tram西鉄【北九州線】定点観測:筑豊電鉄分岐&黒崎駅前
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- Опубліковано 29 вер 2024
- '87.8撮影:小倉方面の併用軌道廃止前の黒崎駅前、及び、筑豊電鉄との分岐地点を行き交う電車たちの、想い出の映像をお届けします。当時の主力600形は、塗装の新旧×灯火類の新旧で4パターンが混在しておりました。また、筑豊電鉄乗り入れ連接車も新旧塗装が登場します。JRになったばかりの鹿児島本線を、ちょっと珍しいと思われる列車が通過します。
↓動画「西鉄 北九州線2:在りし日の前面展望(折尾→熊西)」はこちら
• 西鉄【北九州線】前面展望(折尾→熊西)
宜しければ、下記動画にもお付き合いください
↓「昭和の路面電車」再生リスト Tram
• 昭和の「路面電車」
↓「昭和の私鉄電車」再生リスト Electric Train
• 昭和の「私鉄電車」
↓「昭和の江ノ電」再生リスト ENODEN as Tram
• 昭和の江ノ電
↓「電車じゃないけど」再生リスト non-Electric Train
• 昭和の「非」電車
参考文献:JTB「ローカル私鉄 車輛20年 路面電車・中私鉄編」寺田裕一著
保育社「私鉄の車両9 西日本鉄道」昭和60年発行
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(※前コメントの続き)
今ではもう観られない電車達
が生き生きと活躍している姿
が非常に懐かしく感じられます
素晴らしい動画の御提供誠に
ありがとうございました
懐かしい🤩
撮影当時は高校1年生でした。筑豊電鉄沿線に住んでいて、黒崎車庫前で砂津行きに乗り換えて通学していました。
土曜日の午後は黒崎に寄り道していました。そごう→駅前書店→井筒屋ブックセンターがお決まりのコースでした。
いつも一緒にいた友人は折尾方面だったので、黒崎車庫前まで歩いてそこからそれぞれ西鉄線・筑豊電鉄線に乗車して帰っていました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方から寄せられる御体験などのコメントは、大歓迎です。特に最後の一文、ご友人との日常風景・・・良いですねぇ。
1000形連接車は基本筑鉄で使ってましたが、楠橋(三ヶ森・筑鉄中間)発着が中心で筑鉄直方発着は少数だけだった気がします。朝だけ八幡駅前まで乗り入れてました。1000形を筑鉄に譲渡した2100形も一緒です。路面区間廃止後は折尾まで乗り入れてました。2100形の部品を使った3000系もありますが、現在も全編成が活躍中です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
朝だけは連接車が八幡駅前まで乗り入れていたのですね。知りませんでした。
チャンネル登録しました。幼少の頃東中間から黒崎駅前まで乗っていた記憶が蘇りました。ありがとうございます✨
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
北九州市内線の路面区間の方も一部ビデオ映像を撮影しておりますので、いずれ動画編集してアップ予定です。登録ありがとうございます。
懐かしい映像ですね。現在1両が広島で走ってますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
広電3000形(3002F)には、まだまだ活躍して欲しいと思います。
@@昭和電車チャンネル 残念ながら3002Fは廃車となりました。3003Fが唯一現存しています。また、旧西鉄北九州線500形の広電600形602号が1両現存しています。
コメントありがとうございます。
現存しているのは3003Fの方だったのですね。そう言えば、600形も西鉄出身でしたね。
@@akiratakata2179 広電のは500形といっても動画に出ている元福岡市内線561形とは別物で、福岡市内線から電車が大挙して転入した際に運用離脱した全長13.6mの大型ボギー車です(運用離脱した理由も「大きすぎてワンマン運転に向かない」というもの)。
貴重な映像有り難うございます‼️昭和40代に永犬丸に住んでいました!なんか(涙)出そうです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
熊西の分岐は日常風景だったのですね。ところで、永犬丸(えいのまる)はかなり難読だと思います。
現在の福岡県北九州市八幡東区のイオンモール八幡東がある場所はスペースワ―ルド駅🚉が開業する前はJR鹿児島本線の旧線ル―トだったよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
鹿児島本線はルート変更があったのですね。
自分が子供だった頃に2000年まで北九州市小倉北区にあった西鉄北九州線に乗って「いとうづゆうえん」まで行ったのを思い出したよ。「いとうづゆうえん」は2000年までは西鉄が経営してた遊園地🎡だった。その後、動物園のみ経営が北九州市に移管されて2年後の2002年に「到津の森公園」になったよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昭和の時代に全国にあった民間の中小遊園地は、その後かなり減ってしまったようですね。
@@昭和電車チャンネル今やネズミ王国、USJ、ハウステンボスぐらいしか思い当たりませんね。
その到津遊園には1992年の砂津〜黒崎間廃止後に現役を引退した634号「お別れメッセージ号」が保存されていましたが2000年の西鉄到津遊園閉園後にスクラップされ淋しい限りであります(他所に移してでも残してほしかった)
熊西の分岐ですね。
斜め分岐は長崎駅前にもありますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
熊西の分岐は専用軌道の平面交差なので、ちょっと珍しかったですね。対して併用軌道における分岐時の平面交差は路面電車では普通のことなので敢えて取り上げるほどでもないのですが、長崎電軌にもあるのですね。
小倉と黒崎にSOGO百貨店が有った時ですね。
今は無いのですね。
黒崎そごう、後の井筒屋の建物は、去年8月の時点で残っていました。建物の出入口と前の歩道は封鎖状態でした。今後どうなることやら?
