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「尾形には何が足りなかったのか」←→「鯉登はなぜ人の光たり得るのか」っていう作劇上の答え合わせみたいな対比なのかなって
誘拐時の背中よしよし、漫画で読んだ時には「可哀想にな…お前も俺と一緒だな…」って感じで同情とか慰めの意を込めてなでなでしたのかと思ってたんだけど、アニメだと「ざまァ‼️‼️‼️おつ‼️‼️笑」って感じでバァンっ‼️って背中叩いてて あっそういう感じなのね!っなった
作者曰くあの時の尾形は、ものすごい笑顔だったそうなw
誘拐事件の時実は布マスク下の尾形がめっちゃ笑顔だったっていうのが尾形っぽいなって思った
何より皮肉なのは社会的地位もバックボーンも鯉の方が遥かに上なのに、「魚と猫」だという事
父の本妻に男児が生まれても、二人に等しく愛情を注いでいれば、尾形には又別の人生があったのだろうか。音之進は兄が亡くなっても両親から愛された。育った環境の違いが何ともツラい。
尾形自身が「親の愛を知らずに育った人間なんて、こんなもんだよな?」って自嘲しながら生きてたっぽいしなぁ。
鯉登くんは尾形が抱いてる「祝福されたものは清い」という価値観を真っ向から否定する存在だったのかなと。だから尾形は無意識下で防衛本能が働いてあまり関わらなかったのかな…鯉登くんと勇作殿って出自も育った環境も結構似てるんだけど、勇作殿は人を殺してはいけない。鯉登くんは任務なら人を殺せる。勇作殿は清しか飲み込めないけど鯉登くんは清濁すらも飲み込める。勇作殿は「旗手」としての価値観が強く、鯉登くんは「上官」としての価値観が強かったようなイメージこんなにも違うから、尾形はギャップに苦しんでたのかも
この考察とても参考になりました
山猫発言への反応が多くてびっくりしてる現代のコンプラが特別に厳しくなってるだけで、明治時代の身体を売ってる人間への差別意識は今よりもはるかに高かっただろうし、単純に鯉登の潔癖な性格・立場・育った環境を考えてもそういう世界とは縁がなかっただろうから、ああいう言い方になっても全く自然に思う
尾形ファン多いから・・・
なんなら尾形が先にボンボン発言してるからねそりゃ鯉登も山猫って言うよ
皆よしよしからの反撃大好きで嬉しい笑この2人の対比すごく好き
わかり合うにはあまりに環境と精神が違い過ぎる。水と油って表現が似合う。
現代ならともかく、当時は今ほど「何があっても差別はダメ!ゼッタイ!」って意識は徹底されていなかっただろうし、山猫発言にそこまでの違和感はないかな。
確かに一見何も無かった様に思えるかも知れないけど、尾形の「バルチョーナク」と言う台詞が鯉登少尉が鶴見劇場に気付くきっかけになってるから全然何も無かった訳じゃないと思います
最初はボンボン丸出しで山猫と蔑んでいた尾形のことを、月島の告白を聞いたら父上への思いゆえかみたいに言ってたのが育ちのよさと成長を感じた。山猫呼びの場面、杉元と月島は理不尽な理由から除け者にされる気持ちはわかるから尾形は気に入らないけど山猫呼びには乗らないんだよな。
あのよしよししたの尾形だとするならあの時までは父親に翻弄されるところに共感したからなのかもしれないなぁ。まぁ、結局もすパパは助けに来たわけで。やはり自分だけが愛されない環境で生きていて結果鯉登は愛されてるからこいつも……からのバルチョーナクだったのかね。"お前も愛されてる側かよ"という。でも尾形はいつまでも推し。
リアルでも嫌いあってる相手とはさほど絡まないしそういうもんかなと
山猫発言は確かに未熟な頃のエピソードやな。まあ芸者にポジティブなイメージは無かったのかもなとも思ってしまう
幼少時代に母親が尾形をちゃんと見てくれてたらまた違ったんだろうか。
祝福されてそだったこどもと祝福されずかけた人間として生きるしか無かったこども どっちも歳の割にはこどもっぽいけど鯉登は最初のころだけど甘やかされて精神的に甘ったれで大人に成長していないこども尾形は、甘やかしてくれる大人がいなくて、愛情欲しくて、無自覚に甘ったれで、愛情不足のまま、大人になってしまったこどもにみえてすごい対比でかかれてるなぁって感じた
