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中々、きれいな、ところでしたね。癒やされます。
A perfect walk around - beautiful scenery set with buildings that range from near collapse to what looks like almost move-in condition..
It was an easy village to walk around.
無人なのはやはり静かで時が止まっている感覚になりますね。木漏れ陽が美しく古い石垣や川の音がある日の集落を想わせます。素敵な処ですね。郷愁の念よりも何と言うか、爽やかな寂しさを感じました。撮影お疲れ様でした😊
歩いていても高低差がないので歩き易い集落でした。集落の中心部の「中間」はきれいに管理されているようでした。
まだ、養鶏家の広瀬さんが草刈に管理をがんばっています。この集落の半分は広瀬さんです。(^_^;)
草刈り、大変ですね。私も草には困っています。
またまた美し🌿 観てるとジワ~っと胸が熱くなります。山中の集落に在る風景。これこそが日本の財産 資源だと つくづく実感します。前半から ずーっとカジカ🐸の美しい鳴き声がしてましたね。夜は螢も舞うのかなぁって想像してました🌙石積みと川も美し。なんとも心地いい風景です。まだ 人の訪問もありそうですね。少しずつ自然に還っていくのでしょうが 人の手が入ってるのが嬉しいです
この集落は、全体としてそこそこ大きいのですが、ほとんど情報がないんです。何かもっと歴史がありそうな気がします。
左ヶ山集落の生い立ちをまとめた冊子があります。最後の一軒家の広瀬のおじ~ちゃんのインタビューがあったと思います。たしか、、10年くらい前に過去ログが見れれば2ちゃんねるにも投稿されていました。
本当ですか?調べてみますね。
@@vs2226 2012/8/15の攻殻機動隊スレで 記憶を基に古里スケッチ画 という冊子を藤井初視さん生きてれば88才が書かれた書物に出身者懇親会の様子、左ヶ山上集落は1956年〔昭和31年〕に26戸あり、2012年には一戸〔広瀬家のみ〕の廃村となったと語られています。2002年にも小冊子を出身者に配布したようです。事前情報があればVSさんの探索にもストーリーが生まれます。行かれる前に行く場所が分かれば私の持っている情報なら提供します。頑張りましょう〔僕は身近な廃集落研究をしています。〕
詳しい情報ですね。出身者だった藤井初視さんが出された冊子があるならば、どこかで目にすることがあるかも知れませんね。
最後の梅林が気になりました きれいに管理されていますよね
今でも梅の収穫をしているように思いました。
探索お疲れさまでした。川のせせらぎ音は確かに癒されますね😊最後の梅畑は、明らかに管理されてそうですね🤔日曜日の夜は、いつもVSさんとか廃村・限界集落系の動画をお酒呑みながら楽しんで、月曜日からの仕事に精を出してます。今後とも引き続きよろしくお願いします🙇
お酒吞みながら、まったり視聴っていいですね。こちらこそよろしくお願いします。
実家の真南でもう45年以上前ではっきり覚えてないけど自転車押して山道抜けて奥までではないけど探検しに行った記憶があります。途中で道聞いたおばあちゃんにみかんもらったのははっきり覚えていますけどね。故郷を離れ40年以上経ちますがもうそこに誰も居なくなったと思うと地方都市の衰退と共に本当に淋しくなります。
故郷に人が居なくなるのは、寂れていくので寂しいですね。
川の流れと小鳥のさえずりが聴こえてきていいですね。ただ、夜になると怖そう。何人位の方々が住まわれていたんでしょうかね。陽当たりはいい場所ですね。
左ヶ山町家屋分布図によると、ざっと40軒ちょっとありました。点在した小さな集落が集まった大きな集落のようですね。
リアルお化け屋敷の舞台にしましたww子供たちに都会では味わえない田舎の恐怖を感じてもらいました。夜歩くとちょうど良いゲームのSIRENのような廃村です。程よく管理もされていて、子供たちも大きなケガはありませんでした😅あの三つは組〔班てきな物〕です。
