Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
確実にそういう考えの世の中になりつつある。失敗は自己責任で切り捨てられる
@@ごん太-b4p 世間が自己責任論で切り捨てるのは勝手だが、安月給でワーキングプアから搾取した金が上級国民に流れ込んでる事実に築き始めてるやつは、復讐こそが自らの尊敬を守るための手段だと気づき始める。革命しかないよ、この国は
全て運であると真に理解できてる人が本当に頭のいい人なんだろうな。
大谷も40年前に生まれていれば単なるプロ野球選手だしね
@@森羅-h1r 頭が良い、ではなく科学的に証明された事実を言っているだけなのでしょうけど…
日本の成功者がよく使う言葉に「頭の悪い人たち」と言うのがあるが、これも能力主義が根底にあるんですね。
それってあなたの感想ですよね?
それって麻生太郎だよね😱
ひ○ゆきで草
究極的にはケースバイケースだが、社会的成功と頭の良し悪しは必ずしも関係のあるものではない成功するか否かは運であったり適応性であったり個人の頭の能力以外の部分が大部分を占めているそもそも頭の良し悪しの定義自体があやふやなんですがね
@@女児追い いいえ、才能の60%は遺伝します。頭の悪いのは本人の責任ではありません。努力する力さえ遺伝しますから。つまり、成功者はガチャで成功した人に過ぎませ。科学的に証明されています。 「それってあなたの感想ですよね?」 そっくりそのまま貴方にお返し致します
かけっこの速い人からすると運動会は自分が主役になれる最高のイベントかもしれないけれど、運動音痴からすると最悪のイベントだ。みたいな話か。
岡田さんが言うのは『評価経済社会』での『能力主義社会』は、金(orいいね)を稼げる力が能力であって、最終決着では【健常児の運動会1位】は無価値。【推薦貰える県大会以上での入賞】とか、【いじめ→不登校を乗り越えて運動会でビリだけど笑顔の障がい児】とかになるのよね。
@@美味い水比喩に対してマジレスは草
@@takenomago 岡田は、社会(速い人/遅い人/観客=能力主義的な評価者)を語っているの。立場の違う3者がいる社会を。2者では、比喩にならん(捉えきれていない)のよ。
@@美味い水 主役になれる時点で3者じゃね?速い人、運痴、速い人を主役に祀り上げる人々。観客や、足の速い人が1着ですごい!という評価基準が無ければ主役にはなれないでしょ。
視野と理解力が試されるね
王貞治とハンク・アーロンの対談『ダメな時ゃ何やってもダメだし、君(王)が運を持ってるならいずれまた機会が巡ってくる。 だから無駄な足掻きをせずその時を待ちな。 』そんな感じでのアドバイスだったんだろうかと思う。
岡田さんの冒頭の話には共感。たとえば大谷選手の恐ろしい活躍には胸が高鳴って身震いするほど感動しますが、年収100億円と聞くと一気に覚めます。有名人に超高額なギャラをだして商品を宣伝する大企業のCM戦略にもうんざりでそれが商品価格に上乗せされているのにありがたがる庶民消費者の気持ちも理解できないです。有名人の活躍に「勇気をもらった」と言って、その実は自分での努力をすっかり諦めさせられていることに気が付かない人が多いです。「勇気をもらった」というよりは、逆に「勇気を搾取されている」ことに気づけないのか。
そもそも凡人にそんな勇気も忍耐もないから他人の活躍に自分を重ねて喜ぶのでは。
確かに 有名選手が活躍してるのは嬉しい気持ちはあるが、わざわざ応援しにいこうとまでは思わんな 自分のために時間と金使えよって思う まぁ趣味ならお好きにどうぞなんやけどね
勇気の搾取、仰る通りです。言語化してくださりありがとうございます。
大谷選手はじめ最近のスポーツ選手のニュースやらを見てて素人ながら思ったことがあります。私も一部の選手のギャラが高騰するのはヤバいと思います。一案としてある程度以上は選手に渡さず競技団体でプールする。プールされたお金は競技の振興に使う他引退した後の年金みたいなものにも使う。競技の裾野を広げるのにも上から下まで各選手の将来の心配を減らすのにも役立つ。あとチームとかスポンサーとかも高額を提示して張り合う自由は守られている。
煉獄さんのお母さんの言葉うまれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です責任を持って果たさなければならない使命なのです決して忘れることなきように」
そうです。それを理解出来ない人間には天罰がいつか下る😂
俺が泣いたシーンですわ…。ほんと みんなこんな思想なら戦争も起きないのにね…。
縁壱「だな」
心に刻みたい言葉ですね!
全ての強者がこれを実行出来るならほぼ、全ての問題は解決するのではないかと思う。
才能が関係ない、人が嫌がる仕事をやっている人の方を讃えるべきかと思うけど、それじゃメディアが盛り上がらないんだろうね。
メディアの本質。美談は金にならん。醜聞は稼ぐネタ。
偉いね
違う角度から見ると社会の実力主義/自己責任がエスカレートし過ぎてて、その結果ほとんどの人に経済的にも精神的にも余裕がなくなっているから、他人の役に立つお仕事に敬意がはらいにくくなっているんでしょう。
全体の9割は普通の人です。凡才でたかが1人の人間です。ある程度の能力は必要でしょうが、過度な能力主義は9割の人をつぶすことになります。
@@近所の人祝 日本だと3/4/3割とか、25/50/25%とされてます(旧文部省)能力主義を望むのが上位(25~30%)と、中位の上半分(20~25%)になり、これらが社会の指導的立場、影響力のある立場を占めるので、能力主義社会への移行は抗えないだろうね。
解決法の一つとして、サンデル教授のように謙虚なエリートを大いに称賛して崇め立てることですね。謙虚な人へこそ尊敬を向けることでバランスが取れる。
現代人が受け入れないのは「自分が普通の人間であること」なんだよね。それぞれ特技は持っていても、大概はものすごく特出しているわけではない。それに耐えきれない人は、他人に注目を集めるため、なりふり構わず行動する。
悪名は無名に勝るとか考えて炎上やらかす人を思い出しました。
まだまだ受け入れられない疲れた
何の才能も身分も持ってない奴が長生きできる社会って素晴らしいよ。
足るを知るのって大事だよね
足らないを知らないの方が大事よ😊
馬鹿なヤツほど能力主義を叫び、優秀な人ほど何も叫ばない
優秀な人からすると「能力主義?当たり前じゃん」ってこと
諦めてる人間も何も叫ばなくなる
優秀な人は本音を隠してるだけだよ。公の場で自らの本音をさらしても余計なヘイトを集めるだけで何も得しないからね。大衆の面前では本音をさらすよりも綺麗事を述べて良い人を演じる方が自分のキャリアにとって良い。経験を積んだ金持ちがブランド品等の無駄な支出をせずに一般人と同じ様な格好をして一般人に擬態してるのと同じ。
優秀な人たちが価値観なにまで決めてる
個人的にこの話は、国家や社会のような大きい単位だけではなく、会社組織だったり、部活等のチーム内だったり、普通に庶民層の我々ともっと近しい世界にもフラクタル構造的に存在しているように思うなんだったら人によっては家庭内でもあるかもしれない
敗者が言い訳出来ない世界が残酷ってのは本当にその通りですね。今はスマホ1つで自分の負けポジを確認できてしまうし、言い訳出来ない理屈を知れてしまう。負け人生を楽しめる人は良いが、楽しめない人の行く先は…。
努力家でのし上がった人ほど、なんで努力しないの?なんでこんなこともできないの?って言うイメージあります。
それ普通じゃないの?