ただ尾形が鯉登を一方的に嫌ってただけで、尾形が普通なら良好な関係だったと思う。鯉登のヤマネコ発言も生まれへの差別よりも尾形の在り方や言われ続けた陰口、裏切りへの怒りが強そう。
画像に二次創作混ざってんな
個人的な感想だけど尾形は友達や自分を愛してくれる人が欲しかったんじゃないかな?ただ、その受け止め方を知らない為に突き放す。友達付き合いの作れない、愛される事がない子供のまま、こじらせて大人になったんだろうな。
現代のポリコレとか表層的な部分の意見やんそれはw山猫発言はやめて・未熟なこども は読めてなさすぎ 笑本当は家族から愛されたい尾形にとって、鯉登は自分よりも出自が良いから嫌いなのはあるだろうけど、鯉登に山猫と呼ばれても気にならないだろ。。むしろ鯉登とか士官学校の人に「尾形の出自をバカにするな」とかいう方が尾形は辛いだろうよ尾形が好きな読者はそれはそれでいいけど、尾形を理解できる立場ではないのに愛してあげたいという気持ちが先行してる感あるな
すごい綺麗な対比
不倫はいかんなと思った(当時の価値観とかは置いておいて)
尾形が鯉登にちょっかい出すからだろしかし一番最初、尾形が杉本に半殺しにされて川に沈められたのは以外だ
スチェンカでダウンしてる尾形みると妥当だとは思う最初だから強さが定まってなかっただけかもしれんが
@@穴堀進 スナイパーだから近距離戦はそこまでなんだと思うバランスとれてて好き
幸次郎(花沢中将)と平二(鯉登パパ)が同郷の幼馴染みで平之丞(兄さぁ)と勇作殿と鯉登少尉も幼馴染みだった事を考えると尾形母のトメさんにはキツい事だけど、明治時代当時の慣習に従ってトメさんと尾形の母子に本邸の離れを与えて妻妾同居(実際に当時は正妻を母屋に、妾を離れに住まわせ同じ敷地内というか1つ屋根の下で暮らさせる事が普通に多々あり常識化していた)をさせるか、トメさんを女中の1人として屋敷に入れて尾形は赤ん坊の内に生後40日ぐらいで戸籍上でも実質的にも正妻のヒロさん(勇作殿の母)に預けて正妻の子供という体裁にしちゃえば花沢兄弟&鯉登兄弟で幼馴染みとして仲良く育った可能性が高かっただろうに…と思う。当時の皇族や公家や武家、何だったらそこらへんの商家や地主の家ですら「ずっと自分を正妻の子だと思い、正妻を母と呼んで普通に親子として過ごしてきたけど、中学に上がる頃に実は母は養母で自分と血の繋がりはなく、生母は女中や乳母や下女として家に仕えていた下働きの女だと知ったが、特に母と呼び改める事も無く今まで通りに現在も名前を呼び捨てにし、普通に細々した用事を言いつけて下女として扱っている。」という人がゴロゴロいる。というのも、当時の人々が残した日記に「だって、あっち(生母)も気にした様子が無いし、怒ったり悲しんだりする様子もなく『はい、坊ちゃまorお嬢さま、どうなされました』と返してニコニコしているから悪い事とも思わない。親孝行の1つとして道徳に従って温泉や旅行に連れ出したりはするし、老後も生活の面倒はみるが、妾や側室は家に仕える奉公人という感覚だから、墓も別だし、長年ずっと我が家に奉公してくれた事に報いなければという感覚が強くて、母親という感覚は薄い。やはり自分の母は父の正妻である養母ただ1人だと思っている。」と書かれているから、このへんの事はハッキリ分かっている。尾形の精神が病んだのは幸次郎がトメさんをそういうふうに世話する事なく完全に捨てた事と「母親を捨てた父にいつまでも縋る必要は無い」と自分の身の上を割り切る事が出来なかった事、トメさん自身が幸次郎の恋人や妻の立場にこだわってしまった事が原因かな。民俗学の本を読んでいると当時のムラ社会では古代や中世と変わらぬ歌垣や夜這い、来訪神(客人信仰)の風習が残っていて子供は旅人や流れ者、他の村の者などフラッと村に立ち寄ってすぐに去っていく一期一会で会った者からの授かり物で、基本的に母親とは母親の実家や郷里に属する物であり村のみんなで育てるべき子供という考えが根強かったと書いてある事が多い。