Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
前のコメントを頂いた方にも通ずるのですが、初回冒頭のエライザさんのボートのシーンで「もどれないあの島、、、」という宮本さんのナレーションと、端島に近づきながらも上陸できなかったいづみさんのシーンが私は結びついてしかたないです。それと、あの「人生変えたくないか。ここから、、、」という同一の言葉。あの赤ん坊は私よりも4つ程年下(私は1960生まれ)として、2018年には54歳くらい。炭鉱で大きな事故があったことは、私も父から教わった覚えがあります。広島の爆心地近辺に生まれ、知り合いが何人か白血病で亡くなったことからも、何かこの作品に感じ入ってしまいます。
Takayuki Omuraさん、コメントありがとうございます!この物語の冒頭のシーンはとても印象的でしたよね。「戻れないあの島・・・」この表現の意味するところは、端島だからこそ重層的ですね。(Takayukiさんは、いづみはリナのように感じているということでしょうか?)「人生変えたくないか。ここから…」こういった言葉も誰かが誰かの言葉をなぞっているかもしれないし、誰かが誰かの人生をなぞろうとしているかもしれない。リナがいづみというのもしっくりきます。この作品は、多くの方が深い感慨を持って鑑賞していらっしゃるんだと動画のコメント欄を通しても学ばせていただきました。(作り手の皆様の想いがそうさせているのだと感じます。)私も、当時のリアルに向き合いその想いを受け取る努力をしていきたいと思います。炭鉱での大きな事故…、今夜 第5話が怖くもあります。
4話で最終回にして欲しい程の涙腺崩壊のシーンと6人でお供え物を食べるシーンでの嬉し泣き。いつ”みが誰なのかは気になりますが考察ばかりのユーチューバーが多い中エンタメぽぽチャンネルは私と同じシーンで涙腺崩壊された女子だと思いましたのでコメントしました。4話だけは5回もリピートして観ても涙腺崩壊しました。私の父親は端島炭鉱で1964年事故で死亡し子供4人を母親が苦労しながら育て65歳に病死 私は子供のころ母に「大人になったら炭鉱で働く」と言いましたが母は「炭鉱だけは駄目」と 家族で端島に移住して6年目で大黒柱をなくした母の辛さが4話のストーリーと重なった感も有り涙腺崩壊したんだと思います。もう66歳になり母の年齢は越えましたので父と母が長生き出来なかった分4人兄弟末っ子が残りの人生楽しみたいと想います。いつ”みは誰なのか考察せずに元端島島民として端島時代を思い出しながら1話ずつドラマを楽しみたいおっさんです。
端島イサンさん、コメントありがとうございます。私の動画の嗜好に共鳴頂いたとのこと、とても嬉しいです。そして、ご家族のこと、端島での暮らしに触れて頂きありがとうございます。お父様の炭鉱での事故、お母様のご苦労…、私のような若輩者では心中をお察しすることも足りません。ですが、察する努力をしたいと思います。私の動画のコメント欄に記して頂いたことが非常に有り難く思います。「4人兄弟の末っ子が残りの人生を楽しみたいと想います」との言葉には心を打たれました。お母様の辛さ、そして、端島イサンさんの辛さでもあったのでしょうか。私も同じシーンで(嗚咽するほど)涙しましたが、その意味は全く別のところにあったのですよね。わたしも物語を深く味わうことを優先に、皆様へ動画を届けられたらと思います。今後とも宜しくお願い致します。
ぽぽさん。お久しぶりです。コメントしてなかったですが、ずっ〜と動画は拝見していましたよ。元々、日曜劇場はほぼ欠かさず観てますが、今回は大好きなKing Gnuが主題歌を手掛けたと聞き、それも含めて楽しみにしていたドラマでした。いづみが誰なのか…よりも、壮大なスケールの感慨深いストーリーですよね。でも、やっぱり気になって仕方ない『いづみ』の正体(笑)ささやかな花でいい 大袈裟でなくていいだだあなたにとって 価値があればいい私は『ねっこ』の歌詞に引っ張られてるのもあり1話から朝子がいづみだと思ってました。髪の留め方、キラキラ好き、鉄平が好き…など。4話でよりそう思えたのですが、前回の動画でぽぽさんはいづみは百合子じゃないか…とお話されていたので、今回の動画でどんな風な解釈なのかを聞くのも楽しみにしていたのですが、まさかの同じ考察になり…思わずコメントしちゃいました!ぽぽさんの考えている様に、私も朝子が百合子のメダイを形見として受け継いだのかなぁと思いました。鉄平のノートで全てを知ってみんなの思いを背負って生きていく覚悟を決めたのかと…。現代パートが2018年。その後の玲央の成長も楽しみですね。
FRNさん!お久しぶりです。わぁ~、嬉しいです。コメントありがとうございます!私もKing Gnu大好きです。繊細な歌詞と優しくて力強い旋律がこのドラマをより素晴らしいものにしている…感動です。実はいづみの正体については前回まで考えていなかったんですが(降参…)、制作チームが「いづみ考察」を楽しんでと言われている記事を見て、分からないながら頑張ってみようと思い前回から考えてみました。第3話までの百合子であれば、いづみは百合子かなとも思ったんですが、第4話を観て、百合子では違和感が生じてしまうなと考えが変わりました。私もFRNさんの考えに追いつけたでしょうか。百合子が朝子の着付けをしているときに、ネックレスのことに触れたあの一言がとても印象に残っています。意地悪を言われて距離を取ろうとしようが、朝子は百合子のことをいつも見ていて、よく知っていて、大好き。だから…私は今回、百合子と賢将のことが大好きになってしまいました。だから哀しいことが起きないで欲しいですが…第5話が少し怖いです。ですね!コロナ禍をどのように過ごし現在に追いつくのか?楽しみですね。
@@frn7531 さんコメント頂いたことをきっかけにねっこの歌詞を今一度考えてみたら朝子の恋心とともに、あの日のことを何も知らずにいた朝子が百合子に対しての気持ちを連ね、その横に寄り添う鉄平が朝子を包み込むように気持ちを連ねている。そんな詩だと感じるようになりました。素晴らしいです。
