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当時は中学生、三鷹市の調布市との境に近いところなので親父と2人で自転車で堤防を見に行った。決壊したところから水が出て、すごかったです。当時、小田急線の線路は和泉多摩川駅を出ると堤防上の踏切(今は高架になっている。)を通過、鉄橋を通り、登戸駅に入る形だった。高架化工事のときは下り線で利用されていました。様子はそんなものでしたが学校は危険だから行かないようにと言っていたにもかかわらず、ほとんどの人が見に行ったと話していたので注意の効果はなかったようです。好奇心の方がまさっていたということかもしれませんし、堤防を爆破したときにはその振動が家に響いたなんてことがありました。ドラマで放送したときは実際はもっとすごかったなんて思っていました。でもあれから50年たつのだから月日がたつのはほんとに早いです。
地元です、そもそもこの場所は家を作ってはいけない場所でしたが、土地が安いから河川敷に家を作った。物を知らない人はこういう場所を買わされるんですよね。
多摩川が濁流になったのは良く見てたけど、まさか決壊するなんて思いもしなかった。TVでマイホームが流される場面が生中継されてたけど、幾ら報道とはいえ残酷なシーンだった。
当時川崎側から家が流されるのを見ました。また、川の流れを変えるためにダイナマイトを使ったと聞いています。授業中に爆破音が聞こえた記憶があります。
他の人のコメントにあるように、「岸辺のアルバム」を思い起こさせる動画。当方が通っていた高校は、多摩川の下流にあったが上流の濁流の凄まじさは実感できた。
私が小学生の頃の出来事でした。家が流される様子をテレビでみて怖かった思い出があります。
たまには古写真以外の、あの場所は今は?という探訪もいいですね。しかしあれだけの災害があったにも拘らず今もまた住宅が密集してるんですか。TVドラマにもなったし、多摩川では一番有名な場所でもありますね。
当時から多摩川流域で生活してましたが、現在は決壊した位置よりも上流に新築しました。散歩しながら決壊の碑をみた時に当時の記憶が思い出されました。度々色んな物が流れ着くので多摩川は幾度も決壊しているのかと思いましたが、酷いくはこの一度きりなのかなぁ?台風の度に良く多摩川を散歩して、漂流物を探しました。前に砧本村のブランコにドザエモンが流れ着いた時に、腰まで水に浸かってサイクリングコースを回って居ましたが、もう少し先まで行ってたら第1発見者になるところでした!やはり大きい川の側は色んな災害が在りますね😢懐かしい映像をありがとう御座いました。
19年の時は越水はしませんでしたが本当にぎりぎりのところまで水位が上がりました。ただ東京側川崎側とも内水氾濫が起きかなりの範囲が浸水しました。
9歳のときです。読売ランド前駅近くに、今も暮らしています。自転車で多摩川を見に行こうとした私を、母は叱りつけました。納得がいかないながらも、あきらめた記憶があります。今も支流が多い大河は、台風や大雨で即濁流になります。河原に慰霊碑があるのは知りませんでしたが、濁流に押し流されはしまいか少し心配にはなりました。
1974年だから、私が小学生4年の頃で、今でもはっきり覚えています。家の前の道が川のように、ゴーゴー流れていた😮怖かった😣
1978年夏まで狛江(多摩川住宅)に住んでました。多摩川堤防決壊の頃はまだ物心がついたころでよく覚えていませんが、TVで流される家を見て不謹慎にもはしゃいでいたようで、親から怒られていたようです。
小学3年の頃にニュース映像見てたなぁ。当時の多摩川はニュースになるほど洗剤の泡だらけで、多摩川と言ったら凄い公害でヘドロでゴミだらけの汚い川っていうイメージだった。
岸辺のアルバムは良いドラマ…2019年は危うく再来を見るところでした。
八ッ場。間に合って良かったよなぁ…。10日違いだっけ? 俺、九州だから詳細までは知らんけど。