だから、明治時代の人達の感覚なら本当は幸次郎から養育費をもらわず村に帰った時点で「百之助の父親って都会の偉い軍人さんらしいな?」「へー、そうなんけ。でも百之助は村の生まれじゃし、そんな軍人さん見たことも無ぇからオラ達にも百之助にも関係ねぇ話だな。姿形も見えねぇ音沙汰も無ぇんじゃ、ただのよそもんじゃ。」ってくらいの軽い扱いで噂話になりもせず村の子供達の1人として受け入れられ、特に冷やかしや嘲笑の対象にもならず若い衆の1人として村人達と一緒に農作業や祭りに参加したりしながら普通にトメさんの故郷の村の村人として尾形は生涯を終えるはずなんだよな。そもそも江戸時代から貧しい村の娘が遊郭に働きに出たり子供を連れて村に帰る(なんなら実家に子供を実家に置いて同じ村の男というか他家に再婚するとか)もあるあるだった訳だから、特に珍しい境遇の子でも恥のように見られる立場の子でもなかったはずなので、ゴールデンカムイの中での尾形の父親に対する感情ってちょっと明治期においてはファンタジーというか現代的なところがある。
尾形は鯉登に限らず、絶えず対比されてるんよ、色んなキャラで。
尾形が薩摩と茨城のハーフだってのをたまに忘れそうになる。えっ、まっ、てそうかあいつ半分薩摩かってなる。ぜんっぜんそう見えない。鯉登少尉が何となく思い描くテンプレの薩摩隼人そのままだからかも。氏より育ち、か…。尾形のおっかさん、女衒に売られたクチなのか、それともスヴェトラーナみたいに都会に憧れて出てきたのかが凄く気になっている。
遊女以外に女衒が絡むのかはわかりません。まず誰かの弟子になって三味線とか業界のあれこれを習うのでは。本来、芸は売っても体は売らないのが芸者の誇りの筈なので、客と寝て子を産んだ尾形の母トメさんは現役時代は同じ芸者仲間からも蔑まれてた可能性はある…。が、それだけトメさんが惚れ込んでいたという事でもある。
優れた男だから、敵視されちゃうんだよね
普通に、アシリパさんのこと、かわいいと思ってたよね
「尾形には何が足りなかったのか」←→「鯉登はなぜ人の光たり得るのか」っていう作劇上の答え合わせみたいな対比なのかなって
誘拐時の背中よしよし、漫画で読んだ時には「可哀想にな…お前も俺と一緒だな…」って感じで同情とか慰めの意を込めてなでなでしたのかと思ってたんだけど、アニメだと「ざまァ‼️‼️‼️おつ‼️‼️笑」って感じでバァンっ‼️って背中叩いてて あっそういう感じなのね!っなった
作者曰くあの時の尾形は、ものすごい笑顔だったそうなw
誘拐事件の時
実は布マスク下の尾形がめっちゃ笑顔だったっていうのが尾形っぽいなって思った
何より皮肉なのは社会的地位もバックボーンも鯉の方が遥かに上なのに、「魚と猫」だという事
父の本妻に男児が生まれても、二人に等しく愛情を注いでいれば、尾形には又別の人生があったのだろうか。音之進は兄が亡くなっても両親から愛された。育った環境の違いが何ともツラい。
尾形自身が「親の愛を知らずに育った人間なんて、こんなもんだよな?」って自嘲しながら生きてたっぽいしなぁ。
鯉登くんは尾形が抱いてる「祝福されたものは清い」という価値観を真っ向から否定する存在だったのかなと。だから尾形は無意識下で防衛本能が働いてあまり関わらなかったのかな…
鯉登くんと勇作殿って出自も育った環境も結構似てるんだけど、勇作殿は人を殺してはいけない。鯉登くんは任務なら人を殺せる。
勇作殿は清しか飲み込めないけど鯉登くんは清濁すらも飲み込める。勇作殿は「旗手」としての価値観が強く、鯉登くんは「上官」としての価値観が強かったようなイメージ
こんなにも違うから、尾形はギャップに苦しんでたのかも
この考察とても参考になりました
山猫発言への反応が多くてびっくりしてる
現代のコンプラが特別に厳しくなってるだけで、明治時代の身体を売ってる人間への差別意識は今よりもはるかに高かっただろうし、単純に鯉登の潔癖な性格・立場・育った環境を考えてもそういう世界とは縁がなかっただろうから、ああいう言い方になっても全く自然に思う