@@sanaba94 子ども達のきもだめしいいかも知れませんね😱でも釣りとかも良さそうな場所ですね。
@@sakusaku5516 勿論、屋敷への侵入不可ですが、夜はライトで一点を照らすと虫が集まるので立ち止まれませんwwその雰囲気がリアルタイムで怖いw足下に注意するのはお化け屋敷にはない本当の怖さです。まさに益田のSIREN舞台です。川は実は鉱石水で雑魚しか居ません。でも単独行動は熊に遭遇するのでオススメしません。
いつもチャンネル楽しく拝見してます。梅畑まで行かれましたか、ずいぶん遠かったでしょう。ここはもう人は住んでませんが実家がこの山出身の方達が畑をしに来たりわりとまだ人の出入りがありますよ。
梅畑あたりも畑をされていたんですね。草が刈ってあったので、そんな気がしました。この集落は道が舗装されているので、出入りはし易いでしょうね。
「中間」では随所で見受けられる比較的新しめの物の存在があるのは元住民親族様が関与されて手入れがされているのかなあ、だったらいいなあって思いました。竹は厄介ですね。
「中間」あたりなら人の往来はありそうですね。
むかしの少年にとっては最高のオモチャだね子供だから許された、その時代だから許された無遠慮さで探索しまくる、さらにすこしむかしの暮らしぶりの遺構令和の現在オッサンになった自分が仮にここにたどり着こうともそんなことは出来ないししないんだけど、そして少年時代ほど強烈なわくわく心も持ち合わせてはいないのだけれどだからこそ懐かしい気持ちになります「ケガするぞ~」って緩めに諌められはすれど「やめなさいっ」とまでは言わず自由にさせてくれた地域の大人の寛容さ そういうものもふわーっと記憶から甦ってきました
左ケ山の大分奥地でしょうかね?本俣賀の農道(グリーンライン)から入ってすぐの道筋に、益田駅の近く(益田中学校のすぐ裏)に抜ける道がありました。今は通れるか分からないのですが、昔は一部、益中校区になっていたらしいので、その道を通って通っていたそうです。
左ヶ山の奥地になります。時々、元住人が来ているようですね。
それは小俣賀から赤城に抜ける市道です。寂しくて死体が遺棄された事もある場所ですが、通れますよ。
@@sanaba94 コメントありがとうございます。まだ通れるんですね!私が益中に通ってた時のすぐ上の先輩の代までは体育のロードレースのコースだったらしいです。熊が出て危ないので止めたみたいですけど。
ゆったりのんびりと過ごすにはよい環境みたいですが、買い物、病院等の生活となると、やはり難しい環境なんでしょうね。😢😢
買い物は1週間分の買いだめスタイルでしょうね。
昔は集会所で小物は売っていたみたいで、実は近年まで精米所が残っていました、、。
せせらぎが心地よい場所でしたね。土地は管理されて生きている感じ。ただやはり、生きていくには車がないと難しく、自給自足は現代では現実的ではないですね。ガンガン歩く持久力が見ていて気持ち良いです。
”せせらぎ”の音と光は、なかなか良いですね。ゆっくり歩きたいところですが、広いところを見て歩くので、足早になりました。
相変わらす歩くの速いですね。蔵や解体している家屋があるのは、けっこう恵まれた集落だったのかなあ。石垣や道路もアスファルトですし。最後の梅畑は現役なんでしょうか?下草も刈られて木も剪定されているようにもみえましたが。素晴らしい環境で美しい風景の中で暮らしていけない日本なんですね。お疲れさまでした(^-^ゞ
左ヶ山の分布図があったり、道も舗装されているので、元住人によって管理されているようです。
集会所入り口の長靴も謎ですが、廃屋の洗濯物も謎ですね。引っ越しの時に忘れていったのではなくて、恐らくは居住しているように見せる盗人除けなのでしょうね。当方の近所の空き家にも長い間同じ洗濯物がぶら下がっていたのを見たことがあります。盗人除けをするくらいだから、引っ越しの時には時々は戻ってくる積りだったのでしょうね。
