@@あやたそ-k7k 中学の合唱コンクールでよく歌われる「in terra pax」という合唱組曲があります。 よく歌われるのは最後の曲である表題曲である「in terra pax 地に平和を」という曲なのですが、全5曲ある組曲の第1曲めに「知った」という曲があります。 この歌はベトナム戦争のさなか、戦争を体験したことがない「太郎」という少年が父親や祖父から「遠い昔の物語」として「戦争」を聞くという歌なのですが、歌の最後に太郎少年が今戦地となっているベトナムと日本の空は繋がっているということに気づいて「遠い昔の物語」だった「戦争」が現実に存在する生々しい「リアル」であることに気づいて戦慄するというストーリーになっています。 機会があればぜひこの曲を聞いてみてください。おすすめします。
遺族の方々がどんな思いで遺品を寄贈されたのか、愛する人が最期のその時その瞬間に身に着けていた遺品を、手元に置いておきたいのに断腸の思いで我々の為に資料館へ寄贈して下さっているのだと思うと、涙が止まらなかった。
@@LongIslandIced-Tea
核実験のモルモットになった
涙出た
以前長崎の原爆資料館に行った時、小さな赤ちゃん用の服が展示されていて。
記憶が正しければ、原爆投下時、お母さんにおんぶされてた生まれて間もない赤ちゃんの服で、お母さんは生き残ったんだけどその赤ちゃんは死んでしまったと。それでそのお母さんは20余年に渡ってあの日赤ちゃんが命尽きた時に着ていたその服を手元に持っていたんだけれども、ようやく決心がついて原爆の恐ろしさやかなしさを伝えるためにその服を寄贈したと書いてあるのをみた時は本当に堪らなかったね。一体どんな思いでそのお母さんが、20年以上もその服を手元に置いていたのかと思うと、今でも涙が出てくる。
「我々の為に資料館へ寄贈して下さっている」
それもあるけど、一般家庭での保存だと、どうしてもどんどん状態が悪くなって劣化していってしまう。
その点、資料館へ寄贈すれば、なるべく劣化しないように最適な状態で保存しつづけてくれる。
資料館への寄贈は、核兵器の恐怖を伝えていきたいという思いとともに、愛する人たちの遺品を、形ある状態でずっとずっと残しておきたいという、遺族の切ない思いがあるんだよね。
@@elmisa3817原爆さえ落とされなければこれからだんだんと赤ちゃんが言葉を話せるようになっていろんなところに一緒に行って幸せな時間を過ごせたかと思うと本当につれえな、、
子供がトラウマになるような、大人が嗚咽するような物を置くべきだと思う。人間の残酷さは残酷な現実しか教えてくれないと思う。
追記
コメントの通知により、この問題について毎回考えるキッカケとなってます。私は学芸員さん達の「恐かったで帰ってほしくない。戦争について考え続けて欲しい」という願いに同意できないのです。私は、自身がそうだったように「深く傷ついて欲しい」です。だって考え続けて何になるのですか?戦争は人間の潜在的部分にまで残すべき残酷だと思います。学芸員さんは遺族の方々からの気持ちを背負った立場であり、戦争について考え続ける立場だからこその願いだと思います。資料館はリアルを伝えることによるトラウマも伝える場であるべきです。
文句言うバカが出て理不尽に傷つく人が出そう。
@@日韓海底トンネル反対シャンク そんなの関係ないと思う
蝋人形はトラウマ…
@イギリスのあの料理 Lv1 10年前はもっとリアルで怖かった
おらもそう思います。
カップルで原爆資料館に行くの、上手い言葉が見つからないが、純粋にすごいなと思った
デートだと楽しいところに遊びに行くことが多いけど、学びに行こうと2人でなったのがすごいや…
当時彼女だった(今の妻)と広島に旅行に行った際に、原爆資料館に行きました。お互い行ったことがなかったので、行きました。お互い途中から気分が悪くなって退館しましたが、良い学びとなりました。こうして平和にデートが出来るのも幸せな事なんだなと痛感しました。
インスタバエですね
今じゃ原爆ドームもインスタ映えや
時代の流れは残酷
六年前当時の彼氏と行ったんですが私は一つずつじっくりゆっくり見てたんですけど彼がいつ終わんの?早く行こうよって言ってきやがったので渋々退館しましたがずっとそれが忘れられなくてここに行った2ヶ月後に別れました✋
高校時代訪れた時、英語で会話をしていたのでおそらくアメリカ人かと思われる男性(他の英語圏の可能性もあります。)が号泣しながら見てまわっていたことを思い出しました。
私の一個人の意見ですが、戦争は何も生まないです。
平和ボケしてる日本にとってとても大事な場所です。ありがとうございます。
私もこの間資料館に行ったらルイヴィトンのスキニージーンズを履いたタイ人らしき男性が友人と笑いながら写真を撮って回ってたことを思い出しました。
平和ボケとか以前に道徳をかなぐり捨てた人もいるのですね。
@@amok109 笑いながら見ていいものではないですよね、
@@amok109 コメ主の挙げられたアメリカ人とは正反対で草
アメリカ人、どの面下げてきてんだよ
@@原田涼平-h1i まだ笑う方がいいのかもな。
あの蝋人形、とてもリアルで怖くて「もしまた戦争が起きたらこうなるんだ。絶対にこんな風にはなりたくない」と思いました。
訪れた当時、展示品の文章を読んでも理解しづらかった歳だったので、皮膚が爛れた様子やその時の風景を実物大で再現された蝋人形は、幼い私にとってはとても理解しやすかったです。
実際は、あれ以上だったらしいです。
あの展示に対して、あんなもんじゃない。あんな生易しくなかったよと言う方々もおられました。
やはり蝋人形が印象的なのですね。姉が学校行事で訪れた際に、それが一番衝撃的だったと未だに言います。
@@垣田匡保 そういう不謹慎なこと言わないで。私たちで平和を守ろう
あの蝋人形も昔はもっとリアルだった
@@悪玉菌 確か今展示してある蝋人形は3代目だとか聞いた事があります。
35年ほど前に見た時の人形はもっと悲惨な姿をしていた記憶があります。
「完成形とは言ってくれるな」というスタッフの言葉、素晴らしいと思います。見せる側も見る側も考え続けていく必要がありますね。
もう本当にありがとうございます。
広島市民として、県外の方が広島に来ていろいろな思いを馳せてくれる事が本当に嬉しいです。1945年8月6日、なにがあったか、作り話じゃないこと、それをいつまでも忘れないでいてほしいです。
8月9日も忘れないで😅
昭和の頃は、8月6、9、15日に夏休みでしたが平和授業として、小学校が登校日で、その日1日は、平和について、学校で各クラス語る日でした。
私は19年前の8/6に生まれましたが戦争の話が出ると真っ先に広島が思い浮かびます。
@@真田信繁ゆきむら もちろんです!11時2分、毎年忘れていませんよ〜
@@山宮皐月 私も19年前の8月6日生まれです!