1987年当時の黒崎駅前は活気があったのに、今は完全に寂れてしまいました。北九州市内電車の廃線の影響は大きかった。(悲)
SOGOが北九州市に二箇所もできて、未だ。関西に居た。私は、何か変な百貨店だなあと、想っていたら。結局二箇所も無くなりましたね。地元の井筒屋百貨店が。残念ですね。
高校卒業して、兵庫県に就職して、初めて。私鉄に阪急と阪神に乗って鉄道の利用の仕方勉強しました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
関東の人間からすると、関西の私鉄は今でも複雑な気がします。単に不勉強なだけですが。
この動画が作成された1987年の
夏は私は高校3年生の17才
高校卒業後の進路分かれ目の
真っ最中であり正しく青春時代
の真っ盛りでもありました
元号が2つも前の昭和時代は
どの動画を観ても聴いても非常
に懐かしいものです
ここに配信されているかつての
西鉄北九州線も例外ではありません
35有余年前の西鉄北九州線熊西
(折尾方面)の分岐点(現在ではも っぱら筑豊電鉄の一本線)や
今はなき黒崎車庫前駅の在りし
日の姿 そして黒崎駅前駅の
旧駅時代の風景で併用軌道から
専用軌道へ出入りするシーン
筑豊電鉄専用折り返し3番線
ホームと今では観られない風景
が数多く思い出に納められた
大変貴重な鉄道資料であります
また動画に映っている電車も
最後の方に見える2003号を最後
にすべて姿を消したものばかり
で今ではもう観られない電車たち
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本動画の「見どころ」は、貴殿のコメントで再現いただいた通りかと思います。電車も路線も駅も、今見ると本当に懐かしい感じですね。西鉄北九州線の映像はまだありますので、今後追加で投稿予定です。
熊西分岐点
筑豊電鉄は一回の信号停止で進んでいったが西鉄折尾方面は2回信号停止で止まっていた。
高校時代いつも使っていましたね
懐かしい
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
平面交差の信号において、筑豊電鉄方面と折尾駅方面で、そんな違いがあったのですね。
懐かしい動画ありがとうございます。黒崎車庫電停付近のタバコ屋さんは確か安川電機や黒崎窯業の人たちの通勤ルートになっていて、日本一の売り上げを誇っていたと聞いたことが有ります。熊西から折尾の間にある陣原電停などは周辺にパン屋さんや靴屋さんがあって、賑わっていました。私は当時折尾周辺に住んでいましたが、小倉へ用事がある時は鹿児島本線でなくて、わざわざ西鉄北九州線を使っていましたよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時の小売店の活き活きとした様子が想像できました。先に廃止になってしまった門司、戸畑、枝光への路線も含めて、北九州工業地帯をカバーする路線網でしたので、工場勤務の人々を輸送するために電車が引っ切り無しに走っていたのでしょう。折尾から小倉への移動で、わざわざ北九州線を利用されたとのことですが、もし同じ立場なら私もそうしていたと思います。たとえ変人扱いされようとも(笑)。
折尾〜小倉間を鹿児島線でなく西鉄北九州市内電車で移動、当時はやらなかったけど、市内電車が今残ってたらやるかも。
そういえば陣の原電停周辺は、いまでこそただの住宅地だが、昔かなり賑わっていたなぁ。その陣の原、オフクロの実家(現・叔父宅)があり、今は亡き祖母の声と電車の音は、常にいっしょだった。
あと、皇后崎(こうがさき※)〜陣の原〜折尾東口は、路面電車にしては駅間距離が長く、吊り革が網棚に当たるくらいぶっ飛ばして走っていた。
※難読地名なのでふりがな振っておきます。ヨメがしっかり「こうごうさき」と読んでしまったし。
私も大変共感致します
私は当時高校3年生でした
昭和時代の旧西鉄電車の動画
は非常に貴重な資料です
熊西駅近くの旧折尾方面への
分岐点 黒崎車庫前駅の在りし
日の姿 そして黒崎駅前駅の
旧駅時代と正しく「懐かしい」
の一言につきません
中でも熊西旧分岐点付近に見える踏切(熊西1号踏切)から
発している初代警報音(ドレミ
段階でファとラの組み合わせ)
が懐かしく2002年あたりまで
使われていました
そして電車もいずれも今では
もう観られないものばかりで
大変貴重なものです
筑豊電鉄熊西1号踏切から発している警報音が非常に懐かしいです
