創世記12-50章 Genesis 12-50【概観】

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  • Опубліковано 4 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 37

  • @user-tz3vv6tx3s
    @user-tz3vv6tx3s 3 роки тому +19

    絵がクソ上手くて魅入ってしまう

  • @user-ff9tp2rp7k
    @user-ff9tp2rp7k Рік тому +5

    絵がうまい!
    ナレーションが聞きやすい!
    まとめがわかりやすい!
    最高です

  • @user-xi8by7os9e
    @user-xi8by7os9e 4 роки тому +33

    スゴい‼️
    あんなに長い創世記が、こんなに簡潔にまとめられて。
    よく整理出来ました。
    いつも、神さまは、「わたしのところに戻っておいで」
    と言って下さるんですね。
    感謝します❗

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 3 роки тому +9

    神は世界を放置しない。
    すばらしいです。

  • @moshalom33
    @moshalom33 4 роки тому +19

    ありがとうございます。今回もとても分かりやすいです。
    いつも新しいビデオを楽しみにしています。

  • @Jonathan-fl1lh
    @Jonathan-fl1lh 4 роки тому +15

    Love this, I want to learn japanese and this will help me with pronunciation and tone along with hearing the Word of God in another language 😍

  • @Channel-ji7vd
    @Channel-ji7vd 2 роки тому +5

    凄すぎる、、、

  • @Nancy-Frenandez
    @Nancy-Frenandez 9 місяців тому

    結局最後はハッピーに向かう展開がいいね👍

  • @user-rv4sw4tr9p
    @user-rv4sw4tr9p 2 роки тому +6

    旧約聖書の神というと、「裁きの神」というイメージを持つかたは多いですが、神が人の人生を終わらせる事を
    「殺人」と捉えるか、
    神が「その人の人生をそこで終わらせた」
    と捉えるかで違ってくると思います。
    暖かい布団の上で80才で死ぬのも、洪水で若くして死ぬのも、どちらも神がその人の人生を「そこまで」、と決めただけの事とも考えられると思います。
    創世記6章5節にこうあります。
    「5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。」
    時空を超越した神の目から見て、愛に生きる可能性のない人間を長生きさせる事は、人間にとっても、何か意味があるでしょうか?
    全てを見透す事ができる神の目に、愛に生きる可能性の無い人間の地上生涯を早めに終わらせて、その人の罪がそれ以上重くならないうちに神がその人の地上生涯を終えさせることは、神の愛と言えるかと思います。
    実存の解釈についてわかりやすく説明されている投稿があったから日本語にしたので、良かったら暇つぶしに読んで下さい。
    🕊命題は
    「『悪』を作ったのも神だろうか?」
    ある大学の教授が生徒との間で議論を始めた。
    教授は「神は全ての存在するものを創造しただろうか?」と質問した。
    生徒達は「はい、そう思います」と答えた。
    教授は「その場合、神は悪も造った、そうだろ?なぜなら悪は存在する。」
    そして教授は続けた。
    生徒達はこれに答えがないので黙っていた。
    それで教授は、つまり信仰とは非論理的な神話だと結論付けた。
    そこで一人の生徒が立ち上がり教授に質問した。
    彼は教授に「先生 『寒さ』は存在するでしょうか?」と質問した。
    教授は「寒さはもちろん存在する。君は『寒さ』を感じたことがないのか?」と言った。
    生徒は「しかしわたし達が物理の授業から学んだ事によると、『寒さ』は存在しないのです。『冷たさ』は熱が不在になった場合にだけ存在するのです。これを観察できる唯一の方法は熱のエネルギーが他の物体に伝達し移動した時です。熱がなければ物体はそもそもなんの反応も示しません。不活性の存在です。つまり『寒さ(冷たさ)』は存在しません。われわれは「寒さ(冷たさ)」という言葉を熱が不在の状態を説明するためだけに作りました。