祖父母が蝋人形見た時の一声が「これだ……」でした
広島から近い島根住みの祖父母は原爆の光やキノコ雲を見ていたそうです。それから数日間なくして、蝋人形と同じ傷だらけで焼けただれ蝿が周りを飛び回っている人がどんどんと山を超えてきたそうです。
今回撤去のことをこの動画で教えたところ「過剰な演出じゃない。実際の方がもっと酷い」と。
無くされるのは勿体ないなと感じました。
看病してあげた親子が夜中に着物をたくさん持って逃げたという話など色々あります。広島だけでなく周りの他県でも話を聞くとより一層原爆の影響が分かります。
小学生の時
当時は工事前でしたが
思い起こせば人形などの”再現”されたものの印象が強く残っています
コンセプトが一新され
実物展示を重点的にということを知り
もう一度足を運びたいと思いました
同じような惨事が
世界のどこにも起こらない事を願います
私も小学生の時、工事をしている最中に行きました。蝋人形が凄く印象に残っています
核を放棄したウクライナが、ロシアから核で脅されてる現実。結局、軍事力が拮抗してないと戦争はおこる。
自分と同じ強さのやつにそうそうケンカしかけないでしょ?
日本も核を保有すれば、核を落とされることはないでしょう。目を覚まして
たくさんの人が死んだの? なぜ日本は爆撃されたのですか?
@@LongIslandIced-Tea なんで知らんの?
@@LongIslandIced-Tea 知らんのはやばい。でもこうやって知らない人が増えて、学ばずに同じことを繰り返してきたんやろな
小学1年生の社会見学で訪れたと記憶しています。
嘔吐したり泣き出す友達もいました… 私は数年間怖い夢を見ました。幼い時期に見て理解するにはキツ過ぎて逆にトラウマになりそうな内容だったのでこのようにずっと考え続けて変化発展していく事はとても大事だと思います。担当される関係者の皆様に感謝します。
トラウマになるのは上等。
小学1年生じゃそういうものの概念を理解できるかどうか…でもできたんだな
小学1年生は流石に無理がありますよね。
せめて小6ぐらいの方がトラウマになると思うけどPTSD的なのにはなりにくいかもですね😢
俺は小6の時に広島旅行で行きましたが怖くてその日の夜のホテルは寝れなかったですが良い思い出です!
それぐらい戦争が怖いってのをこの先も伝わってほしいです😢
「怖かった」って記憶だけで終わりにしてほしくないって気持ちに納得した。
原爆が怖い物だなんて、元から知ってるし、ただ「怖い」って思うだけなんて行かなくたって誰でもできる。そうじゃなくて、被害にあった人の一人一人の生きた証、原爆の本当の惨さ、投下時やその後の実際の状況など、資料館でしか感じられない体験をもっとしてほしいって思ったんだろうな。
そして、「怖い」って感情だけで思考を停止しないで、さらにそこから自分なりに色々と感じて考えてほしいって願いがあったんだね。
このコメント見てすごく腑に落ちました。「怖い」で終わっちゃいけない。二度と繰り返さないために、一人一人が自分事として、考えるきっかけにして欲しい。そういう願い、意図に則ってのリニューアルですよね。
人形の撤去は残念に思います。はだしのゲンの作者も「原爆に対して嫌悪感を抱いて欲しい」と言っていました。子供や外国の方が展示物をじっくり見るのは難しくても、人形の姿から一瞬で原爆の恐ろしさが伝わったのではないでしょうか。
何か分かる。新しいプロデュースの怖い印象だけで終わって欲しくない意図は分かるけど
インパクトがあるからこそ、忘れないから思い出せるという利点がある
だからこそ、じっくり見ない人や海外の人にも一瞬で伝えられてたのではって思う
そもそもしっかり考える人意識する人は人形の有無関係ないし、考えない人意識しない人はインパクトが薄れると見た内容も忘れるのではと思う
広島の原爆資料館の人形は「子供達のトラウマになる。」という理由と被爆者の「原爆で瀕死の火傷をして広島の街をさまよっていた人々の姿はあんな生易しい姿ではなかった。」という声もあり、資料館の館長や学芸員も板挟みになっていたと思う。
あえて原爆死没者の遺品を見せて、訪問者が本当に原爆の恐ろしさを知ってくれたら、被爆者も浮かばれるかもしれません。
後に作者の悪意ある思想誘導も知ったがな、当時は漫画だからと思う程度だったが。
@@tigerbirkin
確かにはだしのゲンや、生前に中沢啓一さんが描いた戦争漫画は社会主義や共産主義を唱える人々にプロパガンダとして利用された感は否めませんね。
中学生の時に、広島の資料館に行きたいと母にお願いをしたら、資料館遠いいのに、次の日いきなり、学校休んで、広島いくよ!って言われました。
母親に車片道4時間以上かけて連れて行ってくれました。
戦争を知らない自分からすると、感じたことがないから、見たい!と興味だけがあり、学校で習う程度の戦争しか知りませんでした。
実際に見に行ったら、色んなことを考えさせられました。中学生ながら、死とはなにか。
人が1人居なくなるとどんな気持ちなのか。
戦争が起きて何が得れたのか。
何も生まれませんよ。
戦争なんて。
失うものしかないです。
人も経済も。住む場所も。楽しさも。生きることも。
失うだけ。
学んで欲しいです。
ウクライナとロシアの戦争も、日本に関係ないと感じてる人もいるかもしれないなと思っています。
戦争を知ることは、生きる術だとおもいます。
いいお母さん
20年近く前に修学旅行で行きました。記憶に残っているのは、人の影が焼き付いた石です。いろんな展示物のなかで最も怖かったし、それまで「死んだら天国に行くんだよ」「また生まれ変わるんだよ」と教わっていた言葉は悪いですが生温い死生観が、その時から「その瞬間に自分という存在が無くなるんだ」と変わった気がします。
ナイス原爆
@@原爆によるキノコ雲e7pは?