少なくともなんでこんなこともできないのということについては自分から見た当たり前であって主観にすぎないんだよ。
良い人戦略はギリギリの選択ですね。昔読んだロードス島戦記の古の時代、魔術を使うエリートの王国に剣で立ち向かう蛮族を思い出しました。
能力主義でも、学力・運動能力・お金を稼ぐ力以外評価されないじゃん能力主義無くす前に能力の多様化をするほうが先なんじゃね
岡田さんの造語として「評価経済社会」だからねぇ。能力至上(唯一)主義においての、「評価/信用」が「お金を稼ぐ」以外ない「社会」。
ひろゆきが言ってる「ベーシックインカムが実現すれば、ただ生きるためだけに稼ぐ必要がなくなる。はした金のために時間を費やす代わりに、好きなことを追究する人が増える。そこから何か面白いものが生まれるかもしれない」というのがそれに近い世界なんじゃないですか。命が保証されて初めて、金目的ではなく好きだから突き詰める人たちと、それを評価する人たちが現れる。今は皆が生きるのに精一杯で、金につながらない市場が育っていないのだと思います。
野球選手の例はかなりレアケースであり、現実世界はほとんどが運ゲーだよね。運ゲーなのに努力ゲーだと偽装している、あるいは一部のエリートが勘違いをして他者を見下していることが問題な気がする。あと、赤面せずにウソを平気で言って公益を毀損して私腹を肥やす政治家や高学歴エリートが多数いるので、それについては声を上げて批判すべきとは思います。
税金が多少高くても、再分配してくれてるからさほど能力もないのに生きていけてます。案外、これが分かってない人が多いと気付いた。
非常に良い警鐘ですね。賛同します、しかし能力主義に変わる代案が思い浮かびません。結局現状のまま変えることができず、悲しい結果の方向へ世の中は動くのでしょうね。
能力主義の敗残者がエリートに対抗できる唯一の手段は、反出生主義しか思い浮かばないな。それが正しいか、成功するかは兎も角、今現在、先進国は軒並み出生率低下と人口減少に陥ってるのは事実である。
才能と努力を相反する要素と思い込んでいるから全ては運によって決まる事に納得できない人が多い。努力できる事も才能の一部と考えれば分かりやすい。つまり、現実のトップエリートは環境+知能も含めた身体的な才能+努力できる・能力を活かせる才能の全てを兼ね備えた運の持ち主。そう考えれば、運が全ての世界でそれほどの運を兼ね備えた人にあやかりたくなるというか、神のごとく崇めたくなる気持ちもわからんでもない。ブッダやキリストなんかも、そんな運+人徳をもった存在だったのかもしれない。
どんなに能力に恵まれていたとしても、人は一人で生きていくことが難しい、というか不可能(そもそもこの世界に生まれてくることができない)なので、能力に恵まれた人こそ、この世界に対して、自然と、畏怖と感謝の気持ちを抱くのかな、と思います。
昔のエリートはエリートの自覚と責任があった様に感じます。現代はいかがでしょうか?能力は正規分布だとしたら下位の人の生活をどの様に保証していくのかそれが生活保護制度なのかもしれない難しいこと考えたら子供作れないよなあっとおじさんは思うのであった
昔は「高貴な者(上流階級)は下々の者に寛大であるべき」という考え方があったんだけど、身分制度がなくなって誰でもエリートになれる環境ができると、上に立つ者としての心得がない者が世の中で活躍するようになってしまったんだよね。中世ヨーロッパでも起きたことなんだけど、中産階級は金持ち(エリート)としてのプライドと上流階級に対するコンプレックスから、下々の者に対する心の広さはなく、横柄な振る舞いをしたり、搾取したりすることが多かったようだよ。ヨーロッパが全体的に左派的なのはこれが理由でもある。現代もそれが起きているということだね。
昔の大名は年貢を取り立てるだけでさほど下々の為にはならなかったけど(一応、警察機能はあったけどかなり怪しい)この動画の配信もそのコメントも全て知的エリート(この場合はyoutubeとかgoogleとか)が君に与えてくれた恩恵のひとかけらだよそれは自覚してる?
そいえば古代ギリシアや古代ローマは能力主義を否定してたなあテミストクレスやスキピオも追放されたし、後のカエサルも凱旋式で市民から罵倒されてた
では岡田さんはどんな人を尊敬するのだろう。ちょっと聞いてみたい。
これ以上発展させると大量に失業者が出て代わりのまともな仕事も用意出来ないだろうから世界規模で新技術が封印か規制され停滞の数百年になると思う。
まあ一理はあると思うけど、同時にあまりに非能力主義的な考えが強くなると、今度は全ての成功者が運のたまものだと考えて、自分がうまくいかない理由は自分のせいではないと断定してしまい、常に他人のせいという考えに堕ちる可能性もあるってところだと思う。能力がある、エリートであるということは(100%ではないことに重々注意が必要だが)生産的である(はず)だからこそ能力・能率として測られているのであって、それを一切奨励すべきでないとなるとそれはそれで危険だと思う。だから「耳に痛い」というよりこっちはこっちで行きすぎると危険な思想だと判断されたと思う。
今の世の中は能力主義が強すぎて、その弊害によって深刻な分断等の問題が発生しているのだから、能力主義を極端に奨励するのをやめて、もう少しいい落とし所を見つけようという話なんだと思います。岡田さんは努力を過剰に神聖視する風潮の危険性について、強い言葉で警告しているだけであって、能力主義を一切奨励すべきでないという話はしていないと思います。
@@fun-ktyu グラデーションについてはそれぞれで良いかと思います。あくまで0か100で受け取ってしまう方もいるかも知れないので、補足を書いておくことに意味があると思ったまでです。まあ個人的なアレですが、知り合いに全てを他人のせいにして全く人生を改善する努力をせずに他人の悪口に自分の時間を全て費やして自分以外誰も相手にしない知人もいたりするので。。
@@krat5 それは申し訳ない。そういう人と議論しても何もいいことはないのは事実なんですが、だからといってそういう人を排斥していいわけでもない。難しい問題ですね。
@@fun-ktyu そうですね。ただ排斥しなくても自然と阻害されていく、いや阻害され続けたあげくそういう考えに至ったか、この辺は鶏卵ですが。他人の努力を一切認めずに、なまけてる自分の方を高く評価しろ、能力が高いなどはどこかの権力者が勝手に決めた真っ赤な嘘でしかないとどこでも主張するので、当然ながらどこに行っても「他人の文句言う前に結果出してよ、何の結果も貢献もしないのに他人を見下している」と排斥される結果に終わってます。