これは初代目でドレミ段階でファとラの組み合わせは西鉄グループ全体でも10数箇所しかない大変貴重なものでありましたが2002年春にこの踏切警報音が2代目(ファとファ半音上組み合わせ)に切り替わって前記初代目警報音はすべてなくなりました
さらに2017年頃に3代目警報音(2代目に比してよりシャープに)となりましたのでこの動画では2代も前のこととなりました
いつもご視聴、コメントありがとうございます
電鐘,電鈴から電子式に変われば誰でも気付きますが、電子式の微妙な変化は解る人しか気付けないのでしょうね。
特急かもめは485系交直両用電車🚃だね。その後、JR九州の485系交直両用電車🚃はJR九州のコ―ポレ―トカラーである赤1色に塗り替えられて「レッドエクスプレス」になったよ。九州新幹線🚅全線開業(東日本大震災発生の翌日)のダイヤ改正でJR九州の485系特急型交直両用電車🚃は完全引退したよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
JR九州の485系特急型交直両用電車、完全引退しているのですね。
今では筑豊電鉄もワンマン運転になったよ。
筑電はよくお世話になっていました。とはいえど黒崎車庫前は西黒崎に、廃墟のコムシティ、生き残っていた2100系が廃車され、2000系のラッシュ中間車掌がいなくなり線路の剝がされた西鉄北九州線を見るだけだった頃ですが・・・
鹿児島線も423系がいたり、黒崎駅前での10:35からちらっと写る415系は恐らく500番台だったりと貴重な映像をありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
西鉄北九州線は、私の訪問時は既に門司や若松方面の路線が廃止された後でしたが、その他の路線の映像をどうにか記録できたのは幸いでした。その後、全廃されてしまったのは大変残念でしたが、筑豊電鉄が残ってくれたのがせめてもの救いです。
西鉄北九州線には1980年までは支線として「北方線」、1985年まで本線が門司(関門橋の真下)まで伸びてた呼んよ。また、「戸畑線」「枝光線」と言う支線があったよ。
それらの支線は、私が訪問した際には既に廃止になっており、非常に残念でした。若戸大橋と一緒に写っている電車の写真を以前見たことがあり、印象に残っております。
筑豊電鉄2000形2000番代は電車内のあったテレビ📺で若い女性👩アテンダントによる次の電停案内💁があったのを思い出したよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういうサービスがあったのですね。
10:37
えっもしかして
元勝田の415系500番台かな!?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私はほとんど知識が無いのですが、415系って国鉄時代に広範に運用されてたんですよね。
ズバリその通り、1986年に勝田から南福岡に、常磐色のまま異動した500番台です。1988年頃九州色化されているので、常磐色+赤いJRマークは1年ほどしかなく、超貴重です。
@@toshiyan188さん
同じ事書こうとしてました。
あっという間に上にも線が入れられてしまいましたよね。
赤電よりも先に九州に行った常磐白電が消えるとは思いませんでした。
昼間にかもめ号があった時代
いっとき、14時台にかもめ号があってなんでかなと思ってました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
特急「かもめ」の本数が多い時代なのですね。
筑豊電鉄の3000形電車🚃のうち、3003編成が赤電塗装、3009編成が黄電塗装になってるよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
編成毎にカラーが違うのは見ていて楽しいものです。関東だと東急世田谷線など。
平成4年の路面区間全廃直前頃の映像を拝見することは多いですが、この時期のものは意外と少ないためとてもありがたいです❗
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が訪問した昭和末期において、路面区間は既に大幅に縮小されてはいましたが、小倉駅前あたりまでの映像はなんとか記録できました。これらは、いずれアップ予定です。
黒崎〜直方間の公共交通機関は筑豊電鉄以外はJR福北ゆたか線と西鉄バス筑豊のバス🚌路線「(急行)直方〜黒崎線」があるよ。