@@yuna12041 ?どうしたの?
@@原爆によるキノコ雲e7pそれはない
@@gorillamaru_1017 いえあります😂😂
こうやって被曝体験者、戦争体験者が取材を受けてくれるありがたさよ、、
戦争体験者の話を聞けるだけでも、貴重なことだと思います。
思い出すだけでも辛い、なのに取材を受けてくれることに感謝ですね。
確かに戦争体験者が今、年々亡くなっていってる為貴重です
近い将来ロシアと戦争になるかもしれませんよ
@@トラちゃん-z5b あるかもしれませんね。。
戦争をしない、させないという意味では未来を生きる私たちにとって非常に大切な知識になってくるね。
これだけの数の遺品を朽ちないように管理して、情報を集めて、展示のために整理して…って学芸員さんは本当に大変だと思う
学芸員さんのおかげで私たちは原爆の痛みを知れているんだな
いつもありがとうございます
初めて資料館に行った時は、すごい怖い人形がいたことが印象に残っています。そして、教科書だけでは分からない部分を知れてすごく良かったと今も感じています。
中国の南京にある資料館はもっとすごい。旧日本軍が一般人にした残虐非道な行為が遺品と一緒に展示されてる。やっぱりやった事は返ってくるんだと、現場資料館を見て思ったね。
台湾の台北市にある資料館はもっとすごい。中国人軍が強姦、強盗、殺人などの残虐行為を行った証拠が遺品と共に展示されている。やっぱり中国人の異常な思考は遺伝的な物だと思い知ったね。
今は日本の話してんだよ、散りな
@@SP-nt2od 情弱
@@SP-nt2od ua-cam.com/video/qHxDdtRBKKY/v-deo.html
子供の頃からいつか訪れたいと思っていたのですがなかなか行けず、今回このような形で見れて良かったです。行けない身としても、このように映像で残してもらえるのもとても有難いです。
長崎、広島は死ぬまでにいくべきです
見て泣きそうになった時がありました
私は今20代ですが。
被爆者の方のスピーチを聞いた時
自分の事のように痛くて苦しい
気持ちになりました。。
それぐらい戦争は辛いもので
どの世代になっても忘れてわいけないし
戦争は起こしてはいけない。。
この資料館は長い月日が経っても残して欲しいと感じました。
あの蝋人形みたいなのを展示しなくなったのがちょっと衝撃だな 小6であれを見てあの人形のインパクトが凄すぎてあれの記憶がすごい残ってる....
記憶に残るというのはいいことなんですが、人形が怖かったで終わってしまってはだめだと思うんですよね。お化け屋敷じゃないですから。実物展示は再現されたものではなくリアルですから、見た人に考えさせることができるんじゃないかと思います。
@@yutopok だし、実際に被曝した方が観たらもっと酷かったと言ってたそうです。実際より酷くないものを見て「怖い」何て言われたら被爆した方々たちからしたら「うーん」って感じですよね、
@@ateeeeeeeez 怖いと感じることは決して悪いことではないと思いますが、何が怖いのかですよね。ただ人形が怖いのでは意味がないと。原爆が怖いと感じさせるには、あの人形はインパクトが強過ぎて人形が怖いになってしまってたんだと思います。やはり再現ではリアルとの乖離が生じてしまうので実物を見てもらって感じてもらうのが一番でしょうね。
その怖いはあくまでお化け屋敷とかゾンビの人形と同じ怖さだよね
その当時の悲惨さは誰一人として受け取れてないよ
人形ではなくそこには名前のある一人一人が生きていたという被曝者の声からなくなったみたいですね。
子供にも戦争の残酷さが一目で伝わるというのはありますが、その気持ちもわかる気もします。
小学生低学年の時に行きました。今年高校生になる私ですが、キノコ雲と人形はまだ頭の中にしっかり残っています。
友達と泣きながら、残りの広島観光を過ごしたことを覚えています。
実物と写真があることで
歴史の彼方の「ギセイシャ」ではなく、
我々の暮らしと地続きの、
血肉のある我々と同じ「普通の人達」なのだということを意識させる。
確かに、悲劇のように語られすぎて、まるで自分とは違う世界の出来事のように感じてしまっていた自分の当事者意識の欠如を改めて痛感しました。
@@あやたそ-k7k 中学の合唱コンクールでよく歌われる「in terra pax」という合唱組曲があります。
よく歌われるのは最後の曲である表題曲である「in terra pax 地に平和を」という曲なのですが、全5曲ある組曲の第1曲めに「知った」という曲があります。
この歌はベトナム戦争のさなか、戦争を体験したことがない「太郎」という少年が父親や祖父から「遠い昔の物語」として「戦争」を聞くという歌なのですが、歌の最後に太郎少年が今戦地となっているベトナムと日本の空は繋がっているということに気づいて「遠い昔の物語」だった「戦争」が現実に存在する生々しい「リアル」であることに気づいて戦慄するというストーリーになっています。
機会があればぜひこの曲を聞いてみてください。おすすめします。
なんか…戦争の時代は白黒の色しか見えない写真とかが多かったけど、こう見ると、戦争の時代にもちゃんと色があったんだなって思う…。
大学生になって、去年改めて資料館を訪れた時、私は泣いて、しんどくなって、思わず外に出ました。1番大きく展示されたキノコ雲の写真の前で、私の友達は意識を失いました。小学生の修学旅行で来た時には抱かなかった重たい気持ちになりました。あの瞬間の現実を突きつけてくるのです。とても考えさせられる展示でした。
小学生の修学旅行の時は興味を持って観れていましたが、大人になった今はもう行けそうにないです…
原爆資料館、一度だけ行きましたが体調がおかしくなりました。体が無意識に拒否するほど恐ろしいです。もうこんなことはあってはならないし、伝えていかないといけないと思う。
白いブラウスが血で染ってピンクになってる遺品が生々しすぎる…今の情勢もそうだけど本当に胸が苦しい
9:50
洗っても落ちなかったのはとても気に入っていたからなのかな・・・
長崎の方に行ったけど、まるこげになった人の写真がいまだに頭から離れない。
戦争の話避ける人も多いけど、本当に学ばなければいけないよね
戦後77年を迎えるにあたり、目を背けたらダメですね。
@@真田信繁ゆきむら
ですよね。資料館に行っても、何これつまんないとか言ってる人いましたし、少しずつ知らないことが増えていくのかなと思うと怖いです
わたしが長崎に行った時(小学生の頃)は、まだ原爆で落ちた浦上天主堂の鐘が崩れたまま残ってました。
黒い雨で真っ黒になった聖母マリア像とか。
原爆が戦争を終わらせたとか言ってる奴らには腸が煮えくり返りました。
被爆3世の広島市民です。
確かに、館長さんの言うとおり、資料館を出て、怖かったで終わってしまうのは違いますよね。お化け屋敷じゃないんですから。実物展示に重点を置いたのは資料館の役目を考えたら納得です。
実物を、というなら、原爆と同じ熱線と爆風を再現するくらいまでやらなければ実感はし辛いだろう。
高校の修学旅行で改装後の原爆資料館を訪れさせて頂きました。前のものがどうだったかは分からないのですが、現在の展示品はどれも心の芯に訴えかけてくるような迫力がありました。皆真剣に見入っていたのが印象的です。また是非行かせて頂きます。
インスタ映え?
