「名列車で行こう#60」未来から来た電車?営団6000系のお話「鉄道列伝#60」
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- Опубліковано 5 лют 2025
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/ @watagasi583tv
画像素材 ワタガシ「投稿者」 Wikipedia 裏辺研究所様 フォト蔵 様
音源 甘茶の音楽工房 様
写真関連の著作権問題回避のためなりべく自分が撮影した写真を使用し、無い場合は例えの画像を使用しています。よろしくお願いいたします。使用している私が所持せず引用している画像は全てフリーや直接貸して頂いた画像です。鉄道写真において撮影地などがある程度固定され、同じような写真が多い中でしかもほとんどが(第三者が作った車両という人工物を狙った)画像だと完全な創作物とは言えないのでは?と言うのが個人的な見解です、しかも撮影されてから50年は経過しているものは特に、使用している画像が疑問に思ったら上記に記載しております所にそもそも無断で投稿されているのでこの動画ではなくこれらフリーサイトに通達お願いします。
プラレールの地下鉄と言ったらコレでした。懐かしいです。
小田急線に乗ろうとしたらこの電車がやって来て、本当に未来の電車に見えて全身鳥肌たったの覚えてる。
06系:「…みんな…ボクの事も、時々で構わないから思い出してね…(涙)」
乗れたら凄くラッキーな気分にさせてくれた06系の事は忘れない絶対に。
いままで忘れていたけど。
207-900 209-1000 と並んでネタ車天国を形成してたのは忘れようもない
06系はなぁ…
座席数に違いがあって朝のラッシュで始発待っているときに並んでる順番によっては06系の時だけ座れないとかあったから外れだったんだよなぁw
06系よ意外とお前にはよく乗ったぞ
東京メトロ「居なくなってしまった06系の事時々でいいから……思い出してください。」
引退まで古さを感じさせなかった営団6000系、6108F編成だけが最後まで2段窓を残してたのも懐かしい思い出です。
そういえば6000系の三角形つり革が日本初なんだそうです。
地下鉄といえば、真っ先に思い浮かぶのがこの顔つき。チョッパ制御も当時としては最新の技術を先取りして、排熱を抑えた省エネ車両であった。
私も個人的に思い出深い車両ですので今回取り上げさせていただきました!!
因みに アメリカ🇺🇸の電車『BART』の前面がモデルです。
トンネル冷房などと言う素人が聞いても非効率極まりない方式に固執していた営団地下鉄。都営地下鉄では、6000系と同じ電機子チョッパ制御の10-000系試作車で冷房装置を搭載したのにも関わらず、営団に配慮したのか、営業開始前に冷房装置を取り外してしまった。けど都営の場合、冷房付きの乗り入れ車では、冷房を入れてくれる事が多かった(ただし能力を最小限にしていたので、混雑時は逆に暑かった)
常磐線にSLが走っていた時代にこの斬新さ!
6035Fはたった20年で廃車された、しかもインドネシアに譲渡すらされず解体
地下鉄の車両は比較的短命な感じですが営団6000系は本当に長寿形式ですね
日本では引退しましたがジャカルタに譲渡された車両は今でも現役ですしインドネシアの新車開発が遅れれば遅れる程活躍期間が延びそうですね
@maso_13b-msp いや、営団→東京メトロの車両はむしろ長寿の車両が多い。メトナナなんか一部車両を除いて40〜48年間走れたしメトハチもB修繕して1981年登場の形式ながら他の同期車両形式にはない『広告画面付き2画面式LCD』を採用したうえ一部編成を除いて今でも走り続けてるし(なんなら2020年代に突入しても廃車ゼロやったし(他の同期車両形式ならすでに廃車が発生し、一部は全廃あるいは全廃寸前となっているが))02系も上記車両よりやや短命ながら30年以上は走れた車両もいるわけだし05系も初期の一部を除いて今でも現役バリバリ、なんならトップナンバーらも転用&編成短縮されながらも今でも活躍していて4〜7次車も車齢30年超えながら全車B修繕を行ってほぼ新車と同等レベルになっているし。
私も千代田線6000系はよく乗りました。しかし40年も過ぎれば車体の老朽化が目立つ様になりその後継車として16000系の搬入が発表され、2010年度下期から8年間(3年中断在り)に渡って置き換えられました。主な開業歴並びに車両搬入は下記の通りです。
①69年暮れに北千住〜大手町間が開業し、常磐線直通運転開始迄は全線地下と単独路線として営業を開始し使用車両は東西線用営団5000系3連10編成が充当され、その翌年に5連化となる。
②71年3月に大手町〜霞ヶ関間が・その翌月には綾瀬〜北千住間がそれぞれ開業し、綾瀬〜霞ヶ関間が繋がったと同時に国鉄常磐線との直通運転が始まり、営団からは新型6000系が・国鉄からは103系1000番台がそれぞれ搬入された(5000系は5連✕2編成の10連5編成として81年度上期迄千代田線・常磐線限定として運用を継続)。
③72年10月に霞ヶ関〜代々木公園間が開業し同時に営団6000系からは2次車が搬入されるが、最後の区間となる代々木公園〜代々木上原間は5年半の時間を費やす事になる。
