西洋の傭兵は戦争が長引くほどお給料がもらえたそうなので、戦意がなく意図的に長引かせたと聞いたことがあります('ω')西洋の陣は機動力がなかったのですね。日本が江戸時代になって平和になった頃に西洋では方陣から究極のチキンレースとされる横隊になったのですね('ω')
誰をあるいは何人討ち取ったかなど具体的な褒章の条件つまり手柄の概念がなかったベトナム戦争時のアメリカ軍で「士気維持のための画期的な方法」として導入され民間人虐殺につながったという
此れを観ますと、日本の戦国時代は兵站をとても重視していたのに、昭和の帝国陸軍はむしろ蔑ろにしていたのが非常に不思議に思われますね。
「欧米列強」って意識があって、なんでも欧米化した弊害なんじゃないかな?
それは補給と兵站を混同してる。日本軍は兵站は重視したが補給は軽視した。兵站は軍の活動全般を支えるシステムおよびその概念そのものを言うけれど補給は前線部隊への需品の供給行為だけをいう。要は宅配会社の集荷・分別、配達車両の運行計画や物流センターの運営といったものを含めるのが兵站で補給は顧客への配達業務だけなのよ。
西洋が傭兵団で耕地が少ないスイスが傭兵で強いなど日本の忍者の成り立ちと同じ経歴みたい
スパルタ兵と島津軍 どちらがバーサーカーで強かったんでしょうか
何処で戦うかにもよる。野戦攻城戦だと足軽不利夜戦山岳戦だと傭兵不利じゃね?
鉄砲は日本のものが優れていたよ
マスケットの時代なら日本の方が上だねー。あと戦場の地形だねー
この動画では鉄砲の優秀さは述べてないのでは?あくまで攻城兵器として述べてるだけですよ。
幕末はリボルバーやガトリングガンが登場しますね
剣心がガトリング砲に苦戦しとった。
@@クロコダイルパンティー 武田観柳はガトリングの天才だから・・・あれを基準にしてはいけない
鎧は西洋の方が優れているから、槍では対応できないと思うね。接近戦でも銃を使わなければならないので数に勝る西洋に武があると見て良いと思う。
鎧はロリカ セグメンタタを除いて(コイツも機能面はいいのだけど保守性に難があるシロモノだけど)西洋の方が優れていたなんて時代はないですよあとマスケットは当たらないです だから怖くないあんまりに当たらないんで戦列歩兵って兵科が生まれたわけで
兵糧まで含めて戦闘力と考えるなら足軽の方が強いと思う。あと西洋には竹束が無い。
山岳地帯で戦うなら足軽が有利。だだっ広い平野で戦うなら傭兵が有利。10式戦車とレオパルト2みたいな感じだな。
盾の防御力と戦術っぽい💣
西洋の重装歩兵が着込む鎧を槍が突き通せるかどうか❓実験では日本刀は鎧ごと肩からザックリ斬ってしまうほど強力最強らしいです首を斬り飛ばす日本刀の威力を見て度肝を抜かれ朝鮮・明が怯んで総崩れになった話も有りますからね
個人的な見解ですが…。正面衝突したらあっという間に西洋の方が勝つと思います。 武器の性能が全く違うし、戦争の歴史が段違いに西洋の方が長いですから。でも、夜襲や奇襲等の規範や宗教的なタブー意識の低い。 つまり、臨機応変で頭の柔らかい所に足軽側の勝機があると思います。総力戦を避けて夜に攻め込めば、あっという間に決着が着くように思います。
そもそも地形が違う・戦列歩兵の時代には既に日本は江戸時代に入っている一番大きいのは西洋は弓に対する置き盾が無い歩兵の武装は西洋も日本も大差ないそれに戦国時代くらいなら槍が長い方が勝つあとは士官の戦術次第です
足軽は連携が取れているときは強いが混戦になった時正規武士に片っ端にやられます。また火縄銃、マスケット銃、当時の火砲を過大評価しています。銃器の命中率は極めて低く貫徹力も低いです。お互いに竹等で作った防御盾に鉄板を組み合わせて接近すると考えられますし日本側も鉱山採掘技術等発達しており塹壕、土塁を構築するでしょう。
時代なんかにもよるだろうけどマクシミリアン鎧なんてクソ重い鎧を装備した西洋兵は足軽にあっさり組み打ちで首切られるとおもうんだけど鉄砲の話も西洋は傭兵隊によって微妙に口径やら弾丸やら違うだろうしまとまった運用は難しいんじゃないてかいつも思うけどこのチャンネルの考察って大事な所がいっぱい抜けてるよな
また中東圏や中国、同じヨーロッパ圏でもヴァイキングだと違うんだろうね。もちろん、中国とかもね。
民族が違う。
戦闘のフィールドの差がありますからね。まぁでも、ひのもとの足軽が勝つに決まってますけどね☝️✨
同じ数で勝負したら西洋の圧勝だとおもいますよ。こたえは動画の中にあるとおもいますが、同じ240人の部隊で対決させたら、鉄砲が120丁 VS 24丁になりますから。足軽部隊が万が一つでも勝てる可能性があるとしたら、おっしゃるような夜襲でしょうねえ
同数兵による鉄砲戦を想定するなら雑賀や根来で100%の鉄砲保有率になるのでは?