去年の11月に初めて行きました。
その日、修学旅行生が多くて
ほとんど見れなかったけど
唯一見れたのがやっぱり
あの三輪車と亡くなった方々の
衣服だったり、極わずかの遺品だけでしたがめちゃくちゃ心が痛くなりましたし、涙目になりながら見たりしました。
修学旅行の広島自主研修の一番最初に訪れたのが原爆資料館で、ご遺体は見つからなかったのに影だけが残ったら石を見てその後の昼食が喉を通らないほどの衝撃と共にショックを受けました。消して風化してはいけない、この現代に必要不可欠な場所だと思います。
今年の8月6日に26歳になります。
埼玉の人ですが祖父母が戦争経験者で、戦争の話は小さい頃からずっと聞いてきました。
もう2人とも天国に行ってしまいましたが、
8月6日は、色々な意味で私にとって大切な日です。
これからも変わらず埼玉から黙祷します。
子供の頃、資料館へ行ってとても怖かった記憶だけが残っています。この動画を見て、改めて資料館へ行きたいと思いました。
私自身は北海道生まれ育ちで高校の修学旅行で資料館に行きました。祖母の従姉妹が当時の広島で看護婦してたみたいで、被曝して行方不明になってしまったらしいんだけど、こんな恐ろしい思いをしたのかと思うととても胸が痛かったし涙が出た。また資料館に訪れたいと思ってる。
昔の話だけど、今と変わらない家族が居て、友達が居て恋人がいる生活は当時と変わらない。戦争は当たり前が無くなること。大切なものと共に生活する当たり前の毎日が今あることを忘れてはいけないです。
モノクロの写真を見るだけではその酷さは伝わりにくいところがあるから、色のある実物を見るというのは大切なことだと思う。
小学の時にリニューアル前を観させて頂いたが
非常に後の人生の転換点になったと今でも思う
良い人格形成に繋がった
幼稚園の時初めて資料館に行って人形を見ました。当時の私にとっては怖すぎて泣きながら母の服をつかみ下を向きながら進みました。「早く出ようよ!怖い!嫌!ねぇ!」と言いながら母はゆっくりと何も言わずに進んでいきました。すごく記憶に残っています。
多分館長さんが言う「怖い」だけで終わって欲しくないってのはそういうとこやと思うで
こないだ言った時は小さい子たちがまじまじと資料眺めよったし、静かやったよ
私は広島出身で8月6日は登校日であったり被爆者の話を聞く機会も多くあったり資料館のものもよく見た事のある遺品や写真でしたが、県外に出てからあんなにも原爆について学べたことは今でも貴重な経験だったと感じます。
あの当時、原爆なんて誰も知らないで悲劇に遭った人達は怖くて怖くてしょうがなかったはず、それを思うと胸が苦しくなります。あんな物を人の上に落とすなんて信じられない。
戦争をふっかけていたのだからしょうがないんじゃない?
じゃあ、今ロシアが核使っても問題無いですね、世界中が喧嘩吹っかけてるので。キッカケとしては当時の禁輸措置と同じじゃ無いですか?
@@hannibalbarca4908 喧嘩をふっかけているのはロシアだよ。何でそういう認識になる!?
あと状況が違うから、そう簡単に核を撃っていい話にはならないと思うけど。
@@kanclow4879 ハル・ノートなんて無理難題を押し付けて日本に無理矢理戦争をするしかない手段にさせたアメリカが大東亜戦争の原因
@@ppppp_jp ではアメリカが自作自演のような形で戦争を進行させて、原爆投下までのストーリーを描いていたということでしょうか?
母方の祖父だけ被爆し私は被爆3世として生まれました。夏になると平和学習と呼ばれる授業があり、祖父母に原爆体験を聞こうという宿題がありましたが、祖父は一度も語ってくれませんでした。この映像にあるようにあの日の記憶が蘇るのが嫌で母にも語ることなく、11年前この世を去りました。今思うとかなり惨い宿題を先生は出していたのかと大人になって気付かされました。私はまだ一度しか原爆資料館へ行ったことがなく、リニューアル後はまだ足を踏み入れていないので、夏に帰省した際に行きたいです。
広島にお邪魔させていただきあちこち行かせていただきましたが…。先生方にお話を聞かせていただくのですが誰を責める訳でもなくその場で起きた事実とその後の様子を淡々と説明してくださいます。それが余計にグッときていつも涙がただただ溢れ泣くしかできませんでした。平和の大切さから目をそらしていた自分に気付きました。世界平和を切に願います。
政治家が、いくら戦争をやめようと言っても、やっぱり経験者の方々の口から出る言葉の重さは測りきれないほど重いものだと分かります。。
小学校の時の修学旅行で広島へ平和学習に行かせてもらったことは本当に貴重な体験だなって感じた。大人になったら自ら行こうと思わないと行かないから、小さい時に先生に教わりながら行けてよかったと思う。
小2のとき、厳しくて怖い担任の先生が帰りの会の時に紙芝居をしてくれるのが楽しみの一つだった。夏休み前の最後の日にも紙芝居してくれて、始まる前みんなもいつも通り楽しみに待っていたら三輪車の紙芝居だった。1枚目、2枚目、3枚目...と話が進むごとにみんなシーンとなり、先生が泣きながら続けてくれた。最後に「もう何十年も前だしお前たちはまだまだ小さいから理解するの難しいだろうが、死んだらいけんよ。一度しかない命を大切にして日々生きている喜びや苦しさを感じなさい。」と話してたのがとても印象に残っている。あとで分かった話だが原爆で先生は身内を亡くしてたみたい。だからこそ俺たちに「命」というものを教えたかったのかな。
しんちゃんの三輪車ですか?
