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そもそも大乗、小乗というくくりはお釈迦様ご自身が全く言及されていないのでは?小乗という名称は大乗側の人間が小さな乗り物と揶揄して呼んだものではないでしょうか?
まず、非仏説を説くならば、そもそも仏説は何か、と言うことになりますが、上座仏教では、仏教は、八正道に始まり八正道に終わると言っています。まず、八正道を勉強しましょう。そこに阿弥陀は居ません。
阿弥陀様が元なら仏教じゃないですね。これを仏教と名乗るのは論理的におかしいです。
仏陀釈尊の理法の真髄は四諦八正道と十二因縁法であるというのが定説のようですが。
仏教については、詳しく存じませんが、昔、読んだ本に、江戸時代大阪に富永仲基という独創的な学者がいて、彼の研究では、日本に伝わった大乗仏教の経典は釈迦仏教とは何の関係もないということを実証した。そして、未だに(その文章を読んだのが確か1990年頃だった)彼の学説は論破されていない。とありましたが、これは事実ですか?
釈迦滅後100年頃に根本2大分裂により上座部と大衆部の二つに分裂し、その後も次々に教団の分裂が起こり、聖典も改変がなされたり、新たな経典を作ったとされています。仏教教団が後代に次々分裂したことは日本佛教でもいえますね、奈良、平安、鎌倉時代が変わると新たな宗旨宗派が生まれています、それが世の流れですね。
上座部仏教(初期仏教)スマナサーラ長老も今の日本の仏教は釈迦の教えと違ってる、と言っています、‥‥自分もそう思います
この人は、蓮如さんがこういってるから正しいとしか言っていない。何も証明していない。
K谷さんもみんなそう・・・親鸞聖人が言ってた、釈迦が言ってた誰それが言ってた・・・じゃなくってあなたはどう思うのですか?それが聞きたい
お釈迦様ではなく自分達の都合の良いように創作したものですね
いまだに「小乗」という“蔑称”を用いる御仁がいるとは驚きだわ。“大乗マウント”なんて昔の話かと思っとった😮
お里が知れる。
親鸞さんまでは、真であることは承知できます。しかし、蓮如さん以来、その真の言葉に付け加えて、現在までの僧の言葉に、僧の都合の良い言葉が、さらに付加されているのが、現実ですね。。簡単に申し上げますと、真の言葉が99在り、その内、真しやかな言葉を一つ含ませ、今日まであるのです。浄土真宗系のお寺さん、僧籍さん、今日の葬儀に何枚ダ、今日の法話に何枚ダー、となっているのが大多数なのではありませんか?親鸞カイさんですから、親鸞教に改めた方が、分かり易いのいですが。浄土真宗の方々も、親鸞宗に改めた方が、良かろうというものだと思います。。アミーダさんは、お釈迦さんは、こう言ってました、ではなく、親鸞さんがこう言ってました、と語られますので。。
本当に、私も、この世は、 何があるかわからない仏教で言われてる通りに、火宅無常だと、最近思います。 先生有難うございました。🙇♀️
火宅無常の世界は万の事、皆もって、空言、戯言、真実有ることなしその通りだと思います、
お釈迦様が滅して何百年も経ってから成立した大乗仏教が釈迦が説いたと言うのは無理がありますね。
大衆の要請、ニーズにより後代の法師(説法師)が創作したと学者は言っています。在家の人間が難しい修行や戒律を守ることはできない。阿弥陀様、菩薩様の慈悲にすがるどいうと他力本願的になっています。南無阿弥陀仏や無明妙法蓮華経というお題目を唱えればよろしいとなります。
(渡部先生の真意でないかも)勿論、大乗仏典は非釈迦説です。釈迦は十二因縁法〔の原型〕と実践法である八正道〔の原型〕をメインとして説かれています。思想的、宗教的な要素は全くありません。目的は解脱のみです。渡部先生ほどの人がそれをご存じないとは考えにくい。お立場上の苦しい教説でしょう。
@@森田和義-k6u 大衆の要請、ニーズにより創作されたんですか?如是我聞と書いては、いけませんね。お釈迦様の本当の仏教を小乗と貶すのも、仏教徒としてはどうでしょうか?法師の頭に浮かんだ空想の如来に救済力があればいいですが、地球の危機の時に南無ウルトラマン如来と唱えるようなものです。
面白いですね。引力を発見(?)したのはニュートンですが、ニュートンが証明する迄、引力は存在しなかったかというとそんな事は有り得ません。誰が発見したのか?それは引力には全く関係ない事。誰が発見したのかに関係なく引力は存在します。
親鸞「あなたが説かれたのは阿弥陀仏の本願ですよね?」釈迦「阿弥陀仏?誰それ?」
うまい❗
論点が違うと思うよ。親鸞さんは北伝と南伝の違いをしっかり理解していたとは思えない。