そもそも日本は傭兵のような小集団に多数の種類の武具を使用している部隊ではなく専門の部隊を複数用意して戦うため比較するだけ無駄だと思いますそれでも武士による指揮官狙いの狙撃が成功してしまえば日本が勝つことになりますがね
単純な兵の強弱だけを比べてもあまり意味がないのでは。戦争全体を見た場合、兵站の整っている日本の方が有利となるのでは。
よく侵略されなかったと思いますアジアは李氏朝鮮や明国もそれほど強くはないです大砲はやっぱり大きいです。
細かくツッコむ気にはなれないけど、西洋については不正確な点が多々あるように思える。例えば、ナポレオン以前の中隊長は、連隊長の補佐ではなく、兵士たちの直接雇用主。今の日本に例えるなら、一次下請けの社長と二次下請けの社長の関係。そもそも、西洋の兵士についての説明は色々な時代がごっちゃになっており、日本の戦国時代と一概に比較できないように思う。
太平洋戦争時の兵站模様は何だったんだろうな
ロシアの兵はシベリア、囚人、から募集。戦死しても行方不明で処理。賃金はでません。
傭兵は金で雇われた兵士だから雇い主である国王の為に命を掛けて戦いに臨まない。徴兵で国の為に戦う国民軍を編成したナポレオンが強かった理由。
うーん、どっちが強いというか、地形や気候に各々特化した兵種だと思う。日本は田、丘や山が多いから、攻城兵器なんて大規模な城にしか使われなかっただろうし、戦国時代は今のコンビニよりも城、砦の数が多かった位だから、発展の仕様がない。
西洋がいかに弱く,日本人がいかに優秀か分かりました。
@@クロコダイルパンティー いま、1人あたりGDPで日本はもう後進国になってるし、西欧どころか韓国にも抜かれてますが大丈夫そ?w
GDPと戦力は正比例しない、バカなんだな。
@@クロコダイルパンティー 「正」と言えば誤魔化せると思ってるんですねw 十分に相関があることを表現だけでどうこうしようなんて。韓国に抜かれたのかそんなに悔しいの?w
@@クロコダイルパンティー 比例するものを、「正」比例しないからGDPは戦力とは無関係なんだ〜いってか?🥰基礎学力だいじょぶそ?w
問題は、地形だ。川や山の戦いの場合の話。しかも、高低の差。高いところから攻めるとか。
足軽が軍事専門職というのは容認できないなぁ。兵農分離は信長以降に一部で実施されたが、全体はそうであったような主張は無理がある。中世では農民も武装していたと考える方が正しい。これは僧侶が武装していたのと同じ。でなければ刀狩りをする必要がない。これは天下統一後の話。長曽我部氏の一領具足政策はどうなる?
全くの私見ですが、戦国時代は日本も傭兵が多かった気がします。秀吉が強かったのは金があったからでは。略奪、強姦が多かったのは傭兵の百姓が多かったからなのでは?
実際に戦国後期は多いですよ。信長の上洛以後の信長軍というのは動員数が跳ね上がるんですが、これは当時の畿内、とくに山城や摂津国あたりは余剰人口がけた外れに多くて金にあかせることで多くの兵を雇えたからなんです。なんせ山城一国だけで当時の関東に匹敵する人口があったと言われます。この辺は石高だけに目を向けてるとわかりづらいんですけどね。
@@通りすがりの赤い人 ありがとうございます。勉強になります
西洋で騎兵が見直されるのは三十年戦争のスウェーデン騎兵からですね悪名高いカラコールみたいに射程外からパンパンしてるだけのは傭兵同士の戦争ごっこでしかなくこの時代のイタリア北部で行われた戦闘では一日中戦っても死者が落馬事故によるものだけだった事もあります
演技の勢いはいいけど……声がデカすぎて所々が音割れ酷くて耳が痛いっす
日本の長槍は野戦で対歩兵用、比べて西洋のパイクは、対騎兵用。そもそも槍の用途が違うからなぁ。パイクって地面にぶっ指して、騎兵のチャージに対抗するものだから、歩兵対歩兵に特化した長槍ってなると、パイク以外の槍だろうね。そこで比較しないといけないのは、当然槍の長さだろうよ。戦術も西洋が方陣作るのは、広い広野で騎兵が自在に何処から攻めてきても良いように組まれる陣地だし。それに比べて、日本の方は地形が山ばかりで、大抵その山岳地形を利用して戦うから、そもそも方陣を組む必要はない。だから、西洋が日本に攻めてきた場合は、日本にぼろ負けするだろうし、日本が西洋に攻めればその逆もしかりだろう。結局用兵ってのは、兵器と一緒で地形的条件によって進化したものだから、当然その地形に合致した戦いが出きる方が勝つ。単純な兵の強さだけでは、どっちが強いとかは本当にナンセンスな比較でしかない。
ヨーロッパの王様と貴族、日本の大名家と家臣では主従のシステムが違ったから、大きな戦争、大きな合戦ではまた事情が変わってくるだろうな。ヨーロッパは忠義より見返り。侵略が得意なのは圧倒的にヨーロッパだよね。
いや一緒やで。忠義は江戸時代以降のシロモノ。
@@ごんごんちゃん-c3e そうなんだ。忠臣蔵とかのイメージでした。ただヨーロッパの貴族は王様の部下じゃなくて、領地と権力の差というだけで、だから戦争に行っても自分の家にいい事がなければ傍観なのよ。
こんにちは、西欧諸国は、今もその対応が全然変わっていませんね、どうしてでしょうね
足軽の方が強い!
ヨーロッパの進出著しい東南アジアで日本人傭兵が活躍した事からも、鉄砲が普及した関ヶ原の頃を基準にして、陸戦に限定すれば、同数でも日本の方が強そう。これが長篠の頃を基準にするなら、まだ鉄砲装備率が低かっただろうから、少し事情が異なると思うけど。ちなみに仮に日本とヨーロッパが陸続きで、例えば当時ヨーロッパ最強だったスペインと戦うとかだと、そもそも人口が違うので日本が有利だろうね。大砲については、幕末にヨーロッパから伝わったのは榴弾砲だったけど、1600年前後だと広範囲の兵をなぎ倒すような威力じゃなかったので、攻城戦以外では決定的な威力は無い。あと、航海術や造船技術が違うので、海戦なら圧倒的にヨーロッパが有利で、多分まともな勝負にならない。たから、ヨーロッパ側は制海権を生かして背後を突くとかいった戦略は使えるかも。
グールって、十字軍やなぁ…。
追撃のために騎兵がおるんやが…?
結論:どちらもヒャッハー😜
西洋は自己主張が強いんだなと思いました😂笑
牢人?浪人ね
西洋もいいが支那軍はどうだったんだ?あと、モンゴル兵も興味あるね。
圧倒的な数の鉄砲で日本が勝つだろうな。
20世紀に飢餓で将兵が命を落とした帝国陸軍とは・・・?