西欧社会にはノブレスオブリージュ、大いなる力には多大なる責任が伴うという思想(敢えて思想)が有るがこれは結局優越から来る理想に過ぎないし、そこから生まれるものは一時しのぎの解決にしかならない、とややシニカルに見てみる。
ノブレス・オブリージュすら持たなくなると、いよいよ庶民がブチギレて革命を起こそうとしてくるので、一種の自衛としてノブレス・オブリージュがあったんだと思いますよ。正直かつての貴族制は、ノブレス・オブリージュなんかじゃ釣り合いが取れないくらい、絶対的な格差でしたし。
何でもそうだけど、極端に走るのは良くない。ある程度成功している人は少なくとも努力しているから成功するのであり、周囲の人々や時機と言った機会に恵まれるかどうかが、運に支配されているに過ぎない。全然成功しないのなら、それは自分のせいだ。けれども、努力に見合った成功が得られないこともあり、それは自分のせいではない。それを認めない人は、自分が努力を試みることすらしない完全な無能力者であることを自分で認めてしまっている。否定しなければならないのは拝金主義であって、お金がありさえすればよいと言う考え方が資本主義を堕落させている。お金は運で手に入ることもある。宝くじに当たりさえすればよい。成功とはそういうものではない。すべて運だと割り切ってしまえば、全員でゆっくりと貧しくなるだけ。自分の足で立てない人間は、いずれ誰かに支配されるのだから、すべてが運だと割り切って平等を求めることは自由を明け渡すことを意味する。資本主義が(理想的には)他者の需要を満たすことで成り立つのなら、それは他人に尽くせと言うことであり、金銭を崇拝しろと言うことではない。
知人のエリートには付かず離れずで末永くたかるのが正解だと思うぞ~
エリートはAIにかなわないからな。機械やテクノロジーに人間がかなわないのは宿命。むしろ、共存するほうが正解。能力主義の終焉は近い。それがあるからSEED freedomがヒットしたんだろうな。必要だから愛するのではありません。愛しているから必要なのです。
それは困ります。普通でいいよ、幸福で。
特定の分野で結果を残してエリートになるためには、しんどくて遠い道のりを歩み続ける必要がある。一朝一夕では、上り詰めるために必要な技術等は手に入れられないからこそ、気が乗ってこないような日であろうが、望む結果がなかなか出てこずに苦しい心理状態になろうが、それでも自分を奮い立たせてきついことを毎日コツコツと続けていく。そのように与えられた環境の中で、自分なりに精一杯精進して様々な困難を乗り越えた先に、やっとの思いで成功を手中に収めた人がエリートになっているのだろう。そういうきつい過程を経ているからこそ、成功は運次第のものであるという現実を理解できなかったりする。そもそもスタートラインの時点で、うまくいくために必要な遺伝子をもらえなかったり、たまたま周りにいる人間や環境に恵まれなかったりするような不運な人たちと、埋まりもないような差が存在する場合もあることを想像しづらいから。そういう事を言い訳に過ぎないなどと考えてしまう残酷で無知な厳しさが、成功のために必要な集中力を生み出すようなこともあるから。エリートとそうでない人では、苦しみの種類がかなり異質であるため、お互いの間にどうしてもなかなか埋まらないような溝ができてしまったりするということなのかもしれない。
8:2の法則 つまり統計的に上位20%の偏差値60に入らないとダメな時代になったのかな学歴はけっこう前から8:2の法則だったけど ルックスや身長 運動神経 色々な所作なども偏差値60以上でないとダメな時代になってきてるのかも
忘れた頃に切り抜き直すことで啓蒙しつづけるのとても良き
エリートの言う能力主義の根底には優生学があるだから能力主義であって能力主義でない、結局は人種差別になる
能力主義の能力、平和主義の平和、平等主義の平等ってそれぞれなんですかっと聞かれた時非常に難しいことに気がつきました。
会社の方針で能力主義だったり、成果主義だったり、結局リストラの口実だと思います。
何で勝ってもいいのだから別にいいじゃないと思う完全な落ちこぼれを排斥すれば犯罪に走る可能性が高いのは問題だけど
努力の仕方が分からない、という人もいるし、正しい努力の仕方というのも変わることがあるし、必ずしも努力は必ず報われるわけではないですからね。ただ、他者との比較をして、自分はダメな奴だとは思わない方がいいと思います。自分には真似できないと悟ったら、引く勇気も必要だと思います。
反知性主義は、定期的に繰り返すようですが、社会に評価される「能力」の捉え方が固定化されてるのが、要らぬ対立や競争を生んでいるように考えます。能力主義が素晴らしいのは、配られたカードの種類にあるわけではなく、その使い方への工夫と知恵を称えるところにあると思いますが、いかがでしょうか。
生まれ持った能力は差別してはいけないけど、後天的な努力は差別していい風潮だもんね
今円安で為替や株で得をしている人たちは円安で国や大企業が儲かって景気が良いのに円安を批判するのは馬鹿だと説いていますでも株や投資で儲かるエリートや大企業は全体の何割でしょうか?ほとんどの平民はコストが上がって給料が上がらない状況でそのように見下すエリートを批判して何が悪いのでしょう?
能力主義と言えば、公平、平等のようで聞こえは良いが、能力がある成功者は一握りである。つまり、大多数の人間が恩恵を受けられないのが能力主義なのか!
民主主義の原点ですね。最大多数の最大幸福を目指せですね。この話を竹中平蔵氏に聴かせてみたいですね。
さすが岡田さんですね、エリート(運の良かった能力を授かった人)はその能力を社会の為に使えば良い。日本はそういう社会だったと思う。
どの世界にも能力の差がある。そこで悩みが生まれる。一番になっても同じ。でも平凡の中にこそ自由がある。
自分の身の丈に合った幸せをですね!
自分はめぐまれているって、結局めぐまれてない人と比較して幸せを感じる=見下すってことにならんのやろか?あなたはついてない残念な人生を送ってきたらバカなのは仕方ないとかいわれて、うれしいのか??
岡田氏は一般庶民ではない。切り口次第ではスーパーエリート。
ふと思ったのは、岡田さんが尊敬する人というのはどういう人なんだろう?だれも尊敬しない? 作品は愛するけれど、作者を尊敬することはない?
橘玲と内田樹、鳥山明、手塚治虫あたりかな?
作品のみならず、作者や論者を愛することはあっても、尊ぶことはないんじゃないかな?
岡田さんは岡田さん自身を尊敬してると思う
返信感謝。いずれも「そうだろうな」と納得のいくものでした。「愛する」と「尊ぶ」、いずれにしても岡田さんが嫌うのは「盲信」なんだろうね。
能力以前に、環境があるよな自然が劣悪な国かつ、貧困ならマジ難易度高い
AIの能力がもう一部は人間の能力超えてきてますからね…
ジョージ、見てるかなぁ?