《海に眠るダイヤモンド》每一集都令我淚流滿面,『海に眠るダイヤモンド』の各エピソードは毎回涙が止まりません。即便是重複看好多次也令我感動萬分。何度も繰り返して観ても、心を深く打たれます。而這第4集,是目前讓我哭最多的一集。特にこの第4話は、今までで一番泣いた回です。這部劇令人感動的故事和人物太多,このドラマには感動的なストーリーや登場人物が多すぎて、細說不完,所以我還是想聚焦在百合子和朝子的互動。全てを語り尽くすことはできません。だから、百合子と朝子の関係に焦点を当てたいと思います。百合子的情感、情緒,一直是最難讀懂的角色。百合子の感情や心情は、最も読み取りにくいキャラクターです。特別是每次談到婚姻、感情,以及和朝子有關的一切時,特に結婚や恋愛、朝子に関連する話題になると、她的表情、動作都顯得很複雜糾結!!!彼女の表情や動作はとても複雑で葛藤に満ちています!!!因為“那一天”,百合子對神充滿了怨恨,「あの日」の出来事がきっかけで、百合子は神に対して深い憎しみを抱くようになり、將所有情緒發洩在母親和朝子身上。その感情を母親と朝子にぶつけてしまいます。鐵平的旁白給了觀點,鉄平のナレーションは一つの視点を与えますが、朝子則是自卑地認為,這是因為身份階級不一樣。朝子は、身分や階級の違いが原因だと自分を卑下しています。但問題是,百合子有說出真正的原因嗎?しかし、百合子は本当の理由を語ったのでしょうか?"沈默/沈黙/Silence" 是本集的劇名。「沈黙」というのがこのエピソードのタイトルです。我再次敬佩劇組的神來之筆。このタイトルに、改めて制作陣の見事さを称賛せざるを得ません。還記得嗎?覚えていますか?百合子曾跟鐵平說,報社的報導少了女性的聲音……百合子は鉄平に、新聞の記事には女性の声が足りないと話していました……。所以,百合子有說出真正的原因嗎?では、百合子は本当の理由を語ったのでしょうか?到底,百合子為何把怨恨上帝的情緒投在朝子身上?百合子はなぜ神への憎しみを朝子に向けたのでしょうか?本集最精采的部分,我會選:このエピソードで最も印象的なシーンを挙げるとすれば:百合子請求朝子去參加祭典(此段和第2集百合子請朝子跳方塊舞時對照看,我才終於明白劇組用心埋的梗有多神奇)、百合子が朝子に祭りへの参加を頼む場面第2話で百合子が朝子をスクエアダンスに誘うシーンと対比して観ると、制作陣が仕掛けた伏線の見事さに気づきました)、親自為朝子選浴衣(等等我會細說)、朝子のために直接浴衣を選ぶ場面(これについては後ほど詳しく述べます)、朝子看著客廳有三個十字架(我一直以為第1集船上出現3個十字架和玲央同框是巧合,但現在不這麼認為了)、朝子が居間の3つの十字架を見つめる場面(第1話で船上に3つの十字架が玲央と共に映っていたのは偶然だと思っていましたが、今ではそうは思いません)、幫她穿上浴衣時請罪(等等我會細說)、百合子が朝子に浴衣を着せながら謝罪する場面(これも後ほど詳しく述べます)、一起跳舞、一起看煙火(這裡呼應泉和玲央一起跳舞、看煙火),一緒に踊り、一緒に花火を見る場面(泉と玲央が踊り、花火を見るシーンと重なります)、最後,朝子把頭依靠在百合子的肩上(這一刻是我的最愛!)。そして最後に、朝子が百合子の肩に頭を預ける場面(この瞬間が私のお気に入りです!)。以上情節充滿了許多隱喻與雙關語,我無法一一細說,就提以下三點:これらのシーンには多くの隠喩やダブルミーニングが込められており、すべてを語ることはできませんが、以下の3点を挙げたいと思います:1. 「このお花も似合うと思うけど…紺が似合うと思うのよね~」百合子在同樣的房間,曾向臨終的母親道歉,百合子は同じ部屋で、臨終の母親に謝罪しましたが、母親穿的衣服是白底深藍花案,母親の服は白地に深い青の花柄でした。這和百合子選給朝子的浴衣恰好相反。これは百合子が朝子に選んだ浴衣と正反対です。而母親的棉被和百合子為朝子挑的腰帶,また、母親の掛け布団と百合子が朝子に選んだ帯は、則是相同的低調溫暖淺紅色。控えめで温かみのある薄い赤色で共通しています。這真的是巧合嗎?還是劇組的用心設計呢?これは単なる偶然でしょうか?それとも制作陣の意図的な設計でしょうか?2. 項鍊讓百合子想起母親的愛2. ネックレスが百合子に母親の愛を思い出させる我相信,這也讓她想起母親的教導,私は、これが母親の教えも思い出させたと信じています。就是耶穌的教導:「隣人を愛せよ」。それはイエスの教え、「隣人を愛せよ」です。身為基督徒,我可以確認,“愛人如己” 就是基督信仰的核心奇蹟。クリスチャンとして、「隣人を自分のように愛する」というのがキリスト教信仰の核心であることを確認できます。朝子回頭看著項鍊說:「ネックレスしとるの久しぶり。」朝子が振り返り、ネックレスを見ながら言います:「ネックレスしとるの久しぶり。」這裡隱藏的象徵意義非常美--ここに隠された象徴的な意味は非常に美しいです--我聽到的是:朝子好久沒看到百合子的愛了!私が聞こえたのは、「朝子は久しぶりに百合子の愛を感じた」ということです!而這裡的愛,指的不僅是神的愛,也是姊妹情誼的愛。そして、ここで言う愛は、神の愛だけでなく、姉妹のような友情の愛も指しています。只是,當百合子為朝子穿上腰帶時,ただ、百合子が朝子に帯を締めるとき、那一段,是不是會讓人聯想到《鐵達尼號》中 Jack 和 Rose 的經典畫面呢?あの場面は、『タイタニック』のジャックとローズの名シーンを思い出させるのではないでしょうか?3. 回到童年的那一段3. 子供時代の回想シーン百合子的包包是藍色,朝子的包包是紅色。百合子のバッグは青色、朝子のバッグは赤色でした。發現這點後,我從第1集看到第4集,この点に気づいた後、第1話から第4話までを見返すと、發現百合子主要的顏色是藍色(她常穿藍色衣飾、家中整體色調、母親在“那一天”起的衣著色調都是藍色);百合子の主なテーマカラーは青であることが分かります(彼女は青い服をよく着ていて、家全体の色調や、母親が「あの日」以降に着ていた服の色も青です)。而朝子則是紅色(她的家、朝子的裙子常是低調溫暖的紅色系、曾經出現很明顯的紅鞋和紅傘,她的母親總是帶著紅色的領巾)。一方、朝子のテーマカラーは赤です(彼女の家、控えめで温かい赤系のスカート、目立つ赤い靴や傘、そして彼女の母親がいつも身につけていた赤いスカーフなど)。在第3集時,泉穿著紫色(紅+藍)的衣服說:第3話では、泉が紫色(赤+青)の服を着てこう言いました:「間違えた気がする, 私の欲しかった人生って, こんなだったのかしら。」這一身的紫衣,也是巧合嗎?この紫の衣装も偶然でしょうか?結論:以上三點,我認為劇組暗示百合子對朝子的感情,これらの3点を踏まえると、制作陣は百合子の朝子に対する感情が、已經超越了單純的友情,甚至觸及了更深層的羈絆。単なる友情を超え、さらに深い絆に触れていることを示唆していると考えます。劇組以這樣的細節與隱喻,讓百合子與朝子之間的情感層層展開,制作陣はこのような細部や隠喩を通じて、百合子と朝子の感情を徐々に明らかにしていきます。我相信這段羈絆,將成為這部劇最令人難忘的核心之一。この絆は、このドラマの中で最も印象的な核心の一つになると信じています。老實說,我平常不是很喜歡看 LGBTQ 相關的影劇,正直に言うと、私は普段LGBTQ関連のドラマや映画をあまり好んでいませんが、但這部,才第4集而已,就已經深深打動了我的心。この作品は、第4話にしてすでに私の心を深く揺さぶりました。
