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中学で 数学の教師していた俺の爺ちゃんは 俺を伯父の名で呼ぶ程ボケていたけど 俺に 2次方程式 やら 根の公式やら教えてくれ 志望校の過去問から山までかけてくれて 大変に感謝している。
壮絶な状況なのに家族の結束が強固であることに感嘆。温かい家族がいることが最大の財産であることが肚落ちした。いい話ありがとう
私の父は認知症で、段々と言葉も忘れ、表情さえなくしていきました。最期に入院した時、付き添いしながらずっと話し掛け「一瞬でいいから奇跡が起きて名前をよんで。返事して」とどれだけ祈ったか🙏こんな奇跡が父にも起こっていたらと涙腺崩壊😭😭😭😭😭
ホスピスに居る祖父思い出して土日に行こうと思ってます自分の事泥棒や犯罪者と罵られ疎遠になってましたがこのまとめ見てそれでも会いたいと今は駄目でもこんな奇跡聞いたら信じたくなっちゃういい話でした
これ、不思議じゃないよ。母方の祖母(当時99)10年位寝たきりで、糞尿も垂れ流し状態。まだアルツハイマーなんて言葉も無く、ただ ボケたと括られる時代。預けられる施設も無く自宅介護。ある時、そのボケ婆さんがあの寝たきりの婆さんが、裁縫を始めた。普通に会話して、普通に裁縫して、そして一ヶ月位して死んだ。
ウチの祖母も子宮がん末期で入院していた時、ボケてしまって泣きました。毎日付き添いをしていないと同室の人達にご迷惑がかかるほど酷くて、ボケの酷さで病院から退院を迫られてました。そして退院することになり、孫の私は看護の為仕事を退職して…さぁ退院の日、車に乗り自宅へ。自宅へ帰るとなんとボケが治っているではありませんか!何がどうなったのか今でも不思議な気分でした。あんなに大変な介護をし、退職までしたのに…。家に帰ってきた祖母はその後5年もボケずに98歳まで生きました。息を引き取る数時間前、カボチャの煮物が食べたいと言うので私はすぐ家に帰り柔らかく煮たカボチャ煮を作り持っていくと一口食べて、美味しいと言ってくれました。最後に食べた物が私の作ったカボチャ煮だったので、なんだか悪かったような切なかったような気持ちが今でも忘れられません。このお話のおじいちゃんもボケていたのが治ったとの事だったので、なんだか祖母と重なってしまい、やっぱりこういう事もあるのかと実感させられました。ご冥福をお祈りします。
コメントありがとうございます!家族を大切にする人は素敵ですね。
介護の仕事をしています。お祖母様への長年の介護、本当にお疲れ様でございました。ご自身のキャリアを投げ打つなどなかなか出来ない事です。頭が下がります。入院中のお祖母様のご様子とその後の回復から推測すると、おそらくお祖母様は「せん妄」状態ではなかったかと思われます。これは所謂「認知症」とは違い、急激な環境の変化と長時間の臥床による身体的拘束、脱水・炎症・貧血・薬物等から来る負担から意識の混乱が起きるのです。年齢の別なく入院患者さんの2〜3割に起こります。高齢者の方、特に認知症を合併されている方の発症率は高いですが、退院後回復され、その後症状の再発が無かったところから、せん妄状態でいらしたのかな?と思いました。私事ですが、5年前に母がアルツハイマーの最後の発作を起こす前日、食べさせたのがカボチャの甘煮でした。現在の仕事に就くきっかけになった母の介護経験です。最近は仕事の心身疲労から忘れかけていた色々な思い出がわーっと溢れて思わず長文レスしてしまいました。大変失礼致しました。😅
ガキの頃亡くなったばーちゃんのこと思いだして泣いた…。俺のことが大好きとずっと言ってくれたばーちゃん…。
最後の最後で元のお爺ちゃんに戻って感謝と謝罪、そして家族との思い出を持って天国に行けたんだと思うと心残りなく最後は幸せだったんだろうな...ご冥福をお祈りします
今思えば、オトンが死ぬ時にオカンを連れてってくれたら、こんなに苦労しなかったのにな。動画みたい綺麗な話の家は少ない。介護は辛すぎて地獄です。
最後まで堪えたけど、最後の録音で泣いてしまった。大勢の人がイッチの自慢のお爺さんの話を聞けて良かった。
涙が止まんねぇ。お祖父さんは謝罪と感謝を伝えることができて思い残すことなく旅立たれたのだろうなぁ。
思わず泣いてしまいました。大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんの事壊れていった事、色々思い出しました。夏休みは殆ど祖父母宅に入り浸ってたから自分も晩年は仕事休んで病院連れてったりしてたなと。家族の絆が奇跡をおこしたのかもしれないですね。本当に素敵なお話でした。おじい様のご冥福をお祈りします。
失明してたバッハが亡くなる直前に何故か目が見えるようになったと言うエピソードを思い出した
父親を看取った私としてはなんとなく分かる。ウチの父も亡くなる少し前に、元気になったなぁ。
生きてる以上死は訪れるがやっぱり思い出がある限り死は悲しい😢
これは素晴らしいスレでした。ありがとう。
3:57 オカンもわけわからんでも行動力も体力も若い人の3人分あるから大変です。しかも、周りの人達が全然手伝いもしないどころか、行き届かない事を叱責したりします。他人事とは思えないけど、テレビでは介護疲れの果ての事件を起こす人がいて、そういうのは執行猶予とか情状酌量してほしいです。
良い話しだった😢
「生まれた時に泣きわめいたんだ、死ぬ時ぐらい静かにしたい」と言っていた祖父は、ガンになっても誰にも言わず、静かに死んでいった。確かに迷惑はかけられていないけど、人が死ぬことに正解なんて無いのだと思った。
素敵なご家族。いい話だね。
6:14役所やヘルパーが病院連れてけと思うけど、逆に責めてくるんだよなあ。今回の恐喝と傷害の冤罪もそういうところからの通報もあって警察が動いてる。介護する家族が本当にボロボロになる。残された家族は生きていかなきゃいけないですから、最初から施設とか病院に入れてしまうほうが楽です。そういう悲しい実態は色んな人に知ってほしいです。核家族は特に大変です。
普段はこういう話の動画見ないけど最後まで見てしまった。。
この話好きで見かけると視聴してしまうが、ほんとうに素敵な話。お祖父様、もう一度家族に対してひとっ働きできて羨ましい。私もそうしたい!