多摩川に八ッ場ダムはない
当時自宅を流された家族達はその後、どんな人生になったのか聞きたい。
岸辺のアルバム。ジャニスイアンの歌が好きでした。
当時は幼児だったので、ニュース映像以外で知ることはなかったのですが、この日が9月1日とは知りませんでした。9月1日は関東大震災とともに、防災について心がける日なんですね。
喉元過ぎれば熱さを忘れるで多摩川沿いにマンションやら出来るといざという時に大丈夫かなと思ってしまいます。わが市では関東大震災の時に山から土石流が流れ出て家屋が流されたという歴史があります。
近年も各地で水害が多く見られますが、治水事業の予算も年々減少傾向にあります…一方で海外にはバラマキ…このままでは近い将来、エライ事になりますね…もはや人災です…
熊本県在住だけど、福岡県を中心にした九州北部豪雨や熊本県南部を襲った集中豪雨災害で、亡くなられた方々は比較的少ないものの甚大な被害があり、鉄道も一部廃線になったり肥薩線も復旧の目処がたたず、たぶん赤字路線なんで廃線でしょうね?地元近辺は有明海の満潮と重なり、排水が間に合わずに床上・床下浸水した家屋が、約100軒近くになっただけで人的被害はありませんでしたが、帯状降水帯と地震は何時なんどき発生するか分かりませんから、他人事とは思わない方がいいです。
懐かしい、私の住んでいる埼玉県内でも台風被害が多く我が家一帯は床下浸水だったのですよ。朝学校へ登校するときは濡れても良いサンダルを履いて、汚水の中をズボズボ歩いていきました。夜臨時ニュースで濁流に飲まれていく住宅をボーゼンと見ました。「床下浸水だけで良かったね〜」と近所中で話していたこと覚えています。
お疲れ様です。当時小学生でTVで狛江付近で決壊した中継を見た記憶があります。当時の多摩川はお世辞にもきれいな川ではありませんでしたね。それと名古屋も台風の時期に川の氾濫があると当時感じていたことを懐かしく思い出しました。今はスーパー堤防化が進んでどこも決壊はしなさそうですね。
決壊の碑がある所から10分位歩いた所に昔10年程住んでいました、記憶が曖昧で確か伊勢湾台風の時でしたか土手の50㎝手前まで水位が上がり見ていたら消防団の人に注意されましたその時は二子玉川に近い場所が決壊しました。
当時小学3年、遠隔地の出来事でもあり新聞やテレビの報道は微かな記憶しかありませんが、学校の授業だったか学級会だったか、担任教諭が「こんな大変な思いをしている人たちもいるんだ」と解説してくれた記憶があります。
当時、叔父の車で現場を見に行きました。多摩川が茶色かった記憶しかありませんが。
国が堤防整備をして「大丈夫」とお墨付きを与えたにも関わらず、その堤防が決壊したということで20年もの期間を費やして「人災」として国の瑕疵が認定された出来事ですよね。当時そこに家を買った人はさぞ悲しかったろうと思います。昨今、住まう場所について考えさせられることが多いですね。
かつて小田急線の鉄橋の近くには貸ボート屋さんがあって、多摩川に多くのボートが浮かんでいたようです。我が家に1964年に多摩川の鉄橋を渡るロマンスカーとボートで遊ぶ人々を撮影した写真があります。その10年後に事故が起きるのですね。平和と危険は紙一重、そう感じました。
この台風を観測するための米空軍の台風観測機が遭難して行方不明となり、有人機による台風観測は終了したのです。
よく自転車で調布下石原あたりを通るのですが、「想定浸水深」が4mほどの地域が広がっていて、電柱のはるか上に4mのマーキングがあるのをみると何とも言えない気分になります。戸建てだと、2階の真ん中ぐらいまでは水が来ます。
地元です😢夏休みの宿題泣きながらこなしてたら避難命令!親父お袋が水が出るからとテーブル上に家財道具を上げて本家へ避難。翌日学校は避難所の為に暫く休校ラッキー宿題ヤれる!爆破の時は従兄弟がトイレで倒れビジョビジョ!俺は梨を食べようとして衝撃で梨が溢れて…あの衝撃は忘れない。学校始まり避難所の掃除タバコの吸い殻だらけ汚かったのは覚えてる。😢大体学校避難してたのは後からの住人、当然の様な顔して汚して子ども達が清掃…😅