Dorothea Hoさん、いつもコメントありがとうございます!私の動画についてUA-camが提供している字幕をChatGPTに貼り付けて理解してくださっているとのこと、大変有難く光栄です。ありがとうございます。拙い動画技術で申し訳ありません。前回返信させていただいた内容と重複してしまうのですが、Dorothea Hoさんの深い洞察力と文学的な解釈に感動です。頂いたコメントの内容すべてが、このドラマの解説本の一文のようでとても興味深く読ませていただいております。色彩表現の視覚的な受け取りや、タイタニックとの共通性なども大変興味深いです。いつもありがとうございます。追記頂いた1・2話のコメントもゆっくり読ませていただきますね。
@@poponyan 我看到第5集的結局了, 第5話の結末を見ました。 令我驚訝不已, とても驚きました。 更是羞愧, さらに恥ずかしく思いました。 之前大言不慚地寫了那麼多自以為是的判斷。 これまで偉そうに自分勝手な推測をたくさん書いてしまいました。 我會再重新想想劇情的可能性。 これからストーリーの可能性を改めて考え直します。 覺得自己是來亂的,真是抱歉~~~ 自分が混乱させに来ただけのように感じて、本当に申し訳ありません~~~
經過1天的思考1日考えた結果、第5集的內容第5話の内容が、讓我提升到99.9%的確認度私の確信度を99.9%に引き上げました。神秘老奶奶是百合子神秘的なおばあさんは百合子であり、玲央是朝子和鐵平的後代玲央は朝子と鉄平の子孫です。🤣
@dorotheaho3662 さんいつもコメントありがとうございます!とんでもないです!全く問題ありません!私はあなたの文学的な文章と考察が好きです。1つの短編小説を読むような気持ちで拝読していました。ドラマの先を読むというのは難しいですよね。脚本家の先生がいかようにも描けますからね☺️伏線などにもルールはないですから、先生の描き方次第。こう考えると、考察するという行為自体を楽しむことがいちばんですね!正解することよりも楽しむことのほうが大切だと思います。
@@poponyan 經過一天的思考,一日考えた結果、第5集的內容讓我的確認度提升到99.9%。第5話の内容で私の確信度が99.9%に引き上げられました。我依然認為,私は依然としてこう思います。神秘老奶奶是百合子,神秘的なおばあさんは百合子であり、玲央是朝子和鐵平的後代。玲央は朝子と鉄平の子孫です。我已經看完您對第5集的考察,私は既にあなたの第5話の考察を拝見しました。顯然我們的觀點仍然不太相同呢!どうやら私たちの見解はまだ少し違っているようですね!週末我再來分享我的觀察結果囉~週末にまた私が見たことをお話ししますね!非常感謝您認真閱讀留言並回應,丁寧にコメントを読んでいただき、返信もしていただき本当に感謝しています。這也是為什麼我願意來這裡“打擾”XDDDだからこそ、こうしてここにお邪魔させてもらっています 🤣 blessings from Taiwan
玲央と訪れた端島を見て号泣したいづみ。「端島」を長い間封印していた理由が回を重ねるごとに少しずつわかってきたように思います。百合子の「私のこと好きな人にいい加減な気持ちで付き合えない」この意味すること。自分も被爆しているかもしれない。自分が背負ったものの苦悩を愛する人に背負わせられない。そんな風に私にはみえるのです。百合子はもしかしたら鉄平を好き?を含ませてるようなそうでないようないづみの「何角関係だったかしら」から百合子の洞察力や物怖じしない閃き発想の豊かさや行動力やおちゃめなユーモアは私の中では百合子に重なるんですよね〜😊鉄平は日記に賢しょうが朝子にキラキラを買ってくることを「賢しょう流の気遣い」と記しているし百合子がいうようにそういう面では鈍感だったようですね(笑)朝子の気持ちは遠回りの告白でしりましたものフフフ…山桜の和歌の解釈を勝手に推察するなら想いを伝えられなかった百合子と百合子の胸にある光と陰をよく理解してくれていた鉄平への感謝かな~と思いました。これからのストーリーが波乱にすすむようなのでまた胸が痛くなりそうですがぽぽさんのやわらかで温かい視点の考察楽しみにしています
maronさん!!コメントありがとうございます!そうですね。端島を長い間封印していた理由…回を進めるごとに見えてきましたね!被爆の苦悩を愛する人に背負わせられない、この言葉の裏側には鉄平の存在がある…maronさんの繊細で鋭い考察✨いづみは百合子というのも納得です。鉄平は恋愛においては鈍感ですよね。リナに心惹かれていたのに、朝子の気持ちを知った途端に朝子に傾いて…ちょっと不誠実にも見えます(笑)第4話の賢将を見ていると、鉄平は恋愛面ではまだまだ幼い?かもしれませんね〜でも、鉄平も賢将も百合子の理解者ですよね。百合子の鉄平への感謝の気持ちが和歌の解釈に繋がるのは素敵ですね。正直なところ私は、いづみが誰なのか全く分かりません。。お手上げです。これまでのストーリーを考えると百合子も朝子もリナも誰しもに可能性があるのかなと思ってしまいます。誰かが誰かの言葉をなぞっているかもしれないし、誰かが誰かの求めた人生をなぞろうとしているかもしれない。そう考えると誰だか分からないなと思って観ていました。(身長は縮むこともあるし、利き手も変えることもあるし…)でも、1つ望むのは、長く人生を生きて振り返ったときに「間違えたかもしれない」「私の欲しかったものって…?」というような思いはして欲しくないです。何故、そうなってしまったのか…やはりここに物語を紐解く鍵がありますよね。端島の3人を見るとそんな人生を歩むようには見えないのですが、その誰かが「何か」によって、本当に大切なものを見失ってしまう。このあと何が起きるのかとても気になります。幸せな6人を観ていたいですが、波乱が起きてしまうようですね。怖いです。次回も心を込めて動画作成頑張ります!優しいお言葉をいつもありがとうございます✨
ぽぽさんの、「誰かが求めた人生をなぞらろうとしているかもしれない」は私も思うところで朝子っぽくも思えたり😊コメント下さりありがとうございました🎉嬉し♬
maronさん、こちらこそありがとうございます♬そうですよね!そのように解釈できますよね☺!その逆のようにも感じ取れる。まるで朝子と百合子は一心同体のよう…これがこのドラマの素晴らしさだと感じですね第5話が待ち遠しい~
いづみは百合子の様な気がするのですが。。あと進平は亡くなってしまうのでしょうか?