    では暗闇はどうでしょうか?と彼は続けた。
    教授は「暗闇はもちろん存在する。」と答えた。
    生徒は「暗闇は光の完全な不在の結果出現します。光や明るさについてわれわれは学ぶ事ができますが、暗闇自体については学ぶ事ができません。光のプリズムは、光が構成するすべての異なる色を表示し、その波長に基づいて光線を分離します。その光のいづれも存在しない時に暗闇は現れます。」と言いました。
    そして彼は教授に
    「では悪は存在するでしょうか?」と言いました。
    教授は何も答えませんでした。
    彼は続けました。
    「神は悪を作りませんでした。人の心に神が不在の状態の時、人間的な愛がない時、信仰がない時に悪は出現します。愛や信仰とは暖かさや光であります。
    神、愛、信仰は存在します。それらが不在の状態が『悪』に繋がります。」
    🕊創世記1:61:7にある「上の水」が洪水の時雨となり降ってきたのだと思います。
    6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
    7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
    地球は70パーセントくらい海の青い星と言われますが、初めは35パーセントくらいが海だったのかもしれませんね。
    聖書から計算するとノアが船を造るのに70年あまりの時間を費やしている事がノアの子供達の年齢でわかります。
    それから動物達は神様がノアのところまで来るようにして下さったので、神様との分業だったと思われまので、「全ての種のつがいの動物が入るわけない」とおっしゃる方はいますが、神様は全ての種の小ぶりな動物を選ばれたかもしれませんね?
    洪水が起きる時に箱船の扉を最後に閉められたのはノアではなく神様である事が聖書からわかるので、ノアは決して冷たい人ではなかったと思われます。
    また神も愛であります。
    キリスト教の神(聖書の神)とは「父と子と聖霊」の三位一体の「唯一神」のことであるので、一神教であります。
    日本の神道の神さまのような多神教とは少し概念が異なります。
    何を信じるかは個人の自由です。
    イエス様も宣べ伝えるようにと弟子達に言われましたが、全ての人を説得してくるようにとはおっしゃいませんでした。
    しかし福音の意味はGood News!です。
    ヨハネによる福音書
    3:16
    神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
    神は霊です。その霊とは愛です。
    ヨハネ第一の手紙4:8
    「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」
    また聖書に出てくる天使には羽がありませんので、見た目はかなり人間に近いと思われます。聖書に出てくる天使はみんな男性のようです。
    我々人間は、神の姿、愛に造られた。
    しかし善悪を知る木の実を食べ、神の完全なる愛を基準にした善悪の判断ではなく、自分達の善悪の判断で生きるようになってしまった。
    これが「原罪」であると思われます。
    神は天使にも人間にも自由意志を与えました。神に従うも、自分の意志に従うも、自由なのです。
    サタンとは堕落した天使(サタンとはヘブライ語で「訴える者」という意味)
    堕落した天使とは、神の善悪の判断ではなく自分の善悪の判断を優先し堕落した天使の事です。
    しかし人間とは違い、サタンとサタンに従った堕落した天使達(悪霊)は、神が愛である事を知りながら、神に背きました。
    ですので、人間は福音の三要素を信じ悔い改めたら罪がゆるされ、永遠の命を得る事ができますが、サタンとサタンに従った堕落した天使達は、終末には地獄に閉じ込められる事が決まってます。
    神が愛なら、地獄に閉じ込めてるのはおかしいと思われるかもしれませんが、
    地獄とは言ってみれば内側から鍵がかかっている状態かと思います。
    たとえ神が「地獄には鍵はかかっていない、地獄の戸は内側から引けばでてこれる」と言っても、神に従う事を拒絶する者(神の愛を拒否する者)は 引き戸を永遠に押し続けてしまうのではないでしょうか?
    キリストを信じれば救われるのに、それを拒絶する人達と同じように。
    ユダは自殺してしまいましたが、自殺とは自分の命を粗末にする事です。
    ユダは後悔したから自殺したと思います。
    しかし、十字架をかつぐイエスに「ゆるして欲しい」とかけよれば、イエスはユダをゆるしたでしょう。
    「後悔」と「悔い改め」の違いは、