戦線を長く細かく伸ばしすぎたから
海軍に兵站線の考えがなかったから。そら海軍は船の中だけで兵站が完結するからな。
海は初めてで大陸で勝利を経験した日本は海上の兵站をなめていたのだよ
@@gsb7422 日本陸軍ほど海に向き合った陸軍もいないと思うけどな大陸に行くにしても海を渡る必要があるし
@@TH-ul4gd 補給線の長さが違いすぎるよ
装備率を言うなら母数くらいちゃんと提示しろw
ろうにん 漢字違う
家守る駒も必死の草の根も知恵と兵糧日の本の駒ちからわざ叩き突いて火砲にて石壁崩し読み書き知らず
ノーミン
ご覧いただきありがとうございます。
日本の足軽もなかなかの戦闘力を持っていたことが分かっていただけたのではないでしょうか。
皆さんもぜひ、名古屋城で足軽の踊舞さん、なつさんにも会いに来てください!お待ちしています。
普通にある戦国武将の話だけでなく色々な観点から戦国時代を考察してくれるので物凄く面白いです。
補給に対する意識はどこで日本は失っていったのかなあ
戦国時代は補給をめっちゃ丁寧に考えてる
資源が無い状況で戦争せざるをえないことになったら兵站はギャンブルにならざるをえないと思う。
そもそも資源が無いのに開戦の判断をしたことが間違いだったと言えばそれはそうだけど
日清日露は問題なかったと思うから、兵站に問題があったってのは大東亜だけよね。
なお食糧すら輸入に頼る現代日本
日本は西洋に対して火器の導入が遅れてたけど関ケ原の戦いの頃には鉄砲の保有率40%と西洋とそんなに遜色なくなってる
なんなら関ヶ原当時で世界の30%の火縄銃を保有してたって説もあるよ
それでスペインが日本の植民地化を諦めたと指摘する人もいるくらいには相当な数持ってたのは確かみたい
日本は鉄砲を量産してたから。しかもカスタマイズしてる。
大坂の陣では装備率50%超。戦闘での損失を考慮して多数の予備を持って行っており正確な数字は出しづらいが兵員の7割に達する鉄砲を保持していたのは間違いない。(たとえば伊達家は8割に及ぶとか)
用兵術や騎馬の扱いが違うのは単純に「地形の違い」。日本は山地や荒れ地が多いが、欧州は基本は平地がメイン。なのでそれに適した戦術が要求される。
スイスの傭兵ですが、戦場ではスイスの傭兵団同士が戦闘をするのが珍しくなく、その精強さが伝わってスイスを守っていたのもある。
傭兵の隊長は基本条件として「読み書きが出来る」がある。当時の欧州に識字率は「日本の半分以下」とすら言われた程・・・
傭兵にも出世した人物がおり、「欧州版:雑賀孫一」こと「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(傭兵将軍の異名がある)」がいたりする。
フランス革命の際、王室派と革命派のそれぞれに雇われたスイス傭兵同士が戦ったようですね。 スイス各地で傭兵記念像のようなものを見かけました。
@@nyt7282031 もともと革命政権誕生までの仏軍は志願兵からなる王の私兵なので全員が(個人レベルでの雇用関係にある)傭兵と言ってもよいくらいなのですが、スイス人主体で構成されスイス人連隊と呼称される正規軍部隊が10個くらいあったはずです。
今日の我々がイメージする徴兵による国家の軍隊というのは革命政権樹立後に他国からの干渉戦争に対応するために作られた制度なんです。
火縄銃の命中精度に関しては日本製が圧倒的に優れていたようで、現在でも「火縄銃射撃大会」などで使用される火縄銃の大半は日本製とか。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる vs 百発百中 ですね。 なお数量面でも、関ケ原の戦いの際に東西両軍が用意した鉄砲の総数は、当時のヨーロッパ全土に存在した鉄砲の総数を大きく上回っていたそうです。
夜討ち朝駆けは戦の基本って言うくらいの基本戦術
こういうの本当待ってました🥰
なかなか比べるの難しいと思いますが、武器の強さ比べとかも待ってます!
西洋でも、ポーランド相手ではかなり分が悪いと思いますね。
パイク兵の代わりに、銃と大砲で援護されたフサリアと言うパイクより長い槍を装備した重装騎兵が突っ込んできます。
しかも、彼等は長槍以外にも、サーベル、エストック。騎兵銃、ピストル、小型の複合弓、戦斧、棍棒等で装備してます。
大砲や銃で武装したオスマントルコに包囲されたウィーンを、解放したどころかオスマン軍を壊滅しています。
この比較は 大変 すばらしい です!