TKさん、コメントありがとうございます!私も前回は百合子かなと思っていました。正直なところ、このあとの展開次第かなと思っています。朝子も百合子もリナもあり得ると思います☺進平は…、どうでしょうかね。哀しい出来事が待っていそうな気はしますね。。
さて、4話感想どこから書こうかと思ってます。つらつらと書いてしまうと色々とっ散らかりそうなので…後程いくつかのパートに分けてコメントしていきたいとと思ってます。多くの皆さんはドラマの舞台地として端島や長崎を見て、ドラマを楽しんでいらっしゃる訳ですがじげもん達、特に端島や今回第4話の大きな事象に関わっている方々にとってはリアルでもあるんですね。制作サイドのTBSスパークルのスタッフのみなさん、脚本家の野木さんの精力的な取材を直接、間接的に見聞きしていた側なので、この物語のキーになる第4話の背景にあるものが舞台地で生活している者のことをキチンと汲み取って映像化して頂いている事に感謝の念、一層増しております。①ドラマの背景にある実際の史実②史実を踏まえたところでのドラマの今後の展開③個人的感想の3パートに分けてコメントできたらいいなぁ〜と思ってます。
①ドラマの背景にある実際の史実今回の第四話を視聴してのドラマで描かれていることを考察するにはその背景にある史実をある程度把握しておくと様々な展開の糸口になると思い、長文コメントにはなりますが主に二つの観点をしたためてみたいと思います。<切支丹と浦上>安土桃山時代、キリシタン大名大村純忠がイエズス会に長崎港湾周辺と茂木を寄進(外国領)となるも、豊臣秀吉の命令で日本最初の切支丹弾圧が行われ、西山の丘(現NHK長崎局の裏)で信徒宣教師26人が処刑(後にカトリック教会によって聖人の列に加えられた)その後江戸幕府による禁教令により、キリスト教信者は潜伏切支丹となって仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した。慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、それらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けたりするなどして、信仰を守り続けた。その間、江戸時代で4度大きな弾圧が行われた。江戸時代最後の弾圧は信徒の喜びと苦難が交互にやってくるという、予想されるドラマ展開にも似た流れがあるので詳しくしたためます。幕末の開国後の1865年、長崎の大浦天主堂を浦上(現・長崎市浦上)在住の信者が訪ねてきたこと(「信徒発見」と呼ばれる)から、潜伏キリシタンの存在が国内外で知られるようになった。しかし、キリスト教はいまだ禁教であったため、信仰を表明した信者は投獄や拷問によって棄教を迫られ、あるいは全国に配流されるなどの大規模な弾圧に遭った。(浦上四番崩れ)その後明治政府も江戸幕府からの政策を継承する形で高札により禁教令を継続し(五榜の掲示)、信徒への激しい弾圧は続いた。これはキリスト教圏の欧米諸国から非難・批判を招いた。明治政府は1873年2月24日、太政官布告により禁教の高札を廃止し、結果としてキリスト教が黙認されることで江戸幕府以来の「キリシタン禁教令」は事実上、廃止された。日本政府はキリスト教禁制の高札を撤去し、信徒を釈放した。配流された者の数3394名、うち662名が命を落とした。生き残った信徒たちは流罪の苦難を「旅」と呼んで信仰を強くし、1879年(明治12年)、故地・浦上に聖堂(浦上天主堂)を建てた。また1945年8月9日の長崎への原爆投下は、特に長崎市内浦上地区に在住するキリスト教徒に多くの犠牲者を出したことから、これをキリスト教徒の受難事件ととらえ、「浦上五番崩れ」と称することもある。<長崎市への原子爆弾投下>全てを書くにはあまりにも膨大な情報量と被爆の実相を直視することで心穏やかには読み難いと思い、ウィキペディアのリンクを貼ります。ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B<福岡での空襲>一平家族の娘二人が亡くなったであろうと思われる空襲も参考としてリンクを記載しておきます。八幡大空襲1945年8月8日ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2久留米空襲1945年8月11日、8月12日ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E7%A9%BA%E8%A5%B2
みずたろうさん、いつもコメントありがとうございます!4話、素晴らしい回でしたね。そうですよね…戦時中、そこかしこに存在したリアルですよね。作り手の皆様の丁寧で繊細な心遣いも感じられ、そういうところにとても胸を打たれます。コメント楽しみにしております。
@@poponyan さん、史実を基にしたすごく冷徹な見方にはなるんですが「いづみは朝子」一択だと思っています。百合子は他の幼馴染達と同じ時間軸を共にするのは難しいという感覚があります。ここに一つの資料を示します。長崎大学医学部原子爆弾後遺障害医療研究所(原研)のデータに被爆後の白血病罹患者数を経年で調べたデータがあります。www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nishimori/index.html#05基準になる放射線量(多分ガンマ線)100rad=1grayちなみに爆心地から500mラインの浦上天主堂周辺ではガンマ線78.5gray中性子線3.31grayを浴びたことになります。www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abomb/Imagefile/damage_x_big.jpg史実では8月9日 - 長崎への原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊。投下当時、8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていたため多数の信徒が天主堂に来ていたが、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、主任司祭・ラファエル西田三郎、助任司祭・シモン玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡。(ウィキペディア参照)ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E6%95%99%E4%BC%9Aとあり、仮に生き残っていたとしても後遺障害は免れないという認識を私は持っております。この街の中で多くの人の「あの日」のことに触れる度、「違う未来」は偶然と隣合わせだったのかも知れないと感じること多々あり。朝子を無垢の罪人にさせたくない幼馴染達の優しさの中で普通に生きてきた事への慟哭とも後悔とも言い難い感情と後々朝子は向き合う事になる様な気がします。「心から謝りたいの、あなたに許されたい。あなたが許してくれなくても私は許すわ」この言葉の本意を朝子が心底実感する時、「あの日」の小さな悪戯が百合子達の命を奪ったのだと…そのように朝子自身が百合子の人生の写し鏡として、百合子の思い、実現したかった事、その人生を生きようと動くのではなかろうかと…
みずたろうさん、ご返信ありがとうございます。最初の返信コメントを読み飛ばしてしまっていました。申し訳ありません。沢山のことを教えてくださりありがとうございます。勉強になりました。百合子の残りの人生…データを見ると心が震えます…今の百合子の姿を見ていると考えたくはないですが、それこそがリアルであり目を背けてはいけないことてすよね。この物語でどこまで描き切るのでしょうか。朝子について、私もすごく共感します。第4話であの言葉のシーンからの朝子の幸せそうな笑顔。(物語としては、朝子の人物像があのように無垢に描かれていることも1つポイントだと感じます)でもいつか、その本意を知ることになるのだろうと思います。考えるだけでも苦しいです。
「長崎を愛してた」年甲斐も無く号泣しました。ドラマなんだけど、舞台地に生きる者にはリアル。折々の感情が湧いてくるんですよ。改めて自分は長崎人なんだと感じるシーンでした。このドラマの端島パートの時間軸で見届け人がいるとすれば、和尚(さだまさし)さんなのだろうと…演者の中で唯一端島の時間軸と舞台地の空気感をリアルタイムで体感しているキャストが演じている時点でドラマがドラマじゃなくなっているんですよ、私の中では…さださんのお身内も実際被爆なされて、その不条理さを日常的に感じていらっしゃいましたし、でも陽気な長崎人気質が演技の端々にもあって「この配役はストライクだょなぁ〜」って。説教所(実は当初寺ではなかった…)の和尚だから「説教和尚」禅宗なんだけど全部の宗派での法要対応するから「全宗」その駄洒落、まっさん=和尚だから違和感なく、またシリアスなセリフもネイティブ長崎人だから伝わるところもあり…人の生死観を感じる場所でもある寺の和尚がさださんでよかった。島民の生死や生き様全てに縁する和尚という立場は端島パートの物語の見届け人になるだろうと思ってます。さださんの演技に「長崎の心を何のフィルターも被せることなく素のまま伝えてくれる人をキャスティングしなきゃ伝わらないものもある」とドラマとリアルがゴチャ混ぜになりつつある私。「長崎を愛してた」の言葉を人生の終焉の時に私は言えるだろうか…とふと我に返りながら、自分のルーツと故郷をキチンと自分の中でリスペクトさせてもらえるドラマに巡りあわせてもらった事、ドラマ制作チームに感謝しています。
前のコメントを頂いた方にも通ずるのですが、初回冒頭のエライザさんのボートのシーンで「もどれないあの島、、、」という宮本さんのナレーションと、端島に近づきながらも上陸できなかったいづみさんのシーンが私は結びついてしかたないです。それと、あの「人生変えたくないか。ここから、、、」という同一の言葉。あの赤ん坊は私よりも4つ程年下(私は1960生まれ)として、2018年には54歳くらい。
炭鉱で大きな事故があったことは、私も父から教わった覚えがあります。
広島の爆心地近辺に生まれ、知り合いが何人か白血病で亡くなったことからも、何かこの作品に感じ入ってしまいます。
Takayuki Omuraさん、コメントありがとうございます!