かっこいいじいちゃんだなぁ。ボケが治ってから3ヶ月間、今までの空白を埋める様に生きたじいちゃんとイッチ家族の愛に感動して泣けた(;ω;)
何というか正しく年を重ねたとは違う気もするけどこういったご年配には敬意を覚える
残念ながら、他に介護する人がいないような家庭は一人で介護して仕事は行けないせいで、敬意どころか社会的に軽蔑されます。介護が終わっても地獄しかない人が多いです。自殺する人も多いです。
良いお話でした。ありがとうございます😊
私の父は老人ホームから病院に行った。ホームでは兆候も無く様子を見に行ったら呼吸が落ちて来ていての緊急搬送だった。病院の処置室では父と話が出来た。医師にレントゲンを見せられたら肺が真っ白だった。ただ、その後父が病室へ入ったら面会はできなくなってしまった。感染症のせいでホームでの面会もできずずっと顔を見る事も話す事も出来ずにいて最後の会話は処置室での数分。感染症のせいで見舞いは一才出来ない。付き添いも出来ない。病院から危篤の連絡を受けても病院は遠く、到着した時は既に亡くなっていた。本当にコロナ禍が無ければと後悔や虚しさみたいなものがいつまでも消えない。辛くても最期は手を握ってお別れしたかった。
要介護5まで今は亡き祖母在宅介護やってたけど(主に母が)祖母も最後が近くなってきて会いたいって言われて何年も介護をしてる母の手伝いなんかしてて、最後の方は毎日会いに行ってて、でも弱ってる祖母見たくないって葛藤で大変だったな
認知症の誤解の一つに「何も記憶出来なくなる」っていうのがあると、介護してて思います。多分、記録は出来てるんですよね。ちょっと呼び出しや照合がポンコツになっちゃうだけ。じゃないと、妄想が記憶に定着されちゃう理由が付かないですからね。この話のおじいさまはきっと思い残すことなく逝くことが出来たのだろうなと感じます。うちの両親も、思い残しはなるべく少なくあってほしいなと、思いました。
今日も今日とて、義父が「ボケても蹴らんといてや(笑)」というので、「可愛くボケたら蹴らん。可愛くボケよう思ったら早めの病院やで。」と返したら笑ってたけど、はよ行きや。
泣いた😢
私の祖父はボケてはいなかったが、亡くなる前の日に自転車を買ってきて庭で乗り回してた。次の日「人生とはなんだろう」と言って亡くなりました。
この御祖父様 見事な人生の幕引きでした。思うに生前積んでおられた「徳」をお釈迦様が評価し計らって下さったのだと思います。
この話は他で知ったけど切なかったな。父の介護を思い出す。介護は切ない。ボケてもボケてなくても辛い。
身近な人に別れつらいですね私わ主人でした涙
17:33この気持ちはわかります。阪神大震災の時に神戸の阪急沿線に住んでいたのですが、ドッキリで家が揺らされているのだと思いました。
いい歳こいて声出して泣いた
最期まで筋を通して息を引き取るなんて本当の極道だった方ですね(極道の由来は江戸時代は貸金業も兼ねてた寺に飼われてる半端物)孫の話を聞くだけで後見人に相応しいか直に見せろ?!ってとこなのかな?って思いました
母が亡くなってからもうすぐ1年。まだ胸が痛くてたまらない。ガンだったけど、死に目には会えなかったから何か言ったかなぁって考えた。母に会いたい。
コメントありがとうございます!お気持ち察します。
@@2ch2ch5ch4 こちらこそ。ありがとうございます。
ガンという病気が早く無くなればと心から思います。ご自身のお身体ご自愛くださいね。
@@まあまあ-t4k ありがとうございます。
私も死に目に会えませんでした。コロナもあって面会も出来ず。でも、、苦しい姿を見せたくない人だったのでそれでよかったのかもと今は思ってます。後悔はいくらでも出来る。だけどどうせ同じように考えるなら楽しかったことや嬉しかった思い出を反芻するほうがよほどお互い幸せかなと。無理に頑張ったり、元気で居る必要ないです。急に悲しい気持ちに襲われる時もありますが、素直に満足するまで「悲しい」という感情に浸ってしまうほうがいいです。
素晴らしいお話上げていただきありがとうございました。本当に胸をうつ心を洗われる素晴らしい話でした、自分も人生終活を考える年になってこのお祖父さんの素晴らしい人生の幕引きに感服いたします、ありがとうございました。
何か祖父さんから私が教わったような気がします。お話を上げて下さりありがとう御座いましたm(_ _)m
体力も人一倍あったでしょうし、性格も影響しますが、すべての認知症がこうなる訳じゃありません。最期に認知症状が軽快している様に見える為、今回の症例は、、、鬱病or統合失調症>>認知症。だと考えます。精神症状から認知様症状が出ることもあるため初期の治療方針がそもそも間違っていたのだと感じます。ただ治療をしなくても段階を経て、(最期が近づくにつれ)精神症状は安定する為に認知様症状が改善するのが一般的です。今、介護で困っている方は、お近くの地域包括支援センターに相談して下さい。相談は完全無料です。介護は本当に大変です。