空き家の盗人除けとして、夜になるとタイマーで灯りをつけている家がありました。いろいろな工夫がありますね。
ついに来たか仕事で地元の人に聞いたが噂だとS58年の災害の前は大谷温泉まで通じてたらしい。
大谷温泉までだと山越えになりますね。今だとなかなか大変でしょうね。
左ヶ山上の奥の一部は平原家で住所は栃山町ですから。繋がって居ます。
Googleカーがここを通ってるんだよな…
寂しいですね、無人は
神社が二つある集落で奥地でスズメバチに刺されて手当が間に合わなくて死人がでて一時、有名になりました。三の程原は近づけないような所です。たしか、、猪木谷方面に抜けたような、、二の集落の先には泥谷集落があります。58災害で見捨てられた所です。超ベテランのタクシー運転手が昭和60年頃まで乗車があったと話してくれました。その先には坂上〔さかあげ〕集落は四戸あったけど、、そろそろ廃村かな~、、
いろいろな過去がある集落なんですね。泥谷集落や坂上集落、③の先の程原など、興味深いですね。情報ありがとうございました。
泥谷集落は多田温泉の源泉が湧いている場所で10年くらい前に源泉の掃除に行った主人が滑落して亡くなった場所です。。養鯉場はまだあるかな、、名の通り、道はドロンコですw
ここで暮らしていた人たちは 大雨の続く日は どれほどか心細かったことでしょうか?コンクリで固めても 護岸工事をしても 氾濫する水 そして 山からの大水。廃屋の 軒に 洗濯物が まんま 残っているのも 寂寥。今回も探索 お疲れ様でした。
大雨のときの氾濫が、どの程度のものなのか、この晴れた日の様子では想像するのが難しいでしょうね。たぶん、風景が様変わりするでしょうね。
川向こうにも家があり、避難は困難だったようです。知り合いの元ガス屋がとにかく家の近くに車がいけない家が多く、プロパンガスを移送するのか大変な場所だったとの事です。
探索お疲れ様です。大変見ごたえがありました! VSさんはロープを張って立ち入り禁止にしてある先には入って行かれないですよね。こういう所を他のyou tuberにも見習ってほしいと思いますよ。特に心霊系のyou tuber達。
ロープが張られていたときは、その先には行かないようにしています。
👍😃😺🌞🌹🇵🇱🙏
なんともメリハリのない退屈な動画だなぁ他の動画見てもっと勉強してほしい面白そうなのに見るのやめちゃったよ
そういう動画なんですよ。どうぞ他へ!
中々、きれいな、ところでしたね。癒やされます。
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It was an easy village to walk around.
無人なのはやはり静かで時が止まっている感覚になりますね。
木漏れ陽が美しく古い石垣や川の音がある日の集落を想わせます。
素敵な処ですね。
郷愁の念よりも何と言うか、爽やかな寂しさを感じました。
撮影お疲れ様でした😊
歩いていても高低差がないので歩き易い集落でした。集落の中心部の「中間」はきれいに管理されているようでした。
まだ、養鶏家の広瀬さんが草刈に管理をがんばっています。この集落の半分は広瀬さんです。(^_^;)
草刈り、大変ですね。私も草には困っています。
またまた美し🌿 観てるとジワ~っと胸が熱くなります。
山中の集落に在る風景。これこそが日本の財産 資源だと つくづく実感します。
前半から ずーっとカジカ🐸の美しい鳴き声がしてましたね。夜は螢も舞うのかなぁって想像してました🌙
石積みと川も美し。なんとも心地いい風景です。まだ 人の訪問もありそうですね。
少しずつ自然に還っていくのでしょうが 人の手が入ってるのが嬉しいです
この集落は、全体としてそこそこ大きいのですが、ほとんど情報がないんです。何かもっと歴史がありそうな気がします。
左ヶ山集落の生い立ちをまとめた冊子があります。最後の一軒家の広瀬のおじ~ちゃんのインタビューがあったと思います。たしか、、10年くらい前に過去ログが見れれば2ちゃんねるにも投稿されていました。
本当ですか?調べてみますね。