④最後の区間となった代々木公園〜代々木上原間が前回の部分開業から5年半の時を得て開業し、6000系3次車と小田急9000系(90年度から1000系に統一)が搬入されこの本線全線開業から小田急線との直通運転が始まるが、当時は平日のみの運用となる。
⑤79年暮れに千代田線分岐線ルート(地上)として綾瀬〜北綾瀬間が開業し、分岐線用は5000系が充当される。
⑥81年に千代田線は分岐線を除いて6000系に統一され、6000系4次車が搬入され同系グループからは一部変更が施行される。
⑦国鉄103系1000番台がコスト高騰の影響で運用から離脱する事になり、82年度下期から国鉄は203系グループに置き換えられ85年度迄完了し、その翌年度に輸送力増強のため207系が1編成のみ搬入された。
⑧その後も輸送力増強は続き営団からは6000系が限界に達したため06系が・JRからは209系1000番台2編成がそれぞれ搬入され、2007年度下期から千代直車両の新型置き換えが始まりまずは小田急からは2代目4000系が・その2年後にJRからはE233系2000番台が・更に翌年にメトロからは16000系にそれぞれ統一される事が発表され、2014年度から千代田線分岐線車両は東西線用05系に統一される。
⑨2016年度春からはメトロだけじゃ無く小田急・JR各車両に小田急線・千代田線・常磐線3線直通運転が実現する事になり利便性が向上する事になる(ただしJR209系は千代直離脱迄千代田線・常磐線限定運用を継続)。
⑩開業から活躍してきたメトロ6000系が運用から離脱する事が発表され、最後は土日5週間限定で綾瀬〜霞ヶ関間臨時列車で運用を終え、6000系は47年の歴史に幕を下ろし終了後は6102Fのみが新木場車両基地で留置中となっている。
追伸
②のコメント欄に10連化を表記するのを忘れてました。大変失礼致しました。
車両内を先頭から後方まで見通せる光景が特徴的だったが、地下鉄サリン事件以降消滅したような気がする。
この電車は キノコ型広幅貫通路のお陰で 5両が1両の車両に見える程の開放感があったけど 夏に窓を開けていると 風の通り抜けが凄かった。
発車すると先頭車の床に転がってた新聞紙が 5両目まで飛んできたから。
また 側窓や戸窓が小さく 採光部の少ない1〜3次車は 小田急ユーザーから『監獄電車』と呼ばれていた。
性能面は先進的だったし前衛的なデザインだったけど、対称的なデザインの方が好きだった自分は子供の頃は103系1000番台や5000系の方が好きだったし、営団車はドア窓が高くて子供だと外が見れなくて6000系が来たらハズレな気分だったなぁ。
通学で使うようになったころ冷房付き始めたけど203系より冷房付くのが遅かったのでハズレも多くて、冷房無し6000系が来ると1本見送ることすらあった。(203系もドアがガタガタうるさくてあまり好きじゃなかったけどw)
あと、有楽町線の7000系にも言えるんだけど、椅子が7人掛けなのに真ん中で分かれていて座りにくかった印象がかなりある。
ただ、貫通扉付ける必要があるけど固定編成な地下鉄だと運転台が広くとれるし、機能的には優秀なデザインではあると思う。
7000系とは兄弟車両でしたね。
様々な意味でエポックメイキングな電車でした。大好きです。
冬場の閑散時に乗ると寒風が吹き抜けた記憶。
三菱電機のTVCMで省エネと廃熱の低減を力説してたな。
凄い車両だな。
隅から隅まで、じっくりと、観察したいなと思う車両です。
扉の開閉で、「バーン」ってデカい音が響いたのも、覚えてる。
常磐線では開襟シャツにぶっ潰れた制帽、レイバンのサングラスをかけたチンピラみたいな国鉄運転士が乗務。もちろん昼間でも遮光幕全閉。
本当にいたの?
@@Yankee-Tiffany 少年時代に見たから間違いないですよ。ネットを探せば見つかのではないかな?
駅で初めて見た時は銀色の壁が走ってるように見えました。
JR東日本の、
東京メトロの、
そして小田急の
運転士さん車掌さん、今日も安全運転
安全確認動作、
御苦労様です。
最寄り駅北柏の人間からすると電車といえば千代田線で何時も乗るのは6000系が当たり前だった。
未来から来た電車と言われるとなんか意味もなく嬉しくなる。
高校入学時、試運転の651系スーパーひたちを眺めながら通学したのも良い思い出。
千代田線建設中に不忍池の底を抜いてしまい
水が抜けて
池のナマズを取って食べたと言う噂を聞いた事が有る
実話なのか?
色々言われる103系もなんだかんだで令和の時代に残ってる。いまも播但線で100キロぶっ飛ばしるの草
0:45 試運転のときは東西線?を走ってたんですね!
21世紀からやって来た…
なるほど〜
クッソ細くて見にくい右側の前面窓、編成ごとに設置場所も機能も違う空調スイッチ、イマイチ使い方の分からんダイヤル式の行先設定器、ブレーキが甘い編成は「はちのす」とか「激甘」とか「☠」とか落書きされてた運転台、「æ~↑」って愉快な音を立てる6017-の連絡用ブザー、みんな懐かしいな。クセが強いけど、まぁ乗ってて面白い子だった
当時の営団は高身長の乗務員ばかりを採用する予定でいたのでしょうか?