この物語の冒頭のシーンはとても印象的でしたよね。
「戻れないあの島・・・」この表現の意味するところは、端島だからこそ重層的ですね。
(Takayukiさんは、いづみはリナのように感じているということでしょうか?)
「人生変えたくないか。ここから…」
こういった言葉も誰かが誰かの言葉をなぞっているかもしれないし、
誰かが誰かの人生をなぞろうとしているかもしれない。
リナがいづみというのもしっくりきます。
この作品は、多くの方が深い感慨を持って鑑賞していらっしゃるんだと
動画のコメント欄を通しても学ばせていただきました。
(作り手の皆様の想いがそうさせているのだと感じます。)
私も、当時のリアルに向き合いその想いを受け取る努力をしていきたいと思います。
炭鉱での大きな事故…、今夜 第5話が怖くもあります。
4話で最終回にして欲しい程の涙腺崩壊のシーンと6人でお供え物を食べるシーンでの嬉し泣き。
いつ”みが誰なのかは気になりますが考察ばかりのユーチューバーが多い中エンタメぽぽチャンネルは私と同じシーンで涙腺崩壊された女子だと思いましたのでコメントしました。4話だけは5回もリピートして観ても涙腺崩壊しました。私の父親は端島炭鉱で1964年事故で死亡し子供4人を母親が苦労しながら育て65歳に病死 私は子供のころ母に「大人になったら炭鉱で働く」と言いましたが母は「炭鉱だけは駄目」と 家族で端島に移住して6年目で大黒柱をなくした母の辛さが4話のストーリーと重なった感も有り涙腺崩壊したんだと思います。もう66歳になり母の年齢は越えましたので父と母が長生き出来なかった分4人兄弟末っ子が残りの人生楽しみたいと想います。
いつ”みは誰なのか考察せずに元端島島民として端島時代を思い出しながら1話ずつドラマを楽しみたいおっさんです。
端島イサンさん、コメントありがとうございます。
私の動画の嗜好に共鳴頂いたとのこと、とても嬉しいです。
そして、ご家族のこと、端島での暮らしに触れて頂きありがとうございます。
お父様の炭鉱での事故、お母様のご苦労…、私のような若輩者では心中をお察しすることも足りません。
ですが、察する努力をしたいと思います。
私の動画のコメント欄に記して頂いたことが非常に有り難く思います。
「4人兄弟の末っ子が残りの人生を楽しみたいと想います」との言葉には心を打たれました。
お母様の辛さ、そして、端島イサンさんの辛さでもあったのでしょうか。
私も同じシーンで(嗚咽するほど)涙しましたが、その意味は全く別のところにあったのですよね。
わたしも物語を深く味わうことを優先に、皆様へ動画を届けられたらと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
ぽぽさん。お久しぶりです。
コメントしてなかったですが、ずっ〜と動画は拝見していましたよ。
元々、日曜劇場はほぼ欠かさず観てますが、今回は大好きなKing Gnuが主題歌を手掛けたと聞き、それも含めて楽しみにしていたドラマでした。
いづみが誰なのか…よりも、壮大なスケールの感慨深いストーリーですよね。でも、やっぱり気になって仕方ない『いづみ』の正体(笑)
ささやかな花でいい 大袈裟でなくていい
だだあなたにとって 価値があればいい
私は『ねっこ』の歌詞に引っ張られてるのもあり1話から朝子がいづみだと思ってました。髪の留め方、キラキラ好き、鉄平が好き…など。
4話でよりそう思えたのですが、前回の動画でぽぽさんはいづみは百合子じゃないか…とお話されていたので、今回の動画でどんな風な解釈なのかを聞くのも楽しみにしていたのですが、まさかの同じ考察になり…思わずコメントしちゃいました!
ぽぽさんの考えている様に、私も朝子が百合子のメダイを形見として受け継いだのかなぁと思いました。鉄平のノートで全てを知ってみんなの思いを背負って生きていく覚悟を決めたのかと…。
現代パートが2018年。その後の玲央の成長も楽しみですね。
FRNさん!お久しぶりです。
わぁ~、嬉しいです。
コメントありがとうございます!
私もKing Gnu大好きです。
繊細な歌詞と優しくて力強い旋律がこのドラマをより素晴らしいものにしている…感動です。
実はいづみの正体については前回まで考えていなかったんですが(降参…)、
制作チームが「いづみ考察」を楽しんでと言われている記事を見て、
分からないながら頑張ってみようと思い前回から考えてみました。
第3話までの百合子であれば、いづみは百合子かなとも思ったんですが、
第4話を観て、百合子では違和感が生じてしまうなと考えが変わりました。
私もFRNさんの考えに追いつけたでしょうか。
百合子が朝子の着付けをしているときに、ネックレスのことに触れたあの一言がとても印象に残っています。
意地悪を言われて距離を取ろうとしようが、朝子は百合子のことをいつも見ていて、よく知っていて、大好き。
だから…
私は今回、百合子と賢将のことが大好きになってしまいました。
だから哀しいことが起きないで欲しいですが…
第5話が少し怖いです。
ですね!
コロナ禍をどのように過ごし現在に追いつくのか?
楽しみですね。
@@frn7531 さん
コメント頂いたことをきっかけに
ねっこの歌詞を今一度考えてみたら
朝子の恋心とともに、
あの日のことを何も知らずにいた朝子が
百合子に対しての気持ちを連ね、
その横に寄り添う鉄平が
朝子を包み込むように気持ちを連ねている。
そんな詩だと感じるようになりました。
素晴らしいです。
《海に眠るダイヤモンド》每一集都令我淚流滿面,
『海に眠るダイヤモンド』の各エピソードは毎回涙が止まりません。
即便是重複看好多次也令我感動萬分。
何度も繰り返して観ても、心を深く打たれます。
而這第4集,是目前讓我哭最多的一集。
特にこの第4話は、今までで一番泣いた回です。
這部劇令人感動的故事和人物太多,
このドラマには感動的なストーリーや登場人物が多すぎて、
細說不完,所以我還是想聚焦在百合子和朝子的互動。
全てを語り尽くすことはできません。だから、
百合子と朝子の関係に焦点を当てたいと思います。
百合子的情感、情緒,一直是最難讀懂的角色。
百合子の感情や心情は、最も読み取りにくいキャラクターです。
特別是每次談到婚姻、感情,以及和朝子有關的一切時,
特に結婚や恋愛、朝子に関連する話題になると、
她的表情、動作都顯得很複雜糾結!!!
彼女の表情や動作はとても複雑で葛藤に満ちています!!!
因為“那一天”,百合子對神充滿了怨恨,
「あの日」の出来事がきっかけで、
百合子は神に対して深い憎しみを抱くようになり、
將所有情緒發洩在母親和朝子身上。
その感情を母親と朝子にぶつけてしまいます。
鐵平的旁白給了觀點,
鉄平のナレーションは一つの視点を与えますが、
朝子則是自卑地認為,這是因為身份階級不一樣。
朝子は、身分や階級の違いが原因だと自分を卑下しています。
但問題是,百合子有說出真正的原因嗎?