西鉄北九州線折尾口および筑豊電鉄線を見て育った身です。私が鉄道ファンとなった原点となったのが、折尾・黒崎エリアの西鉄北九州市内電車、筑鉄電車、鹿児島・筑豊線です。
懐かしい貴重な映像を、ありがとうございます。
熊西電停の上を走る鹿児島線列車は、当時通学(折尾〜福岡市内)で使っていたので、こちらも非常に懐かしい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地元の方に気に入っていただけると、動画投稿した私としても大変嬉しいです。鉄道が好きになった原点って、誰にでも多分ありますよね。私の場合は、江ノ電と小田急、湘南電車といったところだと思います。
折尾・黒崎地区には加えてモノレールも建設予定でしたからね。(ただしモノレールの建設計画は凍結したため実現しなかった)
住まいは戸畑でありますが私も西鉄北九州線の沿線で生まれ育ち自宅の窓から毎日のように同枝光線の電車を見てから路面電車のファンとなりました
また直ぐ近くに国鉄鹿児島本線も走っていたのでここから広く鉄道マニアのスタートともなりました
少し離れてはおりますが新日鉄(現·日本製鉄)のくろがね線(専用鉄道)も戸畑地区を走っておりこちらも鉄道マニアの対象となった路線であります
さらに西鉄北九州線(戸畑線)の跡地がバス専用道路となり(現在は並行道路と統合され一般道に)ここでバスに乗る度に今でも当時の電車に乗っているような錯覚におちいります
小倉駅周辺の一方通行時代の動画も登場して欲しい😅。
時代的にご期待に沿えるか判りませんが、小倉駅付近の前面展望映像も撮影しております。内容を確認して、別途動画としてアップするつもりです。
1992年の西鉄北九州線(黒崎駅前〜砂津)の廃止時に小倉駅🚉周辺の一方通行が解除されたよ。
JR九州の鋼鉄製の415系交直両用電車🚃も西九州新幹線開業時のダイヤ改正で完全引退したよ😢。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
415系も完全引退してしまったのですね。
1500番代は今も現役だよ。関門トンネルを走ってる普通列車は全て交直両用電車である415系1500番代だよ。
おお!😂懐かしい、北九州市線が折尾駅までが残った時の映像ですね!約30年程前ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が当時訪問した際には、戸畑、枝光、門司への路線は廃止されてしまっておりましたが、黒崎から小倉まではまだ併用軌道が残っていました。併用軌道の映像も、今後アップ予定です。
@@昭和電車チャンネル 熊西~折尾間もお願いします。
黒崎そごうも黒崎井筒屋も閉店して寂しくなったよ😢
懐かしいですね私は車両とかは詳しくないけど沿線の店が思い出されますね、パン屋や床屋そして本屋・学生服の店なんかがありましたね、サウナもあってあの頃は黒崎の街には何件もサウナがあったけどすべて無くなってしまった、今のドンキの場所には団地群があってどこかの社宅だったかな?プールや弓道場があったような記憶があるし鳥小屋もあった気がする、そこのちょっと先の沿線の高い位置に予備校もあった記憶があるもうかなり昔の話になりますね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方から懐かしいとのコメントをいただくのは、当方としても大変嬉しいものです。〇〇形とか車輛の情報はさして重要ではなく、その車輛がその時代に確かに存在したという事実、そして列挙いただいた沿線風景の一部として溶け込んでいたということが重要なんだろうと思います。
筑豊電鉄の社章は昔の西鉄の社章に似てるよ。
関連会社(子会社?)だからなのでしょうね。
今では黒崎車庫前駅も廃止されたよ。
登場してるクルマが懐かしい!T140コロナタクシー🚕、910ブルーバードタクシー🚕、B11サニー、初代アルト等。
そうですね! 今では考えられませんが、乗用車といえば、ほぼセダンばかりでした。
0:36 北九州線1000形最終グループである1062ABと1063Aを改造。他に1064ABと1063Bを改造した2007ACBがある。行先表示器を含めた種車ゆずりの前面スタイルが特徴。
2:04 福岡市内線1201形1205ABと、北九州線での使用実績もある1001形1013Aを改造。
4:23 半鋼製車。貫通路が全断面化。北九州線廃止まで残った1020ABが1000形最後の半鋼製車。
5:04 元福岡市内線561形。574は唯一の更新車。
5:28 3000形3007ABに機器提供。