分かりやすくて、タメになる😊
大砲も銃も装備した20万の明軍の精鋭が5000の薩摩に一方的に蹂躙殺戮されとるからなあ。
明が西洋と思ってるバカ発見。
ナンなら一つの国ではなく
一つの藩としてイギリスと
戦って、勝利したからね
中華王朝の軍隊って乱戦になると途端に弱くなるのが伝統で日本の戦国時代の戦法が今で言うとこの散兵戦術で乱戦に持ち込むだから相性が悪かったとも
中華軍隊は隊列を揃えて陣形を組んだらめちゃくちゃ強いけど陣形が組めないと弱い(山岳戦やら攻城戦やら苦手)
でも、あの時代に戦国時代を生き抜いてきた数十万の兵士たちが、本気で世界を取りに行ったら強かっただろうね。
補給が要だった戦国時代から学ばなかった帝国陸海軍だった事になりますね。
いや、陸はそうだけど海軍の補給はすごいレベルだぞ。特に日露
西洋の軍隊の拠点には鍛冶師、商人、料理人、娼婦が居て、軍団一つが街のような形成をしてたって聞くし、もし夜襲されたら武器やら食糧やら色々奪われ放題だろうな…😨
21:01
傭兵A「マジか!?」で吹いたw
戦力がすごいけど補給が弱く、守るのに長けているけど追撃出来ないってのでナポレオンやらヒトラーのロシア(ソ連)遠征もそんな感じだったのかな。
足軽も傭兵も勘弁だけど高評価とチャンネルもコメントもしたよ👍
全方位防御の方陣は効率が悪いから横隊戦術に移行したけど突っ立った状態で敵弾に身を晒しつつひたすら前進しないといけない地獄
日本は個別の兵士が一兵卒でも字が読める人もいたり、臨機応変に行動したりめちゃくちゃ優秀で、西洋の傭兵はおそらく、やる気の無い人達の寄せ集めで、そう言ったことが、
欧米は人に期待せず制度や装備を整えて、日本は個人に頼ってという、日本によくない流れになったのかなぁと感じました。
戦国時代の足軽一兵卒でも字が読める人なんて1割もいないぞ
それを言ったら西洋でも一兵卒でも字が読める人がいるだろ
よく言われる江戸時代の識字率もデマだから
第2次世界大戦の時の兵士は、字の読み書き出来ない者多かりし。本国人は出来るだろうけど、植民地からの兵士はと言う事ですね。本家中国は、孫子の兵忘れ、数多しで結局負ける。西洋も孫子の兵法伝わってるハズだけど。活かしきれて無いですよね。漢が建国されて、一番褒美名誉を賜ったのは、本国にて糧食、兵士補充、糧食、武器を苦労して戦場に補給送りしの宰相
不利と見たら機動力の劣る敵からさっさと逃げておびき出す、ということができるので足軽有利かなぁ
指揮官によるかも
西洋の傭兵集団と日本の足軽を同種に扱うのも疑問だ。日本の傭兵集団として有名なのは 根来衆 や雑賀衆だろう。どちらも鉄砲傭兵集団として活躍している。足軽はあくまでも大名の持つ兵種の一つで最下級の兵卒のこと。日本では信長のように兵卒を雇って秀吉のような指揮官に指揮させる 例はあったが、指揮系統の異なる傭兵集団を丸ごと雇うことは無かった。日本では雑賀衆のような特赦技能や武器を持った例外を除いて傭兵集団というものが存在しなかったと思う。
まあでも足軽ですらって話になり、その上の存在の雑賀衆とかなら当然のごとくって話になるだろう
キリスト教圏の兵士だけでなく、オスマン帝国等のイスラム圏の兵士とも比較してほしいですね。
侍とイエニチェリはどちらが強いのか気になりますね。
日本は古来より個ではなく、集団での強調性を重視した戦法に強みがあるのではないでしょうか?訓練においても順序立てた綿密なスケジュールによって誰もがある程度のレベルになるようプログラムされており、皆が実直に従いますが、個人主義の西洋ではなかなか上手く行かなかったようですよ。現代でも日米の合同軍事演習では日本の自衛隊が圧勝してしまうらしいです。映画のトップガンのようなずば抜けたエ-スはいなくとも皆が平均以上である方が有利なのでしょうね。
西洋は結局機械化・近代化を一番早くできたから強かっただけで、中世はモンゴルも非常に強かったし、イスラム圏のイエニチェリをはじめかなり強かったみたいですね…香辛料の富とかも中東、イスラム圏が先に手にしてたのかな…
@@佐藤充-s3v
最近のアメリカをイメージしてヨーロッパも個人主義だと思ってる人多いけど
ヨーロッパは日本人が思ってるほど個人主義でもない
昔のドイツはナチスが台頭しただけあって似たように集団主義の出る杭は打たれる集団主義
ナチスの反動で個人主義になりつつあるけど
@@匿名名無しの
いやいや、日本との比較では恐ろしく個人主義である事は明らか。軍団編成も全く機能しなかったらしいし。
@@佐藤充-s3v
そもそも欧米の個人主義ってアメリカ独立やフランス革命のあった18世紀頃から生まれたもので戦国時代のあった16世紀頃のヨーロッパだと個人主義の概念すらなかった
19世紀や20世紀初頭でもヨーロッパではフランスくらいで
本当にヨーロッパで広く浸透するようになったのは第二次世界大戦後
面白かった。
面白い西洋の傭兵と日本の足軽を比べるなんてでも信長様の兵農分離が有ってこその足軽ですね先見の明が有ったからこその足軽ですね信長様👏👏👏👏👏
初期の兵農分離は武田信虎が行ったもので、直属の足軽大将に足軽衆を率いらせて関所の管理などを任せていましたね
足軽は常備軍なのでお給料が必要ですが、それは関所の通行税から支払っていました
有名なところでは実在が怪しまれていた山本勘助(菅助)です
ただ信虎は今川家へ出かけていた際に家臣団のクーデターにより自慢の足軽衆によって関所を閉ざされてしまい
帰宅が許されず長い間各勢力の下で客将として御厄介になってます
@@nekono_mimikon 下級武士の一角を占める足軽
年貢減免の代わりに軍役を義務づけられた軍役衆や農閑期の農民(農兵)
他所から雇い入れたり勝手に参加したりする傭兵(雑兵・陣借り)
戦国時代の兵力はこのような構成になっていた
装束を新調されましたな。
此度のは一段と高級感が御座いまする。
30年戦争の頃には一応大型の車輪がついた「野砲」はあったが、重くて機動力は無く、野戦では散弾を使って防御用に使うくらいでしょ。
18世紀の終わりにグリボーバルが野砲の軽量化に成功し、ナポレオンが野砲を攻撃目的で使って成功。その後榴散弾や榴弾が発明されて、野戦でも砲兵が戦場の女王になる。
なので、日本の戦国時代あたりを考えるなら、大砲の性のうさは無視できるでしょ。城攻めなら別だけど。
あれ、スウェーデンのグスタフアドルフが大砲の軽量化させてなかったっけ?