お釈迦様は、ご自身が感じた無常さに心を動かされ、誰彼も皆同じ無常の世界で生きていることを酷く嘆き悲しみ、そんな民を救うべく、この現世で満たされた立場であったのにも関わらず、その一切を捨て去り、山へと修行に入られ、それはそれは厳しい行を敢行された。しかし、修行では救われないことを実感し、煩悩即菩提の道を示され、仏となられた。私の勝手な解釈ですが、そこには阿弥陀仏のお導きがあったのかもしれません。いずれにしましても、そういった一途の思いからお釈迦様は仏となられたことを鑑みますに、自分だけ悟れたらそれで良いなどと、どうして解釈できましょうか。それにそうであればこそ、仏の教えはこの世で一番最高に尊いと言えるのではないでしょうか。私はそんなお釈迦様が大好きですし、親鸞聖人の事も大好きです。阿弥陀仏も大好きであります。
浄土真宗も釈尊の教えではないですよね
前提である、小乗イコール独覚というのは必ずしも当てはまらないのでは?お釈迦様も悟られた直後は人々に教えを説く気は無かったらしいように。
”紀元前3世紀に釈尊の生の言葉に近い教えがスリランカに伝わり、今日に至る”という学説がございますが、このことについては如何にお考えでしょうか?
南無阿弥陀仏🙏シェアさせていただきました🙇
西洋哲学はソクラテスから飛躍的に発展した。仏教哲学は釈迦に始まり、龍樹や世親ら後世の著名な哲学者が理を深めていった。様々な経典も釈迦の系譜を引く本であると考えればよいのではないか。釈迦の心理哲学は、その後、長年に渡り発展してきたと見る富永仲基の説は一理あるように思われる。仏教を崇め宗教化したのは、特に鎌倉時代の祖師で、仏教は本来的には、正当な心の学問であったのではないか。
全然変わりますが真言宗の空海も大日如来より阿弥陀仏が偉いと言っているのですか?大日如来は根本の宇宙の仏だと思ってましたが真言宗でもそれは違うと言っておられるんでしょうか?物事は多角的視点を吟味して、どちらが正しいかを判断しなければなりません。ちなみに私はキリスト教は間違っているが、イエスは聖者であると思っています。お釈迦様もイエスも共に如来だと信じています。聖書は創作と真理のごちゃ混ぜの訳の分からぬものであり、イエスの本当の教えは釈迦とほぼ同じだと思います
仏教初心者です
説き方が違うのです、イエスキリストは神を信じなさい、信仰により救われるといわれた(聖書は神への信仰を説ている)、阿弥陀様を信じなさいと似ています。お釈迦様は修行により人間の持つ三毒を無くし、心を清浄、ピカピカにすれば覚りを得てすべての束縛から離れることができると説かれたようです。天国=覚りとすれば到達先はおなじかもしれません、アプロ-チの方法が違います。
いわゆる、自力か他力かです、覚りて凡夫が自力で到達できるそんな簡単に出来るものではない、したがい弥陀の本願におすがりする、神様におすがりする。
イエスは如来ではありません。仏教を学び、修行しなければ成仏(如来)できません。仏教では、自業自得なので、それなり の善業を行い徳を積まなければ成仏できません。神を信じようが信じまいが、解脱には、関係ありません。如来ならば、成仏法を説くはずです。
@@岡本要-i2z 僕の意見としては今のキリスト教と実際イエスの教えとは全く異なるものだと思ってます。信仰による救いはイエス自身が言ったことではなく、イエスを神格化するために言ったことなのではとも思っています。個人的意見回答有難うございます。
親鸞聖人が仏様だったと間違って解釈してしまわないですかね。
大乗は宗教カテゴリーなので原始仏教とは似て非なるものですどちらかというとキリスト教やイスラム教と同じく権力者によって創作された統治のためのツールだと認識していますでは上座部はどうかというと、やはり統治のツールとして利用されている面では宗教カテゴリーに分類されると思います
「自分だけが助かればいい」こんなお釈迦様をバカにした喧嘩腰な事を言っているから「大乗非仏説」が出てくる。狙っているところが違うが、どちらも仏教、これでいいでしょう。
仏教を参考にした親鸞教です。って言えば問題はない。それが人格ある人間としての立場でしょ。
わかりやすく解説して頂きました。ありがとうございます。
知っていました。法華経までたどり着くともっとよろしいですけど。
天賦の才能により法華経の欠陥を発見して比叡山を出たんですよ。
そこまでして浄土真宗がお釈迦様の教えであると主張する執着がすごいです。疑うことを恐れているのであればそれはマインドコントロールかもしれません。宗教はダメです。哲学的で科学的でなければいけません。
論拠がはっきりしない。
分かりやすいお話しでした。ありがとうございます。
聖書に書かれているから信じろと言っているようなもの。仏教はそうじゃないでしょ。基礎からの思想発展で納得できますよ。
「小乗経典」という言葉じたいが間違っています。「小乗」なる語は部派のごく一部を指して限定的に用いられたものなので阿含経典を指して小乗と称するのは間違っています。他にもところどころ間違ったことを仰ってますが、こんな解説動画はお話になりませんね。
本当にありがとうございました🙏
善導、法然を都合よく利用してますね!逃げを打っているとしかみえないです。
浄土真宗は親鸞大聖人の教えが一番大切なんでしょだったら別に釈迦が説いた教えという設定じゃなくて問題ないのでは?
