【三国志】定軍山の戦い、開戦から結末まで!黄忠・法正ら蜀軍が躍進!夏侯淵・張郃の魏軍を撃破!

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  • Опубліковано 4 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 38

  • @オフィユカス
    @オフィユカス Рік тому +7

    法正だけじゃなくて黄権も一緒に献策してたの強い

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      そうですね、1人だけというより、総力戦ですね。

  • @sangokushich
    @sangokushich  Рік тому +1

    ご覧頂きありがとうございます。
    今回は初挑戦、1つの合戦にフーチャーして動画を作ってみました。いかがだったでしょうか。
    感想をコメントにもらえれば嬉しいです。
    パリピ孔明で盛り上がる三国志!春雷も三国志を盛り上げるように頑張ります!!!

  • @ぴろしき-x1j
    @ぴろしき-x1j Рік тому +5

    武の黄忠、智の法正の面目躍如たる合戦でしたね。
    夏侯淵&張郃には法正に匹敵するだけの人物がいなかった。
    春来さんが出てきて嬉しいっす

    • @kappanouen
      @kappanouen Рік тому +2

      夏侯淵(後に張郃)の司馬(軍事補佐官)には郭淮がいたんですが決戦当日は病欠でした😗

    • @オルフェーヴルの娘
      @オルフェーヴルの娘 Рік тому +2

      そんな彼も後に対蜀の最高司令官的なポジションに

  • @つねウォーキング中
    @つねウォーキング中 Рік тому +5

    蜀と魏の国境付近で、劉備が初めて曹操を破った定軍山。
    後に五丈原で落星した孔明が「定軍山で魏の方を向けて墓を建てよ」と残している事からも、単なる国境付近だからというだけでなく、蜀が破竹の勢いだったシンボルみたいな場所で後々まで睨みを効かせたかったのかも。

  • @卯金刀-n1q
    @卯金刀-n1q Рік тому +4

    赤壁→「郭嘉がいればこのような目(大敗)に合うこともなかったのに」
    漢中(対張魯)→「他人の言うことなんてあてになることは少ない」
    漢中(対劉備)→「夏侯淵は元々用兵が得意ではなく、軍中では白地将軍と呼ばれていた」
    樊城→「于禁を知って30年になるが新参の龐徳にも及ばないとは」
    晩年の曹操は部下の能力への不満を隠さなくなってますね

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      だんだん、歳とともに気が短くなってきてしまっていたんでしょうか。

  • @竹本小鉄-o2u
    @竹本小鉄-o2u Рік тому +4

    個人的な想像で猪ではない経験豊かな老将軍の黄忠は、法正の知略との相性も良かったのかなとも🙄

  • @未来のまぞく軍師
    @未来のまぞく軍師 Рік тому +3

    夏侯淵は守戦は不得手だったんだろうなぁ

    • @江良龍郎
      @江良龍郎 Рік тому +2

      曹操も大将に大切なのは勇猛さだけでなく、退く事も大切と言ってましたからねえ。夏侯淵は襲撃は得意なイメージ

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому +2

      イケイケだったんでしょうね。

  • @usano
    @usano Рік тому +1

    雷銅や呉蘭などが武都への陽動作戦の成功のための犠牲になったんですよね(;´・ω・)
    思えばこの戦いあたりが「蜀オールスター」の絶頂期でした……
    この頃の蜀メンバーで、呉との夷陵の戦いが観てみたかったですね(´ε`;)

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      そうですね、この時こそ、光り輝く蜀軍!ですね。

  • @nekono_mimikon
    @nekono_mimikon Рік тому +1

    漢中を防衛する夏侯淵と張郃の率いる兵は多くなく、劉備が別動隊として派遣した馬超や張飛らに対しては曹操も中央から曹洪・曹休を急派して対処しています。
    この当時の曹操は対呉戦線を強化しており、夏侯惇の下に張遼や臧覇、楽進らをつけて揚州方面に駐留させていました。
    だからこそ劉備も乾坤一擲で女子供も狩り出してまで文字通りの総力戦を展開し、夏侯淵を圧倒する大兵力で挑んだのでしょう。
    劉備は張郃を最も恐れたとされますが、その張郃も先に張飛に大破され僅か10名の兵に守られ漢中に逃げ込んでいますので、夏侯淵を討って満足するのではなく前年に逃げられた副将も討ち取って完全勝利したかったと言いたかったのではないでしょうかね。
    現に張郃は郭淮に担ぎ上げられ残余の兵をまとめて要衝の陽平関に立て籠もってしまい、漢中を手に入れたとはいえ陽平関を押さえられたままでは劉備も喉元に匕首を突き付けられたようなものでしたので、一方面軍に全兵力で挑んで2年もかけた大戦役にも拘わらず完勝できずに終われば愚痴も言いたくなるでしょう。

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      ありがとうございます!嬉しいです。

  • @種田未来
    @種田未来 3 місяці тому +2

    美人の解説❤

  • @ここをキャンプ地にした

    夏侯淵の字・妙才をかけて曹操が
    「お前の妙才を期待する」
    と夏侯淵に書き送ったんだけどね…。
    法正の策もあったけど、この時の劉備はかなりの戦上手ぶりだったね。

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      劉備がもっとも光り輝いていた時代でしたね!