尾形ファン多いから・・・
なんなら尾形が先にボンボン発言してるからね
そりゃ鯉登も山猫って言うよ
皆よしよしからの反撃大好きで嬉しい笑
この2人の対比すごく好き
わかり合うにはあまりに環境と精神が違い過ぎる。水と油って表現が似合う。
現代ならともかく、当時は今ほど「何があっても差別はダメ!ゼッタイ!」って意識は徹底されていなかっただろうし、山猫発言にそこまでの違和感はないかな。
確かに一見何も無かった様に思えるかも知れないけど、尾形の「バルチョーナク」と言う台詞が鯉登少尉が鶴見劇場に気付くきっかけになってるから全然何も無かった訳じゃないと思います
最初はボンボン丸出しで山猫と蔑んでいた尾形のことを、月島の告白を聞いたら父上への思いゆえかみたいに言ってたのが育ちのよさと成長を感じた。
山猫呼びの場面、杉元と月島は理不尽な理由から除け者にされる気持ちはわかるから尾形は気に入らないけど山猫呼びには乗らないんだよな。
あのよしよししたの尾形だとするならあの時までは父親に翻弄されるところに共感したからなのかもしれないなぁ。まぁ、結局もすパパは助けに来たわけで。
やはり自分だけが愛されない環境で生きていて結果鯉登は愛されてるからこいつも……からのバルチョーナクだったのかね。"お前も愛されてる側かよ"という。でも尾形はいつまでも推し。
リアルでも嫌いあってる相手とはさほど絡まないしそういうもんかなと
山猫発言は確かに未熟な頃のエピソードやな。まあ芸者にポジティブなイメージは無かったのかもなとも思ってしまう
幼少時代に母親が尾形をちゃんと見てくれてたらまた違ったんだろうか。
祝福されてそだったこどもと
祝福されずかけた人間として生きるしか無かったこども
どっちも歳の割にはこどもっぽいけど
鯉登は最初のころだけど甘やかされて精神的に甘ったれで大人に成長していないこども
尾形は、甘やかしてくれる大人がいなくて、愛情欲しくて、無自覚に甘ったれで、
愛情不足のまま、大人になってしまったこども
にみえてすごい対比でかかれてるなぁって感じた
ただ尾形が鯉登を一方的に嫌ってただけで、尾形が普通なら良好な関係だったと思う。
鯉登のヤマネコ発言も生まれへの差別よりも尾形の在り方や言われ続けた陰口、裏切りへの怒りが強そう。
画像に二次創作混ざってんな
個人的な感想だけど尾形は友達や自分を愛してくれる人が欲しかったんじゃないかな?
ただ、その受け止め方を知らない為に突き放す。
友達付き合いの作れない、愛される事がない子供のまま、こじらせて大人になったんだろうな。
現代のポリコレとか表層的な部分の意見やんそれはw
山猫発言はやめて・未熟なこども は読めてなさすぎ 笑
本当は家族から愛されたい尾形にとって、鯉登は自分よりも出自が良いから嫌いなのはあるだろうけど、鯉登に山猫と呼ばれても気にならないだろ。。
むしろ鯉登とか士官学校の人に「尾形の出自をバカにするな」とかいう方が尾形は辛いだろうよ
尾形が好きな読者はそれはそれでいいけど、尾形を理解できる立場ではないのに愛してあげたいという気持ちが先行してる感あるな
すごい綺麗な対比
不倫はいかんなと思った(当時の価値観とかは置いておいて)
尾形が鯉登にちょっかい出すからだろ
しかし一番最初、尾形が杉本に半殺しにされて川に沈められたのは以外だ
スチェンカでダウンしてる尾形みると妥当だとは思う最初だから強さが定まってなかっただけかもしれんが
@@穴堀進
スナイパーだから近距離戦はそこまでなんだと思う
バランスとれてて好き
幸次郎(花沢中将)と平二(鯉登パパ)が同郷の幼馴染みで平之丞(兄さぁ)と勇作殿と鯉登少尉も幼馴染みだった事を考えると尾形母のトメさんにはキツい事だけど、明治時代当時の慣習に従ってトメさんと尾形の母子に本邸の離れを与えて妻妾同居(実際に当時は正妻を母屋に、妾を離れに住まわせ同じ敷地内というか1つ屋根の下で暮らさせる事が普通に多々あり常識化していた)をさせるか、トメさんを女中の1人として屋敷に入れて尾形は赤ん坊の内に生後40日ぐらいで戸籍上でも実質的にも正妻のヒロさん(勇作殿の母)に預けて正妻の子供という体裁にしちゃえば花沢兄弟&鯉登兄弟で幼馴染みとして仲良く育った可能性が高かっただろうに…と思う。