それによって三兵戦術が可能となったと思ってたが・・・
@@SM-pk8gz
はい。小型の野砲はありましたが、大型野砲が導入されるのは18世紀末ということです。炸裂弾は臼砲では使えましたが、17世紀の野砲では使えません。野砲を野戦で使用する場合には、密集歩兵に向かって、実体弾をバウンドさせながら撃つか、あるいは接近してきた敵に対して散弾を撃って薙ぎ払うことになります。ヨーロッパではテルシオのような密集陣形とるので効果的かもしれませんが、日本の戦場では有効性は低いと思います。
西洋の傭兵と日本の足軽の装備の違いは、戦場の地形に関わってくるのではないでしょうか。
どちらのホームグラウンドに近い土地で戦うかによって優劣は変わってきそうに思います。
戦国時代の日本は輜重部隊をかなり重視していたみたいですね、少なくとも総兵力の3割は小荷駄だったとか。
今と違って移動手段は徒歩しかありません。
戦場まで移動しその後の戦闘で勝利するにはタップリ食べさせ足軽に精をつけさせねばなりません、旧軍にも学んで欲しかったですね。
日本が戦国後期、常に万を越す軍勢を動員できたのも加工をしなければ食せない小麦ではなく簡単な加工で食べられ作付面積の大きい米を
主食にしていたからだ、なんて話を聞いたことがあります。
拠点の間隔が遠すぎ輸送路確保のために決戦に勝たなくてはならない状態になっていたからですね。
北条氏康による〝川越夜戦”は夜襲の根拠は薄いようで、
桶狭間の戦のように強攻が実態のようです。
雇用制度と食糧事情で勝負あったと思う
兵糧攻めですね
同じ時代だと三十年戦争の頃だから、テルシオ陣形全盛期か
平地だと日本の方がキツイな
テルシオ組める練度の常備兵というコスト激重のユニットを、コスト安の動員兵足軽と同じ人数用意できるならな。
戦国期の16世紀なら兎も角、三十年戦争があった17世紀はグスタフの戦術革命があったので西洋の方が強いんじゃね?
土地によっても有利不利は決まってきそうだけど。
日本のように起伏の激しい土地であれば奇襲は有効だけど欧州では日本ほど奇襲が有効ではなさそう。
開けた土地であれば密集した方が戦力の集中になる。その分大砲も有効。
起伏が激しいと1箇所にまとまり過ぎると何かと動きに制約がかかるし山上から囲まれたら最悪。
欧州のような防御重視だと坂の上り下りだけで体力が相当消耗する。
結論からすると日本で戦えば日本の軍勢が有利、欧州で戦えば欧州の軍勢が有利というなんの面白味もない結論に達すると思う。
農民足軽の強みは基本敗北撤退戦が自家の困窮に繋がるから死兵になること
金払い足軽は日本でも堪え性が無く崩れ易いとされてましたから西洋傭兵も崩れ易かったでしょう
この時代、世界の1/3の鉄砲を日本は保有していたのではないですか?
その上、日本人の技術者の探究心のための魔改造の賜物で画期的な標準装備(照星と照門を正確に設置するなど)をしたために。
西洋では、一般の火縄銃とは違って別扱いにしてた日本製の鉄砲が高値で取引されていたとの事実も今度、動画で取り上げて下さい。
ありがとうございます、お疲れ様でした。希望を言わせていただきます。若い時から時代劇好きでしたが、いつも不思議でした捕物には欠かせない岡っ引きが号令をかける(?)木製の長い棒をつかう身分の大勢の捕り方達について可能ならお願いします、絵にならぬ為か主役には作家先生も、その他的な扱いですね。😂
稲作なので人口が多く動員兵力が一桁違うよ。
銃の装備率がヨーロッパの方が高い?戦国時代の鉄砲の数は日本一国でほぼ ヨーロッパ全土に匹敵する数を持ってたと聞いていたが。
他の方のコメントにもありましたが、人数そのものが違うので、数が多くて率は低いというのは十分ありえますね。
だから個人とか傭兵団の単位での比較だと片手落ち感が強いです。
@@nanoto103 なるほどそういう事か。保有数が多かったはずなのに装備率が低い??本当??なんて日本嫌いの動画なんだろうと思って見てたよ。それなら同等の兵士数で比べないと不公平じゃん。
傭兵団の単位で言うなら雑賀衆や 根来衆は鉄砲傭兵集団として有名でほぼ100%鉄砲を装備してた。
日本の鉄砲保有率世界一はバブル時代の作家の書いたデマだぞ
まだ信じてる人がいたのかよ
スイス人傭兵。アルプスの少女ハイジのお爺さんも、若い頃は傭兵だったって設定でしたね。
同数でも間違いなく日本の足軽が勝つと思う。そもそも当時の大砲は攻城兵器であって、対人はあまり想定されていない。また銃の質に関しても日本が上。鍛造技術の発展が凄まじい日本の火縄銃は昔からずっと世界一。
銃の保有率に関して動画内では触れていたけどそれはそもそも兵士の数に関して一切触れていないから罠みたいなもの。
当時の日本の銃の保有数は世界一。
兵士もめちゃくちゃ多いから保有率が減るだけで西洋と同数にすれば100%も余裕で到達するどころか超過する。
まぁ、日本には様々な飛び道具が存在するし、わざわざ全て銃にする意味もないんだけど。
そもそも西洋の戦いってアジアに比べてめちゃくちゃ規模が小さいんだよね。アジアの書物は兵力が盛られてるとは言うが、実際に米を主食とする地域は別格の人口を誇る。
ヨーロッパが国家同士の戦いで出す兵力を日本は1つの大名の領地でポンと出してた。いろんな面でヨーロッパに勝ち目がない。
まあ中世まではそうなのかもね
でも近代に入ると海軍なんかは寄せ集めじゃできないから専門のプロ集団を常時整える必要があったし
陸軍にしても海軍ほどじゃないにしても兵器の多様化複雑化で日ごろからの練度が重要になって来た
そうすると(日本で言うと江戸時代くらいだと)とてもじゃないけど体格が劣り兵器もアウトレンジの
レベルが低い日本の軍隊なんて西欧軍にはとても歯が立たなくなるわけで
そもそも江戸時代に入ると官僚社会になって西欧軍の様な日ごろから練度の高い常備軍を保有してないでしょ
そうだなぁ。いつも腹を減らした傭兵どもを雇い入れて、敵に戦わせるかな。日本の武家どもならw 兵站を整えている大名ならば。
戦国が終焉し、海外へ流れた浪人たちが大暴れした話もあるぐらいで、当時かなりヤバい人らだったみたいだから、あながち西洋の兵には負けてないのかもね
ベネチア商人が十字軍を唆して、 本来 味方だったビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(貿易のライバル都市)を襲わせた話は好き
スパルタ軍と足軽どちらが強いでしょうか?