こんな正直な家族の姿聞かせて✨😆👂️くれてありがとうございます🎵💓♥️❤️ボケは本当に本人も辛かったと聞いた時自分自身もいずれ月日と共に経験する時が来るのを改めて聞かせてくれて感謝します‼️長生きしたらいずれ通る道だからです‼️素晴らしいおじいさんの姿は凄い‼️そのおじいさんの嫁さんになったおばあちゃん👵も凄い‼️素晴らしい夫婦です( *´艸`)♥身体に気をつけて過ごして下さい!⤴️良い話し聞かせてくれて感謝します🎵(*≧з≦)良い家族最高😃⤴️⤴️
ウチの祖母も家で⭕️ぬまで介護して、家で昇天した家族として親父の方針で家で見た、同時高校生だった私(兄弟男4人いました)と二男、弟の四男とで、祖母が用がしたいとなると抱き抱えて、支えて近くに簡易トイレに座らせた。ある日、介護時のトイレで祖母の手にウンコがついた弟が、祖母に爪を立てられ、弟の腕に汚れた指が刺さり、ウンコタトゥーが・・・😅高校生ながら、介護は嫌だったけど、一人介護だけでも大変だったここ最近は、親父が弱って来てる、兄弟もバラバラで親父が倒れた時は、同居してないので、介護する自信がないです。大事な家族ですよね、、、凄いいい話で、何度も泣きました。
泣ける
あー。泣いてしまったなぁ、自分は約1年前に幼馴染が、半年ほど前に曽祖母さんが亡くなったのですが。不謹慎なのですが、悲しくも無く涙なんて一切出る気配もありませんでした。あぁ。死んでしまったのかみたいな感覚でした。人が死ぬのは悲しいこと。泣いてしまう事なのだと思っていたのですが実際にそのような場面になるとそんなことはなく。こんなものかと思っていました。そして、自分は最低な人間なんだなと人が死んでも泣くことすら出来ないド屑なんだなと。幼馴染の葬式の際には友達たちは泣いていました。硬派たいも泣いてました。自分は泣けませんでした。ただそこにぽつんと居るだけ。あぁ。もう泣けないんだなと。思っていました。ですが今この話を聞いていて自然と涙が出てきました。とても感動的なお話をありがとうございます。
生物は死ぬ間際に凄く覚醒するって聞いたことがあるが本当だったのか…俺のお爺も最後に俺の名前を呼んで逝ったからなぁ…
全然2ch面白いンゴじゃないじゃん…泣いたわ…
亡くなる前に一度普通?に戻るという話は確かホスピス医師の動画で医学的にあるとみたことがあります。うちの祖父も体は戻らなかったけど酷いボケでおむつで介護を受けていたのに起きてタバコをすって(しかしふらついてガラスを割った)電話に出たりして。2.3日だけでまた戻ってしまいその後数ヶ月して亡くなってしまった。それでもそれがない人がたくさんいるのだから最後に話せてよかったと思いたいです。
正直…。【こんな最期を迎えたい】な😢親がボケて【人から物】になってゆく過程は辛い😰ましてや自分に重ねてしまうと…。人の尊厳を失わず、最期も【人として】逝きたい😭
先輩イケメンやん……
7:285分怒ると一日中寝ているって…人間って怒るのにもエネルギー使うんだね。長生きしたきゃ、感情をコントロールしないといけないのね。勉強になりました。
なんか思うんだけど 賢い人って長生きよね
37年前に亡くなったおばあちゃんの夢を見たあと金縛りにあった。会いにきてくれた と思ってる\(^-^)/
久々に泣いたわwww
これは精神科の範疇で残念だけど手に終えないので私の父も薬で大人しくした。その後やっと介護が可能になったと思う
めっちゃ泣いた🤧仮眠取らなきゃいけない時間に見る内容じゃ無かったかもしれんけどこう言う時しか見れんからなダバダバ私のお爺ちゃんも偶に電話で話すと、必ず同じような事言った。でもあの時はさほど重要だと思ってなくてニュアンスでしか今はもう覚えてない。男に気をつけろ、男の選び方には注意しろ、そんな感じだったと思う。一言一句メモでもしときゃよかったなってちょっと後悔した。じじいは元警察官で実家にいた時は悪い意味で騒動が日常的だった。ばばあも基本寝たきりで、起きてきたかと思えば小言が煩い。常にストレスで、暮らしが別になった時は本当に安心した。でもお婆ちゃんは糖尿病で入院して他界、その後お爺ちゃんも私から見た叔父に引き取られて1年ちょっとで自宅で息を引き取ったって聞いたけど、その3年間ぐらいの電話は本当にthe優しい祖父母だった。なんで死ぬ前ぐらいしか優しくできないんだばか。もう何十年前から優しかったら家庭は崩壊せずに済んだのにね。それも含めて、お前はいい家庭を築けって意味の言葉だったのかなとも思う。
映画になってもいい話
やめてくれー泣くからー😭
目から何かが溢れないように耐えてたらふーふー言ってましたわくそぅ...
