【ゆっくり解説】 中華三大女傑 呂后 【漢】
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- 中華三大女傑の一人で、漢王朝の創始者劉邦の皇后となり権勢を振るった呂后の生涯について紹介します。
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唐代武則天の時もそうですが、どんなに宮廷内部で陰惨な事態があろうとも、平民は安寧のもとで過ごせているんですよね。
呂后の場合はいかんせん劉邦最大の被害者の1人であるという…。
同時にこの女傑が支配する中でも生き残った陳平って…
呂氏は実は楚漢戦争で総大将になってたり重要な立ち位置ではあったんだけど、ほとんど事跡が削除されてしまってるのよね~
実はわりと最初から権力握ってたのがわかる
呂氏の部下の人達が功績14位あたりになってるそうですからね。
劉邦の職務は泗水の亭長に過ぎなかった。
警察署長みたいな役職と言われるが。もっと言えば日本で言えば岡っ引きみたいな役職だな
その程度の地位に過ぎなかった劉邦が兵を集め、反乱軍の頭目の一人になれたのは有力者だった婚家の呂氏の存在があってこそだ
劉邦の天下取りは呂氏の存在なくてはありえなかったわけでな。
そうして手に入れた地位を、色仕掛けだけで横からかっさらおうとした威夫人に呂后が激怒するのはわからなくはないが
色々とやりすぎて、後代に悪評ばかり残す事になったな
劉邦死後に、ボクトツ単于が「慰めてやろうか?(笑)」と煽ってきたエピソードも入れて良かったかと。
大変興味深いですねぇ。呂雉が残虐なだけではなく政治的手腕にも優れ、その治世が民にとって泰平の時代だったことは以前から知っていますが(これは武則天にも似ていますね)、その冷酷非情な性格の源を探る試みは非常に面白かったです。また、単に残酷というわけではなく、その心が不安定でヒステリックな面もあること、強い孤独感に苦しめられていたことも新鮮でした。言い方は少しおかしいのかもしれませんが、この動画を観ると呂后も「悲劇のヒロイン」の一人なのではないかと思えてしまいました。彼女に殺された人たちを思うと、そのように考えることは罪なのかもしれないとも感じ、なかなか複雑な気分にさせられました。
いうほど政治手腕優れてるか?
たまたまヤバい政治案件や外敵が無かっただけの気が…
後の後漢で功臣の末裔が外戚として跋扈する事考えると、初期に芽を摘んだのはある種の英断かもしれない
まあ、結局自分達が外戚として跋扈するんだけど…
呂后が亡くなるまで、呂氏には誰も手が出せないほど政治的には過失をしていないのは、すごい人だと思います。
確か匈奴の冒頓大単于に自身(呂后)を侮辱する手紙(煽られた?)を送られてガチギレ。
匈奴討伐やろうとして、ビビった重臣達が必至に諌めて思いとどまったことがあったとか。
対匈奴戦をやらないアピールの仕込みか、ガチだったかは不明。
もし対匈奴戦争をやっていたら歴史が変わっていたかも知れませんね。
(漢がボロ負けして匈奴に華北を取られかねない)
このお方は目立った政治外交エピがこの程度なんですよね。
影で動いた重臣達が有能なのか呂后の政治力なのか。
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空閨をかこつ呂雉に無礼な手紙を送って来た匈奴の単于に呂雉はというと…
呂雉「おのれ、何たる無礼な❗」
樊噲「どうか、私に十万の軍勢をお授け下さい。
必ず匈奴を蹴散らしてやります」
樊噲の意見に同調する声が多い中、ただ一人真っ向からこの男が反対した。
季布「樊噲将軍の発言は、死罪にあたります」
家臣達がどよめくが、季布は正論を述べる。
季布「高祖陛下が、白登山で屈辱的な和議を結んだ事を方々はお忘れか?
それに樊噲将軍は、十万の兵で匈奴を蹴散らすと言うが勝算も無く戦を仕掛けるのは、国家にとって害でしかありません。
だから死罪にあたると申しました」
呂雉「分かりました。
匈奴には、こちらから穏便な返事を出しましょう。
樊噲将軍も、良いですね?」
樊噲「…承知しました」
こうして、『私は年老いて、役に立ちません』との返事を受け取った匈奴も無礼を詫びる手紙を送り、事なきを得たのだった。
@@user-lw5sd7lb4u これは知りませんでした。ありがとうございます。
しかし、鴻門の会での活躍エピが有名だけど、その一方で韓信の大将軍任命に纏わるエピとか劉邦の晩年期の讒言で死刑になりかけるエピとか樊噲さん、結構、残念理不尽エピ多くね?