これは酷い水害でしたね。でも死傷者が出なかった事は、不幸中の幸いだと思います。
出張帰りに当時この橋通り過ぎ流のに恐怖感じた
戦争や自然災害は保険金がおりないと言うのが話題になりましたね
今晩は東京和泉多摩川狛江市は水害
碑が建っているからと言って、何もここの周辺だけが危ないって訳じゃないよ!下流のセレブや芸能人がこぞって住む人気の街も、タワーマンションが林立する某街も、大同小異であるという事。なお、今の不動産取引においては、重要事項として「ハザードマップ」の説明が義務付けられています。😶😶😶
当時とは全然違うので、イメージが出来ないですね😃それだけ今が平和なのだろうけど
4:14おばちゃんがカニ歩きしてるのか、凄い気になります
▲の碑😊素晴らしい👍二度と災害は起こりませんね😍
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
岸辺のアルバム!
今年の9月で事故から50年だね。きっとTVは特別番組とか流すんだろうな。
それでも人は水辺に住み続ける…
堤防沿いの戸建て住宅って防災のためとは言え何の眺めも無しでリバーサイドと言うイメージ皆無。
いろんな河川で違法建築だらけですね。(にっこり)
陸上自衛隊が ニケ領堰を爆破した際に堤防に亀裂が入って 決壊したんだと聞きました
二ケ領堰で堰き止められた横への流れが堤防を壊しました。その流れを解消するために、堰を自衛隊が爆破して取り除いたのです。自衛隊の爆破が決壊の原因ではありません。
当時は中学生、三鷹市の調布市との境に近いところなので親父と2人で自転車で堤防を見に行った。決壊したところから水が出て、すごかったです。当時、小田急線の線路は和泉多摩川駅を出ると堤防上の踏切(今は高架になっている。)を通過、鉄橋を通り、登戸駅に入る形だった。高架化工事のときは下り線で利用されていました。様子はそんなものでしたが学校は危険だから行かないようにと言っていたにもかかわらず、ほとんどの人が見に行ったと話していたので注意の効果はなかったようです。好奇心の方がまさっていたということかもしれませんし、堤防を爆破したときにはその振動が家に響いたなんてことがありました。ドラマで放送したときは実際はもっとすごかったなんて思っていました。でもあれから50年たつのだから月日がたつのはほんとに早いです。
地元です、そもそもこの場所は家を作ってはいけない場所でしたが、土地が安いから河川敷に家を作った。物を知らない人はこういう場所を買わされるんですよね。
多摩川が濁流になったのは良く見てたけど、まさか決壊するなんて思いもしなかった。TVでマイホームが流される場面が生中継されてたけど、幾ら報道とはいえ残酷なシーンだった。
当時川崎側から家が流されるのを見ました。また、川の流れを変えるためにダイナマイトを使ったと聞いています。授業中に爆破音が聞こえた記憶があります。
他の人のコメントにあるように、「岸辺のアルバム」を思い起こさせる動画。当方が通っていた高校は、多摩川の下流にあったが上流の濁流の凄まじさは実感できた。
私が小学生の頃の出来事でした。家が流される様子をテレビでみて怖かった思い出があります。
たまには古写真以外の、あの場所は今は?という探訪もいいですね。しかしあれだけの災害があったにも拘らず今もまた住宅が密集してるんですか。TVドラマにもなったし、多摩川では一番有名な場所でもありますね。
当時から多摩川流域で生活してましたが、現在は決壊した位置よりも上流に新築しました。
散歩しながら決壊の碑をみた時に当時の記憶が思い出されました。
度々色んな物が流れ着くので多摩川は幾度も決壊しているのかと思いましたが、酷いくはこの一度きりなのかなぁ?