自由意志がありそうもない以上、全ては運命です。そう思えるようになった今までの環境と遺伝子に感謝しています。少し話が逸れますが、非局所的隠れた変数を扱うボーム量子力学のような決定論的量子論のように、量子同士のもつれを極限まで微細な単位で把握しきる限界が現代科学の限界であり、それが間接的かつ盲目的に神経科学(心?)の未解明な部分としての自由意志の妄信へとつながり、能力主義を生み出していると思います。それこそが、人類に残された最後の余白なのかもしれませんが。以上、超主観的駄文失礼しました。
AIが最終的には「人類は必要ない」と判断する日がそう遠くない気がするんだよね。自然科学や化学、物理法則等を学習すればするほど、人間が一番効率が悪く、利己的な理由で大義や公益性を無視し、環境の害も大きいと知るのはそう難しい事ではないし。それに、最初は労働者での選別だろうが、次は資本家が対象になるのも見えてるし、資本以外大した能力がない経営者なんて普通に世襲なら存在するし、上記の理由で害悪が著しいと判定する流れが普通だろうと思う。
いわゆる、会社と言う組織の中での出世競走から外れたら、その組織の中では、いい人戦略を実行するしかない。をやろうともがいている者です。
もし、一部の能力が高い人達による少数精鋭な世界(=能力主義)が国家の成長にとって最も良い方法なら、日本は今、どんどん人口が減り続けてますから、最高の道を行っている事になりますね。
一部の能力しか残らないぞ
人格者による独裁政治が一番の答えだと思うけどもその権利が利己的な人間に移り変わった時地獄になるからまあ全員で介護、農家、その他インフラを支える仕事しかできないようにすればいいと思う無駄な仕事が多すぎる
年功序列の方がある意味公平
差別ってのがそもそも差があるものを正確に区別することで悪いことじゃないのが問題かと。優遇差別とか冷遇差別とかは不当な区別をしてるから悪いのであって差があるものを当たり前に差別化するのは数字の1と2を区別するのと一緒でしかない。能力主義の能力差別も能力差があるからこそ当たり前に差別化してて差別としては悪いことじゃないが問題は能力が無い者を切り捨てる選択肢しか用意されてないのが問題なんだよなぁ。ちゃんと能力主義をするなら真の無能なんて生活が心身ともにまともにできない発達障害や精神障害や身体障害とかの障害者くらいしかいないんだから人間をちゃんとステータス化してその人に最低限あった役割を適材適所与えるくらいはしないとダメなのかもしれない。ただ一つの雑用でも効率よくできる人と出来ない人がいるんだろうしな。国民一人残らず細かいところまでステータス化できりゃ一応能力主義も機能するかと。
見下す気持ちがある人間はそもそも「エリート」じゃない
しかし、出る杭は打たれる世界も良くないのよ〜
話がうまいし、面白い。
世の中「運」
この議論は、非常に興味深いですね。人間は。数多の生き物を絶滅させてきました。地球上において人間が最大の支配者になって、70億人になってしまったのは、偏にここで議論されている、他を圧倒する能力があったからです。
メリトクラシーをIQテスト・試験・学歴などで能力を判定しようとするアプローチに無理がある。仕事ができない東大卒が企業にいっぱい居る。刻々と変化するビジネス環境の中で、いかに状況を乗り切るか・目標を達成するかという能力は別物。つまり多様な能力を認めてこそ能力主義が生きる。ちなみにサッカーで「勝ち切る力」という成果を出すパワーが求められる。実は能力だけではなく、結果を出す力も同じ位重要で、能力・努力・成果・困難の乗り切る力などを立体的に考えることが重要だと思う。
私から見ると 岡田先生は「エリート」にしか見えません
日本史において戦国時代がありましたけど、家臣や農民が主君を出し抜いて戦いで出世したりいわゆる代々名門、名家と言われている武家も戦国の激戦で滅んでましたよね。その意味で、日本の戦国時代は皆が機会的に実質的に平等だったといえるのでしょうか。
能力主義は私達としては最高の環境
おそらく、世界的なムーブメント「奴隷は悪いこと」が、アメリカの奴隷制度を終わらせた感じに似てるかな。
能力の無駄遣いが無くなっていいんじゃないかな?差別をなくすことにリソース使うより、効率的に技術進歩して生活のための労働や、資源の奪い合いを根本からなくした方がいいと思うがね。
漫画の「蒼天航路」は劉備を能力主義の権化・曹操に対するカウンターと位置付けてたな。連載同時期に氷河期とネトウヨの勃興があり、妙なシンクロ感じたもんだ。「カウンターはいいんだけど、よりによって拠り所がそこ(コヴァ言説)?」と思いながら。
まあ自分の成功が全て努力と才能と思ってるような人物は小役人どまりでしょう実社会ではそれらに劣らず運がものを言います
能力という表現でも、広義と狭義に分かれると思います。狭義は、ずば抜けた才能と言い換えれるかと。一方広義は、才能プラス、ストイックに努力出来るまでのことです。 バカも同様でしょう。狭義は才能が全くない、広義は才能がない上に努力出来ない。 能力、バカていう表現は、狭義では使うへわきではなく、広義で使うのならば許されるべきかと思います。
都知事選における連邦赤軍の負けた理由そのまんまやんけ。
まさにそうです。僕がやれば何でも1番ですが、地球の危機を救って証明しましょう。(゚∀゚)ヒトランプ惜しかったなぁ
AIが全人類をコントロール出来るようになってから、能力主義にしてくれ。未だに人生なんて運。
ミクロでは正しくとも、マクロでは差別か...
岡田さんの言う「良い人戦略」というのが何なのかわからない崇拝もせずに批判もせずにどうするのだろう?エリートに良心というものがあると儚い期待をするのはバカのする事だと思う
水平思考のAIありきな時代の能力とはなんでしょうか?
最近の転職ブームが更に加速させるやろね
既に地獄です。
スポーツ選手ってあの人のことですね
10:18 「AU離脱」になってる。EU離脱?
2021年の動画ですか?
学歴とかに拘りすぎる価値観はどうかとおもうが かといって努力を否定するのもどうかと表裏逆対偶くらいは瞬時に思い浮かばないと生きづらそう
仕事の評価は幾ら稼いでるかで決まると思う。自分は底辺の上澄みくらいかな?これが精一杯ですかね。
メリトクラシーは原始時代と大差ない気がします。
能力主義ではなく成果主義と呼ぶべきでしょう。ここを混同すると議論になりません。何故なら日本は既に能力主義ですが、米国は成果主義だからです。日本は能力主義なので、同じ社内で異動しても基本的に給与が変わりません。実際は利益貢献度は部署によって変わるはずなんですが、本人が持っている能力は異動しても変わらないので、同じ給与のままという訳です。しかしアメリカだと同じ社内でも別の部署に移ると、給与が思いっきり変わります。部署ごとの利益貢献度、すなわち成果によって給与が決まるべきという、成果主義に基づく為です。
能力主義の逆を行くといいのかと言う話がないです。そもそも現代の政治家や田舎企業の上層部は能力コンプレックスの人が他人に偉そうにしたい為、上司に媚びて出世してる人しか見ない。逆に能力ある人は単に興味ある事さえできれば立場は気にしない人が多い。偉い人がそんなのばかりだから私利私欲に走ったり、自分の地位を守る砦を作ったりで新芽を摘んだり高品質こそ正義だと永遠と採算性の悪い事ばかりやってる。取り合えず能力が高い人が仕切って国益や社内利益を上げる方がみんな潤うと思う。
明治時代にカレンダーが逆戻りしていくような印象を覚えました。
適材適所な人員配置になれたら皆幸せなのかな
この話もわかる人はわかりますがわからない人はわからない
才能と努力で全てが決まる世界にお先真っ暗になる人って才能がなく努力もしない人?、、普通な事が書いてあるんだね。
じゃ、岡田さんを崇めないようにしよう。
その時代に経済や社会が機能してるんでしょうか?南極条約が無くなってるじゃないでしょうか。
2033年地球🌏は荒れ果てた大地になり首都東京は壊滅的打撃を受けていた~~💀
能力主義の世界に産まれたかった
カネ儲けが上手いことは一度に沢山の人を騙すのが上手い人なので「能力が高い人」とは違います。
言いたいことは分かりますが、やはりそれはそれで一つの「能力」だとは言えるので…
それが能力高いってことだろ。何いってんだ。
確実にそういう考えの世の中になりつつある。失敗は自己責任で切り捨てられる
@@ごん太-b4p 世間が自己責任論で切り捨てるのは勝手だが、安月給でワーキングプアから搾取した金が上級国民に流れ込んでる事実に築き始めてるやつは、復讐こそが自らの尊敬を守るための手段だと気づき始める。革命しかないよ、この国は
全て運であると真に理解できてる人が本当に頭のいい人なんだろうな。
大谷も40年前に生まれていれば単なるプロ野球選手だしね
@@森羅-h1r 頭が良い、ではなく科学的に証明された事実を言っているだけなのでしょうけど…
日本の成功者がよく使う言葉に「頭の悪い人たち」と言うのがあるが、これも能力主義が根底にあるんですね。
それってあなたの感想ですよね?