おじいさんが孫に、僅か三歳で被爆し亡くなった長男伸一君を思いだし語った物語。
あの日、伸一君が乗って遊んだ三輪車だけが今も残ってる。
@@真田信繁ゆきむら
名前はちょっと覚えてないけど恐らくそれだと思います。その後お盆に曾祖母の家族の墓参りに行って、知らない名前に戦死が刻まれており、祖母に確認したら叔父さん(曾祖母の兄)とのこと。当時、曾祖母に戦争のことや兄のことなど聞いたら、遠い昔のことだから忘れたと笑顔ではぐらかされました。認知症でもないのになんでだろうなと思ったら祖母いわく話したくないんじゃないかと。ちょうど広島で展示会?があり、祖母に連れて行ってもらい三輪車の実物を見ました。小2のガキでしたがガキながら色々くるものがあり、とても印象深い濃い夏になりました。
現在、曾祖母は存命で病気や認知症とかもなく毎日元気に自転車に乗って畑に行ってます。元気なうちに「戦争」というものを聞きたいと思っています。
戦後まだ76年しか経ってないのに、今までもどこかで戦争が起きて、今は戦争のニュースが放映されて、ひとつしかない同じ地球の中でなんでこんなにも何度も争わなきゃいけないんだろう。
なにが変わるかはわからないけど、世界中で毎日毎日小さな世界の曲を流し続けてほしい。
高校の修学旅行で平和公園と資料館を訪れさせていただきました。展示品や説明文を見て、とても心が苦しくなったのと同時に、なんとしてでも後世へ伝えていくべきだと強く思いました。
再び行き、学びを深めたいです。
やりきれない思いで悲しくなります。戦争は心と家族家親戚職場感情を失います。傷を作ります。原爆まで落とされて私は悔しく思います。77年何年たっても私はこの戦争が無くなるように祈ります。
@@LongIslandIced-Tea え!知らないの!?日本は戦争中真珠湾攻撃からさらに大和色々出して戦って第一次世界大戦の時は勝てたけど!第二次世界大戦の時は負けた!降伏をする為無差別殺人が全国に。そして原爆が2回投下されたのが!長崎広島と落とされました。そしてそのおとされた人は亡くなって逝ったです。苦しみながら。放射能浴びたです。その体中がわかりますか?人の跡形も無くなる体中やけど爛れる。水さえ飲まれなかったです。
あの人形はすごく記憶に残ってる、、
私達が何てラッキーな時代に生まれました改めて実感しました。もうこんな悲しい悲劇二度あってはいけない事心からお祈り願っています。これから私達が日本の平和守って行かなきゃ駄目だなて思いました。日本愛し続けます。頑張れ日本
たくさんの人が死んだの? なぜ日本は爆撃されたのですか?
@@LongIslandIced-Tea くだらない質問の前に、そのアカウント名で日本人に絡むのやめたら?どんなアホな奴が書いてるか容易く想像できる
修学旅行で行ってこんなにも酷いのかと知った。お腹に力を入れないと立てないほど圧迫感がありましたが、これをきっかけに原爆や戦争を知ることが出来ました。行って良かったです。
40代女性です。
広島市内で生まれ育ち、原爆のことについて小さい頃から勉強していたつもりですが、最近の人は、8月6日のサイレンが何なのかも知らないという方がいると聞くと、私たちよりもっと、戦争や原爆の話を実際に聞く機会が減っていることを実感します。
私は、8月6日は必ず、黙祷します。
私たちの世代では、当たり前でしたから。
これは、何があろうと変わらないと思います。
黙祷する人が少なくなったと聞いて、日常に戦争を意識することがなくなった、明日死ぬかもしれないという不安がなくなり平和な日常が続いている事で、原爆を映画の世界の様な非日常的な感覚で見てしまっている気がする。もちろん平和な世の中なのはものすごく良いことだし、これからもそうあってほしいと思うけれど、そんな世の中になったのは昔の人達が命懸けで日本を守ってくれたこと、犠牲になったことを忘れてはいけないし、犠牲になった人達の為にもこの平和な世の中を守らなければいけない義務が現代人にはあると思う。
"しんいちの三輪車"で英語の授業で内容を学びました。
本当に想像を絶する内容で心が痛かったですが、どれだけ辛かった現状だったのかを知ることができていい経験でした。
館の完成は世界から戦争が消え忘れ去られてやっと完成するのではないかと思います
見に行きたくなかったら行かなくていい
人形や展示物はこれからも大事にしていって欲しいです
貴重な動画をありがとうございました
学生の内に行かねばと思い大学4年の夏休みに行きました。
死に際に自身を救ってくれた人へ謝辞を、そして両親に感謝を述べ亡くなった青年の手紙が忘れられない。
動画内で仰られているように、本当に退館した後も考えさせられるような展示内容でした。
そして、その日の夜にホテルで不思議な体験をしたのも、今でも忘れられることができません。
何があったんですか?