台風の度に良く多摩川を散歩して、漂流物を探しました。
前に砧本村のブランコにドザエモンが流れ着いた時に、腰まで水に浸かってサイクリングコースを回って居ましたが、もう少し先まで行ってたら第1発見者になるところでした!
やはり大きい川の側は色んな災害が在りますね😢
懐かしい映像をありがとう御座いました。
19年の時は越水はしませんでしたが本当にぎりぎりのところまで水位が上がりました。
ただ東京側川崎側とも内水氾濫が起きかなりの範囲が浸水しました。
9歳のときです。
読売ランド前駅近くに、今も暮らしています。
自転車で多摩川を見に行こうとした私を、母は叱りつけました。
納得がいかないながらも、あきらめた記憶があります。
今も支流が多い大河は、台風や大雨で即濁流になります。
河原に慰霊碑があるのは知りませんでしたが、濁流に押し流されはしまいか少し心配にはなりました。
1974年だから、私が小学生4年の頃で、今でもはっきり覚えています。家の前の道が川のように、ゴーゴー流れていた😮怖かった😣
1978年夏まで狛江(多摩川住宅)に住んでました。多摩川堤防決壊の頃はまだ物心がついたころでよく覚えていませんが、TVで流される家を見て不謹慎にもはしゃいでいたようで、親から怒られていたようです。
小学3年の頃にニュース映像見てたなぁ。
当時の多摩川はニュースになるほど洗剤の泡だらけで、多摩川と言ったら凄い公害でヘドロでゴミだらけの汚い川っていうイメージだった。
岸辺のアルバムは良いドラマ…2019年は危うく再来を見るところでした。
八ッ場。間に合って良かったよなぁ…。
10日違いだっけ? 俺、九州だから詳細までは知らんけど。
多摩川に八ッ場ダムはない
当時自宅を流された家族達はその後、どんな人生になったのか聞きたい。
岸辺のアルバム。ジャニスイアンの歌が好きでした。
当時は幼児だったので、ニュース映像以外で知ることはなかったのですが、この日が9月1日とは知りませんでした。9月1日は関東大震災とともに、防災について心がける日なんですね。
喉元過ぎれば熱さを忘れるで多摩川沿いにマンションやら出来るといざという時に大丈夫かなと思ってしまいます。わが市では関東大震災の時に山から土石流が流れ出て家屋が流されたという歴史があります。
近年も各地で水害が多く見られますが、治水事業の予算も年々減少傾向にあります…
一方で海外にはバラマキ…
このままでは近い将来、エライ事になりますね…
もはや人災です…
熊本県在住だけど、福岡県を中心にした九州北部豪雨や熊本県南部を襲った集中豪雨災害で、亡くなられた方々は比較的少ないものの甚大な被害があり、鉄道も一部廃線になったり肥薩線も復旧の目処がたたず、たぶん赤字路線なんで廃線でしょうね?