それって麻生太郎だよね😱
ひ○ゆきで草
究極的にはケースバイケースだが、社会的成功と頭の良し悪しは必ずしも関係のあるものではない
成功するか否かは運であったり適応性であったり個人の頭の能力以外の部分が大部分を占めている
そもそも頭の良し悪しの定義自体があやふやなんですがね
@@女児追い いいえ、才能の60%は遺伝します。頭の悪いのは本人の責任ではありません。努力する力さえ遺伝しますから。つまり、成功者はガチャで成功した人に過ぎませ。科学的に証明されています。 「それってあなたの感想ですよね?」 そっくりそのまま貴方にお返し致します
かけっこの速い人からすると運動会は自分が主役になれる最高のイベントかもしれないけれど、運動音痴からすると最悪のイベントだ。みたいな話か。
岡田さんが言うのは『評価経済社会』での『能力主義社会』は、金(orいいね)を稼げる力が能力であって、
最終決着では【健常児の運動会1位】は無価値。
【推薦貰える県大会以上での入賞】とか、
【いじめ→不登校を乗り越えて運動会でビリだけど笑顔の障がい児】とかになるのよね。
@@美味い水比喩に対してマジレスは草
@@takenomago 岡田は、社会(速い人/遅い人/観客=能力主義的な評価者)を語っているの。
立場の違う3者がいる社会を。
2者では、比喩にならん(捉えきれていない)のよ。
@@美味い水 主役になれる時点で3者じゃね?速い人、運痴、速い人を主役に祀り上げる人々。観客や、足の速い人が1着ですごい!という評価基準が無ければ主役にはなれないでしょ。
視野と理解力が試されるね
王貞治とハンク・アーロンの対談
『ダメな時ゃ何やってもダメだし、君(王)が運を持ってるならいずれまた機会が巡ってくる。 だから無駄な足掻きをせずその時を待ちな。 』
そんな感じでのアドバイスだったんだろうかと思う。
岡田さんの冒頭の話には共感。たとえば大谷選手の恐ろしい活躍には胸が高鳴って身震いするほど感動しますが、年収100億円と聞くと一気に覚めます。有名人に超高額なギャラをだして商品を宣伝する大企業のCM戦略にもうんざりでそれが商品価格に上乗せされているのにありがたがる庶民消費者の気持ちも理解できないです。有名人の活躍に「勇気をもらった」と言って、その実は自分での努力をすっかり諦めさせられていることに気が付かない人が多いです。「勇気をもらった」というよりは、逆に「勇気を搾取されている」ことに気づけないのか。
そもそも凡人にそんな勇気も忍耐もないから他人の活躍に自分を重ねて喜ぶのでは。
確かに 有名選手が活躍してるのは嬉しい気持ちはあるが、わざわざ応援しにいこうとまでは思わんな 自分のために時間と金使えよって思う まぁ趣味ならお好きにどうぞなんやけどね
勇気の搾取、仰る通りです。言語化してくださりありがとうございます。
大谷選手はじめ最近のスポーツ選手のニュースやらを見てて素人ながら思ったことがあります。
私も一部の選手のギャラが高騰するのはヤバいと思います。一案としてある程度以上は選手に渡さず競技団体でプールする。
プールされたお金は競技の振興に使う他引退した後の年金みたいなものにも使う。
競技の裾野を広げるのにも上から下まで各選手の将来の心配を減らすのにも役立つ。
あとチームとかスポンサーとかも高額を提示して張り合う自由は守られている。
煉獄さんのお母さんの言葉
うまれついて人よりも多くの才に恵まれた者は
その力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で人を傷つけること
私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように」
そうです。
それを理解出来ない人間には天罰がいつか下る😂
俺が泣いたシーンですわ…。
ほんと みんなこんな思想なら戦争も起きないのにね…。
縁壱「だな」
心に刻みたい言葉ですね!
全ての強者がこれを
実行出来るなら
ほぼ、全ての問題は
解決するのではないかと
思う。
才能が関係ない、人が嫌がる仕事をやっている人の方を讃えるべきかと思うけど、それじゃメディアが盛り上がらないんだろうね。
メディアの本質。
美談は金にならん。醜聞は稼ぐネタ。
偉いね
違う角度から見ると社会の実力主義/自己責任がエスカレートし過ぎてて、その結果ほとんどの人に経済的にも精神的にも余裕がなくなっているから、他人の役に立つお仕事に敬意がはらいにくくなっているんでしょう。
全体の9割は普通の人です。凡才でたかが1人の人間です。
ある程度の能力は必要でしょうが、過度な能力主義は9割の人をつぶすことになります。
@@近所の人祝 日本だと3/4/3割とか、25/50/25%とされてます(旧文部省)
能力主義を望むのが上位(25~30%)と、中位の上半分(20~25%)になり、
これらが社会の指導的立場、影響力のある立場を占めるので、
能力主義社会への移行は抗えないだろうね。
解決法の一つとして、サンデル教授のように謙虚なエリートを大いに称賛して崇め立てることですね。
謙虚な人へこそ尊敬を向けることでバランスが取れる。
現代人が受け入れないのは「自分が普通の人間であること」なんだよね。
それぞれ特技は持っていても、大概はものすごく特出しているわけではない。
それに耐えきれない人は、他人に注目を集めるため、なりふり構わず行動する。
悪名は無名に勝るとか考えて炎上やらかす人を思い出しました。
まだまだ受け入れられない
疲れた
何の才能も身分も持ってない奴が長生きできる社会って素晴らしいよ。
足るを知るのって大事だよね
足らないを知らないの方が大事よ😊
馬鹿なヤツほど能力主義を叫び、優秀な人ほど何も叫ばない
優秀な人からすると「能力主義?当たり前じゃん」ってこと
諦めてる人間も何も叫ばなくなる
優秀な人は本音を隠してるだけだよ。公の場で自らの本音をさらしても余計なヘイトを集めるだけで何も得しないからね。大衆の面前では本音をさらすよりも綺麗事を述べて良い人を演じる方が自分のキャリアにとって良い。経験を積んだ金持ちがブランド品等の無駄な支出をせずに一般人と同じ様な格好をして一般人に擬態してるのと同じ。
優秀な人たちが価値観なにまで決めてる
個人的にこの話は、国家や社会のような大きい単位だけではなく、会社組織だったり、部活等のチーム内だったり、普通に庶民層の我々ともっと近しい世界にもフラクタル構造的に存在しているように思う
なんだったら人によっては家庭内でもあるかもしれない
敗者が言い訳出来ない世界が残酷ってのは本当にその通りですね。
今はスマホ1つで自分の負けポジを確認できてしまうし、言い訳出来ない理屈を知れてしまう。
負け人生を楽しめる人は良いが、楽しめない人の行く先は…。
努力家でのし上がった人ほど、なんで努力しないの?なんでこんなこともできないの?って言うイメージあります。
それ普通じゃないの?