  • @shinyaazuma5102
    @shinyaazuma5102 Рік тому +2

    個人的には趙雲スゲェ!ってなった戦いでした

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому +1

      確かにすごかったですね!

  • @いかいか-h5d
    @いかいか-h5d Рік тому +2

    五虎将軍の4番手?
    なんにしろこんなカッコ強い爺になりたい!

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому +1

      すいません、個人的な序列が出てしまいました、、、

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Рік тому +2

    曹操幕下の良将夏侯淵にしては迂闊ではあったかなと
    名将劉備のハイライトに繋がっていく

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      良将といえど、完璧ではないということですね。

  • @江良龍郎
    @江良龍郎 Рік тому +1

    定軍山の戦いは法正と黄忠の活躍のイメージ。夏侯淵がたおされた事に曹操も総大将に必要なのは勇猛だけではないと退く事も大切だと言ってましたね。そして勝利しましたけど、張コウの死体がないと劉備が言ってて、張コウはこの頃から劉備に警戒されてたのも解ります。ゲームの真、三国無双2の定軍山の戦いで黄忠が山頂からの攻撃を開始する時に敵の本陣を見て、丸見えじゃと誤解してしまう台詞に何だ?と思いました(笑)春来さんって、可愛いですけど、声が良いのか聞きやすいですねえ←最近気になった人 ゲームの三国志大戦2で漢中争奪戦で負けて嘆く曹操はなぜ天は!と言ったら、劉備が選んだのは天ではない!民だ!と言った時は熱かったですねえ←赤壁の戦いが終わった後にこのやりとりで熱くなった人

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому +1

      ありがとうございます。嬉しいです!励みになります。

  • @本多派
    @本多派 Рік тому +1

    同じ曹操軍の宿将でありながら
    勇猛果敢と言われた夏侯淵が戦死し
    詰めが甘い部分のあった夏侯惇が天寿を全うしたのは
    曹操の言う臆病さの違いかもしれない
    目を射られたり敗戦を経験した夏侯惇には引くべきところで引く決断ができたのかも
    臆病さとは言うがそれもまた勇気
    夏侯淵も兵力の分断には途中で気付いたかもしれないが引くことはできなかったのだろう
    漢中という要所を任された責任感か
    猛将としてのプライドかは分からないけど

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      前に前に行きがちな武将は短命な最期を迎えてしまいがちですね。

  • @イカタコ-k8h
    @イカタコ-k8h Рік тому +2

    孟徳さんが嘆息したようにおよそ大将、ってのは自分のやるべきことがある。なんで茂木とか(戦場にかける仮の橋)なんぞを修理に行って待ち伏せてた敵に討ち取られるんだ😱😮‍💨😢😡蜀がよくやった、より妙才さんの大失態(本人は軽く考えてたかもしれないね〜例えば専務さんがたまにはワシがお茶を入れてやろう、みたいな🤔)だと思う。だからこそ孟徳さんの嘆きが胸を打つよ。確か下の息子さんも戦死してるはず(部下が連れて逃げようとしたら巣が壊れたら雛も無事では済まないとか言って戦って死んだような)

    • @月友
      @月友 Рік тому +3

      巣云々は孔融の子。
      夏侯栄「君、親が難にあっているのにどうして死から逃げられようか」
      君=曹操 親=夏侯淵

    • @イカタコ-k8h
      @イカタコ-k8h Рік тому +1

      @@月友 連絡ありがとうございます。小さい字見えにくくなり正史が物置にあるため手元にあったもの(坂口和澄さん著書)によると夏侯栄さんのエピソードにあるようです。巣云々ではなく「主君や親が危ない目にあっているのにどうして死を逃れようか」と戦死した、とあります…孔融さんにしても孔子サマの子孫というだけの虚名で死を迎えるわけですが確か子どもたちが碁を打っていたときでしたか?いろいろ思い出してきました。ありがとうございました。

  • @user-fakegiraikanae
    @user-fakegiraikanae Рік тому +3

    夏候淵よりも張郃の方が手強いと劉備軍の評価💧

    • @ここをキャンプ地にした
      @ここをキャンプ地にした Рік тому +3

      劉備は袁紹の所にも厄介になった時期があったから、張コウの実力を充分に熟知してたのかも。もちろん同様に夏侯淵の能力も。苦労人だけあって劉備の人のチカラを見抜く眼力は曹操に引けをとらないからね。

    • @sangokushich
      @sangokushich  Рік тому

      劉備の張郃への評価は高いですね!