すごく分かりやすい。ありがとうございます。小乗仏教は方便の部分だけの経典からできたものだと聞いています。
私は高齢となり、いろいろと不自由になり、救いを求めています。弥陀の本願誠、を信じるのは無理です。お釈迦様が説かれたとかどうでもいいです。名前を残されないお釈迦様のお弟子が書かれたのでも構いません。聖書と同じです。毎日天井を眺めています。
ただ阿弥陀如来を信じろといって問題をずらしてるだけで何の説明にもなってないな。大乗非仏説はおそらく正しいのだろう。その上で大乗仏教に救われると思う人は信じれはいいだけの話
初めから救われていて初めから幸せなのに今の外に何を求めるのか?色即是空空即是色!これなりこれ以上の真理はなし。
大乗非釈迦説かな釈迦は確実に説いてないでしょうね
大乗非仏説という言葉は不正確。正確には大乗非釈迦仏説というべき。紀元前500年にこの世に居られた釈尊が、それから数百年を経過して出現した大乗経典を説かれるわけがないということを意味する言葉。また小乗という言葉も不正確な言葉。
加上説
んー、w論理、無茶苦茶
そもそも大乗、小乗というくくりはお釈迦様ご自身が全く言及されていないのでは?
小乗という名称は大乗側の人間が小さな乗り物と揶揄して呼んだものではないでしょうか?
まず、非仏説を説くならば、そもそも仏説は何か、と言うことになりますが、上座仏教では、
仏教は、八正道に始まり八正道に終わると言っています。
まず、八正道を勉強しましょう。
そこに阿弥陀は居ません。
阿弥陀様が元なら仏教じゃないですね。
これを仏教と名乗るのは論理的におかしいです。
仏陀釈尊の理法の真髄は四諦八正道と十二因縁法であるというのが定説のようですが。
仏教については、詳しく存じませんが、昔、読んだ本に、江戸時代大阪に富永仲基という独創的な学者がいて、彼の研究では、日本に伝わった大乗仏教の経典は釈迦仏教とは何の関係もないということを実証した。そして、未だに(その文章を読んだのが確か1990年頃だった)彼の学説は論破されていない。とありましたが、これは事実ですか?
釈迦滅後100年頃に根本2大分裂により上座部と大衆部の二つに分裂し、その後も次々に教団の分裂が起こり、聖典も改変がなされたり、新たな経典を作ったとされています。仏教教団が後代に次々分裂したことは日本佛教でもいえますね、奈良、平安、鎌倉時代が変わると新たな宗旨宗派が生まれています、それが世の流れですね。
上座部仏教(初期仏教)スマナサーラ長老も今の日本の仏教は
釈迦の教えと違ってる、と言っています、‥‥自分もそう思います
この人は、蓮如さんがこういってるから正しいとしか言っていない。何も証明していない。
K谷さんもみんなそう・・・親鸞聖人が言ってた、釈迦が言ってた
誰それが言ってた・・・じゃなくってあなたはどう思うのですか?
それが聞きたい
お釈迦様ではなく自分達の都合の良いように創作したものですね
いまだに「小乗」という“蔑称”を用いる御仁がいるとは驚きだわ。“大乗マウント”なんて昔の話かと思っとった😮
お里が知れる。
親鸞さんまでは、真であることは承知できます。しかし、蓮如さん以来、その真の言葉に付け加えて、現在までの僧の言葉に、僧の都合の良い言葉が、さらに付加されているのが、現実ですね。。
簡単に申し上げますと、真の言葉が99在り、その内、真しやかな言葉を一つ含ませ、今日まであるのです。
浄土真宗系のお寺さん、僧籍さん、今日の葬儀に何枚ダ、今日の法話に何枚ダー、となっているのが大多数なのではありませんか?