しかし、百合子は本当の理由を語ったのでしょうか?
"沈默/沈黙/Silence" 是本集的劇名。
「沈黙」というのがこのエピソードのタイトルです。
我再次敬佩劇組的神來之筆。
このタイトルに、改めて制作陣の見事さを称賛せざるを得ません。
還記得嗎?
覚えていますか?
百合子曾跟鐵平說,報社的報導少了女性的聲音……
百合子は鉄平に、新聞の記事には女性の声が足りないと話していました……。
所以,百合子有說出真正的原因嗎?
では、百合子は本当の理由を語ったのでしょうか?
到底,百合子為何把怨恨上帝的情緒投在朝子身上?
百合子はなぜ神への憎しみを朝子に向けたのでしょうか?
本集最精采的部分,我會選:
このエピソードで最も印象的なシーンを挙げるとすれば:
百合子請求朝子去參加祭典(此段和第2集百合子請朝子跳方塊舞時對照看,我才終於明白劇組用心埋的梗有多神奇)、
百合子が朝子に祭りへの参加を頼む場面
第2話で百合子が朝子をスクエアダンスに誘うシーンと対比して観ると、制作陣が仕掛けた伏線の見事さに気づきました)、
親自為朝子選浴衣(等等我會細說)、
朝子のために直接浴衣を選ぶ場面(これについては後ほど詳しく述べます)、
朝子看著客廳有三個十字架(我一直以為第1集船上出現3個十字架和玲央同框是巧合,但現在不這麼認為了)、
朝子が居間の3つの十字架を見つめる場面
(第1話で船上に3つの十字架が玲央と共に映っていたのは偶然だと思っていましたが、今ではそうは思いません)、
幫她穿上浴衣時請罪(等等我會細說)、
百合子が朝子に浴衣を着せながら謝罪する場面(これも後ほど詳しく述べます)、
一起跳舞、一起看煙火(這裡呼應泉和玲央一起跳舞、看煙火),
一緒に踊り、一緒に花火を見る場面(泉と玲央が踊り、花火を見るシーンと重なります)、
最後,朝子把頭依靠在百合子的肩上(這一刻是我的最愛!)。
そして最後に、朝子が百合子の肩に頭を預ける場面(この瞬間が私のお気に入りです!)。
以上情節充滿了許多隱喻與雙關語,我無法一一細說,就提以下三點:
これらのシーンには多くの隠喩やダブルミーニングが込められており、すべてを語ることはできませんが、以下の3点を挙げたいと思います:
1. 「このお花も似合うと思うけど…紺が似合うと思うのよね~」
百合子在同樣的房間,曾向臨終的母親道歉,
百合子は同じ部屋で、臨終の母親に謝罪しましたが、
母親穿的衣服是白底深藍花案,
母親の服は白地に深い青の花柄でした。
這和百合子選給朝子的浴衣恰好相反。
これは百合子が朝子に選んだ浴衣と正反対です。
而母親的棉被和百合子為朝子挑的腰帶,
また、母親の掛け布団と百合子が朝子に選んだ帯は、
則是相同的低調溫暖淺紅色。
控えめで温かみのある薄い赤色で共通しています。
這真的是巧合嗎?還是劇組的用心設計呢?
これは単なる偶然でしょうか?それとも制作陣の意図的な設計でしょうか?
2. 項鍊讓百合子想起母親的愛
2. ネックレスが百合子に母親の愛を思い出させる
我相信,這也讓她想起母親的教導,
私は、これが母親の教えも思い出させたと信じています。
就是耶穌的教導:「隣人を愛せよ」。
それはイエスの教え、「隣人を愛せよ」です。
身為基督徒,我可以確認,“愛人如己” 就是基督信仰的核心奇蹟。
クリスチャンとして、「隣人を自分のように愛する」というのがキリスト教信仰の核心であることを確認できます。
朝子回頭看著項鍊說:「ネックレスしとるの久しぶり。」
朝子が振り返り、ネックレスを見ながら言います:「ネックレスしとるの久しぶり。」
這裡隱藏的象徵意義非常美--
ここに隠された象徴的な意味は非常に美しいです--
我聽到的是:朝子好久沒看到百合子的愛了!
私が聞こえたのは、「朝子は久しぶりに百合子の愛を感じた」ということです!
而這裡的愛,指的不僅是神的愛,也是姊妹情誼的愛。
そして、ここで言う愛は、神の愛だけでなく、姉妹のような友情の愛も指しています。
只是,當百合子為朝子穿上腰帶時,
ただ、百合子が朝子に帯を締めるとき、
那一段,是不是會讓人聯想到《鐵達尼號》中 Jack 和 Rose 的經典畫面呢?
あの場面は、『タイタニック』のジャックとローズの名シーンを思い出させるのではないでしょうか?
3. 回到童年的那一段
3. 子供時代の回想シーン
百合子的包包是藍色,朝子的包包是紅色。
百合子のバッグは青色、朝子のバッグは赤色でした。
發現這點後,我從第1集看到第4集,
この点に気づいた後、第1話から第4話までを見返すと、
發現百合子主要的顏色是藍色(她常穿藍色衣飾、家中整體色調、母親在“那一天”起的衣著色調都是藍色);
百合子の主なテーマカラーは青であることが分かります
(彼女は青い服をよく着ていて、家全体の色調や、母親が「あの日」以降に着ていた服の色も青です)。
而朝子則是紅色(她的家、朝子的裙子常是低調溫暖的紅色系、曾經出現很明顯的紅鞋和紅傘,她的母親總是帶著紅色的領巾)。
一方、朝子のテーマカラーは赤です
(彼女の家、控えめで温かい赤系のスカート、目立つ赤い靴や傘、そして彼女の母親がいつも身につけていた赤いスカーフなど)。
在第3集時,泉穿著紫色(紅+藍)的衣服說:
第3話では、泉が紫色(赤+青)の服を着てこう言いました:
「間違えた気がする, 私の欲しかった人生って, こんなだったのかしら。」
這一身的紫衣,也是巧合嗎?
この紫の衣装も偶然でしょうか?
結論:
以上三點,我認為劇組暗示百合子對朝子的感情,
これらの3点を踏まえると、制作陣は百合子の朝子に対する感情が、
已經超越了單純的友情,甚至觸及了更深層的羈絆。
単なる友情を超え、さらに深い絆に触れていることを示唆していると考えます。
劇組以這樣的細節與隱喻,讓百合子與朝子之間的情感層層展開,
制作陣はこのような細部や隠喩を通じて、百合子と朝子の感情を徐々に明らかにしていきます。
我相信這段羈絆,將成為這部劇最令人難忘的核心之一。
この絆は、このドラマの中で最も印象的な核心の一つになると信じています。
老實說,我平常不是很喜歡看 LGBTQ 相關的影劇,
正直に言うと、私は普段LGBTQ関連のドラマや映画をあまり好んでいませんが、
但這部,才第4集而已,就已經深深打動了我的心。
この作品は、第4話にしてすでに私の心を深く揺さぶりました。
Dorothea Hoさん、いつもコメントありがとうございます!