亡くなった祖父を思い出します
タヌキと孫間違えてお小遣いあげたくだり、ちょっとほっこり
水を差すつもりではないのですが、一つ気になって。私の父は75歳で癌発覚し年齢的に医師からQOLを進められました。手術が出来ないとも。その後84歳で無くなりました。だから95歳でボケて自己判断も出来ないお祖父様が手術を受けた?受けさせられた事が不思議でした。
こんばんは。おそらく身体事態の強さ?を、医師がどのように判断するか?ではないでしょうか。私の父親も88歳で手術をして90歳の今も認知もあり施設にお世話になっていますが、今も存命です🙏
医者の当たり外れはありますし、老人も普通に理解されている以上に体力差がありますから。老人=薬💊を与えるというワンパターンの医者がいます。
遺言のところで自然に目から汁が…
医師は論文が書けそうな案件だな(;´∀`)
この話ほどの奇跡は無かったけど、祖父が危篤の時に駆けつけて手を握ったらダイナスコープの心電図の反応が大きくなったのを思い出した。幼かったから何があったのかもよく分からなくて混乱しながら手を握るしかできなかったけど、5分くらいしてから息を引き取ったからお別れできる様に頑張ってくれたのかと漠然と今は思ってる。息がある内にちゃんと御礼言いたかったな
おじいさまの過去の頑張りに対する神様からのプレゼントだったかな
ワイの小さい頃からオカンがおかしい。ワイが不気味な夢を見た後、本物のオカンから偽物のオカンに変わったのかもしれません。オカンは認知症で警察から免許取り消し処分を受けたばかりです。オカンの死ぬ前には本当のオカンに戻るのかな。例え、オカンが本当のオカンに戻っても、なんとも思わないくらい辛い事がありました。今もオカンがありもしない恐喝と傷害で通報して冤罪で疑われてます。か弱い女性の身の上でなんとか仕事を探して、きちんとしたら、喜んでくれると思って頑張ってたけど、前科ついたら仕事も無理だろうな。オカンが本当のオカンに戻っても感動しないだろうな。
ボケってスイッチがあるんだよね。ある時突然ボケオフになることがある。
うちの猫も老衰で歩けない日が続いたけど死ぬ前の一週間前みたいに走ったり飛んだりしてた死を悟ると脳のリミッターが外れるのかな?死ぬ時は脳内麻薬のエンドルフィンが分泌されて気持ちいいと言うしなにかありそうだよね
僕もこれだけ立派な男になりたい。立派になってこれだけ愛される人でありたい。別れは必ずあるから、
ここまで覚えているわけもないし、作り話だとは思うけど文才があるな
人の体ってまだまだ未知だな
「中治り」現象ですね
感動系の涙腺が硬い?緩くない自分が感動系で久しぶりに泣いたスレだった。会社をまた作ろうと言ったおばさん胸糞わるい。そのガキも。ありがとうございました
医療の発達。長生きも毒だな…自分のときはボケないうちにポックリ逝きたいもんだ
医者が「ボケ」なんて言葉を使うわけないだろ!「呆け」や「痴呆」なんてのは差別用語だから専門家は使っちゃいけないんだぞ!?
この話の元がいつの時期か知らないけど昔(昭和)は新聞でも普通に記事で「ボケ」を使っていたよ認知症やアルツハイマーなんて言葉もなくボケ老人として周りから忌み嫌われていたあなたが言うようにボケや痴呆が差別用語だと言うのはそれほど世間から認知症について理解が進んできた証拠です
文章から察するに非常事態宣言の当たりではないかな大人の事情はそれでしょう
亡くなる前って魂的な何かが関係して良い方に少しの期間、動き出すのかしら??