少なくともなんでこんなこともできないのということについては自分から見た当たり前であって主観にすぎないんだよ。
良い人戦略はギリギリの選択ですね。
昔読んだロードス島戦記の古の時代、魔術を使うエリートの王国に剣で立ち向かう蛮族を思い出しました。
能力主義でも、学力・運動能力・お金を稼ぐ力以外評価されないじゃん
能力主義無くす前に能力の多様化をするほうが先なんじゃね
岡田さんの造語として「評価経済社会」だからねぇ。
能力至上(唯一)主義においての、「評価/信用」が「お金を稼ぐ」以外ない「社会」。
ひろゆきが言ってる「ベーシックインカムが実現すれば、ただ生きるためだけに稼ぐ必要がなくなる。はした金のために時間を費やす代わりに、好きなことを追究する人が増える。そこから何か面白いものが生まれるかもしれない」というのがそれに近い世界なんじゃないですか。
命が保証されて初めて、金目的ではなく好きだから突き詰める人たちと、それを評価する人たちが現れる。
今は皆が生きるのに精一杯で、金につながらない市場が育っていないのだと思います。
野球選手の例はかなりレアケースであり、現実世界はほとんどが運ゲーだよね。運ゲーなのに努力ゲーだと偽装している、あるいは一部のエリートが勘違いをして他者を見下していることが問題な気がする。
あと、赤面せずにウソを平気で言って公益を毀損して私腹を肥やす政治家や高学歴エリートが多数いるので、それについては声を上げて批判すべきとは思います。
税金が多少高くても、再分配してくれてるからさほど能力もないのに生きていけてます。
案外、これが分かってない人が多いと気付いた。
非常に良い警鐘ですね。賛同します、しかし能力主義に変わる代案が思い浮かびません。結局現状のまま変えることができず、悲しい結果の方向へ世の中は動くのでしょうね。
能力主義の敗残者がエリートに対抗できる唯一の手段は、反出生主義しか思い浮かばないな。
それが正しいか、成功するかは兎も角、今現在、先進国は軒並み出生率低下と人口減少に陥ってるのは事実である。
才能と努力を相反する要素と思い込んでいるから全ては運によって決まる事に納得できない人が多い。
努力できる事も才能の一部と考えれば分かりやすい。
つまり、現実のトップエリートは環境+知能も含めた身体的な才能+努力できる・能力を活かせる才能の全てを兼ね備えた運の持ち主。
そう考えれば、運が全ての世界でそれほどの運を兼ね備えた人にあやかりたくなるというか、神のごとく崇めたくなる気持ちもわからんでもない。
ブッダやキリストなんかも、そんな運+人徳をもった存在だったのかもしれない。
どんなに能力に恵まれていたとしても、人は一人で生きていくことが難しい、というか不可能(そもそもこの世界に生まれてくることができない)なので、能力に恵まれた人こそ、この世界に対して、自然と、畏怖と感謝の気持ちを抱くのかな、と思います。
昔のエリートはエリートの自覚と責任があった様に感じます。現代はいかがでしょうか?
能力は正規分布だとしたら下位の人の生活をどの様に保証していくのか
それが生活保護制度なのかもしれない
難しいこと考えたら子供作れないよなあっとおじさんは思うのであった
昔は「高貴な者(上流階級)は下々の者に寛大であるべき」という考え方があったんだけど、身分制度がなくなって誰でもエリートになれる環境ができると、上に立つ者としての心得がない者が世の中で活躍するようになってしまったんだよね。中世ヨーロッパでも起きたことなんだけど、中産階級は金持ち(エリート)としてのプライドと上流階級に対するコンプレックスから、下々の者に対する心の広さはなく、横柄な振る舞いをしたり、搾取したりすることが多かったようだよ。ヨーロッパが全体的に左派的なのはこれが理由でもある。現代もそれが起きているということだね。
昔の大名は年貢を取り立てるだけでさほど下々の為にはならなかったけど(一応、警察機能はあったけどかなり怪しい)
この動画の配信もそのコメントも全て知的エリート(この場合はyoutubeとかgoogleとか)が君に与えてくれた恩恵のひとかけらだよ
それは自覚してる?
そいえば古代ギリシアや古代ローマは能力主義を否定してたなあ
テミストクレスやスキピオも追放されたし、後のカエサルも凱旋式で市民から罵倒されてた
では岡田さんはどんな人を尊敬するのだろう。ちょっと聞いてみたい。
これ以上発展させると大量に失業者が出て代わりのまともな仕事も用意出来ないだろうから世界規模で新技術が封印か規制され停滞の数百年になると思う。
まあ一理はあると思うけど、同時にあまりに非能力主義的な考えが強くなると、今度は全ての成功者が運のたまものだと考えて、自分がうまくいかない理由は自分のせいではないと断定してしまい、常に他人のせいという考えに堕ちる可能性もあるってところだと思う。
能力がある、エリートであるということは(100%ではないことに重々注意が必要だが)生産的である(はず)だからこそ能力・能率として測られているのであって、それを一切奨励すべきでないとなるとそれはそれで危険だと思う。だから「耳に痛い」というよりこっちはこっちで行きすぎると危険な思想だと判断されたと思う。
今の世の中は能力主義が強すぎて、その弊害によって深刻な分断等の問題が発生しているのだから、能力主義を極端に奨励するのをやめて、もう少しいい落とし所を見つけようという話なんだと思います。岡田さんは努力を過剰に神聖視する風潮の危険性について、強い言葉で警告しているだけであって、能力主義を一切奨励すべきでないという話はしていないと思います。
@@fun-ktyu グラデーションについてはそれぞれで良いかと思います。あくまで0か100で受け取ってしまう方もいるかも知れないので、補足を書いておくことに意味があると思ったまでです。
まあ個人的なアレですが、知り合いに全てを他人のせいにして全く人生を改善する努力をせずに他人の悪口に自分の時間を全て費やして自分以外誰も相手にしない知人もいたりするので。。
@@krat5 それは申し訳ない。そういう人と議論しても何もいいことはないのは事実なんですが、だからといってそういう人を排斥していいわけでもない。難しい問題ですね。
@@fun-ktyu そうですね。ただ排斥しなくても自然と阻害されていく、いや阻害され続けたあげくそういう考えに至ったか、この辺は鶏卵ですが。
他人の努力を一切認めずに、なまけてる自分の方を高く評価しろ、能力が高いなどはどこかの権力者が勝手に決めた真っ赤な嘘でしかないとどこでも主張するので、当然ながらどこに行っても「他人の文句言う前に結果出してよ、何の結果も貢献もしないのに他人を見下している」と排斥される結果に終わってます。