6000系初期車の乗務員室出入口の上端はなぜあんなに高いのか知りたい。
キハ81系気動車特急ひたちが抜かれていた記憶があります。特急が通勤電車に負けてた面白い時代でした。
トプナンも最初の顔は今と全然違う
トプナン トプナン トプナン
@@八雲藍様 さんへ
千代田線6000系6101F(晩年は編成替え仕様に)は69年に試作車として導入され、71年3月の北千住〜霞ヶ関間開業を機に運用が始まりました。しかし試作車と量産車では車体の寸法が異なるため小田急乗り入れ工事を見送り最後迄千代田線・常磐線限定運用となり、6101Fの先頭車両には小田急非対応を示すEマークが貼られましたが、僅か数ヶ月で運用から離脱しEマークが見られたのは僅かとなりました。
国鉄が103系を作っていた時代の車両と考えると、その恐ろしいまでの先進性が窺えるというもの。
何なら103系1000番台の後継として国鉄か投入した203系より優れていると感じたくらい。
本当に営団6000系は恐ろしい子・・・。
小田急1000形未更新時代よりも優れてるよな…
営団は半分国鉄の出資だったんだから、国鉄は6000系技術を使った車両を導入できたと思うんだ。
え?201系?まだアルミの203系の方が近いんじゃないか?
@@lutesnest1353 あんな101系殺しの出来損ないとは比べられない
因みに、6000系ハイフン車は一度だけ千代田線本線を走っています。(臨時で)綾瀬支線でゆっくり走るイメージですが、この時ばかりは猛スピードで駅を通過して行きました。ハイフン車、本気で走ると結構速い。
「営団6000系に負けない、性能と外観の車両を創るぞ!!」
と、開発されたのが、小田急の9000系でした(^^)
6000系電車の登場で文句言われた国鉄が、しぶしぶ203系を製造したのは結構有名ですな
ウグイス色の総武緩行線に エメグリに塗り替えず 緩行線カラーのまま快速運用に就いていた1000番台と写真のチョイスが心憎いですね😊
昭和60〜61年頃を思い出します。
当時は 武蔵野線や京葉線でも『ツギハギカラー』の103系が走っていました。
千代田線、常磐線は全く縁の無い土地柄、故に記憶が曖昧かついい加減ですが、103ダッシュは、千代田線開業前に、快速線で慣らし運転をしていた?ですよね?
総武中央緩行線は、オレンジが混ざることは多々ありましたが、ウグイスは珍しかった。確か両端クハのみウグイスでしたね。
今や懐かしい線名、赤羽線はカナリアでしたが、検査で車輛が不足すると、ウグイスをぶち込んでいました。埼京線になってからは、ウグイスになってしまいましたね!
@@利-y8w さま
正確には複々線化前の『常磐線』で習熟運転をしていました。
複々線化前は快速は走っておらず エメグリの103系が各駅に停まりながら上野−取手を結んでいました。(因みにその時点では 北柏・天王台は未開業。新松戸も複々線化後の昭和48年に開業。)
昭和60〜61年頃 総武緩行線は 確かに従来の低運クハを ウグイスの高運ATCクハと差し替えた編成もありましたね。
赤羽線も ウグイスが入っている編成がありましたが それより前の昭和53年頃 黄色い101系から103系に置き換わる過渡期には 一時期ウグイス色の103系(低運)が走った事もありました。
まぁ『目蒲線物語』で ネタになった程でしたからね。
常磐線のツギハギ編成は『太陽にほえろ!』でもネタにされました。(第625話 サブタイトル『四色の電車』)
営団6000系の前面は、シカゴの高架鉄道 ループに使用されている電車をモチーフとしているという。
ループをモチーフにしたのは小田急9000系では?(type2200)
営団6000系はサンフランシスコのBART(ClassA.B)から影響受けたとありましたが…
6000系7000系8000系は現代でも十分通用するデザインだと思います。
いよいよ東京メトロも上場やな😊
1969年は、読売クラブができて星野仙一デビューしたよ。
営団6000・7000・8000系は梯子扉のせいで全然前面展望が出来なかったから、これが来たら物凄いハズレ車両って印象しかなかったな…
KKコンビがPLにいた。レアル・マドリードがキンタデルエルブイトレの時代。
確か試験にワンハンドルがあったと……。
今の物と違いマスコンそのままでしたね。
6000系よりも103系1000番台と小田急9000系に乗るのが好きだったよ
子供の頃、遭遇すると嬉しかった事。
千代田線内で小田急車を見た時
小田急線内で営団車を見た時
特に小田急への乗り入れは、平日朝夕たったの14本のみと言う今の東西線と総武緩行線との直通と同じ形態だった。
1:52 この町どこ?
ジャカルタでも活躍してるから廃車というより単なる引退だね
今見てもまったく古さを感じないですね!
ハイフン車と6002f
ミルア