めっちゃ感動した。オレのオヤジも危篤なのよね。まぁ、ものすごいクズだったが。
コロナの後は起こらない話だなマトモに面会すらできねー
中学で 数学の教師していた俺の爺ちゃんは 俺を伯父の名で呼ぶ程ボケていたけど 俺に 2次方程式 やら 根の公式やら教えてくれ 志望校の過去問から山までかけてくれて 大変に感謝している。
壮絶な状況なのに家族の結束が強固であることに感嘆。
温かい家族がいることが最大の財産であることが肚落ちした。
いい話ありがとう
私の父は認知症で、段々と言葉も忘れ、表情さえなくしていきました。
最期に入院した時、付き添いしながらずっと話し掛け「一瞬でいいから奇跡が起きて名前をよんで。返事して」とどれだけ祈ったか🙏
こんな奇跡が父にも起こっていたらと涙腺崩壊😭😭😭😭😭
ホスピスに居る祖父思い出して土日に行こうと思ってます
自分の事泥棒や犯罪者と罵られ疎遠になってましたがこのまとめ見てそれでも会いたいと
今は駄目でもこんな奇跡聞いたら信じたくなっちゃう
いい話でした
これ、不思議じゃないよ。
母方の祖母(当時99)
10年位寝たきりで、
糞尿も垂れ流し状態。
まだアルツハイマーなんて言葉も無く、ただ ボケた
と括られる時代。
預けられる施設も無く自宅介護。
ある時、そのボケ婆さんが
あの寝たきりの婆さんが、
裁縫を始めた。
普通に会話して、普通に裁縫して、
そして一ヶ月位して死んだ。
ウチの祖母も子宮がん末期で入院していた時、ボケてしまって泣きました。
毎日付き添いをしていないと同室の人達にご迷惑がかかるほど酷くて、ボケの酷さで病院から退院を迫られてました。そして退院することになり、孫の私は看護の為仕事を退職して…さぁ退院の日、車に乗り自宅へ。自宅へ帰るとなんとボケが治っているではありませんか!何がどうなったのか今でも不思議な気分でした。あんなに大変な介護をし、退職までしたのに…。
家に帰ってきた祖母はその後5年もボケずに98歳まで生きました。
息を引き取る数時間前、カボチャの煮物が食べたいと言うので私はすぐ家に帰り柔らかく煮たカボチャ煮を作り持っていくと一口食べて、美味しいと言ってくれました。
最後に食べた物が私の作ったカボチャ煮だったので、なんだか悪かったような切なかったような気持ちが今でも忘れられません。
このお話のおじいちゃんもボケていたのが治ったとの事だったので、なんだか祖母と重なってしまい、やっぱりこういう事もあるのかと実感させられました。
ご冥福をお祈りします。
コメントありがとうございます!
家族を大切にする人は素敵ですね。
介護の仕事をしています。
お祖母様への長年の介護、本当にお疲れ様でございました。ご自身のキャリアを投げ打つなどなかなか出来ない事です。頭が下がります。
入院中のお祖母様のご様子とその後の回復から推測すると、おそらくお祖母様は「せん妄」状態ではなかったかと思われます。
これは所謂「認知症」とは違い、急激な環境の変化と長時間の臥床による身体的拘束、脱水・炎症・貧血・薬物等から来る負担から意識の混乱が起きるのです。年齢の別なく入院患者さんの2〜3割に起こります。高齢者の方、特に認知症を合併されている方の発症率は高いですが、退院後回復され、その後症状の再発が無かったところから、せん妄状態でいらしたのかな?と思いました。
私事ですが、5年前に母がアルツハイマーの最後の発作を起こす前日、食べさせたのがカボチャの甘煮でした。現在の仕事に就くきっかけになった母の介護経験です。最近は仕事の心身疲労から忘れかけていた色々な思い出がわーっと溢れて思わず長文レスしてしまいました。大変失礼致しました。😅
ガキの頃亡くなったばーちゃんのこと思いだして泣いた…。
俺のことが大好きとずっと言ってくれたばーちゃん…。
最後の最後で元のお爺ちゃんに戻って感謝と謝罪、そして家族との思い出を持って天国に行けたんだと思うと心残りなく最後は幸せだったんだろうな...ご冥福をお祈りします
今思えば、オトンが死ぬ時にオカンを連れてってくれたら、こんなに苦労しなかったのにな。
動画みたい綺麗な話の家は少ない。介護は辛すぎて地獄です。
最後まで堪えたけど、最後の録音で泣いてしまった。大勢の人がイッチの自慢のお爺さんの話を聞けて良かった。
涙が止まんねぇ。お祖父さんは謝罪と感謝を伝えることができて思い残すことなく旅立たれたのだろうなぁ。
思わず泣いてしまいました。
大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんの事
壊れていった事、色々思い出しました。
夏休みは殆ど祖父母宅に入り浸ってたから
自分も晩年は仕事休んで病院連れてったりしてたなと。
家族の絆が奇跡をおこしたのかもしれないですね。
本当に素敵なお話でした。
おじい様のご冥福をお祈りします。
失明してたバッハが亡くなる直前に何故か目が見えるようになったと言うエピソードを思い出した
父親を看取った私としてはなんとなく分かる。
ウチの父も亡くなる少し前に、元気になったなぁ。
生きてる以上死は訪れるがやっぱり思い出がある限り死は悲しい😢
これは素晴らしいスレでした。ありがとう。
3:57 オカンもわけわからんでも行動力も体力も若い人の3人分あるから大変です。しかも、周りの人達が全然手伝いもしないどころか、行き届かない事を叱責したりします。他人事とは思えないけど、テレビでは介護疲れの果ての事件を起こす人がいて、そういうのは執行猶予とか情状酌量してほしいです。
良い話しだった😢
「生まれた時に泣きわめいたんだ、死ぬ時ぐらい静かにしたい」と言っていた祖父は、ガンになっても誰にも言わず、静かに死んでいった。確かに迷惑はかけられていないけど、人が死ぬことに正解なんて無いのだと思った。
素敵なご家族。いい話だね。
6:14役所やヘルパーが病院連れてけと思うけど、逆に責めてくるんだよなあ。今回の恐喝と傷害の冤罪もそういうところからの通報もあって警察が動いてる。介護する家族が本当にボロボロになる。残された家族は生きていかなきゃいけないですから、最初から施設とか病院に入れてしまうほうが楽です。そういう悲しい実態は色んな人に知ってほしいです。核家族は特に大変です。
普段はこういう話の動画見ないけど最後まで見てしまった。。
この話好きで見かけると視聴してしまうが、ほんとうに素敵な話。お祖父様、もう一度家族に対してひとっ働きできて羨ましい。
私もそうしたい!