@@vs2226 2012/8/15の攻殻機動隊スレで 記憶を基に古里スケッチ画 という冊子を藤井初視さん生きてれば88才が書かれた書物に出身者懇親会の様子、左ヶ山上集落は1956年〔昭和31年〕に26戸あり、2012年には一戸〔広瀬家のみ〕の廃村となったと語られています。2002年にも小冊子を出身者に配布したようです。事前情報があればVSさんの探索にもストーリーが生まれます。行かれる前に行く場所が分かれば私の持っている情報なら提供します。頑張りましょう〔僕は身近な廃集落研究をしています。〕
詳しい情報ですね。出身者だった藤井初視さんが出された冊子があるならば、どこかで目にすることがあるかも知れませんね。
最後の梅林が気になりました きれいに管理されていますよね
今でも梅の収穫をしているように思いました。
探索お疲れさまでした。川のせせらぎ音は確かに癒されますね😊
最後の梅畑は、明らかに管理されてそうですね🤔
日曜日の夜は、いつもVSさんとか廃村・限界集落系の動画をお酒呑みながら楽しんで、月曜日からの仕事に精を出してます。
今後とも引き続きよろしくお願いします🙇
お酒吞みながら、まったり視聴っていいですね。こちらこそよろしくお願いします。
実家の真南でもう45年以上前ではっきり覚えてないけど自転車押して山道抜けて奥までではないけど探検しに行った記憶があります。途中で道聞いたおばあちゃんにみかんもらったのははっきり覚えていますけどね。故郷を離れ40年以上経ちますがもうそこに誰も居なくなったと思うと地方都市の衰退と共に本当に淋しくなります。
故郷に人が居なくなるのは、寂れていくので寂しいですね。
川の流れと小鳥のさえずりが聴こえてきていいですね。ただ、夜になると怖そう。
何人位の方々が住まわれていたんでしょうかね。陽当たりはいい場所ですね。
左ヶ山町家屋分布図によると、ざっと40軒ちょっとありました。点在した小さな集落が集まった大きな集落のようですね。
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@@sanaba94 子ども達のきもだめしいいかも知れませんね😱
でも釣りとかも良さそうな場所ですね。
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勿論、屋敷への侵入不可ですが、夜はライトで一点を照らすと虫が集まるので立ち止まれませんwwその雰囲気がリアルタイムで怖いw足下に注意するのはお化け屋敷にはない本当の怖さです。まさに益田のSIREN舞台です。川は実は鉱石水で雑魚しか居ません。でも単独行動は熊に遭遇するのでオススメしません。
いつもチャンネル楽しく拝見してます。梅畑まで行かれましたか、ずいぶん遠かったでしょう。ここはもう人は住んでませんが実家がこの山出身の方達が畑をしに来たりわりとまだ人の出入りがありますよ。
梅畑あたりも畑をされていたんですね。草が刈ってあったので、そんな気がしました。この集落は道が舗装されているので、出入りはし易いでしょうね。
「中間」では随所で見受けられる比較的新しめの物の存在があるのは元住民親族様が関与されて手入れがされているのかなあ、だったらいいなあって思いました。
竹は厄介ですね。
「中間」あたりなら人の往来はありそうですね。
むかしの少年にとっては最高のオモチャだね
子供だから許された、その時代だから許された無遠慮さで探索しまくる、さらにすこしむかしの暮らしぶりの遺構
令和の現在オッサンになった自分が仮にここにたどり着こうともそんなことは出来ないししないんだけど、そして少年時代ほど強烈なわくわく心も持ち合わせてはいないのだけれど
だからこそ懐かしい気持ちになります
「ケガするぞ~」って緩めに諌められはすれど「やめなさいっ」とまでは言わず自由にさせてくれた地域の大人の寛容さ そういうものもふわーっと記憶から甦ってきました
左ケ山の大分奥地でしょうかね?本俣賀の農道(グリーンライン)から入ってすぐの道筋に、益田駅の近く(益田中学校のすぐ裏)に抜ける道がありました。今は通れるか分からないのですが、昔は一部、益中校区になっていたらしいので、その道を通って通っていたそうです。