当時の皇族や公家や武家、何だったらそこらへんの商家や地主の家ですら「ずっと自分を正妻の子だと思い、正妻を母と呼んで普通に親子として過ごしてきたけど、中学に上がる頃に実は母は養母で自分と血の繋がりはなく、生母は女中や乳母や下女として家に仕えていた下働きの女だと知ったが、特に母と呼び改める事も無く今まで通りに現在も名前を呼び捨てにし、普通に細々した用事を言いつけて下女として扱っている。」という人がゴロゴロいる。
というのも、当時の人々が残した日記に「だって、あっち(生母)も気にした様子が無いし、怒ったり悲しんだりする様子もなく『はい、坊ちゃまorお嬢さま、どうなされました』と返してニコニコしているから悪い事とも思わない。親孝行の1つとして道徳に従って温泉や旅行に連れ出したりはするし、老後も生活の面倒はみるが、妾や側室は家に仕える奉公人という感覚だから、墓も別だし、長年ずっと我が家に奉公してくれた事に報いなければという感覚が強くて、母親という感覚は薄い。やはり自分の母は父の正妻である養母ただ1人だと思っている。」と書かれているから、このへんの事はハッキリ分かっている。
尾形の精神が病んだのは幸次郎がトメさんをそういうふうに世話する事なく完全に捨てた事と「母親を捨てた父にいつまでも縋る必要は無い」と自分の身の上を割り切る事が出来なかった事、トメさん自身が幸次郎の恋人や妻の立場にこだわってしまった事が原因かな。
民俗学の本を読んでいると当時のムラ社会では古代や中世と変わらぬ歌垣や夜這い、来訪神(客人信仰)の風習が残っていて子供は旅人や流れ者、他の村の者などフラッと村に立ち寄ってすぐに去っていく一期一会で会った者からの授かり物で、基本的に母親とは母親の実家や郷里に属する物であり村のみんなで育てるべき子供という考えが根強かったと書いてある事が多い。
だから、明治時代の人達の感覚なら本当は幸次郎から養育費をもらわず村に帰った時点で「百之助の父親って都会の偉い軍人さんらしいな?」「へー、そうなんけ。でも百之助は村の生まれじゃし、そんな軍人さん見たことも無ぇからオラ達にも百之助にも関係ねぇ話だな。姿形も見えねぇ音沙汰も無ぇんじゃ、ただのよそもんじゃ。」ってくらいの軽い扱いで噂話になりもせず村の子供達の1人として受け入れられ、特に冷やかしや嘲笑の対象にもならず若い衆の1人として村人達と一緒に農作業や祭りに参加したりしながら普通にトメさんの故郷の村の村人として尾形は生涯を終えるはずなんだよな。
そもそも江戸時代から貧しい村の娘が遊郭に働きに出たり子供を連れて村に帰る(なんなら実家に子供を実家に置いて同じ村の男というか他家に再婚するとか)もあるあるだった訳だから、特に珍しい境遇の子でも恥のように見られる立場の子でもなかったはずなので、ゴールデンカムイの中での尾形の父親に対する感情ってちょっと明治期においてはファンタジーというか現代的なところがある。
尾形は鯉登に限らず、絶えず対比されてるんよ、色んなキャラで。
尾形が薩摩と茨城のハーフだってのをたまに忘れそうになる。えっ、まっ、てそうかあいつ半分薩摩かってなる。ぜんっぜんそう見えない。鯉登少尉が何となく思い描くテンプレの薩摩隼人そのままだからかも。
氏より育ち、か…。
尾形のおっかさん、女衒に売られたクチなのか、それともスヴェトラーナみたいに都会に憧れて出てきたのかが凄く気になっている。
遊女以外に女衒が絡むのかはわかりません。まず誰かの弟子になって三味線とか業界のあれこれを習うのでは。
本来、芸は売っても体は売らないのが芸者の誇りの筈なので、客と寝て子を産んだ尾形の母トメさんは現役時代は同じ芸者仲間からも蔑まれてた可能性はある…。が、それだけトメさんが惚れ込んでいたという事でもある。
優れた男だから、敵視されちゃうんだよね
普通に、アシリパさんのこと、かわいいと思ってたよね