資料館のどろどろに溶けた皮膚を再現した人形を幼少期に見て今も思い出せるくらい印象に残っています。
怖いものや恐ろしいものには目を向けたくない。子供には見せたくない。という親御さんもいらっしゃるかと思いますが、私は老若男女関係なくしっかり目に焼き付け原爆の恐ろしさを被爆体験のない私たちでもしっかり記憶すべきだと思います。なので印象に残りやすい実物展示はとても良いと思います。
私な中学生の頃修学旅行で広島に行く機会があったのですが、3泊4日という限られた時間の中で京都、奈良に行く都合上平和記念公園で合唱するだけで終わってしまいました。中学校の修学旅行で一番重要なことは原爆について知ることだと思っていた自分にとって、資料館に行けなかったことは今でもとても残念に思います。いつか絶対自分でお金を貯めて訪れようと思います。
白いブラウスがピンク色になった理由を聞いてさっきまで綺麗な桃色のブラウスで可愛いとか思えてた自分にゾッとした
幼稚園の年長だったけど人形が怖くて、戦争はいけないと思ったことを覚えている。静かな空間が独特な空気感に感じた。9年たって見て思う事も変わると思ったので改めてもう一度行きたいなと思った
黙祷をするのは僕だけって言葉刺さるよな
全然違う所に住んでいるけど幼い頃からこの時代の事に敏感で、例の時刻になれば黙祷したくて、でも中学生の時も今もいつも部活が被っていてもやもやしながら過ごしていた。
この気持ちはおかしなものではなかったんですね。昔は人々や車たちでさえも立ち止まり黙祷していた、というお話を聞いてふと思ったことです。
被爆者なき時代になっても、必ず意志を受け継ぐ若者はいます。どうか安心して頂きたい。そうやって受け継いで行くために何世代も何人も関わり、この時代までも残してくださってありがとう。頭が上がらない。
幼い頃に行くとたくさんの文字を見て当時のことに思いを馳せることは難しく記憶に残りにくい、あの人形は怖かったけど誰の目にも鮮烈に記憶に残って今でも当時を思い出せます。怖い、からこそ大人になってからも頭の片隅に残り続けました。撤去は残念でした。おどろおどろしくても実際はそれ以上。戦争は怖い核は怖い、そう思わせることが戦争を知らない世代には必要なのではと思いました。
小学生のときに入館しました。蝋人形が今でも記憶に残っています。日本で今後も大切にしていってほしい場所です。たくさんのことを教えてくれます。この動画もありがたいです。心が締め付けられました。戦争は絶対にだめ。
脳梗塞になって戦争の記憶も無くした広島出身の祖父と資料館へ行きました。原爆投下時は訓練兵として別の県にいたため、しばらくしてから広島に帰ったようです。車椅子に座り静かに見ていた祖父がなにもきっかけ無く嘔吐してしまった時、忘れていた記憶が思い出されたのかなと思いました。終戦までの話はたくさん聞いていましたが、広島の話はあまり聞いていなかったのが今となっては残念です。
遺品や写真は絶対必要なんです。
ですが、それらを見せていただくに当たっては亡くなった方々に、亡くなった時のお姿を『見せて頂いてるんだ』と言う自覚も必要だと思います。
誰も、素っ裸の火傷だらけ、傷だらけしまいには黒焦げの状態の姿を他人さらしたいとは思わないだろうし。
(表現がすこぶる悪くてすみません😣💦⤵️)
まして、後世の人に戦争するとこんな姿になると言われるのってどうかなって思う。
誰も、なりたくてなった訳ではない!
写真に写るのが自分なら他人に見られるのは嫌だな。
自分の血が付いたものを他人に見せるのも嫌だ。
破れかぶれてるから捨ててと言うかも。
写真に写る側の視点で見たら複雑ですよ。
ですが、見せて頂かないと戦争を知らない世代には、それがどんな残酷なものかは分からない。
言ってる事の矛盾は承知してます。
だから、自分が遺品とかお写真とかを見る時は『申し訳ありませんが、戦争の一部でも知るためにお姿を見させてください』と思いで見てます。
見る前に手も合わせる。
人として見られたくないだろう所を敢えて見せて頂いてる事を忘れたくない。
プーチンなどの現在戦争をしている人に是非見てもらいたい。
できれば自衛隊をはじめ、他国の軍の関係者にも見てもらって、いかに自分達の一番の任務である平和を守るという事が大事かを改めて知ってもらいたい。
んー、どうなんでしょうね?
根本的に他国同士の平和なんて頭に
なかったりして
ほんの一年前プーチンは、当時の米国による広島長崎への原爆投下は民間人のみをターゲットにしたジェノサイドだと強めの語気で批判してたけど、今思うと俺たちはより軍事的に核に使うというだけの合理化だったんだと理解した
@@行こマティ
“モノは言いよう“。
なのかも⁉️
人は変わらないよ
人の考え方は生まれたときにすべて決まっていて、
「○○で考えが変わった」てのは生まれたときからの決定事項
あなたのような心の綺麗で人を思いやり痛みを理解出来る人で世界が溢れることを祈るばかりです。
祈るばかりでは変えられないから、思いを届けて反映できるチャンスに繋がる行動は大切にしなきゃですね。
被爆者の方が、「蝋人形をみてもらいたい。あれは大袈裟でもなんでもなくああいう人達で溢れてたんだ。蝋人形を見るのはしんどいかもしれないがあの現実から目を逸らさないであげてほしい」とおっしゃってたのがとても印象に残ってます。
中学校の修学旅行で一度行きました。実際に被爆者の方のお話を聞かせて頂いて、15歳ながらに深い衝撃を受けたのをはっきりと覚えています。
展示が変わったんですね。今はコロナもあり神奈川に住んでいるのもあって難しいですがいつかまた絶対に訪れたい場所のひとつです。
僕は家から20分で行けます^^*
@@内田ユカ-i6o だからなんやねん
弟さんの姉さんにも生きて恋をして欲しかったってところ、ほんと心苦しかった、、本当に優しい方やったんやなって、、
この映像を見るだけで胸が苦しくなります。
その当時にこの世にまだ存在していなかった私ですが、聞いたり本で見たりとかで確認してました。
この映像から、その当時のことをしっかりとこの目で見たいと強く思いましたので、この原爆資料館に必ず出向かせてもらいます。
先月、初めて広島に行き、資料館も拝見しました。展示替えがあったことは知っていましたが実物展示というものは、グロテスクな表現はほとんどないのに、ここにこの人は「いた」のだと逆に強く心が締め付けられました。そしてコロナ禍であるのに、資料館やおりづるタワー、原爆ドームにはかなり多くの外国人の方々もいらっしゃいました。何が起きたのか目を逸らさずに知る姿勢を忘れてはいけないと改めて感じました。
一時期、絵や優しい表現ばかりで何も伝わらなかった展示だった時があった。
実際の写真を見てお化け屋敷だと思ってしまうような世代にこそ、現実を知らせるべきだと思う。お化けじゃないんですよ。現実に起こった事なんです。
絵や蝋人形ではなく、実物を飾ることに意味がある
全部飾ってて欲しかったな。
遺品も、遺影も、写真も、絵も、映像も人形も全て飾ってて欲しかった。
8月6日当日の写真は、数が少ない。
だから、当日何が起こったか人々の記憶を呼び起こして再現したのが、絵でしょ。
蝋人形も、実際の被曝者の記憶を元に造られたものだったでは?