、、、季布と示し合わせて一芝居うったなら凄いけど。
季布の助命に動いたのは俠客の朱家でしたっけ?
いつか季布や朱家についての解説動画を見たいですね。
@@daikon_yakusha
ありがとうございます。
樊噲は、三國志でいうところの張飛みたいな役と思います。
ただ晩年は精細を欠き、更に呂氏が粛清された時は妻も子供も処刑の憂き目にあい、傍系の子孫は前漢末期までいたようですが、その後の消息は不明です。
でも光武帝劉秀の母親の名前が樊嫺都といい、私は樊噲の傍系子孫じゃないかなと思っています。
一方季布は侠客の朱家がいなかったら、高祖の仇として歴史の表舞台から消えていました。
そんな季布ですが、彼は仁義を重んずる義理堅い男で、相手が誰でも憚らずに直言し約束を守り実行する、その姿勢が評価され文帝の御代まで仕えました。
季布への最大の賛辞がこれです。
『季布の一諾は、千金に値する』
劉邦がもうちょっと真面目な夫やってたら、呂后もここまで責任背負いこむような人にはならなかったのかなと思った事があります。為政者の責任感と権力欲って表裏一体なとこがあるからあまり強すぎない方がいい場合も多いんですよねぇ。
呂后が劉邦の父親ともども項羽に囚われていた時、劉邦の父親は平伏して命乞いをしていたが、呂后(呂雉)は毅然としていたとか。
周りが敵だらけの状況で皇后になっても誰が敵か味方か不安でしょうがなかったかもしれないですね。
呂后は女傑で優秀な為政者ではあったとは思うけど、結局残虐な行いがたたって死後は取り立てた一族が族滅に会い、漢の皇統も自分の子孫に継げられなかった点はしくじりでもあるね。まあでもその争いが宮廷内に収まった点は国家にとっては良かった点かな。景帝のナイーブさを見誤って人豚を息子に見せたのはかなりまずかったとは思う。
張良が呂后の相談に乗ったのは情にほだされたのではと思います。
劉邦が彼女に沢山苦労をかけて、しかもそれを顧みることは殆どなかったことに哀れみを抱いていたのではないだろうか。
張良のような知恵者を動かすには、損得や利害を説くより情に訴えた方が効きそうだと思う。
もちろんそれまでの呂后の苦労があればこそだけれども。
恵帝と呂后は治安維持&経済再建&外患対処を同時に成功させた事を考えると、歴代王朝二代目としては優秀な部類なんですよね。
直前の始皇帝の時代に「統一王朝」の概念が出来て、国家運営のノウハウが少なかった時代で上手く地方長官達をサポート&暴走抑止出来ていたのは何気に偉業です。
劉邦の家臣達が恵帝を推したのも慧眼ですよね。
呂后が一体何を思って恵帝に、アレを見せたのか分かりませんが、結果的にこれで息子は完全に壊れてしまったのだから、少なくとも親としては最低ですよね😅
恵帝も戚夫人に懐いていたのが原因じゃなかったかな
息子の為というより憎しみが凄かったんだろう
私たちが命懸けで支援したおかげで、あの入り婿は今の地位を築けたのに、それを平気で裏切ろうとした、ふざけるなというのが、呂后と呂氏の言い分ですね。被害者意識が強くなると、仕返しも過激に。
人豚の話は、漢王朝を乗っ取ろうとした呂后と呂氏の悪行として、誇張されて伝えられたように思いますが、それに近い嬲り殺しはあったのかもしれないです。
歴史上の出来事を心理学的に掘り下げて推察するのはとても難しく、歴史の知識だけでなく人間性そのものへの深い考察と想像力が必要とされると思いますが、鳥人間さんの手腕は本当に見事で、いつも感動させられます。今回も素晴らしい内容でした!