左ヶ山の奥地になります。時々、元住人が来ているようですね。
それは小俣賀から赤城に抜ける市道です。寂しくて死体が遺棄された事もある場所ですが、通れますよ。
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買い物は1週間分の買いだめスタイルでしょうね。
昔は集会所で小物は売っていたみたいで、実は近年まで精米所が残っていました、、。
せせらぎが心地よい場所でしたね。
土地は管理されて生きている感じ。
ただやはり、生きていくには車がないと難しく、自給自足は現代では現実的ではないですね。
ガンガン歩く持久力が見ていて気持ち良いです。
”せせらぎ”の音と光は、なかなか良いですね。ゆっくり歩きたいところですが、広いところを見て歩くので、足早になりました。
相変わらす歩くの速いですね。蔵や解体している家屋があるのは、けっこう恵まれた集落だったのかなあ。石垣や道路もアスファルトですし。最後の梅畑は現役なんでしょうか?下草も刈られて木も剪定されているようにもみえましたが。素晴らしい環境で美しい風景の中で暮らしていけない日本なんですね。お疲れさまでした(^-^ゞ
左ヶ山の分布図があったり、道も舗装されているので、元住人によって管理されているようです。
集会所入り口の長靴も謎ですが、廃屋の洗濯物も謎ですね。引っ越しの時に忘れていったのではなくて、恐らくは居住しているように見せる盗人除けなのでしょうね。当方の近所の空き家にも長い間同じ洗濯物がぶら下がっていたのを見たことがあります。盗人除けをするくらいだから、引っ越しの時には時々は戻ってくる積りだったのでしょうね。
空き家の盗人除けとして、夜になるとタイマーで灯りをつけている家がありました。いろいろな工夫がありますね。
ついに来たか仕事で地元の人に聞いたが噂だとS58年の災害の前は大谷温泉まで通じてたらしい。
大谷温泉までだと山越えになりますね。今だとなかなか大変でしょうね。
左ヶ山上の奥の一部は平原家で住所は栃山町ですから。繋がって居ます。
Googleカーがここを通ってるんだよな…
寂しいですね、無人は
神社が二つある集落で奥地でスズメバチに刺されて手当が間に合わなくて死人がでて一時、有名になりました。三の程原は近づけないような所です。たしか、、猪木谷方面に抜けたような、、二の集落の先には泥谷集落があります。58災害で見捨てられた所です。超ベテランのタクシー運転手が昭和60年頃まで乗車があったと話してくれました。その先には坂上〔さかあげ〕集落は四戸あったけど、、そろそろ廃村かな~、、
いろいろな過去がある集落なんですね。泥谷集落や坂上集落、③の先の程原など、興味深いですね。情報ありがとうございました。
泥谷集落は多田温泉の源泉が湧いている場所で10年くらい前に源泉の掃除に行った主人が滑落して亡くなった場所です。。養鯉場はまだあるかな、、名の通り、道はドロンコですw
ここで暮らしていた人たちは 大雨の続く日は どれほどか心細かったことでしょうか?
コンクリで固めても 護岸工事をしても 氾濫する水 そして 山からの大水。
廃屋の 軒に 洗濯物が まんま 残っているのも 寂寥。今回も探索 お疲れ様でした。
大雨のときの氾濫が、どの程度のものなのか、この晴れた日の様子では想像するのが難しいでしょうね。たぶん、風景が様変わりするでしょうね。
川向こうにも家があり、避難は困難だったようです。知り合いの元ガス屋がとにかく家の近くに車がいけない家が多く、プロパンガスを移送するのか大変な場所だったとの事です。
探索お疲れ様です。大変見ごたえがありました! VSさんはロープを張って立ち入り禁止にしてある先には入って行かれないですよね。こういう所を他のyou tuberにも見習ってほしいと思いますよ。特に心霊系のyou tuber達。
ロープが張られていたときは、その先には行かないようにしています。
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