かっこいいじいちゃんだなぁ。
ボケが治ってから3ヶ月間、今までの空白を埋める様に生きたじいちゃんとイッチ家族の愛に感動して泣けた(;ω;)
何というか正しく年を重ねたとは違う気もするけどこういったご年配には敬意を覚える
残念ながら、他に介護する人がいないような家庭は一人で介護して仕事は行けないせいで、敬意どころか社会的に軽蔑されます。
介護が終わっても地獄しかない人が多いです。自殺する人も多いです。
良いお話でした。ありがとうございます😊
私の父は老人ホームから病院に行った。
ホームでは兆候も無く様子を見に行ったら呼吸が落ちて来ていての緊急搬送だった。
病院の処置室では父と話が出来た。
医師にレントゲンを見せられたら肺が真っ白だった。
ただ、その後父が病室へ入ったら面会はできなくなってしまった。
感染症のせいでホームでの面会もできずずっと顔を見る事も話す事も出来ずにいて
最後の会話は処置室での数分。
感染症のせいで見舞いは一才出来ない。付き添いも出来ない。
病院から危篤の連絡を受けても病院は遠く、到着した時は既に亡くなっていた。
本当にコロナ禍が無ければと後悔や虚しさみたいなものがいつまでも消えない。
辛くても最期は手を握ってお別れしたかった。
要介護5まで今は亡き祖母在宅介護やってたけど(主に母が)祖母も最後が近くなってきて会いたいって言われて何年も介護をしてる母の手伝いなんかしてて、最後の方は毎日会いに行ってて、でも弱ってる祖母見たくないって葛藤で大変だったな
認知症の誤解の一つに「何も記憶出来なくなる」っていうのがあると、介護してて思います。
多分、記録は出来てるんですよね。ちょっと呼び出しや照合がポンコツになっちゃうだけ。
じゃないと、妄想が記憶に定着されちゃう理由が付かないですからね。
この話のおじいさまはきっと思い残すことなく逝くことが出来たのだろうなと感じます。
うちの両親も、思い残しはなるべく少なくあってほしいなと、思いました。
今日も今日とて、義父が「ボケても蹴らんといてや(笑)」というので、「可愛くボケたら蹴らん。可愛くボケよう思ったら早めの病院やで。」と返したら笑ってたけど、はよ行きや。
泣いた😢
私の祖父はボケてはいなかったが、亡くなる前の日に自転車を買ってきて庭で乗り回してた。
次の日「人生とはなんだろう」と言って亡くなりました。
この御祖父様 見事な人生の幕引きでした。思うに生前積んでおられた「徳」をお釈迦様が評価し計らって下さったのだと思います。
この話は他で知ったけど切なかったな。
父の介護を思い出す。
介護は切ない。ボケてもボケてなくても辛い。
身近な人に別れつらいですね私わ主人でした涙
17:33
この気持ちはわかります。阪神大震災の時に神戸の阪急沿線に住んでいたのですが、ドッキリで家が揺らされているのだと思いました。
いい歳こいて声出して泣いた
最期まで筋を通して息を引き取るなんて本当の極道だった方ですね(極道の由来は江戸時代は貸金業も兼ねてた寺に飼われてる半端物)孫の話を聞くだけで後見人に相応しいか直に見せろ?!ってとこなのかな?って思いました
母が亡くなってからもうすぐ1年。まだ胸が痛くてたまらない。ガンだったけど、死に目には会えなかったから何か言ったかなぁって考えた。母に会いたい。
コメントありがとうございます!