兄嫁にイジメられ、項羽に捉えられ、散々尽くしてきた旦那には蔑ろにされ、呂后ホンマかわいそう……ぴえん超えてぱおん🐘
良いところのお嬢さんだったのにね。
劉邦が彼女とその子供達に対し行った所業を考えたら、歪む事に関しては仕方ないと思う。
幼少期の虐待トラウマでもあるまいし、人豚はたんにやり過ぎだとは思う
嫌いにはなれないけど
呂后、武則天、西太后は粛清や残忍な刑も執行したけど女傑と呼ばれるくらい為政者としては優れていた。
賈南風みたいな人間がホントに救いようがない悪女。
連続殺人者が克明な日記を書いていたりします、後ろ暗い事でもやりとげた事への承認欲求は存在します。呂后は人豚で今までの恨みを晴らした事を誰かに見せたかったのではないでしょうか?そうなると相手は身内の息子か娘しかいないわけで…。
見せられる方はたまりません。
もはや虐待の域
まともな性格の恵帝はそんなもん見せられてたまらんよなあ
実際それで病んだ様なもんだし
呂后は確かに恐怖で人々を統治した人ではありますが、民衆に平和をもたらした人でもあるのですね。人の評価はなかなか難しいですね。
だから司馬遷は本記をたててるんだよな
内政能力という点では間違いなく有能なんだよな。
動画すごく面白かったです。言葉は悪いですが、中小企業から大企業へ躍進した華麗なる一族的な話しの印象を受けました。創業者をかげで支えてきた、しっかり者の教育ママが、創業者亡き後に暴走して、実はすごく経営手腕のある2代目をダメ男にしてしまう…。なんか、ありそうな話しですね。
恵帝が精神ショックで腑抜けになった、という説には異論が残る。治世後半でも普通に政治やってたという記録もあるらしい。
劉肥毒殺未遂事件はその後の出来事だしね
ただ、グロ死体を自分の母親から笑顔で見せたら誰だってPTSDになると思う
何気に呂后の本紀があるのすごいね
司馬遷が、劉盈(恵帝)の治世で実質的支配者だった呂雉(呂后)に本紀を立て、高祖の後継者と認めているからです。
班固の漢書では、恵帝紀の次に高后(呂后)紀の順番になっています。
映画「鴻門之会」に出てくる呂雉は凄い迫力でしたね。理性的で声は穏やかなのに狂気を感じさせる。あの演技には驚きました。
劉邦の回想に出てくる彼女は可愛かった
お疲れ様です!今回も楽しく視聴させてもらいました😊
父親の鶴の一声でイケメンニートと結婚させられ、振り回され続けられたと考えるとこんな性格になってしまうのも仕方の無いことなのかもしれませんね。
おまけに死後に辱しめまで受ける始末…。段々呂雉さんが悪女から不憫キャラに思えてきました😢
なんていうかアレだよな
糟糠の妻をないがしろにするとあとになってロクでもないことがおきるよな
今回もありがとうございました。
呂后の時代は治世としては鼓腹撃壌という言葉が当てはまると思います。
もちろん彼女の行った事は大変残虐な事でありそれを否定はできませんが、国の統治として平和を重んじ、民に休息を与えた事も事実。
結果として秦の時代に使われた法律の類を漢も多く引き継ぎましたが、廃止すべき所は思い切って断行し、
古代中国が理想とした法三章を体現した点については、一定の評価がされるべきと思います。
中華三大悪女の二人目、キターw(時系列的には、一番目だけど。)
でも、他の二人と違って、旦那の身分が低い頃から一緒で共に戦乱を生き抜いて国を建ててきた感があるから、幾分か残酷で権勢を誇ってもしょうがない部分あるんじゃないかと思うよね。やっぱり。
この動画では、触れてなかったけど……
劉邦が亡くなる前に没後は誰を頼ればいいのかと聞いて、劉邦は歴代補佐候補を3人ぐらいまで上げるんだけど、それでも「更にその次は、誰?」としつこく続けるので、「お前は何時まで生き続けるつもりなんだ?」って返される逸話、好き。
たぶん、後世の作り話だけど。
いつも動画を通して勉強させていただいております。
司馬遷の見解ですが、専制的な政治は同時に社会に秩序をもたらすため、戦乱の世にあっては安定と秩序が求められという意味ではそのようになったということでは民衆にとっては望ましいものだということなのでしょうね。
残虐さ・闇の深さでは歴代中華王朝の中でも漢・明は群を抜いていると思う。
国内無敵の呂后に
「旦那(劉邦)が亡くなって淋しいだろう?相手してやろうか?」と手紙を送りつけた冒頓
@GF8EWRX 匈奴との戦いで漢は敗北し、匈奴を兄、漢は弟という屈辱的な形で和睦を結んだからですかね?