6:06 2100形2117AB。たった短期間で3002ABに機器提供。
7:16 2000形2004ACB。元福岡市内線1300形1304AB。北九州線1044Bを組み込んで3車体連接化。映画「おっぱいバレー」に使われた関係で塗装変更が延期された。
9:52 3000形への更新対象外となった車両。
10:47 元福岡市内線1303AB。北九州線1044Aを組み込んで3車体連接化。現在直方にて保存。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
いやー、すごく詳細な情報ですね。勉強になります。西鉄北九州線で活躍した車輛たちは、結構多岐にわたりますが、その変遷も複雑なのが良く解りました。塗装については、新塗装も悪くないですが、私は旧塗装のあの野暮ったい色合いが結構好きだったりします。
@@昭和電車チャンネル 変遷もそうなんですけど、「鉄道ピクトリアル」とかを読んでいると、1000形3両連接車のうち1045ACB導入時のすったもんだなどヘンなエピソードもあります。
この動画に登場していませんけど、この当時だと300形(元々北九州線いた木造車の改造名目…の予定が、予想外にコストがかかって5両でとりやめになった元福岡市内線の電車)、流線型車体を持つボギー車138形が引退間近で、福岡からの出戻りの66形更新車(車体が重すぎた上に状態が悪かったので600形同様の車体を新造)がまだ健在でしたよね。
路面電車はなくなり連接バスがやってくるとは。それほど月日が経ったということか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この北九州に限りませんが、路面電車が姿を消してから時が経つと、かつて路面電車が走っていたことなど、全く想像できなくなってしまうものですよね。
懐かしいですね。
1987年ぐらいの頃かな。
高校時代は国鉄での通学で折尾から城野または石田まで帰ってましたが、良く黒崎に寄り道してましたね。
高校の1年の時まではまだ戸畑や門司までありましたね。
ちくてつは三ヶ森まで親戚のところまで行く時,利用してました。テレビモニターが途中から付いて車内放送してた記憶あります。
最初の415系は423系ですね。
終わりの415系はつくば博でカラーが変わった415系500番台
クーラーがステンレスカラー。
車体ブルーが少し濃いめ。車体の上のラインが1本無し。
良く乗車して高校3年間調べましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
高校通学で利用されていたのですね。門司や戸畑まであった時代には、私は残念ながら訪問できておりません。若戸大橋と電車が1枚に収まる写真を見たことがありますが、ホントに良い感じでした。国鉄車輛についてはアバウトにしか知らないので、間違い・不正確なところをご指摘いただき助かります。
貴方は私と同じ年でありますね
本文にありますように高校1年生の時に北九州線の一部(門司/戸畑方面)が廃止されたのを記憶に残しております(高校入学と同じ1985年)
この動画が投稿された1987年は正しく高校時代/青春時代共に真っ盛りの時期であります
私は貴方と同じく国鉄(後にJR)で折尾の高校へ通学していましたが趣味を対象は西鉄が強く時折北九州線で折尾まで通学していたことも度々とありました
今では黒崎駅の西側は自動車専用道路である「黒崎バイパス」が開通して劇変してるよ😢
これに関係して「黒崎西出入口」が建設中です(八幡方面から国道200号線引野方面へ分かれてます)
これに伴い2021年から西黒崎駅が使用休止され(旧構内通路を踏切化/車庫内が工事現場化)4年程工事期間を要するとのことで予定通りであれば来年(2025年)以降復活する見込みであります
冬場。早朝の筑鉄はトロリーが氷結しても、火花散らしながら走ってましたね。意外と寒い北九州市ですね。
北九州の冬は結構寒いそうですね。トロリーが氷結しても火花散らしながら走行・・・見てみたかったですね。
10:03 筑豊電鉄2000系2003号は2022年まで現役で運行してたよ😅。
そんなに最近まで頑張っていたのですね。
この時代の北九州市は活気があったけど、今は…
北九州市もそうですか・・・当時の方が活気があったという話は、岐阜とか新潟とか多くの都市で聞きますね。
2:37
これ多分415系じゃない気がする…
423系ですね。
1987年といえば鹿児島線を通学で使ってました。
白地青帯が懐かしい。