    後悔とは、自分のした事を悔いるだけです。
    悔い改めとは、神の愛を信じ、神にゆるしをこい、ゆるして貰って、自己を改め、神に喜んで従い、希望を持って「生きる」事です。
    神は祝福も与えますが、試練も与えます。
    試練はつらいです。
    病気や災害はできれば避けたい。
    しかし人間とは たいてい満ち足りている時は、真実の探求より幸福の追求に忙しいです。
    試練がなければ、人間は真理を追求し、神を探し求める事もしません。
    神は試練も与えますが、試練もまた恵みです。
    試練は、神を探し求め、人間に永遠の命を得て欲しいと願う「神の愛」です。
    キリスト教に一番近い宗教は仏教だと私は思います。
    仏教の「慈悲の瞑想(嫌いな人間の幸せを願う事)」と、
    新約聖書のイエス・キリストの教え「汝の敵を愛せよ」と、
    旧約聖書のエゼキエル書のメッセージ
    「あなたはあなたの敵の事も愛しておられる神を愛せますか?」
    は類似していると思います。
    「敵を愛せよ」とは、愛する事は好む事よりも偉大である、たとえ好まずとも愛する事は可能であるという意味だと思います。
    素晴らしい教えですよね。
    キリスト教は日本人にとって理解しがたい宗教という事はないと思います。^ ^

  • @yoemaofe8307
    @yoemaofe8307 3 роки тому +3

    良いですね。

  • @pallmall7385
    @pallmall7385 2 роки тому +1

    すごい!

  • @yoemaofe8307
    @yoemaofe8307 3 роки тому +3

    😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍

  • @potato_fatpotato
    @potato_fatpotato 3 роки тому

    すんげえざっくりだけどここが大切なんやね

  • @user-of8fq3lq2k
    @user-of8fq3lq2k 3 роки тому +5

    嘘、騙し、隠し、疑い、恨み、嫉妬、復讐、恐怖、口封じ→金、契約社会

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 2 роки тому

    イスラエルは、神と戦うという意味なんですね。

  • @jonathaferreira969
    @jonathaferreira969 2 роки тому

    👏👏

  • @user-by3ek7gd3i
    @user-by3ek7gd3i 3 роки тому +2

    全ての人ではないのか?地獄がなければ行かれません

  • @user-ey8id1vl2b
    @user-ey8id1vl2b 3 роки тому +8

    ヤコブは肉体的に強かったのかも知れませんが、格闘技のプロでもない素人な訳で
    神様と言うのは多少身体能力の高い素手の人間に負けるくらいの強さなのでしょうか。
    創世記はどうしてもそこが引っ掛かってしまうのですよね。

    • @user-rv4sw4tr9p
      @user-rv4sw4tr9p 2 роки тому +11

      ヤコブが天の御使(人間として誕生する前のイエスの型)と格闘した場面は、ヤコブの信仰上の葛藤だと思います。つまり、自分の信仰とヤコブは戦っているようなものです。
      確かに旧約聖書はつまずきの石でいっぱいです。
      聖書が本当の歴史である可能性は充分にあると思います。
      イエス・キリストが公生涯を送った2000年前は日本でいうところの弥生時代だそうです。
      そんな昔の事なら本当かどうか分からないじゃないかと思われるかもしれませんが、イスラエルはエジプト、ギリシャ、ローマと文明を重ねて来た土地に囲まれていますので、イエスの弟子のマタイは通行税の取税人でしたし、「タラントンのたとえ」では当時イスラエルに銀行があった事がわかります。
      日本はその頃弥生時代でも、イスラエルは当時それだけの国際都市だったわけですから、イエス・キリストが実在した事を記す聖書にも聖書以外の文献にも、正確に事実が連ねられている可能性は高いです。
      旧約聖書の話の終わりから、新約聖書の始まりの話までおよそ400年の時間が経っていると考えられていますが、ちょうどその時期はアレキサンダー大王がそこら一帯の地域を征服していた時期です。
      つまりイエス・キリストはアレキサンダー大王より、アリストテレスよりも後に生まれ、公生涯を送っています。
      つまりイエス・キリストが実在したかどうかが正確な情報として残る事は充分に可能だったと前提しますと、
      イエスの復活を目撃した人は当時500人ほど居たといいますが、彼らは命を奪われるような迫害にあっても、
      「イエスは死から復活した、自分はそれをこの目で見た!」という主張を変えませんでした。
      果たして人は嘘のために迫害されたり差別される事を受け入れるでしょうか?
      イエス・キリストは新約聖書の中で旧約聖書を本当の歴史である前提で語られています。
      イエス・キリストを信じるという事は旧約聖書も新約聖書も本当の歴史であると信じる事と同じです。
      しかし信じるかどうかは、神が人間一人ひとりに自由意志を与えているので、当然自由です。
      イエス様も弟子たちに福音を述べ伝えるよういいましたが、全ての人を説得して来いとはおっしゃいませんでした。
      聖書が本当の歴史であれば、イエス・キリストが生まれてから2000年程の時が経っていて、旧約聖書の中ではは4,5千年余りの時間が経っていると考えられます。
      アカデミックな教育では地球は47億年ほど存在しているといいますが、聖書的には地球はもっとずっと若く、一万年も経っていません。
      本当に地球が47億年も存在しているか疑ってみるのもアリだと思います。
      進化論など、色んな論理がありますが、結局のところ、アカデミックな教育も確たる根拠が存在するものではありません。
      わたしは動物が時間の経過の中で環境に順応して多少進化する事はあると思います、しかし猿が人になるほどの種の変化はあり得ないと考えます。
      猿は何億年経ってもおそらく猿のままでしょう。
      であると仮定しますと、人間は初めから人間だった。
      聖書が本当の歴史である可能性は充分にあります。
      イエス・キリストを自分の救い主と信じれるようになるのは主だけが起こせる奇跡。
      understand(理解する)とはstand- under下に立つ事です。
      聖書を理解するには主(神)の下に立つ必要があります。
      聖書がなんであるかを自分の賢さ、頭の良さで突き止めようとなさいますと主はなかなかあなたにお会いにならないかもしれません。
      しかしあなたが主の下に立ち、一心に神を探し求められれば、主は必ずあなたにお会いになると思います。