冒頓、匈奴流の社交辞令だろうがなかなか良い奴。
なお、受け取った呂后
「よろしい、ならば戦争だ(真顔」
重臣ズ「えぇ、、、」
こういう食えなさがあるから冒頓好きだわ
動画投稿ありがとうございます。
呂后については残忍さだけが協調されてきてました。確かに残忍な所業は多かったようですが、置かれてきた境遇や創設間もない政権のその後の動向を考えると評価は多面的に留意すべきかと動画みて思いました。
それと民衆に負担を強いることがなかったことにも注目すべきかとも思います。
DVDの後の話を今回知りました。やっぱりね、理由があるのだとお話を見ながら考えさせられました。呂后ひとりの内奥を知りうる年齢まで恵帝が生きていたら、どう理解し受容でき、判断できただろうか・・・と。張良はじめ賢人の逃れ方に関心を寄せました。
最初に人豚の話を知った時は
背筋がゾッとしたけど、
このチャンネルの過去動画の
登場人物の行いを知るにつけ、
あーまー中国だし
そんなこともあるよな。
と思ってしまってる自分がいる。。。
史記の呂后本紀の最後の一分は重要です、この人の実態を極めて正確に書いているかと。項羽にもそうですが司馬遷は呂后にも随分同情的に思えます、どうも皇帝になってからの劉邦は嫌いっぽいですが。僕も拙作で劉邦は皇帝になって以降しか書いていないですが碌なものではないです。
司馬遷は呂后に同情したわけではないと思います。
独裁ではあるが政局を安定させたことや、民衆に過大な負担を掛けなかったことなど
呂后の功績を考えて、呂后伝ではなく呂后本紀にしたのでしょう。
自分の好き嫌いを史書に反映させるのではなく、功罪ともに考察して公正であること。
司馬遷は常にそれを心掛けて、史記を書き記していったと思います。
(とは言え、司馬遷は英雄や豪傑が大好きだったようで、そういった人物の描写が名文なのが史記の魅力の一つですが)
劉邦、呂后、恵帝、劉如意、魯元公主の墓は以前実際に見ました。劉邦、呂后、恵帝の陵墓は同規模の大きさ、趙王劉如意の墓はそれらの墓には大分劣りますが、それでもそこそこの大きさがありました。魯元公主は劉如意の陵墓のすぐとなりにある小さい陵墓でした。呂后の墓は劉邦の墓のすぐとなりに同規模であるので、呂后の権勢が劉邦に並ぶ権力を持っていたことがわかります。私はその時行きませんでしたが、中国のサイトを見るとその南に戚夫人の墓があるそうです。長らく戚夫人の墓は不明でしたが、それは戚夫人の墓に穴を開けて、窰洞にして近年まで人が住んでしまっていたからだそうです。劉邦と劉如意の陵墓は2014年に盗掘騒ぎがありました。劉邦の長陵は赤眉の乱で既に盗掘にあっていて、南側がそれで崩れています。
呂后と呂氏一族は専横はしても、苦境時代の劉邦を支え続け、支配民にはとんでもない労役や搾取を行わず安定させていた事は評価しても良いと思う。
最初に言っておきますが女性差別ではないです。呂后も武則天も身の回りの政敵や愛人のような人間関係には冷酷に対応してますが、民衆には始皇帝のような苛烈なことはしてないですね。
やはり、縄張りや家庭のような部分にいろいろあるのが女性らしいです。
息子のためと思って行動して逆にダメにしてしまう親は現代にも多いですね
鳥人間の時間だー毎週楽しみにしてます
感情が絡まなければ優しいおばさん
感情(特に嫉妬)が絡むと……
宮中は荒れたけど民間には優しい政治家だったんだよね
勉強になるなぁ
武則天も呂后も女性が権力安定を図る間は庶民の生活も安定、発展するんですね。外敵がいなかった時期にもよるんだろうけど
・呂后は正妻だが、一番目の妻ではない。
一番目の妻は高祖の庶長子劉肥を産んだ曹氏と言われている。
・周昌は元々高祖時の御史大夫 (万石、副首相) の地位にあったが、高祖自身に請われ止む無く趙国相 (二千石) に左遷となった。
・呂后に面と向かって反対したのは太傅王陵だけだったと伝わっており、その王陵も諫言後すぐに隠棲した。
呂后は現代だったら、精神病が疑われるような振る舞いをしてますね…。
恵帝は劉如意の件や人豚事件で絶対精神病に罹っている。
そういや、劉肥の母の曹夫人は記録があまり残っていないみたいなんですよね…。呂后時代どうしていたのか…。(てか、そもそもその当時まだ生きていたのか…?)
