永井隆博士が残した被爆の記録と生き様 | nippon.com
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- Опубліковано 24 лип 2024
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1945年8月9日11時2分、禁教令時代以来の長崎市のキリスト教徒集住地に立つ浦上天主堂の上空500メートルで、2発目の原子爆弾が爆発した。天主堂で祈りをささげていた司祭と信者数十名は全員即死、天主堂は破壊された。近隣の長崎医科大学でも多数の犠牲者がでた。そしてそれは医科大学病院で被爆し重傷を負った医師、永井隆博士にとって、原爆の被害の記録を後世に残すための戦いの始まりだった。
長崎大医学部永遠の誇り・長崎市の偉人である永井隆博士の功績へ感謝と敬意を表し合掌!
この前、修学旅行で行きました。如子堂が、すごく小さくてびっくりしました。2畳半で暮らしていたのが凄いです。
永井博士のような博愛な人になれるよう頑張ります。
偉大な永井博士を語り継いでほしい。
いつか聖人になりますよう、お祈りいたします。
永井様 初めまして奈良登美ヶ丘教会の吉田顕朋です。長崎の歌の著者のパウログリン神父様が今はシドニーで94歳ですが病気で入院されてます。永井博士の聖人の列聖とグリン神父様の
ご回復をお祈りしてます。
久しぶりのお話しありがとうございました🙏🙏🙏