私の動画について
UA-camが提供している字幕をChatGPTに貼り付けて理解してくださっているとのこと、
大変有難く光栄です。
ありがとうございます。
拙い動画技術で申し訳ありません。
前回返信させていただいた内容と重複してしまうのですが、
Dorothea Hoさんの深い洞察力と文学的な解釈に感動です。
頂いたコメントの内容すべてが、このドラマの解説本の一文のようで
とても興味深く読ませていただいております。
色彩表現の視覚的な受け取りや、タイタニックとの共通性なども
大変興味深いです。
いつもありがとうございます。
追記頂いた1・2話のコメントもゆっくり読ませていただきますね。
@@poponyan 我看到第5集的結局了,
第5話の結末を見ました。
令我驚訝不已,
とても驚きました。
更是羞愧,
さらに恥ずかしく思いました。
之前大言不慚地寫了那麼多自以為是的判斷。
これまで偉そうに自分勝手な推測をたくさん書いてしまいました。
我會再重新想想劇情的可能性。
これからストーリーの可能性を改めて考え直します。
覺得自己是來亂的,真是抱歉~~~
自分が混乱させに来ただけのように感じて、本当に申し訳ありません~~~
經過1天的思考
1日考えた結果、
第5集的內容
第5話の内容が、
讓我提升到99.9%的確認度
私の確信度を99.9%に引き上げました。
神秘老奶奶是百合子
神秘的なおばあさんは百合子であり、
玲央是朝子和鐵平的後代
玲央は朝子と鉄平の子孫です。🤣
@dorotheaho3662 さん
いつもコメントありがとうございます!
とんでもないです!
全く問題ありません!
私はあなたの文学的な文章と考察が好きです。
1つの短編小説を読むような気持ちで拝読していました。
ドラマの先を読むというのは難しいですよね。
脚本家の先生がいかようにも描けますからね☺️
伏線などにもルールはないですから、先生の描き方次第。
こう考えると、考察するという行為自体を楽しむことがいちばんですね!
正解することよりも楽しむことのほうが大切だと思います。
@@poponyan 經過一天的思考,
一日考えた結果、
第5集的內容讓我的確認度提升到99.9%。
第5話の内容で私の確信度が99.9%に引き上げられました。
我依然認為,
私は依然としてこう思います。
神秘老奶奶是百合子,
神秘的なおばあさんは百合子であり、
玲央是朝子和鐵平的後代。
玲央は朝子と鉄平の子孫です。
我已經看完您對第5集的考察,
私は既にあなたの第5話の考察を拝見しました。
顯然我們的觀點仍然不太相同呢!
どうやら私たちの見解はまだ少し違っているようですね!
週末我再來分享我的觀察結果囉~
週末にまた私が見たことをお話ししますね!
非常感謝您認真閱讀留言並回應,
丁寧にコメントを読んでいただき、返信もしていただき本当に感謝しています。
這也是為什麼我願意來這裡“打擾”XDDD
だからこそ、こうしてここにお邪魔させてもらっています 🤣 blessings from Taiwan
玲央と訪れた端島を見て号泣したいづみ。「端島」を長い間封印していた理由が回を重ねるごとに少しずつわかってきたように思います。百合子の「私のこと好きな人にいい加減な気持ちで付き合えない」この意味すること。自分も被爆しているかもしれない。自分が背負ったものの苦悩を愛する人に背負わせられない。そんな風に私にはみえるのです。百合子はもしかしたら鉄平を好き?を含ませてるようなそうでないようないづみの「何角関係だったかしら」から百合子の洞察力や物怖じしない閃き発想の豊かさや行動力やおちゃめなユーモアは私の中では百合子に重なるんですよね〜😊鉄平は日記に賢しょうが朝子にキラキラを買ってくることを「賢しょう流の気遣い」と記しているし百合子がいうようにそういう面では鈍感だったようですね(笑)
朝子の気持ちは遠回りの告白でしりましたものフフフ…
山桜の和歌の解釈を勝手に推察するなら想いを伝えられなかった百合子と百合子の胸にある光と陰をよく理解してくれていた鉄平への感謝かな~と思いました。
これからのストーリーが波乱にすすむようなのでまた胸が痛くなりそうですがぽぽさんのやわらかで温かい視点の考察楽しみにしています
maronさん!!コメントありがとうございます!
そうですね。
端島を長い間封印していた理由…
回を進めるごとに見えてきましたね!
被爆の苦悩を愛する人に背負わせられない、この言葉の裏側には鉄平の存在がある…
maronさんの繊細で鋭い考察✨
いづみは百合子というのも納得です。
鉄平は恋愛においては鈍感ですよね。
リナに心惹かれていたのに、朝子の気持ちを知った途端に朝子に傾いて…ちょっと不誠実にも見えます(笑)
第4話の賢将を見ていると、鉄平は恋愛面ではまだまだ幼い?かもしれませんね〜
でも、鉄平も賢将も百合子の理解者ですよね。
百合子の鉄平への感謝の気持ちが和歌の解釈に繋がるのは素敵ですね。
正直なところ私は、いづみが誰なのか全く分かりません。。お手上げです。
これまでのストーリーを考えると百合子も朝子もリナも誰しもに可能性があるのかなと思ってしまいます。
誰かが誰かの言葉をなぞっているかもしれないし、誰かが誰かの求めた人生をなぞろうとしているかもしれない。
そう考えると誰だか分からないなと思って観ていました。
(身長は縮むこともあるし、利き手も変えることもあるし…)
でも、1つ望むのは、
長く人生を生きて振り返ったときに「間違えたかもしれない」「私の欲しかったものって…?」というような思いはして欲しくないです。
何故、そうなってしまったのか…
やはりここに物語を紐解く鍵がありますよね。
端島の3人を見るとそんな人生を歩むようには見えないのですが、その誰かが「何か」によって、本当に大切なものを見失ってしまう。このあと何が起きるのかとても気になります。
幸せな6人を観ていたいですが、波乱が起きてしまうようですね。
怖いです。
次回も心を込めて動画作成頑張ります!
優しいお言葉をいつもありがとうございます✨
ぽぽさんの、「誰かが求めた人生をなぞらろうとしているかもしれない」は私も思うところで朝子っぽくも思えたり😊
コメント下さりありがとうございました🎉嬉し♬
maronさん、こちらこそありがとうございます♬
そうですよね!そのように解釈できますよね☺!
その逆のようにも感じ取れる。
まるで朝子と百合子は一心同体のよう…
これがこのドラマの素晴らしさだと感じですね
第5話が待ち遠しい~
いづみは百合子の様な気がするのですが。。あと進平は亡くなってしまうのでしょうか?
TKさん、コメントありがとうございます!