こうやって呂后をみると、「いつかビッグになってやるぜ」と誇大妄想を抱きがちな遊び人の劉邦に対して、「わかったから、今日は仕事を見つけてきなさい!」と尻をひっぱたき続けた嫁だな。どんぶり勘定の社長に対して、しっかり手綱を握ってる嫁兼専務という感じ。誰かと一緒に夢を見るタイプではなくて、すでに手に入れたものを守るタイプだからな。劉邦が天下を取って、息子が跡を継いだ後はとにかく息子の天下を守らないとと思っちゃったんだろうね。息子まで死んでしまうと、今度は自分がしっかりしなきゃ守らなきゃって自分を追い込んでいってしまった。
なんか、劉邦の死後呂氏一族が家臣を粛正して権力を握ったってのが、北条氏が頼朝の死後、鎌倉幕府の実権を握った経緯に似てますね。
その人柄で周囲をひきつけた劉邦とただの神輿に過ぎなかった頼朝ではかなり違うと思いますよ
頼朝の死後北条氏が引き継ぐのは恐らく規定路線でしょう
頼朝の部下たちは平氏ですから
頼朝はただの神輿ではない。頼朝自身が家臣や身内を粛清させているので、どちらかというと明の洪武帝に近いと思う。
あと秦紀の方そろそろ進めて欲しい。
劉邦が挙兵した時、情勢が悪くなると雍歯に裏切られるほど故郷の人間から嫌われており、地元の有力者で一貫して協力的だったのは蕭何・曹参くらいしか居ませんでした。(樊噲は肉屋・夏侯嬰は馭者・周勃は機織り職人兼葬儀屋・盧綰は幼ななじみ)
ここから推察ですが、創業時から呂氏一族は劉邦陣営を支える中枢となっていた事は想像に難くないです(史記が書かれた時代背景的に、呂氏一族の功績については意図的にカットしている可能性が高いと思います)
頼朝も挙兵当初に付き従うのは北条一族くらいで、その功績で有力者となり権力を握った点は似ていますね。
違いあるとしたら、その後に権力を掌握し続けられたか否かで、それによって歴史書の扱いも変わってきます。
@@user-rs6cx8jf3v 呂沢辺りは挙兵時〜楚漢戦争の頃なんかは他の沛のメンバーと同等あるいはそれ以上の功績があったと思うんですが、本来ならもっと大きく扱われても良かった人物だと思うんですよね。
確かに朝廷内で相当残忍な事があって人豚とか普通に出来ない事ですが、一般庶民としては長い戦争が終わって平和な時期ではあったのは大きいでしょうね。匈奴からの挑発も一回は激怒したけど結局軽くいなして対外戦争にもならなかったようですし。
呂后の政治は人民には非常に優しい政治だった。劉邦の事業が軌道に乗った後は新規事業を抑え重税をかけず世の中の治安維持、徴税、裁判の公平さに意を払っていた。それは呂后が庶民の暮らしを経験し庶民の生活がどのようなものか理解していたから。嫉妬から発した残虐さとは切り離して評価する必要がある。陳平も呂后の政治的バランス感覚を絶賛していた。日本で言えば北条政子に似ていると思う。
確か冒頓単于が奥さんを亡くし
夫 劉邦を亡くしたばかりのリョウ妃に
(私も貴方も伴侶を亡くし人肌が恋しい日々 いっそのこと2人で慰み愛ませんか?)という手紙を送り、リョウ妃が激怒したというエピソードも入れて欲しかったです。
今日共通テストの模試を受けたんですが、11:48~のくだりが漢文でそのまま出て来て一人で興奮してしまいました()
鳥人間先生様々です
そいつァ何よりです!!