親鸞カイさんですから、親鸞教に改めた方が、分かり易いのいですが。
浄土真宗の方々も、親鸞宗に改めた方が、良かろうというものだと思います。。
アミーダさんは、お釈迦さんは、こう言ってました、ではなく、親鸞さんがこう言ってました、と語られますので。。
本当に、私も、この世は、
何があるかわからない
仏教で言われてる通りに、
火宅無常だと、最近思います。
先生有難うございました。🙇♀️
火宅無常の世界は万の事、皆もって、空言、戯言、真実有ることなし
その通りだと思います、
お釈迦様が滅して何百年も経ってから成立した大乗仏教が釈迦が説いたと言うのは無理がありますね。
大衆の要請、ニーズにより後代の法師(説法師)が創作したと学者は言っています。在家の人間が難しい修行や戒律を守ることはできない。阿弥陀様、菩薩様の慈悲にすがるどいうと他力本願的になっています。南無阿弥陀仏や無明妙法蓮華経というお題目を唱えればよろしいとなります。
(渡部先生の真意でないかも)
勿論、大乗仏典は非釈迦説です。釈迦は十二因縁法〔の原型〕と実践法である八正道〔の原型〕をメインとして説かれています。思想的、宗教的な要素は全くありません。目的は解脱のみです。
渡部先生ほどの人がそれをご存じないとは考えにくい。お立場上の苦しい教説でしょう。
@@森田和義-k6u
大衆の要請、ニーズにより創作されたんですか?
如是我聞と書いては、いけませんね。お釈迦様の本当の仏教を小乗と貶すのも、仏教徒としてはどうでしょうか?
法師の頭に浮かんだ空想の如来に救済力があればいいですが、地球の危機の時に南無ウルトラマン如来と唱えるようなものです。
面白いですね。
引力を発見(?)したのはニュートンですが、ニュートンが証明する迄、
引力は存在しなかったかというとそんな事は有り得ません。
誰が発見したのか?それは引力には全く関係ない事。誰が発見したのかに関係なく引力は存在します。
親鸞「あなたが説かれたのは阿弥陀仏の本願ですよね?」
釈迦「阿弥陀仏?誰それ?」
うまい❗
論点が違うと思うよ。親鸞さんは北伝と南伝の違いをしっかり理解していたとは思えない。
お釈迦様は、ご自身が感じた無常さに心を動かされ、誰彼も皆同じ無常の世界で生きていることを酷く嘆き悲しみ、そんな民を救うべく、この現世で満たされた立場であったのにも関わらず、その一切を捨て去り、山へと修行に入られ、それはそれは厳しい行を敢行された。しかし、修行では救われないことを実感し、煩悩即菩提の道を示され、仏となられた。私の勝手な解釈ですが、そこには阿弥陀仏のお導きがあったのかもしれません。いずれにしましても、そういった一途の思いからお釈迦様は仏となられたことを鑑みますに、自分だけ悟れたらそれで良いなどと、どうして解釈できましょうか。それにそうであればこそ、仏の教えはこの世で一番最高に尊いと言えるのではないでしょうか。私はそんなお釈迦様が大好きですし、親鸞聖人の事も大好きです。阿弥陀仏も大好きであります。
浄土真宗も釈尊の教えではないですよね
前提である、小乗イコール独覚というのは必ずしも当てはまらないのでは?お釈迦様も悟られた直後は人々に教えを説く気は無かったらしいように。
”紀元前3世紀に釈尊の生の言葉に近い教えがスリランカに伝わり、今日に至る”という学説がございますが、このことについては如何にお考えでしょうか?
南無阿弥陀仏🙏シェアさせていただきました🙇
西洋哲学はソクラテスから飛躍的に発展した。仏教哲学は釈迦に始まり、龍樹や世親ら後世の著名な哲学者が理を深めていった。様々な経典も釈迦の系譜を引く本であると考えればよいのではないか。釈迦の心理哲学は、その後、長年に渡り発展してきたと見る富永仲基の説は一理あるように思われる。仏教を崇め宗教化したのは、特に鎌倉時代の祖師で、仏教は本来的には、正当な心の学問であったのではないか。
全然変わりますが真言宗の空海も大日如来より阿弥陀仏が偉いと言っているのですか?
大日如来は根本の宇宙の仏だと思ってましたが真言宗でもそれは違うと言っておられるんでしょうか?