資料館に来て、怖いと言う人はいますよ。
トラウマになる人もいるでしょう。
でも、その全部を見て怖いと思った事が現実に起こった事。
怖かった。
なら、再び同じ事を起こさない様にするにはどうすれば良いかを考え行動するべき。
そのとおり。現在の学芸員の主観は間違い。開館当時からの展示を残しておかないとだめです。
広島に旅行に行った時音声付きで原爆資料館を回りましたが、見終わった後にとても苦しい気持ちになりました。
本当に戦争はあってはならないと思いましたし、私が生まれた年が戦争で亡くなった子達の生まれ変わりとも言われていたのでより
戦争に興味を持ちました。どうか、今現在起こっている戦争が1秒でも早く収まりますように。
昔は怖がらせるだけのお化け屋敷みたいな展示方法だったよね。それ故に原爆ってものを避けてしまって、多くの人に知識として植えつけれなかったと思ってる。
まだ被爆者の方々から話を聞ける機会があったから伝えることができた部分が大きい。
今回の情に訴えかける形での展示方法本当に感情移入することができました。
子供の頃トラウマになり今でも見れません
@@らん-f7l 今は当時のお写真なんか見ても、この人のそれまでの人生とか、火傷の苦しみなんかを思うと心が痛くなるけど。小学校の頃は衝撃映像番組見るのと変わらない心持ちだった。怖い以外の考え何も残らなかった。
自分の体感だけど、改装してから照明が暗くなって、目を逸らしたくなるような写真が通路いっぱいに貼られたりして、もっと怖くなった気がする………改装前に慣れてたからかもしれないけど…
@@susuketakokoro そういう方もいるんですね。写真は減りましたよ。絵は増えましたが
自分は逆の考えです。
実際の写真を見てお化け屋敷だと思ってしまうような世代にこそ、現実を知らせるべきだと思う。お化けじゃないんですよ。現実に起こった事なんです。
絵や蝋人形ではなく、実物を飾ることに意味がある
戦争の残酷さとか恐ろしさとかが、今の時代になっても語り継がれてるのってホントにいいよね。
私も中学の頃あの人形がとても怖くて、印象に残っています。でも、それより衝撃だったのはその人形の前で「気持ち悪w」という嘲笑すら感じる物言いを耳にしたことです。その後展示の衝撃さとあの資料館でその物言いを耳にしたことに気分が悪くなったのを10年以上たった今でも思い出します。真剣にヒロシマに思いを馳せる場所を作って下さること、維持くださっていることに誠心誠意、足を向ける人は向き合うべきだなと思いました。
昔の記念館に行った人に感想を聞けば、「人形が怖かった」と言う人ばかりだった気がします。その感想ばかりで、小学生の私は修学旅行で記念館に行く前恐怖心だけを植え付けられていました。
「怖かった」ではなく、その感情から何を学びこれから先何を考えるのかの大切さを、前館長様やスタッフの方々、学芸員の方々の思いを伝えていただいたお陰で改めて痛感しました。
決してまた起きてはいけないことを正しく引き継ぐことの大切さを、再認識できる機会をありがとうございます。
小学6年生で人形の展示を見てトラウマになっています。気分が悪くなってしまい休憩室のようなところに連れて行ってもらいましたが、実際はもっとひどい状況なのに、気分が悪くなったことに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
10年前ですが、あの展示を見てからは戦争に関する感覚が変わった気がします。祖父の父親は広島の勤務地に向かっている途中でお弁当を忘れたことに気づき、住んでいた岡山にたまたま戻ったときに原爆が落ちた、ということをこの展示を見た後に祖父から聞きました。あの猛暑の8月の広島で今は亡き祖父が語っていた言葉は忘れません。
絶対に2度と起きてはいけないこと。いつか自分の子供ができて理解できる歳になったら連れていきたいと思います。
子供に見せるのは 少しキツいかもですね。中・高校生位になってから見れば
世界を見る目が 変わって行くでしょう。
今年の G7広島サミットで 各国要人と 特にアメリカ人(バイデン他 閣僚級多数)に
広島・長崎での 当時の悲惨な現状を写した 写真や動画と 復元した"人形"を じっくりと
見てもらわねば! 原爆が どれ程 残忍で・残虐で・無慈悲な 悪魔の兵器であったか、、を
目に焼き付けてもらいたい!
もし..自国が 焼け野が原になって、多くの民間人が 3000℃の熱で メルトダウンする
修羅場を 目の当たりにした..と想像すれば・・「戦争犯罪」の意味が解るだろう。
【6:25】この被爆者を再現した人形は、ずっと残しておいて欲しかったです。
何年も前に、初めて原爆資料館を訪れた時に一番印象に残ったのがこの人形でした。 合掌。
小さい頃から行ってみたいと思っていたので今回このような形でも見ることが出来て良かったです。
被爆者の方に話を聞きたいのに思い出させることが辛くて話を聞けません。なので、いつか必ず自らの足で行ってみようと思います。
長崎の資料館しか行ったことないんですけど、やはり衝撃でした。今でも覚えています。
いつか広島の資料館にも伺ってみたいです。二度とこんな出来事が起こらないよう祈っています
小学生の時聞いたので、言った奴らの名前は忘れたけど、当時原爆を投下した奴らだったと思う。
こんな事を言ってたな。
『広島は成功したが、長崎は失敗だった』と。
そりゃ、二つの爆弾は、種類も性質も全く違う。
長崎に投下されたファットマンの方が威力も破壊力もデカかった筈なのに、何もかも広島に劣ったと言わんばかりに言ってたアメリカのじいさん。
このアメリカのじいさん言葉を聞いて『ふざけんな‼️』と怒りが沸いた。
そんな奴らが、戦後に原爆をpeaceと言ってたんだよね。
小学校の時行った時展示物から伝わる悲惨さよりももっと悲惨な事が現実に起きたことが信じられませんでした。
周りの子達は泣き出す人や、目をつむってしまう人もいました。
先日展示内容が新しくなった原爆資料館を見学しました。番組に説明がある通り、展示方法、当時の状況、寄贈してくれた遺族の思いを丁寧に説明されており、じっくりみることができると同時にその人達がどれほど辛かったかと思うと涙が出る程です。そして日本人だけではなく、被曝された海外の方の遺品も展示されてあるのはとても印象的です。是非皆様も機会があれば足を運んでほしいです。
たとえ教科書から消えようとも
世の中から批判されたとしても
資料館だけは絶対に無くさないで下さい。
こんな表現適切じゃないかもしれないけど、
亡くなった方達の命がもったいない。
生きたかったはずの人々の魂を絶やしてはいけないと思います。
今では教科書で「原爆は終戦の為に仕方がないことだった」と誤った認識を植え付けています。
GHQの教育改革が現代にも大きな影響を与えている証拠ですね、嘆かわしいことです。
アメリカは 原爆による「破壊効果と人体実験、データ収集、軍事力の誇示」。
これを やりたさに・・当時の弱小国・日本を 実験台にしたんだろう。
広島・長崎への 原爆投下は "民間人"を一瞬にして 大量虐殺した
明らかな"戦争犯罪"だ。 日本に対して 何の前ぶれもなく いきなり原爆を
使った事は 許されるべきではない!この犯罪行為を 永久に伝え続けなければ!!