結局息子の信と命を喪った事が運の尽きだったのかも…その報いが来るのにだいぶ時間がかかったようですが。
呂稚さんは秦の呂不韋の一族だったという説もあるみたいっすね。
眉唾ですが。
ただ呂姓だからじゃねぇ~のぉ~?
と考えていますがw
因みに本宮ひろ志「赤龍王」の呂稚さんはかわいい
劉邦:皇帝、かくあるべし
張良:王佐、かくあるべし
呂雉:権力固め、かくあるべし
半端な処置は恨みを抱かせいずれの復讐となる。だからやるなら徹底する、というのは歴史を見ると正しいんだよなぁ。
「人豚」はさすがにアレだけど、少し違ったら自分がそうなっていたとも言えるわけで。
恵帝は漢王朝が安定した時期の皇帝なら、良い感じに手腕を振るえそうだったけど
丁度漢王朝初期の一番地盤固めの大変な時期なのが気の毒だよね。
やり方が異質で怖すぎるけど恵帝に足りないリーダーとして時に優しさを捨て、冷酷にならないと
全てが一瞬で崩れる厳しさを教えたい呂后の気持ちも分かる。
恵帝は極めて普通の人だったから良くなかったのかも。
@@heiho_ita 張良の策があったとは言え、四賢人が従ってくれたと言うことは、ある程度の安定をもたらす素養のある人物ではあったと思います。ただ、産みの親の呂后の残虐行為に堪えきるだけのタフさが無い温室育ちだったのが………。
朱元璋と劉邦って似てる所けっこうあるけど、奥さんとの関係に関しては決定的違うよね
馬皇后は朱元璋のこと大好きだったけど、呂后は劉邦好きってわけではないからね。手の中にあるものを一生懸命守ろうとしたで呂后の行動は説明がつくかと。
洪武帝にとって馬皇后はブレーキ役っぽかったけど、漢高祖夫妻の場合は逆に漢高祖がブレーキ踏みそうになるのを呂后が遮ってアクセルを踏む役割w
旦那があんなんなら普通に愛想尽きるでしょ。絶対朱元璋の方がいい旦那だったと思うし。
朱元璋の不幸は家臣達の暴走だからね😅
前180年の呂雉の死後に呂氏は族滅を受けますが、
その中に樊噲(前189年に病死)の妻の呂嬃(呂雉の妹)と息子の樊伉も連座して処刑されます。
彼らの処刑の原因は、呂雉が専横していた時期に樊噲(私は謙虚なイメージを持っています。)に反して調子に乗っている所を恨まれたのか、単なるとばっちりなのか気になる所です。
別の機会も楽しみにしています。
子供時代から人生の前半酷い目に遭うと、誰も信用出来なくなる。
故に苛烈さが増すんだよねぇ。
始皇帝もそうだよね。
民草を巻き添えにしなかった呂后、言われている程悪い奴じゃない気がしますわ。
最近TSUTAYAのレンタルで「項羽と劉邦」観ていますが、呂雉の回りの環境がいかに酷かったかがよく分かります。多少脚色はありますが、彭城に幽閉されているシーンなどは印象的でした。
戚夫人を出してくれてありがとうございます。漢の美女と現代の美女ではやはり違うんですかね🤔
まあ、あの頃、女性が何か歴史的に残すとなれば、「悪女(歴史を刻む男性に嫌われる)」か「美人(人形がたまたま王に寵愛されて大惨事)」かどっちかだもんね。
歴史フィルターがなかったら、結構かっこよくて面白い人だったんじゃないのかなあ(希望)。
しかしこの劉邦と呂雉の間に生まれた恵帝が、
どうしてこれほどの真人間に育ったのかが謎だわ
捨てられたり廃嫡されかけたりグレてもおかしくないはずなのに。
劉邦と呂雉を反面教師にしたんじゃないの?