物事は多角的視点を吟味して、どちらが正しいかを判断しなければなりません。
ちなみに私はキリスト教は間違っているが、イエスは聖者であると思っています。お釈迦様もイエスも共に如来だと信じています。
聖書は創作と真理のごちゃ混ぜの訳の分からぬものであり、イエスの本当の教えは釈迦とほぼ同じだと思います
仏教初心者です
説き方が違うのです、イエスキリストは神を信じなさい、信仰により救われるといわれた(聖書は神への信仰を説ている)、阿弥陀様を信じなさいと似ています。
お釈迦様は修行により人間の持つ三毒を無くし、心を清浄、ピカピカにすれば覚りを得てすべての束縛から離れることができると説かれたようです。
天国=覚りとすれば到達先はおなじかもしれません、アプロ-チの方法が違います。
いわゆる、自力か他力かです、覚りて凡夫が自力で到達できるそんな簡単に出来るものではない、したがい弥陀の本願におすがりする、神様におすがりする。
イエスは如来ではありません。
仏教を学び、修行しなければ成仏(如来)できません。
仏教では、自業自得なので、それなり の善業を行い徳を積まなければ成仏できません。神を信じようが信じまいが、解脱には、関係ありません。
如来ならば、成仏法を説くはずです。
@@岡本要-i2z
僕の意見としては今のキリスト教と実際イエスの教えとは全く異なるものだと思ってます。
信仰による救いはイエス自身が言ったことではなく、イエスを神格化するために言ったことなのではとも思っています。
個人的意見
回答有難うございます。
親鸞聖人が仏様だったと間違って解釈してしまわないですかね。
大乗は宗教カテゴリーなので原始仏教とは似て非なるものです
どちらかというとキリスト教やイスラム教と同じく権力者によって創作された統治のためのツールだと認識しています
では上座部はどうかというと、やはり統治のツールとして利用されている面では宗教カテゴリーに分類されると思います
「自分だけが助かればいい」
こんなお釈迦様をバカにした喧嘩腰な事を言っているから「大乗非仏説」が出てくる。
狙っているところが違うが、どちらも仏教、これでいいでしょう。
仏教を参考にした親鸞教です。って言えば問題はない。
それが人格ある人間としての立場でしょ。
わかりやすく解説して頂きました。ありがとうございます。
知っていました。法華経までたどり着くともっとよろしいですけど。
天賦の才能により
法華経の欠陥を発見して比叡山を出たんですよ。
そこまでして浄土真宗がお釈迦様の教えであると主張する執着がすごいです。疑うことを恐れているのであればそれはマインドコントロールかもしれません。宗教はダメです。哲学的で科学的でなければいけません。
論拠がはっきりしない。
分かりやすいお話しでした。ありがとうございます。
聖書に書かれているから信じろと言っているようなもの。仏教はそうじゃないでしょ。基礎からの思想発展で納得できますよ。
「小乗経典」という言葉じたいが間違っています。
「小乗」なる語は部派のごく一部を指して限定的に用いられたものなので阿含経典を指して小乗と称するのは間違っています。
他にもところどころ間違ったことを仰ってますが、こんな解説動画はお話になりませんね。
本当にありがとうございました🙏
善導、法然を都合よく利用してますね!逃げを打っているとしかみえないです。
浄土真宗は親鸞大聖人の教えが一番大切なんでしょ
だったら別に釈迦が説いた教えという設定じゃなくて問題ないのでは?
すごく分かりやすい。ありがとうございます。
小乗仏教は方便の部分だけの経典からできたものだと聞いています。
私は高齢となり、いろいろと不自由になり、救いを求めています。弥陀の本願誠、を信じるのは無理です。お釈迦様が説かれたとかどうでもいいです。名前を残されないお釈迦様のお弟子が書かれたのでも構いません。聖書と同じです。毎日天井を眺めています。
ただ阿弥陀如来を信じろといって問題をずらしてるだけで何の説明にもなってないな。
大乗非仏説はおそらく正しいのだろう。その上で大乗仏教に救われると思う人は信じれはいいだけの話
初めから救われていて初めから幸せなのに今の外に何を求めるのか?色即是空空即是色!これなりこれ以上の真理はなし。
大乗非釈迦説かな
釈迦は確実に説いてないでしょうね
大乗非仏説という言葉は不正確。正確には大乗非釈迦仏説というべき。紀元前500年にこの世に居られた釈尊が、それから数百年を経過して出現した大乗経典を説かれるわけがないということを意味する言葉。また小乗という言葉も不正確な言葉。
加上説
んー、w
論理、無茶苦茶