これをみると今こうやって生活できてるのがいかに幸せなのか実感できる
今、大学生で就職が近づいてきて、やりたいこと見つからなくて苦しかったけどこんな悩み比にならないくらいだ
こんなの幸せな悩みだと思ったし、頑張ろうって気持ちになった
小学生の時に広島に旅行して原爆資料館に訪れたことを今でも覚えています。音声案内のイヤホン片手に6時間以上一人で見ました。市内で買い物をして帰ってきた親がまだ見ていると仰天していたことを覚えています。子供にとってはすごく良い場所だと思いますし、日本人なら絶対に行くべき場所です。
修学旅行で資料館に行った時、最初に目に付いたのが三輪車でした
中には水筒があったりして、戦争がなければ今頃孫や曾孫に囲まれながら長寿を全うしていたのではないかと考え込み、涙が止まらなくなってしまって動けなくなってしまい友達に抱えられながら退出したのを覚えています。
もうこんなことが絶対に起きないで欲しいですね…
誕生日と同じ日なので学校で戦争の話を勉強してからは、誕生日が来るたび思い出します。
北海道でかなり離れているのでなかなか行く機会がないのですが
死ぬまでに1度は行きたいです。
被爆者の方や戦争時代を生き抜いた方々がいなくなってしまう世界をずっと恐れてきたが、資料館がある限り、人は忘れない…と願いたいので残り続けてくれていることに感謝
蝋人形のインパクトは10年くらい前だけど未だに忘れられないのよね……。資料館のものをより深く見るきっかけになったから残して欲しかったな。
30数年前に初めて行った際に
人形が衝撃的で今でも忘れられません
でも過剰ではなく事実も大切かと思います
ご寄贈いただいたご遺族ご家族に感謝申し上げます
つい最近母と見てきました。本当につらく恐ろしい記憶でした。平和に感謝すると共に広島で苦しんだ方々が来世では幸せにいてほしいと思いました。
原爆のことを学んだ際に、人形や絵本や映像でも「人間の体が溶けている描写」が一番恐ろしかったのを今でも覚えています。展示を見た後に自分の体を見て、比較してぞっとしました。
恐ろしいと感じることにはちゃんと意味があります。「怖かったね」だけで終わるはずがありません。悲惨な資料を目にした後、外に出て、平和な日常に戻って感じたのは「恐怖」ではありませんでした。
「あんな恐ろしいことが起こっていた衝撃」と「平和を生きられるありがたさ」です。
アメリカへの憎悪なんかも無く、ただただ戦争の無意味さを感じると同時に、原爆への嫌悪感を抱きました。当時の小学生(私)がそうでした。
過剰であろうがなかろうが、人間の体が原形をとどめられなくなるのは確かだと思います。
あんな目に遭いたい人なんて一人もいません。
国や人種関係なく、この悲惨さは一度でいいから目にし、心に留めておくべきだと思います。
ここに行くために広島にいきました。
今は分かりませんが、当時入館料が50円でした。
館内の説明をしてくれた広島の方々をはじめ、日本人に生まれてきたのなら、一度は訪れて欲しい感じる場所でした。
毎日何気なく過ごせる平和を守るのは、今を生きる私たちの使命です。
子供の頃は機会がなかったのですが、大人になってからいくつかの戦争関係の資料館に足を運びました。衣服や日用品、写真など実物の展示では「私たちが今生きているのと同じ日常の中で、戦争は起こったのだ」と強く感じさせられます。
戦争は別の恐ろしい世界の出来事ではなく、そこにいたのは自分達と同じふつうの人間なんだと実感させられる実物展示はとても意味のあるものだと思います。
原爆資料館どころか長崎も広島も行ったことがない人間だけど、正直作り物の展示とか活字や映像の資料とかって戦争を体験した人が身内に居ない(生まれる前に亡くなった)私にとっては、あまりにも非日常過ぎて物語を観てるような気分になってしまうから、こういう展示の方が良いなって思う
高校の修学旅行で行かせていただきました。同級生が足早に館内を通り過ぎる中、私は館内に入った途端の異質さに鳥肌が立ったのを覚えています。一つ一つの展示が、情報が飛び込んできて、スケジュールの時間だけでは、とても理解ができないものなのだと感じました。時間になり、次のスケジュールに移ったのですが、その日は一日中原爆資料館のことで頭がいっぱいでした。
次は、個人的に原爆資料館に行き、時間をたっぷりと作り、一つ一つ噛み砕いて心に落とし込んで館内を回りたいです。
リニューアルしてからは行けてないですが、なるべく行くようにしています。
最後に行ったときにアメリカから旅行できた家族と隣どおしになり、少しお話をしました。
自分は広島の出身だと答えると向こうのお母様が涙を流しながら、ごめんなさいごめんなさいと英語で言われた時、涙が止まりませんでした。
100%この人は悪くない。
全く悪くない。
広島に来て資料館に来てくれた事、心が動いた事。
その後その家族にお好み焼きをご馳走しました。
素晴らしい笑顔でした。
コロナもあるし、もう日本にはこないかもですが。
また会いたいものです。
平和だからこれが出来る。
私も海外の人を見かけました。
なんというかわざわざ足を運んできたと思うと考えるものがありますよね。
昨日40年ぶりに行きました。戦争は全てを狂わせる...
遺品や写真を見るたびに涙が溢れてきました。
食べることが出来なかったお弁当、天国でも遊べるように三輪車とヘルメット...
世界中の人々に見てもらい平和の大切さを伝えていってほしい。