私も前回は百合子かなと思っていました。
正直なところ、このあとの展開次第かなと思っています。
朝子も百合子もリナもあり得ると思います☺
進平は…、どうでしょうかね。
哀しい出来事が待っていそうな気はしますね。。
さて、4話感想どこから書こうかと思ってます。
つらつらと書いてしまうと色々とっ散らかりそうなので…
後程いくつかのパートに分けてコメントしていきたいとと思ってます。
多くの皆さんはドラマの舞台地として端島や長崎を見て、ドラマを楽しんでいらっしゃる訳ですがじげもん達、特に端島や今回第4話の大きな事象に関わっている方々にとってはリアルでもあるんですね。
制作サイドのTBSスパークルのスタッフのみなさん、脚本家の野木さんの精力的な取材を直接、間接的に見聞きしていた側なので、この物語のキーになる第4話の背景にあるものが舞台地で生活している者のことをキチンと汲み取って映像化して頂いている事に感謝の念、一層増しております。
①ドラマの背景にある実際の史実
②史実を踏まえたところでのドラマの今後の展開
③個人的感想
の3パートに分けてコメントできたらいいなぁ〜と思ってます。
①ドラマの背景にある実際の史実
今回の第四話を視聴してのドラマで描かれていることを考察するにはその背景にある史実をある程度把握しておくと様々な展開の糸口になると思い、長文コメントにはなりますが主に二つの観点をしたためてみたいと思います。
<切支丹と浦上>
安土桃山時代、キリシタン大名大村純忠がイエズス会に長崎港湾周辺と茂木を寄進(外国領)となるも、豊臣秀吉の命令で日本最初の切支丹弾圧が行われ、西山の丘(現NHK長崎局の裏)で信徒宣教師26人が処刑(後にカトリック教会によって聖人の列に加えられた)
その後江戸幕府による禁教令により、キリスト教信者は潜伏切支丹となって仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した。
慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、それらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けたりするなどして、信仰を守り続けた。
その間、江戸時代で4度大きな弾圧が行われた。
江戸時代最後の弾圧は信徒の喜びと苦難が交互にやってくるという、予想されるドラマ展開にも似た流れがあるので詳しくしたためます。
幕末の開国後の1865年、長崎の大浦天主堂を浦上(現・長崎市浦上)在住の信者が訪ねてきたこと(「信徒発見」と呼ばれる)から、潜伏キリシタンの存在が国内外で知られるようになった。しかし、キリスト教はいまだ禁教であったため、信仰を表明した信者は投獄や拷問によって棄教を迫られ、あるいは全国に配流されるなどの大規模な弾圧に遭った。(浦上四番崩れ)その後明治政府も江戸幕府からの政策を継承する形で高札により禁教令を継続し(五榜の掲示)、信徒への激しい弾圧は続いた。これはキリスト教圏の欧米諸国から非難・批判を招いた。明治政府は1873年2月24日、太政官布告により禁教の高札を廃止し、結果としてキリスト教が黙認されることで江戸幕府以来の「キリシタン禁教令」は事実上、廃止された。日本政府はキリスト教禁制の高札を撤去し、信徒を釈放した。配流された者の数3394名、うち662名が命を落とした。生き残った信徒たちは流罪の苦難を「旅」と呼んで信仰を強くし、1879年(明治12年)、故地・浦上に聖堂(浦上天主堂)を建てた。
また1945年8月9日の長崎への原爆投下は、特に長崎市内浦上地区に在住するキリスト教徒に多くの犠牲者を出したことから、これをキリスト教徒の受難事件ととらえ、「浦上五番崩れ」と称することもある。
<長崎市への原子爆弾投下>
全てを書くにはあまりにも膨大な情報量と被爆の実相を直視することで心穏やかには読み難いと思い、ウィキペディアのリンクを貼ります。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B
<福岡での空襲>
一平家族の娘二人が亡くなったであろうと思われる空襲も参考としてリンクを記載しておきます。
八幡大空襲1945年8月8日
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
久留米空襲1945年8月11日、8月12日
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E7%A9%BA%E8%A5%B2
みずたろうさん、いつもコメントありがとうございます!
4話、素晴らしい回でしたね。
そうですよね…
戦時中、そこかしこに存在したリアルですよね。
作り手の皆様の丁寧で繊細な心遣いも感じられ、そういうところにとても胸を打たれます。
コメント楽しみにしております。
@@poponyan さん、史実を基にしたすごく冷徹な見方にはなるんですが
「いづみは朝子」一択だと思っています。
百合子は他の幼馴染達と同じ時間軸を共にするのは難しいという感覚があります。
ここに一つの資料を示します。
長崎大学医学部原子爆弾後遺障害医療研究所(原研)のデータに被爆後の白血病罹患者数を経年で調べたデータがあります。
www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nishimori/index.html#05
基準になる放射線量(多分ガンマ線)100rad=1gray
ちなみに爆心地から500mラインの浦上天主堂周辺ではガンマ線78.5gray中性子線3.31grayを浴びたことになります。
www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abomb/Imagefile/damage_x_big.jpg
史実では
8月9日 - 長崎への原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊。投下当時、8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていたため多数の信徒が天主堂に来ていたが、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、主任司祭・ラファエル西田三郎、助任司祭・シモン玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡。(ウィキペディア参照)
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E6%95%99%E4%BC%9A
とあり、仮に生き残っていたとしても後遺障害は免れないという認識を私は持っております。
この街の中で多くの人の「あの日」のことに触れる度、「違う未来」は偶然と隣合わせだったのかも知れないと感じること多々あり。
朝子を無垢の罪人にさせたくない幼馴染達の優しさの中で普通に生きてきた事への慟哭とも後悔とも言い難い感情と後々朝子は向き合う事になる様な気がします。
「心から謝りたいの、あなたに許されたい。あなたが許してくれなくても私は許すわ」
この言葉の本意を朝子が心底実感する時、「あの日」の小さな悪戯が百合子達の命を奪ったのだと…
そのように朝子自身が百合子の人生の写し鏡として、百合子の思い、実現したかった事、その人生を生きようと動くのではなかろうかと…
みずたろうさん、ご返信ありがとうございます。
最初の返信コメントを読み飛ばしてしまっていました。
申し訳ありません。
沢山のことを教えてくださりありがとうございます。
勉強になりました。
百合子の残りの人生…
データを見ると心が震えます…
今の百合子の姿を見ていると考えたくはないですが、それこそがリアルであり目を背けてはいけないことてすよね。
この物語でどこまで描き切るのでしょうか。
朝子について、私もすごく共感します。
第4話であの言葉のシーンからの朝子の幸せそうな笑顔。
(物語としては、朝子の人物像があのように無垢に描かれていることも1つポイントだと感じます)
でもいつか、その本意を知ることになるのだろうと思います。
考えるだけでも苦しいです。
「長崎を愛してた」
年甲斐も無く号泣しました。
ドラマなんだけど、舞台地に生きる者にはリアル。折々の感情が湧いてくるんですよ。
改めて自分は長崎人なんだと感じるシーンでした。
このドラマの端島パートの時間軸で見届け人がいるとすれば、和尚(さだまさし)さんなのだろうと…
演者の中で唯一端島の時間軸と舞台地の空気感をリアルタイムで体感しているキャストが演じている時点でドラマがドラマじゃなくなっているんですよ、私の中では…
さださんのお身内も実際被爆なされて、その不条理さを日常的に感じていらっしゃいましたし、でも陽気な長崎人気質が演技の端々にもあって「この配役はストライクだょなぁ〜」って。
説教所(実は当初寺ではなかった…)の和尚だから「説教和尚」
禅宗なんだけど全部の宗派での法要対応するから「全宗」
その駄洒落、まっさん=和尚だから違和感なく、またシリアスなセリフもネイティブ長崎人だから伝わるところもあり…
人の生死観を感じる場所でもある寺の和尚がさださんでよかった。
島民の生死や生き様全てに縁する和尚という立場は端島パートの物語の見届け人になるだろうと思ってます。
さださんの演技に「長崎の心を何のフィルターも被せることなく素のまま伝えてくれる人をキャスティングしなきゃ伝わらないものもある」とドラマとリアルがゴチャ混ぜになりつつある私。
「長崎を愛してた」の言葉を人生の終焉の時に私は言えるだろうか…とふと我に返りながら、自分のルーツと故郷をキチンと自分の中でリスペクトさせてもらえるドラマに巡りあわせてもらった事、ドラマ制作チームに感謝しています。