たぶんスパルタ。産まれた時に体の弱かった子はその場で淘汰して、1年生くらいから共同生活をして、中学生くらいから本格的に戦闘から戦場で飢えないように略奪方法まで実地訓練で仕込まれて、成人するまで毎日が強化合宿。スパルタ軍が特殊すぎて敵わないと思う。スパルタは強い子どもを残さなきゃいけないので、女性もムキムキ。
@@MAY-su8kj
矢や投石でやられると思いますよ
一人一人の屈強さは遠距離には敵いませんから
スパルタの弱点になったのも弓兵の普及した軍隊でしたし
@@gsb7422 旧約聖書にも出てくる投石紐が使われていた時代であり地域でもありましたからどうなのかな。鎧を着た相手の骨も砕けます。
スパルタ兵。
あいつらはサイヤ人みたいなもんと思ったら良い。
さすがに紀元前古代ギリシア、ようやく鉄器を使い出したくらいの時代の都市国家の兵が、中世の鉄砲を使い出した時代の兵に太刀打ち出来るとは思えないですね。
雑賀衆や根来衆は傭兵やで。村上水軍とかもそれに近い。
あと、忍者系統も。
ヨーロッパの傭兵文化は、今では『フランス外人部隊』に引き継がれています。文化の違いが、面白いですね😊AIにシュミレーションしてもらうのも 面白いかも😁
中央の陣に集中攻撃を加えて陣を潰し、他の陣が崩れた所を騎馬隊が側面に突撃したら何とかなりそうだな。あるいは敵の射程外に陣城を築いて持久戦に持ち込むとかもありか。
戦場が違う、平野戦と野山を駆け巡るゲリラ戦、今の現有軍隊でも苦戦するよ
時期と場合によるんだろうけど
日本って意外にも銃の技術が高くて狙撃手が作られるほどには精度が高い
白兵戦もしっかり強く素早く動けるのはあるけど日本刀は頑丈で切れ味も高いのと西洋剣と比べると軽いから刀の操作が容易で正確に急所をつくことができる
んまぁ…負けてるところがあるのなら人的と防御戦術じゃないかな?
実際オランダが侍を傭兵として雇ったらスペインに圧勝したらしいしね(その後スペインも侍を雇って日本人同士で戦うなんて事もあったとか)
戦術なんて勉強すれば誰でも勝てる作戦たてられるもんです。相手の弱点を相手よりも多くの兵を集中させて奇襲かければ勝てるんです。戦術はこれを能書き書いていろいろ言ってるにすぎません。
問題は作戦通りに動けるかどうかなんです。これがなかなか難しい。人は思い通りに動いてくれません。
大体勝つほうが優れているのではなく、負けるほうに何かしら失態があります。
鉄砲が普及しても鎧や槍が廃れなかったのは
硝石や鉛が稀少物資だったこともそうだが
竹束の発明が大きな要因だと思う。
これで遠距離の銃撃を凌ぎ距離が詰まったところで弓矢と石礫で制圧し突撃をするという戦法がとれたのではないか?
日本の兵は古来から散兵戦を得意としており、軍歌、歩兵の本領でも歌詞にあるぐらいゲリラ戦は十八番の得意技。
西洋戦術なんて霞むぐらい弱い
幕末、幕府は西洋戦術取り入れたけど、全然だめで、連敗してたからね
足軽と西洋の兵士って比べるってかなり大雑把だな、、。元々体格の違いなどを利用して盾並べてスクラム組んで押し倒すという肉弾突撃に馬が加わって破壊力マシマシの戦い方の西洋。対する日本ではどちらかと言うと白村江以降は反乱民や国内の賊対策が主であり平安時代は大規模な戦闘は無く弓中心の戦闘方法。蝦夷との戦いで痛い目に遭った朝廷側の戦闘員が馬を本格的に取り入れ、それを発展させて馬上で長弓を射るという謎進化をした侍が戦いの中心になったのが日本。室町期になって京での都市戦に以降すると馬上弓のアドバンテージも薄れたので建物の破壊工作を目的にした足軽を雇うようになり、彼らが戦場に躍り出るようになった。破壊工作用の足軽だったが、応仁の乱が長引き、足軽自体が傭兵のように各地を渡り歩くようになり戦場の何でも屋として使われていく事になる。
ちなみに、西欧では攻撃力が上がる程、防御である冶金術のレベルも上がっていったが、防御力が上がると逆に細かい機動力が削がれる事になりアジャンクールのような大敗も珍しくなくなった。騎兵は長らく戦場の主流であったけれど、銃の登場により騎兵に対する対処法が格段に進化してテルシオのような隊形が生まれ無双するようになる。
まあ、足軽や傭兵と言っても時代によって経験値や戦闘力が違う。30年戦争当時のドイツや東欧の傭兵ならば個々の兵士の残虐性や狂暴性など戦闘力で言えば足軽よりも強かったでしょうね。
終身雇用、粗末な兵装、攻撃偏重、食の確保、機動力、卑怯ラッキョウ
期間雇用、豊富な兵装、防御偏重、飢死傾向、守備力、正攻法
現代も感じる東西の傾向はこの頃にはもうあったんですね参考になりまうす
日本の戦国の足軽、西洋の傭兵、合戦開始は、日本では、法螺貝、西洋では、角笛、三國志の合戦では、角笛を使ってたでござる、日本の足軽は、江戸時代、足軽傘寿ぴょう人斑、御家人、足軽侍は、同心、上の足軽は、与力、江戸町奉行、火盗改などの配下、足軽侍、御家人でござる、以上
足軽の戦いをしたナチ
西洋兵の戦いをしたマジノフランス
結果は歴史書に
西洋の傭兵は戦争が長引くほどお給料がもらえたそうなので、戦意がなく
意図的に長引かせたと聞いたことがあります('ω')
西洋の陣は機動力がなかったのですね。
日本が江戸時代になって平和になった頃に西洋では方陣から
究極のチキンレースとされる横隊になったのですね('ω')
誰をあるいは何人討ち取ったかなど具体的な褒章の条件つまり手柄の概念がなかった
ベトナム戦争時のアメリカ軍で「士気維持のための画期的な方法」として導入され民間人虐殺につながったという
此れを観ますと、日本の戦国時代は兵站をとても重視していたのに、
昭和の帝国陸軍はむしろ蔑ろにしていたのが非常に不思議に思われますね。
「欧米列強」って意識があって、なんでも欧米化した弊害なんじゃないかな?
