終戦企画【魂の早稲田大学校歌 / 早稲田健児、出陣す】沢木麻衣の文化講座
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- Опубліковано 10 лют 2025
- あの戦争で、多くの学生が戦場に赴きました。
早稲田も多くの学生が出征します。
昭和18年9月10日に行われた早稲田大学出陣学徒壮行会では、出征する先輩と、見送る在校生全員が、張り裂けんばかりの大声で早稲田大学校歌を大合唱しました。
輝くわれらが 行く手を見よや
※動画で、早稲田の出陣学徒壮行会の実施年月日が「昭和20年9月10日」と記されていますが、正しくは「昭和18年9月10日」の誤りです。
父が学徒出陣しました、都の西北を聞くと、鳴いてました、なくなった友を思い出したと今わかりました。ありがとうございます
二度と生きて還って来ることはない、将来の夢も希望も捨て、日本国にたったひとつしかない命を捧げる。そんな覚悟で出陣。そして学舎を後に皆で校歌を合唱。まさに魂の校歌だ。
私もそう思います。勇壮で悲愴、胸が熱くなる映像ですよね。
先人の覚悟にくらべたら、目の前の壁、苦労、悩みなんか、屁のかっぱ。
先輩に笑われないように、毎日、命懸けで精進して早稲田大学に学んだものとして少しでも世の中のためになりたいです。
過日、60歳で、定年退職しましたが、まだまだ、灰になるまで世のため人のために走ります。
「世のため人のためになりなさい。」は、37年前の西原総長の卒業式でのお言葉です。
永年勤続お疲れさまでした ^-^
「征く人のゆき果てし校庭に音絶えて木の葉舞うなり黄に輝きて」学徒出陣後に女子学生が詠んだ詩です。 神宮でも出陣する早稲田大学の学徒に対して突如校歌が湧きおこったと言われています。どんなときにも「都の西北」が心を一つに結び付けます。早稲田大学校歌を紹介してくれてありがとう。是非、早稲田に進むとよいです。こんな素敵な大学は他にはありません。
大学に進学することが珍しかった時代、当時の大学生は今とは比較にならないくらい、郷里の期待を背負って入学した優秀な人達だったわけで。
そういう前途有為の人材まで動員して死なせなければならない国になってる時点でもう負け戦なんだよな。
『都の西北』について印象的なエピソードがある。
昭和17年、衆議院議員であった中野正剛は、東条英機に反発して
母校の大隈講堂で後輩たちへ東条弾劾の演説を行った。
早大生たちはこれに応えて都の西北を合唱。
その熱狂凄まじく、講堂に配備されていた東条配下たる憲兵隊員は斉唱を阻止することはできなかったという。
後の総理大臣竹下登はこの会場で中野の雄弁に魅了されて政治家を志したという。
戦争に向かう者を鼓舞した都の西北だけではなく、強大な政治権力へ対する気骨を示したのもまた都の西北であった。
貴重なエピソード紹介、ありがとうございます。
もしかすると憲兵隊員の中には早稲田を志した人間がいたのではないか?内心、俺はこの中に入りたいと真剣に考えていた、かもしれない。
祖父が理工学部の設立にあたり、父も理工学部学生であったために、このときに大学に残りました。先日、前総長と久しく話をさせていただきました。良くこの時のことは御理解されていました。
早稲田の校歌この音源が一番好き
かと思ったら音源の動画消されてる…結構ショック😭
天才バカボンを観て校歌を知っている人も多いのでは?
集まり散じて、、人は変われど。。
コロナ時入学の子らがかわいそうと思ったが、彼らの無念はその比ではないな。
今の平和をありがたく噛みしめるとともに・・・岸田しっかりしろ!
なみだがでてくる
最後の校歌の音源どこからですか?前UA-camにアップされてたものが消されてたので聞きたいので
昭和20年9月10日❓
早稲田大学法学部進学おめでとうございます‼️茨城県立境高校蛍雪応援団一同
すみません
昭和20年ではなく、18年です。
はい、説明文で誤りを指摘しております。ただ動画の方は変更しようがなかったのでそのままですが... 紛らわしくて申し訳ございません...
それ程にあの戦争が遠くなったということなんでしょうなあ。
りそうとげんじつのぎやつぷはせつない
せんじんのゅうかんしやにはあたまがさがる
壮行会で歌われた校歌の歌詞は、3番目のものでしょうか?。(ドキュメンタリー映像の歌詞と現在の歌詞文が
違う様なので)
これをむねんにおわらせてはいけない