お気持ち察します。
@@2ch2ch5ch4 こちらこそ。ありがとうございます。
ガンという病気が早く無くなればと心から思います。
ご自身のお身体ご自愛くださいね。
@@まあまあ-t4k ありがとうございます。
私も死に目に会えませんでした。
コロナもあって面会も出来ず。
でも、、苦しい姿を見せたくない人だったのでそれでよかったのかもと今は思ってます。
後悔はいくらでも出来る。
だけどどうせ同じように考えるなら楽しかったことや嬉しかった思い出を反芻するほうがよほどお互い幸せかなと。
無理に頑張ったり、元気で居る必要ないです。急に悲しい気持ちに襲われる時もありますが、素直に満足するまで「悲しい」という感情に浸ってしまうほうがいいです。
素晴らしいお話上げていただきありがとうございました。本当に胸をうつ心を洗われる素晴らしい話でした、自分も人生終活を考える年になってこのお祖父さんの素晴らしい人生の幕引きに感服いたします、ありがとうございました。
何か祖父さんから私が教わったような気がします。
お話を上げて下さりありがとう御座いましたm(_ _)m
体力も人一倍あったでしょうし、性格も影響しますが、すべての認知症がこうなる訳じゃありません。最期に認知症状が軽快している様に見える為、今回の症例は、、、
鬱病or統合失調症>>認知症。
だと考えます。精神症状から認知様症状が出ることもあるため初期の治療方針がそもそも間違っていたのだと感じます。ただ治療をしなくても段階を経て、(最期が近づくにつれ)精神症状は安定する為に認知様症状が改善するのが一般的です。
今、介護で困っている方は、お近くの地域包括支援センターに相談して下さい。相談は完全無料です。
介護は本当に大変です。
こんな正直な家族の姿聞かせて✨😆👂️くれてありがとうございます🎵💓♥️❤️ボケは本当に本人も辛かったと聞いた時自分自身もいずれ月日と共に経験する時が来るのを改めて聞かせてくれて感謝します‼️長生きしたらいずれ通る道だからです‼️素晴らしいおじいさんの姿は凄い‼️そのおじいさんの嫁さんになったおばあちゃん👵も凄い‼️素晴らしい夫婦です( *´艸`)♥身体に気をつけて過ごして下さい!⤴️良い話し聞かせてくれて感謝します🎵(*≧з≦)良い家族最高😃⤴️⤴️
ウチの祖母も家で⭕️ぬまで介護して、家で昇天した
家族として親父の方針で家で見た、同時高校生だった私(兄弟男4人いました)と二男、弟の四男とで、祖母が用がしたいとなると
抱き抱えて、支えて近くに簡易トイレに座らせた。
ある日、介護時のトイレで祖母の手にウンコがついた
弟が、祖母に爪を立てられ、弟の腕に汚れた指が刺さり、ウンコタトゥーが・・・😅
高校生ながら、介護は嫌だったけど、
一人介護だけでも大変だった
ここ最近は、親父が弱って来てる、兄弟もバラバラで親父が倒れた時は、同居してないので、介護する自信がないです。
大事な家族ですよね、、、
凄いいい話で、何度も泣きました。
泣ける
あー。泣いてしまったなぁ、自分は約1年前に幼馴染が、半年ほど前に曽祖母さんが亡くなったのですが。不謹慎なのですが、悲しくも無く涙なんて一切出る気配もありませんでした。あぁ。死んでしまったのかみたいな感覚でした。人が死ぬのは悲しいこと。泣いてしまう事なのだと思っていたのですが実際にそのような場面になるとそんなことはなく。こんなものかと思っていました。そして、自分は最低な人間なんだなと人が死んでも泣くことすら出来ないド屑なんだなと。幼馴染の葬式の際には友達たちは泣いていました。硬派たいも泣いてました。自分は泣けませんでした。ただそこにぽつんと居るだけ。あぁ。もう泣けないんだなと。思っていました。ですが今この話を聞いていて自然と涙が出てきました。とても感動的なお話をありがとうございます。
生物は死ぬ間際に凄く覚醒するって聞いたことがあるが本当だったのか…
俺のお爺も最後に俺の名前を呼んで逝ったからなぁ…
全然2ch面白いンゴじゃないじゃん…
泣いたわ…
亡くなる前に一度普通?に戻るという話は確かホスピス医師の動画で医学的にあるとみたことがあります。
うちの祖父も体は戻らなかったけど酷いボケでおむつで介護を受けていたのに起きてタバコをすって(しかしふらついてガラスを割った)電話に出たりして。2.3日だけでまた戻ってしまいその後数ヶ月して亡くなってしまった。
それでもそれがない人がたくさんいるのだから最後に話せてよかったと思いたいです。
正直…。
【こんな最期を迎えたい】な😢
親がボケて【人から物】になってゆく過程は辛い😰
ましてや自分に重ねてしまうと…。
人の尊厳を失わず、最期も【人として】逝きたい😭
先輩イケメンやん……
7:28
5分怒ると一日中寝ているって…
人間って怒るのにもエネルギー使うんだね。
長生きしたきゃ、感情をコントロールしないといけないのね。
勉強になりました。
なんか思うんだけど 賢い人って長生きよね
37年前に亡くなったおばあちゃんの夢を見たあと金縛りにあった。
会いにきてくれた と思ってる\(^-^)/
久々に泣いたわwww
これは精神科の範疇で残念だけど手に終えないので私の父も薬で大人しくした。その後やっと介護が可能になったと思う
めっちゃ泣いた🤧仮眠取らなきゃいけない時間に見る内容じゃ無かったかもしれんけどこう言う時しか見れんからなダバダバ
私のお爺ちゃんも偶に電話で話すと、必ず同じような事言った。でもあの時はさほど重要だと思ってなくてニュアンスでしか今はもう覚えてない。男に気をつけろ、男の選び方には注意しろ、そんな感じだったと思う。一言一句メモでもしときゃよかったなってちょっと後悔した。
じじいは元警察官で実家にいた時は悪い意味で騒動が日常的だった。ばばあも基本寝たきりで、起きてきたかと思えば小言が煩い。常にストレスで、暮らしが別になった時は本当に安心した。でもお婆ちゃんは糖尿病で入院して他界、その後お爺ちゃんも私から見た叔父に引き取られて1年ちょっとで自宅で息を引き取ったって聞いたけど、その3年間ぐらいの電話は本当にthe優しい祖父母だった。
なんで死ぬ前ぐらいしか優しくできないんだばか。
もう何十年前から優しかったら家庭は崩壊せずに済んだのにね。
それも含めて、お前はいい家庭を築けって意味の言葉だったのかなとも思う。
映画になってもいい話
やめてくれー泣くからー😭
目から何かが溢れないように
耐えてたらふーふー言ってましたわ
くそぅ...