それは補給と兵站を混同してる。日本軍は兵站は重視したが補給は軽視した。
兵站は軍の活動全般を支えるシステムおよびその概念そのものを言うけれど補給は前線部隊への需品の供給行為だけをいう。要は宅配会社の集荷・分別、配達車両の運行計画や物流センターの運営といったものを含めるのが兵站で補給は顧客への配達業務だけなのよ。
西洋が傭兵団で耕地が少ないスイスが傭兵で強いなど日本の忍者の成り立ちと同じ経歴みたい
スパルタ兵と島津軍 どちらがバーサーカーで強かったんでしょうか
何処で戦うかにもよる。
野戦攻城戦だと足軽不利
夜戦山岳戦だと傭兵不利じゃね?
鉄砲は日本のものが優れていたよ
マスケットの時代なら日本の方が上だねー。あと戦場の地形だねー
この動画では鉄砲の優秀さは述べてないのでは?
あくまで攻城兵器として述べてるだけですよ。
幕末はリボルバーやガトリングガンが登場しますね
剣心がガトリング砲に苦戦しとった。
@@クロコダイルパンティー 武田観柳はガトリングの天才だから・・・あれを基準にしてはいけない
鎧は西洋の方が優れているから、槍では対応できないと思うね。接近戦でも銃を使わなければならないので数に勝る西洋に武があると見て良いと思う。
鎧はロリカ セグメンタタを除いて(コイツも機能面はいいのだけど保守性に難があるシロモノだけど)西洋の方が優れていたなんて時代はないですよ
あとマスケットは当たらないです だから怖くない
あんまりに当たらないんで戦列歩兵って兵科が生まれたわけで
兵糧まで含めて戦闘力と考えるなら足軽の方が強いと思う。
あと西洋には竹束が無い。
山岳地帯で戦うなら足軽が有利。だだっ広い平野で戦うなら傭兵が有利。10式戦車とレオパルト2みたいな感じだな。
盾の防御力と戦術っぽい💣
西洋の重装歩兵が着込む鎧を槍が突き通せるかどうか❓
実験では日本刀は鎧ごと肩からザックリ斬ってしまうほど強力最強らしいです
首を斬り飛ばす日本刀の威力を見て度肝を抜かれ朝鮮・明が怯んで総崩れになった話も有りますからね
個人的な見解ですが…。
正面衝突したらあっという間に西洋の方が勝つと思います。
武器の性能が全く違うし、戦争の歴史が段違いに西洋の方が長いですから。
でも、夜襲や奇襲等の規範や宗教的なタブー意識の低い。 つまり、臨機応変で頭の柔らかい所に足軽側の勝機があると思います。
総力戦を避けて夜に攻め込めば、あっという間に決着が着くように思います。
そもそも地形が違う・戦列歩兵の時代には既に日本は江戸時代に入っている
一番大きいのは西洋は弓に対する置き盾が無い
歩兵の武装は西洋も日本も大差ない
それに戦国時代くらいなら槍が長い方が勝つ
あとは士官の戦術次第です
足軽は連携が取れているときは強いが混戦になった時正規武士に片っ端にやられます。また火縄銃、マスケット銃、当時の火砲を過大評価しています。
銃器の命中率は極めて低く貫徹力も低いです。お互いに竹等で作った防御盾に鉄板を組み合わせて接近すると考えられますし日本側も鉱山採掘技術等発達
しており塹壕、土塁を構築するでしょう。
時代なんかにもよるだろうけどマクシミリアン鎧なんてクソ重い鎧を装備した西洋兵は足軽にあっさり組み打ちで首切られるとおもうんだけど
鉄砲の話も西洋は傭兵隊によって微妙に口径やら弾丸やら違うだろうしまとまった運用は難しいんじゃない
てかいつも思うけどこのチャンネルの考察って大事な所がいっぱい抜けてるよな
また中東圏や中国、同じヨーロッパ圏でもヴァイキングだと違うんだろうね。
もちろん、中国とかもね。
民族が違う。
戦闘のフィールドの差がありますからね。
まぁでも、ひのもとの足軽が勝つに決まってますけどね☝️✨
同じ数で勝負したら西洋の圧勝だとおもいますよ。こたえは動画の中にあるとおもいますが、同じ240人の部隊で対決させたら、鉄砲が120丁 VS 24丁になりますから。足軽部隊が万が一つでも勝てる可能性があるとしたら、おっしゃるような夜襲でしょうねえ
同数兵による鉄砲戦を想定するなら雑賀や根来で100%の鉄砲保有率になるのでは?
そもそも日本は傭兵のような小集団に多数の種類の武具を使用している部隊ではなく
専門の部隊を複数用意して戦うため比較するだけ無駄だと思います
それでも武士による指揮官狙いの狙撃が成功してしまえば日本が勝つことになりますがね
単純な兵の強弱だけを比べてもあまり意味がないのでは。
戦争全体を見た場合、兵站の整っている日本の方が有利となるのでは。
よく侵略されなかったと思います
アジアは李氏朝鮮や明国も
それほど強くはないです
大砲はやっぱり大きいです。
細かくツッコむ気にはなれないけど、西洋については不正確な点が多々あるように思える。
例えば、ナポレオン以前の中隊長は、連隊長の補佐ではなく、兵士たちの直接雇用主。
今の日本に例えるなら、一次下請けの社長と二次下請けの社長の関係。
そもそも、西洋の兵士についての説明は色々な時代がごっちゃになっており、日本の戦国時代と一概に比較できないように思う。
太平洋戦争時の兵站模様は何だったんだろうな
ロシアの兵はシベリア、囚人、から募集。戦死しても行方不明で処理。賃金はでません。
傭兵は金で雇われた兵士だから雇い主である国王の為に命を掛けて戦いに臨まない。徴兵で国の為に戦う国民軍を編成したナポレオンが強かった理由。
うーん、どっちが強いというか、地形や気候に各々特化した兵種だと思う。日本は田、丘や山が多いから、攻城兵器なんて大規模な城にしか使われなかっただろうし、戦国時代は今のコンビニよりも城、砦の数が多かった位だから、発展の仕様がない。
西洋がいかに弱く,日本人がいかに優秀
か分かりました。
@@クロコダイルパンティー いま、1人あたりGDPで日本はもう後進国になってるし、西欧どころか韓国にも抜かれてますが大丈夫そ?w
GDPと戦力は正比例しない、バカなんだな。
@@クロコダイルパンティー 「正」と言えば誤魔化せると思ってるんですねw 十分に相関があることを表現だけでどうこうしようなんて。韓国に抜かれたのかそんなに悔しいの?w
@@クロコダイルパンティー 比例するものを、「正」比例しないからGDPは戦力とは無関係なんだ〜いってか?🥰基礎学力だいじょぶそ?w
問題は、地形だ。川や山の戦いの場合の話。しかも、高低の差。高いところから攻めるとか。
足軽が軍事専門職というのは容認できないなぁ。
兵農分離は信長以降に一部で実施されたが、全体はそうであったような主張は無理がある。中世では農民も武装していたと考える方が正しい。
これは僧侶が武装していたのと同じ。
でなければ刀狩りをする必要がない。これは天下統一後の話。
長曽我部氏の一領具足政策はどうなる?