  • @user-cm2wm3yh6d
    @user-cm2wm3yh6d 3 роки тому +2

    やっぱり人類は救いようない。

  • @user-cm2wm3yh6d
    @user-cm2wm3yh6d 3 роки тому +2

    アブラハムによって祝福されるのか。俺の先祖も関係してるのか?

  • @user-cm2wm3yh6d
    @user-cm2wm3yh6d 3 роки тому +3

    ユダ族からメシアは現れてそれがイエス・キリストだった。

  • @user-cm2wm3yh6d
    @user-cm2wm3yh6d 3 роки тому +5

    神にも問題があると思う。

    • @user-rv4sw4tr9p
      @user-rv4sw4tr9p 2 роки тому +4

      神に問題があるとすれば、神が御自身に従わなくなった堕天使(悪霊)に対しても慈しみ深く、直ぐに滅ぼすような事をなさらない点かと思います。主は、御自身が創造した自由意志を持つ被造物に対し、非常に忍耐強い愛をお持ちです。
      わたしは聖書が本当の歴史である可能性は充分にあると思います。
      イエス・キリストが公生涯を送った2000年前は日本でいうところの弥生時代だそうです。
      そんな昔の事なら本当かどうか分からないじゃないかと思われるかもしれませんが、イスラエルはエジプト、ギリシャ、ローマと文明を重ねて来た土地に囲まれていますので、イエスの弟子のマタイは通行税の取税人でしたし、「タラントンのたとえ」では当時イスラエルに銀行があった事がわかります。
      日本はその頃弥生時代でも、イスラエルは当時それだけの国際都市だったわけですから、イエス・キリストが実在した事を記す聖書にも聖書以外の文献にも、正確に事実が連ねられている可能性は高いです。
      旧約聖書の話の終わりから、新約聖書の始まりの話までおよそ400年の時間が経っていると考えられていますが、ちょうどその時期はアレキサンダー大王がそこら一帯の地域を征服していた時期です。
      つまりイエス・キリストはアレキサンダー大王より、アリストテレスよりも後に生まれ、公生涯を送っています。
      つまりイエス・キリストが実在したかどうかが正確な情報として残る事は充分に可能だったと前提しますと、
      イエスの復活を目撃した人は当時500人ほど居たといいますが、彼らは命を奪われるような迫害にあっても、
      「イエスは死から復活した、自分はそれをこの目で見た!」という主張を変えませんでした。
      果たして人は嘘のために迫害されたり差別される事を受け入れるでしょうか?
      イエス・キリストは新約聖書の中で旧約聖書を本当の歴史である前提で語られています。
      イエス・キリストを信じるという事は旧約聖書も新約聖書も本当の歴史であると信じる事と同じです。
      しかし信じるかどうかは、神が人間一人ひとりに自由意志を与えているので、当然自由です。
      イエス様も弟子たちに福音を述べ伝えるよういいましたが、全ての人を説得して来いとはおっしゃいませんでした。
      聖書が本当の歴史であれば、イエス・キリストが生まれてから2000年程の時が経っていて、旧約聖書の中ではは4,5千年余りの時間が経っていると考えられます。
      アカデミックな教育では地球は47億年ほど存在しているといいますが、聖書的には地球はもっとずっと若く、一万年も経っていません。
      本当に地球が47億年も存在しているか疑ってみるのもアリだと思います。
      進化論など、色んな論理がありますが、結局のところ、アカデミックな教育も確たる根拠が存在するものではありません。