亡くなった祖父を思い出します
タヌキと孫間違えてお小遣いあげたくだり、ちょっとほっこり
水を差すつもりではないのですが、一つ気になって。
私の父は75歳で癌発覚し年齢的に医師からQOLを進められました。手術が出来ないとも。
その後84歳で無くなりました。
だから95歳でボケて自己判断も出来ないお祖父様が手術を受けた?受けさせられた事が不思議でした。
こんばんは。おそらく身体事態の強さ?を、医師がどのように判断するか?ではないでしょうか。私の父親も88歳で手術をして90歳の今も認知もあり施設にお世話になっていますが、今も存命です🙏
医者の当たり外れはありますし、老人も普通に理解されている以上に体力差がありますから。老人=薬💊を与えるというワンパターンの医者がいます。
遺言のところで自然に目から汁が…
医師は論文が書けそうな案件だな(;´∀`)
この話ほどの奇跡は無かったけど、祖父が危篤の時に駆けつけて手を握ったらダイナスコープの心電図の反応が大きくなったのを思い出した。
幼かったから何があったのかもよく分からなくて混乱しながら手を握るしかできなかったけど、5分くらいしてから息を引き取ったからお別れできる様に頑張ってくれたのかと漠然と今は思ってる。
息がある内にちゃんと御礼言いたかったな
おじいさまの過去の頑張りに対する神様からのプレゼントだったかな
ワイの小さい頃からオカンがおかしい。ワイが不気味な夢を見た後、本物のオカンから偽物のオカンに変わったのかもしれません。オカンは認知症で警察から免許取り消し処分を受けたばかりです。オカンの死ぬ前には本当のオカンに戻るのかな。例え、オカンが本当のオカンに戻っても、なんとも思わないくらい辛い事がありました。今もオカンがありもしない恐喝と傷害で通報して冤罪で疑われてます。か弱い女性の身の上でなんとか仕事を探して、きちんとしたら、喜んでくれると思って頑張ってたけど、前科ついたら仕事も無理だろうな。オカンが本当のオカンに戻っても感動しないだろうな。
ボケってスイッチがあるんだよね。ある時突然ボケオフになることがある。
うちの猫も老衰で歩けない日が続いたけど死ぬ前の一週間前みたいに走ったり飛んだりしてた
死を悟ると脳のリミッターが外れるのかな?
死ぬ時は脳内麻薬のエンドルフィンが分泌されて気持ちいいと言うしなにかありそうだよね
僕もこれだけ立派な男になりたい。立派になってこれだけ愛される人でありたい。別れは必ずあるから、
ここまで覚えているわけもないし、作り話だとは思うけど文才があるな
人の体ってまだまだ未知だな
「中治り」現象ですね
感動系の涙腺が硬い?緩くない自分が感動系で久しぶりに泣いたスレだった。会社をまた作ろうと言ったおばさん胸糞わるい。そのガキも。ありがとうございました
医療の発達。長生きも毒だな…自分のときはボケないうちにポックリ逝きたいもんだ
医者が「ボケ」なんて言葉を使うわけないだろ!「呆け」や「痴呆」なんてのは差別用語だから専門家は使っちゃいけないんだぞ!?
この話の元がいつの時期か知らないけど昔(昭和)は新聞でも普通に記事で「ボケ」を使っていたよ
認知症やアルツハイマーなんて言葉もなくボケ老人として周りから忌み嫌われていた
あなたが言うようにボケや痴呆が差別用語だと言うのはそれほど世間から認知症について理解が進んできた証拠です
文章から察するに非常事態宣言の当たりではないかな
大人の事情はそれでしょう
亡くなる前って魂的な何かが関係して良い方に少しの期間、動き出すのかしら??
めっちゃ感動した。
オレのオヤジも危篤なのよね。
まぁ、ものすごいクズだったが。
コロナの後は起こらない話だな
マトモに面会すらできねー