全くの私見ですが、戦国時代は日本も傭兵が多かった気がします。秀吉が強かったのは金があったからでは。略奪、強姦が多かったのは傭兵の百姓が多かったからなのでは?
実際に戦国後期は多いですよ。
信長の上洛以後の信長軍というのは動員数が跳ね上がるんですが、これは当時の畿内、とくに山城や摂津国あたりは余剰人口がけた外れに多くて金にあかせることで多くの兵を雇えたからなんです。
なんせ山城一国だけで当時の関東に匹敵する人口があったと言われます。
この辺は石高だけに目を向けてるとわかりづらいんですけどね。
@@通りすがりの赤い人 ありがとうございます。勉強になります
西洋で騎兵が見直されるのは三十年戦争のスウェーデン騎兵からですね
悪名高いカラコールみたいに射程外からパンパンしてるだけのは傭兵同士の戦争ごっこでしかなく
この時代のイタリア北部で行われた戦闘では一日中戦っても死者が落馬事故によるものだけだった事もあります
演技の勢いはいいけど……声がデカすぎて所々が音割れ酷くて耳が痛いっす
日本の長槍は野戦で対歩兵用、比べて西洋のパイクは、対騎兵用。
そもそも槍の用途が違うからなぁ。
パイクって地面にぶっ指して、騎兵のチャージに対抗するものだから、歩兵対歩兵に特化した長槍ってなると、パイク以外の槍だろうね。
そこで比較しないといけないのは、当然槍の長さだろうよ。
戦術も西洋が方陣作るのは、広い広野で騎兵が自在に何処から攻めてきても良いように組まれる陣地だし。
それに比べて、日本の方は地形が山ばかりで、大抵その山岳地形を利用して戦うから、そもそも方陣を組む必要はない。
だから、西洋が日本に攻めてきた場合は、日本にぼろ負けするだろうし、日本が西洋に攻めればその逆もしかりだろう。
結局用兵ってのは、兵器と一緒で地形的条件によって進化したものだから、当然その地形に合致した戦いが出きる方が勝つ。
単純な兵の強さだけでは、どっちが強いとかは本当にナンセンスな比較でしかない。
ヨーロッパの王様と貴族、日本の大名家と家臣では主従のシステムが違ったから、大きな戦争、大きな合戦ではまた事情が変わってくるだろうな。ヨーロッパは忠義より見返り。
侵略が得意なのは圧倒的にヨーロッパだよね。
いや一緒やで。忠義は江戸時代以降のシロモノ。
@@ごんごんちゃん-c3e そうなんだ。忠臣蔵とかのイメージでした。
ただヨーロッパの貴族は王様の部下じゃなくて、領地と権力の差というだけで、だから戦争に行っても自分の家にいい事がなければ傍観なのよ。
こんにちは、西欧諸国は、今もその対応が全然変わっていませんね、どうしてでしょうね
足軽の方が強い!
ヨーロッパの進出著しい東南アジアで日本人傭兵が活躍した事からも、鉄砲が普及した関ヶ原の頃を基準にして、陸戦に限定すれば、同数でも日本の方が強そう。
これが長篠の頃を基準にするなら、まだ鉄砲装備率が低かっただろうから、少し事情が異なると思うけど。
ちなみに仮に日本とヨーロッパが陸続きで、例えば当時ヨーロッパ最強だったスペインと戦うとかだと、そもそも人口が違うので日本が有利だろうね。
大砲については、幕末にヨーロッパから伝わったのは榴弾砲だったけど、1600年前後だと広範囲の兵をなぎ倒すような威力じゃなかったので、攻城戦以外では決定的な威力は無い。
あと、航海術や造船技術が違うので、海戦なら圧倒的にヨーロッパが有利で、多分まともな勝負にならない。
たから、ヨーロッパ側は制海権を生かして背後を突くとかいった戦略は使えるかも。
グールって、十字軍やなぁ…。
追撃のために騎兵がおるんやが…?
結論:どちらもヒャッハー😜
西洋は自己主張が強いんだなと思いました😂笑
牢人?浪人ね
西洋もいいが支那軍はどうだったんだ?あと、モンゴル兵も興味あるね。
圧倒的な数の鉄砲で日本が勝つだろうな。
20世紀に飢餓で将兵が命を落とした帝国陸軍とは・・・?
戦線を長く細かく伸ばしすぎたから
海軍に兵站線の考えがなかったから。そら海軍は船の中だけで兵站が完結するからな。
海は初めてで大陸で勝利を経験した日本は海上の兵站をなめていたのだよ
@@gsb7422
日本陸軍ほど海に向き合った陸軍もいないと思うけどな
大陸に行くにしても海を渡る必要があるし
@@TH-ul4gd
補給線の長さが違いすぎるよ
装備率を言うなら母数くらいちゃんと提示しろw
ろうにん 漢字違う
家守る
駒も必死の
草の根も
知恵と兵糧
日の本の駒
ちからわざ
叩き突いて
火砲にて
石壁崩し
読み書き知らず
ノーミン