劉邦も大概だからしゃーない
呂后の路線って後に景帝(恵帝の甥っ子だから彼女にとって大甥)が継承するから間違ってないんだよね。
呂后と則天武后は政治敵対者等に対しては容赦ない苛烈な粛正をしたが農民等の統治は上手く行き反乱は起きなくて呂氏は呂后死後に宮廷クーデターで滅ぼされて則天武后も最晩年の時に宮廷クーデターで失脚した。
呂皇后がこうなるようになったのは劉邦にも責任があると思います。呂皇后がいなければ漢王朝が長く維持されることもなかったかもしれませんね
劉邦のバカムーブほんと好きだわ前半でゲラゲラ笑った
恵帝の純粋な優しさだけが救いですかね…
恵帝は劉邦の愛人の子供達とも中が良かったらしいから恵帝の願いは家族爛々だったのかなぁ?
@@user-pz3yr8pc1w 団欒じゃないの?爛々だと目が輝いているイメージにw
アラマ誤字ってしまった間違い指摘ありがとう
張良は功遂げ身退く事で人生を全う出来ましたね。
劉邦「張良よ、褒美は何が望みだ?何なりと言ってくれ」
張良「私は留の地で陛下の陣営に加わりましたので、そこで充分です。」
劉邦「欲が無いのう、本当に良いのか?」
張良「はい、大国の王位は死亡フラグがいや、分が過ぎますので」
劉邦「…………じゃあ留侯にしよう」
張良「あざーす(^-^)v」
劉邦に遠ざけられるとき「旅行するならどこがいい?」とか言われてたかもしれませんね()
映画項羽と劉邦で呂后・呂雉の役がチャン・ツィー、虞美人草の言葉のモデル虞美人がロザムンド・クワン面白いですよ😃
呂氏の乱を先に見て思ったことを書いてたらここで似たような事話してて何だか恥ずかしいww
まあでも呂后にしてみれば我が子可愛さで立派な2代目の皇帝にするため色々お膳立てをしてみたが、復讐も果たせたし気分もよくなったあたり(?)で恵帝に人豚を見せちゃったのが運の尽きなのかも知れないですね。
でももしかしたら呂后自身寵愛を失うのは結構かも知れないけど、自身の息子を廃嫡までされてしまう事が我慢ならず、自分の中にある怒りや憎しみが劉邦の死後まで増大し、やってはいけないことをやってしまったのではないでしょうか。。。
それにしても人質って人間そのものを変えてしまうんですかね?秦王政然り、徳川家康然り・・・
良くも悪くも似た者夫婦…いや、旦那の薫陶を受けてしまったというべきか。
呂雉きたー。コメントは評価をみてから。
結局恵帝は皇帝の器ではなかったということか
こう考えると劉邦が皇太子を変えようとするのも一理あるように思える
ただもし本当にやるなら自分と一緒に呂后を殉死させないとダメだろうな
あと武則天も呂后も治世は泰平なのに西太后だけいろいろやらかしたことから時代の差を感じる
いっそのこと彼女が登極しても面白かったんじゃないかなあ民には悪い政治行なってないし、なんて思ってしまうけれど儒教の圧の強くないこの時代でもそういうことにはならないんだねえ
後世の人から前代未聞の悪女と言われていても、当時のその人にはその人の事情があって、そういう行為をしたのでしょう。いずれにしてもその時のことはのことはその時ではなければ判らないということです。
これからも面白い動画お願いします
呂后の動画、ありがとうございます。
呂后は勝ち気で残忍な面もありましたけど、王朝を中央集権化しなければならない時期に心優しい恵帝だけでは漢王朝はまとまらなかったと思います。
だからといって人豚事件を擁護するつもりはないですが。
大帝国が長く続くには中央集権化と軍事統帥権の集中が不可欠ですが、秦によって「統一帝国」が出現してからまだ僅かの時期、呂后がそれらの大切さを理解していなかったとは思えません。証拠はないですが、劉邦、張良や陳平達とそのあたりのことは話し合っていたのではないでしょうか。ただ、劉邦の猜疑心と呂后の粛清、呂氏の専横がこれほど激しいものになるとは予想はしてなかったと思いますけど、ね。
恵帝が人豚を見ずに済んだのなら彼は代王文帝の代わりになれるほどの人物であったろう。呂后も本当なら穏和で優しい人物だったが、夫と妾に冷たく扱われて鬼になる道しか残されていなかったのであろう。
でも恵帝は政敵の如意と中が良かったから後継者争いは無意味なんだよな
@@user-pz3yr8pc1w でも、それはまだ、お互いに幼い頃だったから。
もし、長じていたら後継者争いや帝位簒奪に動く可能性もあるし……
如意がその気が無くても家臣が担ぎ出す可能性があるか
劉邦も中々のサイコっぷりで自分に呂雉の恨みが炸裂しなかっただけ感謝しなと。せき夫人は喧嘩売る相手を間違えたねえ。まあでも、子供を皇太子に推さなくてもどっちみち殺されたと思う。韓信でも劉邦でもなく最後に笑ったのが呂雉だったとは…わからないもんス。
呂后といい武則天といい江青といい大陸の女性は善くも悪くもアグレッシブだなぁ
呂后、武則天、西太后そして江青を加えて中国四大悪女に数えられているとかも。
あと、西太后も。
歴史に名を残すほどの苛烈な母から生まれたとは思えないくらい恵帝は優しい、いや優し過ぎた
まあ、母親並に剛毅な人物だったらそれはそれで大変な事になっていたかもしれないが
呂皇后勉強したかったのでありがとうございます(*^。^*)
独孤伽羅も知っていることが少ないのでぜひ取上げて頂けると幸いです!