地元近辺は有明海の満潮と重なり、排水が間に合わずに床上・床下浸水した家屋が、約100軒近くになっただけで人的被害はありませんでしたが、帯状降水帯と地震は何時なんどき発生するか分かりませんから、他人事とは思わない方がいいです。
懐かしい、私の住んでいる埼玉県内でも台風被害が多く我が家一帯は床下浸水だったのですよ。朝学校へ登校するときは濡れても良いサンダルを履いて、汚水の中をズボズボ歩いていきました。夜臨時ニュースで濁流に飲まれていく住宅をボーゼンと見ました。「床下浸水だけで良かったね〜」と近所中で話していたこと覚えています。
お疲れ様です。当時小学生でTVで狛江付近で決壊した中継を見た記憶があります。当時の多摩川はお世辞にもきれいな川ではありませんでしたね。
それと名古屋も台風の時期に川の氾濫があると当時感じていたことを懐かしく思い出しました。今はスーパー堤防化が進んでどこも決壊はしなさそうですね。
決壊の碑がある所から10分位歩いた所に昔10年程住んでいました、記憶が曖昧で確か伊勢湾台風の時でしたか土手の50㎝手前まで水位が上がり見ていたら消防団の人に注意されましたその時は二子玉川に近い場所が決壊しました。
当時小学3年、遠隔地の出来事でもあり新聞やテレビの報道は微かな記憶しかありませんが、学校の授業だったか学級会だったか、担任教諭が「こんな大変な思いをしている人たちもいるんだ」と解説してくれた記憶があります。
当時、叔父の車で現場を見に行きました。多摩川が茶色かった記憶しかありませんが。
国が堤防整備をして「大丈夫」とお墨付きを与えたにも関わらず、その堤防が決壊したということで
20年もの期間を費やして「人災」として国の瑕疵が認定された出来事ですよね。
当時そこに家を買った人はさぞ悲しかったろうと思います。
昨今、住まう場所について考えさせられることが多いですね。
かつて小田急線の鉄橋の近くには貸ボート屋さんがあって、
多摩川に多くのボートが浮かんでいたようです。我が家に
1964年に多摩川の鉄橋を渡るロマンスカーとボートで遊ぶ人々を
撮影した写真があります。その10年後に事故が起きるのですね。
平和と危険は紙一重、そう感じました。
この台風を観測するための米空軍の台風観測機が遭難して行方不明となり、有人機による台風観測は終了したのです。
よく自転車で調布下石原あたりを通るのですが、「想定浸水深」が4mほどの地域が広がっていて、電柱のはるか上に4mのマーキングがあるのをみると何とも言えない気分になります。戸建てだと、2階の真ん中ぐらいまでは水が来ます。
地元です😢夏休みの宿題泣きながらこなしてたら避難命令!親父お袋が水が出るからとテーブル上に家財道具を上げて本家へ避難。翌日学校は避難所の為に暫く休校ラッキー宿題ヤれる!爆破の時は従兄弟がトイレで倒れビジョビジョ!俺は梨を食べようとして衝撃で梨が溢れて…あの衝撃は忘れない。学校始まり避難所の掃除タバコの吸い殻だらけ汚かったのは覚えてる。😢大体学校避難してたのは後からの住人、当然の様な顔して汚して子ども達が清掃…😅
これは酷い水害でしたね。でも死傷者が出なかった事は、不幸中の幸いだと思います。
出張帰りに当時この橋通り過ぎ流のに恐怖感じた
戦争や自然災害は保険金がおりないと言うのが話題になりましたね
今晩は東京和泉多摩川狛江市は水害
碑が建っているからと言って、何もここの周辺だけが危ないって訳じゃないよ!
下流のセレブや芸能人がこぞって住む人気の街も、タワーマンションが林立する某街も、大同小異であるという事。
なお、今の不動産取引においては、重要事項として「ハザードマップ」の説明が義務付けられています。😶😶😶
当時とは全然違うので、イメージが出来ないですね😃
それだけ今が平和なのだろうけど
4:14おばちゃんがカニ歩きしてるのか、凄い気になります
▲の碑😊素晴らしい👍二度と災害は起こりませんね😍
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
岸辺のアルバム!
今年の9月で事故から50年だね。きっとTVは特別番組とか流すんだろうな。
それでも人は水辺に住み続ける…
堤防沿いの戸建て住宅って防災のためとは言え何の眺めも無しでリバーサイドと言うイメージ皆無。
いろんな河川で違法建築だらけですね。(にっこり)
陸上自衛隊が ニケ領堰を
爆破した際に堤防に亀裂が入って 決壊したんだと聞きました
二ケ領堰で堰き止められた横への流れが堤防を壊しました。その流れを解消するために、堰を自衛隊が爆破して取り除いたのです。自衛隊の爆破が決壊の原因ではありません。