西欧社会にはノブレスオブリージュ、大いなる力には多大なる責任が伴うという思想(敢えて思想)が有るがこれは結局優越から来る理想に過ぎないし、そこから生まれるものは一時しのぎの解決にしかならない、とややシニカルに見てみる。
ノブレス・オブリージュすら持たなくなると、いよいよ庶民がブチギレて革命を起こそうとしてくるので、一種の自衛としてノブレス・オブリージュがあったんだと思いますよ。正直かつての貴族制は、ノブレス・オブリージュなんかじゃ釣り合いが取れないくらい、絶対的な格差でしたし。
何でもそうだけど、極端に走るのは良くない。ある程度成功している人は少なくとも努力しているから成功するのであり、周囲の人々や時機と言った機会に恵まれるかどうかが、運に支配されているに過ぎない。全然成功しないのなら、それは自分のせいだ。けれども、努力に見合った成功が得られないこともあり、それは自分のせいではない。それを認めない人は、自分が努力を試みることすらしない完全な無能力者であることを自分で認めてしまっている。否定しなければならないのは拝金主義であって、お金がありさえすればよいと言う考え方が資本主義を堕落させている。お金は運で手に入ることもある。宝くじに当たりさえすればよい。成功とはそういうものではない。すべて運だと割り切ってしまえば、全員でゆっくりと貧しくなるだけ。自分の足で立てない人間は、いずれ誰かに支配されるのだから、すべてが運だと割り切って平等を求めることは自由を明け渡すことを意味する。資本主義が(理想的には)他者の需要を満たすことで成り立つのなら、それは他人に尽くせと言うことであり、金銭を崇拝しろと言うことではない。
知人のエリートには付かず離れずで末永くたかるのが正解だと思うぞ~
エリートはAIにかなわないからな。機械やテクノロジーに人間がかなわないのは宿命。むしろ、共存するほうが正解。能力主義の終焉は近い。それがあるからSEED freedomがヒットしたんだろうな。必要だから愛するのではありません。愛しているから必要なのです。
それは困ります。普通でいいよ、幸福で。
特定の分野で結果を残してエリートになるためには、しんどくて遠い道のりを歩み続ける必要がある。一朝一夕では、上り詰めるために必要な技術等は手に入れられないからこそ、気が乗ってこないような日であろうが、望む結果がなかなか出てこずに苦しい心理状態になろうが、それでも自分を奮い立たせてきついことを毎日コツコツと続けていく。そのように与えられた環境の中で、自分なりに精一杯精進して様々な困難を乗り越えた先に、やっとの思いで成功を手中に収めた人がエリートになっているのだろう。
そういうきつい過程を経ているからこそ、成功は運次第のものであるという現実を理解できなかったりする。そもそもスタートラインの時点で、うまくいくために必要な遺伝子をもらえなかったり、たまたま周りにいる人間や環境に恵まれなかったりするような不運な人たちと、埋まりもないような差が存在する場合もあることを想像しづらいから。そういう事を言い訳に過ぎないなどと考えてしまう残酷で無知な厳しさが、成功のために必要な集中力を生み出すようなこともあるから。
エリートとそうでない人では、苦しみの種類がかなり異質であるため、お互いの間にどうしてもなかなか埋まらないような溝ができてしまったりするということなのかもしれない。
8:2の法則 つまり統計的に上位20%の偏差値60に入らないとダメな時代になったのかな
学歴はけっこう前から8:2の法則だったけど ルックスや身長 運動神経 色々な所作なども偏差値60以上
でないとダメな時代になってきてるのかも
忘れた頃に切り抜き直すことで啓蒙しつづけるのとても良き
エリートの言う能力主義の根底には優生学がある
だから能力主義であって能力主義でない、結局は人種差別になる
能力主義の能力、平和主義の平和、平等主義の平等ってそれぞれなんですかっと聞かれた時非常に難しいことに気がつきました。
会社の方針で能力主義だったり、成果主義だったり、結局リストラの口実だと思います。
何で勝ってもいいのだから別にいいじゃないと思う
完全な落ちこぼれを排斥すれば犯罪に走る可能性が高いのは問題だけど
努力の仕方が分からない、という人もいるし、正しい努力の仕方というのも変わることがあるし、必ずしも努力は必ず報われるわけではないですからね。ただ、他者との比較をして、自分はダメな奴だとは思わない方がいいと思います。自分には真似できないと悟ったら、引く勇気も必要だと思います。
反知性主義は、定期的に繰り返すようですが、社会に評価される「能力」の捉え方が固定化されてるのが、要らぬ対立や競争を生んでいるように考えます。能力主義が素晴らしいのは、配られたカードの種類にあるわけではなく、その使い方への工夫と知恵を称えるところにあると思いますが、いかがでしょうか。
生まれ持った能力は差別してはいけないけど、後天的な努力は差別していい風潮だもんね
今円安で為替や株で得をしている人たちは
円安で国や大企業が儲かって景気が良いのに
円安を批判するのは馬鹿だと説いています
でも株や投資で儲かるエリートや大企業は全体の何割でしょうか?
ほとんどの平民はコストが上がって給料が上がらない状況で
そのように見下すエリートを批判して何が悪いのでしょう?
能力主義と言えば、公平、平等のようで聞こえは良いが、能力がある成功者は一握りである。
つまり、大多数の人間が恩恵を受けられないのが能力主義なのか!
民主主義の原点ですね。
最大多数の最大幸福を目指せですね。
この話を竹中平蔵氏に聴かせてみたいですね。
さすが岡田さんですね、エリート(運の良かった能力を授かった人)はその能力を社会の為に使えば良い。日本はそういう社会だったと思う。
どの世界にも能力の差がある。そこで悩みが生まれる。一番になっても同じ。でも平凡の中にこそ自由がある。
自分の身の丈に合った幸せを
ですね!
自分はめぐまれているって、結局めぐまれてない人と比較して幸せを感じる=見下すってことにならんのやろか?
あなたはついてない残念な人生を送ってきたらバカなのは仕方ないとかいわれて、うれしいのか??
岡田氏は一般庶民ではない。切り口次第ではスーパーエリート。
ふと思ったのは、岡田さんが尊敬する人というのはどういう人なんだろう?
だれも尊敬しない? 作品は愛するけれど、作者を尊敬することはない?
橘玲と内田樹、鳥山明、手塚治虫あたりかな?
作品のみならず、作者や論者を愛することはあっても、
尊ぶことはないんじゃないかな?
岡田さんは岡田さん自身を尊敬してると思う
返信感謝。いずれも「そうだろうな」と納得のいくものでした。「愛する」と「尊ぶ」、いずれにしても岡田さんが嫌うのは「盲信」なんだろうね。
能力以前に、環境があるよな
自然が劣悪な国かつ、貧困なら
マジ難易度高い
AIの能力がもう一部は人間の能力超えてきてますからね…
ジョージ、見てるかなぁ?