      わたしは動物が時間の経過の中で環境に順応して多少進化する事はあると思います、しかし猿が人になるほどの種の変化はあり得ないと考えます。
      猿は何億年経ってもおそらく猿のままでしょう。
      であると仮定しますと、人間は初めから人間だった。
      聖書が本当の歴史である可能性は充分にあります。
      イエス・キリストを自分の救い主と信じれるようになるのは主だけが起こせる奇跡。
      understand(理解する)とはstand- under下に立つ事です。
      聖書を理解するには主(神)の下に立つ必要があります。
      聖書がなんであるかを自分の賢さ、頭の良さで突き止めようとなさいますと主はなかなかあなたにお会いにならないかもしれません。
      しかしあなたが主の下に立ち、一心に神を探し求められれば、主は必ずあなたにお会いになると思います。

    • @joshsurface
      @joshsurface Рік тому +1

      ​@@user-rv4sw4tr9p 初めまして、初期ローマ帝国の文献には多神教からの視点で一神教である初期キリスト教らしき存在は書かれていますね。世の中には目に見えずその仕組みを理解しなくても、生きるために空気が必要であるように、人への愛や慈しみや優しさは、その仕組みを理解せず目に見えなくとも、生きるために必要なものと思います。ですので、人間を超越したイエスの奇跡よりも、慈悲深く分け隔てなく人に寄り添い、人を裁くのではなく救いに来たイエスの軌跡に感動しました。

  • @user-rw2hf9pz6y
    @user-rw2hf9pz6y 7 місяців тому

    か😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮

  • @RN-kb5so
    @RN-kb5so 3 роки тому +3

    竹中も神の赦しを得られるのか?

    • @shinichidan7799
      @shinichidan7799 2 роки тому

      もし、イエスキリストの十字架の贖いを受け入れて、自らの間違いを認めてその行いから離れたならば、全ての罪を許して頂くことができます。しかし竹中はそうはしないでしょう。自分が正しいと思い込んでいるからです。自分が正しいと思い込んでいるものには自分の罪はわからない。残念ですがクリスチャンと自称している人でさえ、聖職者でさえ、そのような人はいます。イエスキリストの十字架の十字架の犠牲が自分のためだったと本当に受け入れることができなければ、神と和解することはできません。神が人間に与えた神に立ち帰る唯一の方法が自らの子であるイエスキリストを身代わりに処罰することを受け入れるということだからです。

  • @user-vk5ii9qi8e
    @user-vk5ii9qi8e Рік тому

    内容はいいのですが、言葉が早くてわかりにくい、もう少しゆっくり話して欲しい。

  • @jdramaqueen4369
    @jdramaqueen4369 2 роки тому

    神がーされました。と尊敬語で統一されたら良かったのに。時々神が~しました。となっていまるのが気になります。神がまるでただの人間のように聞こえます。日本語って難しいですよね。それ以外は良く出来ていると思います。

  • @chiyamamoto5092
    @chiyamamoto5092 Рік тому

    意味は輪廻転生時間軸決まったパターンパートナー🇺🇸avatar🤩早くしろ回転数上げろ早く早送り早くしろ!💢