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます!
これからも精力的に動画を投稿していきます!
やっぱ劉邦が悪いよ劉邦がーっ
結果的に大英雄なんだけど好きにはやっぱなれんなぁ。
人豚事件以後の恵帝はきっと、堕落する自身の姿を母に見せることで秘かに反抗していたのではないだろうか。
まぁ結局、
_人人人人人人人人人_
> 全部劉邦が悪い <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
???「殺しかけた以上、情けは厄介な復讐を生む!!」
いや、庶民にとって想像を絶する地獄だったのは唐末五代の大混乱期だろう。「資治通鑑」読むとまじで吐き気を催す
@@user-si3mk4wx8n さま
魏晋南北朝、五代十国、清末から中華人民共和国初期がワースト3な気がします。
ガンマン10か条にも「傷を負わせたら〇せ」とある
ええ時代じゃあ
劉邦が余計なことをしなければ、あるいは恵帝もあんな死に方をしなくても済んだように思う。やっぱり英雄だけど屑だな。呂后も気の毒だな。
キタァ、呂后ぅ~🎵
なさけむようの残虐行為🎵
タフすぎてソンは無い🎵
まあ、決してそれだけの人ては無いですよね~
劉邦の側室を人豚にしてしまう残虐性は半端ねえ。
呂后が残虐だったのは政敵に対してだけであって、民衆は幸せだったんでしょ?
ならば彼女は素晴らしい政治家と言えるでしょう。
しかし恵帝、なんて優しいヤツなんだ…😢
(あと魯元公主は、恵帝の妹ではなく姉です)
この人に関しては劉邦が悪い
ぜひ毛沢東夫人、江青もいつか取り上げて欲しいです
毛沢東と江青夫人。劉邦と呂后の生まれ変わりのようです。
因みに蒋介石と宋美齢夫人は項羽と虞美人が生まれ変わったとかも。
劉邦の方が長生きしていれば。創業時の賢い皇后として名を残したのかも。
呂后は
漢の分裂を防ぐ…と言う点においては必要な人でしたねぇ
西太后も楽しみにしてますよ
横山光輝氏の『史記』では太った残忍な中年女性に描かれていたが『項羽と劉邦』では新婚時代では優しい美人に描かれていた。
項羽と劉邦を観てからだと評価が変わるな。
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
楚漢戦争は中国史の中でも有名ですが、その後の呂后の話は悪虐のみが先行して
ただの極悪女として描かれていました。
今回の動画のおかげで、もしかしたら呂后もある意味劉邦の犠牲者だったのではないかと
思う部分が感じられました。
ありがとうございました。
だいたい知っている話でしたが、呂后については一般的な視点しか持っていなかったので面白かったです!
こうして聞くと呂雉さんもかわいそうだな
嫌いなのは変わらんけど悲劇的な面も結構強いんですね
動画内容とリンクした強烈な辛味の提供ですね。素敵です。
呂后じゃなくて別の女性が劉邦の妻になっても呂后みたいになってしまうでしょうか?気になります。
15:03
音楽が不穏になります