自由意志がありそうもない以上、全ては運命です。
そう思えるようになった今までの環境と遺伝子に感謝しています。
少し話が逸れますが、非局所的隠れた変数を扱うボーム量子力学のような決定論的量子論のように、
量子同士のもつれを極限まで微細な単位で把握しきる限界が現代科学の限界であり、
それが間接的かつ盲目的に神経科学(心?)の未解明な部分としての自由意志の妄信へとつながり、能力主義を生み出していると思います。
それこそが、人類に残された最後の余白なのかもしれませんが。
以上、超主観的駄文失礼しました。
AIが最終的には「人類は必要ない」と判断する日がそう遠くない気がするんだよね。
自然科学や化学、物理法則等を学習すればするほど、人間が一番効率が悪く、利己的な理由で
大義や公益性を無視し、環境の害も大きいと知るのはそう難しい事ではないし。
それに、最初は労働者での選別だろうが、次は資本家が対象になるのも見えてるし、資本以外
大した能力がない経営者なんて普通に世襲なら存在するし、上記の理由で害悪が著しいと判定
する流れが普通だろうと思う。
いわゆる、会社と言う組織の中での出世競走から外れたら、その組織の中では、いい人戦略を実行するしかない。をやろうともがいている者です。
もし、一部の能力が高い人達による少数精鋭な世界(=能力主義)が国家の成長にとって最も良い方法なら、日本は今、どんどん人口が減り続けてますから、最高の道を行っている事になりますね。
一部の能力しか残らないぞ
人格者による独裁政治が一番の答えだと思うけども
その権利が利己的な人間に移り変わった時地獄になるから
まあ全員で介護、農家、その他インフラを支える仕事しかできないようにすればいいと思う
無駄な仕事が多すぎる
年功序列の方がある意味公平
差別ってのがそもそも差があるものを正確に区別することで悪いことじゃないのが問題かと。
優遇差別とか冷遇差別とかは不当な区別をしてるから悪いのであって差があるものを当たり前に差別化するのは数字の1と2を区別するのと一緒でしかない。
能力主義の能力差別も能力差があるからこそ当たり前に差別化してて差別としては悪いことじゃないが問題は能力が無い者を切り捨てる選択肢しか用意されてないのが問題なんだよなぁ。
ちゃんと能力主義をするなら真の無能なんて生活が心身ともにまともにできない発達障害や精神障害や身体障害とかの障害者くらいしかいないんだから人間をちゃんとステータス化してその人に最低限あった役割を適材適所与えるくらいはしないとダメなのかもしれない。
ただ一つの雑用でも効率よくできる人と出来ない人がいるんだろうしな。国民一人残らず細かいところまでステータス化できりゃ一応能力主義も機能するかと。
見下す気持ちがある人間はそもそも「エリート」じゃない
しかし、出る杭は打たれる世界も良くないのよ〜
話がうまいし、面白い。
世の中「運」
この議論は、非常に興味深いですね。人間は。数多の
生き物を絶滅させてきました。地球上において人間が最大の支配者になって、70億人になってしまったのは、偏に
ここで議論されている、他を圧倒する能力があったからです。
メリトクラシーをIQテスト・試験・学歴などで能力を判定しようとするアプローチに無理がある。仕事ができない東大卒が企業にいっぱい居る。刻々と変化するビジネス環境の中で、いかに状況を乗り切るか・目標を達成するかという能力は別物。つまり多様な能力を認めてこそ能力主義が生きる。ちなみにサッカーで「勝ち切る力」という成果を出すパワーが求められる。実は能力だけではなく、結果を出す力も同じ位重要で、能力・努力・成果・困難の乗り切る力などを立体的に考えることが重要だと思う。
私から見ると 岡田先生は「エリート」にしか見えません
日本史において戦国時代がありましたけど、
家臣や農民が主君を出し抜いて
戦いで出世したり
いわゆる代々名門、名家と言われている武家も
戦国の激戦で滅んでましたよね。
その意味で、日本の戦国時代は皆が機会的に実質的に平等だったといえるのでしょうか。
能力主義は私達としては最高の環境
おそらく、世界的なムーブメント「奴隷は悪いこと」が、アメリカの奴隷制度を終わらせた感じに似てるかな。
能力の無駄遣いが無くなっていいんじゃないかな?差別をなくすことにリソース使うより、効率的に技術進歩して生活のための労働や、資源の奪い合いを根本からなくした方がいいと思うがね。
漫画の「蒼天航路」は劉備を能力主義の権化・曹操に対するカウンターと位置付けてたな。
連載同時期に氷河期とネトウヨの勃興があり、妙なシンクロ感じたもんだ。
「カウンターはいいんだけど、よりによって拠り所がそこ(コヴァ言説)?」と思いながら。
まあ自分の成功が全て努力と才能と思ってるような人物は小役人どまりでしょう
実社会ではそれらに劣らず運がものを言います
能力という表現でも、広義と狭義に分かれると思います。狭義は、ずば抜けた才能と言い換えれるかと。一方広義は、才能プラス、ストイックに努力出来るまでのことです。
バカも同様でしょう。狭義は才能が全くない、広義は才能がない上に努力出来ない。
能力、バカていう表現は、狭義では使うへわきではなく、広義で使うのならば許されるべきかと思います。
都知事選における連邦赤軍の負けた理由そのまんまやんけ。
まさにそうです。
僕がやれば何でも1番ですが、地球の危機を救って証明しましょう。
(゚∀゚)ヒトランプ惜しかったなぁ
AIが全人類をコントロール出来るようになってから、能力主義にしてくれ。
未だに人生なんて運。
ミクロでは正しくとも、マクロでは差別か...
岡田さんの言う「良い人戦略」というのが何なのかわからない
崇拝もせずに批判もせずにどうするのだろう?
エリートに良心というものがあると儚い期待をするのはバカのする事だと思う
水平思考のAIありきな時代の能力とはなんでしょうか?
最近の転職ブームが更に加速させるやろね
既に地獄です。
スポーツ選手ってあの人のことですね
10:18 「AU離脱」になってる。EU離脱?
2021年の動画ですか?
学歴とかに拘りすぎる価値観はどうかとおもうが かといって努力を否定するのもどうかと
表裏逆対偶くらいは瞬時に思い浮かばないと生きづらそう
仕事の評価は幾ら稼いでるかで決まると思う。自分は底辺の上澄みくらいかな?これが精一杯ですかね。
メリトクラシーは原始時代と大差ない気がします。
能力主義ではなく成果主義と呼ぶべきでしょう。ここを混同すると議論になりません。
何故なら日本は既に能力主義ですが、米国は成果主義だからです。日本は能力主義なので、同じ社内で異動しても基本的に給与が変わりません。実際は利益貢献度は部署によって変わるはずなんですが、本人が持っている能力は異動しても変わらないので、同じ給与のままという訳です。しかしアメリカだと同じ社内でも別の部署に移ると、給与が思いっきり変わります。部署ごとの利益貢献度、すなわち成果によって給与が決まるべきという、成果主義に基づく為です。
能力主義の逆を行くといいのかと言う話がないです。
そもそも現代の政治家や田舎企業の上層部は能力コンプレックスの人が他人に偉そうにしたい為、上司に媚びて出世してる人しか見ない。逆に能力ある人は単に興味ある事さえできれば立場は気にしない人が多い。偉い人がそんなのばかりだから私利私欲に走ったり、自分の地位を守る砦を作ったりで新芽を摘んだり高品質こそ正義だと永遠と採算性の悪い事ばかりやってる。
取り合えず能力が高い人が仕切って国益や社内利益を上げる方がみんな潤うと思う。
明治時代にカレンダーが逆戻りしていくような印象を覚えました。
適材適所な人員配置になれたら皆幸せなのかな
この話もわかる人はわかりますがわからない人はわからない
才能と努力で全てが決まる世界にお先真っ暗になる人って才能がなく努力もしない人?、、普通な事が書いてあるんだね。
じゃ、岡田さんを崇めないようにしよう。
その時代に経済や社会が機能してるんでしょうか?南極条約が無くなってるじゃないでしょうか。
2033年地球🌏は荒れ果てた大地になり首都東京は壊滅的打撃を受けていた~~💀
能力主義の世界に産まれたかった
カネ儲けが上手いことは一度に沢山の人を騙すのが上手い人なので「能力が高い人」とは違います。
言いたいことは分かりますが、やはりそれはそれで一つの「能力」だとは言えるので…
それが能力高いってことだろ。何いってんだ。